( 160036 ) 2024/04/15 21:53:27 2 00 死刑執行、かつては前日までに告知 死刑囚の自殺で当日に運用変更産経新聞 4/15(月) 16:21 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/d13a74c895b03d1f6b60a9f782d8f6bf3ff49eae |
( 160039 ) 2024/04/15 21:53:27 0 00 大阪地裁
死刑執行の告知を当日に行うことが「尊厳を持って最期を迎えることができない」などとして死刑囚2人が国を訴えた訴訟で、大阪地裁は15日、原告の訴えを全面的に退けた。死刑執行を巡っては、かつては執行前日までに死刑囚本人に告げていたケースがあったが、死刑囚が自殺する事案が発生し、現在の運用に変更された経緯がある。
【写真】東京拘置所の刑場の「ボタン室」から見た「執行室」
関係者によると、昭和50年ごろまでは、前日までに告知されたケースがあったとされる。これにより、家族との最期の面会などが可能だった一方、本人が執行前に自死したケースもあった。こうしたことから、国は現行の執行1~2時間前告知という運用に変更したという。
今回の訴訟でも、国側はこうした経緯を説明。当日の告知には「死刑囚の心情の安定を図り、自殺や暴動を回避する目的がある」などと正当性を主張していた。
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( 160040 ) 2024/04/15 21:53:27 0 00 ・>尊厳を持って最期を迎えることができない
批判を受けるのを承知で書きますけれど、死刑囚になったって事は相当大きな事件を起こしたはずですよね 他人の尊厳を奪っておいて自分自身の尊厳を求める事に大きな違和感を覚えます 何年服役したかは知りませんが、衣食住を保証され、敗訴したとはいえ裁判を受ける権利まで認められた事で十分に尊厳を認められたと考えるべきではないでしょうか?
・死刑囚じゃないとわからないことなのかも知れないけれど、死刑執行の日時が告知されることって、とても恐ろしい告知であることは確かであり、執行される時間だけ苦しむことなんじゃないのかな?つまり、その時間が長ければ長いほど苦しむ時間は長く、とても生きた心地もしないんじゃないのかな。自殺したケースがあったのも苦しくて辛くて、その苦しみから脱したくてそれを選んでしまったものだと思うんですよね。執行日当日告知は、その苦しむ時間をなるべく短くさせたいという配慮もあってのことだとも思えるですよ。つまりこの方法のほうが尊厳を考えているんじゃないのかな。
・死刑囚になる知人がいないので実体験にはなりませんが、犯罪を犯す人は想像力が無いパターンがあるのかなと考えます。 つまり、自分視点はあるのに、他人視点が無いというか。 自分に自我があるように、他人にも、自我があるという視点が無いというか。 身近な人以外はゲームでいう、NPCとしてとらえているのかなと。 そういう意味では、実体験させるしか更生の道は無いのかな…と思うと、人権団体が言うナンチャラより、「想像できないなら実体験で学んでもらう」しかないかも、と思う。
・他人の未来を無断で奪っておいて、自分の未来については自分で決めたいというのも身勝手な話ではある。 事前告知なしで刑が執行されるというのも、刑の内に含まれていると思う。因果応報で、他人にしたことが自分に返って来るというのも当たり前な話であろう。 被害者への気持ちを考えればこのような提訴など出来ないと思うが、逆に考えれば反省の色が無いということを露呈しているように思う。今回の提訴は、判決が正しかったということが証明されたようなものだと思います。
・「人の命を奪った凶悪犯だから文句言う権利など無い」というのが、世論調査やヤフコメを見てても日本の多数派だと思うが、冤罪の可能性についてはどう考えているのだろうか? 日本でも過去に数例死刑判決が覆った判例があり、日本は執行後の判明こそ無いが、外国には執行後に判明して死刑が廃止された国がある。 凶悪犯だから因果応報ではなく、僅かな冤罪死刑執行の可能性をどう考えるのか、そういった視点を持ってほしい。
・執行する側としてはどちらでもいい話だが、死刑囚が自死や病死、老衰では、死刑ではなく終身刑であって、全く刑にならない。個々の希望を聞くようなものではないので仕方がない。冤罪の可能性がない場合は6ヶ月以内の執行を、法務大臣の義務としてください。そもそも死刑判決が確定した時点で、事前告知になっているではないか。
・ニュースでも報道されていましたが、凄い違和感を感じるのは私だけではないと思う。 死刑判決を受けるということは、確実にそれ相応の罪を犯しているということでしょう。 その罪を犯した相手は、その死刑囚に『~日にこんな犯行しますよ』って知らされていたわけないですよね?ある日突然事件に巻き込まれたんでしょう? それなのに自分が刑を執行されるときには事前に知らされないのは違憲だ、ということは正しいのでしょうか? これが認められるなら、本当に日本はおしまいだと思う。 そもそも刑が確定して何年も執行されない現状を何とかしてほしい。
・死刑が確定している人間が自殺しても特に問題があるとは思えない。 自ら死刑を執行をしたと考えれば執行ボタンを押す執行職員の精神的苦悩を考えれば死刑囚の人権など考慮するに値しない。 それよりも死刑確定者の執行は6ヶ月以内という「法」を遵守して欲しい。
・被害者こそまさに唐突に人生を奪われたんだからね、そう考えれば死刑囚に毎朝「死の恐怖に怯える機会」を課せるというのは良いと思う、個人的には朝だけではなく昼夜にも刑を行使する様にして、更に土日祝祭日も不定期ではあるけど刑を執行し、「朝を乗り切ったから、週末だから、年末だから命を繋ぎ止める事が出来た」と安心させることはない様にしてもいい
・刑罰と個人の贖罪の気持ちは当然別に考える必要はあるんだろうけど、死刑囚って事は当然事前告知なしに誰かの命を奪ってるわけだよね?
