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作文は「理系だと苦手」「文系が得意」という大誤解 算数が得意な子は大概「作文もうまい」納得理由

東洋経済オンライン 6/29(土) 10:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/62a2cac9b4459f2558f818d21a636c1bbe521a0c

 

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文系は作文が得意で理系は作文が苦手というのは間違っているという。

2浪、偏差値35から東大合格した西岡壱誠氏は、算数からやり直して東大受験に成功し、「算数の考え方は思考の武器であり、人生や仕事に大きな影響を与える」と語る。

数学を勉強することで作文力が向上する例もあり、算数や数学は論理的思考と関連がある。

具体的には、数学的思考は同じ値を整理していくことであり、文章や物事のつながりを論理的に説明する力を養う。

西岡氏の話や具体例を交えながら、数学的思考が論理的思考を鍛える重要性を説明している。

数学で学ぶ「必要条件と十分条件」なども、論理的考え方に繋がると述べられている。

(要約)

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文系だから作文が得意、理系だから作文は苦手――実は、そんなことはまったくない、といいます(画像:Graphs/PIXTA) 

 

「算数から勉強をやり直して、どうにか東大に入れた今になって感じるのは、『こんなに世界が違って見えるようになる勉強はほかにない』ということです」 

そう語るのが、2浪、偏差値35から奇跡の東大合格を果たした西岡壱誠氏。東大受験を決めたとき「小学校の算数」からやり直したという西岡氏は、こう語ります。 

「算数の考え方は、『思考の武器』として、その後の人生でも使えるものです。算数や数学の問題で使えるだけでなく、あらゆる勉強に、仕事に、人生に、大きくつながるものなのです」 

 

【書籍】「1/3で割る」の意味、わかりますか? 小学校の算数がわかれば、数字にあふれたこの世界がまったく違って見えてきます。 

 

そんな「思考の武器」を解説した43万部突破シリーズの最新刊、『「数字のセンス」と「地頭力」がいっきに身につく 東大算数』が刊行されました。 

 

ここでは、「算数や数学」が「論理的な思考」とどのような関係があるのか、解説してもらいます。 

 

■「算数と文章」の意外なつながり 

 

 みなさんは、文系と理系、どっちのほうが作文が得意だと思いますか?  おそらく多くの人が「文系だ」と答えると思いますが、実は数学をきちんと勉強している人ほど、作文が得意な場合が多いのです。 

 

 これは、僕以外にも、かなりいろんな人が言っている話です。例えば以前、僕が大手予備校で大学受験生に国語を教えているトップ講師の方に話を聞いたところ、こんなことを言っていました。 

 

 「自分は国語を教えていて、生徒の大半は文系だ。当然ながら、その生徒が数学の勉強をどれくらいやってきたのか、受験科目として数学を使おうとしているのかどうかは、わからないままで指導している。 

 

 それなのにもかかわらず、その生徒が書いてきた国語の答案の文章を見ると、大体『あ、この生徒は数学の勉強をきちんとしているな』『この生徒は数学をやっていないな』というのは一目瞭然なんだ。それくらい、数学は、思考の仕方や文章の書き方に多大な影響を与える」と。 

 

 すごい話ですよね。「なんで算数や数学ができる人かそうでない人なのかが、国語の文章に表れるんだ?」と僕は不思議に思いました。でも、それからしばらくして東大の文系受験生に指導している際、「あ、こういうことか!」というのがわかったのです。 

 

 実例を交えたほうがわかりやすいと思うので、こちらの文章をご覧ください。これは、数学を勉強していない生徒の回答です。
 

 

「1582年に本能寺の変が起こったことで、豊臣秀吉が天下を取ることとなった」
 

 

 

「フランス革命の結果、ナポレオンが皇帝になった」 

 どうでしょうか?  みなさんはこの文に違和感を持つでしょうか?  持たないでしょうか?  

