( 161511 )  2024/04/20 00:12:48  
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サカナクションの山口一郎がうつ病を公表し、その経緯や闘病の日々、周囲の支えについて語った。

2年前に不調を感じ、メンタルクリニックでうつ病と診断された山口は、薬の服用をためらいながらも体調の回復を見せた。

しかし、病状は波があり、マネージャーによる支えや友人、ファンのサポートが彼を支えた。

山口は、自身の経験を通じて、同じような悩みを持つ人たちがいることを実感し、うつ病への理解を広めたいと語った。

(要約)

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(撮影:後藤武浩) 

 

今年1月、サカナクションのボーカル・山口一郎は、千秋楽を迎えたソロライブツアーのステージ上で自身がうつ病だと公表した。不調に気付いたのは2年ほど前。朝から晩までベッドから出られず、ライブも中止し、不安と焦りでいっぱいになった。以来、一進一退を繰り返す体調と向き合う日々を過ごし、「ようやくここまで回復した」と取材に応えた。闘病の経過、周囲の支え、病と生きる現在を語る。(取材・文:内田正樹/撮影:後藤武浩/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 

 

(撮影:後藤武浩) 

 

「最初は3カ月ぐらいですぐによくなると勝手に考えていた。でも3カ月が6カ月と延びて、1年を過ぎたあたりで、『これは一生付き合っていくのかもしれない』と思いました」 

 

山口一郎(43)が自身の不調に気付いたのは2022年5月。サカナクション15周年の配信ライブを終えた頃だった。 

 

「コロナ禍以降もアクセル全開でがんばっていて、その頃の僕はラジオのレギュラーを3本、テレビのレギュラーを2本持って、レコーディングもライブもやっていたんですが、15周年のライブが終わった後、どっと疲れてしまった。すごく体がだるかったけれど、その時はまだ『更年期障害かな?』という程度にしか思っていなかった」 

 

「僕の所属事務所にはカウンセラーの方がいたので話してみたら『ちゃんと診察を受けたほうがいい』と言われ、メンタルクリニックに行きました」 

 

当初、メンタルクリニックへの通院にはためらいがあったという。 

 

「抵抗感がありましたが、いざ行ってみると『普通の病院のように、身体的な症状を説明してほしい』と。それでバーッと話したら、『それ、しっかりとしたうつ病ですよ』と言われて『え、僕が!?』と驚いてしまって」 

 

(撮影:後藤武浩) 

 

山口は以前から数々の身体的不調に悩まされてきた。 

 

「突発性難聴、群発性頭痛、頸椎ヘルニア、帯状疱疹……内科も整形外科もペインクリニックも行って、痔で肛門科も通って。そこにうつ病でしょ? 我ながらミュージシャンっぽいなあって」 

 

通院を始めたものの、当初は処方された薬を服用していなかったという。なぜか? 

 

「本当に僕の知識が浅かったんだけど、薬の働きのせいで無自覚なまま変なものを作っちゃうんじゃないか、とか、何も作れなくなったらどうしようと想像したら怖くなってしまって、内緒で飲まずにいた。そうしたら一気に体調が悪くなっちゃって。食欲もなく、朝から晩までベッドから出られない。這い上がっても、30秒ぐらいでまたベッドに倒れ込んでしまう。でも何か食べなきゃ死んじゃうし、僕は独身で一人暮らしなので、必死にスマホを持ってUber Eatsを頼んでみる。だけど玄関先まで取りにいくことすらままならなくて、出前がどんどん玄関に溜まってしまった」 

 

「これはもう本当に死んじゃうんじゃないかとか、元に戻れなかったらどうしようと考えてしまい、精神的に追い込まれた。いよいよまずいと感じて、処方された薬を飲み始めたんです。すると朝は動けないものの、昼や夕方は動けるようになった。ちょっとずつ活力が出て、前向きになっていきました。そうして1年が過ぎた頃、出版した書籍のサイン会とクラブイベントをやってみたんです」 

 

 

(撮影:後藤武浩) 

 

しかしその後、体調は後退してしまう。 

 

