( 162180 ) 2024/04/22 01:35:48 2 00 クルマ愛ゆえの辛口? 自動車評論家「徳大寺有恒」没後もうすぐ10年、モータージャーナリストの私が今でも尊敬し続けるワケMerkmal 4/21(日) 21:31 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f7d178c16aaea393b8e6b5468e1f49436991bd89 |
( 162183 ) 2024/04/22 01:35:48 0 00 「徳大寺有恒ベストエッセイ」(画像:草思社)
2014(平成26)年11月に自動車評論家の徳大寺有恒(ありつね)氏がこの世を去って10年近い歳月が過ぎた。10年という節目を前に、ここで改めて氏の評論家としての功績を振り返ってみたい。
【画像】えっ…! これが60年前の「海老名SA」です(計15枚)
筆者(矢吹明紀、フリーランスモータージャーナリスト)が氏の存在を明確に認識したのは1980(昭和55)年頃のことである。それは他の多くと人と同じく、その時点で既にベストセラーとなっていた氏の代表著作である
「間違いだらけのクルマ選び」
を通じてのことだった。
当時はまだ学生だった筆者は、いくつかの自動車雑誌を購読していた。ドライバー、モーターファン、そしてたまにカーグラフィックといったラインアップだったと記憶している。
これらの雑誌に掲載されていた記事は、おおむね
・新車紹介 ・技術解説
など、いずれも淡々と事実のみを紹介するだけで、書き手の“個性”などは基本的には無縁だった。個人的にはむしろそうした記述を好んでいた記憶がある。
唯一、カーグラフィックのみは外車のロードインプレッション(試乗記。新車を公道で試乗し、走行性能、操作性、快適性などを評価すること)なども多めに紹介されていたが、正直その内容は今ひとつピンと来なかった。これは当時の筆者の運転経験不足が主な理由だった。
そうした状況のなか、初めて接した徳大寺氏の文章は新鮮だった。何よりも書き手の顔がそこにあるようにも思えた。当時は“信頼できるジャーナリスト”であるかどうかなどはどうでもよく、
「シンプルに共感できる文章と内容」
だった。
草思社のウェブサイトで無料公開されている過去の「間違いだらけのクルマ選び」(画像:草思社)
そんなこんなで当時は面白く読んでいただけだったのだが、筆者が大学を卒業し一転して文章を書く側になったとき、改めて氏のすごさを思い知らされた。
・面白い文章 ・読者に共感を抱いてもらえる文章
というものは一朝一夕に身につけることなどできない。それがクルマという機械を扱ったものであれば、それについての深く多岐にわたる経験こそがモノをいう世界である。一体、徳大寺氏はそれまでどれだけのクルマ経験を積んできたのか。そしてそこからどれだけのものを吸収してきたのか。
氏が執筆していた評論とは、いわゆる新聞記事のようなジャーナリスティックなものとは明確に異なっていた。むしろ事実をバックグラウンドとしたエッセー、それも恐ろしく内容が深いものだった。
筆者はそんな氏の文章が大好きだったが、無批判に礼賛していたわけではない。特に自動車雑誌での仕事を始め、さまざまなクルマを自身の手で運転できるようになってからは、氏が感じたものとは異なる印象を覚えることも多々あった。
そこで思ったのは、何がよくて何がよくないかではなく、感じたことの違いが文章の個性を生むということであり、それまで積み重ねてきた経験の違いでもある。
経験と感性を頼りにあるモノを評価し文章を紡ぐ――。それには何が重要なのか。このことは筆者自身常に自らに問いかけていたことだった。そこで常に注意していたことは、ページの向こう側でこの記事を読んでいる読者は、一体何を求めているのだろうか。ということだった。
1980年代のクルマというものは、正直今ほど出来はよくなかった。あらを探そうと思えばいくらでも見つかったし、そういった部分ばかりを集めたリポートは
「辛口」
として評価が高かった時代でもある。徳大寺氏がその名を高めるきっかけとなった「間違いだらけのクルマ選び」もまた、ある意味こうした辛口が売りだったことは間違いないが、今思えば決してそれだけではなかった。辛口の部分と同じくらい、むしろそれ以上にクルマに対する