心の準備をしたいのかわからんが、やはり心から反省はしてないんだろうなぁと思ってしまう。
命をもって罪を償うわけだから人に出来る最大限の償いである事は間違いないけれど、死ぬその瞬間まで、死の恐怖を感じながら少しでも後悔すべきだと思う。
・刑務官だった義父の知り合い曰く、 当日執行する理由は、 執行をしたくない「刑務官」が仕事を休んじゃうのを防止するため。だそう。
刑務官も、当日の朝、執行を知るそうです。
・執行告知など当日出すか、一定の期間をおいて出すかは、個人個人によって受け止め方は違うので、死刑囚にとって余り違いがないのではないか。死刑判決が出た時点でいつ執行されるかと言う状況に置かれることに違いはない。一週間前に執行告知が出れば、それこそ執行一週間前より直前の死に直面せざるを得ず、それが当日告知の数時間と言う期間と比べ何方が尊厳に配慮しているかなど誰が判断できるのだろうか。
・事件にあった方だって、その日自分がそんな不幸な目に合うとは知らなかったと思う。その中でどれだけ恐怖を味わったか。その一片だけでも感じ取るために当日告知でもいいんじゃないかと思う。 死刑執行の日までに命の尊さについて学んでいたなら、その急にやってくる死に対して思うところはたくさんあるでしょう。そのために死刑の日までケアが行われるのではないですか?
・明治大正の頃は大審院の判決から1週間くらいで執行だったらしい。 戦後,どこかの拘置所長が職員の教育のために、再審請求棄却の伝達から、お別れの句会、肉親との最後の面会、刑場への連行、執行直前の刑務官との会話、執行、報告まで録音してたのをラジオで放送したのを聴いたのだが、刑務官の皆さんは死刑囚の尊厳を守るべく配慮し,死刑囚はその温情に感謝し、執行直前の一服で刑務官に「あの世では私が先輩ですね」と場を和ませ、立派に死んでいった。 昔を全て正しいとは言わぬが、訴えを起こす権利は否定されないが、この録音の死刑囚のような立派さはないのねと暗然。
・法治国家で死刑を受けたのであればそれ服するのが囚人であって自殺等を図り刑を逃れようとするのであればやはりそれができないように運用をするのは当然だと思う。 それに個人的な気持ちで話すと尊厳というのであれば、死刑という一番重い罪を受けている方であればそれ相応の他人の尊厳などを踏みにじった行為をされた方であるんでしょうし、自分のときだけ尊厳がどうのこうの言うのはどうなんだろうと感じますね。
・生きて明るい人生を送るはずだった罪のない善人を無慈悲に殺めておいて何が尊厳だよって思います。 亡くなった人達には自分の想いを伝える猶予すら無かったんです。 それこそどれだけ恐ろしく、どれだけ無念だったか。
そういうもの含めて、当日告知で「いつか分からない恐怖」に日々苛まされて息をするだけの日々を独房で送らせるのは至極当然の報いなんだと思います。
・死刑と懲役刑の違いは、死が刑を執行したことになるので、それ以外の時は、懲役とは違い何か作業などをする事はないのであって、拘置所にいるのはそのためでもある。 よって、刑が確定した時点で、事前告知をしたのとほぼ同じと考えれば、数日前および数時間前の告知も本来は不要ではと思う。 人権云々は、憲法および法律を遵守したものが言うことだろう
・被害者のご遺族の気持ちを考えるといたたまれなくなります。 死をもってしか償えない罪を犯したのだから潔く受け入れるべきです。 刑に服する場合に身体精神的に健全な状態でなくてはならないと定められていますが、直前に暴れたりする受刑者がいることを考えると皆が直前まで受け入れる状態でないことが分かります。 事前に伝えると自殺の恐れがあるだろうし、自暴自棄になって暴れる恐れもあります。 やはり、直前に伝えて粛々と執行すべきです。
・受刑者への感情は一先ずおくとして、言いたいことはわからなくもないが、一応の合理性もあるし現状の運用は執行側の裁量内としか言えないよね。
そもそも殆どの執行日が既に『違法』状態なんだから法律に則って粛々と進めてほしい。冤罪がーという人もいるがその懸念は執行時ではなく、裁判時に厳正に審理されるように制度や体制を造るのほうが健全で根本的な解決ではないのかな。
・死刑というのは、それで罪が弁済されるわけではなく、償うことが適わないためこの世から消滅せざるを得ないものと自分は思う。正直、そこに死刑囚自身の尊厳など考慮すべき優先順は非常に低くてよい。事前通告が自殺や暴動につながる恐れがあるだけで、十分に死刑囚の尊厳より手順を優先してよいと思う。
・死刑を宣告されるほどの重犯罪を犯した事が先ずは重要です。 人の死に『尊厳』を求めるならば、先ずは被害に遭われた方々の立場に立ち考える必要があり、その方々の尊厳は守られる事なく被害に遭っているのです。 そして日本の刑務所は人間としての尊厳を損なう様な施設ではなく、その最後に至る迄人としての生活は守られている訳で、いつ来るか分からない最後に怯える事も自分の犯した罪ではありませんか。 冤罪は論外ですが、人として踏み越えてはならない一線を超えた自分を責めるべきです。
・死刑は死ぬ事そのものが刑罰なので、そこに至るまでは極力「人として尊厳を持って接してほしい」という事ですが、死刑判決を受けた人は相応の犯罪をやってきたので、人権や尊厳を求められるのも何だかな。 彼らに手をかけられた被害者は人権や尊厳を踏み躙られ理不尽な死を押し付けられたのでは? これまでの行いを悔い改めているとは思えない人に配慮する必要はないと思います。
