( 161258 ) 2024/04/19 02:27:42 2 00 「パパ、ママ、会いに来たよ」AIで死者を“復活” 中国で新ビジネスが論争に 「冒とく」か「心の救済」かTBS NEWS DIG Powered by JNN 4/18(木) 19:42 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/4f86413e7329182edd3b7da2d347e7cdc611eb9c |
( 161261 ) 2024/04/19 02:27:42 0 00 TBS NEWS DIG Powered by JNN
世界では今、インプットされたデータから文章や画像などを自動で作り出す「生成AI」の技術が急速に進化しています。こうした中、中国では「生成AI」を使って亡くなった人を「復活」させるビジネスが登場し、論争を呼んでいます。
【画像】コービー・ブライアントさんが中国語を?死者を“復活”AIで論争
■死者を“復活” 利用者は「ニーズを満足させてくれる」
「パパ、ママ、会いに来たよ」
中国のネット上にあふれるこれらの動画。実は、すべて生成AIで「復活」した死者たちです。
生前の写真や音声を元に、AIが動画を作成。
「僕はとっても会いたかったよ。元気なの?」
まるで本人がしゃべっているかのような動画ができあがります。AIが学習することで、本人そっくりの口調で会話をすることもできます。
事故で亡くなった叔父を「復活」させ、祖母と毎日、会話ができるようにした男性は「ニーズを満足させてくれるサービスだと思います」と話します。
張沢偉さん(33)は去年、生成AIで死者を復活させるビジネスを始め、これまでにおよそ1000人の「死者を復活」させてきました。
始めたきっかけは、友達から「お父さんを復活させてほしい」と依頼されたことでした。
張沢偉さん 「(AIで『復活』した父を見た)友達はとても感情的になり、涙を流しました。自分たちのやっていることは、人助けになるとわかったんです」
これは、張さん自身を再現した動画。およそ1週間で完成し、費用は4000元(約8万円)からです。事故で亡くなった子どもに、もう一度会いたい。古い写真からおじいさんを復活させてほしい。そんな願いが日々、張さんのもとには寄せられるといいます。
■コービー・ブライアントさんが流ちょうな「中国語」を・・・
一方で、こんな問題も…
「中国のファンのみなさん、こんにちは。コービー・ブライアントです」
2020年に事故で亡くなったアメリカのプロバスケットボール選手、コービー・ブライアントさん。なぜか流ちょうな中国語をしゃべっています。
このように、亡くなった有名人を生成AIで勝手に復活させてしまうケースも相次ぎ、「死者への冒とく」「肖像権の侵害」といった批判があがっているのです。
先ほどの張さんは、悪用されないよう本人や家族の同意をとっているとしたうえで、生成AIの可能性について次のように話します。
生成AIで死者を「復活」 張沢偉さん 「私は今、人々を救っていると感じます。人々に精神的な安らぎをもたらしているのです。私の夢は、普通の人がデジタルの力で『永遠に死なない』ことを実現することです」
急速に進むAI技術がもたらすのは心の救済か、それとも死者への冒とくか。重い問いを投げかけています。
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( 161262 ) 2024/04/19 02:27:42 0 00 ・家族の範囲とかでやるならば、遺族がそれで救われるなら、使いたい人は使えば良いと思います。
が、著名人などを使うのは、反対です。 かつてNHKが紅白でやった美空ひばりが一番有名な例だと思いますが、AIで「新曲」を出したり、本人が言ってもいない事を語らせるのは、使い方としていかがな物かと思います。 私は子供の頃からずっとZARDが好きなんですが、いつかZARDがその対象になってしまうのではないかと恐れています。
・大切な家族を亡くした方の心を少しでも癒すため(グリーフケア)としてならありなのかもしれません。 しかしながらこういう言葉はあまりに冷酷なことかもしれませんが、所詮は亡くなられた方の声を機械が模したものに過ぎません。 生前の本人が語った声、言動、言い回し、そして行動や信念などをAIに学ばせて再現させたところで、それが本人そのものであるとは言えないでしょう。
それよりもっと深刻にとらえないといけないのは、亡くなった人を遺族の承諾も得ずに勝手にAIに学習させて再現することです。 遺族が亡くなった事実、現実という心痛に耐えているのに、他人が勝手に亡くなった人の情報を元に生成AIで再現する行為は遺族への冒涜に当たると私は考えます。 遺族の気持ちを鑑みればこれは慎むべきですし、再現したものを利用してお金を稼ごうという行為は死者の冒涜であり人道に反することです。
・これは以前からビジネスになるとは思っていたことですが、さすがに受ける人には受けるでしょうが、相当批判されることも覚悟しないと商売として成立しないとも思えます。 たぶん日本でも、望む方なら相当いるでしょうし、何なら自分の好きな芸能人を自分の思うままの人物にAIなら、それも可能でしょう。 今は話し相手だけですが、世帯人数が1.99人ですか、それだけでも家で一人でいるのはかなり寂しいでしょうから、単身者向けAIもすぐに出てきますよ。 AIのビジネス世界は相当なものが待っています。 後は倫理観だけでしょうね。
・子どもが小さい時にある日突然亡くしてるから 利用したい人の気持ちがわかります。 突然起こって2度と会えなくなることを受け入れることはかんたんではないです。 自分が使うかはわからないけど大きくなったらどんな姿だったのかと節目に想像してもできない苦しさはずっと変わらないです。
・テレビで前にやってた「ライフキャスト」なるものが存在する架空の物語を思いだしました。 故人そっくりのロボットに故人の声や性格、クセなどのデータを入れ込んで、まるで生きているかのように家族と生活する話でしたが、いくらそっくりさんを作ったところで亡くなった家族が帰って来てる訳ではないし、そのまま一緒に生活する事で妙な錯覚を起こして、ずっと家族の死を受け入れられない、乗り越えられない状況になるのはどうなのかと思いました。 ニセの作り物に依存し続けるのは、いっときは幸せを感じるけど物凄く危険な思考を生まないかと心配になります。
本当の意味での死者復活はあり得ないからです。
・遺族の心が軽くなるなら良いけど、本当に軽くなるのかな? 死を受け入れられず依存するようになったり逆により喪失感を感じて心を病むなんて事もありそうだけど。 しばらく経たって利用者が増えないとわからないけど、今利用する人は危険性も有るということ理解しておいたほうが良いと思う。
・大好きだった飼い猫を突然死で亡くしてしまい、3年経った今も、なんとなく家のどこかにいる気がするし、考えない日はないです。夢にも出てきます。 遺灰をアクセサリーにするとか、フェルト人形でそっくりな子を作ってもらい飾るとか、自分の心を慰める手段をたくさん考えてきましたが、やはり一番は「悲しみからは立ち直りつつも、忘れないこと」楽しかった思い出に感謝して「いつか天国で会おうね。その時たくさんお土産話ができるように、一生懸命に生きてからそっちへ行くからね。それまでは私の心の中でたくさん励ましてね。」と生きる糧にすることと今は割り切っています。 もちろんペットと人間は違うというご意見もあるだろうし、天国という概念だって慰めの一つだろうというご意見もあると思います。 ただ、もう存在しないその子を再現し、何か意思を持たせるような事は、その子に申し訳ない気がして、私は嫌です。
・昔、AIという映画があったな。 それも、とある両親の亡くした息子がAIロボットとして再現されて云々という内容だったと思う。最後は悲しい結末だった。 パレルモのカタコンベの世界一美しいミイラ、ロザーリアも愛娘を亡くした両親のお慰みとして遺されたもの。驚く程の保存状態でまるで眠って着るような美少女の姿…しかし、何度会いに行っても目覚める事はない、成長することもない。両親の訪問も暫くして途絶えたそうだ。 亡くした悲しみは何れ時と共に癒され、偶像として遺されたものは結局、既にその人そのものではない故に飽きられる。若しくは偶像に執着して時間を無駄にする。 ハリーポッターの物語でも、亡くなった両親の幻影に現を抜かしていた主人公が大事なものを忘れそうになったというエピソードがなかったっけ?
