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核のごみ処分「北欧モデル」は幻想に過ぎない。日本と同じく、非民主性が問題視されている

東洋経済オンライン 7/18(木) 8:51 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/55ae6452e7bb7faf71829803341ba487630ec1ab

 

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日本でも核のごみ最終処分場の立地選定に向けたプロセスが進んでおり、北欧のフィンランドやスウェーデンでは民主的で透明性が徹底されたプロセスで受け入れが決定されたとされていた。

しかし、実際には北欧2カ国の決定プロセスでも民主的議論の欠如が批判されており、住民の意見や不安が反映されずに処分場が進められた例もある。

環境影響評価で民主的な意思決定を評価されているが、実際には枠組みが制限されており、反対派の存在が抑圧されるケースもある。

権威に従順な市民や安全神話が広がることによって最終処分場が建設されることもあり、民主性や透明性に関する課題が残されている。

現実的には数万年の安全を保証することが難しい核のごみ最終処分場において、民主性を保ちながら適切な決定を下すことは難しいとされる。

(要約)

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フィンランドの高レベル放射性廃棄物処分施設「オンカロ」の内部。地中深くに「核のごみ」を埋設する(ZUMA Press/アフロ) 

 

 北海道寿都町、神恵内村に続き、佐賀県玄海町でも高レベル放射性廃棄物(いわゆる核のごみ)の最終処分場選定に向けての第一段階のプロセスである文献調査が始まった。この調査の受け入れの決定について、反対する人たちから、「民主主義の否定」「住民不在」などと批判されている。 

 

 他方、すでに最終処分場が決定している北欧のフィンランドとスウェーデンでは「民主的」で「透明性を徹底」したプロセスで受け入れが決定された、と日本では伝えられてきた。 

 

 しかし北欧2カ国の決定プロセスでもまた、本国では「民主的議論の欠如」が批判されている。「北欧では民主的に最終処分場が決められた」という通説を問い直し、議論のあり方を再検討すべきだ。 

 

■非民主的と批判される最終処分場調査受け入れ 

 

核のごみ処分については、日本学術会議の提言(2015年4月)に代表されるように、学識経験者から、度重なる懸念表明がなされてきた。にもかかわらず、きちんとした科学的議論もないまま、各地で処分場選定に向けた調査が進行している。 

 

 2020年11月に文献調査が始まった寿都町と神恵内村では、報告書に関する審議がおおむね終了。 今後、次の段階で、ボーリングなどを行い、地質や地下水の状況を調べる「概要調査」に進むかどうかの判断を迫られる。2024年6月10日には原子力発電所の立地自治体としては初めて、佐賀県玄海町で文献調査が始まった。 

 

 こうした文献調査の進め方について、これまでプロセスの「非民主性」が指摘されてきた。 

 

 寿都町では住民団体の共同代表が、「民主主義への冒瀆(ぼうとく)だ」と批判した(2020年10月15日朝日新聞)。大手新聞の社説でも「住民の十分な納得が得られないまま調査に着手すれば、人々の間に不信が生まれる。丁寧な合意形成は欠かせない」と指摘されている(2020年10月13日毎日新聞)。 

 

 玄海町でも、地元市民団体の代表者は「民主主義の否定だ」と批判している(2024年6月11日佐賀新聞)。 

 

 こうしたことから、地域住民らが重視しているのは、「科学的安全性」や「地質学的な妥当性」だけでなく、意思決定の「民主性」であることがわかる。 

 

 しかし、この核のごみを特定の地域に埋める計画を民主的に決めることなど、はたして可能なのか。「核のごみ」は発生直後には近づけばわずか10秒で人間が死に至る強烈な放射能を持ち、数万年間、地下深くに隔離する必要がある。これだけ危険性の高いごみは他には類がなく、数万年間の安全性を保証する技術を実験で実証することもできない。 

 

 

 最終処分場の立地が決定している事例として、フィンランドとスウェーデンがある。この両国の事例について、日本ではしばしば、「民主的に最終処分場を決めることに成功した事例」として紹介されてきた。 

 

 フィンランドでは、オルキルオト最終処分場での受け入れを、立地自治体となるエウラヨキ市の議会が2000年1月に決定し、2001年にフィンランドの国会が最終処分場計画を承認した。 

 

 この決定プロセスについて、「原子力環境整備促進・資金管理センター」の専門家である佐原聡氏は『月刊エネルギーレビュー』の2022年8月号で次のように評している。 

 