「また一気にガクンと落ちちゃって、そこから3カ月ぐらい、何もできない状態になってしまった。うつ病って揺り戻しがすごいんですよ。何をしたら自分がどうなるのか、失敗しては理解しての繰り返しがここ2年ぐらいの生活でした」 

 

現在もマネージャー同行のもと、2週間に1回のペースで通院を続け、症状に合わせた数種類の薬を服用している。 

 

「自分に合わない薬を飲むと余計に何もできなくなるし、反対に、必要以上にテンションが上がっちゃう時もあった。合う薬を探していた時期が一番しんどかったですね」 

 

(撮影:後藤武浩) 

 

医師からうつ病と告げられた時、まず山口が返した言葉は「絶対に休めないんですよ」だった。 

 

「先生は僕の職業をまだ知らなかったんですが、ツアーを目前に控えていたので、『先生、何言っちゃってんだろう?』という感じで。でも、『休んでください。診断書も出しますから。今休まないと大変なことになりますよ』と」 

 

半信半疑だった気持ちは、正式な診断書を目にしてショックへと変わった。 

 

「それまで僕はうつ病の人に『心が弱くて苦しんでいる人』というイメージを抱いていたので、自分がそんなふうに思われたら、もうミュージシャンとして終わってしまうんじゃないかとか、自分の音楽の聴かれ方が変わっちゃうんじゃないかといった不安が頭をよぎりました」 

 

当初、山口はツアーを延期の方向でスタッフと調整するつもりだった。しかし、所属事務所の社長が待ったをかけた。 

 

「僕は『1日リハーサルさえすればライブはできる。だから絶対にやる』と言ったんですけど、社長は『無理をしても同じことを繰り返す。命令だと思って休んでくれ』と」 

 

(撮影:後藤武浩) 

 

22年7月、山口の活動休止が発表され、9月にツアーは全て中止となった。 

 

「今思えばありがたかったですね。ミュージシャンの場合、事務所の受け入れ方によって、病気との闘い方はかなり変わると思います」 

 

しかし、胸中は不安でいっぱいだった。 

 

「バンドをやって17年、先のスケジュールがないということがなかった。何かに追われているのが当たり前だったから、『もうこれで終わっちゃうのかな』みたいな焦りがありました。めちゃくちゃ怖かったですね」 

 

「僕らの仕事って、無意識に誰かと自分を比べている。新しいミュージシャンが出てきたとか、どんなものが売れているかとか。常にリサーチをして、自分の立ち位置がどこなのかを俯瞰で確認することが大事なブランディングになる。何もしなくなると追い越されていくような気がするし、音楽を聴かないと、なぜその音楽がウケているのかも分からなくなってくるんですよ」 

 

 

(撮影:後藤武浩) 

 

そして、収入もほとんど途絶えた。 

 

「ミュージシャンってライブと作品の収入しかないから、本当に後から収入がビタッと止まった。確定申告の時、『あれ?』みたいな。結構びっくりしました」 

 

「正直、こんな思いが一生続くのならば、『死んだほうが楽だな』と思ってしまう人がいることも理解できました。しんどかったけど、行動を起こすようなところまではいかなかった。想像はしましたけど。あと、飛行機の予約を取りかけたこともありました。もう全部捨てて、音信不通になって、故郷の北海道に逃げちゃおうかなって」 

 

(撮影:後藤武浩) 

 

日々の病状は尾根のように上がったり下がったりを繰り返した。 

 

「まず、それまで好きだったことができなくなった。音楽も聴かず、本も読めない。釣りにもファッションにも興味がわかなくなって、買い物もしなくなった。人ともほとんど連絡を取らなくなった」 

 

それでも唯一、興味を失わなかったものがある。 

 

「ずっと好きな中日ドラゴンズだけは、なぜか残った。ドラゴンズの全試合の情報を深夜にYouTube配信している人がいて、そのコンテンツにも救われました」 

 

体を動かせるようになってから最初にやってみたのが、部屋の模様替え。「どこまで一人でできるか試そうと思って。それが自分の中では復活の第一歩でした」(撮影:後藤武浩) 

 