「愛情」
があったといったら褒め過ぎだろうか。
今まで長く人生をともに歩んできたクルマというものに対する文章だからこそ、厳しいことも優しいことも同じように語る。そこには書き手の経験と人となりが伺うこともできる。こういったスタンスで評論活動を行っていたのが徳大寺氏だったということに気付いたのは1980年代も終わりの頃である。
こうして徳大寺氏の存在は、書き手としての筆者に大きな影響を及ぼすこととなったというわけである。
日産スカイライン2000GT-R(画像:日産自動車)
ここでもうひとつ記しておきたいことがある。
これは徳大寺氏のことではなく、筆者自身に起きたとあるエピソードである。1990年代半ばのこと。当時、1970年代の日本車を解説する原稿において、必ずネガティブな悲しい結論となる1台があった。それは1973(昭和48)年式の日産スカイライン2000GT-R。いわゆるケンメリGT-Rである。
大成功作となったハコスカGT-Rの後継として誕生するも、オイルショックの影響とともにわずか197台で生産終了。レースでの活躍もかなわなかった1台。ボディが大きくなっていったことから、レースカーになってもハコスカほどの戦闘力はないだろうとまで酷評された。そして結論はお決まりの時代の流れに背かれた「悲劇の1台」である。
筆者はある雑誌の取材で、新車に近い状態のケンメリGT-Rの運転とインプレッションを担当することとなった。もちろんその時点で初めての経験である。ここで注意したことは、とにかく先入観のないスタンスで、ナンバー付きのこの状態のクルマのよいところを伝えようというものだった。
そして、実際に運転してみたケンメリGT-Rはエンジンのフィールもかっちりとした足回りも、クルマとして何の過不足もないものだった。むしろ個人的にはこういうクルマが欲しいとさえ感じ、ネガティブなことには触れることなくそのままの気持ちを原稿にした。
NAVI CARS 2014年3月号(画像:エフテンブック)
筆者がこうしたスタンスに至った背景には、間違いなく学生の頃に読んだ徳大寺氏の文章があった。
評論家なら原稿のスタンスは好き嫌いで何の問題もない。ただし、そこには
・公正さ ・明確な評価基準
がなければいけない。その上で、書き手の人となりが明らかになっていればいうことはないだろう。
最後に、徳大寺氏はその生涯の間に数え切れない程のクルマを自身で購入し所有していたという。人づてに耳にした話では、
「収入の大半」
はそれに注ぎ込んでいたとも。クルマではもうけることなく“損”ばかりしていた。これもまた筆者が氏を尊敬するエピソードのひとつである。
矢吹明紀(フリーランスモータージャーナリスト)
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( 162182 ) 2024/04/22 01:35:48 1 00 ・徳大寺さんは自動車評論家として独自の視点や辛口評価で知られ、特に外車に対する愛と厳しさが際立っていたようです。
・彼の評論によれば、実用車や高級セダン、スポーツカーなどのクルマはそのクラスや目的においてしっかりと評価されるべきであり、単なるテストの点数ではないとの考え方がうかがえます。
(まとめ) | ( 162184 ) 2024/04/22 01:35:48 0 00 ・徳大寺さんは文筆家、エッセイストとしても有能で、日本モータージャーナルの世界でも第一人者だろう。 今でもいくつかの書籍を読み返す時がある。 エンスー、好事家、趣味人であり、映画からファッション、美食と造詣は広い。 また独自の美学と哲学を有していた。
つまり感覚と熟考を繰り返した上での独自理論であり、それは大抵の場合メーカー側の立案コンセプトと一致していた。 だから単なるクルマ評論ではなく、メーカーの思想と最終結果である販売車両が、どのレベルで達成されていたかに批評の焦点が当てられていたと思う。