 

■「=」の関係性を意識できるか 

 

 まず、どちらの文も、「完全な間違い」とは言い難いです。1582年に本能寺の変が起こったのは事実ですし、その後、豊臣秀吉が天下を取ったのも事実です。フランス革命後、ナポレオンが台頭し、そして皇帝になったのも事実です。 

 

 でも、これらの文章に違和感を覚えた人も多いと思います。きっとその人は、「=」の関係性を理解している人なのではないかと思います。 

 

 算数や数学は「=」を積み重ねて答えを出していくという科目です。 

 

30×4+12 

=120+12 

=132 

 と、最初の式と同値な内容で変形させて、答えに近付けていきます。逆に言えば、「=」で結べない内容に関しては、違う式で整理します。「=」とは、同じ値の整理だからです。 

 

 このように、同じ値を整理していくことを繰り返すのが数学的思考の特徴です。 

 

 では、その視点で先程の文章を読んでみましょう。 

 

 「本能寺の変が起こった」=「豊臣秀吉が天下を取る」でしょうか?  違いますよね。「本能寺の変が起こった」ことで、「明智光秀が織田信長を討った」。そして、「明智光秀を、豊臣秀吉が討った」ことで、「豊臣秀吉が次の天下人になった」んですよね。 

 

 それを、「本能寺の変が起こった」=「豊臣秀吉が天下を取る」としてしまっているわけです、これでは文として説明不十分と言わざるを得ません。 

 

 「フランス革命」=「ナポレオンが皇帝になった」わけではなく、「フランス革命の結果発生した諸外国との戦争で活躍したナポレオンが、その後、皇帝になった」という話です。それを、「=」で結ぶのは実態と大きくズレているのです。 

 

 文章を作るとき、あるいは物事を思考するとき、前後のつながりをしっかりと理解できていることが大切です。「AだからB、BだからC」という思考を繰り返して、「つまり、AだからC」というように頭の中を整理していくわけです。 

 

 

 そして、この「だから」の部分を学ぶのが算数・数学という科目です。 

 

 それなのに、最初から「AだからC」、またはもっと飛ばして「AだからZ」などと考えていると、頭の中がごちゃごちゃしてしまって、整理できないのです。 

 

 数学的な思考の重要性は、1つひとつの物事を「=」で整理する習慣が付くところにあります。これが、論理的な説明をするために必要なのです。 

 

 「論理的」とは「論理の法則に則っていること」ですね。そして論理とは、「AだからB」「BだからC」……という繋がりを理解することです。だからこそ、数学的な思考を鍛えるというのは、論理的な思考を鍛えることにつながる部分があるのです。 

 

■「必要条件と十分条件」は論理的な思考の第一歩 

 

 ちなみにこのような「2つの事象の関係性」について、高校の数学ⅠAでは真っ先に教えてくれます。「必要条件と十分条件」という話を覚えていますか?  これは、AとBという2者の関係性が、必要なのか十分なのかということを指します。 

 

 教科書には大抵、こんな感じで書いてあります。 

 

2つの条件p, qについて、命題「pならばq」が成り立つ時、pはqの十分条件、qはpの必要条件である。 

 

 具体例として、「冷奴」で考えてみましょう。目の前になにかの料理があります。もし、この料理が冷奴であれば、その料理は豆腐料理ですよね。 

 

 つまり、「冷奴 ならば 豆腐料理」が成り立ちます。 

 

 さて、目の前の料理が豆腐料理かどうかを判別したいとします。このとき、その料理が冷奴であれば、その料理が豆腐料理であることを十分保証してくれます。このことから、「冷奴」であることは、「豆腐料理」であることの十分条件だとわかります。 

 

 逆に、目の前の料理が冷奴かどうかを判別したいとします。このとき、その料理が冷奴なのか麻婆豆腐なのか味噌汁なのかはわかりませんが、少なくとも豆腐料理であることが必要です。このことから、「豆腐料理」であることは、「冷奴」であることの必要条件だとわかります。 

 

 こうしたことを勉強していると、「AならばB」という2つの関係性、つまりは「論理的な考え方」に繋がっていくのです。 

 

 「数学なんて勉強しても、なんの意味もない」「どうせ計算とか数字にちょっと強くなれる程度だろ?」と考える人も多いかもしれません。 

 

 でも、計算や数字を扱う部分以外のところで、論理的に物事を考え、論理的に説明する力が鍛えられるというメリットもあるのです。みなさんぜひ、参考にしてみてください。 

 

