( 178247 ) 2024/06/07 02:31:07 2 00 「セクシー田中さん」の報告書に決定的に欠けている“問題の本質”東洋経済オンライン 6/6(木) 15:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/2df5cab7ab23b5d1525d7c79264a586b0c63cb4e |
( 178250 ) 2024/06/07 02:31:07 0 00 (画像:ドラマ「セクシー田中さん」公式サイトより)
セクシー田中さんの問題、日テレのドラマ制作の現場では何が起きていたのでしょう。小学館の報告書を解説した「『セクシー田中さん』報告書に批判殺到の根本原因」に続き、日テレ側の報告書を読み解いていきます。
【画像】日テレの「セクシー田中さん」調査報告書
■② 脚本家の視点
ドラマの制作にあたっては日テレドラマ班のプロデューサーや脚本家などを含むコアメンバーによってストーリーが検討されます。この検討会議のことを「本打ち合わせ」ないしは「本打ち」と呼びます。
小学館の報告書では触れられていませんが、漫画原作のドラマ化にあたってストーリーを考えるのは脚本家単独ではありません。プロットから脚本までの内容はコアメンバー5名(後半から6名)による合議で決まるのです。
日テレの報告書によれば「原作を大切にしよう」という話はコアメンバーの間で当初から共有されていました。原作者が問題視した脚本家も本人は「原作漫画がしっかりしているので、大きく変える必要はない」という意見でした。
制作チームのコアメンバーは原作の世界観を大切にするために、原作者に対して登場人物のキャラクター表を要望していました。が、それは存在していないため手に入りませんでした。
これは漫画家の仕事のプロセスを考えると当然で、自分の頭の中に入っているのです。そして連載の間、ネームを描き、スタッフで手分けをして作画し、ペン入れをして仕上げという忙しいスケジュールを考えると、ドラマのためにあらたな設定書を作るという時間がとれないことも理解できます。
■ドラマ化する際に改変が必要になる事情
とはいえその前提で原作だけを深く読み込み、プロットを作成するたびに、原作者から「キャラ崩壊が起きている」と指摘される状況は、本打ちに参加するドラマ制作のコアメンバーにとってもきつい状況だったと推察されます。
というのも漫画のドラマ化にあたっては改変がどうしても必要になります。報告書ではその理由が挙げられています。まず最初に漫画と違い、1話1話の中で視聴者を飽きさせないために盛り上げる場面が何か所も必要だという理由があります。ロケ場所の制約や予算の制約。尺が足りないことで何らかのオリジナルエピソードが必要になるという理由もあります。俳優の演技やブランドイメージ、スケジュールの制約、そしてスポンサーへの配慮などドラマ化にあたっての改変は必然的に発生します。
ビジネス的には数字(視聴率)がとれるとか、SNSでバズるために演出が求められる場合がありますし、原作内容がハードだったり、視聴者が離れそうなところでは、共感が得られるような改変が必要な場合もあります。当然ですが本打ちではそういった1つひとつのことが細かく議論され、理由があってプロットが生まれています。
しかし報告書から読み取れることは、そういった改変が提案された理由は漫画原作者側に伝えられていません。説明責任が果たされていないわけです。
原作者の側が大きな問題とした第3話の「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」シーンは報告書から推察するに演出上の理由でしょう。露出の多い派手な衣装のほうが映えるのでそう決めて、脚本家はその会議での決定事項を脚本に明記します。
こういった合議で決められたことに対して、原作者は脚本家の仕業であると認識していたために、徐々に脚本家を強く非難するようになっていきます。
■伝言の間に入るひとたちが問題を深刻化
ここで読み取れる問題は、伝言の間に入るひとたちが、意図しない形で問題を深刻化していることです。原作者の要望は編集者からプロデューサーにメールで伝えられます。その際、ワードで書かれた文章の失礼な物言いになる箇所はトーンを編集者が和らげたうえで、メール本文にも「希望です」など意図を和らげる文言が加えられていました。プロデューサーから編集者への連絡は主に電話で行われ、何が話し合われ、双方で何を了解したかについては今では証言が食い違っています。
このやり取りの中で日テレのプロデューサーが初めて「揉めた」ことを認識したのは第4話のエピソード入れ替えが原作者から拒否されたときで、そのときはじめて修正のない言葉通りのワードファイルを送ってもらい、原作者の強い憤りを理解します。
「直接会って話し合えばいいじゃないか」と思える箇所ですが、本件では原作者がそれを拒否しています。一方で原作者からの指摘についても脚本家は厳しい口調の指摘をそのまま読むのはつらくなったという理由で、プロデューサーに咀嚼して伝えてほしいと要望します。
相手が会議ではなく脚本家だと見誤った原作者の要求で、最終的に脚本家は第9話と最終話について降板します。
そのことは脚本家にとっては青天の霹靂のような業務命令になったわけですが、ここでどうしても譲れない大きな問題が発生します。クレジット問題です。
■脚本家のクレジットをめぐる対立
小学館側の要求では、第9話と最終話の番組クレジットから脚本家の名前を外せというのです。この件についても小学館と日テレの間で何度も交渉があったのですが、最終的に第9話のクレジットからは脚本家は外され、最終話のクレジットでは脚本家のクレジットは「脚本(1~8話)」として表記されます。
