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「レコード大賞歌手」から1曲1000円の「ゴールデン街の流し」へ 彼女が選んだ意外な人生

東洋経済オンライン 5/9(木) 13:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/16b42442ee928a9637ad86c2b3bc2818bf90528f

 

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新宿ゴールデン街で唯一の流しBe-B(ビービー)さんは、新宿の飲み屋街を歌でさすらう中で客のリクエストに応える活動をしている。

彼女はかつてメジャーデビューやレコード大賞新人賞を受賞した経歴を持つ。

流しの活動に誇りを持ちながら、現場で歌うことが歌手にとっての原点であり、それを実践している。

過去に様々な浮き沈みや挫折を経験したBe-Bさんは、音楽を求めて道を切り開いて活動を再開し、今は新宿ゴールデン街の名物として多くの人々を楽しませている。

彼女は、現在の環境に感謝し、幸せを感じながら活動を続けている。

(要約)

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新宿ゴールデン街で活動する唯一の流しが、Be-Bさん。彼女が選び取った生き方とはーー(撮影:梅谷秀司) 

 

 「一曲いかがですか?」 

 

 ギターをかついで飲み屋街をさすらい、客のリクエストに応えて歌や演奏を披露する人がいる。「流し」と呼ばれる人々だ。 

 

【写真】メジャーデビューしていた90年代当時のBe-Bさん。2006年、音楽活動を再開した後のBe-Bさんなど 

 

 全盛期だった昭和には、新宿だけで数百人の流しがいたとされるが、カラオケの普及などさまざまな要因で激減。現在はなかなか見かけない存在になっている。 

 

 そんななか、新宿ゴールデン街で活動する唯一の流しが、Be-B(ビービー)/和泉容(いずみよう)さんだ(2つの名義で活動。本記事ではBe-Bに統一)。 

 

 メジャーデビューやレコード大賞新人賞受賞など、ミュージシャンとしてそうそうたる経歴を持つBe-Bさん。なぜ流しになったのか、流しとしてどのような日々を送っているのか、取材した。 

 

■現場で歌うことが歌手にとって原点 

 

 22時過ぎ。カウンターだけの狭い飲み屋に、ボン・ジョヴィの曲が響き渡る。Be-Bさんによる引き語りだ。 

 

 力強く、静かに、激しく曲が進み、終わると拍手や歓声が巻き起こる。「ヒュー!」「めちゃくちゃ格好いい!」「次はこの曲をお願いします!」と客たちがまくしたて、Be-Bさんは笑顔で「ありがとう!  ちょっと待ってね、のど乾いちゃった」と、おごられたジンのロックをぐいっと流し込む。 

 

 「じゃあ、いきますね」とギターを構え直すと、空気が一変。ライブの本番前さながらの、つかの間の静寂と緊張感を破り、再び演奏が始まった。 

 

 流しが歌う曲は、かつては演歌が主流だったが、Be-Bさんのレパートリーは海外のロックやポップスが中心。日本の歌謡曲にも対応できるが、基本的には「ハードロック流し」と名乗っている。黒で統一された衣装や力強いまなざしからも、ロックシンガーの風格が漂う。 

 

 料金は1曲1000円。平均すると週3~5日、21時から朝方まで、1日10~30軒を回って客のリクエストに応える日々だ。 

 

 Be-Bさんは2016年から流しを始め、コロナによるブランクを経て、2021年から本格的に活動を再開。今やすっかりゴールデン街の名物として、ベテランの酔客から、流しを初めて見る若者や外国人まで、多くの人々を楽しませている。 

 

 1日に5万円近く稼げる日もあれば、数千円のときもある。収入的には不安定だが、それでもBe-Bさんは流しの活動に誇りを持っていると話す。 

 