西岡 壱誠 :現役東大生・ドラゴン桜2編集担当 

 

 

( 185734 )  2024/06/29 16:52:11  
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(まとめ) 

コメントを読むと、論理的思考力と文章力の関連性が強調されており、数学力や論理構造が文章力に影響を与えるという意見が多く見られます。

一方で、文系・理系の区分けが学力や能力を決めるわけではないという指摘もありました。

また、歴史の知識や文章の構成も重要視され、感情を交えた文と論理的な文の違いに触れるコメントもありました。

学問へのアプローチ方法や才能、そして論理的思考力の習得の重要性が議論されていました。

( 185736 )  2024/06/29 16:52:11  
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・なるほど、確かにその通りだと思う。いろんな人のコメントを見ていても話の流れから筋が通っているかどうか?その理論が成り立っているかに注目する人と、流れの筋には関係なく出てきたワードに反応する人がいる。人に物事を伝える時やビジネスでは前者のが良いと思う。後者は言葉の響きに大きく感情が動かされる感情的な人。詩人や芸術家タイプなのかもしれない。タイプとしてはどちらが良い悪いは無いが、ビジネスやコミュニケーションでは論理立てて伝える事が大切なので数学を学ぶ事は重要ですね。 

 

 

・まぁ国語も論理的思考が必要だし、作文は足したり引いたりして完成するものだからね。 

しかし、算数が得意だからというより、バランスが取れていて、頭の中の整理の仕方がうまいかどうかが大切なんじゃないかな。 

それが文系には出来ない、というわけではないし、算数が出来るから得意、というわけでもない。ただ、算数も特には苦手としないバランスの取れた人が知識、経験を伴い、語彙力、想像力をも高めると良い文章が書けるということ。 

結局、どちらかだけではなく、文理融合した人材を育てていくべきだってことだよね。 

 

 

・東大など高偏差値の大学入試の国語は論理要素が強くなるので、数学の強さとの相関がそれなりに高いと思います。 

ただ、公立の中学であれば国語の論理要素が弱く、また中学の国語教員は、数学が苦手な人の割合がそれなりに高いので、そこでの評価と数学力の相関はそこまで高くならない可能性もあると思います。 

 

 

・自分は高校時代、作文·現国は一学年600人くらいいる中でトップ10クラスだったが、数学や物理は赤点スレスレだった(周りが優秀過ぎるのもあったが)。ただ、証明問題だけはまあまあ得意だったように思う。説得力のある文章は確かに論理的思考力がないと書けないでしょう。 

矢野健太郎やファインマンなど数学物理学者の中にも面白い著作がある人もいるし、ベストセラー作家の東野圭吾は工学部出身だ。理系だから文章が書けないということはないでしょう。ただ、論理的思考力は数学力の一要素でしかないので、それができても「=数学が得意」とはならないのが現実。そして理系でも文系でも文章の下手な人は当然いる。 

 

 

・国語で作者の考えを問われている時に必要なのは、想像力というよりも、書かれていることから抜き出す力。書かれてもいないのに勝手に想像したものは、作者の考えでなく自分の考えである。両者が偶然一致する場合もあるが。 

 

書かれていることを理解して、それを根拠にする(抜き出す)。書かれていることの中でも、実際に起きたことという「事実」と作者が考えたことという「主観」の区別も必要だと思います。それらについての理解力がなければ論理的思考は成り立ちません。数学はもともと論理的思考を学ぶ学問。想像力や主観を根拠に証明は成り立ちませんよね。そういう理解力や区別の無い人に、ヤフコメで絡まれることは多いです。それが無いから絡んでしまうのでしょうが。迷惑。 

 

 

・文系・理系で例えられることが分かりやすいからよく耳にするけれど(私自身も例えて使う)、この記事の例えで出された秀吉もナポレオンの文章もどちらもプロセスを端折らず自身でふまえることが出来るかということ。ただしそのまま鵜呑みにすると違和感しかない。 

数学でいう必要な数式の途中を省略して=(イコール)で結んでしまうと何が何やら分からないままだけれど、その間に踏んでるプロセスが実は存在しているようなもの。 

そうやって頭の回転の速い人ほど端折られたものを導き出し、もっというとプロセスを多く使わずに=(イコール)がより速くはじき出せるということにつながる。文章の構成の仕方を知っている人は文系でなく理系に強い人であろうとうまく書けるでしょうね。 