メカニズムや空力、新技術などより、 実用車は実用車として、 高級セダンは高級セダンとして、 スポーツカーはスポーツカーとして、 GTはGTとして、 それぞれのユーザー満足度を測る評論だった。 その外車の背景や国色、文化まで頭に無ければ出来ない。
クルマの評価はテストの点数ではないと。
・自分は30年くらい前、NAVIでエンスーとか10年くらい10万キロという単語を知りました。車を性能だけでなく国民性、文化、歴史にからめて語る方でした。徳大寺先生はドイツ車が好きでした。ご存命でしたら今やドイツ車に並ぶ、いや追い越したかもしれないレクサスとかテスラ、BYDなんかの話も聞いてみたかったなあと思います。
・徳大寺氏は自動車評論家としては稀に見る文章家でエッセイの対象はファッションや生き方等多岐にわたっていた。自動車を語る時はそのクルマが生まれた(文化的な)背景やクルマのもつフィーリングを重視されていたように思う。初期の「間違いだらけ」はユーザー啓蒙の書だったが80年代中期以降にバイヤーズガイドにしていた読者は実際には少なかろう。とにかくエンターテイメントとしての自動車評論(家)としては傑出した存在だった。
・徳大寺さんが日本車に与えた影響は途轍もなく大きいですね。 「内装のデザインが皆同じ。一度車に乗り込めば内装しか見えないのに」 「ドイツ車に比べて日本車のハンドリングが極端に劣っていること」 「タイヤのサイズ、質に無頓着なこと」 「コストダウンの為にシートの出来が酷い」 その他色々・・・。
三本和彦さんと共に、日本車の改善に大きく貢献された方だと思います。 2005年に三本さんが新車情報を退任され、「間違いだらけの・・・」も終わりました。それと時を同じくして、日本車のデザインが崩壊に向かったのは皮肉なことです。
・日本の自動車市場は完全に崩壊してますからね。普通の国なら自動車の販売ランキングは各メーカーの主力車が入り乱れてますが、日本の場合はトップ10はトヨタだらけです。これはクルマ選びの基準が乗りたいクルマではなく、リセールの良い車だからです。 クルマは憧れの存在から不動産や株と同じ資産になった。だからリセールの良いトヨタのクルマしか買わない。その結果がトヨタ以外が売れないという異常な状況を作り出してます。 トヨタ以外のメーカーが良い車を作っても売れないんですから、やる気をなくすのも仕方ないと思います
・徳さんは先見の明があったと思う。 マークⅡ三兄弟が馬鹿売れ、4ドアセダンばかりだった頃でも、 当時不人気だった3/5ドアハッチバックの実用的な使い勝手を評価していたし、 SUV的な車の評価もしていたように思う。 実際、今になって、街を走る実用的な5ドアハッチバックやSUVが多くなったように感じる。 同時に、徳さんも、ここまでスライドドアの軽(N-BOXなど)や巨大なワンボックス(アルファードなど)が増えるとは、思っていなかったんだろうな。
・その昔、徳大寺先生から教えていただいた名古屋のショップさんと今もお付き合いが続いています。彼がいなかったら私の今のカーライフは無かったと断言出来ます。天国から温かく見守ってくれていると信じてます。
・徳大寺さんはクルマに関する辛口評論で名を馳せたが、ある日、書店でふと彼の愛猫に捧げる本を読みました。優しくピュアで愛にあふれた記述、まるで無垢な少女のように一心に猫に愛情を注ぐ姿、クルマの評論と全く違う一面を知り驚いた覚えがあります。
・若い頃、車選びに徳大寺さんの間違いだらけを参考にしていました。評価に忖度がなかったからです。また週刊誌には、俺と疾れという連載コーナーを持っており、読者からの強烈な異論反論に対しても正面から受け止め、氏なりの回答を載せていた。そんな真面目で男気のある態度が好きでした。メルセデスをメルツェデスとか、ジャガーをジャグワーと書くのも個性溢れていた。今、この人と比肩できるモータージャーナリストはいらっしゃるだろうか。申し訳ないが私は存じ上げない。
