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「医学部を目指した20年」夢を諦めた彼女の行く末 医師になりたかった理由、新たな道を選んだ訳

東洋経済オンライン 3/24(日) 5:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/938c556875b68dd6354090f12826f96f301ab161

 

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totoronさんは医師を目指して受験を続けたが不合格で、7浪で奈良女子大学に進学。

医学部医学科に合格できず私立の歯学部に進学し、中途退学。

浪人生活を追求する濱井正吾氏がtotoronさんにインタビューし、医師の夢を諦めた経緯や過程を明かした。

totoronさんは浪人を選択し、20年の夢を断念。

浪人生活で得た成果や、新たな道を歩む決意について語っている。

(要約)

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医師を目指して受験し続けたtotoronさん。現在の彼女は?写真はイメージ(写真:metamorworks / PIXTA) 

 

現在、浪人という選択を取る人が20年前の半分になっている。「浪人してでもこういう大学に行きたい!」という人が激減している中で、浪人はどう人を変えるのか。また、浪人したことで何が起きるのか。 自身も9年間にわたる浪人生活を経て早稲田大学の合格を勝ち取った濱井正吾氏が、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張ることができた理由などを追求していきます。 

今回は医学部医学科を目指して受験し続けるも、不合格に終わり、7浪で奈良女子大学に進学。諦めきれずに受験を続けたものの、医学部医学科への合格はかなわず、私立の歯学部に進学。2024年の2月に中途退学して、新たな道を歩み始めているtotoronさん(仮名)に話を伺いました。 

 

【写真】totoronさんが7浪目のときに合格した大学 

 

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■20回の挑戦を終えて、夢を断念 

 

 夢を諦めるというものは、つらいものです。 

 

 今回お話を聞いたtotoronさん(仮名)は、医師を目指して7浪したものの、不合格に終わり、奈良女子大学に進学。在学中や卒業した後も、センター試験と共通テストを受け続けますが、20回目の挑戦を終えて、ついに断念します。20年追いかけた夢を断念する無念さは、筆舌に尽くしがたいものがあると思います。 

 

 それでも、彼女はいま、前向きに自分の人生と向き合おうとしていました。彼女は言います。「夢を目指して頑張れたことが、自分の人生にとってよかった」と。 

 

 人生の半分以上をかけて目指した医者の道を断念した彼女が、「未練はない」と語る理由とは。長きにわたる彼女の浪人生活に迫っていきます。 

 

 totoronさんは、大阪府大阪市西淀川区に生まれました。新聞販売所に勤務する父親は中卒、母親は夜間高校中退で、家系に大卒者はいませんでした。幼少期は大人しく、成績も普通だったそうです。 

 

 「通っていた公立小学校は1学年が90人ほどで、成績は真ん中でした。そのまま地元の中学に進学し、中学でも1学年百数十人の中で、真ん中よりやや上の程度の成績でした」 

 

 将来の夢は特になかったというtotoronさんでしたが、小学校のときにそろばん塾(学習塾を兼ねる)に通っていたことが、現在にも生きているそうです。 

 

 「私が通っていた塾は、夕方はそろばん塾で、夜には学習塾に姿を変える場所でした。そろばん塾も、学習塾も、同じ先生が指導してくださり、勉強をサボると手が飛んでくるようなきびしい環境でした。ただ、そこで頑張ることができた結果、第1学区の東豊中高校(現:千里青雲高等学校)に無事進学できました」 

 

 

 同高校に進学できた理由として、彼女自身は「問題を起こさない真面目な生徒としてすごし、それなりの内申点も確保できたため」と振り返ります。 

 

 中学生のころから大学に行きたいと思っていたtotoronさんは、1年生から受験対策を始めるようになります。きっかけは「大学入試指導センター」という会社からかかってきた教材の購入の勧誘電話でした。彼女はそこの教材を日々やりこんで、来る受験に備えるようになります。 

 

「高校は1学年9クラス・計270人ほどでした。成績はまたしても真ん中くらいでしたが、大学受験には高校の成績は関係ないと考えていたため、成績のことはあまり気にしませんでした」 

 

■医師の夢を抱くも、勉強方法がわからない 

 

 そんな彼女は、高校2年生になると、医師になるという夢を抱くようになります。左目がぶどう膜炎になった際に、その担当医がとても親切だったことがきっかけだったそうです。勉強に身が入るようになった彼女ですが、勉強方法を相談できるような人は身近にはいなかったそうです。 

 

 「本当に五里霧中といった感じでした。相談しようにも、どうしていいのかがわからなかったのです。高校の同級生に医者を目指す人は皆無、学校の先生に相談なんてとてもじゃないけれどできず、とにかく自分でやるしかない、という感じでした。休日は、個別指導の先生に見てもらったり、梅田にある自習室(大学入試指導センター)で勉強していましたが、到底医学部医学科に合格する学力は身につかず、現役時のセンター試験は、半分も取れませんでした」 

 

 この年は、医学部医学科への受験は断念し、近畿大学の生物理工学部を受けたものの、不合格に終わります。 

 

 totoronさんは、「医学部医学科に行くため」浪人を決意します。 

 

 「センター試験が終わってから、個別指導の先生に、勇気を出して初めて医学部医学科に行きたいと言ったところ、『絶対に行こう!』と応援してくださって、いっそうやる気が湧きました」 

 

 親に浪人の許しを得たtotoronさんは、お年玉貯金を崩して、河合塾に入ります。「ひたすらテキストの復習をしていた」と語るように、朝から晩まで勉強したものの、1浪目は全然成績が伸びなかったようです。 

 

 

「当時の模試の結果はあまり記憶にないのですが、5月の河合塾全統記述模試で化学の偏差値が29だったことだけは覚えています。トータルの偏差値も50未満だったので、とにかくやるしかありませんでした。1浪目のセンター試験は結局6割ほどに終わり、医学部医学科はどこもE判定でした」 

 

 医学部医学科に行けないなら、大学には行けなくてもいいと思っていたそうで、この年は大阪市立大学(現:大阪公立大学)の医学部医学科を受験したものの、不合格でした。 

 

■4浪目で突然成績が上がる 

 

 2浪目に突入したtotoronさんは、保険金を解約して費用を捻出し、駿台予備学校に入学。ひたすら勉強に打ち込みます。 

 

 予備校の先生にも「とにかく時間をかけてやるしかない」と言われ、医学部医学科入学まで何年もかかるものだと覚悟を決めたのも、この時期だと言います。この年のセンター試験は6割で、三重大学の医学部医学科を受けるもあえなく撃沈でした。 

 

 3浪目も前半は金・土・日に1日あたり4~12時間程度、ホテルの配膳のアルバイトをして、講習代や受験費用を貯めながら、駿台で勉強を続けますが、成績は上がらず、センター試験も6割未満。ふたたび三重大学医学部医学科を受験したものの、不合格に終わりました。 

