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少子化の解決策は難しいが、そもそもなぜ人々は21世紀に一段と結婚しなくなったのか

東洋経済オンライン 4/20(土) 6:32 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/74c90892a49520509fda61e9b42f2246a645aa0f

 

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人々が結婚しなくなる理由について、現代の経済状況が大きな影響を与えているとの指摘がある。

近代資本主義により、社会の流動化が進み、経済や社会の変化が結婚や家族形成に影響を与えているという。

かつては結婚が社会的な義務や必需品であったが、現代では選択肢として考えられており、結婚自体が「ぜいたく品」として位置づけられるようになった。

第2次産業革命によって生まれた余剰時間や暇が、資本主義経済に新たな消費市場を拓き、日常の「ぜいたく品」が経済成長の一要因となっている。

結婚や家庭形成の意義や必要性が変わりつつある中で、結婚する理由や選択肢について再考する必要がある。

(要約)

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なぜ人々は結婚しなくなってしまったのだろうか。まず「なぜ結婚するのか」から考えてみよう(写真:Getty Images) 

 

 少子化は現代において自然な結果である。同時に、未婚化、独身率が上がっていることも当然の現代的現象であり、この主因は近代資本主義にある。 

 

前者の少子化については、この連載の「『少子化は最悪だ』という日本人は間違っている」で議論したので、今回は後者の話をしよう。 

 

■少子化の解決策が難しいワケ 

 

 近代においては、賃金労働化・都市化が進み、共同体が崩れ、核家族化・個人化が進んだ結果、社会が流動化した。商品化・市場化・資本の動員化という経済的流動化と、社会的流動化とが相互のさらなる流動化を促進した。 

 

 日本でも「イエ」制度が崩れた。しかし、流動化は中途半端だった(逆に言えば、社会の重要な部分の完全な流動化を免れた)。 

 

 そのため、戦後、アメリカに迫られた結果として(あるいはアメリカ的なカルチャー、社会の世界的流行により)さらなる流動化が生じ、戦後、社会の流動化が部分部分で異なったスピードで進んだため、さまざまな移行過程の歪みが社会の至る所で生じている。 

 

 その1つが、男女の社会における役割分担のあり方であり、移行過程の現象として、少子化、晩婚化、未婚化、離婚率の上昇が起きている。 

 

 したがって、少子化対策を局所的な反応として行っても無効であり、対策を取るなら、社会全体に働きかける必要がある。しかし、それでも社会の変化の大きな流れにはあらがえないから、効果は小さいだろう。 

 

 解決策は、この社会の構造変化の移行過程の終了を待つしかない。そのとき、現在の欧米と同じような状況になる可能性があるだろう。 

 

 ただし、それが良い社会であるかどうかは別問題である。良い社会にするためには、政策として改善を積み重ね、試行錯誤を行い、現在の社会のメンバーである、われわれが将来のために努力することが必要である。 

 

 このような構造はいわばマクロ構造であるが、それと同時に、ミクロ構造的な面においても、資本主義の発展が(終盤に向かうことにより)、人々に「結婚」という「財」を避けるように仕向けているのだ。この経済的現象としてのミクロ構造が今回の主題だ。 

 

■そもそも人々はなぜ結婚をするのか 

 

 世間では、未婚化の理由として、貧困や経済的不安定性を挙げている。政策マーケットとしては、そのために、所得をどう支えるか、給付金を配るか、という議論ばかりしている。 

 

 

 これも前出の記事に書いたとおり、まったく間違っているのだが、そもそも「なぜ結婚しないのか」ではなく、「なぜ結婚をするのか」を考えるべきだ。 

 

 そのほうが生産的な議論であるのは、前提が大きく変わったからだ。昭和の(というよりも19世紀の価値観の)社会では結婚することが大前提であったが、21世紀では結婚しないことがデフォルトなのだ。「なぜ結婚する必要があるのか」という問題をクリアしなければ、結婚までたどり着かないのである。結婚しない理由ではなく、結婚する必要がある理由を探す必要がある。 

 

 では、そもそも、人々はなぜ結婚するのか。 

 

 現在においては、いわゆるおめでた婚がいちばんの理由だ。21世紀初頭に、政府の家計調査のデータを見ていたときに驚いたのは、10代および24歳までの世帯主の家計が既婚である場合は99%子供がいたという事実を発見したときだ。子供ができたならば結婚はしたほうがいいと考えた人が多かったであろう。 

 

 これに次ぐ第2の理由は、子供が欲しいから結婚するというものである。第1と第2は順番の違いだけであり、本質は同じだ。そして、その本質は、1つは「子供」というものだが、もう1つは結婚が「必需品」であるということである。 

 

 結論を先取りすれば、21世紀に人々が結婚しなくなった理由の2つのうちの1つは、「結婚」という「財」が「必需品」から「ぜいたく品」に変わったからである。 

 

 19世紀的な価値観の社会においては、結婚は必須だった。社会から、世間から、家から、強制された。しかし、今や義務ではない。 

 

 社会的な義務でない場合、結婚する理由はかつては経済的理由だった。女性は現金を稼ぐ機会が限られていたから、稼ぎのある(または資産のある)男性と結婚する必要があった。 

 

 男性は世間から結婚しないと一人前でないと見られていたから、社会的に成功するためには、結婚する必要があった。だから、結婚が義務ではなくなった昭和においても「必需品」であった。 

 

 しかし、それは平成では崩れ、結婚は「選択肢」となった。するかしないか、選べるようになったのである。「なくても生きていける、でも、あったらもっと幸せかもしれない」。人々は、幸せを増やすために結婚するかどうか考えるようになったのである。それまでは生きるための必需品だったから、これは大きな変化だった。これにより婚姻率は低下を始めた。 

 

 

 しかし、離婚率の上昇のほうが顕著だった。それまでは義務あるいは必需品だったものがそうでなくなったので、彼ら(彼女ら)は「結婚していない状態」を選択したのである。 

 

 しかし、21世紀に入って婚姻率の低下は加速した。その理由は何か。 

 

 結婚は「必需品」から「ぜいたく品」に変わった。しかし、「ぜいたく品」にも2種類のぜいたく品がある。それは、「ハレ」の日のぜいたく品と、「ケ」におけるぜいたく品である。結婚式はハレの日である。しかし、結婚生活は日常だ。 

 

■現代における日常の「ぜいたく品」とは何か 

 

 現代における日常の「ぜいたく品」とは何か。これが現代資本主義の本質である。すなわち、現代資本主義における経済成長とは、日常におけるぜいたく品の膨張過程であるからである。 

 

 資本主義が1492年のクリストファー・コロンブスのアメリカ大陸到達に象徴されるように、社会経済の流動化により始まった。その後、略奪などによる資本蓄積、それらの争奪戦という戦争を経過する中で、第1次産業革命が起き、商品市場化が進むが、経済成長は目立っては起きず、それは内燃機関と電気による第2次産業革命まで待たなければならなかった。 

 

 そして、第3次産業革命といわれる現代のコンピューター、IT、AI革命は、第2次産業革命ほどの生産性の向上をもたらしていない。生活の変化も19世紀後半から20世紀前半(アメリカにおいて。欧州は少し遅れ、日本はさらにその後)ほどではなかった。 

 

 これが、アメリカの経済学者、ロバード・ゴードンの設定した、最も重要な経済成長における謎(“The Rise and Fall of American Growth”, 2016)である。これは、ローレンス・サマーズ元財務長官らとの世界金融危機(リーマンショック)後の長期停滞論の論争としてもクローズアップされた。 

 

■第2次産業革命が決定的に重要な役割を果たした 

 

 サマーズ氏らは長期的に需要が不足していると主張し、大恐慌後の財政出動のような公共事業を主張した。一方、ゴードン氏は供給側の要因を挙げ、生産性の上昇率が低下している、第2次産業革命のインパクトに比してIT革命は広がりが小さく、供給側の要因で成長力自体が落ちており、19世紀後半から20世紀前半の奇跡の世紀は一度限りのものだと主張している。 

 

 ゴードン氏によれば、第2次産業革命の影響の広がりは、経済における生産性上昇・生活の改善において、歴史上、唯一無二のものだとし、これが奇跡の成長をもたらしたとしている。 

 

 

 私の考えは、第2次産業革命が決定的に重要だという点では一致しているが、その理由は異なる。 

 

 第2次産業革命により、家庭に電気が届いた。家電が生まれた。そして、「三種の神器」と言われる洗濯機、掃除機、冷蔵庫が登場し、水道、電気、ガスが家庭にネットワークとして届き、家事労働は一変した。 

 