・尊厳を持って最期を迎えるという事は凡人にとっては非常に難しい事であり、ましてや死刑囚が刑死を迎えるに当たっての告知は当人を極限状態と化すだろう。そうした極限状態を短時間に抑える現行の施行は正統な方法だろうし、いつ刑が執行されるか分からない死刑というものは元々、受刑者に生きながらにして精神的苦痛を課す刑罰の一種であり、以上の事から現行法は合理的施行だと思う。
・「尊厳を持って最期を迎えることができない」とのことですが、被害者の尊厳を傷つけたのに、自分の尊厳を要求するとはどういうことなのか。 確かに死刑囚も人間ではある以上、人権はあるとは思うが、殺人を犯して拘置所に入った人々なのだから多少の制限は受けてしかるべき。受刑者であっても必要最低限の人権、権利があるとは思うが、最大限の人権、権利を与えては拘置所に入る意義すら曖昧になりかねない。一般社会と拘置所の大差がなくなってしまえば拘置所の存在価値はどうなるのか。とにかく当然の判決が下されて良かったです。
・刑事訴訟法では死刑が確定してから6カ月以内に執行すると決められています。死刑が確定しているにもかかわらず未執行死刑囚が 百名近くいるという事実は私は理解出来ません。裁判官が無期懲役ではなく死刑判決を決めたのは良心に誓って出した結論だとおもいます。その重い決断によってなされた判決が何年経っても執行されない現実納得出来ません。日本では三審制となっているので複数の裁判官の総意としてなされたものです。死刑が確定しているにも係わらず再審請求により執行が先送りされている現実も被害者家族の心情に配慮がばされていないとおもいます。 冤罪の可能性が高いものについては執行を猶予することもあるでしょうが、死刑が確定したももは速やかに執行すべきと思います。 法務大臣、刑事局長の方は刑事訴訟法に従って未執行死刑囚についての対応をお願いしたいものです。
・この訴訟は執行の運用の問題だけでなく、よくある再審請求と同様に訴訟をしている間は刑が執行されないだろうと考えて提訴したように思われる。 おそらく上告するだろうし結審するまでまだまだ時間がかかることになる。 死刑確定から執行まで本来は半年で行わなければならないのに、現状は平均7年9ヶ月という状況を先ずなんとかすべきであると思う。
・では被害者は尊厳を持って最期を迎えることができたのか。 命というのは儚いもので、シャバにいるほうが常に命の危険にさらされている訳ですよ。 車に乗っている時はもちろん、歩いていたって車が突っ込んで来るかも知れないし、上から鉄骨が落ちて来るかも知れない。地震も津波もそう。寝ていてもいきなり心臓が止まるかも知れない。 明日生きているかどうかなんて我々も分からないのです。 悪人はもとより、どんな善人でも尊厳を持って最期を迎える人なんてごく僅かなのです。
・死刑になるほどとは、それだけの重大な事件を起こしたということ。被害者の方は、尊厳も何もなく、問答無用で被害に合われていると思います。犯人の何かしらの自己都合によってです。 そこに被害者側の意思は、殆どの場合はないと思います。それだけの事をしておいて、自分たちの尊厳だけを求めるのは、盗人猛々しいというものではないでしょうか?死刑反対者の方には批判されるかもしれませんが、教えてもらえるだけありがたいと思えって感じがします。
・刑事訴訟法では、死刑の執行は、判決の確定後、原則として6か月以内に行うよう定められています。 しかし、実際にはどうでしょうか。 今回執行された2人は、死刑判決が確定してから、それぞれ、16年、18年が経過していて、法律に明記されている「6か月」と比べると、かなり長い期間です。法治国家なら6か月以内に行うべきです。不安定な状態を長年強いる人権意識の低さ、確定した判決でありながら冤罪も少なくない実態など法務行政、司法の経過する有限な時間に対する無責任さが背景にあると思います。
・死刑が確定したら必ず半年以内に執行するくらいで良いと思います。 冤罪の可能性が排除される事が大前提ではありますが。
死刑囚の尊厳なんて論外です。 被害者が複数人居る段階で苦痛を与えての執行で遺族の精神的負担も幾許かは癒されるのでは。 第一に抑止力になり得る筈です。
・死刑が確定したら必ず半年以内に執行するくらいで良いと思います。 冤罪の可能性が排除される事が大前提ではありますが。
死刑囚の尊厳なんて論外です。 被害者が複数人居る段階で苦痛を与えての執行で遺族の精神的負担も幾許かは癒されるのでは。 第一に抑止力になり得る筈です。
・宣告されてから自分の行いを悔やむ時間も罪を償うことのひとつだとしたら前日に宣告することも、人間としての他者への思いやりを取り戻す点では尊厳を守ることと捉えられる気がする 自死だって、自分の尊厳を守るために他者からではなく自分の手で終わりを迎えるということだと思う 確実な死という点では少し違うが、正直普通に生きてても余命宣告されて死への恐怖と戦いながら生きてる人だっているんだから、前日に宣告することは悪では無いと思う
・自殺をされてしまうと刑の執行ができなくなってしまうので自殺を防ぐ措置を取ることは当然だと考えます。理想としてはいつ刑の執行を告知されても受け入れることができるような精神状態を死刑囚に持ってもらうことであり告知のタイミングに拘ることは本質的ではないと思います。
・人の権利を奪い相当な罪、恐らく殺人とかの犯罪で極刑が決定した囚人が一人前に異を唱える事、提訴する事自体許されると言う考えがオカシイと思えうよね。却下されるのは当然ですが、犯罪者の暇潰しに付き合わされた結果ですか。本来なら半年前に最高裁で死刑が決まった囚人しか居ない筈なのですが、何故収監されて数年、数十年も国民の税金で養っているのでしょうかね。法務大臣先ずら法を破って良い筈はありません。被害者側に寄り添った判決が出た以上速やかに法を遵守して欲しいと思います。
