( 183348 )  2024/06/22 16:31:07  
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日本では様々な業種で「閉店ラッシュ」が起きているが、その真の理由は市場を度外視した供給過剰だ。

飲食業界では特に「パクリ文化」が根底にあり、結果として多くの同様の店が競合している。

消費者の減少や人口減少により、ビジネスの基本が変わりつつあり、「シュリンコノミクス」という新しい経済システムを考える時が来ている。

これからの日本を考える上で、これらの現実に直面し、対処していく必要がある。

(要約)

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飲食店の閉店ラッシュが止まらない真の理由とは(写真はイメージです) Photo:PIXTA 

 

● 日本を覆う「閉店ラッシュ」 なぜこんなことが起きているのか 

 

 ステーキ、タピオカ、高級食パン、唐揚げ、無人ギョーザ、モスバーガー、ミスタードーナツ、ガスト、幸楽苑……。 

 

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 いったい何の言葉の羅列だと首を傾げる人も多いだろう。実はこれは近年、「閉店ラッシュ」が話題になった専門店や外食企業だ。パチンコ店や携帯ショップなどでも閉店ラッシュが話題になったので、そうした飲食業界以外の産業も入れれば大変な数になる。 

 

 つまり今、日本ではいたるところで「閉店ラッシュ」のラッシュが発生しており、ややこしい話ではあるが「閉店ラッシュラッシュ」状態なのだ。 

 

 そのように聞くと「やはり長引く景気低迷は深刻だ。一刻も早く消費税をゼロにするなどして景気回復をしないと、とんでもないことになるぞ」と国の無策に怒りを覚える方もいらっしゃるだろう。だが実は、近年の「閉店ラッシュ」は日本経済がどうのとか、政治が悪いとかいう話とは、ほとんど関係ない。 

 

 結論から先に申し上げてしまうと、さまざまな業界で閉店ラッシュが起きているのは、市場を度外視した供給過剰が元凶だ。もっと詳しく言えば「消費者が急速に減っているにもかかわらず、売れている商品や業態をパクる事業者が減っていない」ということである。 

 

 パクりが生み出す過剰供給ということでわかりやすいのは、やはり飲食業界だ。ご存じの方も多いだろうが、実は日本は飲食店が「異常」といえるほど多い。ちょっと古い調査だが、福岡県が総務省統計などをベースにして「人口1000人あたりのレストラン数」(平成27年時点)を調べたところ、東京が6.22店でトップ。次いでパリ(6.15)、ロサンゼルス(2.37)、ニューヨーク(1.39)、ソウル(1.37)、北京(0.47)と続く。他の都市は東京の足元にも及ばない。コロナ禍を経た今も、状況はそれほど大きく変わっていない。 

 

 だから、外国人観光客は日本の繁華街に衝撃を受ける。狭い雑居ビルの全フロアに小さな飲み屋やスナックがひしめき合っているような光景は、自国ではなかなかお目にかかれないからだ。 

 

 

● 外食産業の供給過剰を招く 「パクリ文化」の深淵 

 

 では、なぜ日本はこのように供給過剰ともいうほど飲食店が爆発的に増えたのか。日本人の食への強いこだわりとか、日本食の奥深さなど、どうにかして日本人の高い精神性に話を持っていきたいところだが、産業構造的にいえば「パクり文化」によるところが大きい。 

 

 ラーメン屋でも居酒屋でも人気が出て繁盛すると、すぐに同業者がそれをパク……ではなく、インスパイアされたような、似たコンセプトの店を出す。そして別の同業者が再びそれをオマージュするという感じで、似たような店が大量にあふれていく。繁盛店と似ているのでそれなりに客も入る。こういうサイクルが繰り返されていった結果、気がつけば日本は「世界一の飲食店大国」になっていたというわけだ。 

 

 このサイクルを理解していただくには、「いきなり!ステーキ」が好調という時期を思い出していただくといいいだろう。同店がメディアで盛んに報じられてほどなくすると、「やっぱりステーキ」「カミナリステーキ」、さらには「あっ そうだステーキ」などというビミョーなネーミングの店が、続々と乱立したのである。 

 

 「プライドがないのか」と呆れる方も多いかもしれないが、このような「模倣の連鎖」こそが飲食業界を発展させてきた側面もある。わかりやすいのは、大手焼き鳥チェーン「鳥貴族」からロゴが似ていると訴えられた「鳥二郎」の主張だ。 

 

 《答弁書では「飲食業界は模倣を前提に成り立っている。競合店が互いに模倣し合って外食産業は発展してきた」とし、業界で“パクリ”は常識だと主張。鳥貴族の社長が以前に経済誌のインタビューで、行きつけの飲食店が均一価格だったことをヒントに価格を「280円均一」にしたと明かしていたとし、「社長も模倣が起業のきっかけになったと認めている」と指摘した。》(産経WEST 2015年6月16日) 

 

 だからと言って、ロゴをパクっていいという話にはならないのだが、この指摘はそれほど間違っていない。古くは江戸時代から飲食店は「模倣」を前提として発展してきたという、動かし難い事実があるのだ。  

 

 たとえば江戸後期、葺屋町(現在の日本橋人形町)に「三分亭」という居酒屋ができて人気となる。三分とは銀三分で、今の貨幣価値だと360円くらいだ。つまり、これは「360円均一のつまみで酒が飲めますよ」というコンセプトの居酒屋だ。 

 

 するとほどなくして、「いきなり!ステーキ」のようにすさまじい勢いで似た名前の店が乱立する。1845年ごろの江戸の風俗を記した『わすれのこり』にはこう記されている。 

 

 「所々に三分亭という料理屋多く出来たり。座敷廻り綺麗にして、器物も麁末なるを用ゐず。何品にても三分づゝ、中々うまく喰はす」 

 

● 「完コピ」が得意な日本人は 「吸収消化」する民族? 