 それまでは、家事労働ですべての時間を使っていた主婦が、それらから解放され、自由になったのである。そして、彼女たちは外に出て、賃金労働を行うことができたのである。 

 

 これは彼女たちにとって幸せであったかどうかは議論があるが、経済にとっては市場における労働力が倍増したのである。ここに生産力が高まり、経済は大きく成長・拡大したのである。この労働力の増加というのは、ゴードンが言っていることである。 

 

 しかし、もっと重要なことがある。それは「暇」が生まれたことである。これが資本主義経済を徹底的に変えたのである。家事労働から解放されて、賃金労働をするようになったが、残りの時間は「余暇」となった。 

 

■レジャー消費で儲けることが資本主義の中心に 

 

 ここにレジャーが生まれた。このレジャー消費で儲けることが資本主義経済の中心となったのである。主役は供給側の生産者、技術革新により何が生み出せるかではなく、暇を持て余した消費者が何で暇つぶしをするのかということに移ったのである。ここに消費者主導の経済が始まったのである。 

 

 これは、現代では、部分的にはよく知られている戦いである。従来ならばテレビを見る時間をネットサーフ、動画、SNSが奪い、テレビ産業が衰退しているという話が典型である。 

 

 しかし、これは20世紀の大量消費社会を貫く、最も重要な論点なのである。買い物は、必需品を買いに行くという家事としての「仕事」から、欲しいものを買うという行為であるショッピングという「レジャー」になった。だから、必要性ではなく、華やかさや魅力が消費財における最重要要素になったのである。 

 

 そして、この余剰消費は儲かる。なぜなら、予算制約もあいまいで、欲しい理由もあいまいで、実用性もあいまいだから、うまくやれば、コストをかけずに爆発的に売れるのである。大衆・群集社会においては、ブームを作れば一攫千金となり、合理的な生産者は必需品の市場からこちらのマーケットへ殺到した。 

 

 

( 161722 )  2024/04/20 15:43:47  
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・結婚や子育てに対する考え方が大きく変化しており、自己実現や自立が重視される現代社会において、結婚や子供を持つ必要性が低下しているという意見が多くみられました。

昭和時代と比べて男女での職業選択の自由が増えたことや、社会的な自立が容易になったことが少子化の一因になっているとの指摘がなされています。

また、結婚や子育てにおいて本当に幸せを見つけられるか、負担や不安が多い現代社会において、自己実現や自由を求める声も多く聞かれました。

さらには、給与や教育などを通じた社会構造の変化が、結婚や子育てをより難しくしているという意見もあります。

一方で、結婚や子供を持つことの意義や必要性を再考すべきだという声もありました。

 

 

(まとめ)

( 161724 )  2024/04/20 15:43:47  
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・結婚が男女ともに人生で「必ず通る道」という認識が薄くなったことが大きな原因ではないかと思います。昭和・平成においては男性は結婚することが一人前の証というような風潮がありましたが、今では男女ともに職業選択の自由度が増し、社会的に自立している成人が多くなりました。結果として、所帯を持つ意義は「子供が欲しいかどうか」に焦点があてられるようになり、自立している男女は、子供に魅力を感じない場合、生活が安定してしまうことで配偶者を求める必要がなくなる。また、自立できていない男女はそもそも自立している男女から子供が欲しい場合でも選択肢として除外され、自立していない男女は所帯を持つ経済力がない。 

上記はあくまで一例ですが、男女で職業選択の自由の水準に差が少なくなったこともまた、少子化に一役買っているというわけですね。 

 

 

・東アジアでは家意識と損得感情で結婚や子育てをしてきたように思う。 

 

家意識が失われて損得勘定だけになると子育ては割に合わない。親が大金を投じて子育てしても子供の収入は子供と社会のものであり親に還元されるものではない。さらに子供がいることを理由に社会保障から遠ざけられる場合さえある。 

 

家から切り離された労働者は親子4人の標準家庭あるいは自分個人の生活費を渡されて働き、親の老後は親自身と社会保障で対応する仕組みになった。 

従って、賃金労働をするものに親の扶養をさせるのは現実的に難しいのである。 

 

イスラエルのように宗教的思想のもとで子供を産み増やすべしとする国では出生率は高い。だからといって思想教育に頼るわけにもいかず難しい問題である。 

 

損得勘定に訴えて、子供の納める税や社会保険料の一部を直接親に還元する仕組みなども考えて良いかもしれない。 

 

 

・結婚や子供を自分事と思えないんですよね。自分には縁遠い別世界のことのように感じてしまいます。なかば強制されていた結婚がそうではなくなり、女性も働いて自立できる社会になったのは個人の自由を尊重するという意味でポジティブに捉えたいですが、故に結婚しなくなったというのは事実でしょう。 

 

仮に結婚したとしても子供は躊躇います。こんな自分のDNAを受け継ぎ混沌とする世の中を生き抜かねばならないという業を背負わすことになるからです。自分1人でも精一杯の中、経済事情の悪化、日本の衰退、戦争の気配と、子供を守り育て上げる自信は全くありません。 

 

 

・明治生まれの祖父母はそれぞれの親同士が決めた結婚であり結納の日にお互い初めて顔を見たというくらいだったそうだ。この時代の人たちにとってはわりと当たり前のことで皆そういうものだと思っていたのだろう。でも祖父母はほとんどケンカをすることもなく2人でよく旅行も行っていたし、亡くなるまでずっと仲は良かったと思う。 

その一方で、私の友人は大恋愛の末に結婚したが数年で離婚してしまった。結婚前は見ているこちらが恥ずかしくなるくらいベタベタと仲睦まじかったのに、結婚生活の中でいったい何があったのかお互いに口もきかない関係になってしまったようだ。 

夫婦の相性なんてわからないものだよね。 

 

 

・自然界の中では男女、雄雌から子が生まれて子孫繁栄していくものだったが、まぁ、お互いよく吟味して相手を見極めるわけだと思うが、それはより良い相手を選びだがるでしょう。女性が社会進出して活躍していくのは良い事だが、それは経済力に男女差別なくなってきてる現代にはより厳しいと思う。男性は選ぶ方から選ばれる方になってるね。 

 

 

・江戸時代、店員は奉公だった。店の二階に寝て、手代に出世してもまだ結婚は禁止、もう一つ上になったら借家を借りて結婚して通い勤務になった。 

「三丁目の夕日」の時代も、店員の多くは、店の中や寮に寝泊まりした。 

東京の働き手は地方からはるばる来ていた人のほうが多かった。通える範囲に実家がある人は今ほど多くなかった。「親御さんからお預かりする」という考え方。 

 

そのころ結婚することは、親や経営者から独立して自由を手に入れることでもあった。 

 

 

・まぁ、詳細に調べたり研究をしたわけでもない・・・と言った上での話になりますが。 

後進国ほど子供がたくさんいるし、先進国ほど子供は少ない・・・というのが、大まかな話ではないでしょうか? 

それが自然的なのか、政策的なのか、という違うは多少なりともあるかと思います。 

中国は後進国から先進国の仲間入りを果たす過程で、人口が爆発的に増えましたが、一人っ子政策を経て、先進国の仲間になり、人口の減少転じるという所ですかね。 

日本は戦後の復興で、爆発的に人口が増えましたが、その後、先進国の仲間入りを果たし、現在、人口の減少に転じています。 

しかし、逆にアフリカなどを見れば、現段階でも子だくさんなわけです。 

経済的に貧しい段階では、教育もままならず、仕事にあり付けても給料が少ないので、子供たくさん作って、ひと世帯当たりの収入を数でカバーしようとします。 

 

続く・・・・・・・・ 

 

 

・ナニをウダウダと理屈こねて長文を書いているのか? 

クダラナイ記事だと判断したので、途中からは読んでないけども… 

結婚するとかしないとか、子供を造るとか造らないとか、そんなの個人的なことですよ! 

要は結婚したいのか、子供欲しいのかという個人的好みの違いだよ! 

余りにも難しく捉えると、判断誤るよ! 

