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1970年代「スーパーカーブーム」はなぜ盛り上がり、そして衰退したのか? 当時の子どもはもう50代? “夢のクルマ”の興奮をもう一度

Merkmal 6/8(土) 8:11 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/919416d9747f2987f5e49c0af2af5cd45cc8bcb2

 

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1977年、日本ではスーパーカーブームが巻き起こり、テレビアニメ界でも四つものスーパーカーレースをモチーフとした新番組が放送された。

このブームのトリガーは池沢さとし(現:池沢早人師)の漫画『サーキットの狼』とされ、スーパーカーが"アイドル化"される現象が起きた。

子どもたちを中心にした大きな人気と共に、様々な関連商品やイベントも展開された。

スーパーカーブームは1978年にトーンダウンし、ブームの主役であった子供たちの憧れや興奮は多くの人々の心に残るものとなった。

(要約)

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東京・後楽園球場で行われた、交通遺児チャリティー スーパーカー・フェスティバル。1977年3月21日撮影(画像:時事) 

 

 1977(昭和52)年秋、日本のテレビアニメ界で異例の事態が発生した。四輪自動車レースをモチーフとした新番組が4本もスタートしたのである。 

 

【画像】凄い盛り上がり! これが1977年「スーパーカー・フェスティバル」です(計12枚) 

 

・『アローエンブレム グランプリの鷹』(フジテレビ系) 

・『激走! ルーベンカイザー』(テレビ朝日系) 

・『とびだせ! マシーン飛竜』(東京12チャンネル) 

・『超スーパーカー ガッタイガー』(東京12チャンネル) 

 

同時期に同様の企画が四つも生まれたのはもちろん偶然ではなく、“特定の背景”があったからである。1970年代後期、日本では空前のスーパーカーブームが巻き起こっており、4作品ともその波に乗ろうとしたのだ。 

 

 念のため確認すると、このときの「スーパーカーブーム」とは、街中に高価なフェラーリやランボルギーニのクルマがあふれていた現象ではない。スーパーカーが“アイドル化”したブームだった。 

 

池沢早人師 サーキットの狼ミュージアムの公式ウェブサイト(画像:サーキットの狼ミュージアム) 

 

 ブームのトリガーとして考えられているのは、1975(昭和50)年から『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された池沢さとし(現:池沢早人師)のコミック『サーキットの狼』である。 

 

 この作品は、スーパーカーや4輪モータースポーツをモチーフとしたもので、ロータス・ヨーロッパに乗る主人公の風吹裕矢が、街の“走り屋”からプロのレーサーへと成長していく物語だ。作中にはロータス・ヨーロッパ以外にもいろいろなスーパーカーが登場した。 

 

 過去にもモータースポーツを描いたコミックやアニメは存在したが、いずれも主人公の愛車は架空のものだった。これに対し、『サーキットの狼』は実在する車種をリアルに描写したことが新しかった点である。 

 

 そして、コミックの人気が急上昇するとともに、1976年頃からスーパーカー人気も急速に盛り上がっていった。当時、スーパーカーに魅了された大人たちも多かった。しかし、コミックが発端となったため、ブームの主役は子どもたち(主に男子児童)であった。それが1970年代のスーパーカーブームの大きな特徴である。 

 

 

『超懐かしい!! 昭和のスーパーカー大図鑑』(画像:マガジンボックス) 

 

 一般的に「スーパーカー」とは、 

 

・高価格で 

・性能が傑出し 

・デザインに独創性があり 

・エンジンをミッドシップに搭載している 

 

2シーターのスポーツカーを指すことが多かった。“多い”と濁した表現にしたのは、それらが厳密な基準ではないからである。スーパーカーは定義なき称号なのだ。ただし、ブーム当時、 

 

「最高速度〇〇〇km/h以上でないとスーパーカーではない」 

 

といった不正確な情報も流れていた。当時、スーパーカーとされた車種は、イタリア、ドイツ、イギリスなど欧州のメーカーのものであることがほとんどだったが、日本の子どもたちは、スタイリッシュな外国のスポーツカーをなんとなくざっくりとスーパーカーとして扱う傾向もあった。ブームを代表するスーパーカーには、以下のようなものがあった。 

 

・ランボルギーニ・カウンタック:シザーズドア、リトラクタブル・ヘッドライトなどが人気を呼んだスーパーカーブームの顔。 

 

・フェラーリ・512BB:カウンタックと並ぶ高い人気を誇った。「BB」とは「ベルリネッタ・ボクサー」の略である。 

 

・ポルシェ・911:丸型ヘッドライトが特徴のフラッグシップ的車種。なかでも930は、初のターボモデルとして特に有名だ。 

 

 そのほか、ランボルギーニ・イオタは世界に1台しか存在しない“幻のスーパーカー”としてあがめられた。国産車初のリトラクタブルヘッドライトを採用した“日本のスーパーカー”トヨタ・2000GTは、すでに生産が終了していたことが価値をアップさせた。 

 

 そして、『サーキットの狼』の影響でロータス・ヨーロッパは日本では別格扱いだった。さらに、ランボルギーニ・ミウラ、マセラティ・ボーラ、デ・トマソ・パンテーラ、ランチア・ストラトス、ロータス・エスプリ、ディーノ・246などがブームをけん引していた。 

 

復刻超精密スーパーカー消しゴム(画像:京商) 

 

 ブームの主役が子どもたちだった以上、各おもちゃメーカーがプラモデル、ミニカー、ラジコンなどを多数発売したのは当然の流れである。さらに、スーパーカーの写真が印刷されたカード、ブロマイド、ポスター、カレンダーなども大量に流通し、子どもたちはそれを競って集めた。スーパーカーはアイドルだったのである。 

