( 170280 ) 2024/05/14 16:55:29 0 00 photo by gettyimages
日銀の植田総裁は大型連休明けの先週火曜日(5月7日)から、“失言”の打ち消しに奔走している。
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“失言”とは、先月(4月)26日の金融政策決定会合後の記者会見で、円安に関して「基調的な物価上昇率に今のところ大きな影響を与えていない」と言い放ったことだ。あの発言は、結果的に、投機筋に、このところの急激な円安の主因とされていた日米間の金利格差を縮小するため日銀が利上げの前倒しに踏み切ることはなさそうだとの円売りに対する安心感を与えてしまい、連休中の「昭和の日(4月29日)」に海外の外国為替市場で円が34年ぶりという歴史的な安値を記録する引き金になったとされている。
そこで、植田総裁はまず、先週の火曜日、岸田総理を官邸に訪ね、会談後、記者団に、総理と説明したこととして「円安について、日銀として十分注視していく」「基調的な物価上昇率にどういう影響が出てくるか注意深くみていくということだ」と軌道修正を開始した。
その後の2日間は、衆参の財政金融委員会で、「過去と比べ為替の変動が物価に影響を及ぼしやすくなっている」「基調的な物価上昇率に為替変動が影響する場合は政策上の対応が必要」とトーンを強め、連休前とはほぼ真逆の利上げの前倒しも辞さない姿勢への”変身“を加速した。
しかし、こうした騒ぎで見落とされているのが、バブル経済の崩壊以来、日本の経済力の劣化が進んでおり、遅ればせながら、その実力を反映し始めたのが今回の円安だという視点ではないだろうか。
円相場の目先の焦点は、1990年4月の安値160円35銭を割り込むのかどうかだ。仮に、そこを下回れば、次の下値のめどはチャート的に見て1985年の1ドル=238円53銭まで節目がない。
円がそういう方向に向かって動き出せば、日本経済は、化石燃料や穀物、デジタル資産などを買い付け続けるために、国富の流失に歯止めがかからない危機にも陥りかねない。
植田総裁の岸田総理との5月7日の会談後のぶら下がり会見での発言を、日銀が「情報発信の修正の機会に活用しようと考えた可能性が考えられる」と指摘しているのは、日銀審議委員を務めた経験もある野村総合研究所のエグゼクティブ・エコノミストの木内登英氏だ。
植田総裁の4月26日の記者会見での円安容認ととられかねない”失言“を「問題と捉え」、「修正する機会をうかがっていた」可能性があるというのである。
実際のところ、一昨年の秋と去年の秋に続いて、今年3月以降、再び円が下げ足を早めていた。鈴木財務大臣や神田財務官といった財務省幹部は連日のように、「過度な変動がある場合やファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)から乖離(かいり)するような場合には適切な行動を取る」と円買い・ドル売り介入を示唆して通貨防衛に躍起になっていたところに飛び出したのが、植田総裁の「基調的な物価上昇率に今のところ大きな影響を与えていない」という発言だ。物価に影響していない程度の円安ならば、その円安は放置しておいてよい、ということになりかねない。輸入物価の上昇に端を発した物価高騰で家計が圧迫されている庶民感情にもそぐわない見解だ。
植田総裁本人も舌足らずだったと痛感したのだろう。7日のぶら下がり会見に続き、翌8日は衆議院の財務金融委員会で、「過去と比べ為替の変動が物価に影響を及ぼしやすくなっている」と踏み込んだ。そして9日午前の参議院の財政金融委員会では「基調的な物価上昇率に為替変動が影響する場合は政策上の対応が必要」と、ついに4月の記者会見での発言とは真逆の姿勢に転換して見せた。
日銀は組織としても、4月の金融政策決定会合での政策委員たちの発言を記録した「主な意見」(9日公表)という文章で、委員たちから「円安を背景に基調的な物価上昇率の上振れが続く場合には 、正常化のペースが速まる可能性は十分にある」といった調子の利上げの前倒しに前向きな発言が多かったことを紹介した。
半面、植田総裁が記者会見で語ったような現状の円安に「影響はない」というような発言はひとつも記さず、日銀は最初から植田総裁が発言したような前倒しに冷ややかな見方や方針はとっていないと言わんばかりの取り繕いをした。
実際のところ、植田発言の影響は深刻だった。発言直後に、80銭ほど円安が進んだほか、全体として円売り安心感が広がり、「昭和の日」には1ドル=160円28銭まで下げたからだ。この水準は、冒頭でも指摘したように、1990年4月の160円35銭以来の安値水準だ。万が一、この節目を突き破れば、チャート的な次の節目は、1985年の238円53銭になる。
市場がそんな水準を目指すことになれば、日本経済は深刻な事態になりかねないだけに、政府日銀が防衛のため、この日に5兆円強と、2日後の5月1日のニューヨーク外国為替市場で円相場が1ドル=157円台で推移していたところで3兆円あまりの資金を投入するステルス介入を行い、円安が1ドル=160円近辺より下がることを阻止しようと躍起になることは理解できる政策判断だ。
だが、介入だけで、この歴史的な円安局面に終止符を打てるかどうかには疑問符が付く。一例を挙げれば、一昨年秋の1ドル=150円を超す円安局面での介入も1年ほど時間を稼いだに過ぎなかったこともあるからだ。