 

 

・必要条件と十分条件に関しては、逆に覚えている方が多いですよね。日常会話では十分条件という言葉はほとんど使われません。そして、pならばqのpを必要条件と言ってしまうことが圧倒的に多いです。sならばqとかtならばqの可能性に思いが至らない。悪質なのは議論において意図的に、現実として言えることはpならばqに過ぎないのに、勝手にqならばpとも仮定してpを必要十分条件と思わせる手口です。 

 

どんなことでも数学的論理的に思考することは大切です。文系理系という無意味なジャンル分け以前の、良識人として持ち合わせるべき素養です。 

 

 

・論理的に説明できる力は大切。ただし論理では説明できないものがあることもまた事実。 

人の感情や行動には論理だけではうまく説明できないこと、 

エッセイや詩のほうがよっぽど上手に他人へ伝えられることもある。 

そしてそれはとても大切なことだと、思う。 

 

 

・入試の便宜上、理系文系に分かれるけど、社会に出たら理系も文系も真っ二つの世の中じゃないし、むしろそれぞれをうまく絡ませた思考が大事だと思う。 

聞くところによると、今は中学受験から理系文系を意識するらしいが、なんかもったいないと思う。 

 

 

・コレ滅茶苦茶。全然論理的じゃない。秀吉についての文章とその説明で構造が変わっている。またナポレオンについては過去の事実を書いているのであって完全に論理的だ。 

 

あと、文系って一体なんなんだ。文系でも理系でもない人がいるのか、それとも理系以外が文系なのか。 

 

上手な作文には何通りもあると思うが、その側面の一つに、演繹的か帰納的かということがある。どちらが上ということはない。演繹的というのは、理屈の積み重ねから思考を進めるやり方。理系的だと言われると思う。帰納的というのは、多くの経験から様々なことを見出すやり方。文理に関係なく優秀な人なら身についてることだ。 

 

大抵の場合、帰納的な、つまり経験的な能力で十分な文章を構築できる。演繹的なやり方は、文章そのものや作文過程など色々な側面でサポートする。 

 

書いたものを読んで読者がどう思うかというのは、主に経験的な知識になり、最低限その能力が必要だ。 

 

 

 

・「理系は作文が苦手」というのは,水準が低い大学・学部の場合だろう。私が大学在職中,ある理系学部入試では小論文を課していたが,その学部の知り合いによると,「まともな日本語が書けるかどうかのテストですよ」。 

 

理系出身の作家もいて,たとえば畑正憲はすぐれたエッセイを書いている。彼が自伝的作品に書いていたが,大学在学中に同期の大江健三郎(文学部)がデビューしたので作家志望がくじけた,と。だからエッセイに転向したのだろうか? 

 

この一件が象徴していると思えるのだが,理系人間に純文学は難しい。理系人間が慣れていない思考様式は,哲学のように思弁的に物事をとらえることだ。実存主義なんて言われても,よくわからない(笑)。どうしても実証的・実験的(自然観察をふくむ)になる。立脚するのが自然科学とその論法になる。 

 

なお,私も理系人間だ。論文執筆は業務であり,趣味ならエッセイや啓蒙書を書くほうが好きだ。 

 

 

・算数が得意であれば国語が得意。大抵は。 

即ち、国語が得意でなければ算数は得意ではない。大抵は。 

算数が得意ならば、英語も、おそらく得意になりやすい。基本は論理的に構成されている。 

国語が苦手だから理系、は、選択として誤っている可能性が高い。 

 

国語が苦手だという理系の苦手な国語は多分、古文とか漢文みたいなものなのかな。 

ロジカルな思考では解決困難なものだから。 

 

あとは、論理で問題解決をすることに慣れていると、暗記の必要性が低く、暗記する忍耐を育てられないのかも。 

 

 

・理系も論文書きますからね。文系は「人間とは」「社会とは」を考える学問であり、理系は「自然とは」「物質とは」を考える学問です。どちらも作文するし、数学を使う。論理は主に数学で養い、文章力に活かされます。 

