( 190960 ) 2024/07/15 01:20:34 2 00 タダ同然のお茶を「1杯5000円」で売り出し大逆転…佐賀・嬉野の茶農家が"薄利多売"をやめて起きたことプレジデントオンライン 7/14(日) 10:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/44dc25d566772f614981a8efa86f214eec87eb6f |
( 190963 ) 2024/07/15 01:20:34 0 00 嬉野市街地からクルマで10分ほどの場所にある「天茶台」。茶農家の話に耳を傾けながらうれしの茶をじっくり味わえる贅沢な空間だ - 筆者撮影
安いことは本当にいいことなのだろうか。佐賀県嬉野市の茶農家たちが2017年、1杯5000円で特産品「うれしの茶」を振る舞う観光プログラムをはじめた。かつて地元の飲食店やホテルが無料で提供していたお茶に、なぜ高い値段をつけたのか。フリーライターの伏見学さんが、茶農家たちに狙いを取材した――。
【写真全12枚】1杯5000円のお茶。新緑の香りと旨みが口に広がった。
■「うれしの茶」に起きている地殻変動
佐賀県の南西部。長崎県と隣接する人口約2万5000人の嬉野市。2022年9月に開業した西九州新幹線によって、実に91年ぶりに鉄道駅がこの街にできたことが話題になったのは記憶に新しいだろう。
嬉野の名産といえば、日本三大美肌の湯と呼ばれる「嬉野温泉」、400年以上の歴史を持つ工芸品「肥前吉田焼」、そして、やぶきたを主力品種とした「うれしの茶」である。昨今、そのお茶に“地殻変動”が起きている。
「こちら、最初の1杯でございます」
ここは嬉野市内を一望できる山の上の茶畑。その中に屋外茶室「天茶台」はある。担当してくれた茶農家の北野秀一さんから差し出されたのは、肥前吉田焼の白い茶器に注がれた煎茶。1杯5000円という。北野さんは「きたの茶園」の3代目。現在3.6ヘクタールの茶畑にて、農薬と化学肥料を一切使わない有機栽培を行う気鋭の生産者である。
この日、筆者が体験していたのは「ティーツーリズム」と呼ばれる観光プログラムで、生産者が自らお茶3杯を振る舞い、参加者と対話するというもの。茶菓子がつくコースもあるが、参加料金は一人1万5000円(税別)なので、単純計算でお茶1杯につき5000円となるわけだ。
このプログラムが誕生したのは2017年。そこから段階的にお茶の料金は上昇し、現在の水準になった。
■かつては「お茶はタダ」が当たり前だった
うれしの茶が高価格化したのはここだけではない。ティーツーリズムを仕掛ける地元高級旅館・和多屋別荘では、客室に置いてある茶葉を除き、施設内で飲むお茶はすべて有料で提供している。
では、こうした取り組みが始まる以前はどうだったのか。嬉野の他の旅館やホテルはもとより、和多屋別荘でも基本的にタダである。地元の名産品にもかかわらず、お茶でお金を取るという意識は誰も持ち合わせていなかった。
ただ、これは日本全国どこでも言えることだろう。例えば、飲食店でもコーヒーやジュースは有料だが、お茶や水は頼めば無料で出してくれる。「お茶はタダ」であることが半ば常識になっていると言ってもいい。
客に大盤振る舞いしてもびくともしないほど、茶農家のビジネスは安泰だったかというと、当然そんなことはない。時代の移り変わりとともに茶葉の市場価格は下がる一方だ。全国茶生産団体連合会の調べによると、お茶(普通煎茶の一番茶)の平均価格は、2006年に1キログラムあたり2500円を超えていたが、22年には1944円にまで下落している。以前からお茶で稼ぐのは一筋縄でいかない状況だったと北野さんは回想する。
「23年前に就農したとき、この収入で家族を食べさせていくには厳しいことが目に見えていました。そこですぐに(お茶の閑散期である)冬場は造園業の仕事を始めたんです」
それが時は経ち、今ではお茶の仕事だけに100パーセント専念できるようになった。総売り上げも2015年ごろと比べて約2倍に増えた。
「お茶はタダではない」。安売りからの脱却を図った嬉野の茶産業の変革を追った。
■家業を継いだ「茶農家の長男」の本音
「将来はお前が後を継ぐんだからな」
茶農家の長男として生まれた北野さんは、幼少期から親族にそう言われて育った。学生時代は陸上競技で鳴らしたスポーツマン。真っ直ぐな性格の北野さんは特に反発するわけでもなく、高校を卒業するとそのままお茶の道へ進む。
静岡の国立野菜・茶業試験場(現野菜茶業研究所)で2年間研修を受けた後、2001年に嬉野に戻り就農。ところが、北野さんが子どもの頃とは茶産業を取り巻く状況は一変していた。佐賀県や嬉野市が公表するデータを見ると、1995年の嬉野の茶栽培農家は1280戸、生産額は約21億円。ところが、そこから減少の一途を辿り、北野さんが就農した時には500戸ほどになっていた。
昔は後継ぎになれと言っていた親族なども「もうお茶は右肩下がり。お茶だけで食べていくのは難しくなるから、兼業農家という道もあるよ」と申し訳なさそうに口にしたという。
「長男だから継ぐことを決めたけれど、必ずしも明るい未来が待っている感じではありませんでした」と北野さんは話す。
■10年足らずで農家数はほぼ半減、親に止められた同級生も…
先に、その未来がどうなったのかを明かしてしまうと、嬉野の茶産業の衰退は加速していると言わざるを得ない。茶栽培農家数は2013年の324戸に対して、2022年は189戸と半分近くに。生産額は10億4800万円から7億4769万円にまで落ち込んだ。およそ30年間で市場規模は約3分の1に縮小した。
北野さんと同じく実家が茶農家だった同級生は皆、早々に家業を継ぐのをやめていた。親の方から止められた人もいたようだ。それなのに、なぜ北野さんは継いだのか。
「畑の面積が大きかったし、他に先駆けて有機栽培をしていたこともあって、どこかやりがいを感じたんですね。お茶を飲むのが好きだというのもありました。何よりも、親父が一生懸命やっているのをずっと見てきたので」
■お茶の収入だけでは生活できない
家業を前向きにとらえた北野さんだったが、現実は想像以上の厳しさだった。
「帰ってきて初年度のお茶の収入を見て驚きました。さすがにこれだと来年暮らすのは難しいから、冬場はどこか仕事に出ないと無理だなと痛感しました」
そこで北野さんは10月から翌年3月までの期間、造園業の会社で働いた。何とかして家族を養おうと必死だった。結局、造園の仕事を5、6年ほど続けた。その間に結婚をして家庭を持ったことで、より年収を上げなくてはならなくなっていた。そこで導き出した答えが、市場へのお茶の出荷量を減らし、小売に乗り出すことである。
ただ、これには父親の説得が必要だった。基本的には父と北野さんの2人で切り盛りしていたため、北野さんが行商に出てしまっては人手が足りなくなる。話し合いの末、何とか理解を得て小売を始めた。