小学館の報告書では「本件ドラマの第9話、第10話の脚本を書いたのは原作者」ということから「原作者が単独のクレジット表記を求めることはおかしなことではない」と結論づけていますが、ここには問題があります。
映像作品に参加をしたスタッフはその存在をクレジットで明記してもらう根源的な権利があるのです。実際に9話以降のドラマについても降板までは会議に参加してきたうえに、ドラマの世界観は脚本家もコアメンバーのひとりとして一緒に作り上げてきたわけです。
本打ちに参加している他のコアメンバーはクレジットから外されず、立場の弱い脚本家だけ「存在がなかったことになる」のは、脚本家業界全体の利益を考えても抵抗すべきところです。そこで「脚本」ではなく「監修」ないしは「協力」のクレジットで名前を残す方向で交渉が続きます。
しかしクレジットから脚本家の名前を消さないと本編放送や二次利用の許諾をしないという小学館の圧力に最終的に日テレが折れて、第9話のクレジットから脚本家の名前は消えてしまいます。脚本家からみれば実に理不尽な決定が下され、これが後のSNS投稿へとつながります。
さて、ここまでの調査結果から双方の報告書では「再発の防止」という建設的な議論が繰り広げられます。要点としては原作者サイドとドラマ制作者サイドが伝言ゲームではないやり方でコンセンサスを得られるような脚本プロセスが必要であり、かつ納得のいく脚本が仕上がってからドラマの撮影に入るべきだというのです。
そのために双方の報告書が提言していることはコミュニケーションの改善と契約の明確化であり、加えて日テレの報告書は企画から放送までの期間が6カ月というのは短すぎるという改善案です。もっと余裕をもったスケジュールにすべきだというわけです。
これで解決となるのでしょうか。大きな問題があります。そもそもテレビドラマの制作費は年々削られているのです。
上からは少ない予算で作れと言われて、その一方でコアメンバーに9カ月働けという日テレ報告書の改善案は働き方改革的には矛盾です。少ない予算でドラマをつくるためには期間を短くしなければ人件費が製作費の主要な部分を占める映像ビジネスでは予算内にはまとまりません。
■③ ビジネス視点から紐解く
このビジネスという3つめの視点により、問題はまったく違ったものに見えてきます。
そもそも漫画をドラマ化するというビジネスでは誰が儲かるのでしょうか? 一義的には出版社が一番大きな利益を得ます。今、漫画のビジネスはIP(Intellectual Property)ビジネスと言われています。漫画の世界では集英社と講談社がこのIPビジネス化で大きく成功していて、長期凋落傾向の出版物ビジネスを大幅に補う形で、IPによる利益が業績を上向けています。
ドラマ自体は3カ月、つまり1クールでおしまいですが、そこからスピンオフドラマを企画したり、時期を改めてアニメ化したり、漫画が終了した後で独自ストーリーの映画を企画したりということを繰り返すたびに、漫画のIPとしての価値は上がっていきます。結果、漫画の販売部数が増えるのに加えて、関連本、グッズなど出版社にとってのビジネスの幅も広がります。
映像化のメリットは漫画の権利を持つ側にとっては非常に大きなものがあります。手塚治虫先生を例にとるとわかりやすいのですが、あれだけの名作を抱える中で、IPとしての価値が高い作品は『ブラックジャック』『火の鳥』『鉄腕アトム』の3作品だけです。『鉄腕アトム』はIPとしての価値はかなり下がったかと思っていたらNetflixで『プルートゥ』がアニメ化され、またIP価値が一段と上がりました。
■テレビ局にとってのドラマ化の意味
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( 178251 ) 2024/06/07 02:31:07 0 00 ・原作者からただの可愛くて軽い女ではないと言われていた朱里の「親のリストラと女だからという理由で四大への進学を阻まれ短大へ進学した」と言う重要なエピソードを、「親の会社が不景気だから制服の可愛い私立高校ではなく公立へ進学することになった」という可愛いだけの軽い女エピソードへ改変しようとしているので、とても原作を大事にしようとしていたとは思えません。 これで本当に原作を大事にしてドラマ化していると思っていたのだとしたら、国語の勉強を義務教育からやり直すべきです。
・原作者から言わせれば、改変が必要ならドラマ化する必要は無い。 原作者がドラマ化してくれと頼んだわけではない。ドラマ化ありきではない。 勝手な理屈を作るな。ドラマ化するな。原作者はなにも困らない。
脚本にしても改変作業にしても原作者の認可があってこそのドラマであるべきだ。 原作者の意に沿わないのであればドラマ化すべきではない。
・色々と分析するのは勝手だが、そもそものところを忘れているのではないか。 原作者は、未完の作品故原作を大きく改変するのであればドラマ化はしないと最初に言っている。それが無理なのであれば、日テレ側ははっきりとそう伝えて諦めるべきだ。何故ドラマ化になったのか、何故嘘をついてまで撮影したのか、日テレ側の裏切りで人が一人亡くなり、大きな作品が未完となってしまったことについて、小学館側がどう関わっていたのかも含めもっと調査を尽くし、関係者は責任を取るべきだろう。
・双方の報告書を読み比べたが、直接的な要因は、原作サイドの意向をきちんと脚本家に伝えなかったテレビ局サイドに大きなものがあるように感じた。 脚本家がSNSでコメントをしようとしたときに、表現の自由を盾に、止められない、と判断したと書かれているが、実際には、脚本家の怒りがテレビ局サイドに向かうと、いろいろとばらされてやばいことになる(原作者の意向を伝えないどころか、原作者も納得している、とうそをついたとか)、という判断があったのではないか、と思えた。 私刑じみた責任追及は避けるべきだと思うが、テレビ局がそういう問題を認識しないとまた再発するように思う。
