( 178237 ) 2024/06/07 02:22:25 2 00 「セクシー田中さん」報告書に批判殺到の根本原因 日テレ、小学館の報告書で当事者の証言が相違東洋経済オンライン 6/6(木) 15:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/0ba186355373fe71559ee02b67d5fca499704782 |
( 178238 ) 2024/06/07 02:22:25 1 00 ドラマ「セクシー田中さん」に関する問題に関する調査報告書が公表され、SNSで炎上している。 | ( 178240 ) 2024/06/07 02:22:25 0 00 (画像:ドラマ「セクシー田中さん」公式サイトより)
セクシー田中さんの問題に関する調査報告書が公表されました。日本テレビ側の報告書は97ページ、小学館側の報告書は90ページとそれぞれ事実認定から改善案の提言まで大きなボリュームをさいています。
【写真】小学館の調査報告書
トラブルの過程で人命が失われた痛ましい案件だけに、真実を知りたいと考えるひとたちの注目を集めた報告書でした。結果としてその内容がSNSで炎上しています。大きな理由はふたつの報告書の内容がいわゆる「藪の中」になっている点でしょうか。それぞれの当事者の証言が随所で異なっている点が散見されるのです。
■ドラマ化の過程で何が起こっていたのか
問題の概要をまとめますと、小学館で連載中の漫画『セクシー田中さん』を日テレがドラマ化することとなり、原作者はその条件として原作に忠実に制作してほしいと要望します。特にドラマ終盤の9・10回はまだ原作に描かれていない回なのでオリジナル展開は認められない旨を伝えていました。
ドラマ化の過程で後述するように原作者の意図に反する展開が提案され、その都度原作者は修正を依頼するのですが、そのやり取りに原作者は徐々に消耗していきます。最終的に原作者は脚本家の降板を要請し、9・10回の脚本を自ら執筆することでドラマは完成します。
その後、降板することになった脚本家がインスタグラムに心情を公表します。それに対して反論する形で原作者がXとブログに事実経過を記載する投稿をします。結果、原作者の苦労に同情が集まり、脚本家への非難が集中しました。
そこで最悪の事態が起きます。原作者は関係者に「予期していなかった個人攻撃となったことを詫びるコメントを出して、投稿を取り下げる」と連絡した後、「謝罪コメントを出して、Xの投稿を削除、ブログを閉鎖し、以後連絡が取れなくなった」のです。翌日原作者の訃報が届きます。
今回のふたつの報告書はどちらも第三者委員会の報告ではなく、両社の役員と依頼を受けた弁護士のチームが作成しています。双方のポジションで、何が起きたのかの証言が集められ、まとめられています。
『藪の中』は芥川龍之介の小説で、藪の中で起きた事件についての当事者それぞれの証言が食い違い、相矛盾する物語です。今回の報告書でも当事者の認識が食い違う箇所が多数見受けられます。
異なる証言を併記する際に弁護士は「なお」という言葉を多用します。この「なお」の出現回数は日テレの報告書で32カ所、小学館の報告書で29カ所ありますから、そのことだけからも双方の言い分が大きく違うことが理解できるかと思います。
ただし小説の『藪の中』とは違い、それぞれの立場で弁護士が委託を受けて調査された報告書を読み解くと、徐々に何が起きていたかがわかるように作られています。ふたつの報告書からわかる問題の構造を異なる3つの視点でまとめてみたいと思います。
先に申し上げておきますと、本記事は前後編の構成で、前編で語られる原作者の視点のストーリーは、後編の別のふたつの視点でのストーリーを通じて事件の様相を変えていきます。
■①原作者の視点
小学館の報告書では担当編集者の証言から原作者の視点で何が起きていたのかが詳述されています。
日テレからドラマ化の依頼があり、小学館の編集者と日テレのプロデューサーが最初に顔合わせをしたのが2023年3月9日でした。その際、編集者は過去の映像化の経験から「原作者が自分の作品を大切にする方であり、作品の世界観を守るために細かな指示をする」ことを伝えています。
ちなみに漫画原作のドラマ化においては過去、『おせん』や『いいひと。』などの作品で「原作レイプ」と非難されるほどの大幅な改変が行われてきたことが問題視されています。
この後に起きる事態を見ると『セクシー田中さん』については原作の世界観を大事にするという認識は小学館、日テレ双方で共有されています。原作に沿ったストーリーでドラマ化が進む中、事態は細部のこだわりで発生します。