とはいえ、営業経験などあるわけではない。そこで頼ったのが、茶農家の先輩・副島仁さんだった。副島さんは現在、副島園の4代目として茶栽培にとどまらず、カフェやバーの経営など手広く事業を展開する、地元のリーダー的存在である。当時既にいち早く小売を始めていた。北野さんは、まずは生産量の2割を販売することを目指し、副島さんの紹介でスーパーマーケットの催事イベントなどに出展した。
■質よりも安さが求められる「小売りの現実」
北野さんのお茶は無農薬だったこともあり、とりわけ農産物直売所では人気だった。客も足を止めて、北野さんの話に耳を傾けてくれた。ただし、売るためには値引きをしたり、詰め放題にしたりと、お得感を出さねばならなかったという。
「お客さんの受けはいいのですが、いざ買う段階になると、2割、3割引にしてと言われてしまいます」
手塩にかけて育てたお茶。しかも有機栽培であるため、一般的なお茶と比べて収量も限れられている。でも、客の多くはそれよりも値段が安いかどうかに目がいってしまう。小売を始めたことで収入面では以前よりもマシにはなったものの、薄利多売という構造からは抜け出せなかった。
お茶をもっと高く売りたい。北野さんは切実にそう願っていた。
■「絶対に継ぎたくない」と思っていた茶農家5代目
ここでもう一人、北野さんと同じようにもがいていた茶農家のストーリーを紹介したい。永尾豊裕園の永尾裕也さんだ。
永尾さんは嬉野で100年以上も続く茶農家の5代目で、2001年に就農した。子どもの頃から畑作業の手伝いに駆り出されていた永尾さんは、「絶対に継ぎたくない」と思っていたそうだ。ただ、歳を重ねるにつれ、徐々に考え方が変わっていく。
「高校は進学校で、大学にも行けたんですけど、別に何かをやりたいということはなかった。ただ家業に入らなくてもいい方法はないかなって思いながら、何となく大学に行こうという考えでした」
結論だけを言うと、目標にした佐賀大学農学部は不合格に。腹を決めて、静岡の野菜・茶業試験場に。そこで2年間学び、その後は掛川市の山啓製茶で2年間の修行を積んで嬉野に帰ってくる。当時はちょうどお茶の“バブル”が弾けようとしていたタイミングだったという。
「90年代後半ごろにお茶のペットボトル商戦が始まりました。それに伴って原料の茶葉が足りないからと、メーカーがかなりいい値段で大量に買ってくれたそうです。僕が静岡にいる時に親父が嬉しそうに話していました」
しかし一方で、一般家庭向けのリーフ(茶葉)の消費量が下がり、売れ行きは悪化。さらにペットボトルのバブルも長くは続かない。永尾さんが嬉野に戻ったあたりからそのしわ寄せがやってきた。
いきなり大赤字になるといった絶望的な状態ではなかったというが、永尾さんの表現を借りると「真綿で首を絞められる状態」。つまり、売り上げが毎年5%ずつ下がっていき、徐々に廃業する茶農家が増えていった。
■「もっと高く売れるはず」強気の値付けが逆効果に
永尾さんもお茶以外での収入を得るため、冬場は海苔の養殖工場やコンクリート工場などでアルバイトをした。お茶の小売はしなかったのかと尋ねると、手間がかかることもあって、あくまでも市場への出荷をメインに考えていたという。
ただし、既存の業界構造には疑問を持っていた。お茶はもっと高く売れるはずと思い、強気な価格設定をしていたそうだ。
「もの作りって何でも、作った人は自分で値段を決めて、その価値をお客さんが理解して買ってもらうのが一般的ですよね。でも農作物はそうではない。そこに納得がいかなくて。だから一時期、自分で値付けして、これより安いと売りませんと言っていました」
すると、いつしか“嫌がらせ”を受けることに。
「問屋としては買いたい商品が買えないと心が萎える。それが何年か続いて、永尾のところは高いからもういらないとなっていたようです」
そうした状況でも小売に大きく舵を切ることはできなかった。なぜなら市場に卸す利点もあったからだ。
「それこそ市場は30キログラムの袋に茶葉を放り込んで、ポンと出せばまとめて買い取ってくれます。それが小売になると、自ら一つ一つ小袋に詰めたり、パッキングしたりとどうしても手間がかかりますよね」
自分が作ったお茶の価値を知ってもらい、もっと高値で買ってほしい。でも、市場のスキームから抜け出すことはできない。永尾さんもまた、理想と現実とのはざまにもがき苦しんでいた。
■「1杯1500円で売りたい」に茶農家は騒然
そんな北野さんと永尾さんの視界が急に開けたのが、2016年6月ごろのことだった。
ある日、先輩の副島さんから「今度こういうイベントがあるから話を聞いてみない?」と誘いを受ける。そのイベントとは、同年8月に初開催の伝統文化と食をテーマにした「うれしの晩夏」。そこで上質なうれしの茶と茶菓子を提供する喫茶空間「嬉野茶寮」を企画するため、茶農家として参加してほしいという呼びかけがあった。
北野さん、永尾さんが会合に出向くと、参加者は15人ほどで、半分が顔見知りの茶農家だった。そこで出会ったのが、和多屋別荘の小原嘉元社長だった。
「面識はなかったですね。あー、この人が新しい和多屋別荘の社長か、と思ったくらい」(北野さん)
その初対面の場で、北野さんや永尾さん、さらには副島さんにとっても耳を疑うような言葉が小原さんの口から飛び出す。
「お茶を1杯1500円で売りたいです」
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( 190962 ) 2024/07/15 01:20:34 1 00 日本語での意見は様々で、高価なお茶やサービスを提供することに賛成する声もありますが、価格を高めることが難しいとする意見や、小規模農家に対する配慮が必要だとする指摘も見られます。
消費者の価値観や需要、付加価値を重視する姿勢がビジネスの成否に直結するという意見や、逆に安売りし過ぎて収入が上がっていかない問題も指摘されています。
(まとめ) | ( 190964 ) 2024/07/15 01:20:34 0 00 ・この間、とあるレストランで烏龍茶を頂いたところ、メニュー表を見て愕然としました。そこには一杯5,000円近くの金額が汗
薄利多売を止めることもいいのですし、そこに需要が伴うのであれば立派なビジネスですし、それはそれで本当によかったですね。
但し、単なるぼったくりとの違いを明白にしておかないと評判を落とすだけにもなりかねないので注意は必要でしょう。
・茶農家が取り巻く環境は厳しいですね。茶農家の減少や市場規模、市場価格の減少など、親御さんが跡を継がなくても良いと考える方がいるのは分かるような気がします。そうした中でも無農薬や有機栽培で消費者に良いお茶を提供しようと若い方が親の跡を継いで副業をしながらも奮闘している姿にこれからも頑張って欲しいと思いました。また、今までの安売りからの発想をやめて高級路線を提案して、軌道に乗せた小原社長も流石だと感心しました。苦しかったコロナを経て、これからの更なる嬉野茶の発展を期待したいです。
・いいと思います。
これから少子高齢化が進み、薄利多売の商売は限界がきます。
良いものを少しでも安くと言う考えは、どこかに負担を強いてるということですよね。
そんな状況では給料なんて上がるわけがありません。
失われた30年でデフレ脱却がなかなかできませんでしたが今はチャンスです。
