( 186447 ) 2024/07/02 00:11:50 2 00 「復興は失敗した」…住民が集団避難した集落で孤軍奮闘、起業家男性が目指す“元気な奥能登”MRO北陸放送 7/1(月) 17:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/21b57a4ecccf05678f2b87d88d6eca94acb140e0 |
( 186450 ) 2024/07/02 00:11:50 0 00 奥田和也さんと能登半島地震
「復興に失敗した石川県は、恥だ。真剣にそう思う」 能登半島地震の被災地は、今も一部で断水や国道の通行止めが続いてます。輪島市に住む奥田和也さんは、現状を「失敗」と言い切ります。住民が集団避難し、一時は人の気配がなくなった集落で、奥田さんは1日も早い復興を願ってカフェの営業を続けてきました。 元日に最大震度7を記録した地震から7月1日で半年。「奥能登を元気にしたい」と起業した男性は、奮闘の日々を過ごしています。
【写真】人の気配がない南志見地区と奥田さんのカフェ
屋根瓦が散乱した民家
地震が起きた元日、奥田さんは輪島市から120キロ以上離れた白山市にいました。「もう戻れないかも知れない」と思いながらも、車に支援物資を積み込んで目指した輪島市は、普段なら車で3時間ほどの道のり。しかし、地震によりできた道路の段差や土砂崩れなどに阻まれ、カフェに戻るまでに半日を費やしました。カフェの周囲には屋根から落ちた瓦が散乱し、外壁も剥がれ落ちていました。見渡すとほとんどの建物が同じような状況で、奥田さんが所有していたゲストハウスや事務所などは5棟全てが傾いていました。
「周りでは、みんなが弱音を吐いているんです。でも一日も心は折れなかったですね。片づけをしながら、一日も早くなんとかしてやると。絶対におれが復興させなあかんと」
避難所の様子を話す奥田さん
母は富山県出身ですが父が輪島市出身とあって「半分は能登の血が流れているから」と、過疎化が進む能登を元気にしようと6年前に起業しました。震災後は、手掛けていたレトルト食品を避難所に配って回りました。
「避難所は小学校と公民館2か所に分かれていた。食べ物が全然入ってきていないのが分かっていたし、とりあえず、俺がおらん時でも倉庫を開けて『ある物をみんな持って行かんか』って。俺もいっぱい積んだ物資を配るのはずっとやっていた」
“集団避難”は自衛隊のヘリコプターで
奥田さんが起業した南志見地区は、13町725人が暮らす地域です。能登半島地震では、断水や停電に加え、集落の道路で発生した土砂崩れによって一時孤立したことで、住民らは自力で避難したほか、340人が自衛隊のヘリコプターで100キロ以上離れた金沢市に集団避難しました。住民が少なくなった南志見地区で、奥田さんは事務所に寝泊まりを続けながら「住民らは戻ってこないかも知れない」と考えていました。
2月なると仮設住宅の建設風景が見られるようになる
あれから2カ月あまり。もともと過疎化で行き交う人が少なかった南志見地区は、地震でより人の気配が消える一方、工事関係者の姿を時折見かけるようになりました。仮設住宅の整備がすすむ集落に、奥田さんが営業を再開したカフェ「ココハサトマチ」があります。
「絶対に、こんな時って、飲食店があるとホッとするげん」
ここでは、家財整理などで一時帰宅した住民や、復旧作業に当たる工事関係者に向けて午前10時から午後3時までカレーやパスタなどを提供しました。 さらに、店の裏では井戸が新たに掘られ、汲み上げられた地下水を洗い物やトイレなどに使用し、避難先から自宅の様子を見に来た住民らにも開放しました。
毎週訪れている住民の女性
雪が舞う3月、集団避難先から自宅に戻ったという女性が店を訪れていました。週に一回は必ず来ていると話します。
住民の女性 「再オープン、早い時期にしてくださって、すごくうれしかった。だって、周りがみんな避難して、誰も知っている人がおらん。ここに来たら声をかけてもらえるから、本当にその一言が嬉しい」
がれきの撤去に追われる奥田さん
奥田さんが進めていたゲストハウスの開業も地震の影響で延期に。建物は基礎が折れ、およそ1千万円の地盤工事が必要ですが、開業を諦める様子はありません。
「今足りないのは、人の動きやとおもっている。そして何が足りんかと言ったら、観光スポットやと思っている。ここには隆起してしまったけど海がある。川にはでっかい鮭とかもいるし、魚釣りとか…。今、アウトドアのサウナとかすごく好きな人がおるし、そういう人ってどこでも来てくれる」
集団避難で人がいなくなった南志見地区を、人で賑わう場所にしたいと、奥田さんは切に願います。
木村拓郎理事長(左)と奥田さん(右)
4月下旬になっても静まり返った南志見地区を「減災・復興支援機構」の木村拓郎理事長が訪ねました。東日本大震災や熊本地震など数多くの被災地を見てきましたが、うねった道路や崩れ落ちた屋根が広がる光景に驚きを隠せない様子です。
木村さん 「やっぱり復旧、復興を大前提にするなら、壊れた家の解体撤去を早くしなきゃいけない。ボランティアは、被災者がいて『困っているから助けよう』と駆けつけるので『被災者がいないなら行ってもしょうがない』という話になる。人がいないとボランティアが助けに来ることは、まずないと思う」
「自分のすることが復興に繋がるのか」
カフェ「ココハサトマチ」を訪ねた木村さんに、奥田さんは「戻ってきている住人は10人か20人くらいじゃないか」と説明します。
奥田さん 「この辺の人は、集団避難しておらんから。どうしても工事自体はやっぱり後回しになるのかなって思いますけど。ここは基本的にはお客さんが来ないところなんですよ。」
「自分のすることが復興に繋がるのか」奥田さんは葛藤する心境を話し始めます。
奥田さん 「自分がやっていることが、思っとる結果になるのかな、というのはいつも悩むよ。『合っとるんかな…でも、やらんなんよな』という感じ。約4カ月経つんやけど、進んでないですよね」
馳浩 石川県知事
震災直後の1月5日、石川県の馳浩知事が被災地に来ないように、ボランティアの自粛を呼びかけました。木村さんは、このメッセージが今も影響していると指摘します。
木村さん 「(県知事が)自粛を呼び掛けたことで『能登は行っちゃいけないんだ』みたいな雰囲気が広がっている。最初から住民の皆さんは諦めムードというか」
我慢や忍耐で済む話ではないと言い切ります。
木村さん 「時間が経つほど戻る人は少なくなってしまう。人口が減ると過疎化に拍車がかかり、復興にはマイナスになる。震災直後に『自粛して』と言ったので、ボランティアは遠慮して来ない。それを被災地の中の人も感じている。災害のなかでも非常に異常な災害だと思う」
6月の南志見地区
6月中旬。 向かいの建物にはブルーシートがかけられたままの一方、奥田さんのカフェは、工事用の足場が外され、外壁には補修の痕が残っていました。多い日には一日260個売れていた日替わり弁当は、集落の工事が進むと共に少しずつ売れ残るようになり、奥田さんは時間の経過を感じていました。
奥田さん 「マスコミの報道も減ったよね。今も能登のニュースがあっても『またか』と思われるし。復興に失敗した石川県は、恥だ、真剣にそう思う」
奥田さん「俺はうまくいく」
南志見地区では4月以降、仮設住宅が順次完成し、住民が戻り始めていますが、それでも震災前と比べて、人口は5月までに1カ月に10人のペースで減少しています。奥田さんは「時間がかかり過ぎて住民らが離れる理由を与えてしまった」として「一年経ってもこんなもんだと思う」と話します。その一方で…
奥田さん 「でも、俺はうまくいく。覚悟決めて能登に来ているから『こんなことで諦めない、世界に発信できるチャンス』だと思っている。早く再開させることが大事で、頑張っている姿はみんな見ている。待っているだけではダメだ。小さい成功を積み重ねることで『俺もやろう』という人を増やしたい」