・死刑囚のほとんどは殺人事件の被告(殺人以外で死刑になってるのは無いと思うが、直接間接は別として)。その被害者は尊厳を持って最期を迎えられただろうか? そもそも死刑という刑罰は命をもって刑とする訳でだから労務も役務も無い。刑場で執行されるから刑罰として認められていると考える。 その刑罰の前に自殺するのは刑の執行と言えないとも考える。自らの選択での死と刑罰による死の意味は異なると考える。更に事前通知で暴動や何らかの不適切行為(刑務官への暴行等含め)が発生しても問題だろう。 自殺等の過去の経緯も踏まえると事前通達のハードルは現時点では非常に難しいと考える。 ただし同時に本人が死刑を望むことや死刑前での病気等による自然死にも問題があるとも考えられる、刑罰自体の本来の意味や役割と異なるからだ。少なくとも自然死については早めの執行で対処出来そうだが希望については犠牲者を出さない手立ては難しいだろう。
・死刑囚の罪状がネットに公開されているので見てみてほしい。 どれも吐き気を催すほどの酷い犯行で、同情の余地はない。 死刑が執行されて初めて死刑囚は刑を受けることになるわけで、それまでの長い間、自らの罪と向き合うことになる。 しっかりと罪に向き合えば当日に執行されたとしてもジタバタすることはないはず。 数日前に刑を告知することで、心の整理がつくほど軽い罪ではない。むしろ罪と向き合ってない人間に自殺の機会を与えて「逃げ得」を許す機会にしかならないと思う。 「尊厳」などという言葉をみずから求めること自体、罪と向き合っていないと思われる。
・「いってきます」「かえりました」を奪う犯罪を犯して尚も権利を主張する立場にあることに違和感でしかない。 被害者の運命は突如絶たれ、加害者は守られ続ける刑法では意味がない。 待ったなしで刑罰も与えるべき。 死刑執行となっても礼拝堂などを設け時間を与えられていることに感謝すべき。
・正当な裁判を受けさせてもらい、衣食住を国民の税金で与えてもらいながら、多くの国民が生活が苦しい中、執行日まで贅沢に生き存えさせて貰ったのは充分に尊厳を与えられた時間だったのでは? 捕まってすぐに裁判無しに処刑されるようなことが尊厳が無いと言います。 しかも死刑判決から執行まで与えられる法律上最長6ヶ月という長い時間は死刑を受け入れるには充分な尊厳を与えられた時間だと思います。 死刑囚に奪われた無垢な命は、尊厳を与えられることなく急に奪われたのだから。
・こう言うのに触れるの嫌だよね。死刑判決を出す人死刑になる人執行する人 ご気分でハンコ押したり押さなかったりの法務大臣。 執行に立ち会いたく無い刑務官がいてもいいし、前から教えて欲しい死刑囚もいるのだろう。 私が疑問なのは法務大臣が執行のサインをしなかったり、判決順に執行されなかったり。なんでなのか死刑とは、日本国民誰に聞いてもわかる教育は必要だと思う。そしてそれが抑止力になればと願う。
・死刑囚の尊厳って、冤罪じゃない限り何を言ってるのだと思います。 死刑になるという事は確実に人を殺しています。人の命を奪った人に尊厳を与えて欲しいって、被害者の遺族が納得するはずもないですし、まず長く生きている事に対してもいい気がしていないはずです。 判決が死刑囚の思い通りにならなかったのは良かったのですが、日本は死刑が認められている国です。 その国で死刑になったのですから、素直に判決に従い、当日告知を受け入れるべきです。
・難しい問題だが、むしろ適正な手続きを経て出された死刑判決を速やかに執行しないことや、1人殺しても死刑とならない手前勝手な先例主義に課題がある。
死刑により凶悪犯罪者を社会から完全に隔離することが国民の意志であり利益であり、それは被害者が1人でも法律通り適用し、また判決を速やかに執行することで実現される。
決して、惨たらしく苦しめて殺すことが死刑の目的ではないはず。もちろん、もし自分の身に起これば、犯人にはできるだけ酷い苦痛を与えて生まれてきたことを後悔させながら見送りってやりたい気持ちはあるが、それは国家権力の仕事ではないだろう。
・凄いね 所詮自分の事しか考えていないからこそ 人の尊厳を奪う様な犯罪を犯す そして平気で自分の尊厳は~なんて自己主張が出来る。。 判決が出てから執行されるまではそれぞれだろうけど、結局その間に自分のしでかした事を反省する事もなければ、改心する事もないわけだ だから平気でこんな訴えが出来る
本当に税金の無駄だと思うので、今後は判決後は速やかに執行するようにして欲しいですね
・尊厳を持って死を迎える事ができない…
何が尊厳だ。。亡くなった方は突然殺されさよならも何もできないまま亡くなり、またその遺族の方も突然大事な家族を失われてたのに尊厳も何も冤罪の可能性がない限り亡くなったかたの気持ちや恐怖を同じようにあたえるべきだと個人的には思う。
・死刑判決が出るほどのことをして尊厳ある最後を迎えたいというのはいかがなものか。他人の尊厳は踏み躙っておいて自分の尊厳主張するの? 死刑は死ぬこと自体が刑罰ではなくていつ死ぬか分からない状況で恐怖や後悔を感じながら自分の犯した罪と向き合う刑罰だと思う。
・現在の死刑告知の方法が妥当だと思います。それは、事前に告知してしまうと、自殺するケースがあったと言う所からも直前に告知する方法が執行を確実に済ませるためにも適切だと思います。 その上で、確かに死刑囚にも人権はあって、尊厳をもって最後まで生きる権利はあるのかも知れません。しかし、あなたの理不尽な犯罪により、一生苦しみに苛まれている被害者に対して、自分の苦しみよりも謝罪や贖罪に身を捧げ、寄り添うべきでしょう。