・決して信心深い方ではないし死後の世界なんてものもないと思っていたが、こういった取り組みに言い表しがたい嫌悪感を抱いた自分に驚いた。 故人の偽物に縋り心の傷を一時和らげることが出来るかもしれないが、そのような偽物に頼らずきちんと傷つき悲しむことこそ故人の為にも自分自身の為にも必要なことなのだと思う。
・AIはコンピューターによって「創られた」ものでしかないように思う。それは使用するものにとって都合の良いものでしかなく、故人を偲ぶだけでなく貶める可能性だってある。この素晴らしくも未だ倫理を保ていない技術はまず早急にどうあるべきかを議論するのが先だと思う。
・ペットロス症候群対策でも既にこういう生成AI活用事業がありますが、グリーフケアにも当然効果は望めると思います。人にもよるでしょうが写真などを用いたワークが実際に臨床で利用されていますし同じことでしょう。
ただ、誤った応用の可能性もあります。フェイクニュースに繋がるような事態は防ぐ必要があるのは勿論のことですが、遺族の生成AIとの付き合い方によっては社会復帰がむしろ遠ざかることも否定できません。精神科医や臨床心理士や公認心理師士などの専門家の指導のもと行うようにすることになるでしょうね。
・人間に限らず、命あるものは必ず死を迎えることは受け入れるしかない現実です。 たとえ割り切れなかったとしても、死は時間をかけながら受け入れるしかないと思います。 紅白の美空ひばりをみても、全く嬉しいとは思いませんでした。 手塚治虫もブラックジャックも大好きでリアルタイムで読んでいましたが、AIが作ったブラックジャックなんて見たくもありません。 手塚治虫自身の作品でも、命は限りがあるもので、「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」と恩師に言われたはずです。 大切な人を失うことは悲しいことですが、失った命は受け入れるしかない、悪戯に死者を蘇らせることで死んでいないと思おうとするのは、やはり生命に対する冒とくだと思います。
・自分の両親、妻、子供がAIで復活しても違和感しかないと思いますが、受け取る側の思い入れが強ければ強いほどリアルに感じるかもしれません。例えば記憶の薄れた数十年前に亡くなった家族、私が小学生の頃に病死した幼い妹がAIで復活すれば涙が溢れそうな気もします。
・事故で命を奪われた遺族などはその死を乗り越えられない。果てのない悲しみに苛まれる。そうした人たちには、苦しみをいっとき和らげる麻酔のような効果を持つかもしれない。 一方で、寿命や年齢からくる避けられない死は、遺族が乗り越えていくべきこと。幸いにも生き抜くことができた人たちは、ゆっくり休ませてあげるべきだ。AIなんかに頼らなくても在りし日を思うことはできると思う。 やがて死ぬということは、生きるということと同じ意味だ。永遠の命も永遠の記憶もありはしない。人の欲や願望だけが確かに存在している
・手塚治虫の「鉄腕アトム」てのは、すごい作品で、 アトムを開発した天馬博士は、亡くなった息子の代わりとして アトムを創造した。 しかし、アトムがしょせんロボットだという現実に日に日に心をさいなまれ やがてアトムに憎しみを向け、追い出してしまう。
アトムは亡者の身代わりでなく、人々の安寧を守る使命を帯びてこそ、 ほんとうの幸せを見つけたのです。
日本人は、中国の古典「三国志」や「西遊記」から多くを学びました。 中国人も、日本の漫画が伝えようとしている意味を学んでほしいです。
・もはや声真似もできるし、会話できるAIも出てきている。 ということは、生前に会話したデータを蓄積することで、声真似や話し方の特徴、考え方の傾向などもデータとして保存しておいて、亡くなった後に遺族にAIとして提供するという新しいサービスもできると思う。 こうなってくると、もはやAIに命が宿っているようなものに思えてくるだろうね。
・犯罪にならないように、法整備も含めて考えた方がいいと思います。AIが主流の世の中になってきたら、自然とその手の犯罪が増えてきますので、早い段階での準備はしておいた方がいいのではないでしょうか。どんな形であれ、死者を復活させる事はとんでもない事であり、絶対に阻止して頂きたいです。思い出は人の心に残るものです。AIで復活させるものではありません。人としての尊厳を忘れてはならないです。ロボットに支配される世界にだけはして欲しくないです。そういう世の中であって欲しいと思います。
・大切な人は戻ってこない。AIの姿を見て思い出して、またつらい過去に戻ってしまう。苦しいことがあっても生きていけるのは、少しずつ忘れていくことができるからかと。忘れられないけど、少しずつ少しずつ未来が大きな穴を埋めていきます。AIに未来はなく、過去に帰っていきます。癒されるなら必要かもしれません。でも私は過去の苦しみは未来で埋めます。時間はかかるけど、亡くなった人を哀しませないために、心にあいた穴を未来で埋めます。
・ただいまと言って帰って来なかったみたいな突然のという場合、心の整理がつかないし、最後に今までの感謝の言葉をどうしても伝えたい…とかあるなら、これはいいかもしれませんね。 受け入れる為に。
でもどうなんだろ。 亡くなるまでに沢山コミュニケーション取れてて、受け入れが出来てる場合、この機能は必要ないかなと思います。
でも、そうだなぁ。 例えばお盆とか年末年始とか集まってご飯を食べてた習慣があったとか、法事の時とかはあってもよさそうな気もします。