「利益よりも成功事例を作りたい」
「奥能登を元気にする」を企業理念に掲げ、これまで過疎地での事業に取り組んできました。復旧・復興が程遠いと言える状況のなか「利益よりも成功事例を作りたい」と前を向きます。 能登半島地震から半年。専門家も「異常な災害だ」と指摘する一方、奥田さんは「南志見地区で出来るなら、能登でどこでも出来る」と、今も復興に向けて地域の魅力づくりに奔走しています。
編集後記
被災地では仮設住宅の建築が進み、少しずつだが道路も繋がりつつある。「復興への槌音が…」と言いたいところだが、現地を取材していると、被災者は「ようやく」といった思いを抱いていることがわかる。「復興の遅れ」を指摘する声が多いなか、奥田さんが言い切った「失敗した」という言葉には重みを感じた。それだけ被災地ではインフラや生活基盤の復旧に時間を要しているのが現状だ。 そして人手が足りていない。震災直後に県知事が発した「能登への不要不急な移動は控えて」というメッセージの余波は、今や住民らの心に「諦め」という形で暗い影を落とす。その一方、ピンチをチャンスに変えようと奮闘する人がいる。
おどけた表情で社員たちと映る奥田さん(中央)
過疎地に賑わいを取り戻すために起業したとあって「世界に発信できるチャンス」と不屈の精神を見せる奥田さんには、能登半島で生きる人のたくましさがある。少しでも多く、長く、支援が入る事を願ってやまない。
*この記事は、MRO北陸放送とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
|
( 186451 ) 2024/07/02 00:11:50 0 00 ・難しい問題ですが、既に日本が人口減少に転じている以上、今までのように皆が好きなところに住み、そこまで公共インフラが整備される時代は終わったのではと思います。 地理的に整備が難しく災害も起きやすいところは、住むことを諦める必要が出てくるのではないでしょうか。 今戻られた方は土地に愛着があり今後も住む予定とは思いますが、その方たちの次の世代が住むかと言うと疑問です。 そういう土地をどこまで整備するか、今後日本全国で多く出てくる問題だと思いました。
・仮設住宅を「1から建てる」から時間がかかる。 仮設は仮設なんだから、断熱パネル組み合わせて組み立てる「仮設住宅」を幾つかの間取りで準備しておいて、それを運んで組み立てるだけのシンプルな対策にすれば良いと思う。耐年数は5年程度で十分だと思う。海外だとコンテナみたいなの組み合わせるだけの組み立て住宅みたいなのもある。 いずれ来る南海トラフ対策で、住宅メーカーに補助出して数千単位で対応できるよう検討させればとか思う、ストックは何処か(日本とは限らず)で使えるだろうから無駄にはならないと思うけどなぁ。物資の備蓄は色々やってると思うけど、住宅の備蓄って考えがあっても良いと思う。
・先日、東京で行われた能登の復興のイベントに参加しました。
現地の人との繋がりがある他県から来たボランティアは充分に活躍しているようです。
もちろん、課題もあります。 ですが、それぞれが、少しでも何か力になることをしたら、復興は早まると思いました。
寄付でもいいし、ネットで能登の商品を買うことでもいいと思います。 もちろん、情報をしっかり集めたうえで、ボランティアに行くこともいいでしょう。
まだまだ、これからですが、現地で頑張っている人がいる以上、ささやかでも応援していきたいものです。
・でも実際、道路が凄いんですよ。国交省のサイトで見ましたけど、一本のひょろ長い道の端から端まで10か所とか20か所とか崩れたり傾いたり。まず片側だけ応急で通れるようにして、後はしらみつぶしに直していくしかない。そういう道路事情だと、その道路を使って作業を始められる地区も順番にするしかないし、そうやって考えていくと復興作業が他県のようにいかないのも分からなくはない。
まずなぜ遅れてるのか。次にどうすればもっと速くできるのか。そしてそれは事前に準備できてて当然なのか。そこまで考慮した上で「失敗」と言うべきでは。
・14年前に大阪で亡くなった父の生まれ故郷が南志見の里町でした 私は48歳ですが小学生の頃よく父に車で大阪から遊びに連れていってくれました いまでもあのへんの景色はよく覚えています 南志見の神社の祭りにも参加しました 私にとっても忘れられない楽しかった思い出です こんな大地震が発生し涙がこぼれました 頑張れ輪島!頑張れ能登!
・被災した人たちには心からお見舞いを申し上げたい ただ被災地の復興遅れが結局石川県の責任、という表現には違和感 阪神大震災でも、東日本大震災でもそうだけど、復興というのは5年、10年単位の仕事 被災後半年の現状を見て、責任をすべて自治体に押し付けても一歩も前に進まない まず現状で何を最優先でやるべきか、どんどん声を上げて行くしかないのだと思う
・地元の政治家に力が無いってことだと思います。石川県内では有力かもしれませんが、政治家の今までの活動結果が情けない現状ではありませんか? あと言いにくいのですが…県民性もあるかもしれない…個人主義というかまとまりがないように見えました。ニュースとかで見るボランティアや義援金、支援物資の対応が悪いのに、愚痴や文句が多くて…大人のまとまりのなさを見てしまいました。 田舎独特の、頑固が過ぎると差し伸べたくても手を引っ込めてしまいます。
・5年前に能登をレンタカーで一周旅行をしましたがすれ違う車がほとんど無かったのを覚えております。輪島市穴水以北はそれこそ過疎を実感しました。それ以上に活断層が走る土地で有ることを踏まえて復興は並大抵では無いと思います。単に被害を受けた地域を復興するのではなく地域の特性や地盤の特性を踏まえた総合的な観点から見直す必要が有るのでは。
・この方がそう感じられている気持ちは尊重されるべきだし、その場にいるから分かることもあると思います。 でも地形上、また季節柄すぐの復旧は難しかった。水も電気もない場所で冬を越せない人がたくさんいた。ボランティアに駆け付けてもボランティアができることがなかったから、“今は”こないでと伝える必要があった。 何もかも、行政の失敗のせいにするには状況が悪すぎたと思います。 半年で、失敗したと断言することは難しい
・東京オリンピックの時には復興作業していた人が東京に行った。今回は万博に力を入れてる。万博パビリオンの建設が間に合わず、人手がいる。国は能登の復興に力を入れた方が良い。海外の支援を優先させてるのも間違い。
・復興が進んでないのは、能登だけじゃない。 液状化現象で、道路がまだ陥没していたり段差ができていたままになっているのは新潟もです。挙げ句の果てに亀裂が入ったまま放置されている道路もあります。 復興に失敗してはいないはずです。 新潟中越地震のときに震度7を観測した小千谷市のある地域も全島避難を余儀なくされ町から人が消えました。 でも、今は復興に向かって生活していて牛の角突きや長岡花火大会も行われています。ゆっくりですがきっと能登地方も確実に復興にむかうと思います。またきっと能登に人も活気も戻るはずです。
・復興住宅の建設に関わってる知人から色々聞いており、動画なども送ってもらいますが、現地で見る景色はテレビで観てる被害の何倍も壊滅的だと言っていますね。 何から手をつけたら良いかわからない。 道路も果てしなくガタガタ。 営業している店舗が無い。 どの家も人が立ち入れない。 作業員が快適に宿泊する場所もない。
現場の当人たちは、もうすでにかなり頑張っているんだろうなと思います。
