( 184742 )  2024/06/26 17:45:06  
00

なぜ大人は若者に「合わせる」ようになったのか 成熟という価値観を喪ったデオドラント化社会

東洋経済オンライン 6/26(水) 11:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/b7787c67071d071d61fd6df3d0db2d989035b466

 

( 184743 )  2024/06/26 17:45:06  
00

舟津昌平氏と與那覇潤氏は、Z世代を通して見えてくる社会の構造について議論している。

若者との接点で理解しがたいことが多い背景に、学校や就活の在り方、そして社会の在り方が影響していると指摘されている。

舟津氏は、若者に対する違和感や疑問を述べ、建設的な議論を提供したいと考える一方、與那覇氏はZ世代に対して明確な理解が必要だと述べている。

さらに、若者を単なる「キラキラ若者」として象徴することの危険性や、無責任な未来への期待の表れについて議論が広がっている。

(要約)

( 184745 )  2024/06/26 17:45:06  
00

世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合います(撮影:今井康一) 

 

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。 

企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。 

 

Z世代を通して社会構造を読み解く舟津昌平氏 

 

本記事では、著者の舟津昌平氏と歴史評論家の與那覇潤氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。 

 

■もてはやされ、忘れられる若者 

 

 舟津:本書では、Z世代を読み解くテーマの1つとして「就活システム」を論じており、就活の早期化やインターンシップ、内定後の研修などへの疑問を投げかけました。周りの教員の中にはこうした問題をうまく乗り切っている方もいれば、問題にぶつかっている方もおり、そして少なくない方が問題を「そんなもんだ」と受け入れてしまっています。実践的な解決法として「無視する」、つまり見ないことにして放っておくことは多いんです。実際のところ、就活システムをとやかく論じるのは別に大学教員の仕事ではありませんし。 

 

 でも私は、もっと根本的な原因や背景を考察したいと考えていました。若者をめぐる違和感や疑問について本にまとめて、建設的な意見を提供できれば、と思ったんです。そう思ったきっかけに、與那覇先生の「デオドラント化(=少しでも不快に感じたら排除し、無臭化する社会)」という概念を扱った記事をはじめ、先生の論考との出会いがありました。 

 

與那覇:本書で言及を見つけたときはとても嬉しく、応答するnoteを書かせていただきました。改めてありがとうございます。 

 

 舟津:特に印象に残ったのは、「歴史を忘れた日本(人)」というフレーズです。そこから、自分が抱いた違和感や経験をきちんと振り返って形に残し、「歴史」の一部として示すことで、多くの人に共有したいと思いました。就活システムの歪みや不備を学生も感じているのに、生き残るために仕方なくそのシステムに従っています。異論をはさむよりも黙ってやったほうが楽だ、という空気もあるんです。でも、私はそういった違和感を言葉にして発信することで、少しでも建設的な議論ができればと思っています。 

 

 

 與那覇:まさに必要なことですよね。とりわけ本書の優れた点は、著者の舟津さん自身がふだん教えている学生たち、つまりZ世代に対して感じる「違和感」を大事にしていることだと思います。いまZ世代と銘打つ本は「彼らに共感・期待」みたいなものが多く、年長者が「私はまだまだ若い世代と同じ!」とPRするツールになっていると感じていたので。 

 

私の『平成史』でも書いたのですが、年長者が若い世代に「合わせよう」とする傾向が強まったのは、2010年代の前半からでした。脱原発や安保法制批判のデモに接して、「若い人も来ている。つまり私の主張は若者と同じ!」という形で満足する人が続出しました。 

 

 一方で10年代の後半には、AIブームなどの未来主義やポリティカルコレクトネスが流行し、「お前の感性はもう古い」と叩かれることを恐れる人が増えた。その結果、「年齢を重ねてきたからこう言える」といった成熟した価値観を、誰も表明できなくなっています。 

 

 これに対して本書は、大学の教室で舟津さんが学生に「なんだこいつら」と感じる違和感から出発する。しかしそこで一方的にダメ出しするのではなく、「彼らの世界観ではなぜ、こうなるのか?」と問いつつ掘り下げることで、「こういう論理になっていたのか!」と腑に落ちる答えが見えてくる。断罪でも追従でもない、正しく相互理解をめざしたZ世代論になっていますよね。 