さて報告書によれば最初の掛け違いは4月、日テレから脚本になる前のプロットが送られてきたところから始まります。
原作をもとにしたドラマが作られる過程では、ドラマ制作チームと原作者の間でラリーとよばれるやり取りが行われます。まずプロットが提示され、何回かのラリーが行われ、それがおおむね認められた段階で脚本が書かれ、そこでもラリーが行われ、第二稿、第三稿と進み、最終稿が完成します。
日テレから送られてきたドラマのプロットに対して、原作者は登場人物の性格のとらえ方について説明したり、細かい修正を伝えます。ラリーでは原作者は修正等を求める都度、その理由までをも明確に書き、編集者が日本テレビに伝える作業を繰り返しています。
■脚本家に伝えられなかったという原作者の要望
第3話のプロットでは原作のエピソードの順番入れ替えで流れが悪くなっている点を指摘して、「田中さんの頑なな心が、朱里や笙野達との小さくて大きなエピソードを順番に積み重ねる事によって、少しづつ(原文ママ)溶かされていく様子を丁寧に描いてるつもりなんですが…」と原作中のエピソードの順番を原作に従ってほしい理由を伝えています。
ところが報告書ではこれらの原作者の要望は「脚本家には伝えられなかったようである」と記されています。この事実は、本件の大きな要素です。いくら説明をしてもその内容が十分には反映されない脚本に対して不信感が大きくなり、6月には原作者は脚本家を信頼できないと感じ始めます。
ドラマラストでは漫画で用意している結末を伝えているのにもかかわらず、プロットでは異なる結末が提案されます。そのため6月の段階ですでに原作者は終盤のドラマオリジナル部分は自分で書きたいという意向を示すことになります。
7・8月になるとラリーの中身はさらに詳細になります。要望を伝えても直らない、それでさらに詳しく説明を加えるという循環が起きています。原作者からの要望はこの頃には指示に変わり「脚本家による変更は不可」とまで伝えるようになります。
■原作者が脚本家の変更を求めた経緯
この間、いくつか決定的な問題が起きます。ひとつは第3話の脚本で「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」となっていた問題です。ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてありえない演出なので修正を求めたところ、ドラマ制作側は「すでに撮影を終えている」と虚偽の理由で修正できないと伝えます。
実際はその5日後に撮影が行われ、それが発覚したことでその3日後に撮り直しが行われ手打ちになります。原作者はダンスの混乱の原因は、舞踊を脚本家が勝手に変えたことに起因していると憤慨します。そして、「脚本家は8~10話もう他の人に変えてして欲しいです。さすがにそろそろ限界(原文ママ)」と日テレに伝えます。
その後、第9話の脚本に創作シーンが加えられたことから原作者が脚本家の交代を求め、10月22日に日テレがそれに応じます。これが小学館の報告書から読み取れる原作者に起きた事態のあらましです。
一方で、この問題はドラマの制作現場から見ると違った形に見えます。
この事件、日テレのドラマ制作の現場では何が起きていたのでしょう。日テレの報告書からその状況が読み取れます。
ドラマ制作にあたってはまず原作をもとにドラマ化するためのプロットを作成し、ラリーの後で原作者からOKが出たら脚本作成に進みます。
小学館の報告書では触れられていないのですが、このプロットや脚本を作成するのは脚本家単独ではありません。コアメンバー5名(後半から6名)による合議で決まるのです。
『セクシー田中さん』のコアメンバーが誰なのか報告書では名前は仮名で、所属は不記載になっているのですが、おそらく日テレドラマ班のプロデューサー、アシスタントプロデューサー(AP)、制作会社の演出、助監督、そして脚本家などの陣容でしょうか。
■脚本を書きあげるまでの流れ
漫画原作者の要望は小学館の編集者と日テレのプロデューサーの間でやり取りされます。そのことからSNS上では原作者の意見を無視してストーリーを作っていたのはプロデューサーではないかという非難が散見されます。ただその見方も正確ではありません。
ドラマのストーリーのアイデア、つまりプロットと脚本は5人のコアメンバーが行う「本打ち合わせ」と呼ばれる会議で検討されます。本打ちの会議は毎回2時間以上の話し合いになることが多く、合計で30回程度行われています。その決定に沿って会議メンバーでもある脚本家がプロットないしは脚本を書きあげると報告書に書かれています。
ではこれらコアメンバーの視点でみると事態はどのように推移していたのでしょうか? 後編では日テレの報告書と小学館の報告書を読み比べることで、ドラマの制作現場では何が起きていたのかを見ていくことにしましょう。