・この震災は、過疎地域に住み続けることのリスクを見せつけられた震災だった。どちらにせよ終わり行く街を復興させることは、言葉は悪いが「無駄な労力」だ。金銭的にも労力的にも。そのエネルギーを他のことに注いだ方が、国としても正しい選択だと思う。正直我々の税金を、無駄だとわかってることに使ってほしくは無い。住むところはここだけでは無い。引越しや住居の補助はしっかりあるのだから、それを活用して新たな土地で人生を作り上げることも大事だと思う。
・職場にて被災地のインフラ復興作業協力の話が出た際に、その地形が原因で人や物資が入るための入り口が狭く、これまでの被災地と違って対応が難しいという話が出ました。 それに伴い現地へは、職場内でも優秀な少数精鋭で対応することになっています。 これまでそんな話が出たことが無いため、今回の地震の特殊性を改めて感じました。 復興や新たに生まれた課題への対策も踏まえて、未知の次元での対応が必要なのかもしれません。まだ苦しんでいる人もいるでしょうし、復興は失敗とありますが、未来への対策がきっちりできるかどうかで結果は変わってくると信じたいです。
・大災害の復興の成功、失敗の判断が半年という短期間で判断されることが個人的な意見だとしても残念に思いました。失敗だったと結論がついたなら、これ以上の寄付などの支援は控えたい。そういう気持ちになる見出しだった。まだたった半年、復興の成功を目指して頑張るのはまだ何年も何年もかかるのではないでしょうか。阪神大震災の時には復興の失敗とか成功とか考えず、元通りにならないと思いましたが、今、しっかりと復興できていると思います。
・うちの地元も、私の祖母よりも前の時代に地震による津波で町全体が流されて丘の上に集団移住しました。今から200年くらい前のことです。 辛いかもしれませんが、しょうがないと思いますし、そのために税金を使うなら政治家のバラマキや無駄遣いより何百倍も有益だと思います。特別なふるさと納税として寄付を募ってみてはどうでしょうか。
・現地にいらっしゃる方が肌感覚と現実と向き合っている訳ですからね。毎日、歯痒いでしょうね。 中央からの復興のバックアップの力具合と本木度が。 しかし、震災から半年、焦る気持ちと落胆されるには時期尚早な気も致します。 東北の震災の復興も相当時間が掛かりましたよね。 半年で答えを出さず、決して希望を捨てずに自分を信じて頑張って頂きたいです。
・批判は沢山あるだろうけど日本は人口減少に転じているという現実もあります。 将来的に消滅する可能性がある自治体が先日発表されていましたね。 冷酷だけどそこに該当する自治体の中でも更に確率が高い自治体に税金をかけて復興するのは生産性があまりない気がする。 その自治体の復興にお金をかけるくらいならば復興を諦めて、使うはずだった復興費用を移住費用として渡してあげたほうが日本のためになると思う。
・被災後に輪島市に入って支援物資を避難所に配って、多くの方が心強く感じた事でしょう。そして、以前から経営していたカフェを復旧させて、地域の憩いの場にしようと奮闘されているお姿に頼もしさやアグレッシブさを感じます。これからも過疎の地域の活性化が促されるよう、奮闘してもらえれば、周りも勇気付けられると思うので、頑張って欲しいと思います。
・今の日本には、災害などなくても消えてゆく街や集落がたくさんある。 しかも、地震となると、また数年〜十数年間隔のレベルで同規模の被害も想定されるわけで、よほど都市計画化されるような地域であればともかく、災害がなくても過疎が懸念されていた地域での復興はそれこそ無駄になるリスクを考慮すると、短期間でするのは現実的ではない、という判断もあろうかと思う。
・現地にボランティアとして行きました。その上で感じた事。
東日本大震災では、内陸部の都市も揺れにより大きな被害が出ていた。でも今回は被害が大きかったのは、半島の先端部分のみ。
今回のケースでは、ほぼ被害が無かった加賀エリアに集団避難してもらうのも 、方法としては間違えていないと思う。
・すごい。今後の地方過疎化の加速など随所で課題はあるのかもしれないが、このような熱意と勢いのある方のご活躍でどれほどの人が助けられ励まされているだろう。 第一線で人の流れを見られてきて、リアルな肌感覚として相当危機感を感じられていることが伝わった。
同県出身者として、震災後しばらくは能登の老舗、スギヨの練り物が地元スーパーに並ばず、しばらくしてまた商品が買えたときは嬉しかった。先ほど都内の某大手スーパーではじめてスギヨの製品を発見した(これまで見落としていたのかもしれないが)。
普段、関連ニュースを追ったり地元のインバウンドにつながる商品を買ったりくらいしかできないが、地震の後それぞれの立場で日々戦われているみなさんの幸せを想う。
・とても難しい問題。 震災発生時、金沢に住んでいました。 仕事で色々な方とお話すると「能登は今回の地震で過疎化が早まっただけ。元通りにしてもね…」という意見が多かったです。 輪島朝市も奥能登の製塩所も九十九湾も能登島もとても美しい場所で大好きですが、人の住むところではなくなってしまうのかもしれません。 また訪れる日が来る事を楽しみにしています。
・重機なとを使用した家屋解体や土木作業は都道府県知事の許可がいります。 ボランティアには解体できません。 解体工事にしても石川県の、産業廃棄物の収集運搬の許可がないと出来ないし、廃棄物の受け入れふ業者と施主と結ぶ三者契約があります。 下請けに入ろうにも能登半島に解体業者の支店もなくや中間処理業者が少なく、しかも処理業者も被災して受け入れらない。 協力したくても出来ないのが現状。 しかも解体業者などはがれきなどを他県など遠方に運び出すには他県の許可も必要になります。4トン車で何時間もかけて処分場まで運ぶに1日1便しか運搬出来ないとしたら費用は莫大です。 いくらボランティア精神のある企業でも大赤字になってまで能登で県知事に申請して会社を作り処分場や中間処理業者と契約を結ぶだけでも時間がかかるのにどの企業が手を出すとは思えません。 公費での解体が決まっても予算で手をつける会社はないと思います。
・石川県民です。金沢市近郊です。 奥能登は本当に金沢から遠い。 珠洲まで行く時間で大阪まで行ける位。 しかも、途方もなく広いです。 その上道が少ないので、ソコソコ広い道は全て幹線道路です。 元々能登は陸路ではなく、海路が主流なので、海岸線にへばりつくように集落が点在しているのです。 今日も仕事で志賀町に行きましたが、本当に細かい道まで丁寧に補修工事をしてくださっていますので、かなり楽に通れるようになりました。 それでも住宅の被害は甚大で、ほとんど手付かず。 ブルーシートを掛けた家で生活されています。 いろいろな意見があるとは思いますが、これを元に戻すのはほぼ不可能です。 戦後80年以上掛けて過疎化と戦いながら、ボチボチ整備して来た地域なのです。 本当に申し訳ないですが、段々取捨選択されると思います。 輪島塗りは残して欲しい。
・阪神大震災被災者です。私が生まれ育った神戸の被災地はあれから30年経って見た目は新しくなって復興したように見えますが、神戸の市街地でさえ、震災で消えた、あるいは完全に変わってしまった場所が少なくありません。海岸の背後の山が深く、時代の背景で高齢者の割合も高い能登半島の被災地の復興となると、単純に人が戻る・戻らないの問題じゃありません。
・能登半島は旅行で3回訪れた事がある。行ってみて思ったのは交通手段が車だけ、しかも自動車専用道路も途中までだ。輪島から先は一般道のみで、もともと交通の便が悪いところへ道路が土砂で埋まり、孤立集落が多発したのもうなずける。
もとから高齢者の多い過疎地で道路網の整備も進んでいなかったので、これでは復興も厳しいと思う。地形的にも丘と谷が連続するような地形で、平地が少なく、道もうねうねと曲がり普段から時間のかかる場所が、今では倍以上の時間がかかるのだろう。
果たして道路を修復してもどれだけの住民が戻るのだろうか?