・中々難しい問題ですね。亡くなった愛する存在の面影を、どんな物でも良いから求めてしまう気持ちはとても良くわかる。そしてAIが高度で緻密であればあるほど、そこには限りなく本人に近い面影が存在する。ある人にとっては救いになるかもしれない。でも自分だったら…と考えると、一時的には救われるかもしれないけど、やはりどこかで折り合いを付けないとAIに依存してしまいそうだし、依存すればするほど本当の本人との違いが鮮明に見えてきて、やっぱり本人とは違う!と八つ当たりしてしまったり、余計に傷付くようなことになってしまうような気もする…。
・先月末に母親を亡くしました。突然の他界です。 前日まで普通に会話しててそんな事になるなんて思いもしませんでした。 当日たまたま出掛けていた時に父親から電話で調子が悪い様だとの電話。 電話口から聞こえる母親のうめき声が今も耳に残っています。
聴けるのであればもう一度普段の母親の声を聴きたい。 それが造り物だとしても...今の精神状況の自分には薬になる気がします。
治療が必要なレベルであればあって良いサービスと考えますね。 いつまででも使っていては良くないとも思いますが。
・生成される本人の許可を得ていなければ、蘇らせることは止めなければならない。
本人の意図しない形で利用されることは、あってはならない。
尊厳を失う恐れが高く、何もルールの無い現状を変える必要がある。
生前に、 各個人が死後に自分のデータを利用されることに同意するかしないかを 確認することが必須であり、
臓器提供と同じような仕組みを取ることが相応しい。
・AIで作り上げた死者の声が「死の真相」「隠された遺産」「予言」「家族や誰かの秘密」なんかを話し始めたら面白いけどね きっとAIと分かっていても「根も葉もないこと」と片付けられない人が続出しちゃうと思う AI提供者はそんなことが起きないようにコントロールしてるんだろうか? わざとAIにそんな質問をする人も、絶対出てくると思うんだけどね そう考えると、結構リスクの高いAIの使い方だと思うよ、私は
・写真や動画で故人を懐かしむのと同様の事なんだろうと思う でも話かけてくるとなると逆にそAIが作り出した偽物の故人に情が移って死を受け入れる事出来ずに依存し続けてしまうのではないかと もっと進化すると故人の人格そのものをコピーしたAIを本物の故人だと錯覚してしまって本物との違和感を感じた時に裏切られたと思い、愛情が憎しみに変化してしまうかもしれません。
・心の整理ができない遺族にとっては少しでも救われることがあるかもしれないので、悪い方にいかないようにしっかりとルール化することが大事だと思う。 逆に依存したり、現実に戻れなくなるようなマイナス効果もあるだろうから、その辺りも整理が必要かと思う。
・現実には亡くなった人が復活することはない。動画に出てきたのは全て亡くなる以前の姿や声を再現したもの。思い出に保存しておいた動画や音声の記録にプラスアルファで簡単な受け答えができるようにしたものに過ぎない。
例えば、亡くなった子供が成長して仕事に就いたり、結婚して家族が増えたりすることはない。例え本人のDNAからクローンを作ったとしてもそれは一卵性双子のきょうだいのようなもので、いくらそっくりでも復活した本人ではない。
そんな風に考えてしまう自分には向かないサービスかな。ただ、いつか自分が死んであの世に行ったら向こうで家族に会ってみたいとは思うけど。それも「あの世なんて存在しない」と考える人には意味のないことなんだろうな。
人はそれぞれ…
・本当に救われてるのかな。安らげてるのかな。デジタルの中で永遠に生きていくのは残された者にとって幸せなのか。 どんなに大切でも時が経てば、決して忘れることなどなく、忘れることなどないのだから思い出すこともないのだけれど、記憶は薄らぎ和らいでいくもの。それは生きる者にとって必要なこと。 昔物忘れが出てきて認知症と診断されたばかりの方が、「最近大切なことも忘れがちになるの。だけど忘れていくことも必要なのよ」と言っていたのを思い出す。
・クローンで作ったペットのようなもので、いくら学習するとはいえ本人が言わないような発言をする事も有ると思います。 そうなると見た目が本人そのものなのに中身が違う事で、余計に喪失感を感じるようになるかも知れません。 何より残された遺族がいつまでも前に進めません。 人の命には期限があるからこそ尊いのであって、AIとのやり取りは中身の無いロボットと対峙しているのと同じです。
・故人の復活ですか、 私は死後自らの写真、映像が面白おかしく使われようとかまわないと思ってしまうたちなのでよいですが、あまり流行って類似技術のプラットフォームが必要以上に充実してくる(だれでも作れるようになる)と犯罪示唆にも繋がりかねないですよね。。 素敵なサービスですが、顧客の倫理観に大きく依存するように思います。
悪用されないためにもサービス提供者は顧客と故人との関係性を示してもらう、等対策を打つ必要がありそうですね。
・私も著名人で使うのは反対です。でも身内は賛成です。言って欲しい事をプログラミングして、それで一時的でも満足感を得られるなら、こういうビジネスはアリだと思います。あくまでも一時的な心の安らぎとして利用するなら、私は素晴らしいビジネスだと思います。
・写真ではなくて、動いている姿に会いたい気持ちは分からないではない。母親を亡くして、些細な動画に写っている姿を、何回も見返した。生きていた時の声が聞けて思い出が残ってて良かったと思えた。 写真だけでは、得られない姿がある。
でも、思い出と重ならない動画は、きっと嘘の母の姿にしか見えないと思う。そんな姿で話す姿を無理やり作ったら母親に申し訳ない。自分を慰めるために、母親を道具にしている気がする。