対策として、制作期間を十分にとるというのは有効だと思うが、 全てが完成してから原作者に通しで見せて、了解が得られなければ放送しない、くらいの制作期間をとる、くらいした方がいいかもしれない。
・日テレも小学館も、報告書の内容はそれぞれの立場で「いかにスムーズに仕事を進めるか」にあって、今回のような不幸を今後起こさないようにという思いは感じません。記事の分析もごもっともなのですが、それぞれの現場等の事情は問題の本質ではないと感じています。
脚本家によるSNSでの暴露があった時点で日テレと小学館が事の重大さに気づいていたら、原作者が亡くなる事はなかったでしょう。合議で進めていたというなら脚本家と原作者を納得させるのは両社の仕事では。原作者が発表した文章は出版社のチェックを経たと書かれていました。ならば出版社の名前と責任において文章を発表すべきでしょう。原作者の名前で出すなんて他人事か。
要するに日テレと小学館の間の問題が脚本家と原作者という個人間の問題になってしまったのが、原作者が亡くなった直接の原因だと思います。どちらの報告書にもそんな認識がなかったのが残念です。
・脚本が5名のスタッフによる合議制と日テレの報告書には書かれているが、もしそうだとするのそのメンバーには原作側との窓口となっている担当プロデューサーのA氏が入っているので、原作者の指摘はその都度聞いているため、本打ちとやらの打合せ時に脚本家が原作者の姿勢や希望を聞かされていないはずがない。 それにも関わらず脚本家はブログで「青天の霹靂」や「初めて聞くこと」と書いているため、実際はグループによる打ち合わせは機能しておらず、ほぼ脚本家によって書かれたと考えるのが自然だ。 それならA氏が原作者の希望を脚本家に十分に伝えず、結果として脚本家が持ち前の原作改変力をいかんなく発揮し続けたのではないかと頷ける。 あるいは脚本家が嘘をついているか。 さてどちらだろうか。
・この記事にある通り、TVドラマは企画立案から制作放映まで実に多くの人が関わってて移り変わりは早い。常に予定調和的というか如何にトラブらず遅れず最終回まで持っていけるかが、結果的にクオリティより優先される様が見えてくる。 だから間に立つ人間は進行に障りそうな要素を排除したかったんだろう。 一方漫画家/作家というのは、ストーリーやキャラから作画までほぼ独り(もちろんアシさんや編集さんは居るものの)で産みの苦しみを経て創る。だから細部に至るまで神経を尖らせている。 TV制作側にとっては数あるドラマの一つに過ぎなくても、作家には幾つも作品描いてても其々が唯一無二の子供みたいなもの。ドラマ化による改変は、芦原さんには我が子の頭や手足を勝手にすげ替えられる様な感覚だったろう。 原作物の映像化する場合はこの点をよくよく考えて制作にあたって欲しい。
・この記事で、疑問に思う箇所も多々ありますが、 『そしてこの構図のなかで、資本側の小学館と日テレは「ドラマを成立させたい」という思惑で一致します。』
の箇所は、重要な点であり、私も当初からそう思っていました。 原作者は、小学館(編集者)は味方(少なくとも敵ではない)だと思っていたけれど実は違ったということに気付いたのではないでしょうか。特に、この記事でもありますが、SNS投稿に関して編集者とのオンライン会議で、決定的な致命傷になってしまった可能性が無いのではないかと思います。 脚本家のSNS投稿に関しては、何の対応もされなかったのに、原作者のSNS投稿については、問題視され削除を促された可能性があると思います。
・なんとなくだけど日本のドラマがつまらないと言われる理由がわかった気がする。 10話までの話をあらかじめおおよその流れを決めて肉付けしていくのではなく、一話づつその場で作って行って後から帳尻合わせをしているんだね。全ての作品がそうでは無いのだろうけど、その方が率が取れない時にテコ入れがしやすいなどのメリットがあるのだろう。でも終盤になるにつれて見る気が失せる作品はこうして作られるのだろう。 でも原作に忠実にと言われている中でそれはいけない。帳尻合わせがうまくいかずに原作崩壊するのが容易に想像できる。
・タイトル通り「問題の本質」がよく理解できました。私は日テレ側の報告書に書かれていないドラマ製作陣コアメンバーの話し合いの中身に「うるさい原作者」とか「プロデューサー:俺が上手くやるから好きなようにつくっていいよ」みたいな「悪」があると思っていましたが、あったとしても本質的な問題はそこではないこと。小学館側で明らかにされていない原作者との「最後の」決定的な何かのやりとりの謎。明らかになって欲しいです。
・恐らく、芦原先生が送られてきたプロットを修正指示付きで送り返した後、本当ならプロットを再提出してOK貰うべき(そこで「コアメンバー」が指示を無視し続ければコアメンバー全体への不満になった)だったのに、時間がないから修正意見を踏まえた脚本を再提出、としてしまった結果、コアメンバーの総意としての修正無視された脚本が出てきたとき、脚本は脚本家の著作物ゆえ、芦原先生からは「コアメンバーのうち特に脚本家が意見を無視している」と見えてしまい、脚本家へ不満が集中してしまったのではないでしょうか。それは脚本家にとっては不幸であったと思います。
ただ、9話10話の脚本クレジットの件、脚本家のアイディアが芦原先生脚本に含まれていることで「脚本家の尊厳にかかわる」旨猛烈に抵抗したそうですが、アイディア出しの段階での脚本家の立場は「コアメンバーの一員」に過ぎないのだから、大げさな主張に私には見えました。
・日本テレビ、小学館2社の調査報告書を読みました。