・国民の人権が保証されている法治国家において、法執行機関としては裁判で下された刑を滞り無く執行するのが仕事なのであって、確かに刑の執行以外のところで死刑囚の人権や尊厳までは奪うことは出来ないとは思います。 しかし死刑が確定した以上、即座に執行されようが、いつ何時に執行されようが、死刑囚に選ぶ権利は無いし、告知のタイミングまで死刑囚を慮って図る必要があるとは思えません。 そもそも人の尊厳を奪った死刑囚自ら(バックに人権団体があるのかもしれませんが)がそこを訴えるなんて、同意が得られるはずも無いでしょう。 裁判所の判断は正しい。
・死刑は怖いです。当事者は毎朝がつらいと思います。でも被害者は何もできないんです。話もできない、ごはんも食べられません。自由が全くない世界に行ってしまった。
他方死刑囚は、独房ですが少なからず許された範囲の自由な時間がある。ごはんやお菓子も食べられ、本も読めます。いつか死刑になる日が来ますが、それまでの期間、長いか短いかは分からないけど、反省していてほしい。毎日緊張するけれど、それは被害者が受けた痛みだと思って過ごしてほしい。
・国が訴えを退けたことに関してはそりゃそうだと思ったけど、死刑囚は他人の命の尊厳を踏みにじったのだから自らの命の尊厳を求めるのはおかしいという意見はちょっと違和感があるかな。
刑罰とは何かって考えれば因果応報、目には目を歯には歯をというのも分からなくはない、と言うかそのほうがしっくりはくるんだけども、その処罰感情っていうのかな、報復を求める気持ちというのは、報復の報復の報復の報復の、、、と続くパレスチナ問題と源泉は同じところにあるんじゃないかと。 戦争はなくならないと開き直るのもひとつの手だけど、感情的にどうというのはひとまず置いといて、ここは個人に保証された権利を行使しただけのことなので、そこは受け入れてやりたい。
・死刑囚が訴えているのは人権派の弁護士の入れ知恵だと思う。 死刑判決を受けたのは、それなりの犯罪があったからです。 殺した相手の人権は虫と同じだと言う人権派弁護士に賛成は出来ない。 将来に希望を持って人生の途中で事件に巻き込まれ人権どころか生きる事すら奪われた。 それを実行した犯人が、自分の尊厳なんて、良く言えるなぁと思う。 死刑執行は法律で期限が決まっていた様に思う。 実際にはもっと早く執行するべきです。 生きているだけで税金がかかる。 北の様に即日とは言わないが、少なくても1年以内に執行してほしい。 執行しても被害者が帰って来る事は無いが、家族は安心出来ると思う。 家族も決着付けられて新しい門出が迎えられる。 刑務所で生きているだけでもストレスだと思う。 死刑執行早期決着を願う!
・死刑は刑が言い渡されただけの状態であって、言うなれば執行待ちの状態。 確実に半年以内に執行します、という運用がありきの拘置状態なので、いついつの予定で~とか、今回話に上がっている尊厳が~、についてはそもそも無用なんだよね。
家族との時間。残される家族にとっては必要なことはあるだろうけど、本人にとっては必要ではない。 少なくとも死刑になるってことは、死刑にしても飽き足りないほどの罪を犯したんだよね。
えん罪の可能性がない限りは、粛々と執行してもらいたい。 半年を過ぎても残しておくのであれば、食費等は本人や支援者からの費用で賄えば良いのでは? 再審請求が成り立っていないなら、粛々と。なんならAIに判断してもらって粛々と執行。 そしてAIを作動させるボタンを複数の看守で押す。執行自体はAIで自動的に。 それで精神的な負担が減るのなら。
・死刑の宣告を受けてから実際の執行までの期間が長いから様々な感情が湧くのではないかな。そもそも宣告を受けた時点である程度覚悟はすると思う。そして本当に自分の犯した罪の重さに気付くのかも知れません。死刑には反対したいけど、それが存在していることの意味の方がきっと重いのでしょう。法で定められた規則に則って粛々と進めるのが受刑者へ最大の配慮ではないかな。
・犯罪の確かな証拠が残っていて、冤罪の可能性が限りなくゼロの事案の死刑囚なのであれば、執行前に自殺するなど、卑怯以外のなにものでもない。たった1日が地獄では100年くらいに換算され、その分長く地獄の業火に焼かれ続けてほしい。 一方、あってはならないことだが、冤罪で死刑囚となった人がいるのであれば、収監後それまでに味わった苦痛を思えば、たった1日程度早く執行日前日に一人で自死する選択はしないのではないか。目隠しされ手を引かれ台の上に足を置かされ執行官にボタンを押される直前まで、さるぐつわされていても本当の犯人に向かい呪いの言葉を吐いてやろうと思うに違いない。 前日に自死する人は限りなく疑わしいのでないかと考えると、被害者や被害者の関係者の心の開放を確保すべく、自死を選択できない当日連絡のほうが良いと思う。
・死刑の話題になると、応報主義、厳罰主義のコメント一色になるが、そのことで何かが解決しているわけではないことに注意が必要だ。
被害者家族の方も、死刑が執行されたからといって、無念が晴れるわけではないということをおっしゃる方が多い。
死刑囚の手記がいくつか出版されている。手に取ってみると、重大犯罪の背後にある、多くの事柄に気付かされる。 命の尊厳を保てる社会でなければ、どんなに厳罰化しても、重大犯罪がなくなることはない。
・人の尊厳踏みにじっておいて自分の尊厳は尊重して欲しいだなんて、どんだけ厚かましいんだろう。数時間とはいえ事前宣告があるだけマシなのでは? なんなら普段の食事に毒仕込まれての処刑法になって、いつ刑執行されるかわからず毎回の食事に怯えて過ごす日々を過ごすくらいでもいいと思うよ。