・もう10年なんですね。彼の後を継いでいると思われるモータージャーナリストは未だに見当たりません。それだけ偉大な方であり、モータージャーナリストという仕事のジャンルを確立された方だとおもいます。間違えだらけ〜 はよく読みましたが、私の受けた印象は、売れ筋だとか、下取り残価とか、周りの評価ではなくて自分が好きだと思えるクルマ、つまり主観で選びなさいと言うことを仰っていたとおもいます。好みで選ぶと売れ筋を外すので、金銭的には損をしたようにみえても、払った以上の経験とか満足をえられると言うことを体現していたのでしょう。それがいわゆるエンスーカーと理解してます。次はエンスーカー、買うつもりです。
・自動車には文化的側面、もっと言えば貴族的側面は否応なしにある。そういう観点から自動車評論するのはある意味王道なわけだが、もうそういうスタンスで批評できる自動車評論家はいなくなった。強いていえば松任谷正隆氏ぐらいだが彼は上級国民呼ばわりを恐れてか、あまりそこには踏み込まない。徳大寺氏の名言は数あるが思い出されるのは「貧乏は仕方ないが貧乏臭いのは嫌だ」。一世を風靡したコロナマークⅡに対する批評である。しかし皮肉なことに徳大寺有恒の全盛期はバブル期までで、セダンやクーペの退潮とRV車の台頭とともに陰り始める。狭苦しいセダンやHTは駄目、偽物の高級車は駄目、という氏の考えは成就したが、余裕のない庶民はクルマに興味をなくしてハイトワゴン・ミニバン・SUVに流れて思考停止した。マークⅡも消滅した。私は徳大寺氏の批評を読んでフォード・コルチナ(コーティナ)マークⅤを買った。正論より感じ方が大事なのである
・徳大寺さんと「間違いだらけのクルマ選び」が本当にその価値を放ったのは、やはり最初に刊行された時だと思う。最初の「間違いだらけ」は、掛け値なしに捨て身の告発本だった。
徳大寺さんはトヨタのワークス・ドライバーを辞して「チェックメイト」という雑誌を立ち上げるも失敗、貧乏のどん底に落ちてしまう。しかし、そこで2台の車に出会う。ひとつが言わずと知れたVWゴルフ、もうひとつが、当時最も人気のない国産車であったいすゞのフローリアンであった。フローリアンは走らせると他の国産車と同様に情けないレベルでしかなかったが、ボディの設計、パッケージングだけは真っ当だった。それすらできずにアメリカ車のコークボトル調の見てくれだけを追っかけている他の国産車、それを甘んじて受けている日本の自動車界そのものを告発した本だったのである。このライターは、もっと「間違いだらけ」の過去にさかのぼって記事を書くべきだったと思う。
・極端に酷い車がほぼ壊滅した点と、お金と権力に靡いて殆どの評論に中立性が垣間見れない点から、自動車評論は絶滅したものと捉えています。
事実を論ずれば早々に食えなくなる背景も理解出来るけれども、良好な関係を築く事さえ出来ない自動車メーカーの闇の深さを憂う。
・車の評論以外に目先の利益追求への警鐘やダンディズムや服装論等色々勉強させて貰いました 逝去された時に移り変わっていく時代を感じました もう10年も経ったのか 後を継いだ人はいませんでしたが私の中では福野礼一郎さんがそれにあたります 表現手法は全く違いますが本質を捉えて解り易く伝えてくれるところが同じなので
・「不男に生まれて」なんていう随筆もありました。ハンサムに生まれて女性からモテたかったと頻繁に書き記されています。 総じてクルマを媒体に、ヒトとしてオトコとして、どう濃密に過ごしたいのか…みたいな評論でしたね。クルマのルーツの欧米の文化にも造詣深く、街並みや洋服や家具やお酒、レストランにバーなんかについても言及されてました。
・徳大寺有恒はご存じの通り、ペンネームなんだけど、 あれだけ辛口の論評だったから、最初は出版社の草思社も 徳大寺さんが誰なのか、隠したらしいですね。 じゃないと業界から干される可能性があったので。 それが段々業界に受け入れられていったと。 そこにはやはりぶれない論評と、クルマに対する愛が あったからじゃないのかな。
・色々意見はあると思うが今のモータージャーナリストと言われている方達は仕事上ネガティブな評価はしなくなってしまった。 そもそも車を購入しようとしている人が評論家の意見なんか気にしないでしょう。関係雑誌の廃刊が形として現れている。