後編記事:「セクシー田中さん」報告書に欠けた“問題の本質”
鈴木 貴博 :経済評論家、百年コンサルティング代表
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( 178241 ) 2024/06/07 02:22:25 0 00 ・脚本家相沢友子に伝わっていないとしているが、ドラマ放映開始1か月前に発売された最新単行本内で原作者芦原さんは原作忠実に再現してもらうことを書いている この作品はまだ連載中ということもあり、脚本家相沢友子が最新単行本を全く読まずして書くことはありえないので、伝わっていなくても知らなかったはありえない 日テレ側の調査報告書はこのあたりの初歩的なことに調査が及んでなく、いかに都合よく作成され、ずさんな内容であることが露呈している
・根本的に「原作の改変無しにドラマ化」なんて無理に決まってるのに、そしてそんなこと日テレ側は百も承知のはずなのに「わかりました。改変しませんので、ドラマ化させてください」と了承したのが諸悪の根源。
普通に考えて「収録さえ始まってしまえばこっちのもの。あとはのらりくらり、必要によってはどうせ怖くもない女性だし恫喝で乗り切る」という認識があったんじゃないか。
せめて脚本家に対して「これは作者の許可なしにいっさい改変できない条件で了承をえてしまってるから、作者の言うことを聞いてね、よろしく」とでも言っておけばなんとか収まったのに。 脚本家の人脈が怖かったのか(実力はないと思う)、はたまたそんなことしたら上司ににらまれるのかはしらないが、結果的にそれができなかった。
ようは、「テレビ局が原作者をなめすぎ」これに尽きる。
・ドラマの制作過程ばかりが注目されているけど、個人的に一番知りたいと思っていることはそこではなく、脚本家が投稿したSNSへのコメントへ、原作者が反論の説明をした後のこと。 この時点まで原作者が命を絶つことを考えていたとは思えない。 その後、なぜ原作者が死ぬことになったのか、それを知りたい。
そこに至るまでの理由を知るためには、ドラマ制作過程の経緯を知ることも必要だとは思うが、今回の報告書では原作者が死ななければならなくなった理由が全く説明されていない。 むしろ原作者の死の原因から目を逸らすための論点ずらしに利用されているかのような印象さえ受ける。
・マンガをドラマに、実写、生きている人間に動きをもって演じてもらうのはそもそも無理があります 齟齬が起きるのは当然といえば当然 本質論からすると、それを踏まえたうえで「原作」「原作者」「著作権」「著作者人格権」どこまでドラマのスタッフが分かっていたかが一番の問題点となるはずです 物語を生み出すことは相当な力が要ります ゼロの発明を、その偉大さを、リスペクトしないことは問題なんです 世に無料のマンガや小説反乱するようになっていますが、原作者一人ひとりに人格があること誰もがもう一度想起してほしいです
・『コアメンバー5名(後半から6名)による合議で決まるのです。』
とありますが、主導権を持っているのは誰でしょうか?一般論ではなく「セクシー田中さん」で主導権を持っていたのは、プロデューサーではないのでしょうか? 脚本家の視点だけでなく、プロデューサーの視点が重要だと思います。
『原作に沿ったストーリーでドラマ化が進む中、事態は細部のこだわりで発生します。 』
”細部のこだわり”と言う表現は如何なものかと思います。細かいか否かの判断基準は作品への影響度だと思います。小さなことでも大きな影響があれば、必要なこだわりです。難しい作家という先入観が事態を悪化させた可能性もあると思います。
・脚本が局側の人間と脚本家の合議で決まるのは知っていたが、ベリーダンスについてキチンと知識を持っていた人がそこに含まれていなかったのではないかという指摘はとても重い。 考証がキチンとしていない作品などその手の専門家からみたら鼻で笑われてもおかしくないし、噴飯ものと激怒されるかもしれない。 それは「偽物」だからだ。 フィクションと偽物の差は今さら言うまでもない。後者はスタッフの力が及ばなかった証であり、つまりはそれに携わった人々の恥を公表していることになる。 作品の方向性の相違ではなく、偽物を出したことに原作者が怒っているならば、話は違ってくる。 日本テレビの日曜10時半のドラマはその程度と思われても仕方が無いかもしれない。
・脚本家メール >A氏の立場を鑑み、またキャスト・スタッフに迷惑をかけたくないと思ったから、できるかぎり本件脚本家がつくった構成を生かす形に戻すこと
>クレジットは並列ではなく『原作・脚本 本件原作者』『脚本 本件脚本家 』にすることを前提に仕方なく了承したこと。