・死刑囚に殺された被害者は、「自分が死ぬ日にち」を教えてもらう事ができなかった。(="尊厳のある最期を迎えることができなかった"どろか、天寿を全うすることもできず、恐怖と痛み、そして無念を味わったに違いない。)
ゆえに原告(死刑囚)も同様の扱いを受けるのが可哀そうだが公平のように思う。
死刑が言い渡された時点で、一日一日を最後の日と捉え大切に生きていくしかないだろう。残された時間を健康で有意義に暮らせる事を祈ります。
・冤罪は100%ない上での死刑であれば否定はしない。しかし、これまでの警察・検察の違法捜査、証拠・証言の捏造など立件する側に問題があった事が散見される事を考えると100%冤罪がないとは言い切れないと思う。本当は無罪なのに死刑執行されてしまった無実の人がいた事を考えると恐ろしい。日本は世界的にも少数派の死刑制度を真剣に議論した方がいいと思う。
・いろんな人が、いろいろな立場で物言う事はとても大事な事で大切にしなければいけない事だが、それより前に今の日本の法制度で死刑を言い渡せられるような人に、何故刑を受ける時に成り人権を守って上げなければいけないのかとても疑問。 死刑に成るような人で、人を殺めてもいない様ならばまだ理解もしようが有るが現状有り得ない。 その、殺された人の人権を奪った人間に捕まったからと言って更生を促してみたり、刑の最終段階に人間らしく罪に服せとは被害者遺族も納得しかねるのでは。 刑を執行する人の負担に成るかもしれないが、犯した犯罪と同じ方法で執行してもらいたいほど。 残虐な殺し方をしておいて、安楽死で人間らしく罪に服すと言うのは自分は納得いかない。
・犯罪者を人道的に扱う事は必要でしょう。 でも、被害者のほとんどは家族などと最後の別れすら出来ずに犠牲になった人ばかりですよ? 死刑囚になるという事、複数人の生命を身勝手に奪っているわけです。 そんな人物が、刑の執行まで人道的に扱われている時点で十分に尊厳は保たれていると思いますよ。
・他人の人生を奪い苦しめ、残された遺族や近親者の事を考えて下さい 死刑囚の尊厳等と言えますか、被害者にも尊厳が有るのに物言わぬ言霊となり、訴える事も出来ないのです 死刑囚の中には計画的殺人等の犯罪を犯した人間もいます、被害者の事を考えてなお、尊厳等と主張する人達を理解し賛同する人間こそ、考えを改める必要があると思います。
・基本、死刑囚は人を殺害してる人なので、人の人生を奪っておきながら、自分自身の人生も奪うことは許したくない。
誰かの手で死を与えられるべき。
ただ唯一、配慮が必要なのは、冤罪の可能性がある死刑確定囚の人権。
基本的に、冤罪の可能性が僅かでもある人は、死刑確定後も執行されない方向にあると判断している。そして、再審請求はほぼ認められないが、冤罪の可能性がある人に対しては、一度は認められなければならない権利だと思う。
・極刑を免れないほどの罪を犯した自覚はないのかな。いつ執行されてもいいように刑が確定したら即準備しておいて欲しいくらいなのに。弁護士の入れ知恵とか思ってしまう。告知に関して海外と比較するのを見るけど死生観も積極的な信仰がある人の割合も違うから、あまり参考にならないと思う。
・法の番人である法務大臣が『死刑執行は6か月以内』という法律を守ってないという事実。
法律にはっきりと『しなければならない』と明記されているにも関わらず、『これは努力目標であり義務ではない』として、法律違反ではないとされています。
これがまかり通るなら、他の法律も法務大臣が『これは努力目標です』といえば守らなくても良いという事になってしまいます。
冤罪リスク、死刑反対、色んな意見があるのも承知していますが、現時点で法務大臣が法律を守っていないという事実は確実に存在しているわけなので、国には『法改正』か『6か月以内の執行』のどちらかは速やかに実行して欲しいなと個人的にはずっと思ってます。
・亡くなった方は、なんの前触れもなく命を奪われ、家族と一緒に向かうはずだった未来への道も絶たれています。告知はなくて良いと思います、苦しかったもっと生きたかった、夢があった被害者を思うとその代償は重いです、家族は一生悲しみを背負って生きて行きます犯人が死刑になってもそれは変わりません、ひとつの区切りがつくだけです。最後の日まで、いつ来るか分からない死の恐怖を感じながら懺悔の日々を送って欲しいですね。
・毎秒毎秒、次の1秒が最後になるかもしれないという恐怖におののかせることまでもが刑罰に含まれているのか。それは生きるとは言えないほど残酷な状態であるのではないか。罪を犯した点は紛れもないだろうが、そこまで追加的な罰を与えることについてまで法が許容しているのか、罪を犯したから、どんな状態でもいいのか、そこが法的にどうなのか知りたい。
・どうなのか知らないですが、東京拘置所とかだと、死刑囚とその他の囚人の独房が隣同士だったりしそうですから、当日死刑執行があった場合に、隣の囚人が独房から連行されたら死刑執行なんだと判ったりするのかな。 朝刑務官が数人で廊下を歩いていると、死刑執行のお迎えで、どの独房に来るのかとても恐怖になりそうですね。
・尊厳がありすぎて、死刑囚が刑務所で3度の食事を与えられ病死や天命まで全うしてしまう事の方が問題なのでは無いでしょうか? 冤罪の疑いがあるのなら分かりますが、そうで無くても一向に死刑執行にならない矛盾で、突然に命を奪われた遺族にとったら、これほど憎いものは無いと感じます。 そして死刑執行に至り、ボタンを押すのは刑務官では無く、遺族に是非を問う様な流れにしたら良いかと思う! 殺された遺族達も、これで事件の一区切りが出来るし前に進める様な気がします。 昔で言う仇では無いが、殺された遺族達にとったら、天命まで生き延びた死刑囚に、二重の憎しみが残ると思う!
