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三菱「GTO」必然的に生まれたスーパースポーツが生まれた必然性

東洋経済オンライン 3/30(土) 10:32 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ae9059399b47ac1e2f8fdb14130154ec938fc06

 

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1990年に発売された三菱自動車のスーパースポーツ「GTO」は、当時のバブル時代に登場し、イタリア風の名前や赤いデザインなどユニークな要素が特徴だった。

その理由は、競争相手となる他社のスポーツカーが次々と登場していた時期であり、三菱自動車も競争力を維持するためにスーパースポーツ市場に参入したからである。

GTOは、FFベースの4WDであり、4WSや電子制御サスペンションなど当時の最新技術を取り入れていた。

また、GTOの開発背景には、当時三菱自動車がクライスラーと提携しており、アメリカでの販売も考慮されていたことがある。

最終的に、GTOはコルトギャランGTOなどの先駆車に由来し、ユーザーの需要や技術の進化を反映して、FFベースの4WDとして登場した。

(要約)

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1990年に発売されたGTO。発売時の価格333万5000円~398万5000円(写真:三菱自動車) 

 

 バブル真っ盛りに登場した三菱自動車のスーパースポーツ「GTO」。イタリア語由来の名称にエキゾチックでグラマラスなボディ、そしてパワフルなエンジンと4WDシステムを採用していた。今から見てもユニークな、その内容の理由を紹介しよう。 

 

【写真】某スーパーカーみたい!? バブル期に登場した三菱のスーパースポーツ 

 

20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。 

 

■R32型GT-RやNSXが登場した時代に 

 

 1990年10月、三菱自動車から新型車、GTOが発売となった。当時は、昭和終わりからの経済発展が最高潮に上りあがった、いわゆるバブル時代の絶頂期だ。 

 

 1989年には日産の「フェアレディZ(Z32型)」と「スカイラインGT-R(R32型)」が生まれ、翌1990年にはホンダ「NSX」、1991年にはマツダ「アンフィニRX-7(FD型)」といったスーパースポーツが、それぞれリリース。 

 

 日産「シルビア(S13型・1988年)」やトヨタ「セリカ(ST180型・1989年)」、ユーノス「ロードスター(NA型・1989年)」といった、身近なスポーツカーも続々と登場していた。GTOは、そんな中で三菱自動車が世に送り出したクルマである。 

 

 GTOは、今から考えてもユニークだ。そもそも、GTOという名前からして不思議である。 

 

 この名称は「Gran Turismo Omologato」の略であり、イタリア語が由来だ。意味合いとしては「GTクラスに認証されたクルマ」で、モータースポーツ関連の言葉となる。 

 

 ところが、GTOも三菱自動車も、イタリアとは縁もゆかりもない。さらにGTOは、同時期のスカイラインGT-Rのように、レース参戦を睨んで開発されたわけでもない。あくまでも街中を走るスポーツカーとして開発されている。 

 

 そのため、ライバルの国産スーパースポーツの中で抜きんでて重かった。実に200kgも重かったのだ。レースでは、致命的な弱点となる。レースでの活躍を目論んでいたら、もっと軽量化を行ったはずだ。 

 

 

 そもそも三菱自動車は、それ以前に「スタリオン」というスポーツカーを発売していた。その名前を捨ててまで、新しくGTOという名称を持ち出したのだ。しかも、GTOのイメージカラーは真っ赤で、デザイン自体もイタリアの某スーパーカーブランドのようである。 

 

 ちなみに、当時の三菱自動車の主力モデル「ギャラン」や「ランサー」はスクエアなデザインが特徴であり、曲線基調デザインのGTOのようなデザインはなかった。このデザインの唐突さも、不思議なところだ。 

 

■4WSに電子制御サスと当時の最新技術を満載 

 

 そんなGTOに搭載されるエンジンは、3.0リッターV型6気筒。NA(自然吸気)とツインターボがあり、ツインターボのほうは最高出力こそライバルと同等の280馬力だったが、最大トルクはスカイラインGT-Rの40.0kgmを上回る43.5kgm。 

 

 しかも、駆動方式は三菱自動車が得意とする4WDで、大トルクを余すことなく路面に伝えることができたため、ヘビー級でありながら、その加速力はライバルを圧倒していたという。 

 