 

 文具も多数あったが、なかでも大ヒット商品となったのが「スーパーカー消しゴム」だ。文字通りスーパーカーを模した形状の消しゴムで、さまざまな種類やカラーがそろっていた。コレクションや交換の楽しさがあったとともに、これをノック式ボールペンでパチンと飛ばす遊びが全国の小学校で大はやりした。 

 

 スーパーカー消しゴムがヒットした大きな要因は、体裁上は消しゴムであるため、 

 

「堂々と学校に持っていくことができた」 

 

点にある。ただし、消しゴムとしての機能は著しく低く、鉛筆で書いた文字をきれいに消すことは難しいという大きな矛盾を抱えていた。つまり、正体はおもちゃだった。 

 

 ほかにもスーパーカー人気にあやかった商品はいろいろあった。各自転車メーカーは、ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリ・512BBのように、通常は隠れているライトがスイッチを入れると飛び出すスタイルのスポーツ自転車を次々と発売した。それを「スーパーカーライト」と称するメーカーもあった。コカ・コーラ社は販売促進のために、瓶入りドリンクの王冠(フタ)の裏側に商品ごとに異なるスーパーカーのイラストを施した。 

 

 そして、スーパーカーを取り上げた児童書、児童向け雑誌などは多数出版された。子どもたちはそれらを熟読し、スーパーカーについての知識を蓄えていった。 

 

 スーパーカーがアイドルである以上、ファンは「生の姿が見たい」と考えるのが自然だ。外国車ディーラーのショーウインドーの前には、カメラを手にした子どもたちが集まった。リッチそうな家の駐車場を「スーパーカーは止まっていないか」とチェックする子どもたちもいた。 

 

 そんなニーズを最大限に満たすべく、人気のスーパーカーをズラリと並べた有料の展示会が開かれるようになった。これらのイベントは「スーパーカーショー」などと呼ばれ、東京の晴海国際展示場で行われた大規模なものから、地方都市のイベント会場を舞台とした中小規模のものもあった。「スーパーカーショー」が開催される街の電柱には、 

 

「夢のスーパーカー来る!」 

「フェラーリ来場!」 

 

といったコピーを掲げたポスターが貼られた。ただし、なかには人気車種を十分に集められず、それほど珍しくない外国車や、文脈が異なるクラシックカーなど“これじゃない”車種で水増しした例もあったようである。 

 

 

『笑点』のページ。赤い着物が山田たかお氏(画像:日本テレビ) 

 

 スーパーカーブームの絶頂期はおそらく、1977(昭和52)年の春から秋だったと考えられる。各地でスーパーカーショーが加熱し、7月になるとテレビ朝日が『ザ・スーパーカー』というレギュラー情報番組をゴールデンタイムで放送した。 

 

 同月、東京12チャンネル(現:テレビ東京)では、『対決!スーパーカークイズ』という視聴者参加型クイズ番組がスタートする。司会は『笑点』(日本テレビ系)の座布団配りになる以前の山田隆夫(現:山田たかお)だった。 

 

 さらに8月には東映系で実写映画『サーキットの狼』が公開された。冒頭で触れた4本のアニメ番組の放送が始まったのは同年秋のことである。 

 

童夢-零。東京ビッグサイトのノスタルジックカー・ショーにて。2007年撮影(東京ビッグサイト)にて(画像:Rikita) 

 

 アイドルの人気がいつまでも続かないように、スーパーカーブームもやがてトーンダウンしていった。ブームの退潮が明確になったのは1978(昭和53)年になってからだろうか。スーパーカーショーは停滞。上記四つのアニメ番組のうち3本が3月までに終了した。 

 

 もともと、これらの作品は権利の問題もあり実在するスーパーカーを登場させることができなかったため、ニーズとズレていた現実もあった。また、ポルシェを用いたカースタントを描いた映画『マッハ’78』が2月に公開されたが、こちらも興行的に惨敗に終わった。『対決!スーパーカークイズ』の司会者・山田隆夫は同年4月に『僕はカウンタックマン』というシングルレコードをリリースしたが、それがヒットチャートの上位を駆け抜けることは……なかった。 

 

 同じ1978年には新しい動きがあった。日本の自動車会社「童夢」が、「童夢-零」という試作車をスイスのモーターショーに出品し、日本製スーパーカーとして話題を呼んだのだ。この童夢-零はグッズ展開には成功したが、本体の市販化は実現せず。ブームを再燃させるほどの存在にはならなかった。 

 

『対決!スーパーカークイズ』が「対決!チャレンジクイズ」というノンジャンルのクイズ番組にリニューアルされたのは1979年4月のことだ。『サーキットの狼』の連載もこの年に終わった。 

 

 スーパーカーブームは一過性の現象ではあった。しかし、数年間の間に多くの子どもたちが自動車に憧れを抱いたことは、その後の日本の自動車業界に多大なるプラス効果をもたらしたことは間違いない。それは単なる流行ではなく、未来の 

 

・自動車ファン 

・自動車業界で働く人 

 

を育むきっかけとなったのだ。あの時代の興奮は、今も多くの人々の心に刻まれている。 

 

ミゾロギ・ダイスケ(懐古系ライター) 

 

 

( 178729 )  2024/06/08 16:51:02  
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・懐かしいですね。

 

 

