( 178248 )  2024/06/07 02:31:07  
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日テレのドラマ「セクシー田中さん」制作では原作との一致や脚本の適応に関する問題が浮上した。

報告書から、脚本家や原作者の意見のすり合わせが不十分であり、制作チームや原作者サイドのコミュニケーション不足が露呈した。

クレジット問題も発生し、脚本家の名前が削除されるなど波乱を招いた。

双方の報告書は再発防止策としてコミュニケーション改善や契約明確化が必要と指摘しており、ビジネス視点から漫画のドラマ化がどのような利益をもたらすかが考察された。

(要約)

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(画像:ドラマ「セクシー田中さん」公式サイトより) 

 

セクシー田中さんの問題、日テレのドラマ制作の現場では何が起きていたのでしょう。小学館の報告書を解説した「『セクシー田中さん』報告書に批判殺到の根本原因」に続き、日テレ側の報告書を読み解いていきます。 

 

【画像】日テレの「セクシー田中さん」調査報告書 

 

■② 脚本家の視点 

 

 ドラマの制作にあたっては日テレドラマ班のプロデューサーや脚本家などを含むコアメンバーによってストーリーが検討されます。この検討会議のことを「本打ち合わせ」ないしは「本打ち」と呼びます。 

 

 小学館の報告書では触れられていませんが、漫画原作のドラマ化にあたってストーリーを考えるのは脚本家単独ではありません。プロットから脚本までの内容はコアメンバー5名(後半から6名)による合議で決まるのです。 

 

 日テレの報告書によれば「原作を大切にしよう」という話はコアメンバーの間で当初から共有されていました。原作者が問題視した脚本家も本人は「原作漫画がしっかりしているので、大きく変える必要はない」という意見でした。 

 

 制作チームのコアメンバーは原作の世界観を大切にするために、原作者に対して登場人物のキャラクター表を要望していました。が、それは存在していないため手に入りませんでした。 

 

 これは漫画家の仕事のプロセスを考えると当然で、自分の頭の中に入っているのです。そして連載の間、ネームを描き、スタッフで手分けをして作画し、ペン入れをして仕上げという忙しいスケジュールを考えると、ドラマのためにあらたな設定書を作るという時間がとれないことも理解できます。 

 

■ドラマ化する際に改変が必要になる事情 

 

 とはいえその前提で原作だけを深く読み込み、プロットを作成するたびに、原作者から「キャラ崩壊が起きている」と指摘される状況は、本打ちに参加するドラマ制作のコアメンバーにとってもきつい状況だったと推察されます。 

 

 というのも漫画のドラマ化にあたっては改変がどうしても必要になります。報告書ではその理由が挙げられています。まず最初に漫画と違い、1話1話の中で視聴者を飽きさせないために盛り上げる場面が何か所も必要だという理由があります。ロケ場所の制約や予算の制約。尺が足りないことで何らかのオリジナルエピソードが必要になるという理由もあります。俳優の演技やブランドイメージ、スケジュールの制約、そしてスポンサーへの配慮などドラマ化にあたっての改変は必然的に発生します。 

 

 

 ビジネス的には数字(視聴率)がとれるとか、SNSでバズるために演出が求められる場合がありますし、原作内容がハードだったり、視聴者が離れそうなところでは、共感が得られるような改変が必要な場合もあります。当然ですが本打ちではそういった1つひとつのことが細かく議論され、理由があってプロットが生まれています。 

 

 しかし報告書から読み取れることは、そういった改変が提案された理由は漫画原作者側に伝えられていません。説明責任が果たされていないわけです。 

 

 原作者の側が大きな問題とした第3話の「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」シーンは報告書から推察するに演出上の理由でしょう。露出の多い派手な衣装のほうが映えるのでそう決めて、脚本家はその会議での決定事項を脚本に明記します。 

 

 こういった合議で決められたことに対して、原作者は脚本家の仕業であると認識していたために、徐々に脚本家を強く非難するようになっていきます。 

 

■伝言の間に入るひとたちが問題を深刻化 

 

 ここで読み取れる問題は、伝言の間に入るひとたちが、意図しない形で問題を深刻化していることです。原作者の要望は編集者からプロデューサーにメールで伝えられます。その際、ワードで書かれた文章の失礼な物言いになる箇所はトーンを編集者が和らげたうえで、メール本文にも「希望です」など意図を和らげる文言が加えられていました。プロデューサーから編集者への連絡は主に電話で行われ、何が話し合われ、双方で何を了解したかについては今では証言が食い違っています。 

 

 このやり取りの中で日テレのプロデューサーが初めて「揉めた」ことを認識したのは第4話のエピソード入れ替えが原作者から拒否されたときで、そのときはじめて修正のない言葉通りのワードファイルを送ってもらい、原作者の強い憤りを理解します。 