・初代ゴルフのことメルツェデスのこと… やはり徳さんがいなければ私も海外の車に乗ることはなかったでしょう。 自動車の本質を教えてくれた人。 またファッショナブルであり美食家であり 自動車がただの工業製品ただの家電製品である日本とは違う価値観であること全てを教えてくれた人。 後にも先にも現れることのない最高のエンスージアスト 徳大寺有恒。
・「日本車の中で最も名車と思うのはスバル360である」 「私は初代ワゴンRにはどれほどの賞賛も惜しまない」 「シトロエンGSは理想主義によってつくられた大変素晴らしい車だった」 「世の中の車が全て2cvのようなものになれば、むしろ安全な車社会に なるのでないか?」「車は売っても買っても損をするものである」などの 氏の言葉から、他の自動車評論家の方々とは明らかに自動車に対しての視野が 違う方だと感じました。
・昭和のテレビで車の安全性の討論したりとか真面目な功績はあるにせよ、まず人として面白い。欲望に忠実というか。モテたいけど自分がブ男なのはわかってるからおしゃれ頑張りました。そしてジュリアナ東京のwikiに載るほど遊びました。車は親がタクシー会社やってた時期もあり身近にあって若い頃から大好き。「間違いだらけ」は会社潰して食い繋いでいた時の起死回生の作品。バブルが弾けようがロールス、アストン、マセラティ、ジャガーマークⅡと古い車趣味全開。最晩年は正直不摂生が祟って運転しないで乗せてもらってインプレとか、若い子への語り部状態だったが、悔いはなかったと思うよ。
・自動車評論で得た利益は全てクルマに注ぎ込まないと評論なんて書けないとか金持ちじみた浮世なパワーワードで有名な方ですが、決して実家がお金持ちとかではなく、バブルで儲けさせて貰ったとかお金にはかなり謙虚な方だった。
・日本の自動車会社のトップには自ら車が好きなカーガイが居ないと嘆いていました。 今の日本にはモリゾーさんが居て車好きな後継者も居ると伝えたい。 あと徳大寺さんが子供の頃に歩いてたらスポーツカーに乗った石原祐次郎さんにお菓子もらった話はホッコリした。
・徳大寺さんの影響で客もメーカーもレベルアップしたと思う。後を継ぐ忖度をしない評論家も出現している。一番弟子を名乗るK氏みたいなお笑い枠もいるけどね。日本の自動車の発展に貢献した評論家ですね。
・うーん? 功罪両方ありますね。 ひたすらドイツ車、特にベンツを礼賛していた様な気がします。 また、何もわからない人達が徳大寺さんの評価を鵜呑みにして自身もその気になっていた人達も沢山いました。 この方が居ても居なくても日本車は発展しただろうし、今でも好き嫌いもあればコストの壁もある。確かに文章は上手かったとは思いますが、日本車の性能向上に貢献したは言い過ぎたと思います。
・「ここで注意したことは、とにかく先入観のないスタンスで、ナンバー付きのこの状態のクルマのよいところを伝えようというものだった。」 こういうのは書き手の自己満足にすぎない。何故なら絶対的な客観性というも のは世の中に存在しないから。 徳大寺氏が偉かったのは自分の価値観や好みを隠さず、自分が良いと思ったも のは良いとぶれずに主張したこと、なおかつ自動車メーカーや読者に全く媚びなかったところだ。
・提灯記事とは無縁の書き手でしたね。 「間違いだらけ」は毎年購入していました。
「車は買っても売っても損をする」 氏がよく書かれていた一言です。
工事で大量生産されるのだから、以前はそれが当たり前でしたが最近では新車購入しにくい車のリセール市場でとんでもないプレミア価格になってるケースがあります。
自由な資本主義経済ですから当然のマーケット理論かもしれませんが、氏がこの現状を見たらどう思ったでしょう…。
・若い頃はなんだコイツと思ってましたが中年になるにつれ輸入車に触れる機会が増えてきた今になると氏の言っていたことが良く理解できてきました。壊れないことにかけては日本車は最高ですが一芸に秀でる輸入車も面白く感じてきました。
