( 163112 )  2024/04/24 16:28:08  
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「弱者男性」という言葉は、貧困や障害などで弱者になる男性を指す。

弱者男性はバッシングを受けやすく、ネット上で差別や女性差別の対象となることもある。

実際には、多くの男性が社会的弱者として生きづらさを感じており、その数は最大1500万人に上るとされている。

弱者男性は、容姿や収入だけでなく、さまざまな事情や困難を抱える男性を包括する概念であり、支援が必要とされている。

弱者男性の認知度は低く、男性同士のコミュニティ内でも受け入れられない状況もあり、支援の必要性が高いとされている。

(要約)

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 あなたは、「弱者男性」という言葉を知っているだろうか。弱者男性とは、貧困や障害など、弱者になる要素を備えた男性のことである。 

 

「僕たちは、存在しないんです」 

 

 ある弱者男性は、そう語った。 

 

 なぜなら、自分が弱者だとアピールすれば「自業自得。自分が努力しない言い訳をしているだけ」とバッシングを浴びるからだ。男性は女性に比べて強い、だから弱者男性などいるわけがない。そういった言説が、ネットには溢れている。 

 

 だが、弱者になる理由は、本当にその男性だけに原因があるのだろうか。2024年4月24日発売の書籍『弱者男性1500万人時代』では、弱者男性について独自調査を多数実施し、弱者男性のリアルにエッセイストのトイアンナ氏が迫った。 

 

※本稿は『弱者男性1500万人時代』(扶桑社新書)から抜粋・再構成しています。 

 

 弱者男性は、 

 

・キモい 

・汚い 

・女性差別をしている 

 

 といった目で見られる存在だった。 

 

 しかし、この世に女性差別があるように、男性への差別もある。小樽商科大学の池田真介教授による推計では、多重債務者の家族や宗教2世、性的マイノリティなどの「弱者になり得る男性」は、最大1500万人も存在しているという。なんと、男性の4人に1人が、今も生きづらさを抱えているのだ。 

 

 はじめに、「弱者男性」という言葉が生まれた時代背景に触れてみよう。急激な社会情勢の変化に伴い、一億総中流と言われた日本は過去の遺物となった。2018年のデータでは、日本人の6人に1人が世帯年収127万円以下の貧困状態にある。 

 

 なんと、100人に1人の日本人は、1日210円未満で暮らしている。弱者男性とは、こうした社会の荒波にまぎれ、インターネットから新たに誕生した言葉である。かれらは、日本社会のなかで独身・貧困・障害といった「弱者になる要素」を備えた男性たちだ。 

 

 ただし、年収○○万円以下といった数値で厳密に定義されているわけではない。弱者男性がネットスラングから誕生した言葉であるからには、数字で割り切れる定義を持たないのだ。 

 

 

 逆に、「誰が弱者男性か」を数量的に定義してしまうことで、弱者男性の枠から切り捨てられてしまう男性が出てきてしまう。むしろ、あらゆる男性が持つであろう「弱者性」にハイライトを当てるため、この言葉が生まれたといっていい。 

 

 たとえば、年収2000万円の男性がいたとしよう。それだけの年収があれば初見では間違いなく「強者男性」と呼ばれるだろうが、その年収の大半を妻からのDVによって奪われ、本人に経済的自由がまったくない場合はどうだろうか。 

 

 そのような男性のことを、決して「強者」とは呼べないのではないか。弱者男性とは、こういったさまざまな事情を抱えた男性を包含する、大きな言葉であることをまず明確に示したい。 

 

 弱者男性とは、数字で推し量れる存在ではない。たとえ世間一般的に収入が高いといえる男性でも、さまざまな事情が複雑に絡み合い、弱者になりうるのである。 

 

 弱者男性を知るためにはまず、2015年にネット論客の一柳良悟氏が生んだ「キモくて金のないおっさん(KKO)」という概念について語る必要がある。この言葉自体がドギツイ響きを持っているが、まずはぐっとこらえて読み進めていただきたい。 

 

「キモくて金のないおっさん(KKO)」とは、容姿に恵まれず、年収が低い中年男性を指すネットスラングであり、先述の弱者男性より先行して生まれた言葉である。略して「キモカネ」と呼ばれることもある。 

 

 X(旧:Twitter)上で「オッサンの貧困を最近扱っているけど、驚くほど共感を得られない。性の商品化が問題などと言う人もいるけれど、買えない、売れない、キモくて金のないオッサンの方がどう考えても詰んでると思うのは俺だけ?」と一柳氏がつぶやいたことが発端となり、一気に世の中に広まっていった言葉だ。 

 

 人々の間で「キモくて金のないおっさん」概念が認知されていった背景には、2000年ごろから問題視されるようになった孤独死問題、2008年に起こったリーマン・ショックを経てテレビを賑わせた年越し派遣村問題などがある。それまで、世間一般から見て「強者」として君臨していた男性が、実は社会的弱者の場合もあることが、少しずつ認識されはじめたのだ。 

 

 

 そして近年、「キモくて金のないおっさん」という言葉が差別的であるとして「弱者男性」と言い換えられ、今に至る。だが、そのエッセンスを見失ってはいけない。容姿に恵まれない、お金がない、中年であるといった要素が「キモい」と、軽蔑して扱われるという現実を鋭く切り取ったのが、この言葉だったからである。 

 

 そして、「弱者側に追いやられる男性がいる」事実への注目度は、女性や子どもの人権問題と比較して、かなり低い。そして、弱者男性の存在は世の中に認知されてはいるものの、支援の手はあまりないのが現状だ。 

 

 さらに、「弱者のコミュニティでも男性は受け入れられない」という問題がある。かつて自身もひきこもりであった、吉本さんはこう語る。 

 

――同じひきこもりで、弱者同士でも、中年以上の男性は浮いてしまうんです。 

 

 対して、女性は中年でも輪に入っていきますね。女性はお風呂に入れていない体調でも、何でも入れる。男性は清潔感がない時点で、輪から外されます。それが当然だと思われています。 

 

 引きこもりの会ですら、空気読みが必要になります。弱者男性は5人に1人くらいいるんですが、距離感を一気に詰めすぎて避けられてしまう。たとえば宗教や政治の話を、まあまあ初対面でしちゃうとか。 

 

 そういうことをすると、自助グループの常連なのに、打ち解けるフェーズで失敗してしまって誘われなくなってしまうんです。治療を継続して受けている人が集まっているのに。つまり、カウンセリングすら頑張って受けて、自助グループまで勇気を出して来た方が多いのです。 

 

 社会人の会でならまだしも、弱者同士ですら排除されるという…。弱者男性のコミュニティでもだめだと、自分は本当にダメだと絶望してしまいます。そこで打ち解けられなかった人をたくさん見てきましたが、その人はいまどうしてるんだろう……。 

 

 実際、自助グループでの活動に参加したにもかかわらず、そのグループ内ですらうまく溶け込むことができない人は一定数存在する。弱者同士であっても、必ずしもお互いを理解し合い、心を通わせられるわけではない。 

 

 書籍『弱者男性1500万人時代』では、弱者男性の立ち位置に置かれてしまった男性が、支援を得る方法や、自身を救うための手法が書いてある。自助グループやNPOも頼れないなかで、弱者男性が立ち上がるための支援は少ない。それでも、今を生きるための手段を案内している。 

 

トイアンナ 

 

 

 
 

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