 

 しかし、4浪目では進展を見せます。この年も前半は配膳のバイトをしながらの勉強でしたが、毎回模試の偏差値が40だった化学が、ある日突然60にジャンプアップします。数学も40から55程度に上がり、着実に勉強の成果が現れ始めました。 

 

 「それまでずっと成績も上がらず、わからないことばかりでつらかったのですが、めげずに毎回わからない箇所を先生に質問しにいったので、少しずつわかることも増えて、基礎も身に付いてきたのだと思います」 

 

 とはいえ、センター試験の得点は上がったものの、7割程度。この年も三重大学の医学部医学科を受け、落ちてしまいます。初めて私立の医学部医学科や大阪薬科大学(現・大阪医科薬科大学)なども受験しますが、全落ちで5浪が確定しました。 

 

「3浪までは『とにかく頑張ろう、頑張ったらきっといける、という感じでした。でも、成績が上がってくると恐怖を抱くようになりました。頑張っても、この年にはもう(医学部医学科に)いけないのが肌感覚でわかってくるので。センター試験でこけたら、もう1年やらないといけない。この頑張った1年はほぼリセットになります。センター試験が思うように取れなくて、情けなくて悲しくて、大号泣したのもこの4浪目の年でした」 

 

 

 5浪目は気分を変えて、1浪で通っていた河合塾にふたたび戻る決断をします。さすがにもうこれ以上の浪人はつらいと思ったtotoronさんは、河合塾で京大の理系を目指すコースに入りました。 

 

 「もうこの年は医学部医学科だけではなく、別の学科に受かっても進学しようと思いました。浪人生活でいちばんつらかったのが、この年でした」 

 

■断腸の思いで医学部医学科受験を諦める 

 

 彼女はこの年まで落ち続けた理由を、「導いてくださる先生の不在」と考えます。 

 

「当時はネットが発達してないので、周囲に誰も志望者がいない未知の進路に進むためには、手探りで自分の道を開拓しないといけませんでした。受験は才能・能力も必要ですが、いちばん必要なのはノウハウだと感じます」 

 

 この年も焦りから「ずっと自習室にこもって勉強していた」というように努力を続けていた彼女でしたが、京大と医学部医学科の判定はずっとEのままでした。結局、センター試験も7割ちょっとだったために、断腸の思いで京大と医学部医学科の受験を諦める決断を下しました。 

 

 この年、彼女は大阪薬科大学・京都薬科大学・神戸薬科大学・摂南大学を受験し、大阪薬科大学と摂南大学に合格して、ようやく彼女は5浪で大阪薬科大学に進学しました。 

 

 5浪で大阪薬科大学に入学したtotoronさんは、ひたすら中学受験の塾でアルバイトをしながら、勉強に打ち込む日々を送ります。「医学部医学科落ちがたくさんいるし、授業自体も面白かった」と満足していた大学生活。しかし、その生活も2年目で終わりを告げます。 

 

「親が大学に行っていないこともあり、薬学部が6年間通うところだとしらなかったんです。1年目は日本政策金融公庫でお金を借り入れてもらい、授業料と入学金を合わせた400万をなんとか大学に納めたのですが、親の事業の失敗もあって、次の年からはとても払えないということで休学しました。 

 

 今思えば、奨学金を調べて駆使したら、卒業まで通えたかもしれませんけどね……。そこから私は、とにかくどこかの大学を出なければいけないと思い、そのためには再度受験するしかないと思って、ひたすらバイトでお金を貯めながら、センター試験を受けました」 

 

 

( 152407 )  2024/03/24 13:47:41  
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(まとめ) 

多くのコメントでは、この人の医学部受験に関する過程や結果について、理解できない、高望みだった、行き当たりばったり感が否めない、身の丈を分かっていなかった、何年も浪人することは素晴らしいが、知識の積み重ねが足りなかった、親の理想を叶えることは難しい、年齢や学力的に医学部向きではない、受験に多くのお金を使うが知識がついていかなかった、途中での決断力と判断力の欠如などが指摘されています。

また、適切な相談や情報収集をせず、独りよがりな行動が目立つというコメントも多く見られました。

さらに、医学部受験は厳しく、医師としての勉強や責任が大きいため、適切な時期に挑戦を切り上げ、他の道を模索するべきだったのではないかとの意見も多く見受けられました。

一方で、20年間の努力と忍耐力を称賛する声もあり、人生において挑戦し続ける姿勢には敬意を払うべきだとするコメントも見られました。

( 152409 )  2024/03/24 13:47:41  
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・率直な感想を言うと、ちょっと理解できない。 

あまりにも高望みだったと思う。 

小さい頃から成績は中レベルで、特に勉強が好きだったようでもない。 

浪人してからも偏差値30いかないくらいの教科もあり、「途中で急に伸びた」とは言うもののそれでも中を少し上回るくらい。 

なのに、京大という選択肢まででてきて驚いた。 

その間に歯学部を3年まで通って中退したり、モチベーションが切れてしまったというのは理解できるけど、やはり行き当たりばったり感が否めない。 

その20年でどれだけの時間とお金を使ったかと思うと、自分に合った進路選択していればもっと20代30代を有意義に過ごせたんじゃないかと思う。 

「身の丈」を分かっていることって大事な事だと思う記事だった。 

 

 

・受験の神様には後ろ髪がないと、私は思っています。医学部歯学部はチャンスがあるときに合格をつかみ取る事が望ましく、逃すと浪人になり段々と合格率が下がります。とは言え勿論諦めずにチャレンジして夢をかなえた人もいますから、決して一律この限りでは有りません。只、医師は合格してからが大変で国試合格や研修医期間や新人医師勉強期間があり、其れは他の学部とは違い一人前になるまでは長い時間を要します。それ故に入学試験に長い時間をかける程、実際に臨床に及ぶ実務が短くなり身体的にもきつくなります。又、合格しても留年という最悪のケースも有ります。夢は諦めないことを美学としたいですが、自分の能力を他の興味の範囲に生かす柔軟な心を持つことも賢明な人生の選択と思います。 

 

 

・多浪して7割ですか。 

失礼を承知で言いますが、医師は日々新しい知識との共存です。 

毎日アップデートしていかなければなりません。 

何年も頑張る努力は素晴らしいと感じますが、 

「頑張ってるけど、知識が積み重ならない」とか、「後から聞いたらわかったけど、その時は情報が繋がらなかった」という医師には担当してほしくないです。 

そして、そのように失敗した時には「指導者の不在」て言うのかなと。 

 

夢を追うのもいいですが、我が子がその状況で、それだけのお金は出せないし、出さないと思います。 

 

 