 

 舟津:ありがとうございます。この本は、パッと見はZ世代に関する本のように見えるかもしれませんが、実はそれだけではないんですよね。ちまたのZ世代本は「こういう人たちだから、こう対策しましょう」という「対策本」が大半です。なんかわからないけど新しいものが出現していて、でもそれはハックすれば乗っかれるんだよ、という。與那覇先生がおっしゃったように、新しいものに乗っかる発想が前提にあるんです。でも、私はそれに疑問を感じていて、その違和感を考察して伝えたいと思っていました。 

 

 

 この本を出してみて、読者の方の多くが「私はゆとり世代です」とか「Z世代とゆとり世代の間です」と世代を表明されます(笑)。実は、ゆとり世代の話ってあまり振り返られていないんですよね。騒いだ割にはちゃんと追跡調査がされていないように感じます。そのうち、新しい世代の話に移ってしまう。今は「Z世代、Z世代」と言われていますが、次は「α世代」の話になるのでしょうね。ポジティブに語ろうとするけど、忘却も早い。 

 

■Z世代にすがる社会 

 

 與那覇:そもそも若い世代といえば「持ち上げるもの」だというのが前提になっていること自体、ちょっと奇妙な現象ですよね。ゆとり世代はむしろ、叩かれる対象でした。大人が決めたカリキュラム削減ゆえではあっても、「勉強不足で使えない」みたいに。 

 

 私はさらに年長の「就職氷河期世代」ですが、共感というか同情されることは一応あっても、「氷河期を創意工夫で乗り切った人はクリエイティブ!」みたいに褒められた記憶はない(笑)。しかしZ世代に対してだけは、なぜかみんな「期待」を語る。それは、もう新しいものにすがる以外、希望が持てない社会の表われかなとも感じます。 

 

 舟津:そうですね。ゆとり世代は「ディス」に用いられることが多いのに対し、Z世代はキラキラしたイメージで語られることも多く、ビジネスの商材になっている部分があります。たとえばTikTokは若者の支持を得ていると同時に、TikTokのレポートを見るとZ世代の支持を最大限活用しようとしていることがわかります。虚実ないまぜの、虚寄りの若者像が作られていくわけです。そしてそれが広告塔になる。 

 

 與那覇:「Z世代はメディアが煽るほど、本当にエシカル(倫理的)なのか?」を検証する本書の筆致には共感しました。どんな世代にも「自分は周りと違って、意識が高い」と自認するタイプは一定数います。そうした人の関心が、2000~2010年代ならITで起業するなどビジネスに向かったのに対し、2020年代にはむしろ政治を意識しだしたという面はありますよね。「気候変動に興味があります」とか、「ガザ問題をなんとかしたい」とか。 

 

 

 そうした「一部の人たちの関心の対象」が変化しただけなのに、Z世代が丸ごと「倫理感が強く、よりよい社会を求めている」かのように持ち上げる論調は、明らかにやりすぎ。逆に言うと、これからどう成長するかがわからない世代に賭けることしかできないくらい、現実の政治の中で追い詰められている年長者が多いのでしょう。 

 

■「若手のために」という無責任な言葉 

 

 舟津:今の話を聞いて思い出した例が2つあります。1つは、企業の話です。最近いくつかの企業が、若者を重役に起用することで話題を集めています。たとえば、女子高生をChief Future Officer(CFO)に任命するとか、20歳ちょっとの女性を社長に抜擢するとか。普通に考えると経営のセオリーから外れた人事であって、Z世代のキラキラしたイメージを売りにする狙いもあるのだろうなと。 

 

 與那覇:CEOをもじってCFOだと。確かにキラキラしていますが、なにをする役職かよくわからない(苦笑)。 

 

 舟津:もう1つの例は、研究者の界隈で、よく「若手若手」と聞くようになりました。 

 

 與那覇:大会で「若手シンポジウム」を開くとか、「若手の就職問題対策委員会」を作るといった学会が増えているみたいですね。 

 

 舟津:そうなんですよ。学会における若手はZ世代よりもうちょっと上ですし、私自身はぼちぼち若手扱いされなくなっていますが……。もちろん相対的に「持たざる者」である若手を支援するのはよいことですし、必要です。ただ率直に思ったのは、若手より上の年になったら、どうしていけばいいのかなと。中堅とかシニアの方がいろんなことをパワフルに頑張ってくれるのも若手はうれしいと思うんですけども、みんな「若手のサポートをします」と言う。全員が、若手のため「だけ」に生きているような。 

