( 191121 )  2024/07/15 16:00:37  
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伊藤養鶏場3代目の伊藤彰さんは、ウコッケイの卵や肉の質を高めて、販路開拓や加工商品の開発に成功し、事業を急成長させました。

養鶏場はブランド鶏「東京うこっけい」など5700羽を飼育。

彰さんは養鶏業を受け継いだ後、衛生管理やエサの配合を改善し、卵や肉の質を向上させるとともに販路を拡大しました。

ウコッケイの卵は特徴的なぷっくりとした黄身で評判です。

彰さんは義父と経営方針で対立し、3代目となり、加工商品の開発などで売上を5倍に伸ばしました。

 

 

また、地元店とのコラボで「とろける とりっぷりん」を販売し成功。

しかし、家族内の対立がありますが、彰さんの努力で事業を成功させたいという強い思いを持ち、加工商品の開発や地元コラボの拡大を目指しています。

(要約)

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伊藤養鶏場3代目の伊藤彰さんはウコッケイの卵や肉の質を高めて、販路開拓や加工商品も開発し、事業を急成長させました 

 

 東京都立川市の伊藤養鶏場は、ブランド鶏の「東京うこっけい」など約5700羽を飼育しています。3代目の伊藤彰さん(41)は結婚を機に妻の家業に入り、鶏舎の衛生管理やエサの配合などを改善。卵や肉の質を高め、生産だけでなく自ら営業に励んで販路を開拓しました。経営方針を巡って義父と大げんかした末に3代目となり、都内の有名料理店などとそぼろ肉やプリンなどの加工商品も開発。ブランド力を高めて、売り上げを5倍に伸ばしました。 

 

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東京うこっけいから生まれた卵の黄身はぷっくりしています 

 

 伊藤養鶏場は伊藤さんの妻の祖父が50年以上前、数十羽の鶏を飼い始めて創業しました。義父の代で規模を拡大しますが、全国的な卵余りで縮小。それまでの鶏をすべてやめ、新しく改良されたウコッケイの品種「東京うこっけい」の飼育に切り替えました。 

 

 現在、東京うこっけいと赤玉鶏卵を産む「もみじ」という鶏を約5700羽飼育し、ウコッケイの卵2種類、鶏の卵1種類、そして加工食品用にウコッケイのオスの肉を生産しています。卵は黄身がぷっくりして色が濃く、味も濃厚なのが特徴です。 

 

 伊藤さんは「成長に合わせ、エサの配合を変えています」。ベースとなるエサにはパプリカやマリーゴールドの花弁の粉末などを配合し、濃い黄身の色を出しています。「極烏プレミアム」という卵を産むウコッケイのエサには、味にコクを出すため魚粉や海藻を混ぜています。ごまもエサに入れることでぷっくりとした卵になり、栄養価も高まるそうです。 

 

 商品は百貨店や、イタリア料理の名店「アルヴェアーレ」(東京・麻布十番)をはじめとする有名料理店に卸しています。従業員は10人(パートを含む)です。 

 

 伊藤さんは母の実家が農家でしたが、「まさか自分がやるとは思いませんでした」。高校卒業後、住宅設備会社などを経て不動産業に就き、東京都東大和市を中心に営業しました。やりがいを感じ、独立することが目標になりました。 

 

 そのころ、同僚が義父と懇意になったことから今の妻を紹介され、交際に発展。長男を授かり結婚の許しを得るためあいさつに行くと、義父から「婿に入って養鶏場を継いでほしい」と言われました。 

 

 「子どもも授かっていますから『はい』と言うしかないですよね。やるならとことんやろうと思いました」。伊藤さんは2011年に結婚し、伊藤養鶏場に入りました。 

 

 

伊藤さんは鶏舎の環境改善を進めました 

 

 伊藤さんが驚いたのが、鶏舎の衛生環境でした。 

 

 「エサやりや掃除などから教えてもらいましたが、中が汚すぎたんです。ハエがたくさん飛び、隣のガレージもゴミ屋敷みたいでした」 

 

 お客さんに見せられる環境にしようと、伊藤さんは鶏舎の外にあった柿の木の枝を切り、ガレージを隅々まで片付け、鶏舎の修繕工事も自ら担いました。 

 