・35年目を迎える共通一次試験世代の基幹病院の勤務医です 

両親はもちろん親戚にも医者は居ない環境で育ちました 

2浪しましたが、受験勉強の繰り返しは単調で…さらなる伸び代は感じれなかった 

数学や物理が苦手で並の点数しか取れず、それでも受験できる地方国立医に合格出来た 

 

日々の診療のレベルを維持・向上するための研鑽はクリニカルイナーシャ(臨床的な惰性)に陥らないためにももちろん大切ですが… 

臨床医にとって常に忘れてはいけない事は、患者に寄り添う気持ちを意識する事が1番大切な事だと最近特に思ってます 

そのような姿勢は、医療界に限ったことでは無く、どの分野でも大事な事だと思いますよ 

 

 

・田舎の進学校から現役で国立医学部に入りました。 

身内に医者はいません。 

塾は行きませんでした。田舎すぎて塾もないので。 

なので、進研ゼミと、学校の先生を使い倒しました。 

進学校で先生達のノウハウはあったので、希望者に出してくれる添削プリントを毎日解いて提出して、真っ赤に添削されてくるのをまた勉強して、の毎日でした。それで物理は赤点から脱却しました。 

この人も学校の先生に頼ったら良かったのに、と思います。医学部に入る子がいない学校でも、先生はちゃんと勉強を教えてくれるはず。それが仕事。学校で基礎学力をつけないと、何浪しても医学部は無理と思います。 

あと、医学部は2浪までの人がほとんど。それと、きちんと社会人経験してからの学士編入もいます。 

多浪になればなるほど留年率も高かったし、国試の合格率も悪かった印象があります。 

どこかで早めに線引きしないと、親御さんも大変だったと思われます。 

 

 

・指導者不在と言うけど河合塾ならテューターや学生バイトを利用すれば指導はもらえたはず。薬学でも掲示板やネットで奨学金の情報はあったはずなのに気がつかなかった。友達いなかったのかな?最初の環境はビハインドだったかもしれないが、取り返すポイントはあったと考えます。入試って自分の実力、経済力、情報収集力からの適切な判断力。そこが筋が通ってないから多浪したんだろう。でも今幸せなら良いですね。 

 

 

・家の次男の同級生に医学部を目指して8浪 ぐらいした子がいました。 

家は医者というわけではなく一人息子で 溺愛していたみたいです。 

厳しい言い方ですが医学部を諦めたのは才能がなかったからだと思います。 

努力をすれば何でも夢は叶うと教育されてきた日本人は間違っていると思います。 

夢を持つことは大事なことだとは思いますが 身の丈にあった人生を送るのも大事なことだと思います。 

 

 

・最後まで読んだけれど、途中から本当の話しかな?と思ってしまった。まず、予備校に通う学費。親に了承をもらい学費は工面してもらった、そして、自分の貯金を切り崩した。バイト代も。それだけで足りるのかな?とも。あと、浪人中に人との交流はなかったのかな?とも。予備校の先生や予備校仲間、アルバイト仲間とは別に。小中高校の同級生や親戚の人達などとも。その人達と近況報告していれば、 

医学部について分かる範囲で何かしらの情報は知れたはず。もちろん薬学部6年も。ネットがない、両親が大学卒業でなくても。それによっては、限られた自分の人生時間をどう使うか?そこまでして医師になりたいか?道を変えようか?など見つめ直す事もある。夢を持ち前向きに頑張るのは素晴らしいけれど、このような思いで医師になるのはどうかな?とも。 

 

 

・医学部への希望はあるけど、勉強には身が入らなかったんだろうね 

意欲が勉強するための具体的なイメージに繋がらなかったんだと思う 

そんなイメージがなくても勉強できる人もいるが、医師になるための最初の関門である、「医学部医学科への入学試験」は中途半端な意欲の人間を排除するにはそこそこ役に立っていると思う 

大学入試くらいでもまごついてるようでは医学部医学科の膨大な学習量にはついていけないと思う 

 

 

・物覚え・閃き・読解力・計算力etc… 

学力といっても色々あるけど、勉強も世間的に思われているよりはずっと才能の世界だと思う。 

国立の医学部に合格していくような連中はそもそも河合塾の自習室に行くまでの時点で共テ6〜7割くらい普通に取るし、中学のテストを受けるよりも前にそもそも地頭を鍛えるトレーニングもしてる。東京だと特に学習量や学習の仕方の“常識”が正直全然違うけど、そういう環境のない地方だとより才能の世界だと思う。 

 

身の丈にあった目標を目指した方が…って意見はこれはまあ目指さないとわからないものがあるからあんまりこう決めつけたくはない気もするけど、少なくとも親の理想は叶わないと思っておくべき。 

 

 

 

・私は医師になる人は、優秀であることは最低限要求されると思います。当然ですよね。だから医学部にはいることは難しいのでしょう。優秀で研究熱心でない医者にはかかりたくない。 

 

私は小学校に入る前、ある病気にかかりました。一週間ほど高熱が続き医者も病名がわからず、両親が他の病院に変えてそこの医者が病気を突き止めて事無きを得ました。子供ごころに治療の様子等を覚えています。 

他方、私がその病気から回復した何年か後、いとこの女の子が十歳頃、私と同じ病気にかかり、その罹っていた医者が病気を見逃してしまいました。結果としてそれが原因で亡くなってしまいました。はるか昔のことです。 

正式な医者でもそういう事があるのだから、今後AIによる治療もさらに取り入れて欲しいです。 

 

 

・医学科もだけど、何年も浪人の途中に入った薬学部も6年あるのを知らなかったとか(確かに細かくは4年のと6年のもあるけど基本は6年)入ることだけが目標になってるけど、医学科の留年や卒試その後の国家試験までも6年以上かかる人結構いる。入ってからの膨大な覚えるべき知識と日々更新される知識、臨機応変に即断も必要なのにとただ驚いた。 

 

 

・向いてなかったってことでしょう。入学しても、解剖生理生化どれも通らない。当然医師免許は取れません。当方旧帝大H4のしがない内科医ですが、周りを見ていても、遠回りはマックス六年まででしょうね。学士入学でも、それ以上歳食ってる人は結局活躍できてません。若さが武器なんですよ。学力も体力も、二十代が勝負なのです。 

 

 

・医学部と歯学部は残念ながら授業内容や学生の学力が全く違う。私立歯学部の一般入試で入ったほとんどの学生は偏差値50にも満たない。数千万の学費を払える財力がある子弟ではあるが。歯学部の実習は医学部と全く違うことがメインとなる。基礎医学の解剖なんかは変わらないが、専門過程は芸術大の彫刻科みたいな感じである。簡潔にいえば、いろいろな材質の歯を削るのがメイン。あとはペンチでワイヤーをまげて、矯正の練習したり。図画工作が得意でないひとはやめた方が良い。地獄である。医学部の実習で行う採血なんかはほとんどやらない。数回ではないか。大学によるかもだが。医学部に行く学力がないからと歯学部にいくのはやめたほうがよい。全く別の仕事だと思ったほうがよい。この方の根性には敬意を払う。今後は、しあわせな人生を送ってほしい。 