 

 その正体は與那覇先生がおっしゃったようなある種の行き詰まりがあって、無責任にキラキラした未来を信じたい願望の表れが「若手のために」という言葉なんだと思います。 

 

 與那覇:過去と未来となら、まだ定まっていない未来のほうがキラキラさせやすいわけですね。私が「デオドラント化」と呼ぶのも、実態の把握ではなく「キラキラ感」の演出が優先される風潮を指すものです。なにひとつ悩みのない理想の未来社会を「プレゼン」し、そこから逆算する形で、ソリューションを出せる範囲でのみ社会問題を「発見」する。そうした本末転倒が広まってはいないでしょうか。 

 

 

( 184744 )  2024/06/26 17:45:06  
00

(まとめ)人々のコメントからは、日本の若者や同質性社会、教育に対する様々な批判や指摘が見られます。

 

 

一部の意見では、若者への柔軟な対応や理解が必要だという意見もありましたが、反対に若者に無理やり合わせようとする必要はないとする声もあります。

 

 

また、過去の世代との価値観の違いやコミュニケーションの難しさが言及されたり、教育の問題や労働力不足などの現状に対する懸念も見られました。

 

 

一方で、若者と大人の間における相互理解やコミュニケーションの重要性、さまざまな世代間の課題や価値観の相違に対する寛容さが求められているとの指摘もありました。

( 184746 )  2024/06/26 17:45:06  
00

・日本の同質性社会は、若者だけの問題ではない。 

自由や個性を伸ばすことより先に、社会常識、処世術のようなものを刷り込む初等教育に問題があるのでは。 

学校の評価・成績は、いかに社会つまり親や教師に従順であるかの評価でもあり、それで将来の進学先等も変わってくる。お受験が典型例。 

出る者は叩かれる。同質性を理解するものが成功者。その成功者が作ったものが現代のエスタブリッシュメント社会。 

幼児教育でもっと自由を尊重して個性を伸ばし、マイクロアグレッシブに満ちた小社会でディベートを繰り返す中で、自然に社会適合性を学ぶ。民主主義も肌で理解する。教育基本法はルソー理念に基づいているはず。 

ホリエモンや金子勇を逮捕する国に、スティーブ・ジョブズもイーロン・マスクも出てこない。 

 

 

・氷河期世代ですが、上の世代にされて嫌だったことを下の世代にやらないというだけです。媚びているのではなく理不尽なパワハラ、体罰、飲酒の強要に対して恨みこそあれ感謝の気持はビタイチありません。そういった昭和の負の遺産はあなたたちの世代で終わりにしていただきたい。Z世代の教育を担当していますが、敬意を持って接することでとてもよく働いてくれますよ。 

 

 

・「社会のデオドラント化の最大の副作用は、「成熟」という価値観を失わせたことでしょう。どんな人にも自身の体験に基づく、なんらかの偏見や先入観がある。だから未知の人と接すると最初はトラブルになり、摩擦も生じるけど、その中で調整しあうことで「いまはお互い、いい関係だね」と思えるようになる。そうしたプロセスが成熟と呼ばれてきたのに、今はあらかじめデオドラントを噴霧しまくれば「誰もが最初から完璧な対応を行い、一切摩擦が生じない環境」を作れるとする幻想が広がっていますよね」 

 

すごく同意。 

いろんな人がいるんだから、清濁併せ呑むことがどうしても必要。 

性別なんて関係ない社会にしよう!男女差別をやめよう!人種差別をなくそう!とかじゃないんよね。 

目の前の、未知の人と調整する、それに尽きるんよ。面倒くさがったらあかん。他人となんて、常に摩擦はある。お互いに、調整するしかないんよね 

 

 