ぼったくりは駄目ですが、日本人全体の給料を上げる為にも意識を変えていかないといけないですね。
・確かにお安く飲めていたことは有難いことですが、「タダ同然」と言う表現は如何なものか。 作り手からすればあまり嬉しくは無い表現かと思います。 もっと価値あるものなら値段を遠慮せず設定しても良いとは思います。 今までが薄利多売でいつでも何でもお安いものが当たり前的な考え方は、人も多く手広くやれる時代ならではの考え方。 今は成り手も少なくコストは変わらないどころか、余計コストが掛かる時代なのである程度の高騰は避けられないと思います。 美味しければ人は求めると思いますよ。
・まず農協との取引は、最小限にしたら利益率は格段に向上します。昨今では市場のバランスが悪く春先はキャベツが1000円越えていたが、一気にダブダブになり100円以下。私も桃農家ですが、今年は通常大玉は高値で取引されるのですが、安いんですよ。 逆に20玉以下の小さいパックにした桃は高い。 普通は逆なんです。小さい桃も大きな桃も種の大きさは同じですので、大きくて核が割れていない13玉サイズのほうが間違いなく旨い。しっかり色のあるハッキリした大玉なら高級品ですが、買い手が少ないのか叩かれています。これなら共選ではなく個選で売ったほうが利益になります。農協は我々農家を下にみてホテルなどで飲食したり、拡大路線などをして利益を還元することはない。だから肥料などの購入費相殺分だけ農協で、あとは個人で売買したほうが良いと気がつきました。
・観光は伸びしろのある分野、地方の様々な産業がそこに商機を見出していると思います。お金を持った外国人観光客は最大のターゲット。今まで国内で庶民も楽しめた様々なサービスや食事が、どんどん値上がりしていくでしょうね。
・例えばインドのダージリンでは、ティーツーリズムは一般的だ。茶園に工場見学、売店まであるケースもある。 バンガローに泊まることもでき、食事はオーナーや他の宿泊客と大きなテーブルを囲って食べることが多い。朝、バンガローで目覚めて飲むダージリンティーは別格に美味しく感じる。 日本茶や日本家屋にも、そのポテンシャルは大いにあると思う。
・甘味処でお抹茶は結構なお値段で出しているのにお茶はサービス 考えてみれば不思議ですね
母が生前、嬉野のお茶屋さんから煎茶抹茶と色々直接買わせてもらってました どれも美味しかったです お抹茶は機械式ではなくベテランの職人さんが臼で挽いてくださっていたものでなめらかな泡立ちでとても良い香りのお茶でした 熱の加わり方でも味が変わるとか その職人さんが亡くなられた時に同じレベルのお茶を提供出来なくなったと連絡があり、母もとても残念がっていました お煎茶も製造工程の熱の加わり方でも味が変わる繊細なもの
良い物は自信を持って値段をつけて提供して欲しいです
・去年、マツダスタジアムで嬉野茶のキャンペーンをされていて試飲させていただきました。私好みで本当に美味しかったです。1袋購入し、大事に大事に飲んでました。次に購入したいと思っても近くのお茶屋さんには置いてなくて、ネットで購入しています。毎日飲みたい派からすると、1杯5000円は払うことはできませんが、身近に買える機会が増えるといいですね。
・デパ地下で茶葉の売り場の前を通ると、他の売り場の前では感じられない濃厚な匂いに圧倒されます。 思えばイギリスの紅茶はインド地域、コーヒーは南国です。 それに対して日本の緑茶は、深い文化を持つ日本で長年にわたって茶畑から製法まで改良を遂げてきましたから、お茶の匂いと味は、そういう意味で他とは一線を画すものだと言えるかも知れません。 慣れによって自分たちの製品の価値を軽く見がちだったことに対して、本当のポテンシャルの凄さが有り得るということもあるんだと思わされました。
・米だって、米農家は去年のうちに価格契約しているから、米が品不足で米農家が儲かっているのではなくて中間に入っている仲介業者が在庫が品薄なのも手伝って価格を釣り上げて儲かっているんだよね。
だから直接売買した方が農家にとって利益はあるのだと思う。
が、ここまでの価格だとよほどの味でない限り、分からない方も多そうなので大変そうだなと思う
・緑茶は高い可能性を秘めていると思っています。コーヒーのように途上国の労働に左右されずフェアであり持続可能で健康にも良い。 世界的ブームが起こっても良い位ではないでしょうか?海外の水(硬水)でいれると風味が出ないんですかね? 急須で入れるのか若干手間ですが、それはコーヒーや他のお茶も同じですからね。人気に火がついてほしい。
・商品価値は消費者が納得すれば幾らでもいい訳で、納得させられるかは互いの商品知識と内容だろう。 考えてみれば、只のTシャツにブランドロゴがプリントされたものを、有難く自慢げに数万円も支払って着る人もいれば、それを見て自分の様に笑っている人間もいる。 ただ、お茶が一杯5000円でどんな人がその価値を認めているのか、お茶以上に興味が有る。
売りて、買い手が互いに納得し、商売として成り立つのならそれでいい。
・富裕層など「ブランド」にお金を払う層を顧客に迎えたら強いと思う。 それはそれでいいんじゃないかな。 紅茶や珈琲の分野でもあるし、日本茶は質も高い。 外国からの観光客には日本茶を楽しみにしていたのに、専門店は茶葉しか売ってなくて、飲む方のお茶屋さんがないのに困惑するという話もあるから。
日本人にとっての日本茶は、水分補給の意味合いが強いし、自分は日本人なので気楽に飲める安いお茶飲むけど。
ちょっと前にワインボトルで一万円のお茶が売り出された話見たけど、流石に茶葉で売れよ…と思ったりした。淹れたてが一番美味しいのに…
・良い事だと思います。 鮨やワインと同じで安いものから高いものまで消費者のニーズに合わせて幅広く選択出来るのは歓迎です。 安いスーパーの寿司や一本500円のワインを楽しめる人はそれで良いし、銀座の高級鮨や一本数十万円するワインを楽しみたい人がいても良いですし。 選択肢が広がることは良い事です。
・「タダ同然」というタイトルはよろしくないが、日本人が有難がっているワインがモノによっては現地では水より安いこともあるらしい。どこの旅館だったかお寺だったか忘れたが、最高の味の抹茶や玉露を出してくれたことがあり、ああいう味なら特に外国からの方にはそこそこの対価を払う価値を感じそうだね。
・ネット通販で生産者から国産紅茶を買っています。 紅茶としては一般的な市販品より全くお安くはないですが質を考えたらかなりお買い得だと思っています。 今の時代、農協やら中間業者やらの無駄でしかない組織を通さず生産者直販が1番良いと思います。
・日本茶ってコーヒーと同じくらい奥が深いはずなのに、作り手がどんな人か、どんな作り方してるのか、どうすればどんな味になるのか、こんな美味しい飲み方あるよ、とか伝える伝道師がコーヒーに比べて少ないと思うんですよね。コーヒーだとストーリーを重視して直接地球の裏側まで買い付けにいってる人はいっぱいいるのに。