実在しない人間を作って話をする分には楽しいのかもしれない。 でも、本当に生きていた肉親は、唯一無二の存在で、その尊厳も唯一無二のものだと思うから、 私は、大切な人だからこそ、偽物を作ることはしたくないなと思う。
・気持ちはわかる。 痛いほどわかる。 でも、どんなに似てても自分には違うかな。そこにいるのは相手じゃなくてあいてのふりして話す機械。 学習した以上のことはないんだからいつかきっとまた苦しくなる。 そのときに自分の手や意志でその子ともう一度別れるなんて辛すぎる。 2回も失わなきゃいけないなんて。。 いつか本当に機械に自我と呼べるほどのものができて成長するようになったとしても、それはその機械の自我を他人で強制してることになるしどちらにせよ自分では選べない選択肢だなぁ。 でもやっぱりもう一度相手の声で「おかえり」とか「ただいま」くらいは聞きたいなぁ・・・記憶も薄れちゃうし。 考えただけでも頭の中ぐっちゃぐちゃになっちゃうなこのビジネス。。
・亡くなった本人の意思や思考が伴わないAIの生成物に何を見出すのか。 言えなかった別れの言葉や共に過ごすはずだった日常を再現するといった利用方法は、どれだけ生成物の精度が上がろうとも、結局本人では無いのだから虚しいだけだし冒涜的。負の感情を和らげるために使うのは、AIに依存するだけ。 その一方でその人の死から十分に立ち直った上で、AI生成物をある種エンタメ的に、たらればの姿として見るような利用方法なら可能性はあると思う。
・賛否両論あることだと思いますが、私個人としては、故人をAIで復活させることには賛同しません。 私も父を亡くしましたが、父をAIで復活させたとして、それは「父」ではなく「キャラクター」。 父では無い。 生きていれば、どういう形であれ、必ず別れはくる訳で、それは受け入れなければならない避けられない人生の試練ですから。
・天馬博士は亡くなった息子を模してアトムを作り、結局は作り物の紛い物だと遠ざけたことと重なるな。妻を亡くした身からすれば、それを受け止めるプロセスを通ることができずに心が停滞してしまったり、罪悪感とか虚しさで心が潰れてしまいそうな気がする。 十何回忌とかの遠い昔の出来事なら、当時を知る人といっしょに楽しむことはできるかもね
・1995年のドラマ「BLACK OUT」でありましたね。好きなアイドルや亡くなった人を3Dホログラムで投影しPCが自動的に合成した言葉を音声で出してユーザーと会話が出来る、というシステム。 親や子どもを失って立ち直れない人々にウケて大ヒットするんだけど利用者が次々と死亡。何らかの犯罪が疑われたけど実際は解っていたはずの虚しさに耐え切れなくなりユーザーが自殺へ至ってしまうという結末。 開発した天才エンジニア自身が亡き父親の3D映像に「お父さん、いつも僕を叱ってくれたじゃないか! 優しくしないで、昔みたいに厳しく叱ってくれよ!!」と叫んだ挙句に死を選ぶシーンが印象的でした。
そんなことにならなきゃいいけどな・・
・本文を読む限りでは問題ないと感じました。やはり著名人を出すのは良くないですね。
個人的な意見ですが、死者は死者であり、心の中ではずっとそのままの記憶で生き続けていると思います。実際に映像化して「会えた」としても少し気持ちが安らぐ程度で本当の意味での復活にはならないと思います。
・喪の仕事、喪の作業というものを聞いたことがあります。 人に限らず、突然喪失した対象に対して、人が心を整理していく過程や作業のことのようです。 この作業は、喪失したという事実や現実を受け入れて、生きてゆくために自分1人でしっかりと向き合い乗り越えてゆくための、必要不可欠な仕事なのだと思います。
この大事な仕事、作業の過程に、このサービスが本当に救いになるとは私には思えないです。 本人がこの喪の仕事、喪の作業をしっかりとやり終え、その上での再会なら良いとは思いますが…。
・私は父を亡くしていますが、父に会いたいけれどAIは所詮AIでしかないので虚しさしか無いです。逆に悲しいというか、もう居ないということをかえって突きつけられる気がします。 が、これは私の感覚で、これに救われる人もいるのかもしれない。 けど結局これは『ビジネス』ということを忘れてはいけないと思いました。 悲しみが癒されるまでが長引いてしまったり、下手したら癒されずずっと辛いままの時間が続いてしまう気もしました。
・まともな倫理観持ってれば、これが以下に恐ろしいサービスか分かる。 大切な人を喪う悲しみ、それと向き合う覚悟、乗り越える強さであったり 、故人を偲ぶ気持ち、誰かを失って悲しむ人を労わる心、そういう、人間の情緒の最も大切な、命を慈しむ精神の成長を妨げ、本物そっくりの偽物で過去に縛り付ける行為だと思う。 人生っていうのは、楽しい、うれしい出来事ばかりではなくて、辛いこと悲しいことを乗り越え、険しい道のりでも前進して行くから、取り留めもない日々に幸せ見つけることができる。 このサービスはそういった険しい道のりを乗り越える手助けじゃなくて、迂回する逃げ道を与えてるだけだと思う。 有名人どうこうというより、これは人間に必要のない、長い目で見て害になるサービスだと思います。
・人間は頼り頼られないと生きられない動物です。 ドラマ、映画等でも感情移入してしまうのでビジネスとして十分成り立つでしょう。AIと危機危機感を煽っても近い将来浸透され世間が納得出来れば馴染んで問題提起もされなくなります。 しかし、人智を超えたスピードで進化する事は恐ろしいですよ。