 

 

・半世紀以上前の日本は今と人口の構成が全く違っていた。多くは農民で残りは工場の労働者でホワイトカラーは少なかった。肉体労働が主だったからで疲れて帰ってくれば後は寝るだけだった。子供が増えるわけだ。子供の多くはぼろを着て鼻を垂らしていた。今はそういう子供を見ることは無い。中学を卒業すれば集団就職で都会に出た。親は子供心配する必要が無かった。今は皆が周囲を気にしながら暮らしている。こんな生活で子孫を残せるのは限られた者だけだ。少子化は自然のことだ。 

 

 

・少子化において、価値観の変化や教育と医療の発展は見逃せません。子供が子供として認められたのはごくごく最近のことで、それまでは貴重な労働力としか思われませんでした。テクノロジー等の発展により、個人主義も加速しました。 

医療の発展により、乳幼児死亡率は大きく下がりました。多産多死を前提とした社会は、長生きが確定的な子供をどう育てるかが重要になりましたし、女性は産み急ぐ必要が無くなり、自分がどう生きるかを求められるようになりました。 

労働集約型の社会が徐々に陰りを見せると、教育によるスキルや学歴はその重みを増しました。先進国ではホワイトカラーになるために、大学卒業を目指すのがごく普通になっています。 

 

 

 

・社会が子供を持ちにくくする方向へと変化し続けているからだと思います。その変化とは、高学歴化(子育てに多額の費用が掛かる)、男女の雇用機会均等化(男性に依存せずに女性が生活できるようになる)、価値観の多様化(必ずしも大人になれば全員が子供を欲する分けではない)、グローバル化(良質な雇用が海外に流出している)などです。これらの変化はテクノロジー(特に半導体とそれ上で動作するソフトウェア)の発展と密接に関係していると私は見ています。このテクノロジーの変化はこれからも続きます。したがって、直ぐに未婚率を下げるのはなかなか難しいと思います。それよりも、人口減少と前提とする政策(限界集落からの集団移住、高齢者の雇用確保、コンパクトシティなど)をとることも必要ではないでしょうか? 

 

 

・家族全員分の有償労働または無償労働を一人に集中させる家族観では、 

家族全員を養える稼得力または家族全員分の家事育児介護を引き受ける時間と余力の無い人にはハードルが高い。 

 

誰か一人に負担を集中させれば他の家族は楽ですが、当事者は世帯の人数が増えると負荷が大きいので少子化、単身世帯化に向かいやすい。 

 

 

・みなさんの分析は正しいと思います。 

 一つだけ、地球の全人口が増えていることにも注目したいと思います。全地球規模でこの地球が養えるエネルギー量で生き延びることのできる人間の数も変わってくると言うことだけは忘れないで欲しいと思います。 

 経済も社会体制も余計な争いも地球エネルギーの観点で見ていって欲しいと願うばかりです。 

 

 

・人口を伸ばすために必要なのは大量の人型ロボットと余暇の拡大およびベーシックインカムであることは明らかです。これにより文明をワンランク上の状態に早く移行しなければなりません。 

最低限の必要な生活必需品は無償で人々に提供されるようにする必要があり、支払いは政府や自治体がします。物品を製造したり農家の生産や漁業なども無人化していく必要があります。 

多くの時間を得た人類は、生産的でクリエイティブなことに取り組む自由と余裕を得ます。無限のメタバース空間を建設したり冒険したりもできるようになります。 

リモートワークでオフグリッドな生活環境を享受し、皆が好きな場所で好きな事をして暮らします。精子バンクを使い選択的シングルマザーを選ぶ人たちも増えて沢山の子供たちは社会から手厚い支援を受け、皆の子供として育つようになります。子供は親の持ち物ではなく公共的な存在だから、親の意思を離れ自分の好きに生きるのです。 

 

 

・結婚はある程度人生を歩いて行くためのパートナーがいたほうが精神的に楽な場合もある。でも結婚したら子供と言うのもちょっと抵抗がある。生物として自然だからと言うのが正論みたいだけど、動物は子供産んでもお金かからないけど人間はそうはいかない。子供の世話が母親に偏るのも少子化が進む要因だし、海外では子供を預けて夫婦で出かけたり、子供から離れる事も出来る。今の日本ではまだまだそういう意識が低い、それが子供を産みたくない、結婚したくないに繋がってるんだと思う。こんなことぐらいと思ってる事が意外に要因になってることが多い。 

 

 

・解決策の一つとして、進学を抑えて、若年層の労働力を増やすこと。日本は肩書だけの学歴社会であるため、目標も特にないのに、とりあえず大学に行っておこうかという若ものが多すぎる。大学は目標があって学力がある物が行けばいい。中卒、高卒で早くから経済的な独立ができれば、早くから結婚もしやすい。奨学金の返済に追われることもない。子供が早くに親離れしてくれれば、親の可処分所得が増え消費に回る。中高校は専門科を沢山つくり、子供の興味のニーズに答えればいい。日本の学力低下は心配なく、就業さながら勉強できる制度を設ける。むしろ、その方が学力が身につくと思う。若い人間が働いてくれるんだから、年金問題の解消にもなる。 

まずはくだらない学力社会の解消。学歴は給与査定に入れてはいけないと定めればいい。初任給は高卒も大卒も同じ。給与は会社への貢献度で決まるべき。4年働いた高卒より、大卒の初任給が多いのはおかしい。 

 

 

・結婚というものを事消費の対象として考えるとそういうことになるし、資本主義の最終局面はエンタメ消費社会だと思う。結婚しないこと、家庭を作らないことには確かに経済的側面もあるが、このエンタメ消費社会による意識の変化も大きい。 

同性婚が市民権を得たりや恋愛の在り方が変化するのは個々人の陶酔感、言い換えればエクスタシーを何に求めるかになる。これが情報社会で一気に多様化し結婚や恋愛が完全に相対化されてしまった。 

そしてエンタメを商品化することにより、価格や内容で幅広く品揃えされ文句を言わなければ簡単に手に入るし、もっとクオリティを望むのならおカネで解決するということになる。 

 

 

・「結婚する必要が無い」のが事実でしょう。 

 

過去は、女性の就業率は低かった。 

今は自ら働いて稼ぐことに対する弊害や制約が著しく低下した。 

安定した収入があれば、結婚して男性に養ってもらう必要はありません。 

 

過去は、自炊する事、掃除洗濯は作業としての負荷が大きかった。 

外食・中食の発達、冷凍食品や総菜が手軽に入手出来る、独り暮らしの食生活が大きく改善され、「食事を作る妻」は不要となった。 

掃除も洗濯も家電製品の進化で楽になったし、「家政婦としての妻」も不要となった。 

 

結婚しなくなったのでは無く、結婚する必要が無くなったと考えるべきですね。だから未婚率はどんどん上がります。 

大事な事は、政府やメディアが騒ぐだけで、誰も困っていない事です。 

 

 

・少子化の根本原因はわりと簡単に言い切ることが出来る。 

それは責任の重さ。 

 

責任の重さとは責任を果たすために必要なリソースでありコストである。 

また要求される責任を果たせない場合のリスクもとても大きく、それをまとめて責任と考える。 

 

責任を果たすことは当たり前であり、果たせないならすべきでないとされるもの。しかし今や多くの人が果たせないことから少子化が進んでいる。 

責任とは必ずしも一人の人間が負うべきものではない。 

しかし現実では自己責任であり、それは母親の責任か良くて夫婦の責任となる。 

本来はそれを踏まえて自由であるが、それでは国も文明も維持できないことがようやく理解されてきた、しかし依然として自己責任を押し付けられる親にその責任を果たす自信も実際の能力もないのが現状である。 

 

問題解決の方法はあるが、やってますアピールと小銭で解決しようと考えるのは小賢しい。 

 

 

・この記事の通り、未婚化になった理由の1番は、「必需品ではなくなった」が間違いないと考えます。 

 

コンビニも深夜営業するスーパーも、さらに子どもを十分に受け入れられる保育所もなかった戦後、都市化した街に若者が流入する。家父長指名による皆婚システムの名残りもあり、会社も結婚をお膳立てした。社会インフラの未整備で都市生活に専業主婦を必要とし、標準家庭が出来上がった。 

 

現代は、良い意味で結婚は必要不可欠ではなく、何人も結婚に縛られなくて良くなった。 

 

ただ、困ったことにここでも前世代の価値観、つまり養える男性、養ってもらう女性という昭和標準家庭の価値観が結婚選択の強い評価軸として残ってしまう。若年層の男女賃金格差が是正される中で、その評価基準による結婚はさらに贅沢品化してしまう。 

 

この状況で婚姻率を上げるのは難題。ただ、昭和標準家庭の呪縛から、人々を解き放つ一手が情勢を左右すると見ています。 

 

 

 

・説得力ありますね。 

 

この分析を前提とすれば、政府の少子化対策は『百害あって一利なし』となりますね。 

若い女性が歌舞伎町で身を売る背景には、貧困や親の暴力、教育放棄などがある。 

 

10代や20代全般の救いがたい犯罪も多くみられ、彼らはほぼ共通して家庭問題を抱えている。 

親が親としての責任を果たせない時代に、ばら撒き優先の少子化対策は不幸な子供を増やすだけに終わらないかが心配だ。 

 

補助金目当てで子供を増やそうとする親を量産して、この国が本当に幸せな国になるのだろうか? 