・あくまで昔に比べるとだけど、若者の居心地は格段によくなってると思う。 

大人たちが寄り添う?ことで、理不尽はだいぶ減ってるでしょ。 

居心地が良くなるとどうなるかというと、苦しみが減るからそこから逃れようとする、何でだよ!という怒りも減る。 

その訳を考える動機もなくなるし、よって行動の必要性もなくなる。 

結果的に本質を深く考える機会が激減してると思うよ。 

おじさんたちは理不尽な時代を通過してるから、何でだよ!を経験してきてる。 

とは言え本当の本質を見抜く力なんておじさんにも若者にも備わってなくて、ただそのイライラを発散するための原動力がもたらす「くそっ!どうなってんだ!どうしたらいいんだ!」って考えるチャンスがなくなってしまったということ。 

何でも受容する(フリをする)んじゃなくて、意図的に少しストレス与えた方がいいのかも。 

感情的なストレスではなく、コントロールされたストレスを。 

 

 

・これはその通りだと思います。40代ですが、20代、30代の頃に飲み会の幹事や下っぱの仕事を一生懸命やって、40代以降ようやくバトンタッチできると思ったら、若手がやらないのでまだ雑務が残り続けてる状況です。生産性を上げたり組織の一体化を高めていくには若手にある程度やらせることも重要です。その対価は年次が上がるとともに回収するものなのですから。もちろんほんとに働いてないおじさんはだめてすけどね。今働いてないおじさんと感じる人も大抵生き残ってるのなら昔死にもの狂いでやって今があるだけです。個を重視しすぎると日本沈没しますよ。 

 

 

・よく言う人格の完成は30以降とは、価値観がある程度固定されてしまうのがその辺りという事。 

 

若者は学生終えて社会人となって10年足らずの経験が以後の自身を決定するのだと前のめりに、30越えたおじさんおばさん達は固定観念に捕らわれていないかを内省しながらより永く柔軟な思考を維持するよう努めるのが寛容でしょうね。 

 

氷河期過ぎ頃までは上からの同調圧力が過剰で、それではいけないと現在にだんだんと近づいて来たのでしょうが、些か行き過ぎてますね。 

バランス感覚が大事かと思います。 

現状では上はリスクを嫌い若者に必要以上の関わりを持ちません。それ以上を引出すには下からの現在の自身が完成ではないのだと自覚した10年の間に多くを得たいという態度行動が必要です。 

 

誰しもがそうなら良いですが、多様性が蔓延し若年に学生中に得た価値観で以て己を完成した一個の人格だと自認した言動が目立つ昨今、対策が必要でしょう。 

 

 

・我々氷河期世代は個々の年上の方々はリスペクトすることはあっても、上の世代全体に対して薄っすら恨みというか、期待していないところがある。ゆとり世代、さとり世代には共感がある。 

 

Z世代が特別に素晴らしい世代と思うわけでは無いけれど、特に下の世代に対しては良い部分も悪い部分も偏見を持たず、我々の世代がしばしばされてきたように、頭ごなしに押さえつけるようなことはしないようにしたいと思っている。 

 

 

・伊藤計劃という夭逝のSF作家によるハーモニーという作品があるのですが、 

その中では、人の心にある葛藤を奪うと自我が根本から消滅し、 

未来では最終的に個人という在り方としては人類は消滅します。 

 

作品中では自我が消滅することを否定も肯定もしてません。SFですし。 

でも読んだ人のだいたいは、この作品はディストピアの一つの形を描いて 

いると感じたはずです。 

 

デオドラント化は葛藤(衝突)からの救済です。 

でもそれってつまりディストピアだよねっていう話です。 

ディストピア上等という意見は私は否定しません。 

 

ま、このような 

「最近変だよ、このままだと世界どうなっちゃうの?」 

ってテーマは、何百年も前から手を変え品を変え、 

言われ続けてるんでしょうけどね。 

 

 

・私が思うに、今の日本は教育の失敗などにより、我慢のできない人が増えたと感じている。 

叩かれずにめんこめんこで可愛がられ、好きなことを伸ばさせるために好きなことだけやらせ、当人はやりたくないことは我慢できないから仕事に就けず、就いても継続が困難。 

ニートやヒモ、引きこもりが増加して、労働生産性も下がっているだろう。なんとか普通に働き、人並みに我慢して、多少いやな思いをしても生きるためにお金を手に入れてほしいと思う。 

これは前提であり、それすらできない、やらないでは、引きこもりやニート、ヒモになってしまうかと思う。 

向上心を持ち、幸せになるために努力すべきだと感じる。 

考えるより動かないといつまでも幸せにはなれないし、チャンスは訪れないかと思うのです。 

別にどの世代でも言えることだし、一概にこの世代はと一括りにはしませんが、思ったことを率直に。 

 