 

 

・ずっと支えてくれていたであろう親に対する思いは無いのか?事業の失敗もありながら、それでも子供の希望を第一に寄り添った親。何も思うことは無いのか?途中、大学に何年も通わせてもらい、浪人期間も支えてもらい、本当に何もないのか?あまりにも冷たい人だと感じる。自分が教えた子が医学部に入った子がいるというが、その子が他でも様々な努力を積み重ねた結果であり、自分が教えたから合格したかのような思い上がりにも驚くばかりだ。 

 

 

・予備校の方と、しっかり話をされたのかな。予備校は様々なデータから、過去の合否状況から、合格の可能性を持っていますよ。 

 

例えば、医学科は、たろうを嫌います。それは医師としての現役生活が短くなるからです。現役であれば、半世紀近く現場にたてます。40代、50代が医師としての黄金期です。さらに医学の勉強では覚えることが大変多いですね。20代前半までが、いい所だと考えています。 

医療業界は、地域へのこだわりがあります。医師になってどこで働くか、の問題です。大学と自治体はつながっています。近年は「地域枠」といったものもあります。生まれ育ったところの医学科が有利ともいえます。 

面接も重要です。あまり出しゃばったりすることも、受け答えが十分できなかったりすると不利になりますね。 

 

 

・私は過去に二浪の末に体育大学に進学しました。 

勉強ができない私が運動が好きという理由だけで大学進学を目指したのかなと思いました。 

当時(平成元年頃)体育大学は数える程しかなく、選択肢は限られていました。 

できない私ですが頑張ったなりに名のある大学に進学させていただきました。 

 

今回の記事を読んで気持ちを持ち続けられた事が凄いと思いました。 

 

 

・到底叶わない夢でも、続けている限りは夢追い人でいられますからね。そんな自分が好きな人も一部ではいるのかな? 

記事を拝見する限り、申し訳ないが地頭は良くないようなので、どれだけ続けても医学部は難しいでしょう。 

それよりも、今打ち込めるものがある、ということが大事。ご本人は一生懸命になれるタイプのようなので、人生の第二章、頑張ってほしいですね。 

 

 

・私は大学は第一志望不合格で第二志望に入学したのだけれど、理由は無味乾燥な受験勉強をあと1年も続けることに耐えられなかったこと。そういう点で、この方は受験勉強の耐性はあるのかなと思いました。たらればですが、不合格の場合のプランBと、チャレンジは何回までかを決めておけば、もう少し違った未来があったかもしれません。昔の中国の科挙や、司法試験で人生を食いつぶしてしまうみたいなことは、ちょっともったいないと思いました。 

 

 

・やはり遺伝子というのは重要なカギを握っているのかと思った 

お金持ちは良い遺伝子を譲り受けた上に幼少期から英才教育を受けさせてもらえる 

さらに経済力など全く心配がなく余裕を持って学業に専念できる 

医学系ならこれがなおさら顕著になるだろう 

2浪したら別の道を見つけても良かったのかなと 

庶民から医者を目指すなら、優秀と言われる人達より、さらに超人的な才能と強い運がないと厳しいかもね 

そこまであれば国が面倒を見てくれるだろうし 

 

 

 

・この人の卒業高校の先輩にあたります。周りに医学部行った人はいなかったです。偏差値54くらいの高校なのです。そもそもこの人は受験勉強に対するセンスが無いように思います。 

自分はたまたま1年め浪人で受験勉強がはまって早稲田に行けましたが、もっと早いうちに大学受験勉強を突破できる術を身に着けないと、機会費用ばっかりかかります。この人の生涯年収も普通の人と比べてかなり低くなると思います。 

 

 

・頑張れば、なんでも叶うみたいな教育良くないですね。才能の限界というものがある。両親が中卒では、さすがに国立医学部は無謀ですよ。才能に見合わない人生目指すと人生終わります。自分もたまたま司法試験に合格しましたが、今思えば才能に見合わない無謀なことしたな、と寒気を覚えます。勉強苦手でヤンキー高校に行って、大学入試では、全国の大学から偏差値低い順に3つ受けて全部落ちましたからね。運が良かった。 

 

 

・自分の周りにいる人達は皆さん現役で医学部へ合格して進学し、現在は医師として最前線へ立っているので、率直なところ浪人の環境とはどんな感じなのか?知らないのですが(自分も浪人経験が無いので)、継続は力なりとはよく言ったもので、それだけ忍耐力と持続力があるのなら、むしろ性格的には医師に向いていると個人的には思う。 

本人が仰る通り、才能だけではなく環境やノウハウは大切だと思う。 

医師は何歳でも成れると思うし、実際に30代で医学部へ入学して40代で医師になる人もいる。なかにはベテラン医師の様な風格の人が研修医だったりも。逆にギャルみたいな人が指導医だったり。友人の妹は某国立大の医学部へ入学したが、それこそダンスもやっていたこともあってか、今時な雰囲気。 

話戻るが、医学部受験向けのコースを設置している予備校へ通うのも1つの方法だと思う。もしかしたら、その様な予備校があるのも知らなかったのかな? 

 

 

・それだけ長期間、大学受験を続ける経済力があったことはとても恵まれていたんでしょう。むしろ、そういう環境だから(浪人できるから)合格できなかったとも言えそう。j受験する大学や学部の選択そのものが間違っていたのではないかという点を除けば、生涯に一回しか受験が許されない環境だったら、もっと覚悟して取り組めたのではないのかなと思う。 

 

 

・とことんまで夢に打ち込んだというのは悪いことではない。根気がない自分からするとある種の憧れすら感じる。 

ただビジョンが甘すぎて迷走半端ない。そこまでしてなりたいものだったのになぜそんなに解像度がぼんやりしてたんだろう。いくら20年前ぐらいの話といえどちゃんと調べればもう少しぐらいは何とかできただろうにと疑問しかない。 

 

 

・大阪薬科大学、1年で400万も要らない。 

1年で180万くらい。 

家計の悪化ならどこの学校も救済措置があるんじゃないかな? 

だいたいいくら親が大学出てなくても、入学するときに、卒業までいくらかかるか書類読めばわかるでしょう。 

歯学部も突然3年で辞めてるし、薬学部も歯学部もほんとは留年が決まって心が折れたとかかな??? 