 「流しって、昔は蔑称で呼ばれることもあった芸人なんですが、芸能界のいしずえをつくってきた人たちでもあるんです。戦後のラジオやレコードしかない時代に、譜面を手書きして、夜どおし飲み屋やキャバレーで生演奏をして歌う。そして人気の出た歌手が芸能界を築いていったんですね。歌手にとって原点である、現場で歌うこと。それができているのは本望ですし、胸を張れます」 

 

 

■デビュー1年目でレコード大賞新人賞を受賞 

 

 だが現在に至るまで、Be-Bさんの音楽人生は激しい浮き沈みがあり、栄光も挫折も味わってきた。 

 

 幼少のころから歌うことが好きだったBe-Bさんは、親戚の集まりではおもちゃのマイクを持って歌を披露、小学校2年生の文集では「歌手になりたい」と書いた。中学生のころ、兄が家でよく洋楽をかけており、ハードロックに夢中になる。コピーバンドを結成し、Be-Bさんはボーカルとして、中学・高校と打ち込んだ。高校卒業後は歌手になるために上京し、さまざまな仕事をしながら音楽活動を行った。 

 

 「最初は寮のあるレストランに入社したのですが、拘束時間が長くて、これじゃ音楽活動ができないなと。1年弱で辞めて、フリーターのロック姉ちゃんになりました。カラオケスナックでバイトもしたし、当時はキャバクラに箱バン(生演奏のバンド)が入っていたので、働きながら歌ったりもしました」 

 

 1994年に転機が訪れる。バンドメンバーの後輩経由で知り合った音楽プロデューサーから声がかかり、デビューが決まったのだ。決め手はBe-Bさんの声質。歌唱力は練習でうまくなるが、声質は生まれ持ったもので変えられない。そこを評価され、「真夏の愛YAIYAI!」でデビューしたのだった。 

 

 念願かなったわけなのだが、事務所が売り出した方向性はアイドル系。大好きなハードロックのようにシャウトして歌うことは許されず、明るく澄んだ声でレコーディングに臨んだ。楽曲も、自身が作詞作曲したものは「こんな地味な曲は売れない」とボツにされ、ふてくされそうになる気持ちを抑えて、用意された曲を歌った。すると、セカンドシングル「憧夢~風に向かって~」で、第36回レコード大賞新人賞と日本ゴールドディスク大賞新人賞に輝いた。デビュー1年目にしての快挙である。 

 

■芸能人じゃなくて歌手になりたかった 

 

 人生が変わったのかと問うと、謙虚な笑みを浮かべながら「少しだけ」とBe-Bさんは頷く。 

 

 「当時、空手道場に通っていたんです。教えてくれていた内弟子の人たちは、地方から出てきた大学生ばかりで、お金がないからいつもカップラーメンを食べているわけですよ。私は印税をどう使えばいいかわからないから、みんなによくご飯をおごっていましたね。親に100万円を仕送りしてみたりもしました」 

 

 

 デビュー1年目に出したCDは、累計100万枚以上の売り上げを記録。知名度も一気に上がったが、当時の年収は1000万円以下。作詞作曲は行っていなかったため、歌手としての印税1%が入るにとどまったのだ。 

 

 さらに翌年以降、ほかのミュージシャンを打ち出す事務所の方針もあり、Be-Bさんのスケジュールには白紙が増えるように。本来やりたかったハードロックとの乖離もあって、現状に違和感を覚えるようになった。 

 

 「がむしゃらに頑張っていたけど、なんか違うなーみたいな。だって人前で歌う仕事はほとんどなくて、ラジオ番組で喋ったり、雑誌のインタビューで何回も同じこと言ったり。私は芸能人じゃなくて歌手になりたかったけど、そのときにいた環境では難しいんだって気づきました」 

 

 また、当時はCD全盛の時代。100万枚や200万枚が売れることも珍しくなかったが、Be-Bさんいわく「誰が歌っても変わらない曲」「売れそうな曲」がシステマチックに次々とリリースされていた。楽曲も歌詞もミュージシャンも、いわば使い捨て。そんな環境で活動をするうちに、ストレスで体調を壊し、事務所からの退所と活動休止を余儀なくされた。1999年のことである。 