 

・どうしろと、 

昔のように消耗品のように扱うのが正解なのかね。 

君の代わりはいくらでもいるとか、イヤならやめろとか、先輩の様子を見て自分で習得しろ(教えない)とか。 

経済成長はしないまま、そういう成熟した保守的な人がいすぎたせいで、日本が衰退した。何も新しいものを生み出せないまま。そういうものにやんわりとNOを突きつけられてるようにも思う。「昔は良かった」などとネガティブ感情を産んでいることに気が付かないのでしょうか。 

事実は事実としてちゃんと受け止める、そこからしか良い未来は描けないではないでしょうから。 

 

 

 

・就職氷河期世代は上に合わせる事で生きてきた人が多い。対策主義、適応主義なんですよ。だから対応本が売れる。新人類とかいってた時代ではあり得ないことです。 

 

実は「新人類論」の内容と「Z世代論」の内容は本質的にはほぼ同じです。言葉が多少違うだけで、いってることは全く同じ。紀元前から続く「最近の若者」論に過ぎません。 

 

ところが、それに対する対策だけは大きく異なっていて、新人類論が「指導」「たたき直す」に対してZ世代論は「共感」「適応」に立脚しています。 

 

その対応の違いを分けているのは単なる市場原理上の都合でしょう。もし人手不足でなければ指導してたたき直す本が売れていたはずです。 

 

 

・Z世代は、小学校卒業あたりからYouTube視聴やSNSなどのツールを使いこなして良くも悪くも幅広く影響を受けたり情報共有が出来る環境で育っているので、昭和を生きてきた団塊ジュニア世代の言うことは聞かなくなっている人が多くなりましたね。団塊ジュニアが汗水流して経験してきたことや、頭に入れた知識は簡単にググる時代になったから団塊ジュニアもそれに合わせると言うか、合わせるのが楽になったんです。今のZ世代と仕事したらわかりますが、ゆとり世代とは比較にならない程、仕事出来る人が多いしポジティブ思考です。教わることも沢山あります。 僕は、Z世代が導く世界は明るい未来になると予想しています。 

 

 

・若者が持て囃されるのにはいくつか理由があって 

・少子化の為、学校や企業側が確保のために競争している 

・ライフステージの変化があり、それに伴う消費活動が 

 上の年代と比べて活発な分、経済的なターゲットにされている。 

・インターネットの普及以降、変化が激しく過去の経験を安易に語れない。 

 積み上げてきたものは有るが表現を間違うと炎上する、 

 最新の状態や価値観を知っているのは若者の方 

 

思いつくだけでこんな感じじゃないかな。 

皆が若者の為にって動いていて、自分が若手じゃなくなったらどうすればいいのか分からない、と記事内にあったけど 

上記条件は下の世代でも続いてるしんだから、やっぱり自分たちも下の世代の為にってやるんじゃないのかな。 

 

就職氷河期世代なんかは人数は多いは不景気だわで 

「上の求める水準まで自力で来い、そうしたら使ってやる」って世界だったけど、今はそういう訳にはいかないからね 

 

 

・Z世代でもα世代でも上の世代をなんとも思わない 

それどころか自分達より下に見る 

そして自分達の気に入らないことはハラスメントとして攻撃する 

でも自分達に返って来た時には弱い 

対面での話し合いが出来ないからキレる 

そして他人を頼る 

他人が入って来るのは良い事ばかりでは無い 

話し合いすら出来ないなら放って置くか合わせるかのどちらかしか無い 

でも放っておいて無茶をされても困る 

だから自然に合わせるようになる 

合わせなければやっていけない 

 

 

・私は就職氷河期世代ですが… 

バブルを味わった世代の、根性論だけで効率の悪いやり方のほうが合いません。 

根性論ばかりで、現実を見ない世代が世の中を引っ張っているから景気が後退するのだと思っています。 

今の若い世代のほうが現実的で良いと思っています。 

 

 

・社会は基本的に参加者の総意が反映されるで、その時々で多数が良いと判断した方向に価値観が纏まって行くものだと思う。昨今はSDGs的な価値観に対する揺り戻しが来ているように思うし、その様は個人が人生を右往左往するように見える。 