奈良女子大学出たんなら、きちんと就職したら良かったのに。受験つづけるのは勝手だけど。 

 

 

・なんか全体的に痛々しいな。例えば、プロスポーツ選手、芸能人、歌手やアイドルといった職業で、十分に食べていけるのは、ほんのわずかの選ばれた人のみ。9割以上はなれません。でもみんな途中で気づきますよね。この道じゃ無理だと。 

この方の場合、それにぜんぜん気づかないのがすごいというか異常というか。毎年センター8割も行かないのなら、ふつうは安い学費の医学部は早々に諦めるよな。人はそれぞれに花が咲く場所がある。ただただ頑張ればいいというものでもない。痛々しさだけが残る。ただ最後に前向きになれる道があったようで、それは良かったと思う。 

 

 

・5浪もしておいて、「薬学部が6年間通うところだとしらなかったんです。」て。「導いてくださる先生の不在」で落ち続けたわけではないような。たぶん、すべての点で方向がズレていたんだと思う。 

その20年の忍耐力を、もっと早い段階で違う職種に向けていたら、それなりの地位にいたかもしれないのに…。まぁ、他の人には真似出来ない貴重な経験だし、いま本人が幸せなら、他人がどうこう言うことではないかな。 

 

 

・いろんな方がおっしゃっている通り、なんで河合塾のチューターの方とかにもっと心砕いて話さなかったんだろうって思います。それか大手予備校じゃなくて少数精鋭で医学部専門の予備校に通うなどの選択肢もあったと思う。お金はかかるかも知れないけど。大学もいくつも行ってるんだから家にはお金あったはず。 

あとみなさんおっしゃっている通り、本人の能力が元々なかったという事に尽きるのでは、と思います。私も偏差値40の商業科、短大卒ですが、間違っても医学部行きたいとか国立行きたいとか思いませんよ 

 

 

・どうしても医療の道に行きたい気持があるのは分かりました。 

ただ、看護師や歯科衛生士、PTなど、そういう仕事を目指すのはダメだったのでしょうか? 是非聞いてみたいです。 

 

確かに医師より収入は少ないかも知れませんが、素晴らしい仕事であることは間違いないと思っています。 

 

 

 

・現在40代後半です。某私大に2浪して入りました(第一志望、実質倍率は当時7.9倍)。希望の職業になんとか就いています。 

浪人はムダだったな、と思っています。学力があがらなかったので仕方ないのですが。 

入学した学科はその職業の子息が半分くらいいました。後年わかったのですが、卒業生の子息や親類は事前に入試課に相談すると学費などが割引になり、優先的に合格するとのことでした。何もコネのない自分は浪人して頑張って頑張って合格したのに、切ない気持ちになりました。私大ならではの選抜方法だな、と。ちなみに教員の子息は無試験学費免除(入試は受けるが無回答でも合格、学費は払うが教授の給料に足されて戻ってくる)で、同級生や先輩にそういう子息がポツポツいました。 

 

 

・やっぱり年月かけると伸びていくんだな。 

18歳位で偏差値高い人なんかは、教員の子供とか高学歴の親の子供達で、早期から効率の良い勉強を恐らくやって、10年位でそこに到達するんだろうな。 

一方親が低学歴とかで学校でも気にかけて貰えなかったような人が、18歳から更に5年〜程度かければ、難関大合格位の実力は付いて行く人もいるって事か。 

昔は大学名で就職先が決まり、年功序列で人生が決まったから、如何に早期教育で良い大学に入れるかって教育で、就職も2浪以上すると厳しいと言われていたから、皆そこで止めていたな。 

こういう挑戦し続けた人が、「地頭伝説」とか「遺伝伝説」とかに、風穴を開ける部分もあるんじゃないか? 

10代で「もう無理」と馬鹿にされた人達も、10代で「優秀」と安定した道に入れて貰った人達もいたが、それで良かったのかどうか? 

「もう無理」で非正規にしちゃったけど、それで良かったのかどうか? 

 

 

・全体的に読んで、この人は周りに相談することをしなくていつも一人で突っ走っていっただけなんだなと感じました。 

現役高校生の時、予備校の時、薬学部進学の時…その時々で先生や学生課の人や親に相談をしていればもっと違った進め方もあっただろうに…。 

なぜ高校の先生に進路相談出来なかったんだろう?進学校じゃなかった?それでも受験するなら進路指導の先生に相談すると思うけど。  

予備校はそれこそ受験のプロなのにそこでも「導いてくれる先生の不在」って、予備校でそれならもうどこ行っても満足しないんじゃないの?と思いました。 

薬学部6年を親が知らなかったのも入学する前に話をしなかったのかと思ったし、ネットがなかった時代でも奨学金の存在は知ってただろうから学生課に相談も出来た。 

医学部も6年なんだから、薬学部で学費が払えないなら医学部でも同じになってたと思うのだけどその時はどうするつもりだったんだろう? 

 

 

・昔は薬学部は、4年だったからねえ。 

 

 やはりDNAは遺伝するもので、両親の学歴を見る限り、環境も能力も、決して恵まれたものとは言えない。 

 こればっかりは、努力だけではなんとも。 

 

 大変な苦労したんだろうけど、物事には見切りというか、必要な撤退もあるわけで 

 

 医師は人の命を預かるわけで、瞬時に的確な判断を求められることも多々あるだろうから、 

 

 なってからも大変だろう。 

 

 

・夢を実現する過程を楽しんだのなら、充実した浪人時代だったと思います。 

 

夢なし先生の進路相談という漫画を読む事をお勧めします。 

 

本文にあるように、後悔がないのなら、素晴らしい浪人時代だったと思います。 

 

 

・センター試験7割で医学部医学科は普通に無理にでしょう 

しかも多浪してそれではね……… 

ましてや国公立の医学部なんて激戦区で基礎的な問題のセンター試験で7割程度では、2次試験なんて勝負できんレベルでしょう 

足切りされてもおかしくないほど医学部志願者としては下位層だったのではないですかね 

はっきり言ってノーチャンスよな 

 

 

・彼女さんは、結局は自己犠牲で多くの中高生に希望を与えたのだと思いますよ。公立中で真ん中位だった訳ですよね。 そのまま普通に大学受験に挑めばFラン大学がやっとでしょう。それが、頑張り続ければセンター7割半レベルまで到達出来るんだ、と。また、公立中学で真ん中位だったのでは国公立医学科レベルは無理ゲーだという皆の判断も間違いなさそうだ、と。 

 私的にも、いくら勉強しなくても公立中で上位2割、偏差値60位はないと、勉強時間掛けて暗記すれば何とかなりそうな文系ならいざ知らず、数学、理科が医学科合格レベルまで上がらないでしょうからね。 公立中高一緒ですんなり国公立医学科行った友人は、中学時代数学授業など聞いておらず公式、定理の証明や終末問題解いてましたね。部活に一所懸命で自宅で宿題以外しないと言ってて、ほぼ満点。高校数Ⅲでやっと復習するようになったそうですからね。レベルが違うのです。 