日テレの報告書はスタッフの記憶で語っているだけと思われる箇所が多く、小学館はメールやLINEなど残されている文書を主としているのが特徴です。
私は原作を読んでおらず、ドラマしか見ていないのですが、日テレの報告書にあるとおり「派遣OL朱里は、一見愛され女子だが、『若くて可愛い』ことにしか自分の市場価値はないと焦り、合コンに明け暮れるものの、虚しさと生きづらさを感じていた。そんな時、朱里は田中さんの“正体”を知り“我が道”を行く生き様に惹かれ憧れていく。正反対な 2 人の関係性は化学反応を起こし、周りからのレッテルをはね除け、新しい自分を見出していく」がドラマの主軸と思いました。 (返信欄に続く)
・もう一つ掛けている乖離がある。 ドラマ制作側(小学館含む)と原作ファンの認識だよ。 ドラマ制作側はドラマを良いものにして成功させたいと思ってる。 だが、原作ファンは原作から多少改変はされる事くらい前列から嫌になるほど知ってる。だから、改悪される位なら実写ドラマ化をしないで欲しいと願ってる。タイトルに傷がつくからだ。 制作側はビジネスだから、製作期間に無理があっても、各所への配慮が入りグダグダな甘々なモノを付け焼き刃に完成させる。原作者への配慮はそこには無いから対立関係になる。 ファンは原作者の味方だが、原作を穢されたと認識すれば、今まで積み上げてきた原作レイプの実績から怒りが再熱する。 下ごしらえは出来上がってたんだよ。
なんで原作者が直接的な話し合いを拒否してたか、 信頼性がドラマ制作側になかったからだよ。 制作前の信頼関係を築けなかった段階で破綻が決定してた。
・うーん、この記事は経済評論家・コンサルティング業をされている方の感想と推測を書かれているのですが、まさに「藪の中」のことを知っているかのように書かれているのでは? キャラクター表が欲しいという段階で原作を読み込んでいないのでは? 原作を読んでキャラ表のたたき台を作って相談していれば? コアメンバーは当初原作を変える必要がないと判断していたのに改変が多く、原作者からの指摘と代案を出しているにも拘らず、次々と改変を加える。 コアメンバーが楽をしようとしていたり、クリエイティビティを発揮しようとして失敗したり、ミスコミュが多かったのは主に窓口となるPの責任です。 出版社は揉め始めた頃に連載を休載するなどの措置もあった思います。フリーレンは長期休載したし。 このコメントを書いている本人も推測と感想を書きました。 「じゃあ、どうするの?」という部分がコンサルの方の実力発揮場所です。
・近年はアニメ制作会社が主人公だったり、作家が主人公だったり、脚本家が主人公だったりするアニメやラノベがあります。 フィクションは当然入ってるでしょうが、アニメやドラマの作り方はそれである程度学べます。
原作サイドと制作サイドが揉めたり、脚本会議で揉めたり、監修・チェック量が膨大だったり、緊急で脚本修正したり問題が起きます。 ドラマの脚本だと、例えば視聴率が悪いのでテコ入れで修正しないといけない、撮影日に雨が降ったのでその場で修正しないといけない、役者が怪我をして出られなくなったので修正しないといけない、前話の脚本担当が仕込んだ伏線を回収しないといけない、色々起こります。 担当レベルではそれぞれ一所懸命頑張ってるんでしょうが、組織になると歯車がおかしな方向に回り出すんですよね。
・「相手が会議ではなく脚本家だと見誤った原作者の要求」 ここの部分は見誤ったわけではないと思います。 原作者とすれば、ドラマ化にあたっての要望は担当編集者を通して日テレ側に伝えている。そこまでは編集から聞いているはずです。 当然、日テレからも脚本家に伝えてもらっているはずと信じるのが相当でしょう。 それが実際には伝わっておらず、脚本家の書くものは原作者の意に沿わないものになっていた。
つまり原作者にとっては、脚本家が要望を知って無視しているとしか思えないわけで、脚本家の降板要求を出したのは自然なことだと思います。 原作者も脚本家も、制作の状況を正しく把握できないままやりとりが進んでいたということだと思います。
・原作者は、脚本家が原因だと誤認したとあるが、プロデューサーは小学館と直接やり取りしていて、原作者の要望も聞いている。 これは原作者にとっても疑いようのない事実だから、まさか、脚本家の前の段階、等のプロデューサーが参加してる段階で、原作者の要望を踏みにじるような改変が行われていたなどとは思わないだろう。 それに、原作者の判断は脚本を含めた膨大な文字列を読んでの判断だから、打ち合わせ段階のプロットにはない、脚本独自の改編も読み取っているはず。 脚本家が原因だという判断に原作者の非はないし(誤認ならプロデューサーの不正行為によるものであろう)、恐らくは本当に改編の大きな原因は脚本家にあったのだと思う。
・途中で怒りから気分が悪くなって全て読むことができておりませんが、疑問があります。 脚本家は、9.10話の放映前に弁護士と接触があったのですね? その時、「著作者人格権」の説明はなかったのでしょうか? いきさつはどうであれ、「セクシー田中さん」の描き方は芦原先生に権利があるので、その先生からダメ出しをくらったら、脚本家等、ダメなものはダメ!になってしまうことを。 弁護士はどういう対応をしたのでしょうか? それでも、脚本家が知らないと言えるのか? 私の理解がおかしいのでしょうか?
・すごく疑問に思うことがある。 「原作者からの指摘の言葉が強すぎるから、咀嚼して伝えて欲しい」と脚本家がPに要請した件だ。本当にそんなメンタル弱者ならば、降板の後にクレジットで揉めたりSNSで暴露したりするか? しかも脚本家は原作者の修正や指摘について「そんな話は初めて聞いて驚いています」とSNSに書いてただろう?自分で咀嚼して伝えるように要請してた者のセリフだろうか?