・そもそも死刑判決を受けるほどの凶悪、重大な事件を起こし他人様の尊厳を侵害した人間に尊厳が保証される資格などあるはずもない。 他人様の尊厳を平気で侵害しておきながら自分の尊厳は侵害されたくない、守りたいなんてどの面さげて言ってるのか? どこまで身勝手な人間なのかと思う。 被害者の無念や遺族の感情を考えればこんな身勝手な主張は退けられて当然だと思うし断じて認めるべきではないと思う。
・死刑囚によって殺された方々には、尊厳が与えられていたのか? 犯罪はなぜやってはいけないのか… 一番単純に言うとすればやられたら嫌なことはしてはいけないから。 つまり、尊厳なく殺された方々と同じことをされるだけだ。
もっとも、一週間前からカウントダウンなんかされたらそれはそれで残酷だとも思いますがね。
・結局のところ、死刑囚のためではなく刑務官や取り仕切る官僚組織の都合のためでしょ。 昔は2~3日前に本人や家族に通達して、なかには家族とお別れの会を開くようなことも行われていた。 それと比べたら、いまの死刑執行は無機質的と言わざるを得ない。 死刑制度に賛成の立場であるからこそ、昔のように数日前に通達するような工夫があってもいいのではないか。
・平和な時代の中、安全確保された亡くなり方の1つかも知れませんよね。長く痛かったり飢えたりしないし。 日々生き続ける努力と死んでも良い覚悟を続ける強さ、難しいですが。
カウントダウンは短めが良いのでは? その先にも意識は続くみたいな話も有るから、煮詰まり過ぎない方が良さそう。瞬間の後、会いたい人に会いに行ったり見たいモノ見たり。天国の手前での反省会も有るはずなので色々纏めておきましょう。
・他人の尊厳を無視して殺害したという事が無い限り、「死刑」とはなってないはずです。 何を今さら言うのでしょうか?それを分かっている普通の方々は殺人などしないのですよ。それをしてしまった罪で「死刑」となったのですから、尊厳などという事を軽々しく言わないで欲しいですね。死刑囚自体が他人の尊厳を一番無視したのですから、死を持って償って下さい。殺害された人間達も死の直前に家族に別れなど出来なかったのですから、別れなど出来なくて当然です。
・事前に知らせてやってもいいと思うけどね。死刑囚が自殺したらしたで、死刑を執行する刑務官の心理的負担が軽減されるから、かまわないじゃないか(遺体処理は大変だけど)。死刑は、犯罪の責任を取って死ぬことがすべてであって、その前に家族と面会したり遺書を書き残したりすることを制限されることは、刑罰に含まれていない。
・被害者の直接弁済を禁止する代わりに国がそれを行います。人権はむしろ被害者より尊重されておりこれ以上配慮する必要はありません。執行官の負担を減らす事と決済を渋ってむやみに執行を遅らせることが問題です。被害者が複数いない死刑にならないという風潮も支持できません、殺した方は人権尊重され一人前扱いですが被害者のそれは半人前以下になってしまいます。
・ちゃんと刑を受けさせることが大事な事だと思いますので、自殺の防止は必要かと思います。非情な事を言いますが、他人に苦痛と恐怖と絶望を与え命を奪ったのですから、今から刑が執行されるという恐怖をしっかりと味わうべきです。自殺なんかさせてはいけません。
・被害者にとっては死刑囚の死を待っても償えないほどの悲しみ、苦しみ、憎しみがあると思います。大量殺人であれば、死に至らなくても大きなトラウマや怪我などの傷や後遺症が残る被害者もいるかと。死刑執行までの時間、恐怖や後悔を十分感じてほしいと思ってしまいます。
・告知を望む死刑囚の方は、自身が犯した殺人などの現場で、殺した相手に告知してから殺害に及んだのでしょうか? 「死ぬ」ことはどちらも同じです。 なぜ告知もせずに複数人殺した死刑囚の望みを国が聞く必要があるのでしょうか? 万が一の冤罪もあるので、一定期間死刑執行までに時間は必要かと思いますが、明らかに死刑に値する死刑囚は刑が最終決定した日に執行されるべきだと思います。
・自殺は告知後に身体検査して独房に入れて管理するなどすれば防げる。 告知時期は統一せず、当日かも知れないし何週間も前かも知れない、という運用にしていつ執行されるか判らないようにし、常に死と隣り合わせの生活の中で充分に反省してほしい。
・死刑判決が出るって事は、それだけ無惨に人の命を奪ったって事なんでしょ?