・間違いだらけの車選び、面白くてよく読んだなぁ。なんか、ロマンがあった。当時は車を所有したこともない学生で何度も何度も呼んで想像をふくらませていた。 徳大寺さんも辛口と言われるけど、個人的には新車情報の三本和彦さん。ゲストに呼ばれたメーカー開発者に、欧州仕様は足回りはしなやかでシートは大きく厚みもある、なぜ日本仕様もそうしないのか(メーカーの方は欧州は速度域が高く航続距離も長いので・・・)的な言い訳したら、はいはいコスト削減でしょやれやれみたいな感じでバッサリ切り捨て。ごめんね不躾でと謝っていた印象。 ダイハツの人がこの車はトヨタさんと共同開発のエンジンで・・・と言ったときなんか「違うでしょ!ダイハツが開発した素晴らしいエンジンだよ。親分だから共同開発ってことにしないといけないのだろうけど、もっと自信をもって!」とありがた迷惑な激励していてダイハツの人があわあわしていて面白かった。
・89年版から年2回発行でバカバカしくなった00年頃まで毎年買ってたが 同じ車でも去年と今年で評価が真逆になってたりツッコミどころが 多かった 車の売れ行きや世間の流行などを考慮して上辺だけで断じてた印象が強い まぁ年1回だし表紙絵が好きだったから買ってたところもある もちろん目から鱗的に教えられる点もあった あとはややトヨタには甘かったかな、車種評論ではボロクソでも 巻末の通信簿では得点が何故か高かった
古本で80年代前半の間違いだらけを読むと具体的な試乗記が 掲載されていて中身が濃くベストセラーになっていたのも頷ける 本人的に何十年も続ける気は無くその後は惰性だったのかも ただ出版社の経営を背負うシリーズになってたから止めれなかったんだろう 実際05年で一旦終了した直後に潰れてからな
・徳大寺さんのフォルクスワーゲン理論は秀逸だった 迷うことなく購入したし、改めて徳大寺さんの理論の正しさを実感する毎日だ また、ファッションや趣味への造詣も参考になる
・ちょうど昨日日本自動車博物館に行って来ました。 徳大寺有恒さんの部屋が有りましたが、こんな所で執筆してたのだなと思い、感慨深くなっていた所に、こちらの記事、没後10年とは…早いですね。
・杉江博愛さんという本名を知らない人も多いな。 浮谷東次郎や福澤幸雄と交流があったっていうのもスゴい。
日産のテストコースで、 徳大寺さんが解説してる後ろで 黒沢元治さんがR32をぶっ飛ばしている映像が好きw
・徳さん、文章に味があった、論評は、独断と偏見だがそれも良かった、寧ろアングルはそれで無いと面白くも何とも無い、そして自動車文化をちゃんと勉強しているところが今の評論家さん達とは全然違いますね、そしてあまり知られてないが、トヨタワークスドライバーを経て石津謙介率いるVANの子会社的なレーシングメイトの重役、後に社長となり潰しちゃったけど青年実業家だったのも付け加えたい、
・車の方向性をきっちり踏まえる事、スポーツカーはスポーツカーとしてファミリーカーはファミリーカーとして何が大事なのかをお書きになったと。 スポーツカーの売り文句が「燃費が良いよ」では無茶苦茶だと、またファミリーカーがカッコよさを威張ってどうするんだと。この辺り正しく仰る通りだった。 ただ、不必要な常套句や比喩・揶揄が鼻についた。なにカッコつけてんだよと。
・常に外車贔屓で国産車を酷評していたイメージが強い。20年程前、国産車がまだ安かった時代に国産車全体を指して『妥協が多過ぎる』と言っていたが、 『じゃあ同じ値段で作ってみろよ』と思っていた。 但し、 ジャグア メルツェデス マゼラーティ スウェーター(セーター) 発音は真似をさせて頂いている。
・今の評論家なんてメーカーの広報みたいなモン。
徳大寺氏の間違いだらけシリーズで、ボロクソに書かれる車が気の毒になるくらいだった。 ですが、これが本来の評論家だと思います。徳大寺氏以外は三本氏も辛口で開発者をタジタジにさせてたな。
・自動車メーカーから車もらってたら辛口記事書けないですもんね。 ご存命の頃は変わった方だなーと思ってたけどあらためて読むと車への愛情がすばらしかったんですね。 ただ、レパードjフェリーに関してけっこう褒めてらっしゃった徳大寺さんとは意見が違うかなー(笑)
・今の自動車評論家は辛口の人本当にいなくなった。 少ない自動車関係の番組でも辛口評論しているのは ない。だから面白くないからあまり見なくなった。 三本さんの新車情報が懐かしい。