あのケースでは、2022年の9月22日、10月21日、同24日の3回にわたって総額9.2兆円を投じる介入を行い、いったんは円安の進行を食い止めた。昨年初めにかけて1ドル=130円程度まで円高方向に押し戻したのだ。しかし、その後は再び円安に振れて昨年10月には再び1ドル=150円を超える円安を記録したのだった。
それだけに、政府日銀が、為替介入を強く援護する施策として、日銀の利上げ前倒しをメニューに加えてみせようとしていることは不思議なことではない。特に、米国でなかなか物価高が鎮静化せず、米連邦準備理事会の利下げが大幅にズレ込み、日米金利格差の縮小が遅れかねない情勢にあることが、このところ売り方を勢い付かせてきただけに、日銀の利下げ前倒しがあれば格差が縮小しかねないと言う風に売り方に警戒感を持たせたいのだろう。
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とはいえ、その利下げ前倒しも、実際にやってしまえば、円安圧力をどれほど解消できるか不透明だ。というのは、成長率の低い日本では、仮に2、3回続けて利下げ前倒しを繰り返したとしても(そんなことは難しいが)、現状が0~0.1%程度の政策金利の到達点は0.5~0.75%程度にとどまる可能性が高いからである。この水準では、フェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を5.25~5.5%で据え置いている米国との格差はそれほど縮まらない。
むしろ、本当に、円安の流れを変えたいのならば、為替介入や利上げ前倒しでは不十分であり、日米間の金利格差の背景にある日本の成長力と競争力の低下にこそ、メスを入れる必要があるはずだ。以下で、日本の国力の現状をおさらいしよう。
振り返れば、日本は長年にわたって世界第2位に君臨した国内総生産(GDP)指標で、1989年のバブル相場の終焉から21年を経た2010年に中国に抜かれたばかりか、去年はドイツにも追い越されて4位に転落した。国際通貨基金(IMF)の世界経済予測によると、来年(2025年)には、インドにも抜かれて、5位になる見通しだ。
順位が下がっているのは、GDP指標だけではない。スイスの国際経営開発研究所(IMD)の2023年版の世界競争力ランキングによると、64カ国・地域の中で、日本は、またひとつ前年より順位を下げて35位に後退した。
このランキングを振り返ってみても、日本はバブル経済の崩壊から3年後の1992年まで世界のトップに君臨していた。しかし、それ以降はジリジリと順位を落とし、銀行や証券会社の不良債権問題が深刻化した1997年に17位と急降下。さらに、この5年間で5つ順位を下げてきた。
ちなみに、2023年版のトップはデンマークだが、日本はアジア勢の中でも11位に甘んじた。日本より上位には、シンガポール(4位)、台湾(6位)、香港(7位)、カタール(12位)、サウジアラビア(17位)、中国(21位)、バーレーン(25位)、マレーシア(27位)、韓国(28位)、インドネシア(34位)の10カ国が名前を連ねている。
経済協力開発機構(OECD)のデータをもとに日本生産性本部が算出している「労働生産性の国際比較 2023」でも、日本は2022年に、1人当たり労働生産性が8万5329ドルとなった。これはOECD加盟38カ国のうち31位で、前年より順位を2つ落としている。米国は同4位の16万0715ドルで、日本の1.9倍を誇っている。
日本の推移をみると、バブル崩壊の翌年である1990年にはOECD加盟国で13位と過去最高位に付けた。そして、2017年までは概ね20位前後を維持していたが、それ以降は、ここでも転落のペースが加速している。
貿易収支も、昨2023年度で3年連続赤字と、赤字がすっかり定着してしまった感がある。赤字額こそ5.9兆円と、比較可能な1976年度以降で最大の赤字だった2022年度の22.1兆円の赤字からは大きく縮小したものの、急激な円安下にもかかわらず自動車などを中心にした輸出は3.7%しか伸びず、逆に、原油や液化天然ガス(LNG)の資源価格の下落などで輸入が10.3%も減ったのに、貿易収支の黒字回復を果たせなかったのだ。深刻な規模で、国富の流出が続いている。
一連の経済指標を見れば、昨今の円安は、必ずしも経済のファンダメンタルズを無視した投機的で異常な動きだとばかりは言い切れない。大元の日本経済そのものが決して楽観できない事態にあることが浮き彫りだろう。
本来ならば、こういう時は、国を挙げて、円安是正のための総合経済対策を策定すべきだ。
為替介入や利上げ前倒しによって時間稼ぎをする一方で、遠からず常態化するとされているマイナス成長を回避するための成長力と生産性の向上策に加えて、グリーントランスフォーメーションなどの成長市場を取り込むための国際的な自由貿易の拡大策を盛り込んだ総合対策作りを急ぐ必要があるのである。
そして、そうした施策を列挙した政策パッケージを世界に向けて発信することによって、日本の決意を市場に示して、歴史的な円安局面の終焉を目指さなければならない。
それにもかかわらず、国会は何カ月も、政治資金パーティ問題に端を発した裏金騒ぎの後始末に明け暮れている。政治力の拙しい国なのだ。
古来、「経済危機は、経済だけじゃなく、政治も対応力がない時に起きる」と言われてきたことを想起せざるを得ない状況である。
町田 徹(経済ジャーナリスト)
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