スーパーカーブームの洗礼を小学生時代に受けました。

おじさんと一緒に晴海にもスーパーカーを観に連れてってもらいました。

黎明期のコロコロコミックNo.2にも読み切りまんがで幻のランボルギーニイオタが登場してわくわくして読みました。

また1977年秋にはちょうどブームの最中にルパン三世のセカンドシリーズが放送開始。

第一話には峰不二子の乗る話題中のランボルギーニカウンタックが颯爽と登場!そのカッコいい予告編にもうわくわくしました。

映画007では水中も潜ってしまう秘密兵器ロータスエスプリも登場してびっくりした。

でも1981年の007ユアアイズオンリーでは、たちまち自爆大破。

その代わりコンパクトカーのシトロエンで山岳ダウンヒルの激走追走のアクションシークエンスは、きっと1979年ルパン三世カリオストロの城からのオマージュ、リスペクトでしょうね。

感謝多謝。

 

 

ポルシェやロータス・ヨーロッパと並んで写っているクルマ、これは今に続くスーパー戦隊シリーズの第2弾「ジャッカー電撃隊」の主人公、桜井五郎・スペードエースが乗るスペードマシンではないか!人工芝から恐らく後楽園球場でのスーパーカー関連のイベントの写真だと思うけど、そこにある意味でホンモノのスーパーカーが紛れ込んでいた訳だ。

しかし当時の世相に触れ、ブームに影響されたアニメや映像作品のことも扱っているのに「ジャッカー電撃隊」自体に触れていないのは惜しい。

敢えてこんな写真をチョイスしている意味がない。

「ジャッカー電撃隊」にもスーパーカーが物語に絡むエピソードもあっただけにそこを突っ込んで欲しかった。

 

 

ブームの真っただ中に隣町でスーパーカーショーがあって親父に連れて行ってもらった。

会場に着くと運転席に座らせてもらえるとのこと。

お目当ては大好きなカウンタック。

例の跳ね上げ式のドアが聳え立っていて、遠くからでも目立ち度ピカ一でカッコよかった。

凄い人だかりに左右のドアに並ぶ列。

他の車種に迷うことなく、これの運転席に座りたいと列に並んだ。

やっと自分の番まできて車内を覗き込むと、そこは助手席だった。

なんで?うちの車とハンドルが反対側にある!?と泣きみそになったw 泣きわめいたが手遅れだったww。

外車の運転席は左側ということをすっかり忘れていて、右側のドアの方へ並んでしまった幼き日のアホな自分を思い出しました。

懐かしい。

 

 

スーパーカー消しゴム懐かしい!。

今で言う推しのスーパーカー消しゴムを細かい筆で塗装し(その時点で消しゴム機能ゼロ)、タイヤの設置面には瞬間接着剤をつけて乾かすとよく滑るようになる。

それを学校に持って行って、休み時間に机に筆箱やら何やらでコースを作り、ボールペンのボタンではじいて友人と遊んでいたなあ。

机から落とされると、落とした友人に渡すルールだったから、かなり真剣にやっていました。

かれこれ45年も前かな。

懐かしいです。

 

 

対決!スーパーカークイズに出演して優勝したのは小学生の最高な思い出の一つですね。

祖父が資産家だった事もあって物心ついた頃にはポルシェ911の通称73カレラの助手席に乗っていたし、親戚の伯父さんがランボルギーニミウラに乗っていて何度か助手席に乗せて貰っていてスーパーカーを体験していたのでかなり恵まれていたと思う。

自分にとってのスーパーカーはやはりランボルギーニカウンタックLP400!晴海の自動車ショーで初めて見た時の衝撃は今でもはっきり覚えてます。

あの時からカウンタックは永遠の憧れのスーパーカー。

何台か各種カウンタックを運転させてもらいましたが、その全てが夢のような感覚で文字通り衝撃の連続。

憧れの気持ちが強すぎて何度か所有する機会が有ったけど躊躇して実現出来なかった。

夢の車を所有する現実より憧れは憧れのままの方が良いと思う自分には眩しすぎる車なんだろうね。

 

 

当時、義兄の実家がBMWの2002を所有していて、2度に渡ってエンブレムを剥ぎ取られる被害を受けた。

所有していたのは義兄の父で、スーパーカーブームを知らない世代。

知っていたとしても、スーパーカーとはランボルギーニやフェラーリ等の車高の極端に低い2ドアクーペが中心で、BMW車は、そのカテゴリーに入らないと思うのが普通。

それまでの外車というと、アメ車が中心で、マスタングやサンダーバード等のスポーツカーもクルマの形として想定の範囲内だった。

そこに、ランボルギーニやフェラーリという想定外の形をした欧州車に、当時の子供達は大いにカルチャーショックを受けた。

つまり、欧州製のスポーツカー(スポーティーカー)

( 178731 )  2024/06/08 16:51:02  
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・懐かしいですね。 

 

スーパーカーブームの洗礼を小学生時代に受けました。おじさんと一緒に晴海にもスーパーカーを観に連れてってもらいました。 

 

黎明期のコロコロコミックNo.2にも読み切りまんがで幻のランボルギーニイオタが登場してわくわくして読みました。 

 

また1977年秋にはちょうどブームの最中にルパン三世のセカンドシリーズが放送開始。第一話には峰不二子の乗る話題中のランボルギーニカウンタックが颯爽と登場!そのカッコいい予告編にもうわくわくしました。 

 

映画007では水中も潜ってしまう秘密兵器ロータスエスプリも登場してびっくりした。 

でも1981年の007ユアアイズオンリーでは、たちまち自爆大破。その代わりコンパクトカーのシトロエンで山岳ダウンヒルの激走追走のアクションシークエンスは、きっと1979年ルパン三世カリオストロの城からのオマージュ、リスペクトでしょうね。感謝多謝。 