幸せな子供達を増やすことにつながるのだろうか? 

 

安易なばら撒き子育て支援は、多くの不幸を作り出すことになりはしないか? 

 

 

・結婚したくない、子供もいらないという女性に子供を産んでもらうのは難しいから諦めた方がいい。 

でも1人くらいは子供ほしいという女性になら、補助金を出して2人、3人と産んでもらえるかも。 

たとえば1人は0円でも2人目は200万円、3人目は300万円と産めば産むほどお金が増えるとかね。 

家族以外での子育ての支援も必要。 

子供がたくさんいれば、仕事との両立は難しい。 

 

ブライダル補助金とかアホな政策を掲げていた議員がいたけど、そんなの若いカップルに金をとられるだけで、そんなので子供が増えるわけないでしょ。 

 

 

・ある程度の歳になれば結婚しなければいけないという社会規範が意識無意識問わずあった。それがいまは「自由」になって相対的に薄れた。もちろん、金銭事情や、LGBTQがより表になったなど様々要因があると思うが、自由主義国家で政治的社会的に正しいとされている方向に向かえば、そりゃあ自由が達成されつつあるのだから必然的な結果だと思うけど。 

一方で、国家の存続には良くも悪くも子供が必要。これは現実。であれば、より自由になった社会で子どもを持ちやすくなるよう、結婚にとらわれない家族形態が合理的だと思うんだが、保守派を筆頭に日本的家族価値観とか夫婦別姓反対とか若い人からすればわけわかんないこと言ってるから結局なにも変わらない。 

 

 

・日本では百年前までは親が子の結婚を世話したりするのが当たり前で、1965年くらいから見合い結婚と恋愛結婚の方が比率が逆転しました。 

 当時は見合い結婚が当たり前だったので、無愛想だったり言葉足らずだったりとコミュニケーションに難がある人でも生涯独身ということは少なかったんじゃないかと思います。 

 現代はコミュニケーション能力の高い人にとっては自由な恋愛を満喫できる美しい時代ですが、そうでない人にとっては結婚が難しい時代なのかと思います。 

 あと100年もすればコミュニケーション能力の高い人達の子孫だけで社会が構成されるので、婚姻率が高まるかもしれません。 

 

 

・結婚してこどもが生まれて幸せになる人もいれば 

結婚する前より不幸になる人もいる。 

 

やってみないと分からないから 

結婚、出産に進む人もいれば 

自分には合わないかも未知の世界だし今も充分幸せだからいいやと思う人。 

 

結婚したいけど相手に巡り合わない人。 

子どもが欲しいけどなかなか授からない人。 

結婚も子どもも手に入れたのに仕事家事子育てワンオペで疲れきって後悔してる人 などなど。 

 

思う事は千差万別みんなそれぞれですし、 

何を以て 

幸せ、不幸せは個人の感じ方によることが 

より一層分かった気がします。 

 

 

・女の子は子どもの頃からディズニープリンセスだの夢だの華やかな結婚式の舞台だので目眩ましさせられてるけど実際の所は結婚後は無料の女、無料の飯炊き、無料の子守として名字も奪われ不自由な生活を送らざるを得ない現実がある。 

うちは違いますけど、という人も夫の程度の些細な差の問題で、うまく手玉に取られて誤魔化されているだけでしかない。 

結婚は人生の墓場であるというのは夢を持つ人にとっては真実だろう。 

 

 

・少子化は給与が上がらないからが原因にしているがこれから例え景気が良くなり給与が上がってもそんなに増えることは無いかと。 

結婚と子供の必要性が無くなってしまったんだよ。昔は男性は家事ができない、女性は生活するだけの金がないから結婚は必要で農家、畜産、八百屋などの後継ぎの為に子供は必要だった。現在は料理作れなくたって店の弁当でどうにかなるし一人で暮らすぐらいの金はある。 

それと結婚には相手の良いところを条件にするようになったからね。昔なら親や上司が勝手に相手を見つけて気に入らなくても強制的に結婚させてしまったし 

 

 

・奨学金問題大きいと思います。 

だから高卒就職ももっと一般的で人権のあるものにするのが大事。 

高等教育は必需品ではなく、学力の高い人、奨学金を借りなくても進学てきる人に絞るべき。 

つまり実家の太さもなければ学力もない人は就職する、がスタンダードにならないと。 

一方その分、学力さえあれば学費はいまの半分以下になるべきと思います。 

 

 

・私は21世紀に結婚したけど自分は昭和の価値観を持ってた。 

結婚した方の意見から言うと、周りも結婚して子持ちでみんなと一緒で安心感はある。 

子供は可愛いし家族の中も悪くないけど 

 

共働きで自分の時間が持てない 

子供と家事と仕事で1日のほとんどが終わってしまい、自分の好きなことをできるのは1日1時間あればラッキー。 

それでもママがリラックスして遊んでるとなんか後ろめたい。周りの目が気になる。 

そんなことするなら家の掃除完璧にしろよとか、子供になにかしろよみたいな後ろめたい気持ちもある。 

子供が大きくなったら時間は出来るが今度は学費が大変なことになる。 

可愛かった子供も反抗期で相手にしてくれなくなるかもしれない。 

 

ないものねだりなんだとは思うけど、結婚してなかったら自分のために時間もお金もかけれるし、寂しくて結婚したからって孤独感を感じることも多い。 

 

しなくても別によかったのかなとも思う。 

 

 

・貧乏人の子沢山といわれるように、娯楽が少なければ(娯楽に消費する余裕がなければ)結婚も子作りも自然に行なわれやすいものです。人々の生活が豊かになり、また個々の生き方が尊重されるようになり(それら自体は良いことなのですが)頑張って社会に溶け込まなくても自分の一人の生き方を貫いてもけっこう楽しくやっていけるようになりました。だから先進国は軒並み出生率が低くなります。でもそのうち人口減に悩まされ、徐々に衰退していきまた貧しい社会になるでしょうから、周期が回るのを待つしかないでしょうね。豊かなままで人口増加は自然の摂理に反していますよ。 

 

 

 

・成人への通過儀礼としての成人式があるが、これは単なるセレモニーである。長らく、日本人にとっての本当の成人への通過儀礼は結婚式であった。 

 

結婚して家を構え、家族を養ってこそ、住んでいる地域と仕事をしている職場で居場所を確保でき、その場における発言権を確保できた。 

 

銀行を含む金融機関からの信用を得ることができ、借入をして家を新築したり、商売を始めたり出来るようになった。 

 

結婚して、家族を養うことこそ、一人前の成人であると見なされる時代が長く続いた。 

 

それが昭和の終わりから平成にかけて、結婚しなくて、独身であっても、一人前と見なされ、職場でも居場所を確保でき、また、住宅ローンを始め借り入れが出来るようになってしまった。 

 

独身でも一人前の成人とみなされ、生きてゆくことが出来るようになってしまった。かつては本当の成人への通過儀礼であった結婚式はその必要性が無くなってしまったのである。 

 

 

・結局何が言いたいのかよくわからないのである。社会の現象を少子化に結びつけて論じているけれども経済発展が少子化の要因であると言いたいようである。少子化の問題も長いものに巻かれているようである。このような論評は少子化の問題解決にはならないと言える。社会の変化を少子化に結びつけたにほかならないのであるし問題の本質ではない。 

 

 

・今の子育て支援は所得の少ない人から所得の多い人への所得の再分配をやっている 

所得の少ない人はますます結婚できなくなって、ますます未婚化が進むわけで、実質的に少子化促進策になっている 

さらに、年金や社会保険料がどんどん今の現役世代は上がっており、実質的な賃金は年々減っている 

必要なのは、子育て支援ではなく若年層の労働者層の実質的な賃金アップだと思う 

 

 

・おっさんですが、恋愛結婚主義が主流の考えになった事が大きいと思います。 

 

1980年あたりから2010年ぐらいまでは、恋愛結婚至上主義が強く、今で言う婚活はカッコ悪いという風潮が強かった記憶。 

そのため草食系(この言葉は最近聞かない)の方々は、成婚し難い世の中。 

恋愛至上主義が、段階2世が結婚する頃に重なったのが少子化を加速させましたね。 

 

 

・少子化の解消は簡単です。まず、日本では、結婚した男女から産まれる子どもの数は、ここ50年程変ってはいないのに対して、結婚していない男女が多すぎる事。原因は収入の半分以上を国に持っていかれていること。 

