( 190186 )  2024/07/12 16:50:56  
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安倍元首相が銃撃されて2年が経過し、裁判も進行していない状況で、日本社会は何も変わっていないことが示されている。

この事件を通じて、「権力者を殺しても日本社会は変わらない」という現実が明らかになった。

一部の人々は山上被告を英雄視し、犯罪を肯定する風潮が広がっている。

しかし、暴力で社会を変えることの無意味さが示されており、日本のメディアや市民には、この事実を伝える責任がある。

安倍元首相の暗殺が社会に変化をもたらすことはなく、政権の方針も進んでいる。

日本では個人の排除が解決につながらず、組織の在り方やシステムが変えるべき点とされている。

(要約)

( 190188 )  2024/07/12 16:50:56  
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安倍元首相銃撃から2年、日本社会はどんな教訓を得ることができたのか Photo:JIJI 

 

● 安倍元首相襲撃から2年 社会が何も変わっていない現実 

 

 安倍晋三元首相が亡くなって2年が経過した。 

 

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 命日の7月8日は三回忌法要や追悼行事も開かれたが、多くの国民の中でいまだにこの事件が一区切りついた印象がないのは、やはり裁判が行われていないからだろう。 

 

 報道によれば、証拠の整理が終わり、争点の絞り込みが行われていて、山上徹也被告の所持していた手製の銃が「拳銃等」にあたるかどうかなどのやりとりが続けられ、被告の弁護団の見通しでは、来年以降となるという。 

 

 ただ、情報がなくてもこのような悲劇を繰り返さないためにメディアにもできることはある。それは今回の事件で改めて明らかになった「権力者を殺しても日本社会はなにひとつ変わらない」という現実を広く世に伝えることだ。 

 

 この事件が起きてしばらくして、演説中の岸田文雄首相に「手製のパイプ爆弾」を投げるという模倣犯が出たように、今後も「悪徳政治家にアクションを起こすオレってカッケー」的な自己陶酔型のテロが増えていく恐れがある。 

 

 これは、『山上被告を「同情できるテロ犯」扱いしたマスコミの罪、岸田首相襲撃事件で言い逃れ不能』という記事でも解説しているが、山上徹也被告に対して「やったことは悪いことだけれど日本の闇を暴いた」という感じで英雄視する人が続出したことも影響している。 

 

 https://diamond.jp/articles/-/321595 

 

 海外のメディアでは銃乱射事件などのテロが起きたとき、日本のように実行犯に同情しないのはもちろん、生い立ちや主張を詳しく報じない。過剰なテロリスト擁護報道は、同情や共感を生んで次のテロ予備軍を作ってしまうことがわかっているからだ。 

 

 しかし、日本のマスコミは事件直後から山上被告をワイドショーネタとして消費しまくった。だからこそ、せめてもの罪滅ぼしに毎年この時期が来たら、「暴力で世界を変えることはできない」というメッセージを強く発信すべきなのだ。 

 

 

● 「安倍氏はヒトラー」 「山上はヒーロー」という錯誤 

 

 しかも、実は安倍元首相銃撃事件ほど、「暴力では世界を変えられない」ということを世に知らしめるのに効果的なケースはない。 

 

 安倍元首相は生前、いわゆる左派リベラルの人たちから「日本を悪い方向へ導く犯人」として叩かれたてきた。それがよくわかるのがこんな言葉だ。 

 

 「安倍以外なら誰でも良い」「安倍は史上最悪の独裁者である」「安倍のせいで日本は破滅する」 

 

 これは『新潮45』(2015年9月号)の中で著述家の古谷経衡氏が紹介した、2015年の憲法記念日のトークイベントで繰り返された「安倍批判」である。在任中、憲法改正や安保法改正、特定秘密保護法などを次々と成立させたことで「独裁者」と叩かれて、以下のようにナチス・ドイツのヒトラーと重ねられることも多かった。 

 