 

 

・ポルシェやロータス・ヨーロッパと並んで写っているクルマ、これは今に続くスーパー戦隊シリーズの第2弾「ジャッカー電撃隊」の主人公、桜井五郎・スペードエースが乗るスペードマシンではないか!人工芝から恐らく後楽園球場でのスーパーカー関連のイベントの写真だと思うけど、そこにある意味でホンモノのスーパーカーが紛れ込んでいた訳だ。 

しかし当時の世相に触れ、ブームに影響されたアニメや映像作品のことも扱っているのに「ジャッカー電撃隊」自体に触れていないのは惜しい。敢えてこんな写真をチョイスしている意味がない。「ジャッカー電撃隊」にもスーパーカーが物語に絡むエピソードもあっただけにそこを突っ込んで欲しかった。 

 

 

・ブームの真っただ中に隣町でスーパーカーショーがあって親父に連れて行ってもらった。会場に着くと運転席に座らせてもらえるとのこと。お目当ては大好きなカウンタック。例の跳ね上げ式のドアが聳え立っていて、遠くからでも目立ち度ピカ一でカッコよかった。凄い人だかりに左右のドアに並ぶ列。 

 

他の車種に迷うことなく、これの運転席に座りたいと列に並んだ。やっと自分の番まできて車内を覗き込むと、そこは助手席だった。 

 

なんで?うちの車とハンドルが反対側にある!?と泣きみそになったw 泣きわめいたが手遅れだったww 

 

外車の運転席は左側ということをすっかり忘れていて、右側のドアの方へ並んでしまった幼き日のアホな自分を思い出しました。懐かしい。 

 

 

・スーパーカー消しゴム懐かしい!。今で言う推しのスーパーカー消しゴムを細かい筆で塗装し(その時点で消しゴム機能ゼロ)、タイヤの設置面には瞬間接着剤をつけて乾かすとよく滑るようになる。それを学校に持って行って、休み時間に机に筆箱やら何やらでコースを作り、ボールペンのボタンではじいて友人と遊んでいたなあ。机から落とされると、落とした友人に渡すルールだったから、かなり真剣にやっていました。かれこれ45年も前かな。懐かしいです。 

 

 

・対決!スーパーカークイズに出演して優勝したのは小学生の最高な思い出の一つですね。 

祖父が資産家だった事もあって物心ついた頃にはポルシェ911の通称73カレラの助手席に乗っていたし、親戚の伯父さんがランボルギーニミウラに乗っていて何度か助手席に乗せて貰っていてスーパーカーを体験していたのでかなり恵まれていたと思う。 

自分にとってのスーパーカーはやはりランボルギーニカウンタックLP400! 

晴海の自動車ショーで初めて見た時の衝撃は今でもはっきり覚えてます。 

あの時からカウンタックは永遠の憧れのスーパーカー。 

何台か各種カウンタックを運転させてもらいましたが、その全てが夢のような感覚で文字通り衝撃の連続。 

憧れの気持ちが強すぎて何度か所有する機会が有ったけど躊躇して実現出来なかった。 

夢の車を所有する現実より憧れは憧れのままの方が良いと思う自分には眩しすぎる車なんだろうね。 

 

 

・当時、義兄の実家がBMWの2002を所有していて、2度に渡ってエンブレムを剥ぎ取られる被害を受けた。 

所有していたのは義兄の父で、スーパーカーブームを知らない世代。知っていたとしても、スーパーカーとはランボルギーニやフェラーリ等の車高の極端に低い2ドアクーペが中心で、BMW車は、そのカテゴリーに入らないと思うのが普通。 

それまでの外車というと、アメ車が中心で、マスタングやサンダーバード等のスポーツカーもクルマの形として想定の範囲内だった。そこに、ランボルギーニやフェラーリという想定外の形をした欧州車に、当時の子供達は大いにカルチャーショックを受けた。 

つまり、欧州製のスポーツカー(スポーティーカー)は、全てスーパーカーにカテゴライズされてしまい、BMWもスーパーカーメーカーと子供達が認識する様になって、義兄実家が被害を被る結果と相なった。 

 

 

・中学1年の時に、リアルタイムで「サーキットの狼」連載初回に遭遇しました。 

もう…1作目から虜になり、その後はジャンプ発売日の月曜が待ち遠しくて仕方なかった。 

勿論、カメラ片手に街中をワクワクしながらチャリで駆け回り、幾つかのスーパーカー出没ポイント等もおさえてたなぁ… 

某有名ディーラー、外車専門中古車店、後は高級系カフェやレストラン、高級ホテル駐車場などは、高確率でベストショットが期待出来た。 

中学1〜2年頃がピークだったが、小遣いの殆んどはこのスーパーカー撮影活動に使ってた気がする。 

ホントに純粋に、クルマというものにワクワクした懐かしい一時期でしたね 

 

 

・昭和のスーパーカーにハマった私には、やはりこの時代の形の物が最高です。 

ディアブロよりLP400なんですよね、どうしても。 

昭和60年10月2日に神戸の西宮北インターの近くで停車していたイオタのカッコよさは脳裏に焼き付いています(偶々その時期日記付けていました)。 

あの時にデジカメとかあったらなぁ… 

後で知りましたがシーサイドモーターと言う会社が輸入したレプリカイオタらしく、サウンドレコードの音源にもなった個体で、赤く塗り替えられて、そのオーナーの手に渡ったそうです(ちょっと記憶が曖昧ですが)。 

 

 

・78年ぐらいからスーパーカーブームはなくなっいていったが、私の中ではブームはそのまま継続でだんだんエスカレートして今はスーパーカーとクラッシックカー日本の旧車に夢中で池沢さとし先生も主人公をF1に向かわさずあまり知られていない世界中日本中の旧車に向かうシナリオにシフトチェンジさせていればあのブームも今の様に続いていたかもしれないがそう描くのは簡単ではないわね。 

 

 

・今でもカウンタックやロータスヨーロッパなど当時のスーパーカーは憧れだし、ポルシェはデザインが当時の面影を残しているので、昔の少年だったおじさんに人気あります。 

日本のスポーツカーも、昔のデザインに戻してみては? 

