( 157901 )  2024/04/09 15:45:21  
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経済政策の議論には様々な目標があり、石油価格の補助金や円安介入などが行われているが、それぞれの政策が結果的に環境や分配に影響を与えている可能性がある。

経済政策は国民一人ひとりが豊かになり、環境が悪化しないことを考慮すべきだと指摘されている。

さらに、効果的な経済政策は、1人当たりの実質GDPの伸びに着目すべきだと述べられている。

効果的な経済政策のためには、効率性を高めることが重要であり、例えばライドシェアのような新しいサービスを導入することも効果的であると主張されている。

(要約)

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(Torsten Asmus/gettyimages) 

 

 経済政策論議には、物価が上がればなんとか下げろ、円安になれば輸入物価が上がるからなんとか上げろ、国民は好景気を感じられない、富の分配が不公平になっている、というようにばらばらな政策目標の達成を求める議論が多い。政府もそれに呼応して、石油元売会社に補助金(燃料油価格激変緩和補助金)をばらまいてガソリン・軽油価格をある程度抑え込んだ。ここで日頃ばらまきはいけないという財政学者の発言は聞かれない。 

 

 また、政府は、円安に対しても介入するぞと発言している。市場に任すべき金利を押さえつける日銀はけしからんという一部金融学者も円安に介入して円高にすることには発言がない。 

 

 取材しないで書く記事をコタツ記事、コタツにいて書ける記事というそうだが、経済理論にもデータにも依拠しないコタツ経済評論が多いのではないか。 

 

 コタツ経済評論が蔓延するのは、最終的に経済政策の目標を明示せず、その場その場で反応しているだけだからだろう。筆者は経済政策においては、最終的には国民一人ひとりが豊かになり、環境も悪化させず、所得分配もそう悪くならない、特に、現在不利な状況に置かれた人々がさらに不利になることがないということが大事だろうと思う。 

 

 そう考えると、石油価格が上がらないように補助金を出すというのは二酸化炭素(CO2)排出を抑え、地球環境を悪化させないという要請と矛盾している。しかも、その補助金は2022年1月から23年9月までで6.2兆円にもなるという。 

 

 その後も支給され続けているので、最終的に10兆円を超えるのではないか。10兆円なら、1.27億人の国民一人当たりでは7.3万円になる。国民に直接現金を配った方がCO2排出量は増えないだろう。 

 

 さらに本欄「ガソリン補助金は問題大ありの政策である経済的理由」で指摘したように、この補助金はガソリン価格の低下とともに石油元売各社の利益増加にもなっている可能性がある。会計検査院も、ガソリン補助金の「支給に相当する額が小売価格に反映されていない可能性がある」とする調査結果を23年11月7日公表している(「ガソリン補助金、小売価格の抑制効果に疑問 検査院調査」日本経済新聞23年11月7日)。 

 

 円安は確かに輸入物価を上げるが、円高になればうまくいくという訳でもない。08年リーマンショック後の1ドル79円にもなった円高は、日本経済に壊滅的打撃を与えた。少しの円高、150円が145円になるぐらいなら大したことにはならないという方もいるだろうが、少しなら物価を下げる効果も少しである。 

 

 

 良い経済政策の判断は、とりあえず、最終的に1人当たりの実質国内総生産(GDP)が伸びるかどうかである。少し前には、GDPが上がるのが良くない、問題は経済ではない、という人もいたが、世界の先進国の中で、日本だけが、生活水準を表す1人当たり実質購買力平価GDPも実質賃金も増加しない。先進国の中で最下位に近く、台湾、韓国に追い抜かされていると知った上で、問題は経済ではないという人は今やいないだろう(購買力平価の国際比較などの事実については、原田泰『日本人の賃金を上げる唯一の方法』(PHP新書、2024年)第1章にある)。 

 

 1人当たりGDPが増えても分配が悪化すればダメだというのは分かるが、GDPが増えなければ賃金も増えない。GDPとはすべての労働所得と資本所得と減価償却費を足したものだからだ。 

 

 資本の取り分は100%以上にはならないし、一般に30%ぐらいのものであまり変わらない。したがって労働の取り分は70%だ。資本の取り分をゼロにすれば新たな実物投資も研究開発投資もできない。したがってGDPが増えない限り、賃金も上がらない。 

 

 ではどうしたらGDPが増えるのか。それはあらゆるところで効率的になることである。 そのためには、政府が、経済が効率的になることを邪魔しないことである。 

 

 例えば、運転手が不足しているなら、ライドシェア(米国のウーバーのように一般ドライバーが乗客を運ぶサービス)を解禁すれば良いのに、政府はこれを禁止してきた。しかし、ドライバーの人手不足によって、過疎地や観光地での解禁の動きが生まれ、さらには全国的に解禁しようという動きが盛んになった。 

 

 途中、国土交通省は、新たに過疎地などでの個人タクシーの営業を認め、これまで75歳だった運転手の年齢上限を80歳とするなどした。筆者は、80歳のタクシー運転手より普通のドライバーに運転してもらった方が安全だと思うが、政府はそうは考えないようだ。 

 

 さらには、外国人人材にタクシー運転手になってもらうというアイデアもある。確かに、ニューヨークの運転手は外国人労働者が多い。ただ、これは碁盤目の道だからできることで、日本の道では外国人は無理だろうと思っていたが、地図アプリの発達で、外国人でもタクシー運転手になれるだろう。 

 

 技術の進歩が、タクシー運転手の技能を外国人に開放したということだ。菅義偉前首相や河野太郎規制改革相、自民党の一部、維新や都市・地方もライドシェアの規制緩和を求めていた。 

 

 結局、タクシー業界の反対で、タクシー会社が管理するライドシェアが24年4月に解禁されることになった。また、さらに解禁するかどうかを24年6月までに判断するとのことである(「「ライドシェア」24年4月に限定解禁 全面導入に業界抵抗」日本経済新聞2023年12月20日))。 

 

 要するに、タクシー業界が、ウーバー類似のアプリと運転手の管理をすることになりそうで、何も変わらないのではないか。稼働していない自家用車と隙間時間を使って所得を増やし、GDPを増やし、タクシー不足に悩む消費者の利益を増進するという本来の目的がどこかに行ってしまった。 

 

 GDPというすべての所得を足したものを増やせばよいと、まず単純に考えればこんな議論の迷走は防げたのではないか。 

 

原田 泰 

 

 

 
 

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