( 185040 ) 2024/06/27 16:20:05 0 00 2つの教育困難校で指導した浜岡さんが見た光景とは※写真はイメージ(写真: izolabo / PIXTA)
「教育困難」を考える本連載。今回お話を伺った浜岡さん(仮名)は、関東にある偏差値40未満の教育困難校に勤める若手教員です。世間的には「学力が低い」「不良が多くて荒れている」「授業が成立しない」といったイメージのある学校は、若手教員から見てどう映っているのでしょうか。自身も15年前に「教育困難」校を卒業した濱井正吾氏が、教育困難校の実情について伺いました。 浜岡さん(仮名)は、偏差値40未満の教育困難校に勤務しています。それ以前にも別の教育困難校で勤務した経験がある浜岡さん。大学を卒業してから10年以内の若手教師は、2つの高校での指導を経験したことで、教育困難校にどのような印象を抱いたのでしょうか。教育困難校で働く教員の1事例を見ていきます。
1年で1割退学「崩壊する都内底辺校」の教育現場
■教師を目指したきっかけ
浜岡さんは小学校の頃にいじめに遭い、不登校になった経験があります。高校生まで学校でのいい思い出はまったくなかったそうで、友達は1人もいませんでした。
「私は、高校まで、人とうまくコミュニケーションを取れませんでした。例えば、高校のときにクラスで隣の生徒に『おはよう!』と挨拶されても、それをうまく返せなかったんです。
今までいじめられてきたので、人に対する恐怖感があり、相手にどう返せばいいのかを変に考えてしまいフリーズしてしまっていました。そのような経験があったため、自分を周囲に受け入れてもらえないし、受け入れてもらえたこともない、という感覚で生きていました」
「集団の中で生きるのに、とても苦労してきた」と過去の自分を語る浜岡さん。彼が教員を志した理由は、自分自身の苦しい経験と、大学での仲間や指導教授との出会いからでした。
「人間関係で苦労してきたので、自分のような思いをしている生徒がいれば、受け入れてあげたい、力になってあげたいと思いました。
そういう想いもあり、教員を目指していたのですが、大学3年生のときに行った中学校での教育実習で、人前でうまく話すことができませんでした。
勤務先の教員に囲まれて『お前は教員に向いてない、学部を変えたほうがいい』と言われ、自分が今まで学校集団の中で排除されてきた経験を思い出して、トラウマになってしまいました。
そのため、教員免許だけ取得して、教員になるのは諦めようと一度は思いました。でも4年生になってから一緒に授業を受けていた仲間と、指導してくださった先生が、私がいくら失敗しても、どんなときもやさしく受け入れてくれたので、自分が今まで経験した環境がすべてではないし、少し失敗しただけで説教されるような環境はおかしいと気づけました。それで教員採用試験を目前に控えた時期にもう一度、頑張って教員を目指そうと思えたのです」
「自分がかつてたくさん失敗しても、支えてもらって立ち直れたように、生徒が失敗しても挑戦し続けられるような環境を整えたい」と考えた浜岡さん。
ところが彼がこう意気込んで新卒で赴任した高校は、偏差値38のいわゆる「底辺高校」でした。
■授業中に奇声を上げながら走り回る生徒
「最初の頃はとにかく大変でした。僕のクラスではありませんが、別のクラスの窓ガラスが割れたこともありましたし、授業中に『ウォ―――!』と奇声を上げながら走り回っている生徒がいる学年もあって、授業自体が成り立たないこともしばしばありました。
この当時は勤務先の近くの中学校も荒れており、地域全体の教育環境が整っていなかったこともあるのかもしれませんが、いちばん大きな要因は、担任を持った学年の生徒40人のうち、20人程度が母子家庭・父子家庭であり、苦しい環境で育ってきたことと関係があるかもしれません」
彼らのそうした行動の数々は、複雑な家庭環境で育ったことが原因であり、悪意がないものであったことも後々わかったそうです。
「生徒と関わっていくうちに、彼ら・彼女たちは私たちを試しているのだと思いました。彼らの多くは、今まで大人に信用されてこなかった過去があったようです。