 

 音楽から離れて平穏な暮らしを送るなか、知り合った男性と結婚。出産もして幸せに暮らしていたが、音楽をしたい気持ちが再燃し始める。夫に相談すると、「趣味だったらいいよ」と言われたが、もう一回本気で取り組みたかったBe-Bさんは譲らなかった。 

 

 「じゃあ別れて、みたいな。それでバツイチになるわけです。親権も取られちゃって……あ、大丈夫ですよ、今となっては笑い話ですから」 

 

■横浜の飲み屋街で初めての流し 

 

 約3年間のブランクを経て、Be-Bさんが活動再開の場に選んだのは路上だった。バンドではなく弾き語りで、いわゆるストリートミュージシャンである。 

 

 事務所の後ろ盾もなく、一人で道を切り拓くしかなかったため、アマチュアがするような活動にあえて身を投じたのだった。過去の栄光をひけらかすことはせず、とにかく自分の歌を聞いてほしいという思いで、大好きなハードロックをひたすら歌い続けた。まさに初心に戻っての再出発だった。 

 

 

 新橋駅の駅前で弾き語りをしていると、喜んでくれる人や、多めにチップをくれる人もいた。一方で「うるせえ!」と怒鳴られたり、「ギターの弾き方がなってない」と絡まれたりもした。良い日も悪い日もあったが、本当にしたい音楽をしたいやり方で表現できることに、これまでにない楽しさを感じていた。 

 

 初めて流しをしたのは2016年。横浜の飲み屋街でバーを経営する知人に誘われたのがきっかけだった。その知人は洋楽好きで、Be-Bさんが歌うハードロックに大喜びだったが、近隣の店にも寄ってみたところ、反応はさまざまだった。 

 

 「歓迎してくれるお客さんもたくさんいたけれど、嫌な顔をする人とか、全然こっちを向いてくれない人もいました。当時は投げ銭にしていたのですが、1円も出してくれない人もいたり。すごく勉強になりましたが、やっぱりガチの流しは難しいなと思いましたね」 

 

 飲み屋のつながりで新宿ゴールデン街の店主たちを紹介され、「こっちでもぜひ」と誘われた。やってみたものの、知り合いの店以外ではなかなか要領がつかめない。流しは入った店の空気を瞬時に読み取り、客たちの懐にすっと入り込む技術や、潔く引く判断も重要になるため、歌や演奏だけできても務まらない難しさがあるのだ。結局、数カ月で休止することに。 

 

■今に感謝して、「幸せ」って言えたら勝ち 

 

 それでも音楽の練習は欠かさず、ライブバーなどで月10本前後のライブをしながら、清掃の仕事をして生計を立てる日々。実はこのころ、Be-Bさんは偶然「家、ついて行ってイイですか?」というドキュメンタリー番組に出演し、当時の暮らしについて「超幸せ」と語っている。自分の望む音楽活動を、十分に実現できていたわけではなかったが、その裏にあった思いをこう明かす。 

 

 「今が幸せじゃないと思ったら、人生ヤバいでしょ。ケンカでボロボロにやられても、『今日はこのくらいにしといてやろう』って言うみたいに、どんな状況でも今生きてること、今あるものに感謝して、『幸せ』って言えたら勝ちなんじゃないかな」 

 

 

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(まとめ) 

- 日本の音楽シーンでは、海外レコーディングや路上ライブ、ネットでの活動など、様々な形でアーティストが活動している様子が窺えます。

特に路上ライブからデビューするアーティストも増えているようです。

 

- 一部のアーティストは環境や事務所との関係などで落ちぶれてしまうこともあり、時代の速さとの相克が感じられます。

 