>これが本件脚本家にできるギリギリ限界の譲歩であったが、その最低限の権利も守られないのであれば >本件原作者が書き換えた脚本ではなく、9,10話も本件脚本家が書いた脚本に戻して撮影・放送するようお願いすること。
>ずっと我慢して来たが、本件脚本家が本件ドラマの放送を完遂するためにどんな思いで自分の信条を曲げて譲歩して来たか >それを理解の上、今週中に日本テレビとしての見解を示していただきたい。
自身が原作者かのような物言いや主張が異次元すぎてめまいを覚える クレジット載せないなら9~10話を私の脚本で撮影しろとか意味不
・>この後に起きる事態を見ると『セクシー田中さん』については原作の世界観を大事にするという認識は小学館、日テレ双方で共有されています。
コアメンバーの間では「原作を大切にしよう」という話は当初からされていた。本件脚本家の記憶では、最初の本うちの際、本件ドラマ全体の方針や軸となる部分について協議し、本件脚本家から女性2人(朱里・田中さん)のシスターフッドの要素を取り入れることが提案され、それを一つの軸とすることになった。(日テレ報告書p.12)
このどこに、原作の世界観を大事にするという認識が日テレ側にあったと言えるのか。最初から「シスターフッドの要素を取り入れ」ている。
・日テレは「地味な娘がベリーダンスで踊る」という設定だけが欲しかったんだろう…。 そして原作についても「ドラマ化すれば儲かるから儲けさせてやる」「完成したドラマを観たら原作に忠実に作ることなく改変したことが正しかったと分かる」くらいの感覚だったんだと思う。 それくらいの考えでないと芦原先生が要望を出しても受け付けないで無視して改変を進めるなんて事は出来ない。
・TV局の体質からたとえ契約書を締結していたとしても、原作をTV向けによりよくして「あげた」という感覚は変わらないでしょうね。作品ではなく自分の評価や収益がほしいでしょう。 スペインの教会の肖像画がサルみたいな画に修復されたことがありましたが、あの後、酷い画と写真を撮るため1年で5万人以上の観光客が教会を訪れ、入場料とあの画のグッズの収益の半分くらいを修復?した女性が受け取ったそうです。TV局の狙っていることはこれと一緒です。 利益だけを考えたならこんな手段でもOKになってしまいます。契約を破った場合の罰則がどれくらいのものになるか、しっかりと公開してほしいです。
・以下記事より引用
ドラマ制作側は「すでに撮影を終えている」と虚偽の理由で修正できないと伝えます。 実際はその5日後に撮影が行われ、それが発覚した 引用終わり
これは酷い! 作品を少しも大切だと思わない人間達がやりそうな事…。 この件に限らず、原作がぐちゃぐちゃにされて嫌な思いをずっとしてきた側からすれば本当に許せない事実。
・小学館報告書では、日テレ担当者から「9話あたりからのドラマオリジナル展開に関して芦原先生の方から、脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案して頂く点も承知しました。」との返信メールも確証としてあり、このような進め方の可能性の合意形成を確認できます。 一方、日テレ報告書では、「ドラマ化にあたって「必ず原作に忠実に」「終盤は本件原作者が脚本を書くこともあり得る」という条件については、A 氏自身そのような条件が小学館から出されているという認識がなかったため、A 氏から本件脚本家には説明されていない。」といった具合で、記憶の聞き取りから話の辻褄を合わせただけみたいで、ここは信頼性が疑問です。 そして全体的に、日テレはコミュニケーション不足や認識齟齬の問題と結論付けていますが、日テレ関係者(脚本家含む)内での重い話の軽視や聴く余裕のなさにもよる情報共有不足に起因するところが大きそうな印象です。
・脚本家の人は軽率で足りないところがあるけど、 別に過去の実績を見ても能力的に繊細さを解さないタイプというのは日テレからすると元から分かっていたのではないか。 芦原先生が繊細さを大事にするタイプだと忠告が出ているのにそれでもその脚本家を採用しているのは、日テレが元から原作の世界観を守る気なんてなかったのではと疑ってしまう。 今、脚本家が受けている非難は仕方ない面もあるが、でも適性がないところに自覚なしに雇われていて、蚊帳の外に置かれたまま、いつも通りの雑な振る舞いをしたら繊細な人が亡くなってしまったって…その責任は脚本家が負うべきなのかというと違う気がする。日テレの罪は重い。
