( 188703 ) 2024/07/08 02:04:44 0 00 電車(画像:写真AC)
ネット上でしばしば論争になるテーマのひとつに、電車での「席ゆずり」がある。鉄道会社では常に「座席を必要とされているお客さまに席をおゆずりください」と呼びかけ、その対象は
【画像】えっ…! これが40年前の足立区「竹ノ塚」です(計18枚)
・高齢者 ・障がい者 ・妊婦 ・幼児連れの人
などとされている。一見何も問題はなさそうだが、しばしば「席ゆずりを強要された」とか、直接いわれないまでも暗にゆずれという「圧」を受けたなどの不快感の表明が見られる。
「疲れている若者が、年金で遊んでいる高齢者に席をゆずる必要があるのか」
という世代間対立にまで発展する論争もある。ネット上のこの種の情報には、炎上狙いの作り話や過度の脚色が混在している可能性もあるので注意が必要だが、本来は誰でも座れるに越したことはないはずである。鉄道会社がいう「座席を必要としている人」でなくても、若い人でも
・身体的/精神的に疲れている人 ・夜勤明けの人
なども少なくないはずだし、立ったまま資格試験の参考書を広げて勉強をしている人もいる。それにしても「対立」とはそもそも無縁のはずのマナーがなぜ論争になるのだろうか。
最優秀作品。個人情報保護のため一部加工(画像:上岡直見)
画像はある県の「鉄道防犯連絡協議会」と称する団体による、鉄道の利用マナーを呼びかけるポスターで、高校生から募集して「最優秀作品」として採用された標語である。そのなかに
「乗車マナー 沢山の目が 光ってる」
という作品があった。これではまるで戦時中の国策標語ではないか。他に3作品が選ばれていたがいずれも
「見られているから気をつけよう」
という趣旨であり、自発的な行為であるべきマナーとは見当ちがいである。もちろんこれは、応募した生徒よりも選んだ大人の認識の問題であろう。「沢山の目」ほど露骨ではないが首都圏でもやはり「監視されている」というコンセプトのポスターがあった。
ある民鉄で架空のキャラクターが
「みんなに迷惑をかけていないかどうか、注意深く観察しています」
と呼びかけている。これは裏返せば、監視されていなければ自主的な判断ができず無秩序になる傾向にも通じ、話を広げれば日本社会そのものに共通する問題ともいえる。
電車(画像:写真AC)
ノンフィクションライターの窪田順生氏は
「(企業の)広報が発したメッセージというのは、企業の「脳」である経営者の経営姿勢だけではなく、この世の中をどう見ているのか、さらには思想や人間性が色濃く反映されているのだ」
と述べている。鉄道事業者は「お客さま」という用語を表向きには過剰と思えるほど使い、車内トラブルでさえ「お客さま対応」などと表現するほどだが、本当に利用者を「お客さま」と捉えているのだろうか。
ある鉄道事業者のポスターで、座席を詰めて使用するようにという趣旨で、アニメの登場人物が
「さっさとつめておしまい」
と叫んでいるイラストが使われていた。そのポスターを見たのは西日本の地方都市で、通学高校生を念頭に置いているようだが、そこのM市から隣市のS高校まで、高校生の6か月定期券が約5万円、3年間で
「約30万円」
になる。他のいかなるサービス業であれ30万円を払う「お客さま」に対して「つめておしまい」というだろうか。
別のポスターの写真では、意図的なのか痩せ形の人物ばかりが並んで座り、隣の乗客と肩が接して肘も動かせず、膝の上に載せた荷物は隣の人に当たり、誰かひとりでも体の大きな人がいればパンクするに違いない状況が
「望ましいマナー」
として示されていた。
電車(画像:写真AC)
道路交通に関しては、渋滞による時間損失を金額に換算した数値がしばしば示される。国土交通省は、渋滞を金額に換算すると
・全国:12兆円(年額) ・首都圏:2.8兆円 ・東京都:1.2兆円
などと試算している。
これは渋滞緩和のための道路投資が必要という説明に使われるが、それならば鉄道の混雑についても同様に考えるべきである。
