( 169523 )  2024/05/12 16:06:34  
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井手英策さんは、自身の経験から、「自己責任」論や社会の分断について問題提起している。

彼は自己責任論が社会を分断させ、生きづらい状況を生み出していると指摘している。

そして、日常の中で気づきや実体験を通じて、社会の変革に向けて大切な視点を示す連載を行っている。

第6回のテーマは「そばにいるということ」であり、他者との共にあることの重要性に焦点を当てている。

(要約)

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井手英策さんの連載第6回のテーマは「そばにいるということ」です(写真:maroke/PIXTA) 

 

財政社会学者の井手英策さんは、ラ・サール高校→東京大学→東大大学院→慶應義塾大学教授と、絵に描いたようなエリート街道を進んできました。が、その歩みは決して順風満帆だったわけではありません。 

貧しい母子家庭に生まれ、母と叔母に育てられた井手さん。勉強机は母が経営するスナックのカウンターでした。井手さんを大学、大学院に行かせるために母と叔母は大きな借金を抱え、その返済をめぐって井手さんは反社会的勢力に連れ去られたこともあります。それらの経験が、井手さんが提唱し、政治の世界で話題になっている「ベーシックサービス」の原点となっています。 

 

勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来の不安に備えるという「自己責任」論がはびこる日本。ただ、「自己責任で生きていくための前提条件である経済成長、所得の増大が困難になり、自己責任の美徳が社会に深刻な分断を生み出し、生きづらい社会を生み出している」と井手さんは指摘します。 

「引き裂かれた社会」を変えていくために大事な視点を、井手さんが日常での気づき、実体験をまじえながらつづる連載「Lens―何かにモヤモヤしている人たちへ―」(毎週日曜日配信)。第6回のテーマは「そばにいるということ」です。 

 

■娘の言葉に妙な引っかかりを覚えた 

 

 わが家の4歳の末娘。ゆっくり、ゆっくり、会話が上手になっている。そんな彼女のなかで、最近、流行っているのは、お父さんにやさしくすることだ。 

 

 「お帰り。今日も頑張ったね。肩もんであげようか?」 

 

 「のど渇いた?  ビール持ってきてあげようか?」 

 

 「お肉が大きいね。切ってあげようか?」 

 

 娘のやさしさ、健やかな育ちに触れ、心が癒やされる……のだが、じつは、妙な引っかかりを覚える「もう1人の自分」がいる。 

 

 正直に言おう。してあげる、という言葉が気になるのだ。 

 

 4歳児のやさしさに難癖をつけるのは、相当、大人気ないことだが、こればっかりは学者の性(さが)、どうしても気になって辞書で調べてみることにした。 

 

 広辞苑によると、「あげる」は、動作を他の人にして「やる」という意味の丁寧表現だそうだ。じゃあ、「やる」の意味は? と思い、調べてみると、こう書いてあった。 

 

 「同等以下の者のために労を執り、恩恵を与える意を表す」 

 

 

 文字は恐ろしいものだ。違和感の正体が一気に可視化された気がした。そう、私は、格下に恩恵を与えてやっているという、「上からの目線」に引っかかっていたのだ。 

 

 もちろん愛娘の言葉のつたなさは大した問題ではない。だけど、もし大人の世界で、この目線が当たり前の<日常>があったらどうだろう。 

 

 その日常は意外に身近なところにある。それは<福祉>の世界だ。 

 

 生活保護、介護、看護、養護、援助、介助、支援……誰もが知っている、当たり前のように使われている用語だが、じつは、すべてに「まもる(=護)」「たすける(=助・援・支)」という語が含まれている。 

 

 そもそも「福祉」とは「福」も「祉」も「しあわせ」を意味する。日本の福祉には、「私があなたを護り、助けて、幸せにしてあげる」という上下関係が刻み込まれているのだ。 

 

■上下関係の「下」に組み込まれることへの不安 

 

 人間は歳をとると、何らかの障がいを持ち、多くの人が福祉サービスを利用することになる。そんな未来に不安を感じるのは、きっと、私だけではないはずだ。 

 

 なぜか。それは、自分が朝から晩まで誰かに守り・助けられる存在になる、人様のご厄介にならないと生きていけなくなる、助けてくれる人たちに不平不満も言えなくなる、要するに、上下関係の「下」に組み込まれることが不安だからなのではないか。 

 

 みなさんはどうだろう。「してもらうこと」を「情けないこと」だと感じないだろうか。 

 

 アジア通貨危機が起きた1997年から1998年にかけて、失業者はいきなり50万人ほど増え、40~60代の男性を中心に自らの命を断つ人が続出した。たった1年で自殺者数は8000人以上増え、14年にわたって3万人を超えた。 