なので、世代間の価値観の差を指摘したところであまり意味がないように思う。 

社会自体が数年単位で「あっちに行ってみたり、こっちに行ってみたり」してるから。 

 

 

・成熟という価値観を喪った→要するに資本主義が行き過ぎたからだ。若さは、容姿や知的能力などと同様、金もしくは、金になる可能性の高い属性が頂点に君臨する、資本主義的世界観においては価値が高いのだ。しかし、そんな世界観は色々あるうちのほんの一つにすぎない。年をとったらいろんな世界観に身を置くことが必要だ。 

 

 

・どっちに合わせるとかいう0か100の話ではない。大人は若い世代の新しい風を取り入れ、若い世代は大人から社会を学ぶ必要がある。どこまでを取り入れるかという取捨選択は難しい問題だが、そこを摺り合わせていくしか方法はない。 

 

 

・大人が若者に合わせるという言葉は大人が若者のことを考えて行動した結果に感じるけど、そうではなくて 

 

大人、特に中高年が大人をやらなくなった。子供みたいな大人が増えた。彼らは若者が生きやすいように合わせているわけではなくて、身勝手に生きることを選択しているだけ。 

 

わかりやすいのが政治。最近の政治家の看板に貼られたポスターの件とかわかりやすい。アイツら40、50の奴らだよ。中高年があれ。子供がやるような行動を理屈捏ねて意味合いつけているだけ。 

 

合わせているのではなくて、大人が子供化した。 

 

 

・結局は未熟な大人が多いせいだろう。 

若者に物事を強く言えない大人も。 

実はそんな大人は昔から多くいた。 

若者vs年長者の構図も昔からあった。 

それが今顕著になったように感じるのはSNSの普及とマスコミの誘導による。 

これまでは個人間で済んでた話が、さも一般例のように世の中に出回る。 

そしてこうしたら若者に嫌われる、マルハラなどの○○ハラスメントなど、マスコミが躍起になって煽った結果、自分に自信を持てない大人達が若者に媚びるようになり、しかし裏ではSNSを使い若者を一括りにして過剰なまでに批判する。 

そこに建設的なものなど何もない。 

 

そうなった本当の根っこにある原因は日本の教育にあると感じる。 

若者に強く言えないのは自己肯定感の低さ、自信の無さからきている。 

集団行動や規律にばかり重きをおく教育、個人の成熟ではなく集団としての成熟を目指した結果である。 

起こるべくして起きている現象である。 

 

 

 

・社会がデオドラント化されたとか言うが、なら昭和のセクハラパワハラが当然の社会が良かったのか?氷河期世代が就活してた時代みたいに圧迫面接も問題にされない社会が良いとでも感じているんだろうか? 

あ、そりゃ年長者からしたらそうだよね。何の配慮もせずに威張れるもんね。 

 

 

・現状に批判的なことはわかるけど、改善策は無いようなので、社会のデオドラント化は今後も進んでくんだろう。 

 

自分としては、若者という存在そのものが不思議だな。彼らはなぜ「若者らしく」生きてるんだろう。いや、逆か。 

自分は昔から、集団生活になじめない落伍者であるがゆえの「大勢に逆らいたがる」性格だったので、自分が若者の時は若者らしさに反発して老成に憧れ体制側の見解にすり寄ってたし、大人になった今は大人らしさに反発して幼稚に生きてる。 

「若者らしさ」とは「他人と同じでありたくない」のはずだけど、じゃあなぜZ世代は(そして昔の若者も)結局、みな同じ感じに見えてしまうんだろう。 

今はSDGsとポリコレがファッションなんだから、「若者らしく」それに反発しようとは思わないのかな。昔の若者も、当時は(今も)「大人に反発する」がファッションだったんだから、「じゃあ俺は大人に媚びよう」とは考えなかったのかな。 

 

 

・Z世代については、世界的に人口のボリュームが大きいから市場開拓する意味で注目されていたんだよね。 

 

日本の場合は人口が少ないんだけど、少子化で労働力が不足していくから大切に扱われる意味で注目される。 

 

「合わせる」については、単にメディアが分断を煽るネタで一部の話を全体化させてるだけでしょ? 