鉄道では「渋滞」という現象はないものの、混雑は別の形で利用者の損失として捉えられる。東京都市圏の人の動きは「パーソントリップ調査」「都市交通年報」といった統計があるが、これから計算すると始発から終電まで平均しても終日ふたりにひとりは座れない。
また国土交通省は「鉄道プロジェクトの評価手法マニュアル」という資料で、利用者が鉄道で着席している場合を1.0とすると、立席では
「1.5~2.0倍」
の時間に感じるという指標を示している。
これらのデータから、鉄道利用者が座れないために被っている負担を経済損失に換算すると年間9兆円(平日のみ集計)に相当する。これを利用者が労力として負担していることによって東京都市圏の鉄道輸送が成り立っているともいえるし、その全額とはいわないまでもかなりの額を混雑解消に投資することは不合理ではないはずである。
トイレ前(画像:上岡直見)
鉄道事業者は「マナー」を強調するが、現在の日本で「マナー」とされている行為の大半は、混雑さえなければそもそも必要がない。
前述の「つめておしまい」にも背景がある。この地域では国鉄時代(民営化前)と比べると、
・列車の編成両数の削減 ・車両の小型化
により、朝の通勤・通学時でも座席の数が約6分の1に減っている。沿線の若年人口が減っているとはいえこれは極端に過ぎるのではないか。
他の地域でも同様である。関東地方の地方都市で、最近のダイヤ改訂で列車本数や編成両数の削減があり、朝の通勤・通学時に積み残しが発生する状況になったが、自治体や学校関係者が鉄道事業者に苦情を伝えても聞く耳を持たない態度だという。
このような状態で利用者に「マナー」を求めても説得力は乏しい。物資の不足を
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
で乗り切ろうとした戦時中の発想と変わらない。画像はある県の県庁所在地付近の状況だが、ここでも編成両数の削減のため、せっかく若いカップルが鉄道を使ってくれているのに、座れずにトイレの前に立っている。ビジネスでは
「苦情をいってくる客はまだいい。一番怖いのは何もいわずに去ってゆく客だ」
という格言がある。利用者が将来にわたって鉄道を使い続けてくれるのか、それとも「もうこんな乗りものは使わない」と見放されてしまうのか、鉄道事業者にとって豪華クルーズトレインなどを走らせるより
「はるかに重要な経営課題」
ではないのか。
現在までに完全民営化したJR4社と、大手民鉄7社の2024年3月末の株式所有者別の状況(画像:上岡直見)
国鉄の分割民営のとき、ある経済学者が
「その最大の成果は、国民の足が国民の手に帰ってきたことだ」
と豪語していたが、実際はどうだろうか。図は金融庁の有価証券情報開示システム(EDINET)より、現在までに完全民営化したJR4社(東日本・東海・西日本・九州)と、大手民鉄7社の2024年3月末の株式所有者別の状況である。JRは
「金融関係の法人の比率」
が8割前後を占め、そのうち外国ファンドが3割以上に達する会社もある。企業としては「株主ファースト」にならざるをえず、利用者はステークホルダーではない。その“しわ寄せ”として、大都市圏でさえ「みどりの窓口」の廃止などサービス低下が加速している。
以前に筆者(上岡直見、交通専門家)のもとに相談に来た自治体の担当者から直接聞いたことだが、混雑解消をJRの支社に要望したところ
「列車が混んでいないと本社に申しわけが立たない」
と拒否されたという。また電車を走らせるための基本的なインフラである電気設備のトラブルによる長時間運休なども何度か発生している。JRほか大手の鉄道事業者は新幹線(JR)と大都市圏の詰めこみ輸送、すなわち「やむをえず乗る」利用者だけでも経営は成り立つから、混雑緩和のための積極的な投資は考慮されない。
いったい誰のための鉄道なのか、根本的な問題として公共交通を営利事業に任せることが適切なのか。「マナー」を利用者どうしの問題にとどめるのではなく、その背景にも注目する必要がある。
上岡直見(交通専門家)
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