( 178432 ) 2024/06/07 17:42:52 2 00 共学校にも実社会にも潜む「男子校の亡霊」とは 男子校を潰しても男女平等にはならないワケ東洋経済オンライン 6/7(金) 9:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/551eadff0e0804a55fcb8de12236c90c74b44af7 |
( 178435 ) 2024/06/07 17:42:52 0 00 すべての学校および社会全体に潜む「旧来の男子校の亡霊」とは?(写真:Fast&Slow / PIXTA)
2024年5月、東大の学内にセンセーショナルなポスターが掲示された。向かい風を受ける女性の写真に、「女子なのに東大?」「女子なんだから浪人しないで」など、性差別にもとづく言葉が落書きのように書かれている。東大の学生や研究者が実際に浴びせられた言葉の数々だという。
【画像】#WeChange「#言葉の逆風」のポスター。東京大学内では、上の段の「問い」のポスターをめくると、下の段のポスターが出てくる形式で掲出されている
■東大で幅をきかせる男子校出身者
東大は、2026年度までに、大学院生を含む女子学生の割合を30%以上、女性教員を25%以上にする目標を掲げているが、東大入学者の女性比率はなかなか2割を超えられない。この20年ほど足踏みが続いている。
逆にいえば東大は、約8割が男性で構成されている。東大合格者数ランキング上位には、私立・国立の男子中高一貫校がずらりと並ぶ。その出身者たちが東大の中で幅をきかせ、性差別的、セクハラ的な発言をしているという証言が学生からも教員からも報告されている。
「諸悪の根源だと思うので。やっぱり男子校はないほうがいいかなって気はします。よっぽどそこでジェンダー教育をちゃんとやらない限り」。私が識者から聞いたコメントだ。
「諸悪の根源」であるならば、男子校をなくせば、あるいは男子校でジェンダー教育がしっかりと行われれば、諸悪が消えるということだ。
そこで私は全国すべての男子校に独自のアンケートを採り、どんな性教育やジェンダー教育が行われているのかを尋ねた。すべての男子校といっても、全国の高校に占める割合は約2%で、いまや100校にも満たない。
私立男子校の約半数から返信があったが、国公立の男子校からは返信がなかった。返信があった学校のうち約1/4は、「センシティブなテーマなので具体的な回答は控える」との主旨だった。世間では積極的な性教育には反対の声も強く、注目を浴びたくないという政治的な理由が含まれていると考えられる。
有効な回答は33校。そのなかでも特にユニークな取り組みについては現場を訪ね、拙著『男子校の性教育2.0』にまとめた。
具体的取り組みを知れば、男子校もなかなかやるじゃないかと思うはず。一方で、すでに全国の9割以上の高校が共学なのになぜこの国はこんなにも男女不平等なのだろう? 男子校をなくせばましになるのか? ……という疑問が強まる。
■東大合格者に男子校が多い歴史的カラクリ
そもそも、東大合格者数ランキング上位を男子校が占めるのは、歴史的なカラクリのせいであって、そのような学校において東大合格のための特別な教育が行われているわけではない。
1960年代まで、都立の日比谷、西、戸山、新宿、小石川など、公立共学校出身の男子が東大合格ランキング上位を寡占していた。しかし1967年の都の高校入試改革が大失敗し、都立高校が凋落する。
教育行政の失敗という嵐が都立進学校を壊滅させていったあとの荒野に残っていたのが、私立・国立の進学校であり、当時東大入学者のおよそ95%は男子だったので、必然的に男子校が上位に残った。
隕石の衝突によって恐竜が絶滅して、それまで隅っこのほうで暮らしていた哺乳類が栄えた……みたいな話だ。
東大合格ランキング上位を男子中高一貫校が寡占するようになったのは1970年代半ば。当時の学生が社会の指導的地位に立つようになったのは、年齢的に考えて早くても2010年代に入ってから。それ以前は公立共学校出身者がエリート層の圧倒的多数を形成していた。
さらに、首都圏で中学受験ブームが始まったのが1980年代半ば。その結果、私立高校からの進学者数が東大で過半数を形成したのは1990年代に入ってからのこと。その世代は現在まだアラフィフだ。