 

 

・そもそもの話として、大学の学部文系理系を分けるのは日本特有らしいです。海外ではそもそも文系理系という分け方はあまりしないそうです。 

 では何故日本では分かれているか調べると、例えば官僚を養成するにあたり事務方を養成する学部が文系、技官を養成する学部が理系とされたという説や、大学において実験を伴う学部は器具や場所の準備が必要なため人数を絞る必要があったため、数学の出来不出来で文理を分けた、という説もあった。 

 仮に後者が事実なら、単に数学ができる人が理系なわけで、文系はそれより数学ができない人というだけになる。何となく、文理で平均年収に差がつくのも頷ける。因みに私は文系です。 

 

 

・算数のできる女子は国語もできます 

算数のできる男子は千差万別 

国語壊滅的な算数男子もかなりいます 

 

それと、そもそも作文のうまさが論理性であること自体がレベルが低い 

その上の表現力であったり、単語のチョイスであったり、響きの美しさであったり、それが適うことが作文のうまさではないのかな 

 

論理的な人は作文の合格点は取れるだろうけど、それを超えて上手い人なんて滅多にいない 

作家レベルだと算数や数学苦手な人の方が多いようにさえ思う 

 

 

・挙げられている文章の例は確かにプロセスを省略しすぎですが、それは数学を勉強しているかしていないかと言うより単に歴史の展開の過程を知らないか忘れているからそういう文章になっているのかも知れません。 

 

本能寺の変、秀吉の天下統一、フランス革命、ナポレオンの皇帝即位といった主要イベントだけスナップ写真のごとく丸暗記するような歴史認識をしていると、そういった文章が生み出されてしまうと思います。 

 

 

・わかるような、わからないような。 

能力のかたよりがなくて特に数学が得意な子は作文もうまいと思う。 

うちの子は数学に特化してて、数学はかなりできる。理系文系で分けたら誰がどう見ても理系。 

発達の偏りからくるもので、IQは高いけど察するのが苦手の典型の理系。 

読み取りや言語化が不得意で、ああいえばこういう的なスキルが低いので、ものはいいようでつないだり稼いだり、テーマや流れを計算して心に訴かけるような言葉を並べることが不得手。 

結果、作文苦手です。 

数学は好きながら文章題でひっかかりがちなので、この能力が欠けてると真の理系脳ではないってこと?と、真剣に考え込んでしまいました笑 

算数の得意苦手じゃなくて、説明するスコアが高い理系の子は作文も上手いってだけですよ。 

言語化、説明が低い理系もいるからね。 

 

 

・これ、よくわかる。 

自分自身が文系の大学卒だが、高校まで数学だけは好きだったから。 

他の科目は一夜漬けで試験を乗り切ったほどだけど、数学だけはクイズを解くような感じで面白かった。 

結果、偏差値55位の高校ではあったけど、上から5番目位の成績だったらしい。 

ただし、文章は上手くないんで、そこは自信ないが、昔からよく言われたのが説明や話がわかりやすいと。 

たぶん、数学的な論理が身についちゃってるんだろな。 

矛盾や穴が見える事も多い。 

だから頭いいと言われる。 

数学は役立つよ。 

苦じゃないなら、やった方がいい。 

 

 

・作文に文系も理系も関係ないと思いますよ。理系は論文というシステマチックな文章の書き方には慣れてるとは思いますが、そこに言葉の魅力、ハッとするような表現はまず無い。作文が得意とかとは違うと思う。自分が研究職に就いた新入社員の時に、提出した文章を見て上司が「君は文系なのか。報告書に文学的表現は不要。嫌いじゃないけどまず結論が先。」と言われた。 

 

 

・高校の時、国語は常に偏差値65〜70だったけど、数学は赤点で留年リーチ掛かったレベル(数学は模試受けてないから偏差値不明) 

 

そのことから、『数学が得意な人は作文も得意』は成り立つかもしれないが、『作文が得意な人は数学も得意』は成り立たないと思う。 

 

 

 

・>論理とは、「AだからB」「BだからC」…… 

>「必要条件と十分条件」は論理的な思考の第一歩 

 