受けると思いますよ。 

 

 

 

・林ミノルが浮谷東次郎と出会い、S800ベースの「カラス」をデザインした 

のは彼が19歳の時である。 

その後にチームマクランサを設立し、レーシングマシンを手掛けてゆき、 

「一般公道を走れるロードカーを作りたい」という思いを実現するために 

仲間と共に制作したのが「童夢・零」、同時に株式会社童夢を発足させる。 

 

デザインはまさしくザ・スーパーカーらしくウェッジシェイプの効いた、 

もので当時ですら、お茶の間のテレビCMでもちらちらと見かけたが、 

中身のEGは確か日産のL20だったと記憶。 

仮に林が桜井との伝手を持てておれば、GR7B'、GR8B'などを積載できる 

可能性もあったのだろうか。 

 

市販バージョンの童夢P-2は日米での市販車としての認可を受けようと 

するも、法規の壁は高く、結局夢至らず今日に至るそうである。 

 

 

・私も小学生でサーキットの狼は何遍も読み返しました。スーパーカーが高嶺の花なのはやはり持てる人はお金持ちだと言う事なのかな。当時、輸入車は関税が100%だから普通に高額になるし、日本の2000GTだって当時ではとんでもない高額だった。あの松田優作だって燃える金狼の映画のラストでウルフカウンタックを運転するのにビビって走行シーンはオーナーさんが代わった位だから。ウルフカウンタックはイベントで実車を見たことがあるが確か当時4億だと聞いた。やはり当時のスーパーカーには夢がありましたよね。 

 

 

・当時のフェラーリ512BBが日本円で4500万ぐらいだったか? 

米ドルが360円だった時代なので実際の値段は知る由も無かったが 

家よか高いのか!と思った。 

あれから50年近く経ったがとうとう日本のメーカーから12気筒エンジンを 

積んだスーパーカーが発売される事はなかった。 

その事だけが少し残念でならない。 

 

 

・ランボルギーニ・ミウラの発売が昭和41年。 

ランボルギーニ・カウンタックの発売が昭和49年。 

 

日本では考えられないカッコよさだった、トヨタ2000GT以外の車は全部ガラクタに見えた。 

 

記事には書かれてないけどブームは国によって強制幕引きされたのが現実でしょう。 

第一次オイルショック後のブームは第二次オイルショックと53年規制によって消えて無くなった。 

 

いつかはランボ・フェラーリ・ポルシェをと夢見た世代も還暦までとうとう手にする事は出来なかった。 

 

 

・ドンピシャの世代です! 

横浜から自転車に乗り東京世田谷環八通りの外国車販売店まで写真を撮りに何度も通いました。 

スーパーカー消しゴム 

コーラのキャップも栓抜きゴミ箱漁ってまで(たまに10円とか50円なアタリをゲット) 

たくさん集めました。 

今は1つも残ってませんが 

捨てずに取っておけば良かったなぁー!って後悔してます。 

 

 

・50過ぎだけど、 

小学生の頃にランボルギーニーカウンタックやランチア・ストラトス見てカッコイイって思ってミニカーや写真パネルを集めてた 

国産のスポーツカーには無い平べったくて風切り裂く感じがして憧れた 

 

 

・「失われた30年」とか言われていて決して景気がいい国ではなくなった日本においても、フェラーリやランボルギーニが堅調に売れ続けているのはあのブームのおかげなんでしょうね。 

近年でも欧州にはいろんな新興メーカーが高出力なハイパーカーを出してきているが、日本におけるブランド力では当時から名をなしていたメーカーには太刀打ちできていないと思う。 

 

 

・ホンの子供でバックミラーを「バックリカー」としかいえなかった頃から車好きだった私には、昨日までクルマのクの字も言わなかった周囲がしたり顔で「パワーウェイトレシオが~」みたいなことを言い出すのを見てビックリでした。 

当時何誌かの雑誌がスーパーカーブームに乗って本来の姿を見失う中、それに毒されていない感じのカーグラやオートメカニック、オートテクニックなどに逃れました。 

ブームが進む中でエンブレムを剥ぎ取って盗む、走ってきたその種の車の前に止め役が飛び出して急停止したら取り囲んで写真を撮るなど加熱するといったニュースを見て辟易したものでした。 

 

 

・スーパーカー ブーム 凄かった 

 

テレビのゴールデンタイムで 2時間放送 各テレビ局 放送してたし 山田隆夫のスーパーカークイズ 山田 アシスタントの女性と結婚とか 

 

中でも スーパーカー どちらが 勝つか? 当時のレーサー が 筑波サーキット 対決するコーナー 

 

ミウラVSディトナかな 抜きつ抜かれつ レース 面白いレースでした。 

 

 

・70年代の国産スポーツ車は精々、2L直6であったのに、スーパーカーのそれは、4LV12とかで馬力も性能も桁違い。しかもワイドアンドロ―のスタイリングにガルウィングまでついて、カッコ良さがすべての昭和の少年が夢中にならないはずがなく。私の中では、スーパーカーはテレビのヒーローモノと同格でしたね。アオシマのプラモが懐かしい・・・ 