 

 

・先ずは年上の人間の心の余裕。 

世代間ギャップはいつの時代もあったのだから、媚を売らず無視.威圧しないで、ジジイ扱いされるのを楽しんで会話すれば人間としてコミュニティ出来る。 

 

 

・スマホなんて持った年齢で無く出た年度。使用時間の経験は若い者に軍配が上がる。 

昔ながらの経験では伝えるで通るが、教わるから繋がるを覚えなければならない事情 

 

 

・なぜか女子高生が最先端でギャルの言う事が正しくてスタンダードだって毎日毎日ゴシップメディアが言い続けてるのに通じる問題だね 

ごく少数で流行ってる事が世界の潮流のごとく勘違いさせて、アホな大人が乗っかって廃れていく感じ 

 

 

・大人は若者に若者は大人に合わせてないか。 

忖度しろ、空気読め、皆我慢してるから我慢しろ、わがまま言うな、見て見ぬふりしろって、学校でも会社でも言われてるからな。その結果が、ジャニーズ、宝塚、トヨタ、ダイハツ、ビッグモーター、損保、日大、旭川のの中学、その他ほとんどの組織やな。 

大人にも若者にも、心理的安全性が担保されてない。そら合わせる。そら、これおかしいやろ、言えん。 

家庭、学校、会社、どこでも、心理的安全性は必要や。物事の本質に迫る事ができんよ。 

 

 

・メディアやインフルエンサーや転職サイトが 

「Z世代こそイノベーションを起こす」みたいな宣伝をした 

 

バカな他の世代が信じ込みZ世代の考え方や行動を理解しようと 

必死に常識をアップデートした 

 

で、Z世代はそれを見てさらに調子にのった 

メディアやインフルエンサーは視聴を稼ぐために 

Z世代に耳障りがいいことを言うので、さらに調子にのってしまった 

 

コロナ明けZ世代が社会に出てきて企業は驚愕した 

「人手は欲しいが足手まといはいらない」 

「ゆとり世代が頼もしく見える」 

「ゼットでなくてZ(ジード)世代」等々 

 

イノベーションなど程遠いし、破壊と創造など絵空事 

破壊と荒廃しか生まない人材でした 

企業側人事はZ世代のヤバさに気づき中途採用に切り替えている 

 

インフルエンサーや転職サイトは 

Z世代を調子にのせ、世間はZ奇行に踊らさせることで 

ボロもうけ 

 

でもZブームは終わる 

次はZ叩きが視聴を稼ぐかも 

 

 

・合わせてなんかないけど強制もしない。それぞれの世代にそれぞれの価値観、それぞれの課題、それぞれの生き方。当たり前だと思うけど。業務上必要であれば要請はするけど、それまでの話でしょ。 

 

 

・ひねくれたコメントも多いですが、今の若者は別に歳上を下に見ているのではなく目線がフラットなんですよ。 

リスペクトできる人にはちゃんとリスペクトして従います。一方でそれに値しない人には舌を出します。 

先輩ブースト頼りだった人には、イタいかもしれませんね。 

 

 

 

・そもそも、その世代が文化を成熟させようという気がなかったらからだろう。伝統芸能を古いと攻撃の対象とし、かつワイワイウェイウェイするものばかり増やしてきた。 

 

 

・世代人口が減ってるからです。 

 

人口が減れば、それだけ人を選べなくなります。嫌でもしきい値を下げ、低い水準の人材を育てる工夫をしなきゃならない。今の世代が崩壊したら日本社会は壊滅ですから。 

 

 

・中年の僕からすると、今から、努力しないで、自身の余暇や家族サービスを中心にしすぎる生活や出世しなくていいという考え方になると、40後半から50以上で、お荷物社員と呼ばれるようになるよ、と言いたい。 

 

 

・昔、学問や論理は真実ではない。ただそれっぽく言える、矛盾をあまり感じないというだけで正しいかどうかは分からないって言ってた人いた。特に文系や心理学は。 

 

 

・理不尽な押さえつけと、厳しい有益な指導とを、全て混同してしまった。日本の一方向に極端に反省する悪い癖。 

詰め込み教育がダメだから、ゆとり教育へ、みたいな。 

 

 

・どちらかと言うと、若者が年上に無理して合わせなくなったんじゃないかな? 