そのはずなのだが、西岡さんの出身の大学の数学の授業でも、先生の説明で論理が飛んでいるのに、そこを考えて補完しないまま丸覚えして問題だけは正確に早く解けるように練習してテストをクリアしている学生が少なからずいると聞く。また、作文は説明能力だと思うが、グループワークで学生同士で問いかけてもずーっと沈黙、あるいは小さい声でぶつぶつ言って何を言っているかわからない。分かったというが、たずねてみると論理をあちこち飛ばして丸覚え。なのにテストで高得点を取り進学選択もクリアしていく。どこか間違っていないか。 

 

 

・・経験則や実績でものを語っているのか 

・規則/ルール、普遍的な物理でものを語っているのか 

 

このふたつを分けて物事の真偽を判断できればおおよそ正しい道を選べる気がする 

この判断には数学が必要と思ってる 

 

 

・文系特化型の才能を持つ人はもちろんいるけれど、理系教科が苦手で文系教科ならまだましだからという消極的な理由での文系も多いから、そういう人はそれほど能力は高くないよね。文系教科が苦手で理系に逃げるのってそんなにいないでしょ。文章書けなければレポートや論文まみれの理系で通用しないし。 

 

 

・この人の記事が1ヶ月前ぐらいから連載されているけど、以前の記事では例えがわかりにくく強引に結論に結びつけていた印象が強かった為、てっきり数学好きな人の文章はわかりにくいものなのかと思っていた。 

今日の記事では豆腐の例えはわかりやすかったけど、秀吉とナポレオンの例文は無理矢理感があり過ぎると思った。 

この人は文系の人がみんなそんな文章を書くとでも思っているんだろか。 

 

 

・数学できない人は文章も作るの下手な人は多いでしょ。 

数学は難しい定理を使いこなすことも大事だけど、根っこは物事を順序立てて考えること。 

 

テストの解答みたいな説明文はそれが大事。 

ただし、情緒的な文が書けるかは全く別の話だと思う。 

 

 

・文系理系というか、地頭だろう。もちろん全員が全員ではないが、マーチ以上に行った人なら文系でも中学時代の数学や理科は5か悪くても4、理系でも国語や英語は5か悪くても4だったはず。地頭が悪いと文系も理系もない。 

 

 

・>算数 

小学校の、だろ? 

あれは理系の学問じゃないと思うよ。関数さえ出てこない。 

 

算数はどちらかというと文系のアタマと親和性がよい。文字に意味があり、時間空間とは無関係だ。 

だからヘンに理系アタマがあると算数の問題は「解読」ができない。 

 

水がどーたらとか、具体的な物品が問題中に出てくるものは特にそう。 

抽象的な概念なのだが、具象のフリだけしている。 

そこが「解読」できるかどうかは文系のスキルだろう。 

 

そう、ちょうど運転免許の筆記試験が、ヘンに法規や実技の知識があると誤答するようなもの(笑) 

 

 

・そもそも文系とはなんぞや?経済法学社会学文学語学。その方面に進みたい人と数学から逃げた人の混合である。理系にだって数学できない子もいれば歴史に地理が好き文学読書好きなんていっぱいいる。いやあダメっ子をダメっ子としてわけることができずに学校も税金も平等にと言う社会が同義的に正しいフリをしている偽物で社会も人も成長しないどん詰まりなのが今。一部が足掻いて進んでいるようで一部がどんどんぶっ壊している。 

 

 

・文章作成に数学的要素が重要な事はよく判る(例えば報告書などの書類作成時に「集合」は非常に大切)、ただ作文は国語的な情緒などが上手くないとつまらない文章になる 

 

 

・今の「文系」は数学や理科が不得意で国語が得意であるとは限らない人 

「理系」それらが数学や理科が得意で国語が不得意であるとは限らない人 

が選択しているからです 

 

 

 

・記事は文系の人理系の人の切り口で語っているが、学力の低い人と高い人の作文の特徴を言い換えただけだと思う 

学びの理解度はなぜそうなるのかの論理展開を気にする意識の差が大きく影響する 

学びの理解度が低い、学力が低い人は論理展開を意識せずにとりあえず覚える傾向があるからね 

 

 