工事をして行くにしても5年10年とかかるだろう。長期に渡る支援が必要だと思うし、若い人が住める仕事と環境整備も必要だと思う。
長期的な計画を立ててコツコツと復興しないことには能登は再生しないだろう。
・地方集住はした方がいいのですが、元の街や村を取り戻すのは無理だと思った方がいいと思います。たとえば、2mの隆起があった港を元に戻すのに、海底を2m掘る浚渫を行うべきなのか?といった話が典型的かと思います。せっかく税金をかけてくれるのですから、高齢化や人口減少に向けた、新たな街の形を計画すべきだと思います。
・ピンチはチャンスじゃないですが、スマートシティ構想として、自動運転車を走らせたり福祉施設を集中させたりする新居住地をつくってはどうだろうか。復興の新しいやり方が確立されれば地震にたいする恐怖も今まで以上に感じなくなる可能性があります。高コストな上下水道整備よりも井戸と簡易浄水設備で低コストで現代に必要な生活水準を実現できることがわかってます。日本はどうせ地震から逃れる事は出来ないのですから新しい試みをどんどんやって経済的な強化も同時にはかっていくのが良いと思います。
・地震や台風、豪雨等の大きな災害に被災する事なく生きてこられました。
5月に能登半島へ行きましたが、のと里山海道はそこかしこで陥没や舗装の割れがありました。取り急ぎ通れる様にはなってましたが、修繕が必要な箇所が多過ぎて元通りになるのはまだまだ先の話だと感じました。瓦が落ちた屋根はブルーシートで覆われている住宅を多く見かけました。 被害の大きかった輪島市内は倒壊した家屋等が今も手付かずで電柱や信号機も傾いたままでした。まだ他所から来たらダメなんじゃないかと思ってしまいました。白米千枚田の先は地元の方と緊急車両以外は通行禁止でしたので、その先の珠洲市は諦めて南下して帰路に着きました。途中に寄ったのと里山空港も壁に亀裂が入ったままだったり、まだ復旧にも程遠いと実感しました。一日も早い復旧復興を願ってます。
・熊本で被災した身としては、半年経過した頃でも復興なんてまだまだでした。 きっとこれから3年から5年くらいは支援も充実するでしょうし、諦めずに頑張って欲しいですね。
ただ、一方記事の方が悲観的にならざるを得ないのは、過疎地である事が大きいのではないでしょうか。 過疎自体は、簡単にはどうにもなりません。 ならばスモールコンパクトシティで寄り集まるしかないのですが、必ず住み慣れたところを離れられない壁にぶち当たります。 高齢の方に今更何を言っても仕方ありませんけど、まだ間に合う人は、災害、病気などのもしもの時の事も考えて住むところは考えて欲しいなって思います。
・例えば昭和後半や平成初期にこの災害が起きていれば復興への取り組み方というのは全然違ったのではないかと思う。
能登半島という地形的な部分も当然あるけれど、 九州北部のド田舎のわたしの地元の漁師町が地震・津波に襲われたらと考えたときに超高齢化の町に復興後どれだけ若者が戻ってくるのか、そもそも復興がなされるのかということを考えます。 まだ自分が生まれた昭和の時代は田舎といってもこれから発展すると言うイメージを持ってた。 今の日本は少子高齢化という前提がみんなの頭にあって、どちらかというと風呂敷をたたむような気持ちが前面に出てる気がする。
・東日本大震災の復旧工事を目の辺りにしていましたが、半年間で結構瓦礫の撤去は進んでいたと思います。集積地に山になっていて夏場には異臭が漂っておりました。しかし、地元の方々は復旧作業に勤しんでおり、前向きな感じでしたね。今回の石川県の様子を見ていると確かに進捗は遅い感じもしますが、だからといって其れを批判する気持は有りません。ただ、過去を思い出したところで何かが好転する訳でもないので行政は前向きに希望を与える仕事をして欲しいとつくずく思います高齢化、人口減少は何処も同じです。問題は其処に住む人達の心構えかと思います。大変なのは重々承知していますが先ずはめげない事です。『頑張れ能登!』
・コレは初めから懸念されてましたよね。 各地域を結ぶ日本海縦貫線から外れてしまっている能登、初めから国も何か復興に士気が上がらないというか… 本来はもっと知事が国を引っ張り込んで予算を分捕ってこないといけないと思うけどそんな気概もなく… ただ、コレからの日本、人口減少の中、居住エリアは政治主導でコンパクトにしないといけない時代に入っているのも確か。 人口を増やそうとしないのだから地域によっては住まいを捨て、集落を集めることも必要になっていると思います。
・5月に能登町でボランティア参加しました。地理的な問題も有って、復興は相当時間を要すると感じました。また時間を作って活動に参加できたらと思っています。いろんな応援の方法が有ります。それと、災害から学ぶものも有ります。 被災された方々の一日でも早い回復を願います。
・能登地震は、近年で初めて限界集落を含む市町村で、大規模の土地隆起(陥没)が起こった災害でしょうね。東北大震災も、熊本地震も限界集落の被害は道路網とインフレ(電力・水道等)だけだったが、今回は、土地の隆起(陥没)がかなり広範囲に起こっており、これだけ大規模なのは神戸以来でしょう。神戸の場合、土地の変動は市街であり、比較的人口も多い地域であった(逆にそのために人的被害が大きかったが)ので、復興もスムーズに行えた。しかし、今回土地自身が使い物にならないほど、変動してしまった地域が限界集落が多いという問題に直面している。今後、高齢者しかいない地域の港・道路を一から復興(従来の港や道路は土地隆起・陥没で使用不能)させるべきかどうが問題となる。可哀そうだけれども、限界集落のうち若者の人口が少ない、もしくは若者の数を増加させる方法のない集落は復興を諦めてもらうしかないように思う。
・過去に引かれたインフラはとてつもなく大変な作業だったんだろう。 急にインフラが出来た訳じゃ無く長い期間を掛けて徐々に整備されたモノだろうが自然災害は一瞬で破壊していく。 今までそんなインフラに感謝していたんだろうか? 当たり前だと思ってんじゃないの? そこに住んでいる数人の為に急な復興は出来ないよ 野生の動物は人間がいなくなって暮らしやすくなっている気がする
・復興に失敗はないと思う。
まず何を持って失敗なのか。被災者は復興に向けて試行錯誤しながら一生懸命頑張っている。高齢化や過疎化など平時からの課題も相重なり、厳しい選択が迫られている現状も踏まると、今結果を求めるのに無理がある。
被災者へ寄り添いながら、募金やボランティア活動などで被災地支援しながら、迫りくる南海トラフのことも考え、能登半島地震が他人ごとでなく自分のことと思うことが大事なんじゃないかな。