「原作者からの指摘の言葉が強すぎるから、咀嚼して伝えて欲しいと脚本家から要請された」というPの証言が嘘なんじゃないか?
・以下記事より引用 こういった合議で決められたことに対して、原作者は脚本家の仕業であると認識していたために、徐々に脚本家を強く非難するようになっていきます。 引用終わり
つまり芦原先生による非難は脚本家個人ではなく制作スタッフ全員への非難である事が、スタッフ全員には分かる事。 なんの言い訳にもならない。
・この記事自体は、報告書に新たな視点を加えており興味深い。 ただ、筆者も理解を示す、日テレの事情は矛盾している。 ・脚本家1人の意向で改変された訳ではなく、脚本家に全責任があるわけではない。 ・原作者の意図は脚本家に十分伝わらず、原作者の指示通りに脚本が作れなかった。
??? 脚本家は厳しい言葉の原文を見たくないと言ったとして、他の人にはそのまま文書で共有したんですよね?少なくとも受け取ったプロデューサーはコアメンバーで、かつ原作者の希望を聞いたんですよね?でも脚本家に伝わらなかったから、原作者の希望に添えなかったんですか?「なんだか誰も悪くなさそう」という雰囲気を出したいだけでは?
・長い記事だが日テレ、小学館両方の報告書をざっとだが読んだ自分からしてあまり納得できない記事だった。原作者はドラマ制作事情もある程度承知していたから、思い込みで脚本家が悪いと信じていたわけではないと思う。ただ脚本のセリフやエピソードの順番などで脚本家の判断が大きいと思っており、また原作の変えてほしくない核の部分を理解した上で脚色するのは脚本家であることを理解し、当初は期待していたがやがて信頼を失った、ということだと思う。 漫画のドラマ化で大きな利益を得るのは出版社で、テレビは薄利、というのも本当か疑う。鬼滅のように大ヒットし、キャラクター商品も大量に売れるようになればともかく、漫画の発行部数がのび、若干のIP関連商品が売れる程度で出版社にそんなに大きな利益があるのか。テレビ局にとっては利益そのものだけでなく、原作もので視聴率がとれればスポンサーとの関係などの効果が大きいのだろう。
・あくまで個人的想像なのですが、日テレドラマ班が格別に劣っているのではなく、現状、原作付ドラマの制作はこれがノーマルなやり方なんでしょう やいのやいの言われたことで原作者を敵認定してチームをまとめてしまったような気がします だからPもDも脚本家に同情的になり原作者の意向を無視したり 多分、悪口とか言ってたんじゃないですかね その土壌があるから脚本家もあんな投稿をし、ドラマ班も削除を要請しなかった。 可愛そうな脚本家、悪いのは原作者って認識だったんでしょう 報告書には触れられてませんでしたが、文春の報道によると その後のやろうとしていたドラマで自殺するキャラクターを女性漫画家に変更したり こういうことがあったにもかかわらず関係者への中止の報告も自分たちは悪くないという認識だったりしてましたから 未だに口をだしてくるほうが悪いくらいに思ってるんじゃないですかね
・>このやり取りの中で日テレのプロデューサーが初めて「揉めた」ことを認識したのは第4話のエピソード入れ替えが原作者から拒否されたときで、そのときはじめて修正のない言葉通りのワードファイルを送ってもらい、原作者の強い憤りを理解します。
「原作者の強い憤り」を理解したプロデューサーは、どうしたのでしょう? ここで体制を修正できていれば良かったのでは?
・個人を評価するのであればどこをどう読み解いてもプロデューサーがダントツで悪いように思える。 製作の場においてプロデューサーの役割ってまさしく今回問題になっている部分そのものでは? 報告書においてそこに焦点を当てた内容になっていないのが完全に終わってると思います。
・記事の筆者はテレビ側の都合ばかり言い立てて日テレを擁護しすぎている。 原作者が相手を誤認したせいだとか、ドラマ制作というものを理解していないからだとか、こういう部分は特にそう。ふざけるなという感想。 原作を頂戴して二次作品を創るのだから、本来は原作者の意向が最優先のはず。制作の日程とかは日テレ側がやりくりするべきで、原作者にしわ寄せがいくのはおかしい。 無理な態勢やスケジュールで破綻しそうだったなら原作者に責任はない。 なのにこうなった。 しかも文中では、原作者が失礼な言い回しをしたとか、頑なすぎる人だみたいな遠回しの非難があちこちある。
・小学館報告書より『脚本家さんは今すぐ変えていただきたいです。最初にキチンと終盤オリジナル部分は葦原があらすじからセリフまで全て書くとお約束した上で今回10月クールのドラマ化を承諾しました。約束が守られないならHuluも配信もDVD化も海外版も私は全て拒否します。 (本件脚本家)さんのオリジナルが少しでもはいるならそもそも私は9.10話を永遠にOK出さないです。 (本件脚本家)さんの度重なるアレンジでもう何時間も何時間も修正に費やしてきてもうとっくの昔に限界は超えていました。 (日テレ社員X氏)が間に入ってくださったというのを信頼して今回が最後と思ってました。けどまた同じでしたのでもう無理です。』
何故ここまで思い詰めるまで日テレ側に伝わらないのだろう?誰が話を歪めていたのだろう。悲しすぎます。
・脚本家交代は当然。脚本してないので脚本に名を載せる必要は無し。監修または協力またはスタッフまたは現形のいずれかで載せる必要はありだと思う。権利は尊重し合わないと。