記事に書かれているやり方で一過性のバブルは訪れるかもだけど、バブルはきっといつか弾ける。この記事では書かれていないけれど、きっと怠ってはいないと思うのだけど、一杯の価値を高める努力と共に、木や揉み方など、美味しい一杯を作るための努力も並走してほしい。
・お茶の生産農家さんは年々減少しています。 燃料代、肥料代、機械代いろんな価格が高騰している中茶の価格は下がっています。ペットボトルの茶は売れているけど急須で入れる茶葉は中々伸び悩んでいます。急須がない家庭も珍しくない。茶葉はあっても淹れ方も知らない人も増えてきています。ペットボトルの味に慣れて急須で淹れたお茶も渋い苦いと言う人もいます。とても悲しいことです 毎日、美味しいお茶を飲んで長生きしたいと思っています。
・正解は常に無いも同然なんだけど、基本的にはこれから少子高齢化で 労働力が不足する。ゆえに薄利多売の方向にするにはコストもリスクも かかる。一回の労働の利益を上げていかないと作るだけ作って赤字も ありうる。
今の状態がもっと酷くなれば、金を出しても対応するサービスが存在しない そういう状態にもなりうる。とりあえず、健康だけは維持しておくつもり。
・有機栽培の緑茶の輸出は増え続けています。海外での評価と価値が高まっているのです。一般の日本人に飲ませるのは、もはやもったいない。輸出やインバウンドに全振りするのが、農家の生き残る道です。茶葉と合わせて、森林豊かな日本産のナチュラルミネラルウォーターも輸出品として有力ですね。
・100円で15人に売るか、1500円で一人に売るかですよね(1杯500円はツアー内の換算価格) 米も旨いものは本当に旨い。赤字では生産者は絶対に続けられないし、安いが普通の感覚も淘汰されるべきです。
それでも海外の富裕層にしてみれば、我々がコンビニで飲み物を買うくらいの微々たる金額なのでしょうから。
・元々は温泉地である嬉野で柱をもう1本を作ると言う意味のあるチャレンジだと思います。 「お茶3杯15000円・生産者との対話の観光プログラム」も円安時代の富裕層向けのインバウンドビジネスとしては理解できます。 ただこの形だとどうしても副業みたいな形にしかなりえないので、本業のお茶自体の価値を高めて行かないと苦しい時期がやってくると思います。 あと「お茶の価値」と言うことであれば茶農家へはどれくらい分配されているのかは気になります。「もっと増やしたい」と言っていますが…
・よく考えると、日本では、 「コーヒーにはお金を払うのに、お茶にはお金を払わない」 という傾向がありますよね。 コーヒーにもお茶にも、それなりにコストがかかっているのに、これは不思議な傾向ですよね。
この日本特有の文化というか感覚を踏まえると、 「お金を払うだけの価値のある、普通とは全く異なる、おいしいお茶を提供する」 ことが求められると思います。 特に、付加価値の高い高級ブランド茶については、単に茶葉の価格だけでなく、お茶を淹れる側の繊細な感覚も問われるので、5000円とは言わずとも、300円~500円ぐらいで気軽に飲めるように提供するってのはアリかな?と思います。
いくらおいしくたって、非日常を1回経験して、そんなものかと思っておしまい、では、ビジネスとしては長期的に成り立たないと思います。
・新茶を毎年嬉野に買いに行きます。 美味しいです。 この時期は、夜に水出しを作って翌日飲む。甘くてまろやかです。 嬉野茶だけではないと思いますが、緑茶の香り、良いですよね。 嬉野のお茶、みなさん飲みに来てください!本当に美味しいですよ 新茶を買いにきて、温泉、温泉豆腐、色々楽しめますよ。
・今年一月に嬉野温泉へ行きました。 嬉野茶を買って自宅で飲んだら、ものすご〜く美味しかった。 100g1,000円程のお茶ですが、その2倍は美味しいお茶でした。 もったいなくてまだ冷蔵庫で眠っていますが、本当は早くに飲んだ方がいいのですよね。 義母の実家が静岡のお茶農家なので、かなりいいお茶飲んでいますが、嬉野茶のレベルは高いです。
急須で淹れるお茶を飲む人が減っているようですが、ペットボトルとは格段に美味しさレベルが違います。 お茶の良さを多くの人にしってもらきたいなぁ〜
・大規模農場を持つ農家ならば薄利多売でも良いが、そうでない小規模農家の生きる道は高付加価値化しかない。中小小売業にも同じ事が言えるけれども、経営で最もやってはいけないのが巨大資本に対して安値で勝負すること。
商品そのものの価値を高めていく努力、それを知らしめる取り組みを継続することが大事、小資本だとどうしても限りがあるから外部企業との連携で解決する。これが現状取るべき小資本の戦略のセオリーになる。
そういう意味ではこの茶農家は正攻法を採用していると言える。
それにしても久しぶりに超大作で読み応えある記事でした。大満足です。
・農業をしたことない人からすると、農作物にどれだけの原価とリスクが乗っているかわからないだろうね。 今は普通に50%とか越えてるよ。 その上リターンが出るまでの期間も長く、リスクも高い。 JAがちょっと高く買い取ってくれるだけで農家はかなり助かると思うんだ。 消費者に負担が行くのはしょうがない。
・台湾に旅行に行って、生産者が選んだ茶葉を生産者の手で入れてもらい、茶畑の真ん中で生産者の話を聞きながら飲む。 スリランカでブラジルで、同じような体験型ツアーが開催されてたら。 イギリスで、例えば元貴族の邸宅の庭園でその時代の話を子孫に聞きながら。有名な庭園で洋式や植物のレクチャーを受けながら。
それだったら、せっかくなんだしってことで15,000円出す層はいると思う。
全員が出せるわけじゃないけど、こんな「イベント」は多くの人でごった返してたら価値が下がるからちょうどいい。
・値段が高くするためにはそれに見合う体験や価値ストーリーを維持する必要があるので簡単じゃないと思いますが今までの考え方から変える決断をしたことが素晴らしいですよね。こういう方々のような人や組織が増えることで国としても強くなると思います。
・台湾や香港に取引先の招待旅行したおりに、 茶房なるところでお茶を頂きました
茶葉による温度や入れ方等の作法等、茶師によるお茶を振る舞われました とても高価でしたが本当に美味しかったです
日本では茶道がありますが、中国茶とは違う緑茶の味わい方も広まると良いですね
・見出しだけだと、無価値の物を暴利で売り付けていると読めてしまう。 文字で仕事しているのであれば、生産販売者への配慮も込めて記事の本質と文脈を適切に見出しへ反映させてほしい。
市場として、その高付加価値に見合う値段設定に需要があればどんどん推進してほしいですね。 日本の伝統食文化への評価にも繋がります。
・同じ化粧品でも100円と2000円で販売した場合、2000円の方が売れると言う。 今は外国観光客が日本の物は安い安いと買ってくれるので良いタイミングでも有ったのかもしれない。 長い付き合いのお茶屋が有るがそこでも広大なお茶畑を持っており、小売店などに卸している。 5センチ程度の茶碗に最高級のお茶が注がれる、味も良いし、いつまでもお茶の香りが口の中に漂っている。 でもこれが1杯5000円と思ったら自分には注文できないな。 最高級の茶葉を買って家で何度もご馳走になるよ。