そうなると必然的に年下に合わせようとするしかないよね、年上は…とくに仕事だったら 

 

 

・若者に希望を見出すしかない社会と言うのが印象的。変に迎合するから余計悪化するのを大人が分かってない。 

 

 

・>なぜ大人は若者に「合わせる」ようになったのか 

 

 

ソレが本当か嘘かは知らんが・・・ 

 

歳上が気に入らなければ老害と蔑み 

じゃぁ好きにヤってみろと任せたら 

基礎も儘ならない若者は上手にできない 

 

終いにゃ 

『知らないんだからしょ〜がない』 

と開き直る 

 

 

もちろん 

目上を敬う事を知ってる若者もいるがな 

 

 

まぁ 

老害扱いした奴を気にかけてやる義務も無い 

好きにしたらイイさwww 

 

私だって若い頃には先輩に大口叩いた事もあった 

 

もちろん 

努力もソレナリにしたケドな 

 

今の若者には意地すらも感じない 

 

私が欲しいモノだけ与えろ 

って横柄な奴が増えたカンジ 

 

 

・認めようか。日本は教育に大失敗したんだ。 

打っても響かない若者に、労力を費やしてもコスパが悪いことに気が付いたんだな 

 

 

・別に昔からそういう層はいるだろ 

優秀な層とそうでない層の能力差が広がって後者の人数が増えつつあるってだけや 

 

 

 

・いつの時代も大人が若者を利用しようとする。ただ今のz世代の持ち上げは大人の媚びへつらいが感じられ気持ち悪い。 

 

 

・親を観て子は育つ。バブル崩壊後に育ったしっかり者たち。頼む。 

 

 

・まあライトに褒めておけば面倒くさくないから扱いやすい。 

 

 

・需給問題でしょ。子供産まれないもん、仕方ないやん。 

 

 

・マジョリティから個人主義に移行しただけのこと。 

 

 

・若者に迎合する必要はどこにもない! 

 

 

・最近の若者は…の繰り返しで笑う。 

 

 

・メディアのせいでしょ 

 

 

・そういう風にマスコミが仕組んでるからだろ 

 

 

・長い! 

 

 

 

・懐古主義って感じ 

 

 

・Z世代論もLGBTQも氷河期世代も全部金儲けの搾取に利用されているだけ。 

そもそも性に寛容な日本文化と同性愛者というだけで処刑された欧米では 

文化的素養が違うのに海外のLGBTQ論をダイレクトに持ち込むなど 

あまりにも社会文化的考察のない無学の極み。 

とにかく責任者らが考えない。目先の自分の責任を回避すればいい。 

そんな保身のために利用できる衆愚はとことん愚かなままでいてもらい 

低俗なコメンテーターに憤慨し続けてくれて搾取され続けて欲しいだけ。 

誰も大衆に勉強しようと呼び掛けない。賢くなろうと呼び掛けない。 

 

 

・あの件どうした。 

どの件ですか?と聞き返したら昔の新入社員向けの、会社についての本でこれでは怒られて当たり前。 

できなくても言い方に気を付けてやる気を見せて、分からない事を誤魔化せと言った内容が書かれていた。 

こんな人達に合わせる事が正しい訳がない。 

この様な事を求めていた世代は老害と呼ばれ、定年後離婚されたり、クレーマーになったりしている。 

体育会系の上下関係の学生気分を会社に持ち込んで長年続けておかしくなって、定年後まともに生きていきなくなるやり方は潰して正解です。 

 

 

・「ソフト老害」などという言葉は、若者に合わせますと宣言する言葉の最たるものです。 

若者の価値観と合わない意見を表明すると社会から袋叩きですから、中年は合わせるしか生きる術が無いのです。 

若者は自分達が少子化による希少種であると自覚しています。 

こんな社会からは離脱したいですね。 

 

 

・Z世代は、関わって欲しくないタイプの集合体 

 

だから放置するのが一番 

挨拶すら嫌がるし、昭和・平成世代を「クソうぜえ、コイツら」なんだから、無理して関わらなくて良い 

 

そういう生き方を選んでるんだから、困っててもサポートする必要はない 

 

 

・嫌な事はやらない、希薄な人間関係、考える力が無い、踏ん張りがきかない、薄っぺらなキャリア。あなた方が中高年になる頃もっと老害扱いされるでしょうね。 

 

 

 

 
 

IMAGE