- レコード大賞新人賞受賞者については、その後の活躍や評価、環境などに関する意見が様々あります。

また、その活躍に対する報酬や著作権などについての意見も見られます。

 

- 流しや路上ライブに対する懐かしい思い出や、新たな出会いを求める声が多く寄せられています。

また、一部では外国人の流しに関する負のイメージも述べられています。

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・海外レコーディングした彼女のアルバムに参加したアメリカのギタリスト、アル・ピトレリ(ウィドウメイカー、90年代のエイジアなどに在籍)が、後に雑誌「BURRN!」のインタビュー中に「今どうしているのかな?」みたいな感じでポロっと名前を出したけど、インタビュアーに思いっ切り無視されるという。邦楽界をひたすら下に見る酒井康イズムを痛感した瞬間だった。今では日本のアーティストが普通に巻頭を飾るようになりましたが。 

 

彼女自身はテイチクとの契約が終わった後も、バーテンダーをしながら自主盤を出したりして、歌を続けていたと思う。 

 

 

・大昔は流しからプロデビュー。ちょっと前は路上ライブから(今もある)。現在はネットから。コンテスト等も昔とは変わってきた(大昔はポプコンやスター誕生とか。今はオーディション番組でプロモーションも兼ねてたりする)。 

 

路上ライブ→小さなライブハウス→箱の大きいライブハウス→(ここで事務所の目に留まる)→デビュー … なんてのが通常の流れだけど、ネットで公開したらSNSでバズってなんてのが増えてきた。 

 

アナログで地道な活動はナマの自力がつくけど、デビューまでに時間がかかって時代の速さとは相いれないのかな。 

 

 

・同世代だけどBe-Bなんていたかな?しかもまだ今よりは権威のあった頃のレコ大新人賞?と思いYouTubeで彼女の曲を聞いてみたら確かに聞いたことはある曲でした。 

当時はアイドル崩れをバンドのボーカルに据えたりイマイチのアイドルにロック調の歌をリリースするのが流行っていたけど正にそのパターンの曲でしたね。 

でもいかにも流行りに乗った感が強くて損している感じ 

曲や歌唱力はもっと評価されても良いと感じる曲でした。 

彼女が新橋で路上ライブしていた時期はほぼ毎日新橋で呑んでいたからひょっとして聞いていた路上アーティストの中にも彼女がいたのかな? 

 

彼女の流し、一度聞いてみたい 

 

 

・こういう実力と実績あるのに環境に恵まれず、落ちぶれていった歌手を再発掘できないレコード会社やプロダクションにも問題ありそうな気がする。 

ま、運も実力の一つかもしれないし本人の気質が邦楽界や芸能界に合っていなかったのかもしれんが。 

今なら配信という手もあるけどもう目立ちたくないのかも。 

 

 

・洋楽好きな私にはめちゃめちゃかっこいい生き方だと思います。 

使い捨てのくだらない流行歌なんかより何年、何十年と語り継がれる名曲は本物です。 

歌い継いでほしいと思います 

 

 

・ゴールデン街は、死なず。 

唐十郎さんが先日、無くなった。 

日本の所謂アングラ芸術を以て日本の若者たち、その後の芸術に大きな影響を与えた。 

一つの社会の中で、人々が発するエネルギーが激しくぶつかり合い流動していた時代の中で、歌手も俳優も漫才師も、商業主義に抗うような、時代に逆行するような熱い人間としての感情が迸っていた。 

浅草ツービート然り、赤テント、黒テント然り、又今や大御所などと呼ばれる演歌歌手なども、元々は私たち生活暮らしの眼前に光放っていた存在だったのだ。 

流しという存在が、その時代のエネルギーの灯を今なお輝かせていることに、不思議さを感じる一方で、止めどなく腐敗していくこの日本にあって、仄かな希望を再び感じさせてくれた。 

ゴールデン街よ!永遠なれ!! 