・日テレの報告書は原作者は難しい人だの失礼な物言いをするだの散々な言い様で本当に腹が立ちました。 そもそも「原作に忠実に」は許諾の「条件」であるのに「希望」だと捉えていたテレビ側とそう伝えられていた脚本家に芦原先生の希望通りのドラマなど作れるはずもなかった。改変?当たり前にしますけど何か?という姿勢であったと思う。 そもそもが、原作ありきのドラマの脚本を書いているのに「原作者からの指摘を読むのが辛いから咀嚼して」って何?そしてそれが通じるのが意味不明。 芦原先生は理由まで付けて修正案を送っていた。 もし、脚本家が直接それを読んでいれば、先生の意図や崩されたくない世界観を汲み取ることができたかもしれないのに…。 もはやたらればの話ですが、先生の心中を思うと苦しくて悔しくてなりません。 今後、ドラマの発表には脚本家の名前も入れてくれませんか。 この人の作品は二度と観たくありませんので。
・コアメンバーだろうと個人だろうといいんだけどさ、結局TV局の制作側の人間がちゃんとマネージメントしてなかった、「ドラマなんだしこの程度でいいじゃん」という意識しかなかった、という風にしか読めないんだがな
・両報告書と記事全て読みました。 改変内容はテレビ局側の本打ちに参加しているメンバーの合意で決められていると。つまり改変内容は脚本家含むテレビ局の総意であり、全員原作の理解が浅かった、全員悪者であったということがよく分かった。 それは朱里の背景変更と将来の変更、ダンスと衣装の齟齬などが「その方が受けそう」というテレビ側の都合が100%の変更やミスで原作の方向を微塵も向いていないこと、嘘をついてでも無理やり乗り切ろうとしてことからも読み取れる。 もう一点は原作者を舐めすぎ。漫画のエピソードって出来上がったものが全てじゃなくて、色んなエピソードや流れを考えたうえで最終的に一つに決めている、つまり作者の世界観は見えている以上に大きいものです。ドラマの本打ちで色んな没案も出て決めているのと同じはず。であれば改変内容について誠心誠意説明しようと考えませんかね。
・《原作者にとっては脚本家が問題だという認識が強まり、最後の最後に降板要請として爆発します。そして脚本家は自分が攻撃されたことに気づきSNSで反撃します。それに対抗する原作者のSNSでのアンサーで、脚本家は壊滅的に炎上します。同じクリエイター同士が、ないしは同じ労働者同士がわかりあえずに戦ってしまったのです。》
被害者同士が叩き合い、一方の被害者が自ら命を絶ち、そのファンが怒り狂って他方の被害者を叩きまくる。こんな悲劇もなかなかないだろう。
・このライターの言い分だと「原作者が最初に脚本家を敵対視した。脚本家も被害者だ。」のような書き方になっているが日本テレビ、小学館の調査報告書を読むと有りえない。 この記事だけ読むと原作者がとんでもない変わり者やクレーマーのような印象さえ与える。 調査書の脚本家の行動や要求などを読むと明らかに意図的に原作者対抗をやっているし原作者に対して敵意剥き出しなのが分かる。 そもそも現場での衝突をわざわざSNSで全世界に向けて原作者への攻撃として発信したのも脚本家の方なのだから被害者な訳がない。 調査報告は弁明や擁護の為にある訳ではないでしょう。問題の本質を洗いざらいにして原因追及や再発防止の為に行うもの。 直接的な加害者とは言わないが日本テレビも小学館も脚本家も大いに問題があった。
・>「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」シーンは報告書から推察するに演出上の理由でしょう。露出の多い派手な衣装のほうが映えるのでそう決めて、脚本家はその会議での決定事項を脚本に明記します。
違くない?ベリーダンス詳しく無いですが、ハリージ衣装って露出が少ないすっぽり被る衣装じゃないですか?芦原さんはこのシーンでこの衣装はベリーダンスの歴史的にも文化的にもあり得ないと仰っていた。さらにヒンドゥー教徒の多いインドへダンス留学という脚本もおかしいと仰っていたはず。芦原さんは原作の世界観だけでなく、文化や歴史を大切にし、敬意を持って接していたのだなと感じました。それに引き換えこういう根本的な問題を調べる事なく浅い知識で映像化しようとして、間違いを指摘した芦原さんを無視し続ける日テレプロデューサーと脚本家に改めて怒りが沸きます。彼らが日頃から原作者だけでなく、視聴者も軽く見ている証拠でしょう。
・一見、中立な立場で冷静な分析をしているような書き方をしているが、よく読むと、「日テレはちゃんと原作を大切にして脚本を作っていたが、原作者はそれ以上に厳しい細かい手直しを強いてきて苦労した」と言わんばかりの、暗に「難しい作家」に日テレが翻弄されたみたいなトーンになっている。いわゆる日テレ擁護記事に思える。
・日テレ側に偏ったひどい記事 何故ここまで日テレを擁護するのか分からないレベル 伝達の不備の問題ではなく作者の意向を無視し続けた末の作者の拒否であると言う事実から目を背けている また脚本家が関わっていないはずの9話10話にクレジットがないのは当たり前だがそれを脚本家の権利と喚いたのも不合理、さらにそれだけ自分の関与を主張しながら、原作者によって降ろされた事をSNSで殊更に被害者として語ったのが、外部に騒動が現れた原因なのに脚本家の擁護もおかしい 脚本家は原作者からの指摘を見る事すら拒否してまで改変し続けその末に外されたのだから伝達の不備があったとしたら脚本家にも大きな責任はあるが、原作者からの指摘を伝えられなかった被害者扱いと結論づけるのもおかしい 総じて不自然に日テレ擁護の気持ち悪い記事だ