・お茶や水が無料と思ってる人が、そんなに多くいるのかな?ちょと疑問が残る。 その上で、茶葉を生産してその価値を知る人にとってみれば、確かに高価格の値段も妥当だろう。 ただ、これからどうなっていくのかは、分からない。誰も飲まなくなるかもしれないし、競合相手が増えてくれば価格を下げる必要があるかもしれない。
・山の中腹にあるモコモコとした茶畑はその殆どが「やぶきた」という種で構成されている。丈夫で育てやすいという理由で昭和30年代になって急速に広まったもので、古来の日本における茶の味や香りからすると数段落ちる。本来の茶は標高の高い岩盤に単独で生える高木で、そこに梯子をかけて葉を一枚一枚採取していた。現代のモコモコとした茶畑で育てられた低木の「やぶきた」をいくら大切に育てようがいくら高く売ろうが私は全く美味しいとは思わない。そんなことを言ってもそんな話はほとんどの人が聞いたこともないだろうし、本物の茶を一生飲むこともないだろうからこんな話を聞いてもにわかには信じられないだろうが、本当の話です。
・タバコは吸わないしお酒が飲めないのもあり、自分の嗜好品はカフェイン、つまり珈琲、紅茶、中国茶です。 紅茶は昔某少女漫画をキッカケにハマり、コロナ禍で珈琲と中国茶にハマりました。
そのうち緑茶にもハマるかなと思っていますが、あまりにも身近なものなので娯楽要素が少なく未だキッカケがありません。 そんな中この記事を読んで、こういったイベントに参加するのは面白そうだなと思いました。
上記のどの飲み物にも言えますが、それを知り尽くし・上手な人が淹れたものは同じものとは思えないほど美味しいんですよね。 香りも味わいもクリアで、その豆や茶葉の個性が際立つおいしさ。 茶農家さんの淹れた緑茶もさぞ美味しいんだろうなと思いました。
・激安と高級品の間で商売するのが一番難しいと聞きますし、ほとんどの小売業・サービス業はそこで商売しています。なぜなら、その価格帯に一番需要があり、一過性ではない長続きする商売ができるから。 高価格帯の商売は難しい。10倍する値段のものが10倍おいしい訳ではない。利幅は広がるが、羽振りのいい客はそんなにいない。数少ない上客をつかまえることは簡単ではない。成功した例だけニュースになるが、ほとんどは成功しない。
・生産者が減っている現状があるのであれば、売値を上げて生活を維持するレベルにするのは当たり前。それだけ安く叩かれて苦しいということだから。
海外のお客さんなど、高値で買ってくれる人達がいるなら、高値で売って生活が楽になってほしいと思う。 値段を上げられて困る人もいるけど、生産者にシワ寄せして良いわけではない。 日本はなんでも安すぎて、回り回って給料も上がらない。 何処かで逆転させて、皆で潤っていくような社会になってほしいと思う。 中小企業にも通じる話かと思いました。
・確かにコーヒーや紅茶は普通の喫茶店や飲食店なら400円~高くて800円ぐらいするからお茶だって同じようにお金を取って良いと思います。 駄菓子でも同じように思いますね 製造会社、運送会社、問屋、運送会社、小売り店に渡って一個数十円って安すぎないかと思います。 日本人はおもてなし精神が色々な製造業を苦しめているのもあると思います。 良い物を安くではなくて良い物は高くて当たり前になって欲しいですね
・希少性ら付加価値を付ければ、価格を上げてもニーズはある世の中だけど、日本茶一杯5,000円はかなりハードル高いね。例えば、限定品にして、東京京都らのラグジュアリーホテルら場所代含めた空間演出らもないと、試しに1回はあっても、商売として成り立つために必要なリピートさせるのは難しい気はした
・お茶1杯が5000円というけれど、そらってお茶の価値ではなくなってますよね。 特別な空間で茶葉栽培に関する想いを聞きながら一杯ずつ丁寧に淹れたお茶を飲む、客はその体験に対してお金を払っているのであって単なるお茶に5000円を払っているわけではないと思うのです。
農家が栽培するお茶が高く売れたというよりも、茶農家が観光業にも進出したというのが正しい見方じゃないかな。
・ただ同然というタイトルはなんか違いますね。 最近は安くなければ罪みたいになってしまって、作り手、農家の手間なんて何も考えない商社や大手メーカー、そして消費者にも課題があると思います。結局安しすぎて過当競争になってみんなが共倒れになっていることも多いです。付加価値認めて適正価格で売る買うが必要なのかと思います。 この記事にある高級路線は流行りみたいな流れもあるので少しずつ変化を加えながら如何にリピーターなどをつかむこともやっていかないとダメなのかなとも感じます。それもものすごい労力がいることなのですが。
・生産者がちゃんと利益を取ることは何の問題もないと思う。問題なのはそこで得られた利益を「きちんと」従業員に還元しているメーカーがどのくらいあるのかということだと思う(この記事のお茶屋さんとは話が逸れるのは申し訳ない)。欧米諸国と比べて30年間給与の上昇率がほぼゼロ~数%なのはこういうことでしょう?
・持続可能にするためには、リピートしてもらえる品質であることが必要条件。高級志向のお茶なら、少なくとも無農薬、無化学肥料であること。
安心安全で美味しい上で、イベントなど企画と営業の勝負をすることが成功に繋がる。
・全農家がハッピーになる。それは有り得ない。どんなに素晴らしい商品や製品でもそれを売る為には広告宣伝や情報発信が必要である。だから、逆に味が普通の物でもそこが優れている店は売れている。ましてネットが拡がった現在素晴らしい商品は沢山あるが優れた商品が勝手に一人歩きして継続して売れるということは稀だとおもう。
・よく、経済停滞してるのは日本政府のせいという人がいる。確かに部分的には正しいかもしれないが、それだけではない。日本人は自分の労働を自ら安売りし過ぎだと思う。取引先に脅されるとあっという間に値上げを断念する。みんながみんなそんな感じ。サラリーマンも同じ。アメリカなら勤め先に対して年収上げ交渉を個人で行うという。転職先の目星をつけておいて自分はいくら給料もらうだけの価値がある、くれないなら辞める、とハッキリいうわけだ。日本は長いものに巻かれ、摩擦を恐れて交渉もせず、転職のためのスキルアップしてる人も少ない。個人の交渉能力の強化(交渉するためには自分の市場価値を高める努力も必要)をしなければ、日本の平均賃金が外国並みに上がる事はないでしょう。それが円安の理由にもなってると思う。日本人の奥ゆかしさが悪い方向に出てる例だと思う。
・要はブランディング化出来るか?がテーマで、クルマて言えばフェラーリかスズキかみたいなところですね。富裕層相手に高価格帯の商売もありでしょう。ただ安く普及させることが悪いか?と言えば、違うと感じます。スズキの場合は社長が全てのにスズキを乗ってもらいたい、そしてたくさん思い出を作って欲しいという気持ちでクルマを作ってます。つまり貴方がカネのない奴には茶を飲んで欲しくないという方針なら仕方がない。ただそれだけのこと。ですが、世にあるバーガーや牛丼、寿司、ラーメン等全てのブランド食は安さを求め誰もが口に出来るよう努力してますけどね!