 

 

・流しの歌い手さんって、歌唱力はもちろん、歌のレパートリーも豊富でお客さんとのやりとりもつつがなくできる話術もないと、成り立たない商売でしょうね。 

素晴らしいです。 

 

 

・>デビュー1年目でレコード大賞新人賞を受賞 

 

「レコード大賞新人賞」はデビュー1年目で受賞するのが基本だから。プロ野球の「新人賞」はプロになって3年目でも取れるけど、定義が違う。 

 

それよりも「レコード大賞新人賞」受賞しただけで「レコード大賞歌手」と表現するのはおかしいだろ。 

「最優秀新人賞」ならまだしも、「レコード大賞新人賞」受賞した歌手なんてこれまで相当な人数出ている。そして忘れ去られている。 

「レコード大賞歌手」は、そんなに忘れ去られていない。特に昔の「レコード大賞歌手」は。 

第1回の「レコード大賞歌手」は水原弘だ。 

 

 

・大学生の時に彼女とのドライブで流してました。たまにカセットテープを引っ張り出して、妻とのドライブでも流しています。パメラとかキックスとか似たようなのが沢山いましたが、今だに聞くのはこの人だけです。 

 

 

・記事を読んでたら涙腺が弛みました。 

良い暮らしより、好い自分でいたい、なんて誰にでも出来る事で無い。 

 

自分は結婚不適合者と気付いたのが70歳。ふた回り下の嫁に離縁を申し渡されたのが、先週。 

まあ、仕方無い、と納得して即答で了解。 

やっぱ、自分が大好きなオレは人は好きになれないと3回目の離縁で気付いた。 

遅すぎるねーーーーーーえ。大爆笑 

 

彼女も年齢を重ねた時の気持ちは、どうなんだろう、って考えると、ズーッと今の気持ちで居て欲しいと願うばかりです。 

お幸せに... 

 

 

 

・>デビュー1年目に出したCDは、累計100万枚以上の売り上げを記録。知名度も一気に上がったが、当時の年収は1000万円以下。作詞作曲は行っていなかったため、歌手としての印税1%が入るにとどまったのだ。> 

 

カラオケの歌唱印税も同じようなモノ。 

歌手はヒットの恩恵を収入面では受けられない。 

歌手あってのヒット曲だろうに。 

 

 

・細川たかしの弟子も、細川たかしがいなければ今頃芸能界には残ってないと思う 

去年のフルーツジッパーも含め、最近のレコ大新人賞は疑問符しかつかない 

 

 

・毎度ごめんなさいの主題歌の「憧夢〜風に向かって〜」がスマッシュヒットしてますね 

相川七瀬をもっとパンチを効かせた感じの歌い方で、結構好き 

 

 

・懐かしい歌手だなあ。ダウンタウンの歌番組に出た時become bonjovi の略でbe-bと言っていたので子供ながらに印象に残ってる。今でもボンジョビが好きなんやね 

 

 

・地方でも路上ライブが復活しているそうです。私が飲みに行かなくなったので、出会う機会がなくなってしまいました。ライブハウスも随分ご無沙汰です。週末のぞいてみようかな? 

 

 

・流しがなくなったのはカラオケのせいもあるが、著作権が厳格化されいちいち許可を取って使用料を払わないといけなくなったことが大きい。 

 

 

・藤圭子さんも、原点は白いギターで流しでした。流し、いちど聴いてみたい。もし遭遇したら、ボブ・ディランを一曲リクエストしたい。Like a rolling stoneを。 

 

 

・毎度ごめんなさいの主題歌ですね。懐かしい 

あとるろうに剣心のエンディングも歌ってました。 

 

 

・かっこいい生き様やね。 

酒飲まないんでそう言う場所には行かないけど、彼女の弾き語りは一度聴いてみたくなった。 

 

 

・家に2枚のアルバムが有る、どちらもサンプル盤だけど、未だに聴いてない!今夜でも聴いてみようかな? 