 しかし、プラットフォームは、FFベースになっていた。なんと、エンジン横置きのFFをベースにしたフルタイム4WDであったのだ。 

 

 そのため前後重量配分は60:40と、思い切りフロントヘビー。これに、4WS(4輪操舵)、アクティブ・エアロ(スポイラーなどが速度に応じて動く)、電子制御サスペンションなど、当時の最新技術を目いっぱい盛り込んだ。 

 

 今から見れば、「どうしてイタリア風なのか?」「なぜ本格スポーツカーがFFベースなのか?」と、不思議な部分の多いクルマであったのだ。 

 

 では、なぜGTOは、そんな不思議な内容になってしまったのか。そもそもGTOという名称は、さらにさかのぼること20年になる1969年誕生の「コルトギャラン」に由来する。 

 

 コルトギャランは、1980年代から2000年代に三菱自動車の主力ミドルセダンとなった「ギャラン」の始祖となる存在だ。セダンやハードトップなどのボディ派生があり、その最上位的な存在としてファストバック・スタイルのクーペに「コルトギャランGTO」が用意された。 

 

 

 1970年代当時、ファストバック・スタイルは非常に人気が高かった。1960年代に大ヒットしたフォード「マスタング」が開拓者であり、そのフォロワーとして、数多くのファストバック車が生まれていたのだ。 

 

 その影響はアメリカだけでなく、日本にも及んでいた。トヨタのファストバックである初代セリカも1970年の誕生だ。 

 

 そんなファストバックの人気車のひとつに、GM(ゼネラルモーターズ)の「ポンティアックGTO」があった。のちに「マッスルカー」という高性能マシンの代表ともなる人気モデルだ。 

 

 タイミング的なものを考えると、コルトギャランGTOの名称は、ポンティアックGTOへのオマージュだったのだろう。 

 

 ちなみにコルトギャランは、ラリー車としても大活躍している。ただし、実際に参戦したのは軽量なセダンであり、ファストバックのGTOは競技車としてほとんど使われていない。 

 

 よく走り、丈夫で格好いいことから人気モデルとなったわけだ。今でも旧車ファンの間で根強い人気を保つ、日本の名車のひとつに数えられる。 

 

■三菱がスーパースポーツを投入した理由 

 

 次の疑問は、「なぜ三菱自動車がスーパースポーツを求めたの?」というものだ。これには当時の時代の空気と、三菱自動車の企業的な都合があったというのが理由だろう。 

 

 GTOの生まれた1990年は、バブル絶頂期であり、スポーツカーの人気も絶大だった。そんな中、ホンダのNSXを筆頭にライバル各社がスーパースポーツをリリースしている。三菱自動車は当時、そのホンダと業界3位の座を争っていた。だから、スーパースポーツをやらないなんてことは、考えられなかったのだ。 

 

 また、企業的な都合もあった。当時、三菱自動車が資本提携していたクライスラーの存在だ。クライスラー側から、「アメリカで売るスポーツカーがほしい」という要望があったという。 

 

 そこで、三菱自動車が開発・生産を担当する、クライスラーと三菱自動車の兄弟車という企画が生まれた。そう、GTOにはアメリカに兄弟がいたのだ。ダッジブランドから販売され、その名を「ステルス」という。 

 

 ちなみに海外市場では商標の都合からGTOの名称は使えないため、「3000GT」の名前で販売された。忘れてしまった人も多いだろうけれど、昭和時代の三菱自動車はクライスラーと提携していたのだ。 

 

 

 また、販売の主戦場は日本ではなくアメリカと考えられていた。そのため従来の日本向けの三菱自動車のモデルとは関係なく、アメリカでの受けが重視されていた。それが、GTOのグラマラスなデザインの最大の理由だろう。 

 

■FFベースなのは「当時の最先端」だから 

 

 最後の疑問は、「なぜFFをベースにしていたのだろうか?」という点だ。スーパースポーツといえば、ほとんどが後輪駆動を基本としている。エンジンを縦置きしたFR、もしくはミッドシップの後輪駆動車だ。 

 

 ところがGTOは、FFベースの4WD。スポーツカーというよりも、乗用車によくあるレイアウトだ。そうした構造になったのは、当時の“技術の都合”と言えるだろう。 

 

 実のところ、GTOのメカニズムは「ギャランVR-4」と多くを共有していたのだ。 

 

