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アウガという大型ビルは、青森市のコンパクトシティー構想の一環として期待されたが、経営破綻を経て現在は市役所となっている。

青森市はコンパクトシティー計画に取り組んできたが、郊外の開発が進み、中心市街地の活性化が十分に実現されていないといった問題が浮き彫りになっている。

しかし、国政府も引き続きコンパクトシティー形成を推進し、市町村の取り組みを支援している。

(要約)

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JR青森駅前の大型ビル「アウガ」から少し離れた通りは空き店舗が並ぶシャッター通りとなっていた=青森市で2023年8月11日 

 

 色とりどりの洋服やユニークな雑貨が並んでいたテナントスペースは消え、職員が淡々と市民に応対する窓口になっていた――。 

昨年8月、JR青森駅(青森市)の目の前にある地上9階建ての大型ビル「アウガ」を、私は6年ぶりに訪ねた。かつて若者たちでにぎわった商業ビルは、無機質な市役所にリニューアルされていた。 

 アウガの前で駐車していたタクシー運転手の男性(69)は「アウガが破綻したときに比べれば、多少人通りは良くなったけど、どうせまた人も減っていくんでは」と吐露する。「行政に振り回されてきた街で、年々人口が減るのに、再開発ばかり進めてもまいねびょん(だめだよね)」  

 アウガは2001年にオープン。青果・鮮魚市場や市立図書館などが入った官民複合の再開発ビルで、「コンパクトシティー」構想の目玉と期待された。当時の新聞記事によると、オープン時は開店前から多数の市民が並び、午前9時の開店と同時にプレゼントしたオリジナルバッグ3000個が約20分でなくなる盛況ぶりだった。 

 市民図書館も来館者でにぎわった。当時の職員は「来館者が朝からずっと途切れない。こんなに来るとは……」と驚いていた。ただ、年間400万人の来館者目標を掲げたが、当初から入場者数が目標の半分にとどまり、前途に暗雲が漂っていた。 

 

コンパクトシティー構想の中核として期待されながらも経営破綻した駅前ビル「アウガ」。現在は市役所の一部部署が入り駅前庁舎となっている=青森市で2023年8月11日 

 

 青森市がコンパクトシティーに取り組んだ主な狙いは、郊外の除雪負担を軽減することだった。青森市は世界有数の豪雪都市。高度経済成長期に郊外まで住宅が広がり、除雪作業の負担が市に重くのしかかっていた。郊外の一戸建てに住む高齢者を中心街のマンションに移住させることで、負担を少しでも減らそうという発想だった。 

 アウガを運営する第三セクターは08年に23億円の債務が発覚するなど、慢性的な赤字が続いた。 

 アウガはオープン時の熱狂にはほど遠く、若者向けのアパレル店や美容室のテナントは入退店を繰り返た。徐々に増えていく空き区画には、カプセル自動販売機や休憩椅子、絵画展示場が設置されたり、高齢者向けの健康相談ブースが設けられたりしていた。 

 16年には三セクが24億円の債務超過に陥り、市が追加融資した2億円の回収が困難となったことで、鹿内博市長が引責辞任する事態となった。結局、200億円以上の公金が投じられたが、アウガは16年に経営破綻。市は18億円あまりを債権放棄した。 

 アウガは破綻直前に、青森市役所の窓口誘致を打ち出した。その際に打ち出したビジョンが「新たなにぎわいの創出」だった。 

 だが、現在のアウガを休日に訪れると、窓口は網をかけて閉ざされ、無人の役所からきびすを返す人の姿が時折見られるばかりだった。周辺を歩くと、にぎわいにはほど遠く、テナント募集の紙が張られた「シャッター通り」が広がっていた。 

 

 

アウガ債務問題で謝罪した青森市の佐々木誠造市長(当時)=青森市役所で2008年5月26日 

 

 「コンパクトシティーという言葉だけが独り歩きし、僕から言わせると大変心外だ」 

 1989年から約20年間、青森市長を務めた佐々木誠造氏(90)は取材に渋い表情で語った。 

 佐々木氏は99年、中心に商業施設などを集め、その周辺を居住エリアに、その郊外は開発を制限して豊かな自然を保護するという3層に分けた都市計画をつくり、「コンパクトシティー構想のはしり」として注目された。 

 当時、佐々木氏は建設省(現国土交通省)などの官僚に都市計画について説明を求められ、霞が関に何度も足を運んだ。「官僚から、首相官邸で説明するから教えてほしいと請われたこともあった。それほど国は青森の計画に関心を持っていた」 

