( 186448 )  2024/07/02 00:11:50  
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奥田和也さんは、能登半島地震の被災地でカフェを経営し、復興の遅れを「失敗」と強く感じています。

地震後、避難所で活動し、仮設住宅の整備など復旧に尽力していますが、人手不足や時間経過による住民の離れに悩んでいます。

しかし、奥田さんは諦めず、地域の魅力づくりに取り組んでおり、「成功事例を作りたい」と前向きな姿勢を貫いています。

(要約)

( 186450 )  2024/07/02 00:11:50  
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奥田和也さんと能登半島地震 

 

「復興に失敗した石川県は、恥だ。真剣にそう思う」 

能登半島地震の被災地は、今も一部で断水や国道の通行止めが続いてます。輪島市に住む奥田和也さんは、現状を「失敗」と言い切ります。住民が集団避難し、一時は人の気配がなくなった集落で、奥田さんは1日も早い復興を願ってカフェの営業を続けてきました。 

元日に最大震度7を記録した地震から7月1日で半年。「奥能登を元気にしたい」と起業した男性は、奮闘の日々を過ごしています。 

 

【写真】人の気配がない南志見地区と奥田さんのカフェ 

 

屋根瓦が散乱した民家 

 

地震が起きた元日、奥田さんは輪島市から120キロ以上離れた白山市にいました。「もう戻れないかも知れない」と思いながらも、車に支援物資を積み込んで目指した輪島市は、普段なら車で3時間ほどの道のり。しかし、地震によりできた道路の段差や土砂崩れなどに阻まれ、カフェに戻るまでに半日を費やしました。カフェの周囲には屋根から落ちた瓦が散乱し、外壁も剥がれ落ちていました。見渡すとほとんどの建物が同じような状況で、奥田さんが所有していたゲストハウスや事務所などは5棟全てが傾いていました。 

 

「周りでは、みんなが弱音を吐いているんです。でも一日も心は折れなかったですね。片づけをしながら、一日も早くなんとかしてやると。絶対におれが復興させなあかんと」 

 

避難所の様子を話す奥田さん 

 

母は富山県出身ですが父が輪島市出身とあって「半分は能登の血が流れているから」と、過疎化が進む能登を元気にしようと6年前に起業しました。震災後は、手掛けていたレトルト食品を避難所に配って回りました。 

 

「避難所は小学校と公民館2か所に分かれていた。食べ物が全然入ってきていないのが分かっていたし、とりあえず、俺がおらん時でも倉庫を開けて『ある物をみんな持って行かんか』って。俺もいっぱい積んだ物資を配るのはずっとやっていた」 

 

“集団避難”は自衛隊のヘリコプターで 

 

奥田さんが起業した南志見地区は、13町725人が暮らす地域です。能登半島地震では、断水や停電に加え、集落の道路で発生した土砂崩れによって一時孤立したことで、住民らは自力で避難したほか、340人が自衛隊のヘリコプターで100キロ以上離れた金沢市に集団避難しました。住民が少なくなった南志見地区で、奥田さんは事務所に寝泊まりを続けながら「住民らは戻ってこないかも知れない」と考えていました。 

 

 

2月なると仮設住宅の建設風景が見られるようになる 

 

あれから2カ月あまり。もともと過疎化で行き交う人が少なかった南志見地区は、地震でより人の気配が消える一方、工事関係者の姿を時折見かけるようになりました。仮設住宅の整備がすすむ集落に、奥田さんが営業を再開したカフェ「ココハサトマチ」があります。 

 

「絶対に、こんな時って、飲食店があるとホッとするげん」 

 

ここでは、家財整理などで一時帰宅した住民や、復旧作業に当たる工事関係者に向けて午前10時から午後3時までカレーやパスタなどを提供しました。 さらに、店の裏では井戸が新たに掘られ、汲み上げられた地下水を洗い物やトイレなどに使用し、避難先から自宅の様子を見に来た住民らにも開放しました。 

 

毎週訪れている住民の女性 

 

雪が舞う3月、集団避難先から自宅に戻ったという女性が店を訪れていました。週に一回は必ず来ていると話します。 

 

住民の女性 

「再オープン、早い時期にしてくださって、すごくうれしかった。だって、周りがみんな避難して、誰も知っている人がおらん。ここに来たら声をかけてもらえるから、本当にその一言が嬉しい」 

 

がれきの撤去に追われる奥田さん 

 

奥田さんが進めていたゲストハウスの開業も地震の影響で延期に。建物は基礎が折れ、およそ1千万円の地盤工事が必要ですが、開業を諦める様子はありません。 

 

「今足りないのは、人の動きやとおもっている。そして何が足りんかと言ったら、観光スポットやと思っている。ここには隆起してしまったけど海がある。川にはでっかい鮭とかもいるし、魚釣りとか…。今、アウトドアのサウナとかすごく好きな人がおるし、そういう人ってどこでも来てくれる」 

 

集団避難で人がいなくなった南志見地区を、人で賑わう場所にしたいと、奥田さんは切に願います。 

 

木村拓郎理事長(左)と奥田さん(右) 

