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元自民党幹事長である二階俊博氏が派閥解消を表明し、次の衆院選には立候補しないことを明らかにした。

元政調会長の亀井静香氏は、派閥の相克を知る証人として、派閥の解散についてコメントしている。

亀井氏は政治資金パーティーの裏金事件に関しては憤りつつも、金が必要な面も理解を示している。

亀井氏は再生可能エネルギー事業に力を注ぎ、後援会の面々を招いたりしている。

後援会幹部や地元の人たちは亀井氏の功績をたたえており、彼の支持を受ける野党勢力も全国的に浸透していない状況が続いている。

(要約)

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庄原市の上野池そばに立つ亀井の胸像 

 

 自民党の元幹事長、二階俊博(85)が派閥の志帥会解消に続き、次の衆院選に立候補しないと表明した。記者会見から一夜明けた3月26日。派閥の生みの親は京都市内のホテルにいた。「栄枯盛衰だな」。元党政調会長の亀井静香(87)が語る。 

 

【画像】亀井氏の胸像や生家 

 

 党内6派閥の創設者のうち池田勇人(宏池会)、福田赳夫(清和政策研究会)、竹下登(平成研究会)、麻生太郎(志公会)の4人はいずれも首相に就いた。山崎拓(近未来政治研究会=現森山派)と同じく党総裁選で敗れた亀井だが、派閥の相克を知る証人だ。 

 

 「なぜ政治資金収支報告書に書かなかったのか」。派閥解消につながった政治資金パーティーを巡る裏金事件。憤る世論に共感を示しながらも持論は曲げない。「氷代や餅代で俺もたくさん配った。大勢の仲間を束ねるには金がいるんだ」 

 

 亀井の仲間と元副総理、渡辺美智雄のグループの合併で1999年に生まれた志帥会。第3代会長の亀井は2005年、いわゆる「郵政解散総選挙」で離党した。 

 

 派閥解消をどう受け止めるのか。亀井の故郷、広島県庄原市を訪ねた。政界引退から7年たっても後援会は残る。「3月も会いました」。小学校の同級生で後援会長の住田鉄也(87)はうれしそうに話す。 

 

 空港の保安検査業務などを請け負う会社を営む亀井が近年、力を入れるのは再生可能エネルギー事業だ。間伐材を燃料とするバイオマス発電所を奈良県に建て、開所式に後援会の面々を招いた。京都のホテル滞在は、その骨休めでもあった。 

 

 裕福ではない農家に生まれ、草の根選挙を戦い、閣僚や自民党要職を歴任…。後援会幹部は年代や当時の権力構図を交え、克明にそらんじる。 

 

 95年に資金管理団体の収入が国会議員でトップの4億円超だったことはどうか。「政界で一番金を集めた時期もありましたね」と即答したのは八谷文策(81)だ。初当選の79年衆院選から支えた。「自分のためでなく、派閥の仲間のために集めた。私たちには分かる」 

 

 元首相の田中角栄がそうだったように、大物政治家はカネや仕事を地元に引っ張ってきた。市内の上野池そばに立つ亀井の胸像。隣の石碑には県立広島大の地元開学や、広島県尾道市と島根県松江市を結ぶ中国やまなみ街道の開通などが記され「多大なる御尽力をいただきました」とある。 

 

 利権誘導との見方を「そうじゃない」と退けるのは、後援会事務局長の藤光有(77)。市内の国営備北丘陵公園の管理を請け負う第三セクターの社長を務めた。「自主財源が乏しい地域。地元の人材や資源を生かし、働ける場所が必要なんだ」 

 

 亀井は石碑の裏に句を寄せた。「古里を、遠く離れて、望郷の我にかわりて、根を張れ桜」。自民党派閥は散った。亀井が引退後に支援する野党勢力も全国の有権者の間に根を張れないでいる=敬称略。 

 

生家に残る亀井郁夫、静香兄弟のポスター 

 

 亀井静香(かめい・しずか)1936年生まれ。東京大卒。​警察庁キャリア官僚などを経て79年衆院旧広島3区で初当選。運輸相や建設相などを歴任。2005年に国民新党を結成し、民主党との連立政権で郵政改革・金融担当相を務めた。 

 

中国新聞社 

 

 

 
 

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