・当然の事。 

理系、特に数学が苦手で国語が比較的得意だから文系ってだけ。もちろん進みたい道があれば文系、理系を選択するのは本人次第。 

それにこれはあくまでも大学受験以上の話。 

 

 

・そんなこと言ったら文系の人の優れてるところがないみたいに、、。 

社会に出ると理系、技術者はすごくしっかりしてる人が相対的には多いとは思います。でもそれだけで成り立つかというと成り立たない。理系の人が苦手なのは「自分とは異なる立場、業界、知識の人に物事を伝える能力」 これは文章力とは別のスキルで、社会の中では結構重要な部分。これを理系ではない人が補完してあげないと成り立たない。 

ちなみに自分は理系です 

 

 

・文系・理系問わず、 

結局作文が「良文」になる人は、 

論理思考・数値管理に優れている。 

想像力が豊富なだけでは、当然ながら作文は成立しない。論理・数値の結晶が知識と成り、作文にも活かされる。 

 

 

・逆に言うと算数や数学の文章問題では、問題の主旨を見抜く読解力が必要だ。 

理数系だからと国語を軽視したり、文系だからと数学を軽視することは、総合的でバランスのとれた思考をする上ではどちらも悪手でしかない。 

 

 

・文章を他人に納得してもらえるように書こうとすると、論理的思考は必須。 

随筆や詩などで、自分の感情を表現したり、比喩で例えるものの発想で読者をハッとさせたりすることは、文系が得意かもしれないが。 

 

 

・結局、暗記です、パターンに当てはめるのよ。 

99.999%の人はやったこともないことはできない、いかに今までやったことのあるものに落とし込めるかなの。 

たくさん練習をして練度を高め、本番に挑むのよ。 

 

 

・明智光秀を豊臣秀吉が討ったことで豊臣秀吉が次の天下人になった 

 

これも違うからこの方の唱える説の例にならない。明智を討った段階では天下人になっていない。柴田を倒す、徳川を従わせることで天下人になった。自分の都合の良いように話を展開する詐欺師の書いた文のようですね。 

 

 

・小論文的な文章は、数学の途中式や証明のように書くと、ちゃんとしたものが書ける。私もそういうのは得意。ただ、作文コンクールで選ばれるような情緒のある文章は書けない。 

 

 

・数学がトップクラスにできる奴は実は国語の成績も相当よかったりする! 

また文系でも数学できる奴は結構いるし理系で歴史系科目ができる奴もいる!ただ文系で物理化学得意な奴は中々いないー 

 

 

 

・この人、自分が必要条件と十分条件を勉強し直した方がいいと思うよ。 

 

「数学ができる」⇒「論理的思考ができる」 

と言えるからといって 

「論理的思考ができる」⇒「数学ができる」 

ではない。 

 

で、論理的思考ができる人ならこの程度の誤りには気付けるはず。定式化すると、 

「論理的思考ができる」⇒「誤りに気付ける」 

これの対偶を取ると 

「誤りに気付けない」⇒「論理的思考ができない」 

あれ?この記事を書いた人は? 

 

 

・>「本能寺の変が起こった」=「豊臣秀吉が天下を取る」でしょうか? 違いますよね。「本能寺の変が起こった」ことで、「明智光秀が織田信長を討った」。  

 

???  

これ、違うでしょ。  

「明智光秀が織田信長を討ったこと」を「本能寺の変」と言うのだよ。  

「明智光秀が織田信長を討ったこと」を、後(のち)の世の人たち(歴史家など)が「本能寺の変」と名付けたのだから。 

 

 

・それ以前に、ガチ理系のやつは織田信長って名前は聞いたことあるけど何した人?、歴史って役に立つの?みたいな思考だよ。 

記事の様な人は理系じゃなくてオールマイティなんじゃないの。 

 

 

・文系・理系は進路選択・学科分類の話であり、能力とは別物 

思考の癖などはあるけど、情緒=文系、論理=理系みたいなのは誤った使い方だと思う 

 

 

・理系の人は、外国語も作文も読解も全て必要。 

まぁ「文系」なんてそれっぽく名付けてるけど、ぶっちゃけ殆どが物理と数学アレルギーの人の言い訳だからなぁ。 

 

 

・> 「本能寺の変が起こった」=「豊臣秀吉が天下を取る」でしょうか?  違いますよね。「本能寺の変が起こった」ことで、「明智光秀が織田信長を討った」。そして、「明智光秀を、豊臣秀吉が討った」ことで、「豊臣秀吉が次の天下人になった」んですよね 

 

筆者は文系だな。「ことで」は「=」じゃないよ 

 

 

・ということは、 

「論理的思考力がある人」=理系 

「理系以外の人」=文系 

ってことになる? 