・お茶っ葉を生産するだけであればあまり利益に繋がらない。 何故ならやっている人が多いなら競争になる相手も多くなるので当然そうなる。 いい環境と良い水で作りましたとか、全部手摘みしました等の何らかの付加価値を付けるか、またはこの方のように環境やサービスを加える事で価値を高めるという事は出来る。 ただし誰でも出来そうで、誰でもできる訳では無いという所がサービスなんですよね。 例えば飲食店で水が出て来ても、セルフサービスでもそれにサービス料を払おうとは誰も思わないですが、バーで生フルーツをその場で切り出してシェイカーやミキサーで加工しただけで価値が2倍〜3倍になっても払う人が居ると表現すればいいでしょうか。 成功には理論があると言いますがこの方の場合は他に同じ事をしている人が居ないから上手くいったと見るべきでしょうね。
・お茶のブランディングは京都の宇治茶などですでにあるが、他の地方でもあってしかるべきなのに無かったのは少々不思議だった。 ただ、大量生産してそれなりに美味い茶が簡単に飲める、いわゆるペットボトルの茶と対抗してどうやって売り込むかが鍵だ。 すでに国内では珈琲の需要が非情に強まり、一杯珈琲500円が当たり前な時代。こんな状況になったのは純喫茶を長くやってる店としては嬉しいだろう。 そこにブランディングが強い緑茶が無いのはその知名度の低さからだ。 いわゆる三大茶葉と言えば【宇治茶】【静岡茶】【狭山茶】であることは有名だが、それらも茶葉によって高級度が分かれてしまい値段もまちまちなのがいけないところ。例えば珈琲でいうならコナコーヒーが聞いただけでも高い、とか解ればいいのだが。 他にも書きたいことはあるが、緑茶を愛するものとしては頑張って欲しいと思う。
・緑茶に5000円は出せませんね。やはりインバウンドのみ視野に入れてる感がありますよね。 無料無料と前面に押し出してますが、農家が無料で提供してるのではなく、無料で提供してるのは宿泊施設や飲食店ですよね? まぁ商売なので需要があるなら値上げはいいと思いますが、外国人ばかり視野に入れ国民を見捨てるような方向性なら、次にパンデミック来ても自国の税から補助金を求めないでほしい。
・すまんけど、茶農家から観光業に転業しただけとしか思えないんだが。 日常的に茶を飲むのが当たり前な自分からすると、美味い茶をかなり飲んでも月に1000円も掛からないので違和感しかなかった。 なんか、茶を知らない素人を騙して金を巻き上げることで成り立ってる感じがする。 もっとまともな方法で茶農家として成り立ってるところから買いたいです。
・良い取り組みだと思います。
将来スケールさせてくる時に、記事にもある様に人手が足りなずに、また商社やJAの様な中間の卸みたいなのが必要にならないスキームが今後の課題なのかなと感じました。
・茶農家さんの話しを聞き、見晴らしの良い所でお茶をいただけるのであれば15000円は1度であれば行ってもいいかもと思う。しかしあれだけ広大な所で大量生産されている物でお茶1杯5000円の価値があるんだと言われても、そんなんやったら1個5000円の桃を買うわと言いたい。外国人や旅行客相手に儲かればいいとやればいいが、ものには限度がある。
・一つ一つ手作りで良質な素材を使用していたバッグを手軽な値段で販売してたけど売り上げが上がらなかったのに同じ商品を5~10倍程度の値付けにしたら劇的に売り上げが上がったなんてマーケティングの話もありますからね。 「高い」という事自体が価値を持つ事もあるという例ですが、そういう認識を社会一般に拡散出来たらブランドの確立になるんでしょうね。もちろん良い商品でなければ長続きする訳ありませんが。
・一杯5000円のお茶はさすがに飲めないが自分で湯を沸かして入れたお茶のなんと美味しい事。ペットボトルのは仕方なしに飲んでいるだけで本来100いくらも出して飲む物では無い。お茶需要の低迷で早晩原料用の物しか作られなくなる様な記事も有ったがどうかこれからも生き残って欲しいと思う。
・麦茶パックで作った麦茶をペットボトルに入れて持って行く。夏は前の日に半分入れて冷凍庫で凍らせておき、朝半分継ぎ足して保冷靴下に入れて持って行く。自販機で買うのと比べると365日✕150円=54,000円の節約になる。1杯15,000円のお茶をどうこう言う前にやるべき事は沢山ある。
・旅館や飲食店に行くと、サービスの一環で当たり前の様にお茶が出てくるので、お茶はタダ同然と思われている節がありますね。 当然ですがコストがかかっているのでタダでは無いのですが。 お茶でお代を頂くという文化が今までなかったので、最初は風当たりも強かったとの事ですが北野さんたちの発想と行動力には、頭が下がります。 昨年、新宿のデパートの催事で飲んだ北野さんの「さえみどり」は特有の甘みとコクがあり、かつ上品な香りがあり美味しかったです。 そしてあと北野さんはとてもイケメンです。
・悪いがペットボトルのものは茶ではない。お茶はどんどん劣化してゆくもの。だが数日経っても色も変わらず傷みもしないのは…。 お茶は本来茶葉から淹れて飲む。旅にしあればいざ知らず、家にし在れば、その場で茶葉から挿れて飲むべきもの。それがささやかな贅沢。 産地によりまた種類により味も変わり、入れ方でも水出しぬるま湯熱湯で味が全く変わる。 水出しは清涼だが物足りず、渋みが欲しければ湯を熱くすればよい。 淹れた後の匂いも良いが入れる前の葉の香りも最高だ。体にも良いに違いない。場所が近ければ働きに行きたい程だ。 中国人に最も感謝していることは茶を発明してくれたことだ。 三国志で劉邦が国で待つ母の為に、当時は薬のような存在で相当な高級品だった茶を飲ませたいばかりに、伝来の剣を売って母親に叱られる件が出て来る。まあこれはお話だろうが、今は普通に飲めるので幸せと思う。
・お茶一杯5000円でどれだけ需要があるのか凄く気になります。でも、有機で一杯5000円。自然栽培のお茶を飲むと、有機は雑味や使ってる肥料が動物性堆肥の場合、変な甘みがすることをわかってる人にとっては、高いだけと感じるかもしれませんね。 緑茶、自然栽培だと100g2000円から3,000円で購入できますから…。
・果たして長く持つか?一杯¥5000で飲むのはいいが、同じお茶が茶葉として安く買えるということ。それから、結局、お菓子も付かないお茶だけでこの値段となればリピーターがいるだろうか?外国では抹茶ブームが今来てるが、お茶ではない。今まで無料か、自販機で数100円のお茶がその値段で、ぼったくりと思われないだろうか?やはり喉を潤す飲み物は、アルコールなどと同じような値段では、若い人には受け入れてもらえない可能性もある
・高くても払える方に気持ちよく払って頂ける洗練された舞台装置を準備することが大事なのだと感じました。
今風に言えばコト消費というのでしょうか。
それこそ値段が妥当か決めるのはお金をお支払い頂く側なわけですから。