 ウコッケイや鶏はヒナから育てています。通常、2カ月ほどで卵を産み始めますが、成鳥まで育たず死んでしまうことも多かったといいます。「ウコッケイは弱い生き物で、衛生環境や天候などに体調が左右されやすいんです。なのに、感覚で作業するようなところがありました」 

 

 伊藤さんはヒナが食べたエサの量をノートに記録し、鶏舎に温度計をつけて中の温度や湿度がわかるようにしました。 

 

 さらに、伊藤さんはヒナの仕入れ元の東京都農林水産振興財団・青梅畜産センターなどに、育て方を聞きました。義父からのアドバイスも受け、エサに入れるものや、その割合を試行錯誤し、パプリカなどを入れる形にたどり着きました。 

 

 すると、ヒナの生育率が高まり、大きく育つようになりました。今では成鳥まで育つ数を、常に計画以上の水準に保っています。 

 

 伊藤さんの改革も、当時は義両親から何も言われなかったといいます。「あまりにも好き勝手にやっていたので、あっけにとられたのかもしれません」 

 

東京うこっけい 

 

 伊藤さんは、東京うこっけいを前面にブランディングしようと、贈答用の箱をオリジナルデザインに切り替え、ホームページを作りました。名画「民衆を導く自由の女神」をモチーフにしたイラストをホームページに載せ、「烏骨鶏に革命を」と掲げました。 

 

 地元の直売所にはオリジナルのポップを置き、伊藤養鶏場の名前をPRしました。 

 

 伊藤さんは周囲の反対を押し切り、農協を経由せず、自ら営業を行いました。コストを計算し直し、卵の価格も上げました。 

 

 伊藤さんは飲食店への飛び込み営業を重ねました。「営業は不動産業でも経験があったので、ガンガン行きました。商品には自信があったので、卵を目の前で割って見せました。飲食店の皆さんは常に食材を勉強しているので、料理を出す時、ウコッケイの卵の良さをお客さんに伝えてくれるのです」 

 

 その結果、それまでほぼなかった飲食店の取引先が約50軒まで増加しました。 

 

 百貨店にも販路を広げるため、伊藤養鶏場のロゴマークも作成。地元の立川高島屋S.Cに2年かけて営業し、「東京うこっけい」の魅力を伝えました。 

 

 2014年、立川市内の若手農家6人と立川高島屋S.Cの正面玄関で、地元の農産物を毎週土曜日に販売する「立川マルシェ」が実現。同じころ、立川駅北口の農協直売所がなくなったこともあり、すぐ固定客がつきました。高島屋のネット販売で扱っていた伊藤養鶏場の贈答用商品の売れ行きにも好影響が出ました。 

 

 

 しかし、マルシェが軌道に乗り始めた2015年ごろ、問題が起こります。伊藤さんの改革に何も言ってこなかった義父のいら立ちが頂点に達し、それまでのやり方を全て元に戻すよう言われたのです。 

 

 「義父は昔かたぎで、飲食店などへの卵の配達一つとっても『なぜ農家が配達するのか。自分で買いにくればいい』という考え方でした。『おいしいものを作り続ければいつか伝わる』という義父の思いには賛同しつつ、私はこのままでは立ちいかなくなると思って変えてきたんです」 

 

 2人の溝は一気に深まり、取っ組み合いの大げんかに発展。義父に「出ていけ」と言われた伊藤さんは、離婚届を書いて妻に渡しました。 

 

 「でも、やっぱり手間ひまかけて育てたヒナが心配になるんですよ。それで翌朝早く様子を見に行ったら 運悪く義父と鉢合わせてしまったんです」 

 

 再び取っ組み合いの大げんかに。それを見かねた伊藤さんの妻は自分の父に「これからは私たちでやるからお父さんが出て行って!」と宣言しました。娘に言われたショックからか義父が仕事場に姿を見せなくなり、これを機に伊藤さんが後を継ぐことになったのです。 

 

 「妻が私の味方をしてくれたのはありがたかったです。一方、実の父に強い言葉を言わせてしまったのは申し訳なかった。言わせてしまったからこそ、事業を成功させたい。やってきて良かったと思わせてあげたいと、強く思っています」 

 

 養鶏場を離れた義両親とは顔を合わせていませんでしたが、約2年後、義母が病気で入院することに。伊藤さん夫婦は義両親と再会し、その後、義父も病気で倒れたこともあって少しずつ話すようになり、関係が元に戻っていきました。現在は養鶏場が所有する畑を、義父が管理しているそうです。 