・救われる人がいるならやればいいし、ニーズがある限りサービスなり開発は止まらないだろうな。そして人間とは何か?に立ち返ることになるだろうね。人間なんて虫や機械と比べてやや複雑なだけで、それらと同じく無意識で動いているものだし、故に魂なんて無いし、そもそもひとは他人の表層しか見ていないのだから、生成AIで人が喜ぶ程度に人間性を再現できる可能性は非常に高い。今は学習データの取り方などで再現性は低いだろうけど、近い将来は可能だろうな。図らずも人間の本質を突きつけられてしまうことになる。それでも人間として生きる喜びとは何か、を内省するよい機会になると思う。
・ありとあらゆる生き物には必ず死が訪れるし、だからこそ限りある生を精一杯生きるのが基本だと思います。 それをベースにして考える事で人間の尊厳、Social including という概念が生まれてくるのです。 遺族の方の気持ちを和らげる等の個人的限定的活用は良いと思いますけど、この技術を悪用してバーチャルリアリティを拡げるのは決して良いことではないと思います。 悪用される可能性があまりにも大き過ぎます。
・個人的な活用であくまでもAIでの複製と割りきれる遺族の方なら良いのかもしれないが、AIの容姿やリアルタイムの情報知識など成長を伴う過程でその故人のAIに依存してしまうような方や生きてる「人」よりAI像を優先してしまうような方等、色々問題は出てくるような気はします。
・亡くなった身内をAIで復活させるというのはアトムの頃からあった考えですが、これが救いになるのかは疑問です。 以前にもオダギリジョーさんが主演した映画で美空ひばりさんが母親役として音声と映像を再現されましたが、かつての大歌手が復活してくれたのは嬉しかったけど、その内亡くなってもAIで復活できるからと命の尊厳が失われるような不安を覚えます。
・十年以上前?に日本でもあった気がする AIではなかったがモニターの遺影が本人の声で合成されしゃべるもの 決まった文言のみだけでもこの世のどこにもいない人がしゃべるのはツラすぎます
それがAIとなればさらにツラさは増します AIでそれらしくしても決して亡くなった人にはなれない
AIは思い出を一緒に過ごしてきた期間を共有していない 四六時中いたとしても触れることもできないし、一緒に食事もできない、くだらないことも言い合えない、そして喧嘩もできないし謝ることもできない
命は一つしかないから尊いし大事にしなくてはいけない いなくなることを受け入れるのはツラいのはよくわかるし、癒えることは決してないが人によって長さは違うけれど時間が心の傷を和らげてくれるし、その方法でしか人は立ち直れないと思う
・これ難しい問題だと思います。宗教とは現世の人間が永劫的な世界観を構築して現実のあとは幸福な来世に繋げると祈ることと思いますし、生きるものは故人を偲ぶのは現世に存在するものの心の糧になるかもしれない。だが生きる人もいつかは存在すら失くなってしまう。宗教観とは結局は命の尊さをあらわすものと思います。宗教をこの世からなくせばこのようなビジネスが存在できると思います。信仰深い幸せな宗教観を古来から育み続けた国家は事実、幸福、人の尊厳、人の命の価値、道徳などにもともと長けているのでAIなど頼らずともその人の心に、それも、百人百様のかたちで幸せな想い出として印刷記憶されているんじゃないですか?このようなビジネスが横行する国家は非常に心が満たされない国民の不幸な国と思います。
・これを「心の救済」としてなんとか生きている人もいると思うので、判断がつきませんが…という前提のもとに…(著名人以外は…) 私だったら、と考えたら、亡くなったおばあちゃんと話したいなと思いましたが、もう話せない、もう伝えたいことも伝えられないのが、死なんだと思います。 もう一つ思ったのは、別れた恋人のこと。20年経って、大人になって、幸せな今も、ふと思い出す一瞬はあります。タイムスリップしてやり直したいと思うこともありますが、もう彼は思い出です。 でももしその人のAIと話せる世界だったら、当時の私はAIの彼で満たされて、前に進めなくなっていたと思うし、今の本物の幸せな未来も得られなかったと思います。 死や離別など、大切な人との「別れ」は、受け入れられなくても、忘れられなくても、自分にはどうしようもないことで、AIでどうかしようもしてはいけない、どうしようもないことであるべきだと感じました。
・身内を不慮の事故や病死などで亡くせば会いたい気持ちは当然出てくるからAIに頼る気持ちは痛いほど解る。日本で言えば恐山のイタコが死者を呼んで会話する風習がデジタルになったようなもの。 遺族が許可していない故人を勝手に生成しビジネスにするのは冒涜だけれど、許可して依頼してるのであれば癒やしとしてアリなんじゃないかな。 ただ、動画を数分・数時間限りで消去するとかしないと依存度が高まって、観る側の精神に異常を起こす恐れもある。そういう問題対策を視野に入れた対応ができるならば良いと思う。
・ある日、突然大切な人を亡くしました。 8年ほど経ってやっと少しずつ受け入れられてきましたが、喪失感はいつまでも経っても消えません。 AIで復活しても多分それは似て非なる“物”だと思います。 今の自分にできることと言えば、少しでも残された人生で徳を積み、天国に行けたときに再会できると信じることくらいです。