 

年の瀬の買い物客でにぎわった地下市場=JR青森駅前のアウガで2009年12月30日 

 

 だが、コンパクトシティーの意味合いは次第に変わる。郊外に広がった居住地を中心部に集めるという概念は薄れ、商業主義を前面に打ち出した「中心地のにぎわい」という議論に偏っていった。佐々木氏は「街の真ん中さえ栄えればよいと誤解する市町村がいっぱい出てきた」と振り返る。 

 商業主義にとらわれていたのは国も同じだった。国は07年、中心市街地活性化法に基づき青森市のコンパクトシティー計画を認定。補助金を出す代わりに、アウガ周辺の歩行者交通量や小売業の商品販売額などの決められた指標について、年度ごとにチェックした。 

 青森市で経済部門を長く担当し、副市長なども歴任した佐々木淳一氏(69)は「都市の特性はさまざまなのに、国が一律の指標を定めて計画を管理するのは、当時からおかしいと思っていた」と明かす。 

 だが、国からは数字で成果を求められた。「制度に加わった自分たちも毎年、成果をアピールしないと次はない。だから目先の成果が出やすいハコモノにとらわれすぎた」 

 青森市は、国の支援を受けてアウガ周辺のハコモノ整備を進めた。ねぶた文化施設や市民ホールが整備されたが、人口減少が進む中、集客は進まず、街中心部のにぎわいは年々失われていくように感じられた。 

 結局、市は計画した交通量や商品販売額などの目標値を最後まで達成できなかった。 

 

 

郊外にある大型ショッピングセンターの駐車場は買い物客の車で埋まっていた=青森市で2023年8月11日 

 

 国土交通省が中心地の活性化を掲げる一方で、経済産業省は郊外開発を進めるという、縦割りに起因する国のチグハグさも、制度を骨抜きにした。 

 中心市街地ににぎわいを求めたい青森市のコンパクトシティー構想に対して、青森市郊外には規制対象に満たない中規模のショッピングセンターなどが進出し、開発に歯止めがかからなかった。 

 今も市民の買い物は郊外が主流だ。今回、郊外にある大型ショッピングセンターを訪れてみると、閑散とした中心市街地とは対照的に、買い物客の車が広い駐車場にぎっしりと並んでいた。 

 コンパクトシティーに詳しい氏原岳人・岡山大准教授(都市計画)は国の政策について「中心部の活性化に偏重し、郊外の土地利用規制が不十分だった。土地利用規制はハードルが高く、行政は『街のにぎわい創出』という聞こえが良いところから入ったが、結局規制ができなかったため、需要は郊外に流れてしまった」と話した。 

 こうした批判の高まりを受け、国は居住地や商業地を郊外から中心部に誘導する街づくりに方針転換していく。 

 2014年には、自治体が住宅地や商業地を誘導するような「立地適正化計画」を作れば、国が補助金などで後押しする制度ができた。 

 氏原准教授は「立地適正化計画の作成を機に、郊外の開発許可を厳しくしようという自治体も現れてきた」と評価する。 

 

 政府は現在も、コンパクトシティー形成を「国策」としている。関係省庁による支援チームをつくり、市町村の取り組みを支援している。 

 国土交通省によると、23年3月末現在で全国675自治体がコンパクトシティーを目指す「立地適正化計画」を作成・公表しているという。 

 コンパクトシティー失敗の烙印を押された青森市ではその後、アウガ周辺だけでなく、郊外にある複数の拠点に住宅地や商業地などを誘導する多極的な「立地適正化計画」をつくり、街の立て直しを図っている。 

 青森市では、アウガから少し離れた県庁近くの市街地・新町(しんまち)周辺などで再開発が進み、真新しい商業ビルやマンションが建ち並ぶ。新町再開発には国や青森市が計約33億円の補助金を投じた。 

 だが、中心市街地全体の人通りはけっして多いとは言えない。青森商工会議所などが22年10月に実施した調査で、中心市街地の歩行者通行量は平日5万3044人。かつて中心市街地活性化計画で定めた目標値の7割程度にとどまった。 

 青森市の30代男性は「新しい施設もでき、コロナ禍明けやインバウンド需要で結構賑わいも増えてはいるのかもしれないけど、期待したほどではない。それでも中心地開発は一度お金を投入してしまえば途中ではやめられないのでしょう。かつてのアウガのようにいつまで続くんでしょうね」とウンザリした様子で話した。 

 

※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

 
 

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