( 189506 )  2024/07/10 16:07:57  
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石丸伸二氏は、東京都知事選挙で2位になったが、彼の言動には謎が残る。

なぜ安芸高田市の市長を放り出して都知事選に出馬し、敗北後に国政選挙への可能性を匂わせたのか。

国際政治アナリストの渡瀬裕哉氏は、彼の実績を検証し、彼が「誠実な政治家」なのかを問いかける。

彼の質問への回答の避け方やSNS上での振る舞いが問題視されており、「政治屋」としての側面も浮き彫りにされている。

(要約)

( 189508 )  2024/07/10 16:07:57  
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街頭演説で熱弁をふるう石丸伸二氏/編集部撮影 

 

石丸伸二氏は、今回の東京都知事選挙で得票数2位という大きな爪痕を残した。 

 

しかし石丸氏の言動には謎がつきまとう。 

 

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なぜ彼は広島県安芸高田市の市長職を任期途中で放り出してまで都知事選に出馬したのか。そして、なぜその都知事選で敗戦するや、国政選挙への出馬を匂わせ始めたのか。 

 

果たして彼は、多くの都民が期待した通りの「誠実な政治家」なのか。 

 

国際政治アナリストの渡瀬裕哉氏が、都知事選での言動と安芸高田市長時代の実績をもとに検証する。 

 

石丸氏の街頭演説/編集部撮影 

 

現職の小池百合子氏の再選で、東京都知事選挙は終わりを告げた。SNSやショート動画を駆使して戦った元安芸高田市長の石丸伸二氏は、2位。 

 

「政治屋の一掃」 

 

6月19日に実施された都知事選立候補者の共同記者会見の場で、石丸氏が掲げたボードに書かれていた言葉だ。 

 

石丸氏は都知事選での敗戦後、日本テレビ系ユーチューブ生配信番組で、この「政治屋」に関して「政治のための政治をする、党利党略に勤しむ、自分第一、これを言っているもの、やっているもの」と改めて定義した。 

 

その石丸氏はというと、安芸高田市政を中途半端に放り出し、さらに敗戦直後の記者会見では選択肢のひとつとして、国政選挙への出馬(広島1区)の可能性すら匂わせている。なぜ、彼は自身が立候補または立候補を検討する場所をコロコロ変えるのだろうか。 

 

それは、石丸氏こそ彼が定義する「政治屋そのもの」だからだ。 

 

このたびの都知事選においても、政治屋ぶりは遺憾なく発揮された。そのハイライトは選挙公示3日前の公約発表記者会見だった。 

 

まずこの会見で、安芸高田市長時代の財政再建の成功は自分の手柄と言い切ったことはご愛嬌だ(実際は一時的に市の財政が改善したように“見えた”だけで、ほぼ外部要因だった。後編記事で詳述する)。 

 

しかし、石丸氏の記者会見で露呈した本当の問題は、そこではなかった。フリーの記者から活動資金について大口の寄付や貸付が存在するのかを問われた際、石丸氏は個人献金上限150万円を行った支援者がいることのみ回答したのだ。 

 

しかしその後、6月27日発売の週刊新潮の取材に答える形で、ドトール創業者である鳥羽博道氏が、 

 

〈僕はいくらでも献金していいと思ったのですが、友人から弁護士に相談しろと言われた。それで弁護士に聞いたら(個人献金は)150万円を超えては駄目だということでしたので、150万円だけ寄付しました。また以前、僕が副会長をやっていたニュービジネス協議会の人々が4000万円、私も1000万円、合計5000万円を法律に沿って貸付けてもいます〉(原文ママ) 

 

と巨額の貸付の事実を話してしまった。 

 

貸付自体は直ちに違法となるものではなく、この手の貸付は永田町界隈では常識的に行われてきた。しかし、それは現行の政治資金規正法に「穴」があるというだけの話だ。 

 

政治献金上限に引っかかるから貸付にする、という行為は現行法では合法かもしれないが、政治家は法を正す立場として倫理的な側面を問われるべきだ。「政治のための政治をする、党利党略に勤しむ、自分第一」の政治屋でないのなら、その法改正を訴えることが筋である。 

 

この時点で、彼は明確に「政治屋」となり、「政治家」としては終わった存在になった(そして「ドトール石丸」というネットスラングが定着した)。 

 

この貸付問題に関する苦しい言い訳として、選挙公示日3日前まで貸付については話すら無かったので回答できなかった、という主張もあり得る。しかし、そんな与太話を鵜呑みにする大人はいないだろう。それを信じるのは社会経験が足りない子どもか、切り抜き動画にスッカリ染め上げられた熱烈な支持者だけだ。 

 

石丸氏の特徴は「嘘を述べる」というよりも「重要なことを誠実に回答しない」という点にある。 

 

 

石丸氏と聴衆のコール&レスポンス/編集部撮影 

 

前述の日本テレビ系ユーチューブ番組内で石丸氏は、コメンテーターの古市憲寿氏からの質問にストレートに答えなかった。相手に対する嘲笑を織り交ぜながらダラダラと回答を引き延ばし、時間切れとなったのだ。 

 

このような質疑のやり方は安芸高田市長時代からの特徴であり、いまやSNS上では「石丸構文」と呼ばれて嘲笑の対象となっている。 

 

自己に都合が悪い質問に対しては答弁を徹底的にはぐらかす。つまり、政治や行政を詳しく知らない国民を心底馬鹿にしている人物と言えるのではないか。 

 

そして、残念なことに彼の積極的な支持者も切り抜き動画の受け売りで、SNS上で異なる意見の人々に罵声を浴びせ、独善的な正義を振りかざす排他的な存在に堕してしまった。 

 

かくいう筆者のXにも、脅迫まがいのコメントが寄せられたため、現在弁護士を通じて相手先の情報開示作業を行っており、場合によっては警察に通報することも検討している状況だ。 

 

この他にも言いたいこと(度重なる稚拙な嘘による裁判敗訴、頓珍漢な議会答弁など)は山ほどあるが、今回は筆者が気になった露骨なポイントに絞って取り上げたい。 

 

その一つが、実績を残したと石丸氏が胸を張る安芸高田市長時代だ。 

 

彼が安芸高田市を捨て、わざわざ都知事選挙に転出した背景には何があるのか。 

 

つづく後編記事『「都知事選で2位」の石丸伸二氏が出馬した「本当の理由」…安芸高田市長時代に残していた「4つのフェイク」』では、その実態についてさらに解説する。 

 

渡瀬 裕哉(国際政治アナリスト・早稲田大学招聘研究員) 

 

 

 
 

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