・以前、北米の若者たちでAIパートナーを創るのが流行しているとの記事を読み「なるほどな」と興味を感じました。 自分には伴侶がいますので孤独という侘しさからは開放されましたが、 いくら円満夫婦であれ夫婦喧嘩もするし時には口も聴かない事だってあるものです。 それが恋人同志でもつまらない事で感情を剥き出しにしたり口論したり宥めたり謝って許しを得たり…とお互い人間ですから上手く行かない事も少なくないとは思います。 例えば仕事が忙しい最中でも気遣いの為に電話を入れるとかラインでメッセージを送るとか、 無理して夕食を共にするとか… 反面、落ち込んでいたり寂しい思いをしているのに会えないとか… ☆これを自分の都合に合わせて会いたい時にはあって面倒くさいときには合わない、 悩んでいたり悲しんでいたりするけど、 自身の都合の良いように解釈してくれて頷いてくれる…こんな自身に取って都合の良い相手がいたら楽になる
・私は賛成しないが、身内や親族など親しい中で行われ、親や家族が望むなら、例えば、亡くなる前の写真や手紙が出てきた時の、故人が会いに来てくれた感が得られるかもしれないし、親や家族にとっては嬉しいかもしれない。ただ、善意の気持ちで行うならお金は取らない。お金が絡む時点で、どう言おうが商売になる。利益のため、家族でも身内でもない他人が行うのは、どうよ。AIは本物ではない。騙しや詐欺に繋がりもする。作られた偽物であり、故人が喜ぶとは言えない。そう思う。
・こういうのは本当に当事者になってみないと理解が追い付かない部分が有るかも知れませんね。 生成AIによって御遺族さん達の何かが救われるならソレも手段としては有りなのかも知れませんが、正直、外野から見てると「いつまでも粘着してないでそろそろスッキリと成仏させてやれよ…。」って思ってしまいます。
以前にテレビ番組で美空ひばりさんをAIで再現して新曲歌わせてましたけど、参加していた来賓の皆さん、それを見て物凄い微妙な表情していたのを鮮烈に記憶してますもん。 気持ちは解らんでもないのですが、端から見ると恐ろしく「不自然」な行為に感じますね。
ワシはこの手の「常世」と「現世」の境界線をボヤけされる行為にはあんまり感心はしないのが本音です。 その内に心が引っ張れて現実が判らなくなって来て「向こうの世界」に連れて行かれてしまいそうですもん…。
・これ…亡くなった人よりも恋人に別れを告げられて病んだ人が元恋人のAIを作りそうで怖い。
今も生きている人をコピーして改変して自分の都合の良いようにする…恐ろしい。
でもドラえもんでしずかちゃんがそれに近いことをされているんですよね。 しずかちゃんの等身大プラモデルで本人さながら動いてスネ夫達から仲間はずれにされた心を癒すというものでした。
・少し前に出川さんが亡きお母さんに謝りたいだか言い残したことがあったかなんかの動画がSNSかYouTubeのオススメで出てきたのを見たことがある。 感動して泣いてたし言い残したことを伝えられた気分になってすっきりしたと言うようなかんじだったけど、なんだかな…と冷めた感情を持ったのが正直なところ。 結局AIだと割り切れてそれでも会いたいなら問題ないけど、テレビのネタにするとか感動や御涙頂戴の様な番組で使うのはどうかと思いますね。 あくまでも個人でやるなら良いのかな…と思う。
・誰かのために例えば親族や友達などを「復活」させるビジネスは問題ないと思いますが、著名人を銭儲けのために親族友達ではない誰かが主体となって勝手に復活させるのは間違いなく冒涜ですよね。ずいぶん前ですがナタリーコールが当時の最新テクノロジーを駆使して故ナットキングコールとデュエットしたアルバムをリリースしましたが、こういった人々に感動を与えるような「復活」なら歓迎です。
・仮想現実の世界… 映画とかドラマなりの作られた世界… これを心の隙間のある方は現実と思いながら、日々拠り所として暮らしていく。 否定もしない。肯定もしない。 それが正しいことなのか、危ういことなのか、 それはその本人が生きていく上で幸せと感じ、最後自分の人生を終えた時に改めて幸せだったと感じられるか、だと思う。 ただ犯罪などに繋がらなければ良いな、と個人的に思う。
・正直死者に対する冒涜でしかない。 どういう亡くなり方をしたかは人によって様々ではあるからそれに対してはなんとも言えないが、それでも亡くなった者を再現して喋らせるというのは亡くなった人の人権を蔑ろにしているのと同じではないだろうか?
心の救済とあるが、結局それって自己満足でしかないのではないかと思う。 AIという本人でもないものがそれっぽく言葉を喋らせたところで本人ではない。亡くなった人を静かに眠らせてあげる心をどうか持って頂きたい。
・日本人には目に見えない部分を想像したり、思いを馳せたりしてそこに価値を見出したり感動したり、時には美意識を持たせたりと想像性を持てる能力があります。 日本人はAIなんかが介在しなくても、故人に対して想いを馳せて折り合いを付けられると思うんですよね。
・遺族が亡くなった方の顔をしたAIと話すことで亡くなった人と話したい、というニーズが満たされるのはいいと思うが、AIによって画面に出された故人はその人自身ではなく、虚像のようなもの。遺族がそれと会話することに満足してしまうと、そのうちその人の死を忘れ、虚像を本人だと無意識に思い込み、墓参りなどもしなくなってしまいそうだ。亡くなった本人はやがて思い出されることもなくなり、記憶の中で生きることすら出来ずに、本当の意味で死んでしまうのではないか、と思う。
・美空ひばりさんをAIなどで復活させる企画を見た時は、技術の進歩に驚いたし、作業プロセスを見て、簡単には死者の復活にはならないなと思った。 親族が残っている写真や音源を提供していたのも、罪悪感を打ち消す要因になっていたと思う。
だけれど今は、少しの録音データから声だけでなく発声の癖まで理解して、意図した言葉を再生技術が存在する。 子供を失ったなど精神が壊れかけているような人には理想と現実の区別がつかなくなってしまうのではないだろうか?