 ギャランVR-4は、GTOのほんのわずか前になる1987年に誕生した高性能セダンで、WRC(世界ラリー選手権)参戦を目指して開発されていた。 

 

 FFベースではあるけれど、「4」の文字があるように4WDである。当時は、FFベースの4WDが技術的な最先端でもあったのだ。 

 

 実際にWRCでは、 2024年3月18日にご逝去された三菱自動車の社員ドライバーである故・篠塚建次郎選手らがドライブして優勝を獲得する活躍を見せているし、トヨタ「セリカGT-FOUR」のように同様のレイアウトを持つライバルも存在した。 

 

 もちろん、三菱自動車にFRができなかったわけではない。GTOの先代にあたるスタリオンは、FRだった。 

 

 けれど、設計の古いスタリオンを下敷きに新型スーパースポーツを開発するのは、当時の「何でも新しく」「より高性能なもの」が求められていた時流にはそぐわない。 

 

 もしも、FRのスタリオンをベースにGTOが生まれていれば、もっと軽量で本格的なスポーツカーになっていたかもしれない。しかし、「古臭い」とユーザーにそっぽを向かれていたのではないだろうか。そういう意味で、FFベースの4WDになったのは、致し方ない部分もあったろう。 

 

 また、1980年代後半から1990年代にかけては、三菱自動車の本格4WDである「パジェロ」が人気を集めた時期だ。パリ・ダカールラリーでの活躍などもあり、パジェロはRV(レクリエーショナル・ビークル)ブームを牽引する存在になった。 

 

 

( 154592 )  2024/03/30 14:34:03  
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・三菱のクーペ車は、クライスラーによるオーダーを受けて作られていたとの意見。

特にGTOは日本国内仕様としては派手なデザインが目立つが、実際に生産された個体のほとんどはダッジ・ステルスとして供給されていた。

クライスラー向けには、よりシンプルな外観の派生モデルも存在した。

三菱はラリー系スポーツモデルに力を入れたかったため、クーペ車種はクライスラー向けの需要に合わせていた可能性がある。

 

 

・GTOはハイテク満載の日本仕様が話題となる一方で、実際の姿はダッジ・ステルスであり、日本仕様車よりも販売台数が多かった。

重い車体でコーナーリング性能は劣るが、直線加速は速かった。

一部の人はGTOをスポーツカーと見なさなかったが、当時の車としては豪快な乗り味が楽しめる一台だったとの意見も。

 

 

・GTOは燃費を気にせずに豪快に乗る楽しみがあったバブル期の最後のスポーツカーとして評価される意見。

重い車体かつ曲がらない性能ではあるが、当時はそれを馬力と技術でカバーするスタイルで楽しむ時代だった。

 

 

・一部の意見では、GTOはスポーツカーとしての要素が不足していたとの批判も。

FFベースのエンジン配置やエアインテークのダミーなど、本格的なスポーツカーとは異なる側面が指摘されている。

 

 

・三菱がランエボを復活させるべきだとの意見や、パジェロやパジェロミニなど他の人気車種を復活させるべきだとの声も。

特にジムニーの人気を受けて、パジェロミニの需要も高まるとの期待が寄せられている。

 

 

・総じて、GTOは一部の人には実用的なスポーツカーとしての価値を持ちつつ、一部には本格的なスポーツカーとしての要素が不足しているという意見が分かれている。

(まとめ)

( 154594 )  2024/03/30 14:34:03  
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・バブルに咲いたあだ花のひとつ、という感じのGTO。ベースがディアマンテだったのでそれほどスポーツカーというレベルにはならず発売当時はサイドのエアインテークはダミーだったりといまひとつな面もあり直線番長的な車だった記憶。クライスラーとの関係や北米対策といったところ。 

三菱としてはギャランVR-4や後継のランサーエボリューションなどのラリー系スポーツモデルのほうに力入れたかったんでしょう。 

 

 

・というか、三菱のクーペ系の車種はほとんど総て、クライスラーに「売るから造って」とオーダーを受けて造っていたようなものだと思う。少なくとも、70年代のランサーセレステ(プリマス・アロー)以来そうだと思う。 

 