 

 

 

・いまではゴーストタウン化してシャッター商店街ですらない地元の商店街にもイベントでカウンタックが来たことあって、ワクワクしましたね。 

一方でグランプリの鷹の組み替えミニカー買ってもらって喜んでましたから、自分の中では実在している車かどうかというのはあまり関係なかったようです。 

 

 

・ブームが終わって数年後に青山ゼロヨンや東名レースが始まり、当然スーパーカーもストリートに持ち込まれた。当時国産車でスーパーカーとバトルを繰り広げていたのが、後にチューニングショップとなった。 

 

 

・どっぷり浸かってました。 

低くて尖っててミドシップでリトラクタブルライト。で最高速は280㎞/h以上。300㎞/h超えは至高の存在。 

 

当時初代サバンナRX7が発売されてリトラクタブルライトでしたが、近所の大学生のお兄ちゃんがサバンナRX7すごいんだよ!かっこいいんだよ!180㎞/h出るんだよ!と言っていたのを、「遅いよ!カウンタックは300㎞/hだしBBは302㎞/hなんだよ!」と自慢げに上から目線で論破。 

ウルトラ怪獣やショッカーの怪人で鍛えたスペックの口(くち)プロレスをここでもいかんなく発揮。 

 

ホント生意気ですみませんでした。 

 

 

・そういえばサーキットの狼って、初出のマシンにはスペックが書いてあったり、ドライビングやメカニズムのコマというかコラムがあったりと、単に高性能車を神格化するのではなく実車愛にあふれていた。そのマニア感(当時は博士とか呼ばれた)も良かった。 

 

 

・いわゆる「ガンダムと同い年」なので、生まれたときにはすでにブームはなかった。でも残り香はそこかしこにあった。ゲーセンのメダルゲーム(ルーレットの数字が当たるとメダル出てくる)の絵柄がスーパーカーで、幼い自分は「あれでミニカーが出てくる」などと勘違いしたり。 

 

カウンタックやポルシェ、フェラーリは、昔のこち亀が印象深い。中川やら麗子やらが乗り回してたり、狭いアパートにポルシェを飾る男の話、フェラーリを家代わりにする一家(息子二人の名前も車関連!)などなど。 

 

童夢零はミニカー持ってましたけど、そんな幻の名車とは知りませんでしたね。 

 

 

・自分も世代ですけど、ちょっと小さすぎたのかな。 

自分にとっては、やはりカードやメンコがブームの中心。 

特にカードは、裏にマシンスペックが掲載されてて、最高速度とか覚えましたね。 

たしかポルシェ930ターボが250km/hくらいだっけ。他の有名マシンが皆300km/hオーバーだったから、少しショボいイメージでした。でもその一方で「通好みだね」とか言って喜んでました。我ながら小学生らしくて微笑ましいです。 

 

あと、ロータスはサーキットの狼より007の方が印象深いですね。 

潜水艦にもなれるなんて、さすがスーパーカー! 

 

で、カー消しはブーム終焉後もわりとずっと売ってましたね。 

スーパーカーだけでなく、色んな車が出てました。 

なんといっても、ボールペンで弾いてレースするの楽しかったですしね。 

私のお気に入りはファイヤーバードトランザム。ブラックの車体に、ちゃんと火の鳥のモールドが刻まれてました。 

 

 

・童夢-零のラジコン…ウインカーランプ等の点灯ギミック付きが流行ったなぁ。ただし、重い、遅い、電池爆食い(ニッカド電池が売れた!)で、ポルシェ935Cや956C等の本格的な競技向けラジコンに流れていくかと思われた所で、マイコン・パソコンブームからファミコンブームへ。模型はガンプラブームが始まっていく 

 

童夢-零が国内発売されていたらブームは続いたかもしれないなぁ。 

速いものへの憧れはトウショウボーイへ(ぉぃ 

 

 

・とりあえず、今の自動車メディアがこの世代を骨までしゃぶろうと寄生しまくっているのは確か。 

 

僕もこの世代のひとりではあるし、車の名前だけはスポンジが水を吸うように覚えたけれど、結局何がスーパーなのかがよくわからなかった。300馬力で200キロ出るらしいけど、ただ平べったいだけじゃないか、と。 

 

そして外に出ると、70年代独特の人を取って喰らいそうなコークボトル調の車たちが、こちらを睨みつけてくるのだった。だから、スカイラインの丸テールは今も苦手だ。当時の軽トラって、子供が暗がりで見て怖がることを前提にデザインされていたとしか思えない。その親玉が、近所の爺様が無免許で乗っていたという、マツダの3輪トラックだった。正しく、あれは幽霊船だった。 

 

そんな中、たまたま手に取った一冊の絵本があった。それは、大石真の「もりたろうさんのじどうしゃ」だった……。 

 

 

・対決スーパーカークイズの始まった時は既にピークを過ぎた印象です。 

子供から人気が出たから大人が番組を企画してスタートさせるまでのタイムラグがありましたね。 

写真で見たり消しゴムでレースしてたブーム初期が懐かしいです。 

 

 

・ジャッカー電撃対の車と赤のカウンタックは浦和の町屋交差点のスタンドにいつも止まっていました。埼玉各地でスーパーカーショーやってました。1,000円くらいでカウンタックやフェラーリ、マセラティなど展示とチラシに書いてあったが実際には赤のカウンタックとジャッカーの車3台くらいしかなかった! 