 「ヒトラーに酷似…安倍首相を暗示するパロディー動画の中身」(日刊ゲンダイ15年6月21日) 

 

 「群馬でヒトラーを模した安倍晋三首相のコラージュ画像が映し出される 俳優の宝田明氏、元朝日記者が講演」(産経新聞18年5月3日) 

 

 ちょっと前、ウクライナ政府が公式SNSで流した動画でヒトラー、ムソリーニと共に昭和天皇を並べて「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」とテロップを流したところ、日本政府が抗議をして写真を削除させたように、国際社会ではヒトラーと同一視されるのは受け入れ難い侮辱だ。それを自国民やメディアから日常的にやられていたのが、安倍元首相だった。 

 

 だからこそ、銃撃事件で安倍元首相が殺害されたとき、山上被告を「独裁者の暴走を止めたヒーロー」と持ち上げる人たちがいたわけだ。例えば、とある作家の方は事件後のネット番組で「暗殺が成功してよかった」と発言をして炎上をした。 

 

 ご本人は悪意に満ちた「ネガティブキャンペーン」だと反論をしたが、メディアの取材に対して「安倍元首相襲撃事件には悪政へ抵抗、復讐という背景も感じられ、心情的に共感を覚える点があったのは事実」と回答するなど、安倍元首相への憎悪があった点は、正直にお認めになっている。 

 

 つまり、誤解を恐れずに言ってしまうと、一部の左派リベラルな人々にとって、安倍元首相というのは暗殺をしてでもその暴走を止めないといけない、日本に害をなすヒトラー級の独裁者、という認識だったのだ。 

 

● 岸田政権でも続く防衛費増額や改憲 変わったことなど何ひとつない 

 

 では、実際にそのような危険人物が「正義の暴力」によって排除されて日本はどうなったか。冷静にこの2年を振り返ってみよう。 

 

 「軽武装・経済重視」でハト派と呼ばれる宏池会で長く会長を務めてきた岸田文雄首相が、国の舵取りしたので、理屈としては安倍政権時に大騒ぎしていた「戦争のできる国」から遠ざかるはずなのだが、現実は逆だった。 

 

 防衛費は安倍政権時と比べてドカンと増額され、24年度は過去最高の8.9兆円、GDPの1.6%にもなっている。安倍元首相がちょこっと口に出しただけでも「侵略戦争をするのか」と大バッシングだった敵基地攻撃能力保有を含めた安保三文書も、サクっと閣議決定した。 

 

 安倍元首相が「ヒトラー」と攻撃される原因となった憲法改正も同じだ。今年1月の施政方針演説で、岸田首相はこれまで行政の長として明確に言及しなかった改憲を明言して、総裁任期中に実現をしたいと意欲を述べたが、どこかで大規模デモが起きたという話は聞かない。 

 

 こういう事実を見る限り、安倍元首相が殺害されたことで変わったことなどひとつもない。むしろ、安倍政権時代に課題とされたことは、存命中よりも加速しているのだ。なぜ、こんな現象が起きるのか。 

 

 「そ……それは、自民党内にいまだに安倍的なものが残っていてだな」という感じで、イデオロギーやら政治倫理という話で、どうにかして安倍元首相のせいにしたい人たちも多いだろうが、これはそんな「ふわっ」とした精神論の話ではない。大企業などでもよく見られる「組織力学」だ。 

 

 

 創業社長やオーナーではない限り、役員会による決定や前任者からの申し送りがあるので、社長だからといって自分勝手なことなどできない。これは自民党や内閣という組織も同じで、首相になったところでマスコミが騒ぐほど「独裁」などできないのだ。 

 

 しかも、日本の場合は「システム」が変わらなければ誰がリーダーをやっても同じところがある。 

 

 それがよくわかるのが、最近「暴走老人」の様相を呈してきた米・バイデン大統領の発言だ。テレビのインタビューで日本の防衛費増額をめぐり、こんなことをポロっと口走ったのだ。 

 