・地元や地域を思う気持ちもそこに住み続けたいという希望も判りますが、現実を直視することも必要かと思います。 少子高齢化、国力の低下、、、これだけでもどこにどれだけ税という原資を投下すべきか、は明白なはず。 災害も一度きりとは限らず、同じ規模の揺れが起きたら?あの液状化の範囲や規模といい、再起するにはそれらの対策も講じなくてはいけない。見かけだけ綺麗に戻すだけならまだ簡単でも。最低限の地盤改良は必須でしょうね。 地震に限らず災害に度々見舞われ対策も追いついていない地域も多いと思われるが、限界集落並みの地域は居住不可・復旧断念、くらいの英断は下さないといけない時期だと思うのだけど。 それを心を鬼にして唱えられるような、人間は自治体にも国にも居ないのだろう。少なからずそれらの票は失う恐れがあるのだから。いいかっこしいの民意もそれは暴論!と叩くだろうしね。現実はそうじゃないだろうに、、、
・恐らくなかなか復興しないであろう。 公費解体が進まないのは「行政の考え」と「被災者の思い」が一致しない事が最大原因と思われる。 税金を使うのだから災害が起こりにくい広い道路の街にしたい行政側と、元通りの生活しやすい街への復興を希望する被災者、交わるはずがない。 果してどこで妥協点を見いだせるか、が今後のポイント。
・地形、景観、生活に必要なインフラや移動手段……全てが激変してしまった町を立て直す為に気も遠くなるほどのエネルギーと時間、人員とコストがかかると思う ここまでの壊滅は予想だにしていなかったこれら集落では、これといった準備もないなか、それぞれが生き延び、危機対応するので精一杯だったろうと思う。 石川全体でも激災の実状認識さえ時間がかかり、全ての対応で遅れざるを得なかった。兼ねてから激震への準備体制や備蓄があればまた状況は変わっていたかも知れない。 記事の方のように精力的で前向きに復興に取り組む姿、その頼もしいメンタルは尊敬しかありません。でも高齢者が多数の小さな集落が点々とした地域が多数になる奥能登、復旧作業にも参加できる方々が少ない厳しい現実がある。 一旦集団避難も模索されているという状況は外から観てる自分たちも尽きない不安を抱かざるを得ない。このままでは奥能登は廃れてしまう
・被災者の方々にはお見舞い申し上げます。私も震災を受け地元に残る者として被災した方々の気持ちはよく分かるつもりです。私が被災した時には二次避難なんてものは無かったんじゃないかと思います。毎日、地震に怯えながら過ごしていました。それが良かったのかどうか分かりませんが、思うほど土地を離れて行く方もいなかったんじゃないかと感じます。それに、復興への切り替えが早かった。今思えばですが。その当時は、もっと早くても良かった感じでした。今の能登の状況を見ると胸が痛い。遅すぎる。行政も国も、もっと被災者のこと、地域の将来を考えて早急に手立てを立てほしい。失敗は許されない。
・人口減少、災害対策を考えると過疎地で地形的に災害のリスクの高いところには居住しない という方向で考えるべきだけど、 農林水産業の振興や国土の防衛を考えると、職場と居住地は近接していたほうが便利だし、過疎地でも人が住んでいることには価値がある。 政治家には短期的施策だけでなく、都市計画など国の100年、200年先のあるべき姿を考えて長期的施策も実施してほしい。 例えば、現在はどんな過疎集落でも基本的には系統電力が繋がっているが、太陽光や水素を活用して、農集廃みたいにその地域だけで完結するエネルギーみたいなものがあっても良いのではないかと思う。 太陽光や水素にこだわりはないが、政治家には都市部には都市部の、田舎には田舎のあり方を考えつつ、将来の姿を国民、地域住民に示してほしい。
・奥田さんの様にその土地で頑張る方が居れば、釣りやアウトドア、その土地の需要で訪れる人は絶えないと思います。沢山の人が住むとは限らないけど、魅力を発信し続ける限りは惹かれて集う人も居る。でも、誰も発信もせずに住まなくも成れば、訪れる切っ掛けも無くそこは人の住まない土地に成る。
人口が減り続ける日本で災害の多い土地は今後過疎化は進むと思います。結局、その土地を人の住む土地にするのはそこを愛する人が居てこそだと思います。
・なんと言えばいいか、私は東日本大震災を経験しましたが、あの時は津波が何もかもさらっていきました、今となってはそれがふんぎりついて復興が進んでるのかもしれません、まだまだのところもありますが、石川県の場合、潰れた家、潰れかけの家や公共設備、残ったものをどうするか悩むのもなかなか進まない要因かもしれませんね
・復興作業には人手と物資と資金が必要になる。資金はオンラインで送れるが、人手と物資は物理的に現地に送る必要がある。そのためには交通インフラが必要不可欠ではあるが、大量輸送を担える鉄道はもともと奥能登にはない。次に使えるのは道路になるわけだがその復旧は今でも完全復旧には至っていない。1月1日に半島の入り口が完全に破壊されたも同然だったわけでそこから復旧させるには地道に直しながら北上するしかない。半島であるがゆえに東西北から物資人員を送り込むことはできない。とにかく年単位で時間がかかる。
・過疎地で民間がいくら頑張っても限界があるので、行政としっかりコミュニケーションをとり災害に強い地域の復興計画を立てて頂きたいです。 同時に地域の魅力を伝える観光業を盛り上げるための安全、安心の未来のビジョンを知事に作っていただき、すべてが元どうりに戻るのは難しいと思いますがまた住民が戻ってこられたらいいなと思います。
・2年前の大きな地震で、見附島が崩れた直後に金沢、輪島、珠洲市を観光し、珠洲市に宿泊しました。 正直、直前まで悩んだ末の旅行でした。 輪島、珠洲市を楽しむ事ができて行って良かったと思います。 輪島の朝市を楽しんだり、珠洲市で塩を買ったり、とても良いところでした。 反面、輪島から珠洲市に向かうにつれ、その地形に驚きました。 車で通る道の、海と山との間がとても狭かったので。 大きな地震がきて、後ろの崖が崩れたら、ひとたまりもないだろうと感じました。 元旦の地震で、珠洲市のあちこちで道路が寸断されているニュースをみて、やっぱり、と 言葉を失いました。 復興がなかなか進まないと感じるのは、地形的な問題が大きいのではないでしょうか。 自分は、事情があってボランティアには行けませんが、時々寄付をしたり、能登の物を買いたいと思っています。 何かしら役に立ちたいと思っている人は沢山いるのではないでしょうか。
・故郷にこだわりたい気持ちは分からなくはないが、実際に復興できたとして過疎化は止まりますか?って思う。 冷たいとは思いますが現実を見るべきです。 ボランティアをあてにしていては駄目なんですよ。 ボランティアはあくまでお手伝いなんですから。 本気で復興させたいなら私情は捨てて国に任せるしかないです。 それが例え自分の住んできた場所と違ったとしても能登の復興には一番だと思います。
被災していないので薄情に感じるでしょうが、外から見ているからこそそう思います。
・阪神大震災を経験しました。正直、半年で「復興失敗」とジャッジするのは早過ぎると思います。