 

共同開発した「なま掛け親子丼」 

 

 後を継いだ伊藤さんはウコッケイの肉のブランド化を目指し、加工商品の生産にも乗り出します。「ただ、肉の色が黒く、見た目が良くないという欠点がありました」 

 

 伊藤さんはウコッケイの卵を納めていた東京・人形町の名店「鳥料理 玉ひで」の8代目社長・山田耕之亮さんに手紙を書き、アドバイスを仰ぎました。 

 

 「取引先でしたが、義父と山田社長につながりはなく、私も直接話したことはありません。何と切り出したらいいか考え、義父と大げんかして代表になった経緯などを正直に書きました」 

 

 山田さんとの面会が実現し、商品開発を手伝ってくれることに。試行錯誤の末、ごはんにウコッケイのそぼろ肉を乗せて、「玉ひで」の味付けを施し、ウコッケイの生卵を落として混ぜて食べる「なま掛け親子丼」が完成しました。 

 

 「そぼろ状にすることで、肉の黒さが目立たなくなりました。山田社長は、生で味わってほしいという私の思いをくみ取り、最後に生卵を落とす、一風変わった親子丼に仕上げて下さいました」 

 

 2019年1月、東京ドームで開かれた全国の食や工芸品が集まるイベントで、「なま掛け親子丼」を提供しました。 

 

 その後も、なま掛け親子丼の販売を繰り返し、テレビで紹介されたのを機に、伊藤さんは「玉ひで」と共同開発したそぼろ肉を商品化。2023年から販売を始めました。製造を担う加工会社は山田さんの紹介でした。 

 

 

地元店とコラボした「とろける とりっぷりん」 

 

 手間ひまをかけた伊藤養鶏場の卵は高価格で、東京うこっけいの卵は945円(2024年7月現在、卸先店舗での小売価格)になります。そのため、地元での消費が少ないのが課題でした。 

 

 伊藤さんは2020年、立川市の洋菓子店「パティスリーツナグ」とコラボした「とろける とりっぷりん」を販売しました。「妻の希望でクレームブリュレ風に仕立てました。試作を繰り返し、たまたまトロトロの物ができて『飲めるプリン』にしようと思いました」 

 

 プリン1本に対してウコッケイの卵1個を丸々使い、立川市内の小売店を中心に、1日に最大400本以上売れる人気商品になりました。 

 

 コロナ禍の影響は、伊藤養鶏場にも及びました。取引先の多くは飲食店だったため、卵を出荷できなくなったのです。 

 

 2022年、それまで扱っていた食肉用の鶏「東京しゃも」をやめて、「東京うこっけい」と「もみじ」に集中し、コストを削減しました。 

 

 資材や原材料価格高騰の影響も深刻で、エサ代は1トンあたり4~5万円も上がりました。「コロナ期間中は値段を据え置いていましたが、22年12月、ウコッケイの卵を200円値上げせざるを得ませんでした」 

 

 それでも伊藤さんは前を向き、そぼろ肉の製造元の加工会社と組んで、フレンチトーストやアイスクリームなどの商品を次々開発しています。 

 

伊藤さんはさらなる成長へアイデアを巡らます 

 

 年商は伊藤さんが継いだころの約1千万円から、5倍の約5千万円に増えました。「協力して下さる方々に支えられて今があります」 

 

 今後は加工商品をさらに強化したいといいます。「今は冷凍の商品を作っていますが、開発中のものは温めてすぐに食べられるものにしようと、試行錯誤しています。いずれはキッチンカーでイベントに出向き、提供したいです」 

 

 伊藤養鶏場の法人化も目標です。この先の養鶏場への思いを込めて、「とろける とりっぷりん」のラベルに「Totto Farm」と入れました。 

 

 「子どもたちが小さい時、義父が鶏のことを『とっとさん』と言っていたのが印象深く、『Totto』の由来になりました。将来、3人いる子どもの誰かに継いでほしいと思っています。しかし、仮にそうならなくても卵に関わる仕事をしてほしいなと。その時、『Totto Farm』という名前をうまく使ってもらいたいですね」 

 

 おいしい卵や肉を育てるだけでなく、営業力と商品アイデア、そして熱い思いを原動力に、伊藤さんは事業に邁進し続けます。 

 

※この記事は、ツギノジダイとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

フリーアナウンサー・ライター 丸井汐里 

 

 

 
 

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