GTOにしても、話題になるのはハイテク満載の日本仕様ばかりが話題になるけれど、実際に生産された個体のほとんどはダッジ・ステルスであり、ステルスには4気筒の廉価版もあった。こっちの方が本来の姿なんじゃないか?クライスラー向けには、派手なフェンダーを取り去ってスッキリした外観にした、クライスラー・セブリング/ダッジ・アベンジャーの兄弟もあった。日本でも一時、雑誌がすわ次期ラムダか!?と騒いだ。 

 

三菱のクーペがクライスラーのくびきから外れたのが復活FTOだったけど、これにしても、プリマスで出す車だったんじゃないかと思う。あの茫洋とした顔は、本来プラウラーのそれになるはずだったんじゃないかと。 

 

 

・記事の通りGTOはFFベースだったのに、フロントドアの後ろにダミーのエアインテークがあってミッドシップ風のデザインになっていました。マッチョなデザインはとても派手でしたね。私は同時期に出たFTOのデザインの方がヨーロピアンな感じで好きでした。 

 

 

・GTOは会社の先輩が乗ってて運転させてもらったけど、重すぎてコーナーがダメ 俺はFD3Sに乗ってて、先輩と峠に走りに行ってたけど、GTOはついて来れなかった 直線はGTOの方が速いけど、トータルではダメな自動車だった 

三菱はランエボを復活させなさい トライトンの日本導入は評価できるよ ただ、トライトンもいいけど、パジェロとパジェロミニを復活させなさい ジムニーがあれだけ人気があるんだから、パジェロミニも出せば売れるぞ 

 

 

・重くて軽快ではないけど、馬力と技術でねじ伏せるイメージでバブル期の最期の何でもありで、今思うと良い車。燃費なんか気にせず豪快に乗る楽しみが、あの頃の車にはあったよね。 

 

 

・この車のどこがスポーツ? 

ましてこれをスーパースポーツって、この一台しか車を知らないんですか? 

 

曲がらない止まらない、エアダクトはなんちゃってのダミー。 

ディアマンテ/シグマのメカニズムを多用した、スポーツカー風の勢いグルマでした。 

ツインターボの直線加速だけは重いけど速いという事と、こんな見た目で立派なのに安いという評判が多数だったと思うが。当時から今までこれを凄いスポーツカーだとかいう人なんか聞いたことない。 

格好つけた題名使うのも結構だが、必然を二回も使うようなレベルですから仕方ありませんが、車両事実相違も甚だしい。 

 

 

・デビュー時に三菱Dに行って見ましたが、シートに座ってポジション取りした時点で幻滅した車。 

当時、三菱車に乗っていて、コレも褒められポジションでは無かったけど 

GTOは人が座る事を考えていない様な滅茶苦茶な設定だったな。 

 

 

・スーパースポーツかなぁ?。 

スタイルは良かったけどFFの横置きエンジンで荷重は前輪車軸よりも前に有りながら4WDっていうレイアウトは好きにならなかったなあ。 

 

 

・日産のMID4が市販されなかったので、このGTOがデビューした時に 

「おっ!これは!」と思って、注意してみたら「FFセダンベースの 

4駆かぁ」とがっかりした思い出がある。 

 

 

・当時、日本生産車として初めてダッジ ステルスがインディ500のペースカーになったので、感慨深かった。 

 

 

 

・>もしも、FRのスタリオンをベースにGTOが生まれていれば、もっと軽量で本格的なスポーツカーになっていたかもしれない。 

 

スタリオン知らないし乗った事も無いのに記事書いてるでしょ、知ってれば軽量なんて思わないよ。 

 

 

・ドラマのGTO。ドラマ全般見ていなかったから、タイトルだけ聞いて、三菱GTO絡みのドラマか?と思い、そんなのでドラマになるのか?とも思ったな。 

 

 

・アクセルを踏むと走り出す、マジで。ちょっと感動。 

 

 

・グレートティーチャー鬼塚とどうしてもかぶるんですよね。 

車の方が先ですが。 

 

 

・なんちゃってスーパースポーツの代名詞だったね 

 

 

・この頃はGTOやFTO ディアマンテとか、堂々とデザインをパクってたよね 

 

 

・乗りたい車に乗れないこんな世の中じゃ 

 

 

・記事のタイトルで進次郎構文やめぇや 

 

 

・神のGTO参照 

 

 

 

 
 

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