道路も多岐、マンパワーも沢山集まりやすかった神戸、数ヶ月以内に店を再開していた所もありますが やはり本格的に復興し始めたのは年単位が経過してからでしたよ。 半年経過の今はまだ仮設住宅含め、皆様の生活基盤の安定をはかる期間かと思います。
・とにかく日本全体の復興支援の雰囲気が 東日本大震災のときとまるで違って、 まるで遠い国で起きた災害みたいに すでに関心もない人が多いこと。 4月半ばに能登町へボランティアへ 行って現地を見たけど、 あれじゃ倒壊した建物の撤去だけで 10年かかりそうなペース。 インフラさえ戻らず仮設住宅にも 入居待ちしてる有り様。 驚いたのはボランティアバスへ 乗るため金沢駅へ着いたときに、 そこには能登半島地震の応援の雰囲気が 全然無くて、円安で外国人観光客が 押し寄せる金沢のインバウンド一色 だったこと。 北陸へ行ったのがそれが初めてで 地理感に乏しかったので、 帰宅後に金沢駅からベースキャンプの 穴水町、能登町までの移動距離を 確かめたら東京から山梨県の甲府の 手前くらいと同距離だったことで それだけ金沢から被災地が離れてると 遠い出来事になってしまうのかと 悲しくなった。
・この方はものすごく大変な思いをされているし、努力され忍耐強く頑張ってこられたことと思う。でも失敗だの恥だのというのはあまり共感できないかな。 奥能登はそもそものアクセスが悪く、なおかつ集落も散在している点が難しいところ。 それでものと里山海道や能登空港のひとまずの復旧は早かったと思う。そこから自衛隊などの支援が多く来れるようになったのだから。 奥能登は高齢者ばかりだし、断水や下水が使えなかったり、スーパーもやってないし、解体も進まないし遠方避難してる人もいるし、実際そういう状況はとても心身に堪えていると思う。でも間違いなく復興にむけて進んでる。まだ失敗かどうかはわからないと思う。
・東日本大震災で被災しました。
確かに、被災した側からすれば、気を揉むことでしょう。
しかし、地理的条件や建設業の人手不足の問題があり、復興が進まないのも事実です。
にもかかわらず、石川県に責任を押し付けるのは本末転倒と思います。
集団避難は一つの手段であり、否定も肯定もしませんが、2度と故郷に戻れない人が東北にはいます。
新潟県も、液状化の被害が甚大です。
いつの日か必ず故郷は復興します。
自然災害からの復興は時間が必要です。
・能登半島の群発地震は2年以上続いているし、未だに続いている。 佐渡島沖には割れ残りがあり大きな地震の危険性があるとこんなことは言わない気象庁が警告している。 まだ、地震は終息しないなかで復興といっても難しい。出先で金沢在住のかたと話す機会があったがそのかたが仕事で行く半島の状況の大変さを聞いた。 観光と言っても行ける状況ではないのでは?10月に恒例のバイクイベントがあるようだが、そんなのやってる場合なのかと思うくらいだ。 それに何処まで直すのかは難しい問題だと思う
・復興に失敗ってまだ半年でしょう。熊本地震を経験しましたが7年かかってやっと震源地の益城町を通る県道の整備がほぼ終わりといった所です。もちろん震災以前と景色は一変しました。もどかしい気持ちはわかりますが震災の復興は時間を要するし完全に元には戻りません。
・別な地域で起業された方が良いと思います。
言うまでもなくビジネスには リスクがつきものです。 必ず、絶対成功する、と言うのは あくまで 気持 の上だけです。
東日本大震災の頃より圧倒的に 日本は弱ってきています。 災害は次から次へと発生します。
行政の支援は当てに出来ません。 ましてやボランティアは更に当てに出来ません。 ご自身も行政も、できる範囲で、 ビジネスをされることをお祈り申し上げます。
・復興失敗の判断基準は何なのだろうか? 復興=復元ではないと思う。 今までの被災地で、4mも隆起した所はなかったのではないか。 自然の力による隆起だから一様に同じ高さに隆起するはずがないだろう。だから、地中にあるパイプ類は全滅だろうと想像にかたくない。厳しいと思う。 被災地の20〜30年先がどうなるか考えた時、少しでも早く、より安全な所で再び被災前の安心、安全な生活ができるように、行政は支援したほうがよいのではないだろうか。
・気持ちは分かるんですけどね。できる事なら頑張って貰いたいし、国や自治体にももっと親身に寄り添った支援を、と思うのですが、ここにも少子高齢化による人口の減少、経済の停滞、国力の低下などが、重くのしかかりますよね。今の日本に過疎が進んだエリアのインフラ整備に莫大なお金を掛ける余裕なんてない。今日本全国のインフラが老朽化し再整備しなければならない状況。高齢化で増える社会保障費、減らない国債残高、インフレ…これで経済だけでも右肩上がりなら、国民も我慢というか、痛みを分かち合おうとなるのでしょうが、日本は衰退の一途を辿って、将来にも希望は持てないですからね。寂しいことです。
・奥能登自体は復興すべき価値があるかと思いますが、その在り方は考えなければならないと思います。 自治体の中心地区やその周辺、いくつかの大規模な集落や交通等の重要な拠点に集約していくのが良いのでは無いかと思います。
・地元の人ですら失敗と言いたくなるほどに、復興までのスケジュールが示されてなく、進んでいる感じがしないからその様に感じているのかもしれませんね。
実際には、6月に石川県創造的復興プランが策定され公開されています。短期、中期、長期をそれぞれ2,5,9年間とし計画が立てられていました。
半年経ってようやくプランが決まった状況なのですが、瓦礫の処理はもっと早く進められたのではないか?とも思います。
進め方と情報の開示のやり方が下手だなと感じています。
・うーん。 阪神淡路大震災でも東日本大震災でもそんなにすぐに解体工事は進まなかったと聞いた事がありますが。 地理的な問題もあるし、解体業者さんの人手不足もあるだろうし、集落全体が壊れたんだからそんなに一気に解体できないんじゃないかな。 もちろん詳しい方が見たらもっと改善策はあるのでしょうが。 復興は失敗したというのは時期尚早な気がします。
・「復興は失敗」というより、残酷な言い方にはなるが、「それが無理な地域」ではないか。東北は縦横(南北と東西)の道路を早期に整備し、物資搬送等が速やかに行えた。奥能登は地理的にそれは無理。既に多くの被災者が奥能登ではなく移転先での生活をこの先の軸にしていると聞く。政治家も地元議員らも「復興に労力と予算は振り向けない」とは口が裂けても言えないが、「投下できる人材や予算は限界がある」と分かっていることだろう。引越先での新出発を支援してあげるような政策もあって良い。
・復興の入口にも入っていないのだと思うけれども。
もし、元気な奥能登にしたければ、日本海を活かすのが重要だと思う。 そして、奥能登に人を呼び込むならば、商業施設とかが持続可能な状況になっていることが必要だと思える。