内閣府や厚労省が統計を出しているので、内閣もよくわかっている。 

サッチャリズム、レーガノミクスが始まる前の世界だったら、老後の不安もなくて子どもを産めたはず。新自由主義が始まり、格差社会になってしまった事が大原因。なので、税金などの負担割合を昭和の頃に戻す事。 

平成の政治が日本をここまで凋落させたという事に尽きる。 

 

 

・自覚のあるなしにかかわらず、暇つぶしをより快適にするために生きている大抵の現代人の行動が結婚の必要性を低下させたと。 

私は、昔より死が身近なことではなくなったことも大きいと思う。あまり自分が死ぬことを想定して生きなくなったのだ。 

私が結婚した理由の一つは、私が死んだ後の後始末をしてもらうためだ。子供が出来れば嫁に先立たれても子供がいる。 

自分の事は自分で責任を持つのは当然だが、生まれた時と死ぬ時は必ず誰かに世話になる。それを赤の他人に任すのか任せたくないかは個人の価値観である。 

 

 

・公的な社会福祉やセイフティーネットが無かった時代は、自分が病気になったり働けなくなったときは一族や身内で助合って生き延びて来たんんです。 

そのためには結婚して子供を産んで、家族や親族を沢山持つ事がセーフティーネットになっていた。 

 

現代社会はそれを公的に行う仕組みが出来たので、結婚したり子供を沢山産む必要がなくなったんだと思います。 

 

 

・中学生の頃、まだ携帯電話はなく、友達に電話するとその親が電話に出た。 

手紙も差出人が誰かぐらいは親は見ていた。 

その頃の親達は子供の交友関係を大体把握していたが、携帯電話の登場でそれが難しくなった。 

見知らぬおっさんと娘が関係していたり、異国の男性とチャットをしている女子高生もいる。 

思春期の子供にとって、取り次ぎがなくなるのは喜ばしいが、親は何も知らないのだ。 

夫婦も同じでお互いの交友関係を知らないことが増えたのではないだろうか。 

地元の中学や高校へ通わず私立の他の街にある学校に行けば、地元との関係も薄れる。 

人との関係がドライになっていくが、反面その煩わしさからは解放されたのだ。 

なんだかんだと他人と家族となることは鬱陶しいのだ。相手の家族と関係を結ぶことにもなる。 

寂しいかもしれないが、そんな面倒なことよりも1人でいる方が良いということである。 

 

 

・こういう非婚化の理論的分析に関していつも思うこと、「とはいえ、まだまだ結婚する男女のほうが多数派だという現実」をどう考えるのかという点。非婚化が現代資本主義の消費構造に起因するとして、この体制を続ければ最終的に人類は誰も結婚しなくなるのか、結婚という制度自体が消滅するのか。 

 

それとも、どこかで歯止めがかかるとするなら、その均衡点で結婚する人としない人をわける要因は何なのか。その辺りまで踏み込んで考察してほしいと思います。 

 

 

・結婚や出産か贅沢品でしたくてもできない、という見方もありだと思います。 

ただ、それより結婚も出産もしたくないという方が大きな理由でしょう。かってはしないとならないからしていたという要素がありました。ですが、これは崩れた。 

なら、勝手に子どもの人生をギャンブルにするような出産をわざわざする理由はエゴでしかない。出産しないなら結婚する理由が確実に減少します。それだけでは? 

 

 

 

・昔は結婚しないと生きて行きにくかったからでしょう。今は男女共に結婚しなくても生きて行けるし、生きて行けるならば結婚なんて面倒な物をしない人が増えたのも一つの要因でしょう。 

他にはカネが無くて結婚出来ないや色々有りますが、周りも結婚しない人が多いとしなくても良いと言う考えになりますし。 

 

昔と今の考え方と生活が変わった為でしょうね。 

 

 

・人類の価値観の変更が求められている。お金から子供あるいは子供の数が繁栄の基準として位置づけられることになる。子供を作ればお金を失うわけで通帳を見て楽しむ、競う日本人としては耐え難いことだ。女性は職を失い、自由を奪われる。お金や快楽が価値基準の人生では不可能な選択肢だ。価値観の変更に対応できた人類が生き残り繁栄する。 

 

 

・片方の収入で年収300万世帯でも子供にやりたいことをやらせ行きたい高校大学に行かせられ夏休みには旅行行ったり誰もが持ってるものはある程度の揃えられるようになれば子供作ってもいいかなとと思うんじゃないかな。2馬力でも安定しないのであれば更に不安要素を作ることはしないと思うし。賃金が安いのか生活に関わる費用が高すぎるのか。 

賃金賃金と誰もが言うけど、賃金上がったところで何かあれば収入ゼロになるんだから賃金アップも必要だけど、収入を増やして支出をカバーするのではなく支出自体を減らし子育て期間にかかる費用を抑えないと少子化対策にはならないと思うけどね 

 

 

・生物学的な問題を何とか経済で説明しようとしても無駄。そもそも、現在、男子の精子の数が、昔の半分以下になっているという。昔と言っても40年前と比べてだ。これは、経済だの社会だのとかと全く関係ない。少子化対策で補助金を出せば何とかなると思うのは笑止だ。こんな大変なことをまじめに分析し対策しようとしないで金の話に結び付けようとしている政治家は、選挙のことしか考えていないということだ。先進国程、精子の数は減っているといい、特に日本人男性の精子数は、欧州と比べても少ないという。テストステロンの分泌が少ないのだろうがその原因は不明。しかし、不明で片付けてよい問題ではないはずだ。課題と正面から向き合わない日本はおかしい。発展途上国→先進国を経て、もはや劣化途上国であるとおもう。高齢化なども進み、世界でも先頭を走る「劣化途上国」として様々な問題と向き合い、この分野で世界をリードするつもりにならないと。 

 

 

・お互いに人並み以上偏差値50以上の相手しか認めないし、周囲も偏差値50未満同士のカップルは冷ややかな視線で見る。まして子供まで人並み以下だと世の中を渡って行くのも大変になる。 

表向きは平等が唱えられた昭和の頃は口に出しにくかった現実が大っぴらに表に出て、就職や結婚にストレートに結びついた結果のような印象を受けるが。 

偏差値50未満の相手と一緒になるくらいなら独身のまま子供も作らず過ごす方が楽だという現実が認識された結果なのだろうな。資質向上と表裏一体の社会現象なのだろう。 

 

 

・根本的に集団で生活する必要がなくなったからでしょ。命の危険を孕むような背に腹を変えられぬ状況って今ないからね。そうゆう状況では理想の方が膨らんじゃって、必要ないなら妥協もなく、必要ないからデメリットの部分が浮き彫りになっちゃうんだよ。そんでもって周りも結婚しないとなると、自分もいいやって感覚になってしまう。だから病気になったりして孤独を感じたりするとやっぱり結婚したいってなる人多いし。基本誰かと共同生活ってめんどくさいからね。あとは社会的に女性の立場が上がったこともある。男性をコントロールしようとする女性が増えたことも一因だと思うよ。 

 

 

・結婚は子を作るための仕組み。 

子を作るのは本能的でもあるけど、人類は長らく地域社会や一族を維持するために作ってきた。ひっくるめると労働力として使うため。 

子の労働が不要となり、また自分の時間を楽しむ余裕が出てきた現代において、「可愛い」だけで子供を作るのは難しい。つまり結婚も難しい。 

 

 

・結婚してもしなくても心に寂しさもないなら、本人としては生きやすいのではないカナと思った。 

寂しい状態で生きてるのは辛いことと思う。 

 

それと、自分のための自由な時間が多い生活のほうがとても贅沢なものと思えた。 

 

 

"何で結婚しないの" とも思う昔の自分から、 

"何で結婚するの"と問いながらの自分に、 

昭和平成令和の間に変わってきている。 

 

結婚というものが、憧れや望むものでなく 

窮屈でしんどくてしたくない生活と思う気持ち強くなってしまったのだろうと感じてる。 

 

 

・こういう記事も全く不要ではないが、 

経済制裁や紛争背景など考えるべき話題はある。 

一言、この記事に回答するとしたら、恋愛や結婚も紛争の火種に化けたり、人間関係の悪化につながる原因でもある。 平和の為自ら避ける、という選択肢も有効である。 

 

 

・基本的には、個人の自由な選択肢が広くなったことが大きいのでは。 

かつては、農業にしてもその他の家業にしても、子供に継がせることが社会的な圧力になっていたと思うし、ある意味生き甲斐でもあったでしょう。 

それらは、人間が長い歴史の中で種を繋ぐための知恵だったかもしれないが、今後は違う次元の知恵が必要なのかも。対症療法だけでなく。 

 

 

 