 

 

 

・なかなかお金出してくれないよね、お客さん。 

昔、自分のライブのチケット、売った事有ったけど、何時間も粘ってもチケット代くれなくて、じ~っと待ってたら、舌打ちしながら代金投げられた事も有った。 

爺になって、活動止めてしまいましたが。 

 

 

・流しと言えば、ドリフの加トちゃんと「だいじょうぶだぁ」のすわしんじのコント 

 

前者は歌いながら客の残りをつまみ食い、後者は今ではほぼ放送不可な替え歌のオンパレードでどっちも腹抱えて笑った 

 

 

・ひょうきん族のタケちゃんマン 

ブラックデビルとのコントに 

「流〜し流しそうめん、ギターの流しは2曲千円」 

ってのがあった 

 

 

・「選んだ」と言うより、まさに「流れ着いた」と言うべきか。 

好きな事を生業としている彼女は羨ましいよ。 

 

 

・確定申告する場合、所得の証明はどのようにされているのでしょうか。 

 

 

・流しで下手な人 

聴いたこと無い 

彼女も迫力が有るだろう 

聴いてみたい 

 

 

・前ゴールデン街でお見かけして、女性の流しがいるんだなと思った。盛り上がってた。 

 

 

・素直に久々に良い記事だなぁ。素晴らしい生き様。 

 

 

・レコード大賞新人賞受賞って、 

確か、今は亡きアングラ企業のレコード大賞だよね 

 

 

・アイ・ドント・ノウとか歌ってた時はアイドルのような人気がありましたね 

懐かしい 

 

 

 

・大賞歌手と出てるからちあきなおみかと思ったら全然知らないですね 

最近は新人賞レベル下がりましたね 

 

 

・正しくは「レコード大賞新人賞受賞歌手」でしたね。 

 

 

・3つで500円で御座います。 

当然、500円札で支払う時代でしたね。 

 

 

・旅行先で一遍でもいいので流しを聞いてみたい。飛騨かどこかで哀愁の高山とか。 

 

 

・「レコード大賞歌手」はミスリード。 

 

 

・藤圭子や北島三郎の生歌をまじかで聞けていたんだよね。 

 

 

・応援させてください! 

 

 

・『さすらいの太陽』峰のぞみの実写版のようだな。 

 

 

・レコード大賞受賞?誰ですか? 

 

 

・すごく、すごくいい記事ですね!! 

 

 

 

・流しって最近見ないなあ。 

 

 

・あ、流し!外国人も流しをやりたいってテレビで言っていたのはこれか。 

 

 

・いい記事だ 

 

 

・るろ剣のED歌ってた人ではないか!? 

 

 

・まっっったく知らないや 

 

 

・知らないなぁ~ 

 

 

・一曲1000円て高いな、それが流しの相場ですか? 

 

 

・動くな!JASRACだ! 

 

 

・文が長い。 

 

 

・納税義務は? 

 

 

 

・全く記憶にないのだけど汗 

 

 

・知らん名ぁ~ 

 

 

・レコード大賞? 

なんだ、また釣りか。 

 

 

・しっかり確定申告してください。 

 

 

・この方とは無関係の話ですが。。。 

 

私は飲食店を経営してますが、  

先日フィリピン人の流しが来て最悪でした。 

 

4人の女が勝手に入って来たと思ったら、 

断りもせず「寄付をしてくれ」のビラを渡し、 

大声で日本の歌謡曲の演奏を始めました。 

 

お客様も私も無視してれば帰るだろうと 

曲が終わるのを待っていたところ、 

最後のフレーズを金を払うまで永遠にリピート。 

 

しびれを切らしたお客様が1000円渡すから 

帰ってくれと言うと受取り、 

寄付ビラも回収して帰りました。 

もはや恐喝です。 

 

外人ってのは礼儀もクソも無いです。 

一部の人と思いたいですけどね。 

 

 

 

 
 

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