 

 もちろん、このように売れているものを模倣するというのは、市場経済のある国で見られる普遍的な現象だ。ただ、日本人の特徴としては「忠実に完コピをする」ということがある。かつて日本メーカーは、欧米の製品を忠実に完コピするところからスタートした。松下電器が「マネシタ電器」などと揶揄され、松下幸之助氏が「日本人は決して単なる模倣民族ではないと思う。吸収消化する民族である」と反論をしたことからもわかるように、日本人の商いの精神のベースには「模倣」があったのだ。 

 

 この模倣は参入障壁が低い業界であればあるほど活発におこなわれることは言うまでもない。その代表が、飲食業界だ。特別な技術やノウハウがなくとも、人気店のコンセプトや名前をパクれば、それなりに客を集めることができる。 

 

 しかし、当たり前だが客商売はそんなに甘いものではないので、中身を伴わない店はクチコミで悪評がたってすぐに閑古鳥が鳴く。また、そこまでひどい店ではなくとも、模倣があふれて供給過剰になるので消費者からは飽きられてしまい、結局、潰れてしまう。 

 

 

 これが近年多い「閉店ラッシュ」の基本パターンだ。つまり、「模倣」で成り立っている日本の飲食業界において、「閉店ラッシュ」などちっとも珍しい話ではなく、「平常運転」と言って差し支えないほどのありきたりな現象なのだ。 

 

 「いやいや、確かに人気店をパクった店がたくさんできて、ブームが去って閉店していくという流れもあるけれど、昔はここまでの閉店ラッシュはなかった。やはりコロナ禍の影響や、事業支援が足りていないのでは」という感じで、「閉店ラッシュ」を何かしら経済問題に結びつけたい人もいるだろう。 

 

● 消費者がすさまじい勢いで減る 「ジリ貧」日本の憂鬱な現状 

 

 ただ、そんな難しい理屈をつけなくとも、日本のあらゆる産業で「閉店・廃業ラッシュ」が起きていることは簡単に説明できる。消費者が凄まじい数で消えているからだ。 

 

 ちょっと前まで、日本は鳥取県の人口(55万人)と同じ数だけ人口が毎年減っていくと言われていたが、この減少幅も年を追うごとに増えている。総務省が4月に発表した人口推計では、2023年は前年よりも59万5000人減った。これは埼玉県川口市や鹿児島県鹿児島市の人口が消えたのと同じだ。 

 

 このように急速に人口が減っていけば当然、「消費者」も減っていく。客が減れば売り上げは落ちる。利用者が減ればサービスも縮小していく。購入する人が減るのだから店も減っていく。すべてビジネスとして当たり前のことだ。 

 

 だから、自動車メーカーなどの製造業は海外に活路を見出している。輸出産業もそうだ。しかし、そうではないサービス業などはそれができない。外国人観光客など「海外の消費者」をターゲットにできるところは別だが、日本の消費者を相手にしているところは基本、何をやってもジリ貧になることが見えている。かつては全国津々浦々あったコンビニやファミレスの店舗網が縮小されているのは、この未来を見据えているからだ。 

 

 

 だから、ステーキだ、タピオカだ、無人餃子販売だと、何か金儲けの匂いがする分野ができると、少しでもその恩恵に浴そうとみんながワッと押し寄せる。しかし、少ない消費者をたくさんのプレイヤーで奪い合うレッドオーシャンなのですぐに死屍累々となり、「閉店ラッシュ」が注目されるというわけだ。 

 

 残念ながら、これは日本という市場の構造的な問題なので、「景気対策」や「減税」などでは解決ができない。日本のように成熟した社会でしかも人口が激減している国のバラマキは、将来への不安から貯蓄にまわされるだけなのだ。そこで、「人口減少」を前提とした経済システムを新たに考えていく必要がある。 

 

● なかなか受け入れられない 「シュリンコノミクス」と向き合うとき 

 

 それが「シュリンコノミクス」と呼ばれるものだ。世界では日本を先進事例として、この新しい経済システムが構築できないのかと研究が進んでいる。欧州の先進国や中国なども、これから日本と同じ道を歩ことがわかっているからだ。2020年には国際通貨基金(IMF)が「Shrinkonomics: Lessons from Japan」(シュリンコノミクス:日本からの教訓)というレポートも出しており、筆者も21年の自民党総裁選のときには、『お気楽すぎる自民党総裁選、「シュリンコノミクス」の危機をなぜ争点にしないのか(https://diamond.jp/articles/-/282866)』という記事を書いているので、興味のある方はお読みいただきたい。 

 

 いずれにせよ、人口減少が急速に進む中で我々がやるべきは表層的な議論ではない。「餃子の無人販売店が閉店ラッシュ」というニュースを受けて、「消費者の嗜好が変わった」とか「新たなマーケティングが必要では」という分析や議論をするのは楽しい。自分のビジネスの役に立つような気もするので、得した気分だ。 

 

 しかし、これから自分たちの子どもや孫世代を待ち受ける未来の日本を踏まえれば、そういう目先の話はちょっと傍に置いて、「日本発のシュリンコノミクス」をつくっていくことを考えるべきではないか、と個人的には思う。 

 

 人が減れば店も会社も減っていくのは当たり前だ。しかも、これまで人口増時代のビジネスモデルを引きずってあらゆるもののが過剰供給だったので、閉店ラッシュや倒産や廃業の増加も驚くようなことではなく、ごく自然の現象だ。 

 

 まずは、日本人がなかなか受け入れられないこの現実と向き合うべきときがきているのではないか。 

 

 (ノンフィクションライター 窪田順生) 

 

窪田順生 

 

 

 
 

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