支えになってくれた友人もいた。 

 

「高校時代の友人がちょうど上京して近所に引っ越してきた。その頃、僕はスイカと枝豆しか食べられなかったんですが、彼が枝豆をゆがいてくれたり鍋を作ってくれたりして、ずっと一緒にいてくれた。僕は無茶苦茶なことを言ったりもしていたらしいんだけど、そういうのも黙って聞いてくれて」 

 

もう一人、支えになってくれた人がいる。 

 

「(極楽とんぼの)加藤浩次さんは、僕の体調が一番悪かった時、『おう、思ったより元気そうじゃん? 全然大丈夫じゃん』と言って、いつもと同じように接してくれました。あの言葉には救われましたね。後から聞いたら、本当は『もう駄目だこいつ。休んだほうがいいわ』と思っていたらしい(笑)。でも、あそこで『お前、駄目だわ』と言われていたら、たぶん、僕は本当に駄目になっていたと思う」 

 

 

現在は戻りつつあるが、治療の影響で一時は体重が約15キロ増加。運動不足解消のため、縄跳びを取り入れた(撮影:後藤武浩) 

 

両親の反応も山口を安心させた。 

 

「僕は知らなかったんですが、父もパニック障害を経験したそうで、『しょうがないよ。休め休め』と言ってくれて、かなり楽になりました。母は実家の猫の動画や写真をただ送り続けてくれて(笑)。もし両親から余計に心配されていたら、もっと悩んでいたかもしれない。独身で誰の人生も背負っていないことも、ラッキーだったと思います」 

 

体調のよい日が続くようになると、「人と関わらなければ」と思った。 

 

「病気を隠しながらの露出は結構難しい。だから、まずは『心の病気』と発表しようと思い、自分のYouTubeチャンネルをひそかに作って、気付いてくれた一部の人たちとコミュニケーションを交わし始めました。優しいファンが多くて、みんなが自分を忘れていなかったことがうれしかった」 

 

全国10都市を巡るソロライブツアー「懐かしい月は新しい月 "蜃気楼"」を開催した(撮影:後藤武浩) 

 

これがきっかけとなり、サカナクションに戻るためのリハビリとして、昨年10月からソロライブツアーを開催。今年1月に行われた千秋楽のライブの終盤、うつ病を公表してこみ上げる涙をこらえる山口の姿があった。アーティストが自身のうつ病を、しかもステージで打ち明けるケースはめずらしい。観客は固唾をのんで聴き入り、「おかえり」と声援を送った。 

 

「あのツアーを回れたのは自信になりました。実はツアー初日、すごく体調が悪くて、ぎりぎりまで中止にするかどうかを考えていたんです。でも、ステージに上がった瞬間、不思議とスイッチがバチンと入った。『ああ、やっぱり自分はミュージシャンなんだな』と感じました」 

 

(撮影:後藤武浩) 

 

闘病を通して気付いたのは、自分と同じような悩みを持つ人たちが大勢いるという事実だった。 

 

「YouTubeチャンネルを通して、『実は私も同じ症状が』という人や、『がんで明日手術です』『先天性の疾患があって』という声がたくさん寄せられた。『苦しい時、サカナクションの音楽で助けられた』と打ち明けてくれた人もいます」 

 

うつ病のつらさは体験した人じゃないと分からないと山口は言う。 

 

「『倦怠感』って言葉、よくないですよ。『なまける』なんてもんじゃないから。体験していない人が想像するより、200倍くらいつらいと思う。僕の場合は『ドラゴンボール』に出てくる『精神と時の部屋』じゃないけど、ひどい時は本当に重力が何倍にも感じる。躁の時間が長い人や、端から見たら元気で、サボってるように見える人もいる。人によって症状が違うので、まずはカウンセリングや治療を受けることが大事だと思います」 

 

「いきなり数千や数万人の前でステージに立って、収入が何百倍になったりすれば、どこかおかしくなるミュージシャンも少なくない。それを食い止めるためのケアが日本は遅れている気がする。相談できる組織を音楽業界の中で作りたい。今後動いていきたいです」 

 

 

 
 

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