人の流れがきちんとできると良いのだけれども。
・この能登半島地震は金沢市周辺や新潟市周辺の 沿岸部を中心に液状化の被害が出ました。
しかし、報道ではほとんど報道されず 自身もSNS等でその状況を知ることができました。
東日本大震災の時は各テレビ局が 競い合うように東北地方の被災地に赴き取材をしていましたが 能登半島地震は視聴率が稼げないので報道しないのか それとも報道管制をされているか、意図的なものを感じます。
・元々人口減少が進んでいて、更には人口の多いエリアから離れているエリアである奥能登が普通に復興する事はありません。地域住民からしたら最低でも元に近いインフラをと言う訳ですが、これから先の震災が無かった場合の人口推計からしてもそこまで税金は投入出来ず、震災を考えれば尚更です。使えば使う程のちの世代に借金を残す訳ですから。 東日本大震災でも奥能登に比べたら人口の多いエリアから近い三陸でさえ、人口の何割単位で人口が減り、巨大堤防や嵩上げに何百億と投じても元通りの人口に戻ることは2度と無いでしょう。 災害復旧の遅れの1つは潰れた家屋です。台湾で傾いたビルが翌日に解体が始まったのは個人の権利より安全対策が優先されるからで、家屋の撤去が進まないのも個人の権利が強いから勝手に撤去出来ないからです。 メディアの都合の良い言葉に騙されない様に気を付けなければなりません。
・難しい問題ですが、どこでもかしこでも完全に復旧させるのがこの人口減少の中で必ずしも正しい解ではないのではないかと思います。
我々より豊かな国であるのアメリカでさえ、災害ではないですが、デトロイト周辺のように廃墟、廃村は存在します。
今一度人口配分を考えていい時期に来ているのではないでしょうか。
それは国防を考えて行うべきだと思います。
・年始に発生した災害、それから丁度半年。この起業家男性の個人的な思いを非難するつもりはありません。ただ、県の責任にするのは、間違っていると感じます。1日も早く災害前の日常を取り戻すべく、県民そして国民みんなで頑張るしかないと思います。火山列島、地震の多い日本は、今後もどこで同じ様ないやそれ以上の災害が起こってもおかしくない状況です。気持ちを前向きに頑張って行きたいものですね。
・建物や生活インフラ(水道管や下水管や道路)などのほとんどが、そもそも老朽化していたのでは。 だから被害が広範囲で復興がなかなか追い付かないのでは。 さらに能登半島の地形も復興が進みにくい一因だろうと思う。
・友人が奥能登に住んでいますが、能登半島の人は本当に辛抱強いなと感心しています。 特に女性が強く、こんな状況ではあるけど前向きな人が多いのも今までの日本の他の被災地とは違うんだなと感じます。 復興とは半年やそこらでどうなるものでもないし、失敗とか成功とか判断するのはもっと先だと思うけど、能登半島の人なら何とかしそうな気がします。我々は微力ですが協力するのみです。
・2年ほど前に能登半島一周してきました。 伊豆半島より大きいから、なかなか大変でした。 輪島朝市では、イカ1杯100円で譲ってくれました。 珠洲岬や見附島、和倉温泉など思い出いっぱいです。 見附島が、あんなボロボロになってしまうなんて、辛すぎます。 能登島水族館のジンベエザメも亡くなってしまい、関係者でなくてもやるせない気持ちでしょう。 そこで、今度私主催のワイン会を開いて、売上金を募金しようと思ってます。
・現状で震災前の状態まで復興するのは有り得ないと思う。人口は減る一方だし、復興まで時間がかかりすぎる。 東日本大震災もそうだけど、人口は減る一方で将来消滅するだろうという市町村が多い。 まず、日本全体の景気を良くしなければならないが、将来の消費者となるはずの子供は減り続けている。 人口の少ない場所で不便ではあるけれども静かに暮らしたいという方には需要があるかもしれないけど、出て行きたい人の方が圧倒的に多くなる。 とても残念ではあるけれど、これが現実だと思う。
・首都圏をはじめとする都市部では、かなり大きな被害が起きても復旧までの期間がとても短い 道路事情だけではない、財力や、優先順位をつけられてしまっていることなど、過疎地僻地への政治を含めた大きな問題提起になると思います
・誰も怖くて言わないが、日本の人口が年間80万人も激減している状況下で、湯水のごとく莫大な税金を投入して、街を元に戻す復興が必要なのでしょうか? 国家戦略としての縮小戦略や消滅自治体という議論や選択肢が必要だと思います。
・復興は現地の人が集結して自主的にやらないと他人がいくら手を貸しても難しいのでは?
確かに支援は重要ですが、そもそも輪島へのアクセスは非常に悪く、10年前も何度も車で珠洲も穴水も輪島も行きましたが当時から、見ているほうは気楽だがインフラの悪さは目立っていました。
インフラというか、そもそも集落が点在しているだけで非常に鄙びており、夜道なんか何も見えません。 廃墟も多く復興以前に何もなかった。
地震前からかなり元気がなかった。 そこから目を背けているとしか思えないのですが。
住人が当時から逃げ出していっていた地域です。 現地の人間が集結せねば復興は無理だと思います。 これを機に、さらに移住する人が増えただけ。
元々、移住で出て行く人が多かった。 この状況で政府のせいにしても無理筋というもの。
・仮設住宅を「1から建てる」から時間がかかる。 仮設は仮設なんだから、断熱パネル組み合わせて組み立てる「仮設住宅」を幾つかの間取りで準備しておいて、それを運んで組み立てるだけのシンプルな対策にすれば良いと思う。耐年数は5年程度で十分だと思う。海外だとコンテナみたいなの組み合わせるだけの組み立て住宅みたいなのもある。 いずれ来る南海トラフ対策で、住宅メーカーに補助出して数千単位で対応できるよう検討させればとか思う、ストックは何処か(日本とは限らず)で使えるだろうから無駄にはならないと思うけどなぁ。物資の備蓄は色々やってると思うけど、住宅の備蓄って考えがあっても良いと思う。
・能登地方のみならず、日本列島全体がいつ、どこで、どれくらいの自然災害が起きるのか、全く予測不可能の状態にある。 しかも進展する「超少子高齢化」という大問題がそれを更に困難にしてる。 復興と言っても、つい昔の姿での復興をというのは無理だろう。 何よりそれを立て直す「人も金も物資」も不足しており、簡単には調達できない。 又できたとしても、そこに再度の災害が狙う可能性もある。 マジで小松左京の小説「日本沈没」を地で行く大災難が列島を狙う可能性も無きにしも非ずだ。もしそうなると「復興」どころでは無くなり、日本人の大多数が「難民」化し、各国に身を寄せないと生き延びれない可能性も出てくる。 しかし、今の日本人はまず「言語」が壁になり、外国に移ってもそこで即戦力になる可能性は低い。 相当な下働き時代を経て、子供が成人化したくらいからしかその国の高等戦力にはなれない可能性も高い。 なんか暗ーい未来予測?