辞めた方がいい。 法で規制した方が良い。 死者の尊厳にも関わる事。
・昨今、妻を亡くし、1人住まいになってしまいました。朝起きても誰も返事が返って来ず、食事も用意されておらず、仕事へ行って、また、帰って来ても、当然誰もおらず。半年一年と精神を病むくらい辛い日々を過ごして来ました。仕事や日常的な会話、愚痴や本音の話を聞いてくれる人もおりません。そんな時、生成AIが会話してくれたら、少し、心も軽くなるかもしれませんね。
・いいと思うけど、例えば5歳で亡くなった息子のAI人形も、息子の友人達が10歳になる頃には役に立たなくなるだろうし。15歳の姿を生成したらもはや現実味はないだろうし。結局、AI人形があってもなくても時間だけが癒やせる事でしょう。 ただ、個人利用ではなく、亡くなった政治家(例えばヒトラーとか。今でもネオナチがいると言うし)のAI人形が登場すると厄介だなと思うので、一定の規制は必要でしょうね。
・忘れるって事もとっても大事な能力。 故人を忘れるというはなしじゃなく、亡くした時の感情がゆっくり薄れて行って強い悲しみを伴わずに思い出せるようになっていく感じ。 AI以前に動画などでも、あまりにリアルな物があるといつまで経っても忘れられないというか、思い出も感情も手放したくなくて、辛くて悲しいままの状態が永遠に続いて辛いんじゃないかと思う事も。
ま、子供は亡くした事ないからわからんけど。
・悲しみや苦しみに付け込み、最終的に洗脳の手段として使用されそうだな。と言うのが最初に頭に浮かんだ所見です。救いの手を差し伸べる手口が宗教みたい。 虚構だと知っていても「もしかしたら本人の魂が」と縋ってしまう人もいるでしょうし、気持ちが落ち込んでいる人間へのビジネスとしては、少し恐ろしいものを感じます。
AIで学習させる故人の対応は、あくまで理想の故人像。切り分けられるでしょうか。
個人的には、お墓に話しかけて故人からの返答がないくらいが丁度よく心の安寧を保てる距離のような気がしますが、誰かにとっては希望の技術なんですかね……
・私は弟を病気で亡くしました。もちろん弟にまた会いたいです。 でも、このAIで会いたいとは思いません。AIの弟がどんなに親しい言葉、やさしい言葉を掛けてくれても、私はきっとそこに弟を感じないと思います。むしろ虚しさを覚えそうで嫌です。 私は天寿を全うして、いつか弟にまた会います。それを楽しみにしています。これはあくまで私の考えです。
・身内など亡くなることは悲しくてまた話したいといった気持ちはある。でもそれが出来ないからその人を思い出してみんなで思い出を話したりする。AIで会えても自分が違和感を覚えてしまうと逆に会いたくないとか思い出したくないとなってしまう。 個人的には現実を認識するために会えなくてもいいかなと思う。
・言葉には、その人の性格や考え方や生き方や教養等が反映される。 自分なら外見はロボットやぬいぐるみでも良いから、もう会えない大切な人の声(既に可能)で、その人の思考や性格や人生を反映して話すAIに惹かれる。 本人の姿してても、言ってることが本人らしくなければ虚しい。 写真を見ながら、心の中で自分の記憶の中の大切な人と話す方が良い。
・個々人の範囲に限定して、尚且つそれを欲した人のメンタルが健全に維持されるなら良いサービスだと思います。
故人は故人。もう現実には存在しないということを割り切れる人でないと、惑わせれて逆に心疾患につながる危険性もあるかもしれません。
・フレデリック・ポール著のゲイトウェイというSF小説を思い出す。作中では脳全体をスキャンしてコンピューターに取り込み、人格をエミュレートして故人を再現するヒア・アフターという技術がある設定だった。人権まで保障されているがサブスクリプション制なので、主人公のような超大金持ちしか維持できないというシビアさも。 主人公のバーチャル相談役はアインシュタインのありとあらゆる記録を取り込んで構成したアルバートという疑似人格だったが、このビジネスはアルバートタイプの原型といった感じかね。 しかし私はAIに戦国武将やギリシャローマ文明の著名人を演じさせるなら見てみたいが、家族親戚や親しい人はもちろん近代の人なら絶対に見たくないな。勝手な区分ではあるが。
・もし自分が亡くなった側だとしたらと考えたら想像がつくのではないかと思います。 私だったら家族との大切な思い出が書き換えられてしまうようで嫌です。 でも、家族が話しかけて、そのAIの私の画像が、にっこり微笑むそのぐらいなら、家族も安心させてあげられるし、笑顔はいつも届けたいのでそれならいいと思います。
・例えば人やペットを亡くしたことによって日常生活を送れなくなってしまったとか精神的な病にかかってしまいその治療の一環として期待ができる などといった話ならば賛成しますが諸外国や他宗教の習わしはわかりませんが日本(日本人の一般的な無宗派(仏教とされる人たち))でペットロスの話にはなりますが遺骨や灰をいつまでも手元に残しておいたりする話を聞きますがそういったことやAIでいつまでも残すというのはいかがなものかと考えてしまいます
・大事な人を亡くされた方の気持ちはさぞかしお辛いでしょうし最新の技術によって少しでも心が救われるならと思う反面、「普通の人がデジタルの世界で永遠に死なないようにするのが私の夢」という言葉には違和感を持ってしまうというか… 人はいつか必ず死に、だからこそ人の命は尊いものであると考える立場からするとこういうビジネスが広がり受け入れられた時に生身の人間の命を軽視するような弊害が起きてしまうのではないかいう懸念を感じます。
・気持ちはわかります。 私も子供が産まれてすぐに病気で他界した母に会いたいし、子供の成長を見せたい。 虹の橋に旅立った犬にももう一度会って思い切り撫でてあげたい。 でもこの事業は怖いです。 私は無神論者ですが、命はいつか尽きますし、やはり人間が踏み込んではいけない神の領域だと思います。 死を受け入れてこそ人なのではないでしょうか。。。
・遺族の癒しだけでとどまっていればいいけど、これからこの生成AIを利用して犯罪に使うといことが増えていくと思う。 もっともっと巧妙になって、本人かAIなのかも区別つかなくなるだろうし。今はまだ違和感あるけど、もう数年もすればこれらを使った犯罪が増えていきそうで怖い
・早速この問題が現実化しましたね。これについては生成AIの能力が上昇しはじめる少し前に考えていたのですが、ここまでクオリティが高いのであれば、単純な話にはならなさそうです。
私は大好きだった祖父や早くに亡くなった親友に対しては心のなかで幾度となく話しかけています。それがかなり高い品質の表情と声で、なんらかの応答をしてくれるわけですから、嬉しいような気もします。しかし画面からは出てきてはくれないし、どこまでいってもアバターです。現実にいた祖父や親友、心の中にいる祖父や親友とは違う、その中間的な存在になりえるとすれば、大きなビジネスになると思います。
次はアバターを使って喪失感と徐々に向き合えるようになるのか、一方で現実を受け止められずにサイバー空間を指向するようになるのか、ユーザーに対する中長期的な影響に興味が湧きました。
・AIだったか忘れたけど、知能+寿命があるロボットが出てくるプラスティックメモリーズっていうアニメがあった。 作中でも、亡くなった家族の代わりとか、子どもを授かることができなかった夫婦が養子の代わりにとかでロボットを家族として受け入れてた。
その時は実現しないモノとしてアニメを見てたけど、気づいたら近しいことが起こるものだな。
・身内を失った人にこう言った技術で心の穴を埋めるのは一見良いのかもしれません。でも、現実との区別がつかなくなると、もう手のつけようがない心の病気になるような気もします。一瞬その穴をAIで埋められるかもしれないけど、そこから覚めた時、また現実を見せられることでダブルの痛手を被るような感覚になりそうな気もします。
こういうことを利用した詐欺もありそうですよね…
・詐欺で使われたらすごく怖いですよね。 最も重要な個人情報が、顔や声、性格や話し方を生成AIで模倣できるということは、詐欺や窃盗で使われる可能性もあると思うととても怖いです。 振り込め詐欺とか 死亡届を出さないで、年金を受給し続けるとか、銀行や保険の手続きとか、携帯会社の契約とか、今まで電話確認で本人としていたり、カードの発行は写真(やリモート)で手軽にできる様になってきていますが、あらゆるところで「本人」として使えてしまうのではないでしょうか?