・もう10年ですか・・・。 車(評論家)関係もそうですが、ファッションにもお洒落な方でしたよねっ~ 当時、他にも自動車評論家と名の付く方は多々いましたが、一番紳士的(お洒落)な方でしたねっ 徳大寺有恒さんのコメント・ファッション好きでしたねっ。
・初代RAV4が爆売れした後に、ホンダが発売したCRV?をただの真似とえらく批判していたな。 ベンツが50万は高い!日本人は馬鹿にされているぞって怒っていた。 クレスタ、マークⅡ、チェイサー3兄弟のトヨタ的販売への皮肉。 初代ワゴンRを絶賛。 まだ内容を覚えているぐらいだから、そりゃあインパクあったなぁ。なつかしい。
・特定のメーカーのクルマは褒めそやし、特定のメーカーのクルマは長所を全く見ずしてこき下ろす。 徳大寺の本はそんな本だった。 だから今でも徳大寺に影響された読者が、特定のメーカーのクルマを見もせず乗りもせず駄目なクルマと決めつける。 だから、徳大寺の本は読むに値しないし大嫌いだ。
・35年ほど前に仕事で3、4回お付き合いさせて頂きましたが、当時2002ターボ乗っていましたがボロカス言われ個人的にはナシの存在でした。
・自動車評論家と言えば徳大寺さんと三本さんかな。やはり辛口でも仕事は来てましたが、今の評論家は仕事が減ると困るようです。CM出たら褒めるしか無いし。
・今はもう製品性能でも技術でも深さが好まれる時代じゃないもんなぁ。この方の評論は読んだことあるけど10年前で止めててよかったかも
・V35スカイラインがデビューした時世論は一斉にクソミソ批判したのを彼だけは大絶賛しながらも自身で所有しなかったのは何故でしょうか。
・三角窓 いつもの山坂道 開発エンジニアに、どうにかなりませんかね? ダメに思い事には辛口でしたね。 今の褒めちぎるだけ一部の自称評論家に爪の垢を煎じて毎日飲ませてやりたいです。
・良くも悪くも今では有りえない評論家でしたね!記憶では日本車に厳しく、欧州車を褒めていた内容が多かったですね。
・どの業界でも、評論における辛口とは=本当の事だと思う。忖度しないちょっと正しいことを言うと辛口と言われる。
・最近のネット記事はメーカーから金でも貰ってんの?ってよいしょ記事ばかり。価値観の違いほ有れど好きな評論家のお一人でした。
・オレはこのオッサンが大嫌いだった。 いつも「何様だよ」って思っていたし今も思っている。 間違いだらけの車選び? そんなもんね〜よ、好きな車が一番いい車なんだよって思っていたし、それを選んだユーザーを舐めてんのかって思ってた。 神格化する意味が分からん。
・彼がゴルフを評価しなかったら、国産高級車はビロードシートの車ばかりだったと思う
・徳大寺さんの文は読み応えがあり、その生き方も参考になる点が多かった。 今のモータージャーナリストは素人に毛が生えた程度だね。
・・小林彰太郎 ・徳大寺有恒 ・三本和彦
この3人を超える自動車評論家は未だにいない
・徳大寺有恒さんか~。懐かしいな。50歳以上のクルマ好きの人にしか分からないわな~。
・確か盲目の猫を飼っていたのでは? あと、車は猫足ジャギュア(ジャグァー?)が1番好きだったような…
・車選びに間違いなんかねーよ! 己が気に入ったから、金払って買ってるんだろうが、人の選択にケチつけるなんて何様じゃ!
・徳大寺さんの「メルツェデス」「ジャグァー」懐かしいです
・今のモータージャーナリストはメーカーの広報と変わらない…
・ジャグァとメルチェデスはお気に入りだったかと思います。
・ベストカーさん!見習って下さいね…
・現在のEVの評論を聞いて見たかったね。
・自分の好きな車以外は、本当の事を言う人だった。
・ことによるとこいつぁ。
・徳大寺さん懐かしい!
・面白いおじさんだったんです。シトロ〜エン!
・ジャグア メルツェデス マゼラーティ
・読ませる男。
・メルツェデス
・ジャグワ メルツェデス カーブレーター
・ガスペダルとか言う人
・あー 特に 三菱車 が嫌いだった人だね。
・今の自動車評論家を名乗る奴らは、新車の時は褒めちぎるけど人気がなかったりモデル末期だと手のひら返しで批判する。 特定のメーカーを叩いて喜んでるアホウもいたり、なんの参考にもならん
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