値下げを要求してくる方々ではなく、納得すれば高い値段でもお支払い頂ける層にターゲットを切り替えたことは一つの転換でしょう。
それもひとえに真摯にお茶作りに向き合ってきたからこそだと感じました。
・「おもてなし」で海外にも有名になったが、日本の特徴とも言える「サービスを無償提供することが美徳」という考えはビジネスで考えるとマイナス面は多い。 欧米では基本的にはサービスは有料でこそ成り立つもの。 提供するモノが変わらなくとも、空間や接客態度のランクによって値段は変わるし、それに応じて客層も変わる。 サービスの質に独自基準の値段をつけることは悪いことでは無い。 それに納得する顧客が現れるならビジネスとして立派に成り立つ。 ただ、無知な観光客相手に高値で売る手法は反感も生みやすい。 海外からの観光客などの基準も分からない相手に対してだと特に。 自分もそう感じる方だし、記事中の値段を上げたら問屋に拒否されたのを「嫌がらせ」と表現しているのも違うんじゃないかと思う。 日本が日本らしくなくなってしまうんじゃないかと不安に思う。
・お爺さんがいつも言っていた事に、朝茶は難を逃れる、と言うのがあります。 車を運転する時や気合いを入れる時はいつも緑茶を飲んで出ます。 1日3杯程度のお茶は健康寿命に良いという説もあるので食後も飲みます。 しかし嬉野のお茶はいっぱいが5000円なら生活の中で利用する事は無理です。 インバウンドの旅行者と価値を高めたら良いと思います。 私どもは静岡の深蒸をいただきたいと思います。
・日本茶離れが増えた気がします。 私は日本茶大好き。 こういう売り方が一部で流行り、普通我々が使うお茶まで妙なブランド化してしまわないか、心配です。 お茶は庶民の飲み物で美味しく淹れるのは技術がいりますが、急須で気軽に飲める、お茶漬けが楽しめるモノが高騰するのは困ります。 玉露でさえ、50グラム一万円出せば買えます。 茶椀一杯のお茶が5000円は高価過ぎます。
・感想としては破格な値段がつくという状況自体は製品そのものだけでは評価が難しいという事を表しているのかなという事です。以前聞いた話ですが日本酒はワインに比べて客観的評価基準がないところが売りにくい原因というのと似ていると思いました。
・飲食店にしても食材にしても安さが売りのビジネスは自分の首を締めるだけ。価値あるものはコストも利益も含めて正当な価格を付けるべきだと思うが。ヴィトンの10万円の財布が高すぎると思う人と安いと思う人がいるが製造原価は2000円程度。ハイブランドの原価はそんなもの。コストはもちろんのことブランディング次第で買う人は買うしその逆もある。
・私が常思うのは、ペットボトルは茶業界を救ったのかということ。 我が家は、普通に茶葉を買い、食事時、急須で作り湯呑みに注ぐ。 気付くとそんな家は周りからほとんど消えていた。 家に急須がない家が増えた。 ペットボトルのお茶はお茶だろうか。 カテキンは風邪予防と謳われる。 けれどもペットボトルのお茶は風邪予防にならない。 けれども、昔ながらに茶葉を使いお茶を飲んでいる人は喉風邪をひいていない。 手間暇心を込めて摘み取られたお茶のおいしさはペットボトルのお茶とは味の次元が違う。 作法やお茶の温度も気にしなくていいから、普通の茶葉をお茶屋で買って飲んで欲しいといつも思っている。
・中国のお土産でお世話になった方に高級なお茶をいただいたことがありますが、調べてみたら1万超えていて驚愕し、恐縮してしまったことがあります。(飲み方が中国語だったので、飲み方を調べようとしたら値段が出てきた。)
どうやら、とある高山のとある地域でしか取れないお茶で、希少価値が高く、もっと高いものもあるとのこと。
あまりにも美味しいので、すぐに飲んでしまいましたが、日本でも美味しいお茶は高く売ってもその価値があると判断されれば、売れると思うのでこの方の発想は悪くないと思います。
梅干しだって高級品は一粒500円以上しますしね。
お茶プラス普段出来ない体験をセットにしたら、十分な満足度は得られるはずです。
・タダ同然のものを15,000円で売った。それじゃぼったくりです。 その金額に見合う栽培や生産工程が伴わなければそんなビジネスはまもなく破綻する。 バズればいいだけでは継続しないからね。 最近、かなり高いブレンド米を買って食べてみたが、明らかに美味しくて驚いたことがある。1キロ900円くらいするが、もう産地銘柄だけで売っているキロ400円のコメには戻れないなと感じている。
・しっかり取材されて素晴らしい記事だと思いました。 『お客様は神様』とか『安売りは善』とか言った昭和の価値観を『人口減、日本五流国化』の中で生産者がどうしたら生き残れるかという取材者の問題意識があるからこその取材だと思います。 お茶の生産者のみならずこの記事の記者の方も応援させて下さい。
・茶葉の値段も高級なものは買えません。 一方で日本は無料で水が提供される。ジョイフルでは炭酸水も無料という記事がありました。 30年前に東欧に行ったときは炭酸水しかなかったので、ミネラルウォーターといえば無糖の炭酸水なのかと驚いたことがありました。
・5000円出せば、台湾で高級なウーロン茶が100g買える。 日本で売っている”缶入り烏龍茶”とは全くの別物。 日本の緑茶に似た色のもある。 香りがよく、とてもフレッシュなまろやかな味。 渋い日本茶より口当たりがよい。
・やり方としてはちょっと前に話題になったインバウン丼と大差ないような。 喫茶店やタピオカ屋にいけばお茶や飲み物1杯1000円くらいは普通にあるし、美味しいお茶ならタダや100円でとは言わないけどさすがに1杯あたり5000円払って飲みに行こうとは思わない。 観光客向け価格だね。
・タダ同然という感覚が有る人がいるのは仕方がない事ですが、 私はそのお茶っ葉を育てるのにどれだけの工数や労力がかかっているかを考えるとタダで飲むのは申し訳なく思ってしまいます。 ましてや有機栽培で無農薬の茶葉が途方もない努力と作業が必要だと分かっているのでその値段でも納得します。 自分も就農者としてこの時期毎日熱中症手前になりながら汗だくで作業してますが、そうやって収穫した野菜は産直でも市場でも安い値段じゃないと買ってくれません。 周りの農家さんも高齢の方ばかりです。 田んぼも放棄地が増えています。 日本の農業を発展させる為にはどうしたらいいのか真剣に考えなければ将来国産のお茶も野菜も食べられなくなると思います。
・新幹線の静岡あたりでお茶畑をみると癒されます。
思うのはお茶畑が一望できる場所でアグリツーリズモのようなところがとかあれば本当にいいなと思います。
イタリアでいうとワイン畑ですが、そういう場所で美味しい食事、お茶などいただいてのバカンス。
もう海外より国内でゆっくり過ごしたい。
洒落たコテージとかあって、窓開いたら一面お茶畑!テラスでお食事とかね。あればいいね。
もしかしてもうどこかにありますか?