現在の男女不平等な社会をつくったのが男子中高一貫校出身者であるかのような言い方は、やや無理があるのではないかと思われる。
男子校への取材で印象的だったのは、受験競争のトップを行くような男子生徒が集まる超進学校でこそ、教員たちが「競争に勝ち続けてバリバリ稼いでぐいぐい引っ張るばかりが男性ではない」というメッセージを発していたことだ。
彼らは過酷な中学受験を乗り越えてきた。さらに中学合格と同時に「次は東大だ!」という大学受験塾のチラシを手渡され、さらなる競争へと駆り立てられている。それを教員たちもわかっている。
ある女性教員は、「ジェンダー・バイアスにとらわれている限り、いまあなたたちのなかにあるコンプレックスと優越感の難しい戦いは、きっと大学受験終わっても終わらないからね」と真剣に生徒たちに語りかけていた。
自分たちの弱さや不安を否定するのではなく、むしろ受け入れることで乗り越えてほしい。「あるべき男性像」のくびきから自由になってほしい。……という願いが込められている。
冒頭の東大のポスターの女性に対するメッセージとは相互補完的な関係をなす。
■世界を席巻する「デフォルトマン」とは?
権威の象徴としてのマッチョな男性像を、学校という組織が宿命的にもつ権威主義的な雰囲気が維持・強化していると指摘するイギリスの本がある。『男の子は泣かない 学校でつくられる男らしさとジェンダー差別解消プログラム』(著/スー・アスキュー、キャロル・ロス、訳/堀内かおる)。1980年代のイギリスが舞台だ。
たとえば、生徒たちの私語が多くて困っている女性教員の教室に男性教員が乗り込んで怒鳴って一喝する。このような方法で、困難を抱える女性教員を権威主義的な男性教員が“助ける”と、そのことによって、女性蔑視の構造はさらに強化されると指摘する。男子校だけでなく、共学校でもあることだ。
イギリス生まれのアーティストでテレビ司会者のグレイソン・ペリーは著書『男らしさの終焉』(訳/小磯洋光)で、「異性愛白人ミドルクラス男性」のことを「デフォルトマン」つまり「社会の初期設定」と皮肉っている。彼らは女性と同性愛者と非白人を無意識的に下に見る。彼らの価値観でいまの世界は構築されているというのだ。
その価値観では要するに、“いい家”に住めて、“いい車”に乗れて、“いいレストラン”で食事ができて、“いい女(女性蔑視へのアンチテーゼの文脈でここではあえてこの表現を使わせてもらう)”を連れて歩けることが成功の証とされる。競争社会における、いわゆる“勝ち組”のイメージだ。
その価値観を前提にして、男女別学が主流だった時代には、男子向けの教育は「生産・仕事・競争」に偏っていた。女子向けの教育は「再生産・家庭・ケア」に偏っていた。世界的な共学化の流れのなかで、もともと男性のために計画され、多分にジェンダー・バイアスを内包した教育が、すべてのひとに施されるようになった。
世の中のすべてのひとが、「再生産・家庭・ケア」よりも「生産・仕事・競争」を重視する価値観を内面化してしまう。その結果が、現在のいびつな社会を形成しているといえるのではないか。すなわち、教育をされればされるほど、エッセンシャル労働ともいわれるケア労働の軽視、家庭や地域社会の弱体化、そして少子化が進行する……。
共学校のなかにいまだに「旧来の男子校の亡霊」がそれとは気づかれないように擬態して暗躍している。見えにくいぶん、たちが悪い。その結果ジェンダー・バイアスが社会に巧妙に行き渡る。拙著ではそのことを指摘する学術論文にも触れている。
これこそが、日本ではすでに9割の高校が共学になっているのになぜ男女平等社会にはなっていないのかという問いに対する根本的な答えであるように思われる。
■男子校は包括的性教育の先駆者たれ
さらには、男子校出身者が東大のいわゆる「ホモソーシャル(女性や同性愛を蔑視することで維持される男性同士の癒着的人間関係)」な雰囲気をつくっているのではなくて、「最強の異性愛男性“勝ち組”集団」への無意識的な強い憧れを幼少期から刷り込まれた男子たちが≪東大≫に吸い寄せられてきているのではないか。
そこに至る最短ルートと認識されているのが時代によって共学の都立進学校であったり男子中高一貫校だったりするだけではないか。……と仮説を立てることができる。