・脚本は制作チームの話し合いで決まるから脚本家個人の責任ではないということであれば、他のチームメンバーは何をしていたのか。 まさかプロデューサーは原作者の要望をチームメンバーと共有しようともしなかったのか。 共有したとして、原作者の要望をチーム全員で無視しようとしたのか。 その点にまったく触れていないこの記事からは、真相究明というより脚本家を擁護したい意思が見え隠れする。 まあそうだとしても、原作者の要望を知らなかったと言っていた脚本家が嘘をついていたということは紛れもない事実であるが。
・原作者の要望は 「脚本家には伝えられなかったようである」 >>> 今回の事件で最大の要因は この意思疎通の齟齬で
そこが明確になってない時点で それは報告書では無く よく言って日テレの言い訳 下手すれば芦原先生への攻撃とも 読める文章だった
しかし、この記事にある 小学館の報告書を読むと 芦原先生が追い詰められる 様子が見えて苦しくなる
こんな日テレの報告書ならば 出さない方がまだましだと 日テレ内部でも承認の際に意見が出そうだが そもそも他罰化の傾向が強い会社なのか?
・日本テレビは番組プロデューサーをひた隠し小学館の指摘に対しても 「今後は気を付けます」の一言で済ませています。 そしてテレビ局はこの問題を扱わず終わりにしようとしています。 視聴率に影響がなければ問題なしの姿勢なんだなと感じます。 視聴者が判断するしかないのかな?
・出版社及びテレビ局はドラマ化するにあたって、まず初めに「原作を変更しない」という契約書をきちんと作るべきだった。
口頭で伝えたって、どうせ後で有耶無耶になる。
恐らくこの仕事に関わった責任のある人達がそれを知らなかった訳がないと思うが、今更個人攻撃はしない方がいい。
個人的に思う事は、この先ドラマ制作する場合に、作者の意向を守る事ができないのなら、ドラマ化などするな!という事だ。
・この記事も序盤から「意思疎通」ができてないな
>原作の世界観を大事にするという認識は小学館、日テレ双方で共有されています。 >事態は細部のこだわりで発生します。
あの報告書を読んでどうやったらそんな認識になるんだ 日テレに「世界観を大事にする」なんて認識はなかったし 事態が起こったのは「細部のこだわり」ではなく「物語の核心部分」
後半読めてないけどひどい結論になりそうだな
・この問題に興味がある方は、ぜひTVアニメ「SHIROBAKO」を見て欲しい。 第2クールのエピソードが、この問題と酷似している。
但し、主役がアニメ製作スタッフなので、主客逆転しています。ただ、どうしても原作者側の目線で物事を捉えてしまいがちになるので、TV製作スタッフの精神状態を想像するのに最適かもしれません。
・合意事項を文書に残すという当たり前のことが、古い因習が残る業界では行われない。 放送業界という既得権だらけの護送船団方式の闇にスポットを当てて、近代化していかなければならない。
・小学館の報告書で事の経緯について記述が有ったが最後のSNSへの書き込みの「攻撃したかったわけではなくて」の部分を本人はどんな気持ちでどんな表情をしてなど想像したら涙でその先を読む事が出来なくなった
当事者じゃなくても容易に原作者の気持ちを想像する事ができるのに…ふざけてるよなぁ日テレは
日テレドラマはオリジナル以外は制作しないでほしい
・結果的に「日テレ」が原作者を自殺に追い込んだって事だな。先ずは日テレの代表者・関係者がご遺族に土下座して謝罪しなさい。言い訳は要らないです。これからの未来を語る事も大事ですが、その前に非を認めて謝罪すべきかと思います。
・脚本家に原作者の言葉が伝わっていないのは有り得ない。 小学館の報告書によると、脚本家は原作者からの指摘・修正依頼を辛いなどと言ってテレビ局側に拒否するように伝えている。 少なくともこの時点までは脚本家は問題点について認識していた。
・脚本家が問題で終わりだろう。 もちろんこの原作クラッシャーとして有名な脚本家を任命した責任は当然あるが。 脚本家は、原作はいるけど、原作者には会いたくないとかぬかしていたでしょう。 都合よく事実をつなげてるから、真実が見えない。
・>ところが報告書ではこれらの原作者の要望は「脚本家には伝えられなかったようである」と記されています。 >このプロットや脚本を作成するのは脚本家単独ではありません。コアメンバー5名(後半から6名)による合議で決まるのです。
脚本家が単独で決めることではなくても、合議のメンバーだった。その合議の場にすら、原作者・出版社側の要望が伝えられていなかったと? おかしいですよ、脚本家だけが決めたことではなくても知っていたはず。
・逆に先生が手直しする前の最初の脚本を公開してほしいわ。どれくらい中身違ったのか確認させてほしいし、そこから先生がどれだけ原作に戻そうと頑張ったのかわかる気がする。
・ドラマ制作の現場で何が起きていたかってのはそんなに重要なの?