 

 「直接会って話し合えばいいじゃないか」と思える箇所ですが、本件では原作者がそれを拒否しています。一方で原作者からの指摘についても脚本家は厳しい口調の指摘をそのまま読むのはつらくなったという理由で、プロデューサーに咀嚼して伝えてほしいと要望します。 

 

 

 相手が会議ではなく脚本家だと見誤った原作者の要求で、最終的に脚本家は第9話と最終話について降板します。 

 

 そのことは脚本家にとっては青天の霹靂のような業務命令になったわけですが、ここでどうしても譲れない大きな問題が発生します。クレジット問題です。 

 

■脚本家のクレジットをめぐる対立 

 

 小学館側の要求では、第9話と最終話の番組クレジットから脚本家の名前を外せというのです。この件についても小学館と日テレの間で何度も交渉があったのですが、最終的に第9話のクレジットからは脚本家は外され、最終話のクレジットでは脚本家のクレジットは「脚本(1~8話)」として表記されます。 

 

 小学館の報告書では「本件ドラマの第9話、第10話の脚本を書いたのは原作者」ということから「原作者が単独のクレジット表記を求めることはおかしなことではない」と結論づけていますが、ここには問題があります。 

 

 映像作品に参加をしたスタッフはその存在をクレジットで明記してもらう根源的な権利があるのです。実際に9話以降のドラマについても降板までは会議に参加してきたうえに、ドラマの世界観は脚本家もコアメンバーのひとりとして一緒に作り上げてきたわけです。 

 

 本打ちに参加している他のコアメンバーはクレジットから外されず、立場の弱い脚本家だけ「存在がなかったことになる」のは、脚本家業界全体の利益を考えても抵抗すべきところです。そこで「脚本」ではなく「監修」ないしは「協力」のクレジットで名前を残す方向で交渉が続きます。 

 

 しかしクレジットから脚本家の名前を消さないと本編放送や二次利用の許諾をしないという小学館の圧力に最終的に日テレが折れて、第9話のクレジットから脚本家の名前は消えてしまいます。脚本家からみれば実に理不尽な決定が下され、これが後のSNS投稿へとつながります。 

 

 さて、ここまでの調査結果から双方の報告書では「再発の防止」という建設的な議論が繰り広げられます。要点としては原作者サイドとドラマ制作者サイドが伝言ゲームではないやり方でコンセンサスを得られるような脚本プロセスが必要であり、かつ納得のいく脚本が仕上がってからドラマの撮影に入るべきだというのです。 

 

 そのために双方の報告書が提言していることはコミュニケーションの改善と契約の明確化であり、加えて日テレの報告書は企画から放送までの期間が6カ月というのは短すぎるという改善案です。もっと余裕をもったスケジュールにすべきだというわけです。 

 

 

 これで解決となるのでしょうか。大きな問題があります。そもそもテレビドラマの制作費は年々削られているのです。 

 

 上からは少ない予算で作れと言われて、その一方でコアメンバーに9カ月働けという日テレ報告書の改善案は働き方改革的には矛盾です。少ない予算でドラマをつくるためには期間を短くしなければ人件費が製作費の主要な部分を占める映像ビジネスでは予算内にはまとまりません。 

 

■③ ビジネス視点から紐解く 

 

 このビジネスという3つめの視点により、問題はまったく違ったものに見えてきます。 

 

 そもそも漫画をドラマ化するというビジネスでは誰が儲かるのでしょうか?  一義的には出版社が一番大きな利益を得ます。今、漫画のビジネスはIP(Intellectual Property)ビジネスと言われています。漫画の世界では集英社と講談社がこのIPビジネス化で大きく成功していて、長期凋落傾向の出版物ビジネスを大幅に補う形で、IPによる利益が業績を上向けています。 

 

 ドラマ自体は3カ月、つまり1クールでおしまいですが、そこからスピンオフドラマを企画したり、時期を改めてアニメ化したり、漫画が終了した後で独自ストーリーの映画を企画したりということを繰り返すたびに、漫画のIPとしての価値は上がっていきます。結果、漫画の販売部数が増えるのに加えて、関連本、グッズなど出版社にとってのビジネスの幅も広がります。 

 

 映像化のメリットは漫画の権利を持つ側にとっては非常に大きなものがあります。手塚治虫先生を例にとるとわかりやすいのですが、あれだけの名作を抱える中で、IPとしての価値が高い作品は『ブラックジャック』『火の鳥』『鉄腕アトム』の3作品だけです。『鉄腕アトム』はIPとしての価値はかなり下がったかと思っていたらNetflixで『プルートゥ』がアニメ化され、またIP価値が一段と上がりました。 

 

■テレビ局にとってのドラマ化の意味 

 

 

 
 

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