( 174263 )  2024/05/26 15:40:24  
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JR東海がリニア中央新幹線の開業目標を断念し、若山滋氏が「見切り発車」的な側面があったと指摘。

また、辺野古の米軍基地の海上建設や福島第一原発事故など、技術的な問題が政治的な判断により影響を受けていることについての意見を述べている。

(要約)

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[写真]山梨県の実験線を走るリニアモーターカー(Natsuki Sakai/アフロ) 

 

 JR東海が今年3月、最短で2027年としていたリニア中央新幹線の開業目標を断念する方針を明らかにしました。静岡工区で着工の目処が立たないことが理由とされますが、今月に岐阜県のトンネル工事を中断するなど、他工区でも問題は山積みのようです。 

 

 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「リニア中央新幹線には『見切り発車』的な側面があったのではなかろうか」と指摘します。若山氏が独自の視点で語ります。 

 

[写真]東海道新幹線(松尾/アフロ) 

 

「缶ビール 飲みほすころに 富士をすぎ」 

 

 長いあいだ、東京と名古屋を往復しているので「東海道新幹線に住んでいる」といわれるほどだ。東京から缶ビールを買って乗り込むと、ちょうど富士山あたりで飲み終わる、その実感を句にしてみた。ちなみに「ビール」は夏の季語だ。 

 

 東海道新幹線の車窓風景の目玉である富士山は、その巨大な孤独の全容を現すこともあるが、雲がかかったり、まったく見えないことも多い。残念なのは、ちょうど正面から富士を見る位置が工場地帯となっていて、煙突や電線やスレートの屋根や壁や看板が目に入ることだ。建築家としては、少し修景を施せばなんとかなるのだがと思い、この国にそういう機運が生じないことを残念に感じる。 

 

 僕は「テッチャン」というほどではない。しかし子供のころから車窓の風景が好きで、ひとつひとつの家の窓にも物語を感じてしまう。東海道新幹線なら、富士山だけでなく、海側の海岸線の景色にも変化があり、浜名湖もあり、季節ごとの水田風景も楽しめるが、リニア中央新幹線となるとそうはいかないようだ。ほとんどがトンネルの中だという。 

 

 JR東海の初代社長の須田寛さんとは、シンポジウムや座談会などでよくご一緒し、次の社長の故葛西敬之氏とも天下国家を論じたので、基本的にはこの会社を応援しているのだが、実はリニア中央新幹線には一抹の不安を抱いていた。 

 

 案の定というべきか、少し前に工事は停止し、開業時期も工事再開も目処が立っていないという。 

 

 先に退陣した川勝平太静岡県前知事が、大井川の水系に影響を与えることから大深度地下の工事を認めなかったことが最大の理由とされているが、それだけでもないようだ。こういう巨大プロジェクトは途中で色々な難問に直面するものである。リニア中央新幹線には「見切り発車」的な側面があったのではなかろうか。 

 

 関東と関西を結ぶ大動脈の多系化という一種の国家安全保障、あるいはリニア新幹線技術でトップの座を確保して海外へ売り込むなど、「国家」を意識した政治的判断があったような気がする。剛腕の葛西元会長は、国士とか国商とかいわれるほど国家主義的な性格で、安倍晋三元総理との深い関係が知られている。だいいち、現在の客が東海道新幹線からリニア中央新幹線に移動するだけでは、経営上の問題があるだろう。 

 

 政治的な力が、経営判断や技術判断を狂わせることはよくあることだ。かつての国鉄や日本航空も、地元に利益誘導しようとする政治家たちによって赤字路線をつくることを強制され、結局は経営破綻に追い込まれ、その負担は国民に押しつけられたのだ。 

 

 

[写真]沖縄の普天間飛行場(ロイター/アフロ) 

 

 もうひとつ気になる問題は、沖縄県における辺野古の米軍基地の海上建設である。 

 

 ここでいいたいことは米軍基地が沖縄に集中しているという政治的問題ではなく、あくまで技術的な問題だ。沖縄の辺野古という場所において、基地としての空港をつくるのに、なぜ海上なのかという問題だ。案の定、地盤が悪く沈下が続き、適正地ではないことが明らかになっている。それでも政府は方針を変えられない。政治的に決められているからである。 

 

 羽田なら海上に桟橋式でつくることも理解できる。大阪や名古屋なら人工島もやむをえないだろう。しかし辺野古なら、しかも基地なら、陸上にすべきである。軍用の飛行場はあらゆる不測の事態に備える必要があってタフでなければならないし、いざというときの周辺地活用も要求される。自然条件と高度な技術を微妙に組み合わせる海上空港しかも桟橋式はそぐわないのだ。それでも桟橋式につくるのは、別の基地ができたときに撤去が可能なようにと説明されているが、実は地元の建設会社に金を落とす必要があるからだともささやかれる。大きな声でいえないような、強い反対を押さえ込むための政治決着だ。そして工事は大きく遅れ、普天間の危険は続いている。 