 

 

 

・スーパーカーはリトラが大事 笑 

スーパーカーショーで 後で思えばポルシェやブリスターフェンダーのBMWやミニのスーパーとかも並んでたけど 

あまり目を引かなかったリトラじゃないけどミウラ イオタ仕様やペタペタのロータスヨーロッパは気になったけどね 

 

 

・80年代生まれで、ずっと「なんで年上の人らはあんなに高級車が好きなんだろう」と不思議に思うところもありました。庶民には絶対手が届かないものだろうに……と。今思えばこの頃の大ブームの余波だったのですね。 

 

 

・マッハGoGoGoやチキチキマシン猛レースなど、ちゃんと導火線があってのスーパーカーブーム。ちょうどフィルムカメラの普及期と重なった部分もある。鉄道ファン(まだ鉄ヲタではない)が増えだしたのもこの頃。 

 

 

・クルマは憧れの存在だったのが、いまや資産になったから詰まらなくなったね。エンジン性能よりリセールバリューの方が大事なのでトヨタだらけでミニバンばかり。 

メーカーのカタログを見ても排気量なんて探さないと分からないレベルだし 

 

 

・「サーキットの狼」の終盤が 

ロードカーではポルシェターボの一強みたいになり 

サーキットに入っては、もう架空の車になってしまったのが萎えた一因かな? 

レース展開より車種展開で人気だったし 

限界が来てしまった 

 

 

・今も昔もスーパーカーに限らず、「外車」のデザインは良い。…と言うか日本車とは違う魅力がある。機械としての性能や機能は別として。 

 

 

・サーキットの狼!奪い合うようにして読んでましたね。 

実際はロータスヨーロッパがフェラーリ・カウンタック・ポルシェ等と対等に勝負したろころでサーキットでは勝てない。 

でも当時は弱い者が強い者に勝つ!ってヒットの常套句。 

 

まあ、そんな大人の事情は当時のガキンチョには関係無く、スーパーカーフェスティバル等で大興奮でしたね~ 

 

 

・「グランプリの鷹」見てました。タイレル(今で言うティレル)に触発されたのか、6輪車はては8輪車とか出てきて楽しかったなあ。まだ小2だったんだ。 

 

 

・知り合いがフェラーリを買ったら展示会で貸し出してと言われて 

少ししたら自動車、代金がペイしたからともう1台買ったとか 

 

おじさんはパンテーラを乗ってたけど駐車すると子供が群がったとか 

 

 

・スーパーカー消しゴム、集めて遊んだなぁ。懐かしい!何気に記事の写真の一番手前にある車、ジャッカー電撃隊て使用してたスーパーカーだよね(゜ロ゜)ジャッカー電撃隊が放送されてた頃丁度スーパーカーブームだったからね(^_^) 

 

 

 

・あの時代にあのデザイン、それに尽きるのかもしれません。あれ以降、アッと驚く未来から来たようなデザインの車は誕生してないですよね。 

 

 

・スーパーカー消しゴムは、ガンダムブームの時とかでもたまにガチャポン見かけた。進化していてリアルになってたり、磁石になってたりした。最初の頃のものは見た目でわからず、ひっくり返すとロータスって書いてあって、ああこれ、ロータス…か?みたいな力技のシロモノだった。 

 

 

・瓶コーラのキャップ裏にイラスト有ったよね 

コーラのは外車だったらなんでも有りみたいな感じだった 

初代ゴルフだったらハズレ引いたってみんな言ってた 

なつかしいブームだよね 

 

 

・当時の国産車には無いデザインや性能で一躍脚光を浴びたが、人は飽きるものでそれに続く物が出なかったのが、衰退する原因だと思う。 

 

 

・この時のスーパーカー世代がその後のシルエットフォーミュラブーム(82年)、F1ブーム/ル・マンブーム(87年-)の中核になったな。 

 

 

・いつの時代にも ヒーローは居る 

速いカッコイイ  当時は国産車と比べれば 

全てが良かった外国車 

たまたま戦隊モノじゃなく そのヒーローが 

スーパーカーだった 

 

 

・ノック式ボールペンはBOXYでしたね 

今も売ってるみたい 

トヨタのBOXYを見るといつも思う 

ボールペンと同じ名前じゃん 

私の辞書ではBOXYとは「消しゴムを弾き飛ばすもの」になってる 

 

 

・当時は、中学生。 

友達でフジミ模型の1/24サーキットの狼シリーズプラモデルが流行り体育館でレースしてました。 

私は、フェラーリ308GTBが愛車でした。 

 

 

・ロータスヨーロッパとエスプリを持ってる友人や 

フェラーリとポルシェを持ってる友人がいる 

子供のころにスーパーカーブームど真ん中世代だよ 

 

 

・今見ても圧倒される車だと思う。カウンタックはスーパーカーの代表的な存在だと思います。 

 

 

 

・スーパーカー消しゴムも流行った。 

 記事冒頭のアニメ4番組はブームに便乗したもので、理由ではない。 

 記事にもある様に『サーキットの狼』の漫画がブームを起こした。 

 衰退の理由が飽きられて自然に衰えたとは、此は釣り記事。 

 

 

・スーパーカークイズなんて番組が放映されてましたね。ポッポッポルシェは930♪となりのターボが言っていた♪なんて歌詞の歌が番組内であった記憶があるのですが…憶えてる方いますか? 

 

 

・サーキットの狼はリアルに読んでた 

国産車が排ガス規制で性能がガタ落ちしてる時代で余計にスーパーカーの性能に目が向いたかな? 