 

 

・医学部に入れたら多浪しても耐えという風潮があるけど、本来医学科は多浪するような人が行くべき学科でないと思う 

現役一浪で要領良く勉強こなせる子が入るべきだし、そうじゃないと入ってからの勉強にもついていけないと思う。医学部に入ってようやくスタートラインだからね 

 

 

・医学部医学科に行きたい人が現役時に近畿大学理工学部に落ちる(受けるんだ…)のもビックリだけど、5浪でセンター7割もビックリ。 

どこをどう切り取っても私よりはるかに学力低い。 

 

大学受験という慣れたステージで足踏みしたいだけにも見える。 

 

 

・別に医学部合格のための学力なんてただ単にレールから外れたくないがために必死こいて身に着けたものが大半だろうから、あまり身になってないことが多いもんだよ。それにしても20年頑張れるなんてすごいじゃないか。また何か機会があったら受験を考えてもいいんじゃないかなあとおもうんだけど。 

 

 

 

・「努力をすれば夢は叶う」と言う事が美徳みたいな日本社会の弊害を感じました。 

勉強していく途中で「遺伝的に無理」と気付くべきだった。 

もしかしたら周りに比較対象も少なく、それに気づきにくい環境だったのかもしれませんが。 

 

歯学部を特待だったのに中退ってのも、自分の事しか考えていないようで、疑問に感じてしまいました。 

 

 

・私もこの方ほどではないですが、普通以上に何年も浪人して国立医学部に入学しました。ペーパーテストはやはり良いやり方というのがあって、それがわかった(情報を得た)、2年後に合格しました。 

多浪はパッとしない、という意見もありますが、私は入学後は学年5番以内、臨床研修病院も誰もが知る超有名病院に入れました。医学部の勉強には頭の良さはいらないので、ただ愚直に時間をかけてやればいいだけでした。その後も自分で言うのもなんですがエリートコースで、かつかなり稼げています。超多浪した自分がこうなるなんて想像できませんでした。 

この方も色々な思いがあると思います。生まれ育った環境、地頭、私も実家が田舎で貧乏で、親は試験科目すら知らないという人たちだったので良くわかります。 

でもそれを言っても仕方が無い。自分で切り開くしかないのです。この経験は今になり、自分の力で人生を積み上げてきたという自信になっています。 

 

 

・日本は医師の娘息子でないと医師になれない傾向があるように思います。経済的な面など色んな面で。ただ、環境は恵まれて医師になっても向いてるのかなと疑問に思うような人もいますが。国で能力のある人を育成するようなシステムがあるといいのではと思ったりします。 

 

 

・親が大学を出ていない、やっぱり遺伝子なんだね。 

努力家なんだから、冷静に考えてもっと的確なアドバイスをしてくれる先輩とかメンターとかが居れば良かった。人に恵まれてない。 

諦めるって悪いことだとは私は思わない。 

Aを無理だと思ったら、じゃあ何なら手が届くかな?BかなCかなDかな?って選択肢は沢山あるし、その中から好きな事、続けられそうな事、興味ある事、家から通える?経済的に無理じゃない?仕事に繋がる?などまだ考慮することは沢山ある。 

医者になれなかったら人生終わりじゃないんだからさ。 

 

 

・歯学部に通うボンボン息子達を見て辟易して辞めたとあるけど、予備校の費用や受験に要する費用、中退した大学にかかった費用、浪人生活の生活費もろもろを、本人のお年玉と保険の解約(これ親の金だよね?)と本人のアルバイトで賄えるとは到底思えないので、本人も十分親に甘やかされた環境なのでは?通常は1年で終わらせる受験生生活をこれだけ支援した親の財力すげぇ。 

 

 

・私の大学は伝統的に多浪が多く、私の知ってる人では26浪という人がいます。それでも外科医として働いておられます。 

 

でも、この記事の方は正直センター最高7割台ならそれは医学部入学試験制度そのものに向いていないので、ずっと前に諦めないといけないと思います。 

多浪してもいつか報われる人は、多浪期間のアベレージでももっと取れています。 

時間の無駄。人生は短いのです。 

 

 

・強い目標がある割には貪欲ではないってのが不思議でしょうがない 

恵まれない環境ならあらゆるものを利用しまくるものだが、まるで成功を避けるかのように失敗する選択をしている 

ちょいちょい出てくる自分を美化した言葉からして叶わない夢を追う自分に酔っていたのかなと 

 

 

・この人が医学部に受かることができなかった理由はいくつかあると思う。 

まず、学校の勉強を軽視していたこと。現行の共通テストは高校で訓練されない内容なので特別な対策が必要になってくるが、センター試験は基本ができていれば7割は取れる。一般の記述試験に比べれば易しいのだが、基本を軽視する人には得点しにくいだろう。 

医学部は難しいと言われるが、センター試験で高得点を採れば地方の総合大学の医学部であれば問題も難しくなく、旧帝の方がむしろ難しい。 

 

>>彼女はこの年まで落ち続けた理由を、「導いてくださる先生の不在」と考えます。 

 

このように自分が伸びないことを他人の責任にしたり環境のせいにする人はあらゆることに力は付かないだろう。予備校に通っていたのだからこの上なく恵まれた環境なのだが。 

 

学問だけでなく若いうちにしかやり遂げられないことがある。受験に何十年もかけるというのとは大きな損失である。 

 

 

・なぜ医者でなければならないと思ったのか理解できなかった 

なぜ諦めたのかもよく分からない 

買いてある通りの理由なら人に話すことでもないと思う 

話の中で背中を押してくれたとあるけど、向こうから縁を切られただけ 

まあ今は違うことに取り組んでいるのならそれで良いだろうし 

このエピソード明日まで覚えていないと思う 

 

 

・昭和か平成初期の話かと思いきや、ほぼ自分と同世代で苦笑。他人の人生なんで本人が満足してればそれで良いですが、夢追い人として参考にはなりませんね。この人にとって必要だったのは「このままじゃ医学部には行けないよ」と受験初期の段階で発破を掛けてくれる人だったのでは。やはり3浪してセンター7割は明らかに努力する方向が間違っている。後色々情弱過ぎる。入試は結局、相対的競争だからいくら自分が頑張っても他の人も点を取ってたら意味が無いわけで。裏を返すと皆が取ってる問題は絶対に落とせない。どれだけ模試の結果に正直になれて自分に客観的になれるかこれに尽きると思います。究極のドM作業、苦しいけど受かりたければやるしか無いんだよ。あと医学部は現役好きだから、多浪には基本的に厳しいよ。限られた時間の中で成果を出すのは医者になってからも大切です。 

 

 

 