・昔は子供は労働力で 

農村では野良仕事を手伝い、 

家が商売やってたら店の手伝い。 

更に子沢山な家庭も多かったので 

上の子は下の子の面倒・育児もやってた。 

 

今は子供が少なく年齢も近いから、 

上の子は下の子と遊ぶ事位は出来ても、 

面倒を見たり育児の手伝いは出来ない。 

しかも昔はせいぜい小中学校の義務教育までで15歳まで育てれば、大人として稼いでくれて親の面倒や介護までしてくれた。 

 

今は子供には大学まで行かせるのが普通になり、中には浪人や大学院で25歳位まで働かず、就職しても奨学金の支払い等で 

自分の収入だけで生活出来る子が少ない。 

更に都会に出て行かれて親の面倒や資金援助してくれる子供はもっと少ない。 

 

昔は子供を育てる事にお金は掛からず 

15歳からはむしろプラスになった。 

今は子供を一人前にするには教育とお金が掛かり過ぎる。30歳位にならないとプラスにならない贅沢品?になってしまった。 

 

 

・結婚はしないという周囲からの圧力がなくなったことが大きいでしょう。 

また、結婚しなければ一人前とはいえないという社会的圧力もありましたね。 

私は建築業で仕事をしていますが団塊ジュニア世代の私より上の世代までは、お見合い結婚やフィリピン等の外国人の奥様がいる家庭も多いです。 

おそらく、結婚の圧力がまだ高ければ、未婚率はそこまで高くはなっていないでしょう。 

 

良く所得の問題がいわれますが、所得が低い人が結婚を敬遠しやすいという傾向が高いだけで、全く結婚していないわけではありません。 

 

こういう記事の通りなら、生涯未婚率は今の倍以上あってもおかしくないと思ってしまいますよね。 

 

 

・明治生まれの曾祖母が家長、男子厨房に入らずの男尊女卑の家で育ったので女であるというだけで損だと思ってきた。就職氷河期世代だが定職さえあれば女性1人で生きていける世の中になり、専業主婦の母に羨ましがられた。 

田舎に住む親戚の女性は今も4世代同居で子供を持ちながらパートにも行き、義両親と義祖母の世話をされている上、休みの日は田んぼや畑の手伝いまで。よくできた人だなと思うがあまりにも自由がなさそう。 

母は還暦になった途端に病で亡くなったので、家に縛られ過ぎる結婚はストレスがすごいと感じる。祖母より30年も寿命が少なかった。 

私は低賃金の時代が長い就職氷河期世代なので、晩婚で子無し。自分の身の丈に合っていると思うし、晩婚はお互いに要介護者が少なくて楽。 

 

 

・昔の結婚適齢期って言うのはまんざら間違いでなかったのかも。それに関しては、子供が欲しいと思うカップル限定ですが。 

やはり、子供は早いうちに作るほうが妊娠の確率も上がるし、体力あるうちに子育てできるし、親の介護時期と重ならない。 

これはかなり稀ですが、私の友達が18歳で子供産んで子供が20歳になっても彼女は38歳で、今から本格的に仕事する!と言っていた。あー!こういう方法もありだな。 

 

 

・異次元の少子化対策とか言っているが、施策のポイントがずれているのではないでしょうか 

 

既に生まれている子供に金をばら撒くのは子育てには助かるだろうが、子供の数は増えないで、ただ大きくなるだけでは 

 

子供の数自体を増やすには若い世代が新しい家庭を築きたい、子供を持ちたいと思えるようにしないと 

 

やる気のある若手が就職出来て安定した収入が確保出来れば、その基礎が出来てくるのでは 

 

会社にも都合があるでしょうが、「働かないおじさん」を一人整理したら優秀な若手二人の給料に置き換えられるんだけど 

 

年金の納付延長や定年後の再雇用年齢延長なんかより、60歳定年とセカンドキャリア支援施策を考えた方が年寄りにも若手にもいいよ 

 

 

・1974年生まれ、今年度で50歳、独身男(結婚歴ナシ)で高卒時に住専不良債権問題、訳有って学卒と同じ年齢で、当時としては運良く外資系コンピューターメーカーに保守員で何とか就職し、97年11月の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券の連鎖倒産でのリース物件大量引き上げなど「不景気二番底」の時代でした 

 

私の様な「団塊世代ジュニア」は大学進学率が3割程度、205万人程度の同世代に対し大学の数と定員数が少なくて、学生浪人が大量にいて、大学偏差値の上から下まで2倍有った時代でした 

 

親世代が保険加入の様に結婚するのが当然、世話焼きオバサンから勝手に見合い話が有った当時とは違い、マッチングアプリも無く、結婚相談所は結構な費用が掛かりましたので薄給では二の足を踏みました 

 

自分の収入上昇が一番です、政府の子育て政策も人気取りで変わる可能性も大きく、進路次第で学卒必須だと経済問題で少子化、非婚化になりますね 

 

 

・結婚しない選択をする人が増えたのは事実だが、 

依然として、独身者の結婚希望する割合は非常に高い。 

この点が、この記事にはないのが残念だ。 

 

結婚希望率、10年ほど前は今よりもっと高かった。 

少子化対策への唯一の希望とも言える、 

この数字が高い内に、早急に少子化対策しなければならない。 

 

結婚しない選択が増えたにしても、将来結婚したいと思う独身が 

多数存在しているのだから、その国民の意識にマッチした政策を 

とらないと効果の薄い物になってしまうだろう。 

 

 

・地域や親類、家族が崩壊し 

人が孤立化し子供を育てる環境が 

すっかり変わってしまった。 

核家族、パソコン、スマホの影響で 

ますます人は孤立化すると思う。 

生き物は群れながら子孫を残し 

生き継がれていくものだと思うが 

天変地異か戦争で世界が破壊され 

そこから這い上がるときしか 

本来の生き物としての人間を 

取り戻す機会がないのかも。 

 

 

・企業は人の時間を奪いすぎたね。 

戦後の日本では家庭は仕事の次と明確に上下ができた。それは家庭を築くことが社会や幸福の最優先事項ではなくなったってことでしょう。 

そんな社会で育った子が、大人になって家族や家庭に何を期待するんです? 

今やりたいことの下に結婚や子どもを位置付けて誰が責められるんですかね? 

そういう社会になった。もう分水嶺は超えたのだと思います。 

私は経済的な未来は悲観していないが、質的な幸福についてはすでに回復不能な段階にあると考えます。 

 

 

・ドーパミン(ある種の多幸感の例え)か活性化する手段が増えたことでしょう。 

終戦後は貧しくても子供は多かった。それはなぜならば、それしか快楽がなかったからだ。 

今は、趣味に没頭する、洋服を買う、結婚せずに好き勝手をする、結婚しても子供がいるより自身の今までの行動の方が幸せだ。 

そんな、多種多様なドーパミン活性化する手段が多くなったから。 

 

 

 

・確かに必需品では無くなっている。 

 

ではどうするかと言うと、必需品にすれば良い。 

その方法は、法人を各個人に付与して、その基礎を家族としてそこからの分離独立や経営統合として考えるように制度を直す。 

要は家制度を手直しして整備し直す。 

 

かな。 

 

結婚で新しい家を構えて、子が居れば、様々な優遇を受けれる。 

なお、子が居なくても、独身よりは優遇される。 

 

とかかな。 

ただ、この辺の制限を解除して来ての今があるので、どう言う風に改良するかは、得られたものを活かす形にすべきだと思うけれどもね。 

 

なお、実質婚で2つの家を営むのも可能とすれば、夫婦別姓は成立する。 

その場合の管理の手間とか煩雑な手続きとかは残るだろうけれども、そこはそう言うものとして残せば良い。その苦労が価値だから。 

 

同性婚も、別に家と言う経営主体を営み、生活をともにすることとして対応可能だよね。 

 

とかかな。 

 

 

・この記事もそうだけど基本目の前の事柄に問題があるという記事が多い 

 

ただ少子化の記事ではないが他の記事で「年金に頼れない現実貯金崩し節約してもギリギリ働く高齢者が増加」という高齢者問題の記事があった 

 

個人的にはこういうのも含めて少子化に繋がっていると考える。若者が自分の将来を考えて結婚し子供を大学まで入れ、家を買いお金を使った先に待っているのは年金に頼れず貯金崩し、定年過ぎても働く自分を想像すると、ではその資金を養育費や、家を買ったりなどにあてるのではなく自分の将来に使おうと考える若者が増えても不思議ではないというか 

 

今の高齢者は先を見る情報が少なすぎて、自分が高齢者になった時にお金の苦労を想像できなかった。ただ今は情報過多であり、良くも悪くも将来を想像できる。苦難が待ち受ける道に若者は進むかといえば避けると考えた方が自然であり、少子化対策の解決は将来も対策できないと難しいと思う。 