 

4月下旬になっても静まり返った南志見地区を「減災・復興支援機構」の木村拓郎理事長が訪ねました。東日本大震災や熊本地震など数多くの被災地を見てきましたが、うねった道路や崩れ落ちた屋根が広がる光景に驚きを隠せない様子です。 

 

木村さん 

「やっぱり復旧、復興を大前提にするなら、壊れた家の解体撤去を早くしなきゃいけない。ボランティアは、被災者がいて『困っているから助けよう』と駆けつけるので『被災者がいないなら行ってもしょうがない』という話になる。人がいないとボランティアが助けに来ることは、まずないと思う」 

 

 

「自分のすることが復興に繋がるのか」 

 

カフェ「ココハサトマチ」を訪ねた木村さんに、奥田さんは「戻ってきている住人は10人か20人くらいじゃないか」と説明します。 

 

奥田さん 

「この辺の人は、集団避難しておらんから。どうしても工事自体はやっぱり後回しになるのかなって思いますけど。ここは基本的にはお客さんが来ないところなんですよ。」 

 

「自分のすることが復興に繋がるのか」奥田さんは葛藤する心境を話し始めます。 

 

奥田さん 

「自分がやっていることが、思っとる結果になるのかな、というのはいつも悩むよ。『合っとるんかな…でも、やらんなんよな』という感じ。約4カ月経つんやけど、進んでないですよね」 

 

馳浩 石川県知事 

 

 震災直後の1月5日、石川県の馳浩知事が被災地に来ないように、ボランティアの自粛を呼びかけました。木村さんは、このメッセージが今も影響していると指摘します。 

 

木村さん 

「(県知事が)自粛を呼び掛けたことで『能登は行っちゃいけないんだ』みたいな雰囲気が広がっている。最初から住民の皆さんは諦めムードというか」  

 

我慢や忍耐で済む話ではないと言い切ります。 

 

木村さん 

「時間が経つほど戻る人は少なくなってしまう。人口が減ると過疎化に拍車がかかり、復興にはマイナスになる。震災直後に『自粛して』と言ったので、ボランティアは遠慮して来ない。それを被災地の中の人も感じている。災害のなかでも非常に異常な災害だと思う」 

 

6月の南志見地区 

 

6月中旬。 

向かいの建物にはブルーシートがかけられたままの一方、奥田さんのカフェは、工事用の足場が外され、外壁には補修の痕が残っていました。多い日には一日260個売れていた日替わり弁当は、集落の工事が進むと共に少しずつ売れ残るようになり、奥田さんは時間の経過を感じていました。 

 

奥田さん 

「マスコミの報道も減ったよね。今も能登のニュースがあっても『またか』と思われるし。復興に失敗した石川県は、恥だ、真剣にそう思う」 

 

奥田さん「俺はうまくいく」 

 

南志見地区では4月以降、仮設住宅が順次完成し、住民が戻り始めていますが、それでも震災前と比べて、人口は5月までに1カ月に10人のペースで減少しています。奥田さんは「時間がかかり過ぎて住民らが離れる理由を与えてしまった」として「一年経ってもこんなもんだと思う」と話します。その一方で… 

 

奥田さん 

「でも、俺はうまくいく。覚悟決めて能登に来ているから『こんなことで諦めない、世界に発信できるチャンス』だと思っている。早く再開させることが大事で、頑張っている姿はみんな見ている。待っているだけではダメだ。小さい成功を積み重ねることで『俺もやろう』という人を増やしたい」 

 

 

「利益よりも成功事例を作りたい」 

 

「奥能登を元気にする」を企業理念に掲げ、これまで過疎地での事業に取り組んできました。復旧・復興が程遠いと言える状況のなか「利益よりも成功事例を作りたい」と前を向きます。 

能登半島地震から半年。専門家も「異常な災害だ」と指摘する一方、奥田さんは「南志見地区で出来るなら、能登でどこでも出来る」と、今も復興に向けて地域の魅力づくりに奔走しています。 

 

編集後記 

 

被災地では仮設住宅の建築が進み、少しずつだが道路も繋がりつつある。「復興への槌音が…」と言いたいところだが、現地を取材していると、被災者は「ようやく」といった思いを抱いていることがわかる。「復興の遅れ」を指摘する声が多いなか、奥田さんが言い切った「失敗した」という言葉には重みを感じた。それだけ被災地ではインフラや生活基盤の復旧に時間を要しているのが現状だ。 

そして人手が足りていない。震災直後に県知事が発した「能登への不要不急な移動は控えて」というメッセージの余波は、今や住民らの心に「諦め」という形で暗い影を落とす。その一方、ピンチをチャンスに変えようと奮闘する人がいる。 

 

おどけた表情で社員たちと映る奥田さん(中央) 

 

過疎地に賑わいを取り戻すために起業したとあって「世界に発信できるチャンス」と不屈の精神を見せる奥田さんには、能登半島で生きる人のたくましさがある。少しでも多く、長く、支援が入る事を願ってやまない。 

 

*この記事は、MRO北陸放送とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

 
 

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