・気持ちは分かるのですが、海外から国を捨ててでも来る人達と、今までここに住んでいたからこれからもここに住みたいって人達だと、相撲を見てもわかるように生命力が違います。自分は移民賛成派ではないのですが、過疎化するリスクのある場所で生活する人はそれなりの覚悟と御自分でアイデア&行動する実行力は必要かと思います。
・うん、全員が全員戻ったところで今まで以上どころか今まで通り生活ができるわけではないんですよ。 家族を失った方々も大勢おられる。
学歴、もしくは特技、技術を持っていないと職も採用されない。 人だけでなくその土地も同じことが言えると思います。 そこに暮らすメリットがあるのかどうか。 また、暮らしていけるのかどうか。
皆が皆この方のような考えではないんですよね。 良いとも悪いとももちろんそれは言えないですし、個々の置かれた状況によって千差万別だと思います。
・奥能登は、表現が悪いが一種の秘境。 ネットの中では「人が居ないのだから復興させるのは無駄」とか「さっさと集団避難した方が良い」などと言う言葉もチラホラ見える。 私的な考え方だが、秘境と言われるような所は自然が豊かで暮らしの時間もゆっくり流れている。 こんな所が有っても良いではないか。 何かにつけて「コスパ」とか「タイパ」と言う人が居るが、何かに追われ続けるそんな生活は息が詰まるでしょう。 奥能登みたいな所が存在すれば、疲れた時に癒しに行ける。 力を抜ける場所は大切だと思うから、こういう場所を無くしてはいけないと思う。 世の中に何一つ無駄な事も無駄な場所も無いと信じています。 時間はかかるでしょうが、一つ一つ前に進むしか無いですね。
・高校生の頃友達達と能登半島へ遊びに行きましたが、「奥座敷」みたいな例えを聞いてなんとなく納得しました。 その時は良い意味に感じましたが、災害からの復興とかを考えると、これは大問題ですね。 物流の大切さを感じています。
・地震警戒地図を見直さなければならない。 近年の大きな地震は全て、地図の赤い最警戒地域を外れている。 つまり、当たっていない=間違った地図 の可能性が高い。 一方で、別の見解を持つ科学者は、エネルギーが溜まっている場所がわかったとしても、岩盤の構造が複雑すぎて地上のどこにエネルギーが放出(震源地)されるか?がわからないそうです。
事前にできる事は、 1硬い地盤に建物を建てる、転居する(自治体にある震災地盤強度、津波マップ参考) 2耐震基準が最新の建物で多くの時間を過ごす 3家の中の重量の大きな物を固定する。 4レンジ等飛んだら危険なものを床に置き、可能ならば固定、地震用の粘着材で飛びにくくする。 5防災グッズの用意 6避難場所、避難経路の確認 など
・国の支援や施策が遅々としているのは認識しておりますが、石川県独自でできることは限られていることや、震災場所の個性もあるので、復興自体が失敗だとは断じるのは酷かと思います。相当程度時間を要するとは思いますね。復旧が失敗しているという主旨であれば、概ね賛同できますが。これは震災の規模や場所、石川県の資力、財力、人的・物的能力などを斟酌すれば、国に大半の責任があるのではないでしょうか。
・東日本大震災でも電気と水道は1週間から数週間で復旧したが、下水道、鉄道や幹線道路の復旧には年単位でかかった。13年経っても道路のマンホールの盛り上がりや歩道のブロックは治っていない。福島にはメルトダウンした原発が3基もあるが、志賀原発は小さな損傷で済んでいる。福島より復旧は早いであろう。
・復興の成功、失敗の是非はこれからですよ。 東日本大震災時も本格的復興が始まったのは、現状の瓦礫を撤去してから。
まずは、気持ちの整理が重要。 壊れた家には戻れない、家をキレイに撤去して更地にしてから復興は進みます。 まずは家を更地にする決心がつかなければ、復興は始まりません。 その決心にはやはり時間がかかります。
政府や行政が、家の解体費用の補助や融資を出さないと始まりません。更地にすれば土地が売れる。お金がある人は土地を買う。土地を買えば土地を活かそうとする。だからその土地にお金を投入する。簡単な仕組みですよ。 瓦礫の撤去、家屋の解体に補助金を率先して出さないと復興ははじまりません。
・東日本大震災で津波をかぶった地域には「神社」がなかったという。 神社は津波をかぶらないぎりぎりの位置に皆が建っていたという。 先人は100年に一度来る大津波の位置を「神社」で示していた。
戦後の無秩序な開発により、先人たちが危険と判断し集落をこしらえていなかった地域にも平気で街を作ってきた。 その結果、まともに大地震を食らい、俄作りの町は完全に破壊された。
「復興」という言葉は響きはいいが、今一度先人たちの声に耳を傾けたらどうか。そこは果たして人が住む場所なのか。 莫大なカネを投入して改めてそこに街を作るべきなのか。
私は、この能登地震の凄まじさを見るにつれ、もうここに街を再建するのは止したほうが良いと思った。 寧ろ、今回能登半島で被害の少なかった地域を集中的に開発し、集団移住すべきだと。
生まれ育った街を取り戻したい気持ちは分かる。 しかし、もう止したほうが良い。
・通常の震災であれば各所から復旧の手が伸び毛細血管の様に広がっていくのたが、いかんせん石川は半島。 一本道を少しずつ復旧しながら先に進むしか無い。 その一方通行の復旧の先にあるのは限界集落寸前の集落ばかり。
基幹産業である漁業も港が隆起して使い物にならない状態。
復旧はある程度必要だが復興は、いったん冷静に現実を直視してロードマップを練り直す事が必要。
今後この国は災害がなくとも限界集落を集約しコンパクトシティーを形成する必要がある。 今回の震災は残念な事ではありますが、その道標として良い先例となる事も決して悪いことでは無いと思います。
・現実の姿を見ていると東海、東南海、南海、首都直下地震が発生したらどうなるのだろうか、と思う。 能登はそれでも集落の繋がりで災害直後の混乱を乗り切ったが、地縁のない都会で同じことが発生したら犯罪などが多発して想像を絶する事になるのだろう。 あと過疎地域だから住民を強制集団移転させろという強硬論が目立つが、都市では逆に過密解消を理由に区画整理等で移転を余儀なくされるケースがあり得るだろう。そうなった時に強硬論者は素直に指示に従うのだろうか?
・私自身、福島県の浜通りに住んでいますが、、、地震、津波に加えて原発事故、風評被害の四重苦といわれた世界に類を見ない被災地を経験しましまが、その目から見ても能登半島地震から石川県の復旧、復興の取り組みは遅いなあと感じています。 そもそも県職員の方の動きが悪いとか、出来ない言い訳を言う職員が多いと言う話は、応援に行った被災地を経験した自治体職員から聞こえてきます。 あの頃の福島県には、自分の子供や孫に復興した故郷を残すために、官民一緒に取り組んでいた記憶しかありません。 今まさに本気度が試されますね。
・今日の特集番組で、まだ断水の地域があるとか 原因は水道管の長年の劣化もあるという 家が崩壊したままで各家庭の水道管の補修も出来ないまま これでは生活の元である水無しで復興のフも遠いと思った 政府は今も混乱したまま、石川県知事の手腕はどう発揮するのか ニュースでは、今も瓦礫の山はそのままに見えた
・言いにくいんだけど、能登は地殻変動が起きやすい地域です。 まださらに大きい地震が来る可能性が高いかと。 基本的に人が住むのは避けたほうがいいと思います。 能登から遠い地方に住んでいますが能登は大好きです。 住民の方が幸せに暮らせることを一番願っています。
|
![]() |