 

 

・ゲームしてる人が多いと結婚する人が減ると書いてるけど、むしろ逆で、ゲームは今の若者の出会いの場ですよ。ゲームを遊ぶためにボイスチャットで通話をしたりしますからね。 

もちろんナンパ行為や通話の強要、セクハラ発言は嫌われますけど。普通にマナーを守ってできる人ならゲーム仲間からリアルの交際に発展する可能性はあります 

 

 

・子供や個人の権利擁護が加速していっているから仕方ないですね 

家庭内でやる仕事が跳ね上がって結婚自体がお荷物になっていっている 

昔なら子供に手が回らないなら多少自由にさせてても問題なかったけど、今だとネグレクトで虐待だの放置子だの通報され、親の介護なんかも昔は万年床に転がして適当みたいなとこあったけど、今は家族が最後まで完璧に世話をしろ、しなければ虐待で通報、みたいになる 

結婚ってこんな狭っ苦しいものではなく、もっと適当なものだったと思うんですけどねえ、そりゃ背負いたくなくなる 

 

 

・主に経済学的分析によるこの考察には納得できる部分も多くあるが、動物としての人間の本質も分析すべきではないか。つまり人類の歴史は飢餓との闘いといってもよく、その中で生命維持遺伝子がより多くの子孫を残そうと働いていたが、飽食の現在、そうした本能は後退。結果として他の多くの作られた目先の欲望に関心事が移ってしまったといえる。男性の精液量の激減がそのことを証明しているように感じる。 

少子化の本質は未婚化、晩婚化にあるにも拘わらず、子育て支援に政策を矮小化させ表面的な人気取りにあくせくする今の政治にはウンザリと言うしかない。少子化対策には結婚制度そのもののあり方を見直すまさしく異次元の対策が必要である。 

 

 

・少子化の力学としては概ね同意見 

ただ、人間の嗜好なんて、その気になれば刷り込みでいくらでも変えられる 

労働すべきだと感じる人間に育てるのは当然なのに、結婚するべきだと感じる人間に育てることはタブー視される、そういう現状を私含め大半の人は肯定している 

それって、社会の必要性に合わない時代遅れの道徳を、古い世代が大事に引きずっているに過ぎないのではないか 

 

 

・結婚できないのと、しないのと二つの理由でしょう。 

経済的に無理としない方が自由で楽しい、の二つ。 

経済的には結婚生活は維持できるけど、今の自由な暮らしを手放したくない。 

周りも結婚してないし、うるさく結婚すれとも言われない。 

賃金上げて、どんどん結婚するかといえばNO。 

男女平等、女性自立が進めば進むほど、結婚しない人は増えてくる。 

アフリカや中東を見れば、女性に教育を与えない、家庭に縛る国では女性は結婚せざるを得ず、子供もできる。 

 

 

・世の中が広がり複雑化したからですよ。 

シンプルで世界が狭かった頃は、家族を作る位しかやることないでしょ。 

色々やりたい事、やらなくちゃいけない事やってると、どんどん時間が無くなるんです。 

寿命がより長く若さを保てるなら、いつかは子育てに興味持つこともあるかもだけど、人生、特に若い時期はあまりにも短い。 

 

 

・結婚が少なくなった理由として必要性が無くなった事がデカいと思う 

昭和や平成時代なら男性も女性も生活する為に異性を必要としていた 

歪なジェンダーフリーの結果や娯楽の多様性の結果だと思う 

ハラスメント多すぎて社会人になっての異性関係がリスクしかないのもありそうだけどね 

 

 

・生活するのに危機感が感じられない、1人でも生きていけるから。 

自分一人の方が自由に時間を使えるし、どうせ離婚するかもしれないのに 

無理して結婚したくない。 

でも一番の理由としては理想の相手が見つからないだと思う。 

自分自身が相手にとって理想だという事は関係無く、情報の過多によって 

理想がドンドン高くなってしまう。 

子供がかわいいのは5歳位までだったという人もいる。 

後は金が掛かるだけで親としての人格まで否定されていると言うのだ。 

子供は親を選べない、金持ちの家に生まれたかったと言われたら 

親としてはショックだと思う。 

 

 

 

・周りに不幸な離婚者が多過ぎ!可愛い子供なのにそう思う余裕もない毎日、子供から離れた方の親は寂しさもあったり、養育費払わないない人もいるが会えなくても払うために働くだけとか、こんな将来が溢れていたら、無理してイバラの道に進まない方が賢明。になっている。愛が先行している結婚なら二人で頑張れば食べていける。になるだろうが、ある程度の生活水準から始められないなら無理!の線があるようでまあ現実的にならざるを得ないのかな。子供に塾や習い事をさせるのは当たり前が水準になっているから。今からはもうどうにもならない。伸ばし伸ばしのんびり構えてプール金だけが楽しみだったようですから何十年無駄にしてきたことか。 

 

 

・結婚しなくなったのはスマホとゲームがあるからだと豪語しているけど、それは完全なる間違い。なぜなら、欧米諸国の中には近年の婚姻率が上昇している国もあるからだ。当然、それらの国にはスマホもゲームもある。婚姻率の低下と無関係ではないだろうが、主要因でもないだろう。 

 

婚姻率の低下は女が男に頼らなくて良くなったこと、若年層の収入が落ちているにも関わらず、未だに「金は男が負担するもの」という認識が根強いことが要因だろう。 

 

よくデート費用は男が負担するものかという論争が話題になる。考え方は人それぞれだが、現状は「男が払って当然」の状況であるし、こういう考えが大多数の国民の共通認識としてあるのも間違いない。結局、ここから派生して「家計は男が支えるもの」という考え形がスタンダードなわけだ。 

 

この結果、女はより高い水準の男を求め、求められない男は尻込みする。この構造が問題なんだよ。日本の場合はね。 

 

 

・そもそもなぜしなくなったのか、じゃなくて、なぜ昔は皆してたのか、でしょ。 

したくない人、向いてない人も皆が社会圧で結婚に向かわされた皆婚時代こそが異常だっただけで、今の社会は正常だと思いますよ。 

 

そもそも、どうしても子供が欲しい人や家業で跡継ぎが必要な人はともかくとして、自ら好き好んでストレスフルな結婚生活に向かう人たちは私からしたら狂気の沙汰としか思えません。 

で、離婚してすべてを失うとかメンタルズタボロになるとかになって、結局何がしたかったんだろう?って思ってしまう。 

 

 

・娯楽が充実して独りでも寂しくないというのはその通りで、わざわざ赤の他人と不自由な共同生活をすることに意味も価値も見いだせなくなったのは自然な流れだと思う。 

一方で、人には能力に限界があって、仕事にしろ生活にしろ便利になった反面、高度化複雑化高速化しているので、恋愛にパワーを割く余裕がなくなっている気がする。 

仮に結婚できたとしても、共働きで仕事と家事の両方をするのも人によっては負荷になるだろうし、 

実家暮らしじゃないと実家から有形無形のサポートも受けられない。 

あれもこれもいろいろやらなきゃいけないのは自覚しないうちに負荷がかかって余裕がなくなってくると思う。 

結婚の優先度が低くなる理由はそれこそ無数にありそう。 

だからこそ少子化を止めるのは簡単なことではない。 

そのへんを政治家がわかってなさそうなのが終わってる。 

 

 

・少なくとも、非婚を経済的な理由だけに答えを求める記事よりは納得できる記事だった。しかし、その一方で生物としての人類は人口減少は滅亡に繋がり、人口減少は社会の形を大きく変える必要性を求めてくる。非婚や少子化は必然だからしょうがない、では済まないのです。 

変化に対応する時間を稼ぐ必要があり、少子化対策はどうしても必要。子無しやお一人様から税金を吸い上げて、少子化対策や結婚推進対策にお金をかけて、子育てにメリットを与えていく。結局はそこに落ち着いてしまう。 

 

 

・少子化じゃなくて「結婚」だけにフォーカスすると収入が少ない人こそ結婚したほうがいいと思うんだけどな。2人で年収200万ずつ働けば年収400万円世帯、200万と130万でも世帯年収としては増えるわけで(130万の壁もうなくなったんだっけこれからだっけ)。食費はともかく家賃水道光熱費は増えはしても倍にはならないから生活しやすくなるよね。 

 

 

・近年だけで言って良いと思うが、働いても税金で手元の残金が少ないからではないのか? 