死刑判決の基準は「永山事件」が考慮されると聞いた事があるけど、自分の利益の為に人の命を奪う事は絶対にあってはならないと思う。
確かに袴田氏のように冤罪の可能性がある場合は慎重に慎重に考えないとダメだと思うけど、冤罪はなく完全に犯罪を証明されたのなら仕方ないと思う。
・本来であれば「死刑判決を受けた」時点で刑が確定したものであり、裁判における「3審制や再審請求の認められた制度」を使えなくなった時点で執行されて然るべきものです。 死刑執行には「法務大臣の押印が必要」であり、スンナリ手続きがなされずに「後任の大臣に任せよう」と考え、押印をしなかった法務大臣も存在します。
・「死」をもって罪を償わせるという発想自体が前近代的応報主義の刑罰です。生きて日々を過ごし、命の何たるかを身に感じることこそ犯罪を処罰することでしょう。さらに、再審制度がほぼ機能せず、冤罪事件もあることから、死刑制度そのものに反対します。それを堂々と述べる事ができない裁判官はとても残念でなりません。
・現行犯で100%間違いなく殺人を犯した犯人なら、死刑と云う極刑は有りだと思う。 良く死刑反対派の人達が、冤罪によって国家が誤って人を殺す事になるから駄目だって言ってるけど、わたしだって冤罪の可能性がある事件については死刑はダメだと思うよ。 けど、100%犯人が分かっている場合についても死刑反対だと主張するのはどうかと思う。 勿論、別な論点として、被害者遺族が死刑を望む場合もあれば、犯人の心からの謝罪と更生とを望む場合もある事は知っているけれど。
・死刑廃止の運動をしている弁護士さんや救援の人たちが、死刑制度廃止に向けた取組の一環としてされているのでしょうね。 刑の執行を速やかにすべきものが、執行されないで長く拘置所に置かれているから、こんなことになるのですね。 執行を妨げるように、繰り返し再審請求が行われています。 確かに冤罪はあるので、理由のある請求は認められるべきことですが、執行を防ぐ目的の再審請求はよろしくないのでは。 執行されてはじめて罪を償ったことになりますが、執行を待つ間の苦しみも償いの一つでは。
・死刑判決受けたってことはそれなりの重罪犯してるわけだし、裁判で死刑判決でてるなら 執行通知が前だろうが突発だろうが文句言える立場ではないんじゃない? 死刑囚も人間という人もいるかもだけど さすがに訴えに共感は持てなかった。 まずは犯罪をせず真っ当な人生送れなかった身勝手な言い分だと思います。
・何の予告もなく殺された人たちがいるとする 死刑囚となった犯人は前日に告知していますか? 何の罪もない人の命を突然奪って自分たちは刑務所でのうのうと生きていてあらかじめ教えてほしい?尊厳? そんな考えする人は、そりゃあ反省もしないし更生の余地は無いよね もし慰謝料が下りたとしても遺族に払ってあげてほしいよ
むしろ法務大臣は何やっているんだ 法では6か月以内と規定されているんだから死刑囚の体調は関係なく刑務官の心身の体調だけを見て粛々と執行してほしい 死神大臣と言われていた鳩山邦夫さんのように神の行動をしてくださいよ
・自分は死刑制度には賛成だ。世界的には死刑制度廃止が潮流だが その議論を読んだ上で自分は死刑制度に賛成である。 そして死刑執行の告知を当日とすることを肯定した今回の判決にも賛成。
だがヤフコメで多く見られるような、判決後6ヶ月で死刑を行う制度化には強く反対する。 それを言う人達は日本の死刑判決で数々の冤罪事件の疑いが発生していることを知っているのだろうか。 つい最近まで、そして現在でも袴田事件では冤罪の疑いの強い死刑囚がおり、冤罪が晴れていない。 もし判決後6ヶ月で自動死刑制度があったら、帝銀事件の故・平沢死刑囚も、 袴田氏も冤罪の可能性が高いのに死刑執行を受けていたことになる。 上のような主張をする人たちはそれで良かったと主張するのだろうか。
法務大臣による執行の最終決定は死刑執行制度における最後の良心の発露だと思っている。 死刑判決が完璧から程遠い限り、自動執行はされるべきではない。
・死刑囚ってことは何かしらの巨悪な事件を起こしたわけで、その被害に遭われた方は予告なく事件に巻き込まれてら方が多いと思う。被害者の尊厳を奪っておきながら自分の尊厳を守ろうとする心境がわからない。刑務所とはいえ衣食住はあるんだから最低限の尊厳は死刑囚にもあるんじゃないのかな。
・テレビのd放送じゃないけども、死刑執行に賛同する人がボタンを押して、それがある一定数に至ったら自動的に執行されるシステムなら、執行官も気を病むことがないのでは?と思ったりする。今日国民に公示されますと死刑囚に告知して。でも何時になるかは国民次第です。 一定数は執行妨害する人がいるだろうけども。 賛否両論ある制度ですね。
・死刑判決が出たなら何人も殺害してたり大きな事件おこしてますよね? 殺害された側はある日突然貴方方に命を奪われてる訳だし まだ死刑判決が出てから執行まで時間がある訳だしその間考える時間や控訴したり出来るだけありがたいでしょ? 俺個人的な意見は防犯カメラとか証拠が完璧に揃ってたら判決とともに執行で良いと思ってる
・死刑になるということは、尊厳を持って死を迎えることができない被害者がいたわけで、 被害者やその遺族のことはまるで無視して、加害者の尊厳をという話になるのがそもそも意味がわからない。 死刑囚は、死刑が刑罰なのでもっと刑罰を速やかにできる、しなければいけないルールの方を先に作って欲しいですね。
・そもそもが事前告知されたい人とされたくない人いるだろうし・・・一律にどちらが人道的でないと言えないと思う。
3日後に死にますよって言われて3日間恐怖に戦き寝れもせずその代わり心残り消化する時間がある方がいいのか、直前にやっておきたいこと(時間かかること)をできない代わりに2時間前まで何も知らず心の平穏を保てる方がいいのか。
いつ執行されてもいいように心残りや会いたい人は積極的にやっとけよっていうしかない。
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