・インバウンドに最適。
価値なんて人それぞれ。 紙くずのようなものが人によっては 1円、場合によっては10億円にもなる。
本質的な味覚というものは、元来、子供の頃に形成されるもの。 所謂、日本における 叩き上げのような金持ちや小金持ちは いくら頑張って何百億稼ごうが 生粋の財閥のような “お金持ち”には程遠い。
育った環境とポテンシャルが、違う。 舌も、大したことない。
当然私も、食べログの評価が4以上は いい店と思ってしまう。 本質を見抜けなくて、情けない。
今の貧しい日本人には 味覚にお金を出すというのは 頑張っても、寿司か肉で アルコール別で、10万くらいが限界では? それ以上の需要は見込めそうにないので。
海外勢を取り込んで、 日本茶の良さを広めてほしい。 ビンボトルで1本1万~のお土産とか
日本の高級店と言われる店には 一杯5000円のお茶を是非マストに
・5000円ならいいんじゃないですか?どの味が美味しいものなのか味わってみないと、普段買うお茶がおいしいのかどうなのかわかりませんもの。木も違うし育て方もの摘み方も揉み方も、全て違う究極なんでしょう。話は変わるけど、静岡の産地あたりの飯屋に入ると、普通に出てくるお茶のおいしいこと。
・まぁどこぞのジュエラーも、貝殻の裏地で作ったアクセサリーを40万50万で売っていますからね。いろんなビジネスモデルがあって良いと思います。日本のブランド力を高めていって貰いたいです。
・一つのやり方ではあるんだろうけど 何か無理があるように感じる。お隣の町の そのぎ茶は連続日本一で品質プラス価格で活路を見出してる。たぶん 一度きりの富裕層相手では長続きしないし 果たして 帰路でお客様が 嬉野茶を選ぶかどうか? 3杯¥15、000 だったら私は間違いなくそのぎ茶を購入する。
・このお茶の価格をどう考えるかは人により違うと思いますが、個人的にはこういう価格のお茶があっても何の問題もないと思います 何でも安くないと認めないというのは、商品そのものより価格だけを重視した考えであって、購入する側だけが多くのメリットを得られる負の商売の仕方です 提供側は薄利多売でしか商売が成立しなくなるため、長くやればやるほど辛くなるだけです このお茶の場合、その価格で満足出来る人がいれば、それがもう適正価格になるので、それで良いのではないでしょうか 自分が今住んでいるところも茶処として昔から有名な場所ですが、一番美味しいとされるお茶の部位は流通させていないようです 飲むとよく色々な所でサービスで飲めるような味ではなく、それこそ出汁に近い味わいなんだとか 中国も様々なお茶が存在しかなり高価なものもあるようですから、日本もお茶をもっと様々な方法でPRするのが良いと思います
・昔は緑茶などのお茶を購入する者はいなかった感じだったが今はコンビニでペットボトルでのスペースが広くなっている位、購入者が増加したと思う 自分も最初の頃は、お茶を購入すると何故、選択?って感じに思われてたが今は周囲の人たちも購入側 本当に真逆な変化を迎えたと思う
・旅館とかに置いてあるお茶は、タダというよりも宿泊代金にサービス料が含まれているはずなので、その中で提供されているモノだと思ってました。有料サービスにしたという事は、宿泊代金は当然下げてるんですよね? 今はインバウンドのおかげで1杯5000円でも売れるんでしょうけど、海外のお茶ブームが去った頃には日本人のお茶離れが深刻な状況になってそうですね。
・ずっとコーヒー派だったんだけどお茶美味しい。自分はペットボトルので充分だけど、富裕層やインバウンドに相手にならブームだけじゃなくて商売になり続けてけるんじゃなかろうか?安売りに走ると全体で足引っ張りあって業界全体が貧しくなって行く。自分の労働で生み出した物が安く買い叩かれて他の仕事しないと食ってけないって、絶対いいことではない。
・お茶は燻す時間の長さで、日本茶・紅茶・ほうじ茶と名前を変える。 銀座で一杯1200円の紅茶があって、日本茶が無いというのは、日本茶に対する先入観や文化の違い。 ラーメンだって以前は1000円越えのものは無かったけれど、今では当たり前のように1000円を越えている。1000円以内のラーメンなんて大して具の載っていない普通ラーメン位ですよね。 日本茶だって、高級な美味しい紅茶と同様に、香りや甘味のある美味なものがある。そんなお茶には1000円出しても満足できれば良いかな? 美味しい入れ方をした日本茶に驚いたこともあります。お茶農家の方にも頑張ってほしいです。
・「ものの値段」 なんて、あってないようなもの。
東京にある、沖縄物産を扱う「わしたショップ」では 現地の沖縄で売られている商品が、現地の3割増しで売られている。
「空輸費が高いから」 と関係者は言うが、それならば北海道や九州だって空輸費はかかっている。 「3割高くしても売れるから、高くしてある」 のだろう。
僕はおそらく1杯5000円のお茶は、飲まない。 台湾の極上の凍頂烏龍茶や 自分の好きな日本茶を買ったら…と考えてしまうから。
でも、3杯15000円+生産者との会話付きも、楽しそうではある。 たとえば旅慣れていて、いろいろな人との出会いを繰り返していれば 専門の農家の方と忌憚なく話をできる人もいるだろうけれど そうでない人なら、ある程度の代価を払ってでも得難い体験になりそうだ。
陶芸の窯元や、醤油の醸造元などに声をかけてみると 話を聞かせてくれる場合もあるけれどね。
・記事読んで、製茶業の事情は分かる気はしますがどこか違和感を覚えます。ただし、全否定するつもりはありませんが。 抹茶を使う茶道と共に、煎茶にも煎茶道と言うものがあります。一連の作法に則り、茶器はこれ湯の温度はこの位、淹れ方もこの様にと素人には解り難いところが幾つもあります。飲んでみれば、確かに美味しいとは思います。 要は、お茶に付加価値をつける行為には反対しませんが、自分にとってはそれこそ文字通り日常茶飯事の様に飲んでるお茶に、それ程の付加価値を付けられるものかは、疑問です。確かに普段飲むお茶よりもはるかにおいしいものなのでしょう。それでも自分なら、100グラム2000円程度のお茶を普段使いにした方が、余程満足感は得られると思っています。 結局は海外旅行者向けの、一杯5000円の海鮮丼みたいな物。と言ったら失礼ですかね。
・嬉野の名産といえば、日本三大美肌の湯と呼ばれる「嬉野温泉」 と、名産と言われてもそこから初耳。そもそも嬉野市って名前を今初めて知った。「うれしの茶」って書いてなければ、市名も読み方に迷ったかも知れん。
それはさておき、やはり農家さんも、色々と自力でなんとか考えなくてはならん時代だね。農協から種買ってお米作って農協に出せば儲かった・・・って時代は終わっている事を理解して、この先、廃業するとか農業法人に任せるとか以外に自分達でも新しい道を考えないと。多分、日本の農業にもまだ色々な可能性はある気がするんだが。と、農家ではない部外者は勝手に思う。
この記事は農家の外の人のアイディアから始まったみたいだけど、それをヒントに農家が試行錯誤するのは素晴らしい。
・勉強に成る。量を追える人と追えない人がいる。質を追わないと成り立たない人がいる。 質とは何か?質を理解する一定の人達が存在する。質の理解者を裏切らない正しい行動の継続性が本質となってくる。頑張って欲しい。
・このお話は2つの側面がありそう。 1つは、既存の流通を構成する1パーツから脱却したこと。 製造して市場にドサッと出荷するだけがお仕事だったのを、消費の現場まで一貫して手がけた。つまり、中抜き。問屋はずし。 これは農林水産に限らず他の産業分野でもちょいちょいある。 山口県かどこかの服屋が原料調達から小売まで一貫して手がけて成功しているが、まぁそういう成功談。
もう1つは、そもそも商品性の変革。 日常消費されるありふれた商材ではなく、特別な条件で別格に消費される仕組みを作った。 つまり、昔からある普通の品と思われないようブランド化そのほか様々な工夫をした。
2つをごっちゃにするのは、分析の焦点がぼけると思う。
・ロイヤルブルーティー。 ワインと同じようにボトリングされたお茶があります。癖のないお茶から宇治甜茶のような出汁感のあるお茶もあります。 ワインのようにテイスティングしながら料理と合わせるようなお茶がでてきてもいいと思う。
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