≪東大≫と表記したのは、日本の競争社会の象徴としての意味がある。男子進学校だけの問題ではない。経済界は、若者の国際競争力を高めろとさらなる競争を煽る。競争に勝ち抜くマッチョな人材たれというメッセージと、多様性に開かれた協調的な人間であれというメッセージ。このダブルバインド・メッセージからいま、子どもたちは逃れられない。
しかるに≪男子校≫はたしかに諸悪の根源であった。ただしこの場合の≪男子校≫は、全国に2%しか残っていない男子校そのもののことではない。すべての学校および社会全体に潜む「旧来の男子校の亡霊」のことである。
社会の各所に潜んでいる男子校の亡霊を成仏させることこそ、男女平等社会の実現のためにいま必要なことではないか。そのヒントが男子校の性教育やジェンダー教育のなかにあることを、私は見た。
そのヒントを広く世の中に提供するために、そして、この男子校批判の風潮なかで男子校が男子校であり続けたいのであればなおのこと、男子校は圧倒的なレベルで反性差別的教育を行い、包括的性教育を行い、むしろ日本のそういった教育の牽引者となる覚悟を示すべきである。
おおたとしまさ :教育ジャーナリスト
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( 178436 ) 2024/06/07 17:42:52 0 00 ・別学はあっていいとは思うけど、10代の6年間同年代の異性と関わりがないというのは良いことではないと思いますね。 ちょうど関心が高くなる時期に異性とのフェアな関わりとは何かというのを模索する機会は必要だと思う。 教師や親のような大人を通してではだめで、 やはり同年代の男女が大人の介入なしに共に考えたり、共に何かに取り組んだりすることでしか得られない物があると思います。 特別講義のような形で1日だけ話を聞くのは無いよりはましだが、やはり知識でしかない。 実体験から学ぶことがとても大事。 男子校女子校が授業や行事を共催するくらいのことをしないと6年男女別はいくら何でも長すぎる。
・ここで言われている私立の6年制男子校から難関と言われている大学に進学し、年収一千万円を得ていたものですが、年に数時間、講義してもらったくらいでは何も変わらないと思います。女性は女性であるだけで価値を生むことがありますが、男性は何者であるかによって価値が決まります。ビルゲーツでも大谷でも藤井君でもない男子は、勉学に励み難関校に合格し、優良企業に就職し、高く安定した収入を得ることで自身の価値を上げていくしかありません。僕だって普通の男の子で君と共に助け合って生きていきたいんだと言っても、カッコよくもなく、センスもない男子に惹かれる女性は少ないでしょう。
・>生徒たちの私語が多くて困っている女性教員の教室に男性教員が乗り込んで怒鳴って一喝する。このような方法で、困難を抱える女性教員を権威主義的な男性教員が“助ける
共学校から異動した女性教員から、このようなことは男子校では決して起こらないとよく聞きます。 むしろ重い荷物を持っていると、生徒から、持ちますよ、と声をかけてくれたりと、女性に対する労りを示されることが多いそうです。母親の息子への特別な愛情に対するあるあるを茶化しながら、感謝を共有する様子もよく聞きます。女子がいると、母親への感謝はマザコンと敵視されるのでネタにできない。 男性が産み育ててくれた母親に感謝し、体力で劣る女性を労る気持ちを持つのは自然なこと。それを多様性を認めろ、子供を産まない女性の気持ちを考えろ、ジェンダーバイアスだ、と切りすてるのも、また違和感しかない。
・男女平等の認識を広く浸透させるのは各家庭にあると思います。父母の立ち位置、また子供への進路についても各家庭の親御さんの影響が大きいので男子校だからとか女子校だからとか学校一括りにしてジェンダーレスを語れないと思います。東京大学に進学するのも各家庭の考えですしね。女子だけ優遇されるのも不平等ですし、進学する子供がどこで何をしたいのか?自己分析を早いうちに見つける事が大事では?私の周りにいる男子校出身者は意外と女性に優しいですが。。 家庭環境が全てだと思います。