 

文系の人が持っている能力で、理系の人が不足しているものってあるのかな? 

それが「文章力」と思っていた…。 

 

 

・数学どうこうより、論理的な文章が書けてるかどうかって話でしょ。そりゃ論理的なセンスがある子は、文章もわかり易けりゃ理系科目も強いよ。 

 

 

・頭の良いASDタイプは算数得意でも、作文は苦手なイメージ。 

テーマが決められた論文は得意だけどね。 

 

 

・作文というか、理系の小説家は多作のイメージ。 

東野圭吾氏、森博嗣氏、青柳碧人氏、知念実希人氏、海堂尊氏など。 

 

 

 

・文系と理系じゃなく単純な学力の差が現れますってことかな。理系は選ばれしもの感あるしね。 

 

 

・理系の人は、大学に行くとめっちゃ文章書かされます。 

論文はもちろん教授への提出物も。 

発表できそうなものは、英語で書かんといけんし。 

 

 

・理系の子も作文得意だってのはいいけど、じゃあ文系の子は何が得意ならいいの。文系って取柄のない子が向いてるの。 

 

 

・数学は国語も出来ないとまずできないって昔から言われてるよね 

だから、理数系の人は最強である 

 

 

・文系は数学や物理が苦手なだけで、文学や社会学が得意な訳では無い。 

三角関数か微積で躓いた結果が文系。 

 

 

・文系は文系科目が得意な人だけではなく、文系も理系も苦手な人が含まれてるからね、、 

 

 

・数学得意で作文も得意でした。反面、暗記科目がとても苦手・嫌いで、私立理系に進学しました。 

 

 

・文系にする理由1位は数学が苦手だから。 

理系にする理由1位は英語が苦手だから。 

そりゃこうなるよ。 

 

 

・でも円安になればガソリン電気ガスが高くなることすら分からなかったんだろ 

説明しても理解しなかったしな 

得意なのは暗記だけだろ 

 

 

・この文章が全然入ってこなかった。 

日本人はロジックにこだわるけどメチャクチャな方が面白い。 

 

 

 

・理系も文系もありません。 

あるのは、センス、です。 

まぁ、素質、ですね。 

身も蓋もないけど。 

 

 

・うちの子県で理数は10番以内だけど作文は苦手。。。 

作文も得意になるといいなー 

 

 

・例文見る限り・・・ 

 

それって歴史の流れをきちんと理解しているかどうかじゃない?? 

文系理系どうこうじゃなくて 

 

 

・情感をどれだけ扱う作文か否かで大分傾向は変わる気がする。 

 

 

・算数の得意な人(理系)は論理破綻が少ないだけで文章力自体が高いわけではない。 

 

 

・これはそうだと思います 

算数、数学はロジック力 

国語は読解力 

作文は? 

 

 

・そして数学も、理系なら得意で文系なら苦手というのは大誤解 

 

 

・「数学をちゃんと勉強した」と「数学が得意(点が取れる)」も、=にはならない。 

 

 

・”俺はウナギだ”論だけど 

そういうこと言うやつ=うざいやつ扱い なのが日本 

 

 

・ロジカルに組み立てますからね 

 

 

 

・文系だから算数数学苦手も違うからな。 

 

 

・やはり、転はいらないな。 

起承結でいいじゃん。 

 

 

・つまり論理的思考力の問題。だから文系職場ってハチャメチャ。 

 

 

・旧帝大理系院修了の父親はひどい文章書いてたな。 

完全に論理破綻した文章を書いてた。 

まさに国語力ゼロ。 

したがって、この記事の内容は真実性に疑いの余地がありますね。 

 

 

 

 
 

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