( 156488 ) 2024/04/05 13:51:52 0 00 2022年(令和4年)中で人口増加が最も多かった市区は福岡市だった(出典:総務省「人口動態調査」のデータを基に編集部作図)
人口減少が影を落とす日本にも、人口が増え続けている街がいくつかある。その1つが福岡県福岡市だ。同市は、総務省の人口動態調査で、2022年中の総人口増加数が全国市区でトップになった。2024年3月時点で164.5万人と、「2025年に165.6万人」という将来人口推計も達成できる勢いを見せている。この活気の背景にあるのが、2つの大規模再開発だ。
【詳細な図や写真】2015年2月に始動した「天神ビッグバン」の対象エリアと主なプロジェクト(出典:福岡市ニュースリリース)
福岡市の好調の背景にあるものと考えて多くの人が思い浮かべるのは、2014年に国家戦略特区になって以降の規制緩和による大規模な再開発「天神ビッグバン」、そしてそれに続く「博多コネクティッド」だろう。
では実際、天神ビッグバンは福岡市の土地の価格をどう変えたか。相続税、贈与税の算定に使われる国税庁の路線価図を参考に2014年から2024年の10年間の変動を見ていこう。路線価は実際の価格ではないが、道1本ずつに1m²あたりの価格が付けられており、毎年更新されるため、変動を見るには分かりやすい。
現在、天神で最高値地点は福岡パルコ本館前で1m²が904万円。これが10年前の2014年の時点では465万円(1m²。以下同)。およそ2倍近くになっている。
ちなみに福岡パルコ本館は、天神ビッグバンのボーナスの締め切り期限に近い2022年に駆け込みで裏手にある新天町などと一緒に連鎖型の再開発を決めており、2026年から解体が始まる予定。現時点では何も変わっていないのに土地価格はすでに2倍ほどに上昇したわけだ。
すでに建設が終了した福岡大名ガーデンシティを見ると135万円から364万円になっており、こちらは2.7倍ほどにアップ。そもそもの価格が比較的安かったこともあり、上げ幅が大きい。
福岡市の場合、面白いのは実際に開発された地域以外の周辺部分が開発地域よりも上がっていることがあるという点。
たとえば中洲を挟んで天神と対岸にある中洲川端では、1999年に再開発で誕生した博多リバレインという複合施設前が最高値地点なのだが、ここは81万円が224万円になっており、2.8倍ほどのアップ。10年間で福岡市全体の価値が上がったということだろうか。
また、天神ビッグバンに続き、2019年からスタートした「博多コネクティッド」で博多駅周辺も変り始めた。
それ以降で完成したビルはまだない博多駅周辺だが、福岡銀行前が最高値地点で729万円。10年前には254万円で2.8倍以上になっている。博多口と反対の、まだまだこれから変わりそうな筑紫口側の最高値は576万円だが、10年前は188万円でこちらは3倍を超えている。
再開発では周辺の価値をも上昇させる効果があるとよく言われるが、首都圏の場合、再開発が影響する範囲は意外に狭い。
浜松町のような都心部でも住宅を中心にした再開発では、その街区および向かいの街区くらいにしか影響がないケースもあるほど。都心部の開発が集中している街区でも、幹線道路を超えたエリアでは、上昇率はそれ以外の地域とさほど変わらないこともある。
そう考えると、福岡市では開発が周辺地域に大きな影響を与えており、開発が街全体に寄与しているという言い方もできよう。
では、なぜ、福岡市がここまで元気なのか。いくつか理由がある。
国、市の政策、施策を別として考えると、1つはなんといっても立地。古くからアジア交易との拠点として栄えた場所であり、国内の交通網で考えても九州の入り口にあたる地点でもある。
その立地からだろう、古くから第三次産業が栄えてきたという他の街にないメリットもある。昭和30年代半ばには、市の第三次産業従事者が産業別従事者の約7割に達しており、1961年の「福岡市総合計画書」では、こうした構成は国内の他の大都市にはみられないとして工業の振興を図っていくことがうたわれている。
だが、現在、振り返ってみると明治、大正期に福岡市よりも人口の多かった長崎市、鹿児島市、八幡市(現在の北九州市の一部)などに比べ、工業からの転換が必要なかった福岡市は早くから時代の変化に対応できていた街だったといえる。
歴史的に福岡と博多という2つの併存しながらも拮抗(きっこう)する街があったという点も今の福岡市の隆盛につながっている。ご存じの通り、博多は古代からの交易都市で、福岡は江戸時代以降の城下町である。その2都市が中洲を挟んで存在し、それが天神という街を生んだ。
城下町では城の近くに重臣の屋敷が置かれ、離れるほど下級武士の住まいが配されることが多いが、福岡の場合、対岸に博多がある警戒からか、城から離れた辺縁に区画の大きな屋敷が置かれた。それが天神である。
明治以降そうした土地を利用、あるいは堀を埋めるなどして各種博覧会が開かれ、その跡地に役所が作られ、戦後は商業施設が集積。1970年代半ば以降の九州の中枢都市としての福岡市の躍進を支えてきた。
辺縁という意味では博多駅も同じく、中洲川端から祇園にかけての博多の古い市街地からは離れた場所になる。何度かの移転を経た現在地は田んぼだった土地で、周辺には拡大の余地があった。それが2011年の九州新幹線開通を機にした開発で一気に伸張、天神に脅威を与えるほどに成長した。
その博多駅エリアに対抗するように「天神ビッグバン」がスタート、さらに博多駅を中心とした「博多コネクティッド」が進むと考えると、この街の成長の要因は拮抗する2つの力という言い方もできる。
言葉を変えると「競争がある街」ということだが、実際、天神では第○次流通戦争などと言われるほど、長らく事業者が競い合う状態が続いてきた。当事者にとっては大変な事態かもしれないが、競争は進化、成長を生む。
現在のところはまだ天神のほうが路線価も高いが、すでに市営地下鉄の乗降客数では博多駅が天神駅を抜いている。二極が競い合う状態が活気、成長につながっていると考えると、博多、福岡の歴史が今につながっているとも考えられる。街は歴史の上に成り立っているものということだろう。
■お詫びと訂正[2024/04/05 12:10修正] 一部内容に誤りがありました。本文は修正済みです。ご迷惑をおかけした読者ならびに関係者にお詫び申し上げます。
誤:さらには、「2025年に1592万人」という将来人口推計を2024年3月時点で50万人以上上回る増加ぶりを見せている。 正:2024年3月時点で164.5万人と、「2025年に165.6万人」という将来人口推計も達成できる勢いを見せている。
執筆:東京情報堂代表 中川 寛子
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