・勝ち組という枠組みはモチベーションでしかないと思うけどね。それよりも個人を勝ち組に入っていないというレッテルを付けることの方が区別していると思うよ。 ジェンダーレスを突き進めるなら全人類的に異性愛という言葉すらなくし、外性器を含めた肉体構造上の差異は髪の毛のあるなしと同様の外見的な特徴とまでとらえないと無理じゃないかな。さらに次世代を残す方法も体外子宮で繁殖させるようにすれば人間という個体としての扱いができそう。
・うちの大学生の子の一番の仲良しが、公立中から記事にあるような高偏差値男子校に高入したのですが、独特の男子校ノリや価値観にかなり違和感があったと言ってるそうです。
あと、私が若い頃の上司が私立超難関男子校から東大という経歴の方でしたが、長い海外勤務の経験から「日本は女性を活かせてない、もったいない」とおっしゃっていて、ほぼ新人の私などにも「いろんなことをやってみなさい」と仕事を任せてくださいました。
…というようなことから、自分のとは異質なバックグラウンドによる価値観に接する経験というのは、多くの人が暮らしやすい社会になっていくためにはとても大事なのではないかと感じます。
・少子化の影響で私学経営が行き詰った結果でしょ。中には留学生ばかりになってしまった学校もあるけど、そもそも無理してまで延命してもいずれは淘汰されるのだから、早々に廃校にすればよい。 日本は人手不足なんだから、いくらでもリスキリングして、人手不足の業界に転転職してもらう。 そうなればこんな変な問題も起こらないし、人手不足解消にもなる。それより手に職を持った職人不足の方が大問題ですね、今の日本は。
・女子への差別が「女のくせに!」と、本人が伸びようという意欲を押さえつけるものが多いなら 男子への差別は「男だろうっ!?」と、強さを求めることを無理にでも押しつけるものが多いのだろう。 まさに記事に「相互補完的な関係をなす」とある通りだ。
で、共学校で行われやすいそれを読んでいると、「別学校はジェンダー差別から解放される教育の一助となっている」という論はきっと妥当なのだろう。 女子校では間違いなくそうらしいし、この記事を読んでいると男子校でもそこは意識しているのが伝わってくる。 んでもって記事の最後にある通り、男子校でのより積極的なアファーマティブアクション推進が今後の日本には大切というのも、きっとそうなんだろう。
・中高一貫男子校出身の既婚子持ち30代男性です。
私は、女性の前でまともに話せる様になったのは、20代後半ぐらいからでした。
同じく男子校出身のホリエモンの著書『ゼロ』によれば、彼も緊張せずに話せる様になったのは、30前後だったそう。
年を重ねると、誰でも異性とある程度は話せる様になるので、焦ることはないし個人の価値観ではあります。
結局は、思春期に自分作りとコミュニケーションを同時に学ぶか、自分作りを終えてから異性とのコミュニケーションを学ぶかの違いかと。
そのため、男子校・女子校は選択肢として残すべきだと思います。
私はもし思春期に女子から「キモい」などと言われていたらトラウマになっていたと思うので、結果的には男子校で良かったと思っています。
いずれにしても、共学も男女別学もメリットとデメリットがあるため、子どもの価値観と相性は十分に確認すべきだと思います。
・男子一貫校出身者で女性を軽視、ましては蔑視している人は周りにいませんよ。むしろ男性の方が女性に気を遣っているのが現実だと思います。 女性は男性と同レベルで仕事に励みたい人と、そこまで求めていない人がいると思うので、難関大学に男性が多くなるのは仕方ないと思うし、挑戦できる機会に不公平がなければ問題ないと思います。
・男性が東大等の高学歴を目指すのは、女性が男性に収入を求める事と表裏一体と考えられる。男性に対するジェンダー教育だけではなく、女性自身の持つジェンダーバイアスも同時に教育しないと社会全体としては変わらないと思う。
・結局のところ、「男は稼ぐべき」という男女が共通して支持しがちな根強い社会通念が一番の要因であり、
それによって、男子が卒業後に食いっぱぐれるリスクを下げるために高学歴や理工系などの実学を学べる進路を目指すことに合理性を与えているわけです。
逆に言えば、東大に女性を増やせという圧力は、巡り巡って「男は稼げなくても構わない」、つまり男性の低収入化を社会的に許容するということでもあるわけですが、
でもそれはおそらく大多数の人(特に女性)は「感情的には」絶対に受け入れられないでしょう?