ターボがまだ認可されていなかったし・・・ 

 

 

・スーパーカーは未来的なデザインから 

性能性に転換した影響もあり 

1980年台から改造チュウニング 

性能向上代わった事も有るから? 

 

 

・私は世代です。以前、妹の子供と一緒にバイクツーリングに出かけ、途中でカウンタックとすれ違い、『さっき、カウンタック、いたよね?』と話したら、『何それ?』だって。『なぜ知らないの? お前の母ちゃんだって知っているぞ』と説教した(笑) 

 

 

・当時スティングレイが好きだった。大人になったら、あんなのスーパーカーじやないと言われた。大いに納得。現行は、馬車と同じサスは進化したのか? 

 

 

・「BB」は「ベルリネッタ・ボクサー」のことですが、「ベルリネッタ」は「2ドアクーペ」で、「ボクサー」は「水平対向エンジン」(ホントは180度V型というのは置いておいて)のことですね。 

 

 

・はーい、齢既に六十を過ぎてますが 

未だブームから抜け出せていません。 

普通の乗用車に興味はなく 

逆に移動だけならHONDAバモスで充分と 

思っております。 

 

 

・プラモデルも作り、後楽園の展示会にも行ったなぁ。 

あの写真はどこへ行ったかなぁ… 

今でもランボルギーニ・ミウラが大好きですw 

 

 

・サムネイル画像のスペードマシーンを見て 

「こんなスーパーカーあったかな?」 

と悩む人はいないかな? 

スーパーカーブームをリアルタイムで知っている人なら「ジャッカー電撃隊」は知っているのか? 

 

 

 

・BOXYのバネを伸ばして勢いを増す魔改造やったな。カー消しの裏に木工用ボンド塗って乾かして滑りをよくしたりとか。 

 

 

・当時の子供だった私からすると、ロータス欧州という表現には違和感ハンパない 

事情があるのかもしれないが、ヨーロッパじゃダメなの? 

 

 

・『ジョーズ』に便乗した大ダコパニック映画『テンタクルズ』の同時上映がドキュメンタリー映画『ザ・スーパーカー』だったね。見に行ったよ、懐かしい。 

 

 

・ハハハ(≡^∇^≡) そのスーパーカー消しゴムノック式世代ですが、今思えば面白い事やって遊んでたんだなとね 笑 スーパーカーのカッコ良さも然りですが、やはりノックの弾き強度が決め手だったなあ 笑 (^〇^) 

 

 

・当時シーサイドモーターへ行ったけど、まさかの店休日。ショーウィンドウ越しにミウラの写真撮って帰ってきたっけ。 

 

 

・>>これらの作品は権利の問題もあり実在するスーパーカーを登場させることができなかった 

 

漫画 サーキットの狼 ではポルシェやロータスを登場させていたが、使用料をかなり払っていたんだろうな 

 

 

・童夢零はラジコン持ってたな 

 

グランツーリスモで手に入れてはみたがヘッドライトをポップアップさせるとあそこまで格好悪くなるとはねえ 

 

 

・小学生 スーパーカー消しゴム 先生が居るから今はまずいって断ったのに見せてとうるさいから出したら全部没収された お前が悪いって言ったら開き直ってる 嫌な奴が居たな 

 

 

・『マッハ’78』興行的に惨敗に終わった。まれにみるク○映画でしたね 

ポルシェターボを海にジャンプさせてドボンさせるだけの映画 映画の制作費用は、回収できたのかな? 

 

 

・20円のガチャガチャで買える消しゴムを撒き餌の様に使っていたのかぁ。賢いマーケティング 

 

 

 

・映画の「007/私を愛したスパイ」でロータスエスプリが出たのもタイミング的にはこの頃。 

 

 

・当時はカウンタックやフェラーリ512よりも丸目4灯のジャパンや330セド・グロ、クラウン、マークII等が好きな捻くれた子供でした(笑) 

 

 

・画像 手前に写っているのは、ジャッカー電撃隊のスペードエースが乗る、エースマシンですね。 

 

 

・ジャッカー電撃隊のスペードマシンが写真に写っていたのが懐かしかったです。 

 

 

・あのジャッカー電撃隊でもよく出てたよな…BBとかボーラとか…劇中車もX1/9だし 

 

 

・52歳です。 

まさにこの世代です。 

スーパーカー消しゴム、懐かしい。 

 

 

・この頃の少年たちが免許を取るころ、国産スポーツ車種のピークでしたね。 

 

 

・この頃の小学生たちが大人になって国産車を創り上げてきた!って言い過ぎかな…? 

 

 

・この影響で、フォード・コスワースDFVってのを知ったんだよね。 

 

 

・私もそうですが、この頃小学生だった幸せ。 

 

 

 

・スーパーカー消しゴムとスーパーカー自転車は親にかってもらった。 

 

 

・リトラクタブルライトは何かスーパーカー扱いでしたね。フィアットXー1/9でさえ(笑) 

 

 

・「ロータス・欧州に乗る主人公の風吹裕矢」 

 

ロータス・欧州 ・・・ ? (笑) こんな表現初めて見た。 

 

 

・ロータス欧州って。。。そこ変換するなよ〜 

 

 

・早瀬左近率いるナチス軍なんて、今ではマズイですね。 

 

 

・ジャッカー電撃隊のスペードマシーンがいる! 

 

 

・ロータス・欧州ってなんやねん 

 

 

・手を上げて、横断歩道を渡りましょう。 

 

 

・1番手前はジャッカー電撃隊やないか! 

 

 

・幻の多角形コーナリング 

 

 

 

 
 

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