 「私は三度にわたり日本の指導者と会い、説得した。彼自身も何か違うことをしなければならないと考えた」 

 

 要するに、「岸田首相に防衛費増額を決断させたのは私ですよ」と自慢しているわけだが、これは日本の安全保障の本質を突いている。安倍元首相が安保や防衛費増額に心血を注いでいたのは、別にヒトラーだからでもなく、侵略戦争をしたいわけでもなく、「核の傘で守ってくれるアメリカ様のオーダー」だからだ。 

 

● 反米政権でも生まれない限り ハト派だろうがタカ派だろうが同じこと 

 

 このように、日本では反米政権が生まれない限り、ハト派だろうがタカ派だろうが防衛費増額、日米連携強化などを進めなくてはいけない。日米同盟という大きなシステムの中に生きている日本の内閣総理大臣は結局、そのシステムの中での意思決定しかできないので、個人差はあっても大きな方向性は変わらないのだ。 

 

 つまり、大統領制や独裁政治体制ではない日本において、「あいつを殺せばすべて解決だ」と内閣総理大臣を暗殺したところで、一時政治が混乱しても、「次の人」が出てきて、同じ政策を繰り返すだけなのである。 

 

 そしてもっと言ってしまうと、これはアメリカがすべて悪いわけではない。「独裁」ができないという傾向は、「ファシズム」と評価される戦時中の日本にもあった。 

 

 ご存知の方も多いだろうが、戦況が悪化してきたとき、海軍内にはアメリカと和平を結ぶべきだと終戦工作に動いていた人々がいた。その筆頭が海軍少将、高木惣吉氏らのグループで、東條英機首相の暗殺まで計画した。 

 

 

 しかし結局、44年7月に東條内閣が辞職したこともあって、ってこの計画は幻に終わったが戦後、高木氏は「文藝春秋」(1964年9月号)で「読みが甘かった」とこう反省している。 

 

 「計画がうまく実行されたとしても、その後の陸海軍の関係が極度に悪化して、和平の道が閉ざされて悲惨な終戦を迎えのではないかとも予想できる」 

 

● 太平洋戦争中の軍人も気づいていた 「権力者淘汰」の無意味さ 

 

 よく東條英機を「独裁者」と批判する論調を見るが、側近らの証言を見ると、「独裁者の片鱗もない」という中間管理職型の人だった。「戦争継続」にこだわったのも、陸軍内部の声に配慮をした側面が強く、陸軍の立場を第一に考える組織人だった。だから、彼を殺してももっと過激な「次の人」が台頭して事態を悪化させる恐れもあった、というのだ。 

 

 この当時の海軍エリートたちは、どうすればこの戦争を終わらせられるかと脳みそをフル回転させて考えていた。その結果が「権力者を殺しても日本の問題は解決できない」という結論だったことは、非常に興味深い。 

 

 このような歴史を振り返ってみても、日本には「暴力で社会を変える」という価値観はそぐわない。最も効果がなく、最も愚かな行為と言ってもいい。 

 

 よくネットやSNSで「山上被告のやったことは許されないが、旧統一教会と政治の関係を浮かび上がらせた功績はある」とか言う人がいるが、これも勘違いだ。 

 

 自民党と旧統一教会の関係など、国際勝共連合と共産党がバチバチやっていた50年以上前から公然の事実だ。安倍元首相との関係もテレビと新聞がスルーしていただけの話で、週刊誌では手垢のついたネタで過去に何度か記事になっているし、昔からネットで検索をすれば山ほど情報は出ている。筆者も18年、とある大手出版社に、旧統一教会の関連団体と自民党や安倍元首相の関係についての書籍企画を持ち込んだら、「みんな知っている話ですから、よほど大きなネタがないと」とあっさりとボツになったこともある。 

 

 要するに、山上被告の「テロ」は、「日本の闇」を暴いたなんて英雄譚ではなく、1人の政治家の命を奪って、旧統一教会問題を「ワイドショーネタ」にしただけだ。 

 

 

 
 

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