・脚本家って TV局のお偉いさんの愛人か何かなのか?って位 大事に守られるんですね。 TV局側には漫画原作ありのドラマ化に うまみはないみたいな事が書いてありますけど じゃあ小学館は儲ける為に日テレに 難しい作家とやらの連載途中の作品のドラマ化を 後先考えずに売り込んだんでしょうか? そして金儲けさせてもらう小学館は日テレに借りがある為に SNSの炎上の後、 経営陣から何か決定的な宣告が原作者に下され、 原作者は絶望して悲劇が起こったって事ですか? わが子を守る為に命がけで闘っていたのに それが原因でわが子が失われたのでしょうか? 日テレに責任はなく小学館経営陣が悪いと言ってるようにも見えますね。 クリエーターと経営陣、資本家と労働者階級 そういう対立構造が問題の本質と言いながら この記事を書いた人は出版社と原作者の間に交わされた 最後の会話の概要を知っているのかもしれませんね。
・脚本家擁護の長文なので読むの3ページでやめたけど
>A氏は本件脚本家から、譲歩した形で小学館と調整を行ってほしい旨伝えられた。 >「クレジットはまずは脚本協力ではなく、脚本(連名可)として探っていただきたいです。」とメッセージが送られ >A氏は「法務的な観点から、しっかり脚本(とクレジットすること)から探らせていただきます。」と回答した。
A氏はどんだけ脚本家のしもべなんだよって話
顧問弁護士に相談した結果の日本テレビの見解 >「結論としてクレジットに関しては、9,10 話本件原作者の主張するノークレジットが妥当」 >「10 話においての『オールスタッフ』形での脚本クレジットが限界と考える」
どんだけいちゃもんだったんだよって話
チーフPがしもべ感な上に弁護士使ってよわよわ主張通そうとするとか このライターが言うように本件脚本家の立場が弱いとも要求が正当だったとも思えない
・日テレは本件に関して第三者委員会ではなく社内調査委員会で行なっているので信じるに値しませんし、記事にあるように本当に知りたかったところは明記されていません。
日テレには今後社内調査結果を叩く権利は金輪際ありません。
第三者機関を入れた上で、マスメディアとしての責務を果たしていただきたい
これで終わりと思うな
・「相手が会議ではなく脚本家だと見誤った原作者」という解釈です。 小学館報告書P32~P33に、「9月5日には日本テレビ側が芦原氏の修正要請を理由を挙げて断るとともに本件脚本家が芦原氏の説明に拒否反応を示していると告げられるまでになった。これに対して芦原氏が本件脚本家に監修者および原作者としての姿勢を伝え、理解を求めた。」とあり、拒否の相手は脚本家だと日テレ側から教えられたという解釈もできそうです。 また日テレ報告書では、日テレでは原作者の9月11日付け説明文章を「コアメンバーに対してはそのまま伝えたものの、本件脚本家に対してはドラマ化について本件原作者の不満が高まっているという温度感のみ伝えた」とあり、単純に脚本家大先生には腫れ物に触る配慮が必要だったか、実は態度硬化はむしろコアメンバーの方だったからか、これは不可解で不信感をつのらせるまずい対応だったように思えます。
・結局はテレビドラマ化すると、出版社が儲かるから、「テレビ局がやりやすいように、やらせてくれ」という事なのでは? 日数もない、制作費もないんじゃ、ドラマ自体を作らないほうがよさそうだけど。 確かに、推しの俳優がやった映画や、漫画、小説は買ってきたけど、原作は先には読まない。あとから、どこを改変したのかを知りたいので、確かめる為に買ってきた感じ。一度、ある漫画家さんが好きで内容は先に知ってもいいと先に原作を読んで映像で見たが、あまり内容が入ってこなかった。結果がわかっているし、どのように演出したのかくらいな感じだった。小説なら俳優の声のトーン、映像を思い出しながら読めるのでそうしている。 漫画の完成してある物も、映像化は違うクライマックスで、というのもあるわけで、やはり、原作者と言わず、原案者。脚本家と言わず、脚色家にしたほうが、揉めない気もするけど、そういうわけにもいかないのかな。
・日テレにとっては「薄利」だったんですか。スケジュール的にも大変らしいですね。 でも、「んじゃなぜ断らなかったんですか?」と、ギョーカイ人でもないド素人は思いますわ。 「コンテンツとして稼ぐ」と考えれば、そもそも原作が、それなりに経験した「大人」向けアニメ的な扱いでも良かった様な内容だと思うんですが、何でそんなに「実写ドラマ」に拘ったんです? つまりはやっぱりアレですかね?「芸能事務所」カンケーですか? 件の脚本家は某事務所と関係が深いとか、キャスティングもその事務所の方々が目立つとか、原作では端役のキャラも格上げの形でその事務所の俳優さんをあてがう形になっていたとか、過去の記事で見かけましたし。 社内的にも、当初から名前の出てる某プロデューサー氏は協会の理事だとか。仕事を割り振らないといけないんでしょうなぁ。 会社も大変でしょうが、だからって原作や原作者を蔑ろにしてイイワケないでしょ?