・息子が中高一貫の男子校出身ですが、本人曰く学校で教わったことを要約すると「女性には優しくしなくてはいけない」「家事育児を積極的に手伝わなくてはいけない」「家族を守れる男になれ」
東大にはジェンダーの授業があるらしく、ジェンダー平等に関する知識を一通り得た結果、「いろいろ間違ってる。」 「だいたいバリバリ稼いでいるお父さんと子供の教育に全面的な責任を負っているお母さんという 保守的な構成の家庭に受けのいい教育をしなくちゃいけないんだから、ジェンダー平等と縁があるわけないよね」と言っておりました。
・男子校が少なくなった結果、男子が偏差値の高い学校に入学しにくい問題が発生していると聞いたことがあるのですが...例えば外国語とかだと男子の方が覚えるのが遅く、同時通訳は女性が多いのはそれが原因だとか...男性はブルーカラーの仕事をする割合が女性よりはるかに高かったり、私のような運動神経のない男性は「その仕事は女性が優先されます」と何度も言われ困りました。
・大学の「女子枠」の記事が増えている。目先の大学ランキングを上げるための弥縫策のように思うが、「学力や偏差値が落ちる」の批判が多い。
はっきり書くが、最も学力や偏差値が高い東大がノーベル賞受賞を輩出できず、学力が下の大学や、〈ある程度の成績〉+面接+論文で選考する海外名門校から輩出しているのはなぜなのか?
〈学力や偏差値の高い人ほどポテンシャルが高い〉は嘘だという証左だよ。
ノーベル賞受賞者や著名起業家の〈IQ相場〉を調べた研究がある。前者は〈ある程度以上のIQ、業績の卓越性とIQの高さとは相関しない〉、後者は〈概ね平均レベルでピンキリ〉だ。
IQが超絶高い〈神童〉の長期追跡調査はご存知だろう。概ね〈成人したらただの人〉で、唯一の例外はオッペンハイマーだった。
日本の超難関校は〈オーバースペックの学力〉を求めすぎて、〈本当にポテンシャルが高いタイプ〉を分析していない印象が拭えない。
・記事に対して一つだけ言っておきます。 良い学校を出て、良いレストランに行き、良い車に乗り、「イケメンで」、「高身長で」、「家事を完璧にこなし」、「夜の生活も万全で」、「常に気遣いができ」、「残業も転勤もない」。 そんな男性を求めるのが女性です。 「」は平成〜令和にかけて新たに男性が求められる事です。 さて、こんなん無理やと男性が思うと、男性も結婚したくなくなるんですよ。 と、記事の趣旨とは違うかもしれませんが書いておきます。
・性差別が如何にも男性から女性にって報道には辟易する。差別に性差など存在しないし、まして弱者が善である訳でもない。男だけの権益を女性に分けても平等にはならない。女だけが持つ既得権を手放さない限り。日本人は女性に対する助成や特典が非常に多い。それも差別と言えば差別であり、よりフラットな視線に変わるのは、力仕事なんだから女子にやらせるなと怒るオッサンには無理だろう。若い人達は既に自然に変わっているようにも思う。後は古いルールを変える事だが、先に言った通り不利益も利益も見直す事が必要。
・おおたさんのこの論考はちょっと極端すぎだと思います。 男性側に何らかの偏見が潜んでいるのだとして、それは男子校だからというものではないでしょう。まあ、おおたさんの論考の主旨も結論は同じなのですが、議論の出発点が男子校云々から始まっていて、それは前提からして違うだろうということです。
男子校というのはむしろ均一性・同質性に問題があって、それは東大も同じ。男女の比率改善ごときでこの同質性は破壊されるものではないです。東大が多様性を獲得したいのなら、入学試験を廃止すればよいだけ。いろいろな学力層・家庭環境の多様な学生を獲得できます。それを目指したいのであれば。