・読んでると、「夢」というより、「執着」に近いと思う。 

どう違うんだと言われると、なかなか言葉にするのは難しいけど、麻雀で、「一発逆転するには、もうこの手であがるしかない」と、思い詰めて、地獄待ち・全突っ張してる状況みたいな感じかな。 

 

 

・淡々とその年も不合格でした。。と書いてますが、苦労して国公立の医学部を出て医師になった自分には辛い文でした。10年以上前は私立の医学部なら偏差値55程度の比較的カンタンな所があったので、合格の可能性はありましたね。。しかし、経過をみると、この方は地頭が悪く医師にはなれないです。これを誰かが早くに言ってあげるべきでした。 

 

 

・人生は、自分で時間の使い方を決めるものだから、20年医学部を目指したとしても、それが彼女の生きざまならばそれはそれでいいのでは、他の人は、もっと有意義に人生の時間を使えとかいろいろ言うけど、彼女はその選択がしたかったんだからそれはそれでいいと思う。 

 

 

・東豊中高校在学中に医学部を志望したのにビックリです。 

北野でも医学部を志望するのは成績上位の一握りなのに。 

東豊中から奈良女に進学できたのは相当優秀だと思いますよ。 

 

 

・> 自身も9年間にわたる浪人生活を経て早稲田大学の合格を勝ち取った濱井正吾氏が、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張ることができた理由などを追求していきます。 

はまいさんの多浪インタビューって基本的に「浪人してよかった」という前提なんだよね。多浪の負の側面には触れないから影響を受けて不幸な多浪生が生まれることを懸念してる。 

 

 

・なんでこれで美談ぽくなるのか理解できない。 

勉強はスポーツと同じで、得意な子と不得意な子、普通の子がいる。この方は「普通」としか言いようがなくて、指導者云々ではない。ある程度は生まれつき。 

個人的には、せめて二浪まで。2年真剣にやったら、その結果を受け入れて次に進むべきだと思ってる。 

 

 

・人間は誰もがなりない自分になれる訳じゃない。 

そのことに18-20歳になって気付けない残念な人が増えている。 

多浪の人はそういった精神が”こども”なままな人であって、自分の能力を客観視できない残念な人だとしかいいようがない。 

こうした残念な人、大人になりきれない人を美化する風潮が残念でならない。 

 

 

・よく、こういう人が医者になったら、診てほしくないって言う人いるけど、 

だったら、東大理三、弁護士、公認会計士の3冠王の受験天才に診て欲しいかってなると、俺は嫌だなぁ~ 

たしかに、受験のエキスパートかもしれなけど、結局、こちらも今は塾関係のお仕事でしょ?今年は教え子全員(3名だっけか?)東大に合格したとかって記事があったみたいだけど。 

 

苦労した人には、苦労した経験があるから、苦しんでる人、困ってる人の気持ちにも寄り添えると思えるけどねぇ~ 

まぁ~全ての人がそうだとは言わないけどさ。 

 

彼女の場合は、残念ながら苦労が報われなかったようだけど、 

一般の人には経験できない事(時間的、経済的も含めて)を経験できたわけだし、その経験が今後何かしら役に立つのでは?そう願っています。 

 

 

・赤の他人だから「夢が叶わなくて残念だったね」と思いますが、これが身内だったら浪人は何年まで、と条件を出します。東北大学医学部に9浪で合格した医師を知っていますが、彼は地元で一番手の高校出身です。そもそもそんなに頭が良くない人がいくら時間をかけても国公立大学医学科に合格する可能性があまりに低すぎることはわかりました。 

 

 

・子供の頃「人生諦めが肝心だ」という物言いをする人が居て、当時は何て酷い事言うんだろうと思ってましたが、68歳の今「ええこと言うてくれたなあ」と思います。非常に優秀で、国公立医学部を目指したが不合格で、既に合格していた慶大経を卒業し、最後は商社の役員になった人を2人知ってます。 

 

 

 

・子どもが私立中高一貫に通う保護者です。 

子どもの学校は最難関ではありませんが、毎年15人程度が現役で国公立医学科へ進学します。変な書き方ですが最低でも京大に合格するぐらいでないと地方の国公立でも医学科だけは難しいです。 

 

 

・医師になりたいという志は立派だが、家庭環境に恵まれていなかったのかな。もう少し裕福な家庭だったら、ハードルの高い国公立じゃなくて私立の何処かに入れたかも知れない。その意味ではちょっと可哀そうな気もする。 

 

 

・私の様に勉強大嫌い人間からしたら尊敬しかない 

そこ迄勉強するなど考えても失神しそうになる 

 

社会に出て苦しい事や苦難もあったが逆に社会に出て働いて楽しかったこともいっぱいあった 

 

色々言われるだろうがこれからも頑張って欲しいが 

塾の講師?将来的に生活が出来ていくのだろうか 

講師などは身分的には不安定だしこれからの生活して行く時間の方が長い 

将来の年金の事など考えてもそちらの方が不安になる 

 

 

・どんなに努力しても適性がないとダメだよね。極論、人間性はとても良いがあまり腕の良くないお医者さんと、人間性最悪だけど腕のいいお医者さん、(高血圧とかでずっとかかる訳でなければ)正直自分はやっぱり後者に担当して欲しい。 

 

 

・私の回りは現役医学部の人ばかりだったので彼女の選んだ道には驚きました。しかし最後に教育の道へとなっていたので彼女に教えてもらう人は幸せだと思います。わたしも理数系苦手なので教えてもらいたいです。 

 

 

・悲惨。夢にはリスクがある。追いかけてもいい夢と現実可能な夢は違う。金も時間もかけて悲惨だ。高望みしたミュージシャンのようだ。かろうじて、その経験を語れるような職につけたのが唯一の救いだな。才能がないというのはこういうことをいうのかと勉強になった。 

 

 

・同時期に多浪して医学科に行きました。感想としては、この方は医学部に行けなくて良かった。まず医師が務まらないし、医学部で進級がまず困難だろう。入試は確かに厳しいけど最低限のセレクションになっている。 

 

 

・金があれば私立の医学部に行けたのに。 

 私は三浪のときコネのある私立に受験、一次試験合格後、父から電話があり二次試験を受けないでほしいと言われました。大学から払えないほどの金を要求されたそうです。お金があれば合格できたのにと思う父母は悲しかったでしょう。 

 友達も一次試験合格していたのになぜ二次試験にいかなかったのか聞かれました。 

 その後、幸運にも国立の医学部に合格できました。 

合格後、父母にいくら請求されたのか聞けませんでした。そんなに父もなくなりましたが一度も私立の金の話はありませんでした。 

 私立の医学部受験は闇が深いと思いました。 

 

 

・無理だよと諦めさせてくれる人がいなかったことが不味かったと。 

ご自身も、やればできるだけでなく、生徒さんのことを思えば、進路変更を促すことを考えられる教育者になってほしい。 

 