 

 私たちにとって「死」よりつらいことはない。でも、住宅ローンを組み、家族を養わなければならないと考えていた少なからぬ男性労働者は、生活保護や失業保険に頼る、つまり、人に助けてもらうくらいなら死んだほうがマシだ、と考えたのだった。 

 

 

 日本は不思議な国だ。母子家庭の母親が働きに出ると貧困率があがってしまう。なぜなら、パート労働をはしごして稼ぐお金より、生活保護で受け取るお金のほうが多いからだ。 

 

 働くと貧しくなる。なのに、母子家庭の母親の就労率は先進国トップクラスだ。フランスやスウェーデンでは、生活保護の対象者の8~9割は制度を利用する。でも日本の利用者は2割にも満たない。救済されることは、権利ではなく、失格の烙印のようにうつる。 

 

 「してもらうこと」は「情けないこと」。だから、私たちは誰かに頼ることを恐れる。お金を必死に貯めて、サービスを「買おう」とする。「してもらう」ではなく「させる」ために。金で片づける能力を持つ人たちを私たちは「自立した人間」と呼ぶ。 

 

■「生活保護=public assistance」に込められた意思 

 

 ここで新たな疑問が浮かぶ。私が娘の「してあげる」に違和感を覚えたのは、日本人らしさからなのだろうか?  それとも、どの国でも、事情は似たり寄ったりなのだろうか。 

 

 試しに「生活保護」という言葉を見てみる。英語ではpublic assistanceだ。assistanceの語源をたどってみるとラテン語のassistereであり、stand by、take a stand near、つまり「そばにいる」という意味が込められている。 

 

 publicの語源はpopulusであり、popularやpeopleと同源だ。現実の制度はどうであれ、英語圏では、垂直的な関係ではなく、「人びとがあなたのそばにいる」という水平的なつながりへの意思が言葉のなかに込められている。 

 

 そばにいるということ。してあげるのではなく、人びとが共にあるということ、私にとって、この違いはとてつもなく大きい。 

 

 社会福祉法人「訪問の家」の理事長である名里晴美さんは、重たい障がいを持つ人たちと「共にあろう」とする、私の大切な友人だ。他愛もない話をしていたときだった。彼女は僕にこういった。 

 

 「重度の身体障がい、知的障がいのある利用者さんで、身の回りのことは、ほぼ、どなたかのお世話になる人なんですけど、テレビで『嵐』が出てくると口角(唇の両わき)が動くんですよね。自信はないけど、たぶん彼女は、大野(智)さんが好きなんだと思うんです」 

 

 

 体が動かない。言葉も発せない。だから何かをしてあげてもお礼を言われることはない。それなのに、名里さんはその人のそばにいて、その人が何を感じ、何を幸せだと思うのかを全力で感じ取ろうとしていた。 

 

 彼女のような人たちは介護従事者と呼ばれる。介護従事者は、社会的に見て高い地位にある人たちとは言いがたい。 

 

 でも、彼女ら/彼らがいなくなった瞬間、重い障がいを持つ人たちは、他者との関わりから切断され、ひとりぼっちの存在になってしまう。そばにいることで人間の尊厳を精いっぱい守ろうとする仕事。介護の現場で働く人たちは、本当にすごい人たちだ、と思う。 

 

■私が心の危機を乗り越えられた理由 

 

 だが、このすばらしい物語は、心ある専門家の専売特許ではない。思えば、私自身、身近なところで同じような体験をした。 

 

 私は、2011年に脳内出血で生死の境をさまよい、2019年に母と叔母を火事で亡くす不幸に見舞われた。絶望の淵に立たされていたが、節目、節目を思い出してみると、連れ合いの穏やかな表情がまぶたに浮かんでくる。 

 

 当時の私は、毎晩、深夜まで、彼女に思いの丈をぶつけていた。正直、話した中身は、ほとんど覚えていない。だけど、彼女は私のそばにいて、文句も言わずに、黙って話を聞いてくれていた。この時間があったから、私は、心の危機を乗り越えることができた。 

 

 人間は温かな生き物だ。困っている人がいれば、悪い状況をいい状況に変えたくて、何かをしてあげたくなる。 

 

 もちろん、目の前の人に働きかけ、何かを変えることは大切なことだ。だけど、ただそばにいてもらえるだけでも、私たちは生きる力を手にすることができる。 

 

 人は誰しもが歳をとり、子どもたちに、仲間たちに、大なり小なり助けられて生きていくことになる。だから、「共にある」ことのすばらしさ、そのとてつもないエネルギーを、私たちはもっともっと分かち合っておきたいな、と思う。 

 

 

 
 

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