・AIやクローンの技術はやはり、扱う人間の倫理観に左右されるから恐ろしい。故人を偲ぶのは、心の中や写真までに留めないと、亡くなった方への依存が発生してしまう気がする。(愛する人の死から永遠に立ち直れない) さらに視点を変えれば、亡くなった人に留まらず、想いの届かない異性や、アイドルのAIを恋人としてしまう社会も無くはない話だと思い怖い。。
・遺族にとって最初は慰みになるかもしれませんが、次第にこの生成物は結局亡くなった大切な人本人ではなく、空虚な仮初めのものに過ぎないのだと気づいたときに、遺族はどう思うのでしょうか。 また仮にこの技術が普及するとしても、いずれ遺族が死んだ自分ではない生成物を相手にすることがわかっているような社会は、どのような社会になるんでしょうかね...。
・遺族の気持ちも分からないでもないが、魂への冒涜以外の何物でもない。 魂は唯一無二、コピーできるものではない。 唯一無二の魂を差し置いてまがい物の姿に感情を注ぐ事は、本物の魂を悲しませる行為。「私はそこにはいない、ココにいるよ」きっとそう思っているに違いない。 こんな形で死者を見せ続けると、やがてそのAIに人権を持たせる動きも出てくるだろう。プログラムが破損してAI死者が表示されなくなったら二度死なせたとして騒ぎにもなるだろう。 AIでの復活は冗談でもやってはいけない。
・直感では、AIを真っ向から否定しようと思いましたが、亡くなった親友の姿で、AIが親友だけがそう呼んでいた私のあだ名を呼んだなら、泣いて崩れ落ちると思う。 ただ、その涙は、慰めから来るものではなくて、懐かしさと、もう呼ばれることがない寂しさで、悲しみが再燃したものだと思う。
・遺族や亡くなる前の本人に同意を取っているのであれば何の問題も無いと思います。
故人の象徴や記録が、かつては遺骨とお墓だったところに、技術の発達により写真が加わり、さらに動画も残せるようになりました。
生成AIの映像はその延長に過ぎず、遺族が望むのであれば、利用すればよいのであって、他人がとやかく言う筋合いは無いと思います。
・“それ”をどう捉えるか? 人工的に生成され中身が伴っていない模倣に過ぎないと考えるか、またはそんな機会に巡り会えた意味のある出会いと考えるか、その人次第ではあるかもしれない。 だが、出来ると分かっていても敢えて手を出さない事もあるという状態を良しとしてきた自分的に、両手を上げて賛同しかねるし寧ろ眉を顰めてしまう事を禁じ得ない。 そんな倫理観は自己満足だと言われてしまえばその通りだが、他方、そんな虚構に心の救いを求める事もまた自己満足の域を出ないとも言える。 新しい技術は新たな葛藤も生むものだな、と。
・こればかりは当事者と業者が納得しているのなら第三者は口を挟めないかな。ビジネスとして確立して詐欺などがないのなら。 例えばこの国でも、美空ひばりさんをAIで復活させるなどNHKが行った事があり、あれは息子が望んだ(ビジネス可は別として)。 そして当事者は納得していた。その一部を我々は支払っている料金で視聴した。それはありなのか?なしなのか?と問われた時に文句を言う必要はなかったと思う。 例えば長く連れ添った妻を急になくし痴呆が急激に悪化しそうな時にこれは支えになりうるかもしれない…深く考えると今だけを見て「NO」とばかりは言えない。技術の進歩に心も進歩させなければならない。ブラッシュアップは常に必要。何でも新しいことには批判がつきものさ。EVだって然り。日本は特に保守的だからガラパゴス化する。島国だからね。
・これは確かに賛否両論あると思うけど、セラピーとかには使えそう。あと余命分かってる人が死後のためにデータ残しとくとか、いい活用方法を見つけて、それ以外に悪用できないようにするなら全然ありだと思う。ただし、使われたくない人の意思も尊重すべき。臓器提供みたいに生きてるうちに意思表示しとけるものが出てきたらいいだろうけど現実的ではないよな。
・当然起こりうること。スピルバーグが2001年映画A.I.を発表した。この記事を読んでカタログを読み直している。言えることは技術の進歩と豊かな時代。それにより人の欲望や願望が限りなく実現できる世界となった。良いとか悪いとかで判断できない。自己規制かもしれない。ブレインストーム(映画)のように他人の感覚・快感を自分で体感できる時代になると表現した映画もある。脳へダイレクトに刺激や指示を与えれば済む時代が来る?。その時社会は誰かに管理されているのが映画が作り出す社会。管理された未来かもしれないが、ブレードランナーだけは広告があり自由主義な未来像だった。
・ドラえもんのひみつ道具で誰とでも架空のテレビ電話ができるというような道具があったのを思い出しました。実在の人でも過去の偉人でも会話ができる道具で、私だったら亡くなった身内と会話をしたくなってしまうかも...なんて想像をしました。まさにそんなひみつ道具のようなものが既に存在するんですね。
・別に亡くなった方を懐かしむ意味で生成AIを使う分には問題無い気はしますが、どう考えてもその先に待っているのは依存かなと。
故人では無く、生きている方で置き換えれば問題なのはわかるでしょうに。
精神や記憶障害などの医療プログラムの一括とかなら許容されるべきですが、それ以外は慎重さが求められるかな。
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