 

・30年前の高校生だけど、一浪はして当たり前の空気があったね。県立高校として全国一の東大合格者数を誇った高校だったけど。東大京大受けてだめなら早稲田か慶應。そんな学校だったな。 

 

でも二浪は医学部か東大ならギリギリ許されるみたいな感じ。さすがに三浪はないよね。能力ないんだから妥協してあきらめなさいよ。 

 

 

 

・この話の捉え方は人それぞれでしょうね。 

 

「少なくとも薬学部や歯学部合格までは辿り着けたわけで、努力を続ければ学力は上げられる。」 という捉え方もできるし、 

 

「7浪しても合格できないならそもそも受験勉強に向いてない」 とも取れる。 

 

 

・遊びまくってしまったわけでもなく真面目に勉強して5浪でセンター7割・大阪薬科大学って、純粋に才能の欠如でしょ。真面目に数年間トレーニングして100m15秒の人が、100m11秒台を目指すくらい無理がある。医学部のハードルが高く設定されているのは、入学後も膨大な知識の修得を要求されるから。もしこの人を医学部に入れてあげたとしても、結局卒業・国試合格は難しかっただろう。 

 

 

・医学部って今のところは毎年新規受験者の成績優秀者が希望を出すから自身の成績が彼らを上回らないと入学出来ない厳しい残酷な世界だからね。しかし本文中で講師のせいにする記載もあり、地頭的に国立医学部は無理だったのでは?と思ってしまいます。 

 

 

・氷山の一角。社会人経験のある奴らが自習室で医学部受験対策してるのを見かけるけどまず無理。医学部に進学するなんて上位進学校の奴らが大半だし、社会人受験で成功するのも元が東大卒とかそんなパターン。 

 

 

・ひとつの事をここまで頑張れるのは、周りから見れば滑稽でも、何か執念めいたものを感じる。 

いいか悪いかは別にして、頑張って来た事はとても評価出来る。 

違う道を生き生きと邁進して欲しい。 

 

 

・20年は長すぎる。子供なら成人してしまう。 

純粋に医学を極めたいならアリだけど。 

給料がよいからと思っているなら、多浪する前に切り替えて大企業でもよかったかも。 

過ぎた時間は戻らないよ。 

 

 

・何十年も浪人とはどうなんでしょう。バイトはしてたんでしょうか 

外資系企業で働いていたり、薬剤師や理学療法士で仕事して、勉強して医学部に入って医者になった人もいるし 

浪人と仕事しながらでは、だいぶ印象が変わるなあ 

 

 

・必死に勉強した浪人時代の成績が、センター7割弱というのが、なんとも。 

ここが、8割とか9割に届かないとかなら話もわかるのだけれど。 

医学部を受験する以前の話だと思う。 

勉強のやり方が、間違っていたか、勉強したというのが、嘘なのか。大学入学と退学を繰り返すのも、行き当たりばったり過ぎて酷い。 

無理筋過ぎる受験を続けた人間が、塾の講師って!もう無茶苦茶。 

 

 

・読んでいて気持ち悪くなったので、まとめてみた 

偏差値54に高校に何とか合格、合格後は真ん中 

高1の時に悪質な教材の会社に引っかかる 

高3のセンター試験が終わった後に医師志望発言 

河合入る 

1浪目 公大不合格、近大不合格 

駿台に入る 

2浪目 三重大不合格 

1科目が60の偏差値出る  

3浪目 三重大不合格 

河合塾京大志望に入る 

4浪目 大阪薬科不合格 

5浪目 大阪薬科に合格2年で中退 

25歳で奈良女子大に進学  

29歳で卒業 

歯学部に進学 

中退 

 

20年は勧誘に引っかかった時からで、センターに20回挑んだわけではない。 

受験が20回はセンターと各私大受験 

 

 

・これはもはや受験勉強や医師という夢に関するストーリではなく、この女性がそもそも抱えている全く別の精神疾患に関するストーリに読めてしまいます。 

 

受験とはこうした人が抱えた病や不調を複雑化させる非常にタチの悪い制度であるという感想を持ちました。 

 

 

 

・ご本人も途中で書いてますが、奨学金のことをしっかり調べれば、私立の医学部も選択肢に入ったでしょうし、(1度入学した)歯学部も卒業出来たでしょうね。 

にしても、これだけ受験生を続けられるメンタルは強いなと思いますが、全く理解出来ませんね。 

親御さんや周りの方にはアドバイス求めなかったんでしょうか。予備校側からしたら良いカモかと…。 

 

 

・受験勉強は医師の業務とほぼ関係ないが 医学部受験は膨大な情報の処理能力を問うている と思っています 難しいと思います ナースか技師になればよかったのに 

 

 

・正直、7浪で受からなかった人には 

診てもらいたくない・・かな。。 

もちろん、医者になってからの取り組み 

や心持も当然大事なんだが・・ 

人の命を預かる仕事は最低限の 

素頭の良さも必須。 

 

 

・学費だけで少なくとも1700万は消費。その間に働いていないことで1500万は損している。親の知識が事業が何だと言っているが全て自己責任。年金も保険金も親が払ってるだろう。予備校に行った時点で自分の学力はわかる。単なる無駄なプライドかモラトリアムだと思う。 

 

 

・親が医者だったら最短コースで合格できていただろう。 

薬学部が6年だと知らなかったとか、あまりにもズレているくらいだから勉強法も効率悪いし、「医学部受験生の自分が好き」と言うナルシスさえ感じます。 

 

 

・集中力がないのか、(合格者と比較して相対的に)真面目にやってないのか、圧倒的に地頭が悪いのかのいずれかです。 

 

どちらにせよ人命を支える仕事には不向きな資質かと…。 

 

 

・濱井さん! 彼女の勉強法や勉強時間を詳しく聞いて、なぜ、こんなに点数が取れるようにならなかったのかの分析が必要だと思う。でないと、読者にとって有益にな記事にならない。 

 

 

・薬学部歯学部なめすぎ。医学部じゃなかったらでいいやで卒業できる学部でも国家試験合格も簡単にできないと思いますよ。医療に携わる自覚なし。現役歯科医師より。 

 

 

・濱井さん、こんな極端なエピーソドばかり紹介してはいけないよ。「夢に向かって納得いくまで頑張れば、後悔することはない」というのは、本音を隠した強がり以外の何物でもない。 

 

 

・薬学部に入れたなら薬剤師で調剤開業があった 

それに成績優秀なら武田製薬、研究部に入れた 

営業部ではない 

調剤開業も2店舗、3店舗 

スーパーとの併合調剤の社長もなれた 

3店舗以上オーナー社長は年収億行く 

全てが中途半端だった 

 

 

 

 
 

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