 

[写真]超音速旅客機「コンコルド」(Fujifotos/アフロ) 

 

 こういったプロジェクトの推移は、1960~70年代に話題となった超音速機(SST、英仏ではフランス語のコンコルド)の開発競争を思い起こさせる。イギリスが協力したフランスとソビエトが鎬を削って、膨大な開発予算を注ぎ込んだが、難問が続出し、コンコルドはなんとか商業運行にこぎつけたものの長くはつづかず、結局は撤退した。 

 

 フランスという国は、航空機と原子力だけはアメリカに負けまいとする国是のような意志をもっている。ソビエトはもちろん冷戦の最中で、どうしてもアメリカに負けられない。どちらも大きすぎる政治的意志が、経営的技術的合理性を歪めたのだ。 

 

 大規模プロジェクトというものは、戦争に似て、ちょっとした条件の変化を鋭敏にキャッチし、衆議熟慮の結果、場合によっては撤退も辞さない軌道修正の英断を求められる。しかし国家がらみの政治案件となるとその修正ができないのだ。「傾城」とは、たとえば唐の楊貴妃のように、城(国)を傾けるほどの美女という意味だが、誰もがウットリと魅了される「傾城プロジェクト」というものがある。 

 

 秦の始皇帝も隋の煬帝も、万里の長城や大運河など、土木建設の過剰で国力を衰退させた。太平洋戦争における戦艦大和の建造も、日露戦争以来の大艦巨砲主義という海軍のレガシーが、刻々と変化する戦争技術の合理性を歪めてしまった結果だ。大和は、日本の多くの技術者が魂を込めてつくりあげた「時代の精華」で、これさえあれば負けることはないと思うほどの、みごとな戦艦であったが、ほとんど役に立たないうちに海の藻屑となったのだ。まさに「傾城」である。 

 

 東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故でも同様だ。安全に関するある委員会のメンバーだった友人は「屋上屋を重ねるような委員会の重厚さが、かえって現場の簡単な改善が進まない状況をつくっていた」と反省の弁を語った。 

 

 また政府は津波に襲われた沿岸部に高い防潮堤を築いたが、現地の人は海が見えなくなることに反対していた。ところどころに5階以上の鉄筋コンクリートの建築をつくれば、いざというときに高台まで走らなくても人命は守れるのだ。南海トラフ地震など、今後の地震にも備えて防潮堤をつくるのなら、日本国民はすべての海岸を壁で囲った箱の中に住まなくてはならない。こういった無駄ともいうべき工事は、津波で亡くなった人の多さに理性を失った政治家が、情緒的に莫大な予算をつけることによる。マスコミも、その情緒予算のあと押しをする。 

 

 

[写真]福島第一原発の事故も「技術神話」への甘えがなかっただろうか?(ロイター/アフロ) 

 

 技術体系の細かい部分には、その現場にいる技術者にしか分からない微妙な感覚がある。それを言葉によって正確に上層部に伝えていくことは非常にむずかしい。今の無責任学者たちの委員会は、かつての陸海軍の首脳たちと同様、それぞれの立場を守りながらその場の空気に寄り添っていくだけで、巨大な技術体系の片隅に隠れた問題の本質を看破しようとしない。 

 

 日本は、技術者がその仕事に魂を込めて涙ぐましい努力をする国である。だからこそ、そこに「技術神話」が生じる。零戦も、戦艦大和も、すばらしい技術であった。戦後は、カメラ、時計、自動車、オートバイ、テレビ、ステレオ、テープレコーダー、その他あらゆる家電製品、すべての工業分野で世界トップの地位を築いた。 

 

 日本海海戦や真珠湾攻撃やマレー沖海戦の大成功が「不敗神話」を生んだように、近代日本には「技術神話」が生まれた。国民をリードすべき政治家もマスコミも、最後は技術がなんとかしてくれるという「技術神話」に寄りかかった。太平洋戦争の敗戦にも、バブル経済の崩壊にも、福島第一原発の事故にも、その甘えがあった。 

 

 大和魂で国は守れないのと同様、大和魂で技術的問題は解決できない。技術は常に、徹底したリアリズムと合理性を要求する。 

 

 資本主義だろうと、社会主義だろうと、民主主義だろうと、権威主義だろうと、技術的問題を甘くみた国はまちがいなく滅びる。 

 

 生きているうちにリニア中央新幹線が開業したら一度は乗りたいと思うが、冒頭の句は次のように変わるだろう。 

 

 「缶ビール 飲みほしてもまだ トンネルか」 

 

 

 
 

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