( 188861 )  2024/07/08 16:35:41  
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2024年6月18日、新潟県上越市市長の発言が学歴差別の波紋を引き起こした。

企業における学歴の影響を考えると、大学卒の求人倍率が1.75倍である一方、高校卒の求人倍率は3.79倍であり、高卒よりも大卒が求められているかもしれない。

ただし、高卒も採用されることがある。

日本では学歴よりもメンバーシップ型の採用が一般的で、ポテンシャルや学習能力を重視する傾向がある。

トヨタ自動車の事例などが示すように、大卒より高卒を採用し、自社で育成する方針もある。

高卒の方が価値を持つ場面も存在し、一般的な知識やスキルを学ぶ大学教育の意義にも疑問が投げかけられる時代となっている。

(要約)

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会社員のイメージ(画像:写真AC) 

 

 2024年6月18日、新潟県上越市市長が企業誘致をめぐる議会の答弁で発した「従業員3000人のうち研究開発職は270人であとは工場勤務」「工場で働いているのは高校卒業レベルの人で頭のいい人だけが来るわけではない」という発言が学歴差別ではないかと波紋を呼んだ。 

 

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 要は、高卒で働いている人よりも、大卒で就職した人の方が優秀だという考え方が背後ににじんでいるのではないかということだ。 

 

「優秀さ」とは場面によって異なるものであるから、高卒と大卒のどちらが優秀かという問い自体、 

 

「そもそも意味がない」 

 

のだが、実際に人材採用などの企業の現場において、学歴はどのような影響があるのか検討してみたい。 

 

会社員のイメージ(画像:写真AC) 

 

 まず、求人倍率、つまり企業がどれだけ対象の人たちを求めているかという指数から見てみよう。リクルートワークス研究所による最新の調査によれば、大学卒の求人倍率は、 

 

「1.75倍」 

 

である。これはコロナ前の水準に戻ってきており、いわゆる「売り手市場(学生が強い市場)」となっている。 

 

 一方、厚生労働省によると、2023年9月末時点の高校卒の求人倍率はなんと 

 

「3.79倍」 

 

で、大卒の“2.2倍”となっている。つまり、この数字だけ見れば、大卒よりも高卒が企業から求められているともいえる。もちろん、大学進学率が1990年代はおよそ25%(文科省学校基本調査)だったものが、2020年代には約55%となり、 

 

「就職をする高校生自体が減っている」 

 

ことの影響は大きい。しかし、それだけではないはずだ。 

 

大学受験の合格祈願の絵馬イメージ(画像:写真AC) 

 

 採用する側の視点では、これだけの求人倍率の差があるのであれば、より採りやすい大卒を狙えばよいと考えるのがふつうだ。もし大学に進学していることに価値を置いているのであればなおさらだ。 

 

 大学でレベルの高い教育を受けて、成長しているはずの大学生が、高校生よりも採用しやすいのであれば、採用難易度の高い高校生を採用するのは諦めて、大学生に採用ターゲットをシフトしても不自然なことではない。 

 

 しかし、現実にはそうはなっていないから、このような数字になっている。極端な言い方だが、 

 

「大卒は高卒よりも企業からは人気がない」 

 

のである。高卒は大卒よりも人件費が安いから、企業は狙っているのではないかと考える向きもいるかもしれない。 

 

 しかし、厚生労働省の賃金構造基本統計調査などを見ると、20代前半で高校卒は年収約300万円に対して、大学卒は約340万円と40万円程度の開きがある程度であり30代前半くらいまで見ても、高校卒と大学卒の間の年収差は100万円に満たない(大きいといえば大きいが)。 

 

 社会人としての活躍度合いは、入社後数年もたてばある程度の評価はつく。30代前半といえば、高卒なら15年以上、大卒でも10年以上も社会人経験をしているわけで、結局、学歴による活躍度の差(報酬が企業の評価を反映しているものと考えて)は思うほど大きくないともいえる。 

 

 

会社員のイメージ(画像:写真AC) 

 

 大卒と大学院卒を見ても、似たようなことがいえる。 

 

 そもそも日本では、採用時点において、大卒よりも修士が、修士よりも博士が採用において重視されることはない。また、博士が就職先に困っているという状況すらあり、よいか悪いかは別として、 

 

「より上位の学校に進学することに価値を置いていない企業が多い」 

 

ことは明らかだ。日本では学校歴はある程度は重視されているかもしれないが、少なくとも教育段階別の経歴である修学歴はあまり評価されていないのだ。以上のような現状を見ると、日本は「学歴社会」であるとはそれほどいえない。 

 

 さて、なぜこのようなことが生じるのだろうか。ひとつの理由として考えられるのは、日本は長らく 

 

「メンバーシップ型採用(仲間探し型の採用)」 

 

をしてきたことがある。やる仕事や職種を決めて採用する「ジョブ型採用」が、既に持っている能力≒「顕在能力」を重視して評価するのとは違って、「メンバーシップ型採用」では 

 

「人柄やポテンシャル=潜在能力≒学習能力」 

 

を評価する。平たくいえば、既に何か色がついている人よりも、何も色がついていない「真っ白」な人を採用して、彼らを育てて、 

 

「自社の色に染め上げる」 

 

ことを重視してきた。その方が、成果を出せる人になると考えているのである。 

 

 だから、いろいろ独自の色がついている大卒者や大学院卒者などよりも、高卒者の方がよい場合も大いにあるという考えとなる。自動車業界においても好事例がある。トヨタ自動車の設立した80年以上の歴史を持つトヨタ工業学園(旧・トヨタ技能者養成所)である。 

 

 トヨタは現在でも中学卒の人材を集めて、ポテンシャル採用と人材育成を自社で行っている。そして、同校を卒業してトヨタ自動車に入社し、副社長にまで上り詰めた河合満氏(現・エグゼクティブフェロー)をはじめ、多くのトヨタ幹部を輩出しているのだ。 

 

履歴書のイメージ(画像:写真AC) 

 

 さて、冒頭の学歴に話を戻そう。 

 

 現在のようなホワイトカラーや中間管理職の仕事がどんどん人工知能(AI)に奪われる時代において、 

 

「どこでも通用する(はずの)一般的な知識やスキル」 

 

を学ぶために学歴を積むことはどれほど意味があるだろうか。 

 

 むしろ、トヨタのように、トヨタの仕事をすることを前提に、真っ白な人材をじっくりと育成することに時間をかける方が、個人の側からすれば、何かの専門職になることを考えて、早くから専門教育を受ける方が、多くの場合、社会において価値を発揮できる人材になりやすいかもしれない。 

 

 ジェネラルな知識を学んでいるはずの大卒よりも、高卒に人気があるのはそういう背景もあるのではないだろうか。大学はその存在意義を考え直す岐路に立っている。 

 

曽和利光(人事コンサルタント) 

 

 

 
 

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