昔はそれでも豊かになれたのは、預貯金の利息が良かったから、働いて税金払って貯金して時々利息で余暇を楽しんで祖父母の年金から生活を助けて貰い其の内家を建てる。 

経済が回っていたんだよね。 

 

 

・常に損得を考えてコスパを追求する教育をしていますからね。個人の幸せというのは金やモノではかれる量的なものであり、それをいかに蓄えるかが人生の勝者であるというアメリカの価値観が蔓延しています。冷戦終了後アメリカ単一覇権となり、アメリカの価値観がグローバリズムとして世界に広まりました。 

属国日本ももちろん大きな影響を受けています。個人のコスパを追求すれば結婚にはいろいろな煩わしさがあるのは当たり前ですから忌避するのは自然なことです。 

他人と住めば価値観の違いから揉めることもあるでしょう。 

お互いの貢献がお互いにとって完全に平等とはいかないでしょう。 

子供が産まれればさらに支出は増えるでしょう。自由な時間も奪われるでしょう。 

そもそも自由に異性と遊べなくなります。 

我慢に我慢の連続でそれでも半分近くは離婚に至るでしょう。そのときの損失も大きいでしょう。 

そりゃ結婚しないですよ。合理的に考えたら 

 

 

・人々が暇つぶしの商品やサービスを求めるようになり、その中のぜいたく品が「恋愛」や「結婚」というようなことを書いてあって、その先自粛されているようですが、ぶっちゃけ書いちゃうと、 

様々な商品やサービスと並べて「恋愛」をする現代人の半分程度は、「恋愛市場」において、普段接するソニー、アップル、マック等々の整った商品と比べて、自分がいかに「整っていない出来損ないであるか」を痛感させられるから(対ヒトならなおさら)、「あーそれは、参加しなくていいわ」となるんじゃないですかね。運動神経悪い人がスポーツエリートの集まるサッカーや野球をやらないのと同じような感じで。。。 

他人をけなしているんじゃないですよ。私もだいぶ整っていない商品ですから。。。 

 

「整っていない」といっても何十万年も子々孫々つないできたDNAだから、みんな結構イケてるはずなんですけどね。ダメと思わせるような現代社会なのかなぁ。 

 

 

・勝ち組、負け組という言葉がありますが、私は機会がある度に周りの人に問うています。 

 

「国公立など有名大学を卒業し、トヨタに入社し年収1000万あるけど住宅ローンを抱え土日も子どもの教育などにしゃかりきになっている人」と「高卒で年収300万しかないけど独身で親と同居し、家事など楽チンで自由時間いっぱい」の人とどちらが勝ち組ですか? 

 

少し恣意的な言い方になりましたが、私は「真の勝ち組は後者」だと思っています。特に日本で独身の人が増えたのは後者を選択する人が増えたからだと私は思っています。 

 

 

 

・未婚化、少子化は若者が経済的な理由で将来に希望が持てなくなったことが第一の理由だろうが、文中にあるように「結婚する理由はかつては経済的理由だった。女性は現金を稼ぐ機会が限られていたから、稼ぎのある(または資産のある)男性と結婚する必要があった」が、女性が自ら稼いで生活していけるようになったのも大きい。男女雇用機会均等法等が出来て、女性の社会進出が盛んになり、男に頼らずとも生きていけるようになれば結婚なんてしなくなるのは当然の流れ。 

 

 

・生物学的に言われる子孫を残す(命を繋ぐ)ことが一番の使命でなく、自由・多様性・コスパ重視の社会になったからです。 

勿論これ以上の貧困化は止めないといけませんが、結婚の形態を変えること(別姓や事実婚を認める等)も必要。 

一昔前は経済的理由関係なく家庭を持たないと一人前と認めない世間体があったことが大きい。 

 

 

・後半わけわからん方向へ議論が・・・ 

単純に息が詰まるほど高密度だからでしょう。 

人口減少などと言っておきながら行楽地へ行ってみれば大した事もないものに長蛇の列。寂しいどころではない。精神的には寂しいのかもしれないが、その実、何をやるにもギュウギュウ詰めで息が詰まる。 

 

物理的に寂しさを感じるほどスカスカになればまた婚姻率は上昇するのではないか? 

単純に、今は寂しさなど感じる暇もないほど息の詰まる時代なのである。 

 

 

・「ぜいたく品」になってるのは、「条件のいい相手」としか結婚したくないからじゃないですかね。 

お見合い結婚の頃は、釣り合う相手をあてがわれてそのまま結婚というパターンだったから、変に高望みもしなかった。 

 

恋愛結婚で相手を選ぶとなると、できれば条件のいい相手をみつけたい。 

もしみつからないなら、無理して結婚する必要はない…みたいな。 

 

あとは、最初から家族や家庭を求めてない人が一定数いる。 

結婚願望がないことに理由はなく、ただ単に興味がないだけだと思う。 

 

 

・簡単なことだよ。結婚に魅力がないから。なぜ魅力がないかと言うと金がないから。「子供を産むほどの余裕がある家庭」ばかり支援するからこうなる。日本の停滞した現状を打破するのに最も効果的なのは減税。何も難しいことは無い。何か新しいことを始める=新しい財源が必要っていう発想自体が狂ってるわけで、そもそも新しいことを始めるなら古いことを切り捨てるか見直さなければね。ずっと足し算だけでやっていれば国民は苦しいに決まってる。小手先の対策ではなく、経済革命レベルの根本的な方向転換をしないと日本はタダ沈みゆくだけ。 

 

 

・俺は日本企業や会社経営者が悪いと思う 

従業員に還元しないで内部留保溜め込みすぎ 

だからね。数十年間日本人の平均年収は 

横ばいだからね。 

やはり若人や従業員にお金を稼いで貰うなり、収入を日本全体で上げないと景気はよくならないよ。 

税収もあがらない。若い人が結婚できるような、あと家族を養えるような収入にしてあげないと少子高齢社会も改善しませんきし、その将来お金を稼ぎ、経済を回す子供が増えないと 

景気はよくなりませんよ。少子化も解決されません 

派遣法や就職氷河期世代を蔑ろにしたのも 

一因の1つだよ 

 

 

・「歴史的に余暇の誕生は一度限り」だから「20世紀の奇跡の経済成長」も一度限りだ、と筆者は言うけど、現在も余暇は増え続けてるのでは。 

そもそも週休2日が普及したのが90年代で、これはむしろ21世紀の出来事だろう。そして現在は週休3日に向かってる。 

休日だけじゃない。米国では「9時から5時までの勤務時間は長すぎて耐えられない。恋人とデートもできない」と訴える若者の動画が、若者に支持されて大ヒットした。1日の勤務時間も、たぶん減ってく。 

結局、今後も余暇は増え続ける。だったらそのたびに、経済成長も繰り返される・繰り返せるのでは。 

 

もちろん日本の働き方改革的な「余暇は増えたが、収入は減った」の結末にはマイナス面もある。 

でもたぶん、AIが解決してくれる。繰り返し作業を伴う定型業務はぜんぶ処理してくれて、モノ不足にはならず→モノの価格は下がり、人間が創り出す意味不明のサービス経済は増殖し続ける。 

 

 

・少子高齢化で社会保障制度が崩壊しかけている現代において、結婚して子どもを設けることをしない社会に多大なる迷惑をかけている独身の人間たちは、子持ち世代支援に対して税金を払い、街では子連れに速やかに道を譲るのは今後の至極当然の流れであろう。 

 

 

・以前とは違い女性が働き出して男性と遜色ない収入が得られるようになり 

女性は結婚しなくてもよい社会に変化している。 

昔は女性は同じ会社に長く努めるのは難しい雰囲気だった。 

今はそれがなくなって、男子と同様な勤務は可能になっている。 

 

 

・豊かになって、社会基盤がしっかりすれば、福祉や生活支援もあるので、結婚してまで得られる家族や伴侶の支援もいらない、幾らでも娯楽や趣味もあるので寂しいとか言う概念も無い 

晩婚化 独身貴族 少子化 離婚 当然の流れ 

どれだけ頑張っても、逆に格差社会で逆転も無いのが分かり切っているので、誰も頑張れない、そういう中で同士ともいえる家族も必要ない 

他力本願で、あり得ない妄想ですが、少子化を解決できる方法はある 

高齢者から資産を取り上げる、少子化対策へ回す、おそらくこれだけで解決 

戦争や、大災害など、あり得ないぐらいに人口が激減する、DNAスイッチが入ってポコポコ子どもが生まれる 

40歳になっても一度も結婚してない、または子どもを産んでない、または子育てボランティアに参加していない人から罰金を取る、500万円ぐらい  

どれも無理ですね、それぐらい少子化解決は難しいということ 

 

 

 

 
 

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