原作漫画がある作品をドラマ化するんだから「原作があってこそ」でしょ。
なのに嘘をついて勝手なことをした事実がある以上は全ては言い訳に過ぎません。
「難しい人」という表現が何より物語っているし…
・結局、これらは調査報告書ではなく、日テレと小学館双方の言い訳報告書にすぎないんですよ。 日テレも小学館も、芦原さんが失踪して亡くなった真の原因を究明する気など全くなく、自社の不利益にならないように弁明することしか考えてないことが、よく分かりました。
日テレは、脚本家との打ち合わせをメインに、自分達のやるべきことはやりましたってスタンスで、原作者である芦原さんの思いや小学館の発言は「よく知りませんでした」というスタンスで通そうとしていることがバレバレ。
小学館も、芦原さんとの打ち合わせも含めて、自分達のやるべきことはやりましたってスタンスで、なんであんな改変にいたったのかは「よく分からない。それは日テレや脚本家のせい」で、芦原さんの投稿前後でも「自分達に非は全くない」と言いたげなスタンスがバレバレ。
結局、日テレも小学館も人の生死より自分達の体面が大事だということが、よく分かりました。
・丁寧に書かれた記事だと思いました。 後編の最後に以下のくだりがあります。本当にここが重要だと思います。
********************************** この一日の間に何が話し合われたのか具体的な内容が報告書には書かれていません。そして翌28日、状況は暗転します。原作者はXに「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」と投稿し、ブログ、Xの投稿を削除して自死します。
死の前に原作者は何に気づいたのでしょうか。関係者から何を教えられたのでしょうか。誰になぜ謝罪をしたのでしょうか。その部分については調査は尽くされていません。 **********************************
・日テレが原作者の要望を無視してドラマ制作を進めて、それにより、原作者、脚本家の間に溝ができ、その不満をそれぞれがSNSに上げたことにより、脚本家が攻撃されることになった。 SNSで脚本家が叩かれまくっている光景をみて、原作者はいたたまれなくなったのだろうか。
・原作者の苦労に同情が集まり、脚本家への非難が集中しました。
(ここに何かの圧力や無神経なやり取りがあったのではと皆が思っています)
原作者は関係者に「予期していなかった個人攻撃となったことを詫びるコメントを出して、投稿を取り下げる」と連絡した。
・第三者を入れて原作者が死を選んだ原因を究明するのが出版や電波で世に発信する事を生業とする企業として公に対する使命かと思う
・お互い当事者側からの調査報告書を出したってそりゃ食い違うでしょ 遅きに失しているが、初動の段階で第三者委員会を立ち上げて原因を追究するのが筋 ・・・というのは承知の上で立ち上げてないんだから、後ろめたい事があるんでしょどうせ
・人物相関図を原作者に要求していた、という記述は本当なのだろうか? いくらなんでもそこまでなめた対応は、とにわかに信じられなかった。
・自分はただの1ユーザーで何の力もないですが、今後日テレが「人一人の命の重み」とか「第三者委員会を設置すべき」を言い出すことがあったら、セクシー田中さんのことを擦ります
・きつい言葉を投げかけるな。って言うことで、オブラートに包め。って要望を出してますよね。脚本家。 セリフからシーンの順番入れ替えとか、色々指図がきた時点で、これは厄介、って脚本家もおもったんじゃないのかな?