・何処をどう読んでもやっぱり日テレの罪は大きい。 商業的に・・・という事が大前提になって、個人の尊厳を無視するようなことが、TV局が行っていいのだろうか? 見通しがあまく赤字事業になったなら、責任を取って赤字にすればいいのに、その代償を原作者の自死で決着をつけてしまった極悪プロジェクト。 そのごも何食わぬ顔でいられることが、恐ろしいです。 1人の人間をつぶしてまで行うビジネスって・・・なんなんだろう・・? 根幹の責任を誰も取らずに、このまま風化させていくのが・・正義なのか??
・双方の報告書から芦原先生が真面目でドラマをより良くしようとしていたのが見てとれる。 記事では社員A,B,Cとの会議で何かあったかのように書かれているが、報告書を読むと社員Fが何かしたのでは?と思ってしまう。
・結局テレビ局がキャパオーバーなのに、ムリくりドラマつくるから元ネタを搾取しないといけなくなる。 キー局を合併させて半分にすればいい。 CM単価も上がるだろう。希少価値がついて。
・全体に変なイデオロギーを持ち込んで、つじつまの合わないことを長々と書き込んだ駄文だけれど、最後の
>死の前に原作者は何に気づいたのでしょうか。関係者から何を教えられたのでしょうか。誰になぜ謝罪をしたのでしょうか。その部分については調査は尽くされていません。
のところだけ、有意義な意見を述べているね。ただし、出版社だけでなくテレビ局についても同じだけどね。
・結局、契約書とか議事録とかになってないのダメだよね。 原作者が難しい人。 って小学館も日テレも分かってたんでしょ?スポンサーや芸能事務所は知ってたの?日本の一流企業が集まってこの仕事の進め方って何?笑そりゃあ人が死ぬよね。日テレは今後も人も原作も殺していきますの宣言は辞めた方が良いよ。
・>映像作品に参加をしたスタッフはその存在をクレジットで明記してもらう根源的な権利があるのです。
原作者もその権利は認めてたよ コアメンバーと並列に制作チームとして書く分には許容してた 一方脚本や監修協力等、脚本制作に関わったとみなされるような書き方はNGにしてる 脚本家の方は単独で名前を載せることを主張して断られてる
・最近のアニメができるだけ原作に沿う形で作られることが多くなったように、ドラマもいつかそうなるんやろか……って、芸能事務所や脚本家に忖度してる限り無理か
・日テレの報告書に関するに関する報道(特にテレビ)が少ないことが真実を語っている気がする。これがメディアの姿なんでしょうね。どれほど偉いのかね。また特権意識を持っているんでしょうかね。
・日テレの報告書は自己弁護ばかりで、嘘っぽい。脚本家をはじめ、原作者軽視がひどい。原作だけあればいい、原作者はめんどくさいという、脚本家協会の誰かさんが言っていたことと同じだ。脚本家が自分は外されたのに、クレジットは入れろとは、何ごと!
・先生はなぜ自死されるほど苦しまれたのでしょう。分析に1番必要なのはこの思いを掬い上げることだと思います。
・最初から日テレは、死亡の原因を究明して再発防止に努めるためのものではないと言ってるでしょ。 日テレは、悪くないことは、最初から確定しているという事。
・どこをどう読んでも原作者に一切の非はないよな……
原作者以外の全員が悪い
周りの人間が全員敵とか、絶望するに十分やと思う
・石澤が日テレの社長になってから不祥事が多すぎだろ。
今回の件も火に油を注ぐ形になっている。 もしかして日テレは自ら炎上させるプロなの?
・この脚本家とプロデューサーが、原作者の望まない改変の常習犯という事実を見つめないと。
・小学館は知る由もないし、日本テレビは自分本位で明らかにする気がないからでしょう。
・決定的に欠けているのは、正義感とか良心だと思います。
・改変したドラマ化はテレビ局と出版社がウィンウィンで原作者は放置されている
・そりゃあ「公開版」だからだろう。 「非公開版」にはあるんじゃないか?
・この記事は日テレの擁護に立ってることは明白 いろいろ跋扈してるな
・原作に忠実にドラマ化すると何が発生するか? ・過去、原作者が小学館担当者に提案し却下されたネームに似た内容が提示される。 これは、小学館担当者にとっては、非常に不味い。 原作者がこのような人達を間に入れると同じ事が繰り返される。 「気難しい」 という言葉を使い両者を合わせない詐欺師のような行為が改善されない限り解決しない。 都合の悪いことは伝えず、事なかれ主義で乗り切ろうとした結果だ。 きっかけになったSNSを投稿する際に原作者と小学館の間で 「SNSに投稿して炎上した場合、原作者本人で対応します。」 的な覚書を求められたかもしれませんね。 おそらく炎上は想定出来たので、間違いなく何か念を押す行為は有ったと思う。 不思議です、炎上したとはいえ。 立場的に一番優位だった人が、なぜ自死を選んだのでしょうか? 自死のきっかけは、SNS投稿であり。 それは、原作者と小学館の間での話。
・こういう記事書いているほとんどの人が、日テレが悪いように書き始めながら、少しづつ責任を原作者の方に持っていこうとしてるように感じます。 まさに死人に口なし。 これでメディア側は味をしめることでしょう。今後も揉めたら追い込んでしまえばいいと。「セクシー田中さん方式」と名をつけて。
・この記事は、テレビ局側の言い訳を代弁している偏った擁護記事だな。 ビジネスとしてみるとなどと尤もらしいことを言っているが失笑ものだよ。 出版社が儲かり、テレビ局が儲からないとしたら、それは能力が低いから。 原作を正当に評価する能力があれば、2次利用も含めて高額で版権を買い取ればいい話。結局視聴率という基準でしか判断出来ない無能揃いと言うだけ。
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