学生の学力レベルを維持しつつ女性比率を上げたいのであれば、受験リスクを減らせばよい。女子生徒はリスクに敏感だからです。受験におけるリスクとは、科目数リスクと他大学併願が可能か否かのリスク。これを無くせば、女性比率は確実に上がります。
・一体全体、何をもって「男女平等」が達成されたと判定するのか分かりません。 東大において男女の学生数が同じになることを目指すのなら、模試等のデータを見れば、いくらジェンダー教育?をしたところで達成されることはないでしょう。 むしろ大学を全て男女別学にすれば比較されることもなくなるかと。
・子供は共学だが 女子高とかがあればそちらでもと思った 異性の目を気にしない幸せもあるし 本人は気にしてないけど 子供の学校は女子でも 東大 医学部に いけと普通に言われるしせ男女なんて関係ない 今時の親はそれが普通では 社会にでたら格差はあるだろうけど 学校に置いては感じたことないな お金の問題とか 親が心配で都会に出さない親はいるだろうけど 女だし 勉強しなくていいわみたいな 親みないな いないこともないんだろうけど
・OECD加盟国で唯一女性の幸福度が男性のそれに勝るという日本。しかも長年にわたってらしい。 世界経済フォーラムでのジェンダーギャップ(125位とかいうやつ)が裏付ける通り、極論すれば女性だけが外で働く、その度合いを選べる、働かない選択肢もあった、という日本。 関係ないけどあとから皇族にもなれないね、男性は。 そもそも東大の入学者は差別で選んでいるわけではない(推測)し、 それが不平等を生むなんていうのも偏見すぎて賛同できない。 いくら兵役がない国だと言っても、男女平等にするとつらいのは女性だと思うけどね。
・国際競走に負けて衰退を続ける日本の現状を見ながら、競争に打ち勝つ教育を否定する教育関係者を見ると世界とのズレを感じる。
衰退した理由はジェンダー教育の不足ではなく、あらゆる手を使ってでも相手に打ち勝つ意思の不足だと感じた。相手はルールを変えてでも勝ちに来るのだ。
・男子校の亡霊とか言われても何のことかわからない。今どき、男子校で特にマッチョな教育方針があるとも聞かない。むしろ某男子校で同性愛者が多いとか、毎年文化祭には女装の劇で盛り上がるとかいう噂は聞いたことがある。
著者が何に不満をぶつけているのか不明だ。こういう、単騎で風車に立ち向かうような芸風の人なのかな。
・男女平等は対極の「男性の生きづらさ」にも社会が同じく平等に寄り添わない限り、実現しないと思う。 未だに、「女性だけが被害者」論が、特に「女性の生きづらさ」に悩んでいる方の心理に蔓延っているかぎり、実現するとは思えない。他方のやっかみを増やすだけだから。
・公立と私学の違いはあれど東海地方で言えば 愛知の中京大中京や三重県でいえば三重高校なんか以前は「THE男子校」だったが今やその片鱗すらないケースもあり、一概に言えないんでないか
・私的にも高校時代は理系クラスで9割が男子でしたから、殆んど女子と会話した記憶がありません。その後クラスではなく同級生の同窓会に参加して感じたのは、文系で男女同じくらいのクラスだった男性達の方が男らしさ、女性らしさを語り求めていましたね。また、長男が男らしさが全面に出ていて、姉がいると男らしさがないなと感じましたね。 あくまでも今の若者世代はまた違うでしょうから、同列には語れないとしても、女子校の男女平等感への影響程は、男子校はないと思いますね。女子校は元々お嫁さん養成目的の処が大半でお茶の水や津田塾辺りのエリート養成が極少数で、両極端なのですから。男女平等は、女性が今までの少ないながら持っていた特権を失う、手放すことが出来るかが重要ですから、ツイフェミと呼ばれている女性達が足を引っ張っていると思うのです。女子校を潰せば多少は男女平等に寄与すると思いますね。