兎に角、都合の悪い所は、知らなかった、聞いてなかった、ってことにしてる点が、日テレのずるさ。
小学館は、ツィート後の会議後の原作者に対してのアクションが削除されてる所がずるい。
まぁ、藪の中、です罠。
・日テレにも小学館にもそれぞれ非があると思うけど、度合の大きさからいえば日テレの方が圧倒的に悪いわな 小学館も原作者をキチンと守ったれやと思うけど、そもそも原作者を舐め腐ってた日テレ関係者が諸悪の根源
・>ドラマ制作側は「すでに撮影を終えている」と虚偽の理由で修正できないと伝えます。 実際はその5日後に撮影が行われ
まさにドラマ化して「あげている」という姿勢そのものが見えるところ。
・政治でも民間でも、第三者による検証を拒む時点で非を認めているようなものでしょう。 これがこの国の社会全体に深く根付いた悪しき体質ですね。
・第三者委員会の調査をさせないスポンサーが悪い。ジャニーズ問題と一緒で不買運動が起きないと動こうとは思わないのだろう。
・Yahooトップニュースでも早々にこの件に関する記事は減ってきた; 結局は関係者が多すぎる;(スポンサー含め忖度関係、利権絡みの輩たち…言葉悪くて済みません;もう制作に携わった全ての方達) SNS相沢氏に返信した当時のお仲間?(篠●氏、泉●氏など)さんたち、作家シナリオ協会の面々、そんな方達は今何を??? 報告書の出た今こそ声を上げてみては? 何かもう・・・ね;
・報告書を上げなければならないから上げた、と言うだけで、なぜ原作者が自殺したのか判らない、と言うのが本当の所でしょう。
・ホリプロとスポンサーが所謂難しい原作者にどんなスタンスだったのかとても興味ありますね
・双方の言い分が両方正しいと仮定すると、双方に良い顔しようとして嘘を重ねたプロデューサーが悪いって話になるのかな
・最大限自分の都合に合わせて報告発表した内容でコレだから、実際はもっと。。と想像しますね。
・合議制でこの脚本が作られたとしたら、ますます日テレ終わってる。
・今回の報告書の件で、二度と日テレの番組は見ません。 日テレ主催のチャリティーにも参加しません。
・ビジネスジャーナルの記事が生々しいです 日テレがいかに原作者を大事にしていないかがよくわかる
・権利を作者が持たないのは歪 出版社を介さずに発表する人が増えていくと思う
・日テレ、小学館の報告書を 亡くなられた芦原さんが読んだら どう思うでしょうか?
・俳優も損害賠償請求してもいいかもね。何度も写真が使われて営業妨害だろう。
・ふざけるな!当事者同士で調べるなんて愚の骨頂!第三者委員会くらい立ち上げられるはず!
・日本テレビという会社そのものを表している
・原因究明に消極的です感しか伝わってこないもん
・宝塚のように「本当の第三者による再調査」、の流れなる?
・ホントに死人に口なし。
・日テレ、愛は地球を救うなんて恥ずかしくて言える?
・原作者の意向に添えないのならそもそも漫画をドラマ化するなどやめたらいい。自分達で完全オリジナルを作れば原作者から何か言われることもない。できないのなら原作者をリスペクトして意向に沿うよう製作すべき。原作者を馬鹿にして楽して作ろう、視聴率を取ろうという根性が卑しいのですよ。
・マスメディアに携わっている脚本家がSNSで愚痴る時点でアウトだろ!そもそも自分の実力不足も認められないから、そんな情けない行動に出る。所詮はその程度の人間がドラマ制作に携わっていたから起こった事件。作品の良さと共に原作者も死に追い込むとは…つくづくどうしようもないな。
・日テレについては石澤の言動を見たらわかるじゃん。 上から目線かつ強気発言ばかりで臭いものには蓋をする体質。 石澤自身、人としての感情が無いから日テレ全体がそういう社風なんだろうね。
・この件もとっくに賞味期限切れなのに、いくつかのメディアが引き延ばしているように思うし、ネット民のいいおもちゃにされ続けている。 今までこの作品を読んだことも観たこともなければ、セクシー田中さんの「セ」の字すら知らなかったくせに。
・金の流れ等を考えれば日テレはきちんと間に立って仕事すべきだったな ヤフコメ民は脚本家に狙い定めてるけど働いたことないから頭回らないのかな
・借り物に脚色しかできないくせに脚本家とか名乗ってる奴が 勘違いしてSNSに文句垂れたのが元凶ですよね?
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