先ほど、母子家庭・父子家庭だった生徒が多いとお伝えしましたが、彼らは親から無関心に扱われてきたケースが多いように感じました。
子どもが悪いことをしても、叱らずに放置しているのです。実は叱るというのは、親が子どもに関心がある証拠なんですね。
ですが、彼ら・彼女たちの親は仕事が忙しすぎて、子どもが何をしてもどうでもいいという態度をとってしまっていたようです。そのため『(大人に)俺の存在を見てほしい!』という欲求が、ガラスを割ったり、奇声を上げたりといった行動につながっていたのだと考えました」
大人から関心を持たれずに、信用されてこなかった過去を持った子どもたち。そのため、昨日言ったことと、今日言ったことが違う教員に対しては、「こいつも今まで会ってきた大人と同じか」と反抗する行動を取り、心を閉ざしてしまっていたようです。
■生徒のことをちゃんと叱る
しかし浜岡さんは、「見下されていると感じたら、すぐに離れていく」彼らの信用を得るための努力を続けていました。
そのために必要なことは、「ちゃんと生徒のことを叱り続けること」でした。生徒に向き合い続け、根気強い指導を続けた浜岡さんの頑張りが報われた、忘れられないエピソードもあるようです。
「かつて指導した2人の女子生徒の話です。彼女たちはギャルのような風貌で、最初は僕が挨拶しても返してこず、無視して歩きスマホをしていました。
彼女たちはいつも上履きのかかとを折っていたので、会うたびに『かかとを折らないように!』と注意し続けていたんです。1年間、ずっと言い続けていたのですが、ある日、2人が私の前で立ち止まって、『先生、今まで叱ってくれてありがとうございました』と言ってくれたことがありました。
びっくりしたのですが、彼女たちの足元を見ると、初めてかかとを折らず、ちゃんと上履きを履いていたのです。彼女たちは続けて、『先生に言われていたことの大切さが、今になってわかりました。だからこれから、先生に叱っていただいたことを大切にしていこうと思います』と言ってくれました。嬉しかったですね。今のご時世、生徒に叱るというのは勇気がいりますが、内心、叱ってほしいと思っている子もいるのだなと改めて感じました」
「一度彼らからの信用を得られると、多くの子は、豊かなコミュニケーション能力を持っていて、真剣に頑張っている子たちなのだと気づけるようになりました」と当時を振り返った浜岡さん。
一方で、こうした指導の日々の多くは、「生徒が反抗する気持ちもわかるからこそ、メンタル的にも大変だったし、自分自身も傷つく部分がありました」とそのつらさを話してくれました。
勤務年数を重ねていくと、膨大な業務を抱えて時間がない中で、いじめにつながらないよう、生徒との相談の時間をどう確保するか、といった悩みを抱えるようになります。
学級崩壊にもならないよう、頭を悩ませる日々の中で気づいたのが、「教員も生徒のことを信じること」「生徒を見下さないこと」の2点でした。
■生徒の意見をまずは聞くよう心がけた
「教員は生徒たちが学校の授業を素直に聞くものだと思い込み、生徒にも聞くことを求めます。しかし、教員が自分たちの主張を通すだけの姿勢は生徒にも伝わるのです。だからこそ私は、『まず与える』ことを心がけました。
例えば、生徒が問題行動を起こしたときに1対1で面談をするのですが、1回は生徒の意見がたとえ間違っていても、受け入れたうえで話を聞くようにしたのです。一方的に、抑えつけられて指導されてきた子が多かったので、人格を肯定し、話を聞いてあげる機会を設けるようにしました。
彼らは普段、溜まっていることがたくさんあるけど、相談できる大人が周りにいないのです。相手を尊重しつつ、僕自身が大事に思っていることを伝えたら、『教員とこんなに真剣に話ができると思わなかった』と言われたことが結構ありました。
お互いに自分の考えを伝えるだけで、『コミュ力高いっすね! 先生!』と言ってもらえるので、今まで学生時代に人と話せなかった自分自身を思い出すと不思議な気持ちがします。そうした姿勢を続けていると、生徒も教員の話を聞くようになってくれます」
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