・「女子なのに東大?」という言葉の裏には 「自分より学歴の高い女性に引け目やコンプレックスばかり感じるような、了見の狭い、頼りない情けない男が多い」 と言う現実があると思う。 友達女性で、東大に入って 「東大女は婚期を逃すとかみんな自虐ネタで言ってるよ」と笑ってたけど、実際そういうことを平気で口にする男が多かったらしい。 だからそれを逆手に取って自虐で盛り上がったりしてたそうで。 学歴が全てじゃないのに、学歴にへばりつこうとする「ほかに取り柄のない男」ほどそういうことを口にする。 男子校がどうのということではないと思う。
・おおたさんの記事にしては偏見が目立つ。じゃあ女子校はどうなのか、これも合わせて論じないと公平じゃない。それに国立大学に女子大があることについてはどうなのか、 見解を聞きたい。
・>東大合格ランキング上位を男子中高一貫校が寡占するようになったのは1970年代半ば。
1977年春、中国地方の某県立高校から5人現役合格しました。 学校の授業とZ 会の通信教材だけで、特別な事はしていませんでした。 東京では、合格できる能力の人が男子中高一貫を選ぶようになっただけでしょう。 この時代はまだ、地方でも地道に勉強していたら東大に入れました。
・男子校が悪いという前提で依頼された記事なんですかね 公立高校改革が行われたあと、私立男子校の実績が増えたって言ってますけど、共学公立高校全盛時のときから東大は男子ばっかりじゃん。 何が言いたいの?
・全国にわずか2%しかない男子校をぶっ叩く人がいても、6%くらいの女子校をぶっ叩く人はいない。その時点でどんな勢力が言ってるか自明だよ。
・とはいえ、女性の上昇婚志向もあるんじゃね? 東大卒でバリバリ稼ぐ女性が「私がメシ喰わせたるから専業主夫になって」てほとんど無いですし。
・何でも過激に書けば記事になるのか 選ぶのは個人で、現にそこに価値を見出だし進む人も多い それだけのこと
・こういう記事が出回ることからも、男子校の危機は水面下で健在なのだろう。ちなみに我が子は共学に通っていますが、男子とばかりつるんでいて男子校生徒のようです(笑)。
・くだらない記事。
機会を平等に与えればよい。無理に結果の平等を求めると競争が阻害されて社会発展の妨げになるだけ。
・男子校を潰しても「フェミニズムは男子の敵」という「歴史的事実」を後世に残すだけさ。
・何だこれ。 工業高校とかって男子校だよね。 桜蔭だって共学学校より東大や国医多いし。
・やはり男女一緒に学ぶのがいいと思う。そこで気遣いとか学べるし。
・男子校でも女子校でも共学でもそういうのは一定数いるでしょ
・女子校はどうなのよ?
・人間のオスはメスよりも出来不出来に幅があり、その中からメスが環境に適応したオスを選んで子孫を残し、進化が生ずる。 人間のメスは生殖のコストが大きいため、進化(環境への適応)への寄与はオスに任せた方が効率がよい。
男子が優秀な者の割合も不出来な者の割合も女子より多いのはそのため。 これを東大に視点を置いて観察すると男子の割合が多くなるというだけ。 現代日本では男女とも大学進学率は変わらないのだから、経済的理由ではない。
ただそれだけのことなのに、フェミニズムの立場から無理矢理理由をこじつけているのは、いつものことながら頭が良くないなと思う。
・これって「男子校の亡霊」っていうよりも、【戦前から続く旧軍隊的ホモソーシャルの亡霊】じゃないかなぁと思う。
男子校以外にもホモソーシャルはあって、男子の部活がそれに当たると思う。
・でも女は選ぶ側、男は選ばれる側だからしゃーない。
・ジェンダーよりも学力マウントのが害悪と思うわ。
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