 「処分場プロジェクトの早期において、市民参加を得て計画の方向軸を決定した事例である。EIA(筆者注:環境影響評価)という枠とルールがあることで、人々が最終処分に対する賛否を決めきれずとも、評価項目に対する意見や要望の形で声に出せるという特色が浮かび上がる」 

 

 「民主的な意思決定を目指した自治体とポシヴァ社(注:最終処分場計画実施企業)の取り組みは功を奏したと言えよう」 

 

 環境影響評価で住民の意見表明機会を保証することで、民主的に決めることができたというのである。 

 

 2022年1月27日スウェーデン政府は、最終処分場を同国南部のフォルスマルク市に建設する計画を承認した。 

 

 この決定にいたるプロセスについて日本経済新聞(2019年12月21日)は、「(フィンランドと)共通するのは徹底した透明性だ。疑惑を持たれないようにする仕組みをつくり、時間をかけて信頼を醸成した」と評価した。 

 

日本で最終処分場選定に取り組む原子力発電環境整備機構(NUMO)も、北欧両国での処分場選定を参考にしており、前出ポシヴァ社とは、「パブリックアクセプタンスと信頼性の形成」など、住民対策の取り組みも含めた協力協定を結んでいる。  

 

■民主的とは呼べない意思決定の実態 

 

 「民主的決定の成功例」があるのならば、日本でもそれを参考にして立地選定を進めればいい、と思いたくなる。しかし、日本では知られていないが、両国でも、意思決定プロセスの「非民主性」が問題視されている。 

 

 フィンランドの市民団体は、最終処分場の選定について、「民主的な公開討論なしに進められる事案になっている」との懸念を表明している。 

 

 最終処分場の立地自治体となるエウラヨキ市で反対運動に参加した住民は、賛成派の住民から繰り返し深刻な脅迫を受けたという。その女性は「脅迫されたことを訴えても役所は真剣に取り合わず、最終処分場に反対していた多くの住民は、近隣のラウマ市に引っ越していった」と述べている。 

 

 

 他の住民は、「多くの人たちがオルキルオト原発(そして最終処分場関連施設)で働いているため、反対派は沈黙している」と語っている。 

 

 フィンランドの研究者らは「制度的閉鎖性のため、市民社会組織が原子力安全の分野に介入することは極めて困難になっている。(中略)住民参画の機会はほとんどない」と指摘する。 

 

 フィンランドでは環境影響評価で住民が意見を表明する機会があり、それゆえに民主的なのだと日本では評価されてきた。 

 

しかし、フィンランド・トゥルク大学の研究者らはこの環境影響評価制度の問題点を次のように指摘している。「環境影響評価が実際に決定プロセスに影響を持つのかどうかについて、多くの専門家が疑問を表明している。現在、環境影響評価の役割は助言的なものにすぎず、参加者は少なく、評価の枠組みはすでに決定された地層処分のコンセプトについての議論に限定されてしまっている」。 

 

 フィンランドと同様に「透明性において徹底している」と評価されているスウェーデンの意思決定プロセスについても、同国の環境NGOの専門家スワン氏は、その「不透明性」を次のように指摘する。「放射性廃棄物を扱う施設に関する研究開発のすべての責任が民間事業体に委ねられている。この組織が情報システムへの国民アクセスの制度外にあることは、明確な問題である」。 

 

 スワン氏は、専門家から銅製容器の腐食可能性への懸念が示されながらも、その懸念点に十分な公開性のある議論が行われてこなかった問題を指摘している。 

 

 フィンランドでも、銅製容器の問題とともに、氷河期到来による処分場施設の損傷の危険性が指摘されてきた。 

 

■権威に従順なフィンランド市民 

 

 フィンランドで最終処分場建設が決まった背景に、規制機関などの権威に対して従順な市民の態度や、1970年代から原発と使用済み燃料貯蔵施設を受け入れてきたことによる立地自治体での反対運動の弱体化などの要因があるとも指摘されている。 

 

 

2022年の”Science”記事は、「政府の規制機関が最終処分場計画は安全だと言えば、住民はそれについて心配することがない」というフィンランドの政治科学研究者のコメントを伝えている。「規制機関が安全だと言っているから」受け入れたというのである。つまり「安全神話」が確立しており、住民が規制機関と事業者に疑いを差し挟まないことで、最終処分場が決定したというのだ。 

 

 このように北欧両国では、「民主的な議論の可能性を排除し」「住民参画の範囲が限定される」ことによって最終処分場の建設を決定できたというのが実態に近い。 

 

 「北欧2カ国では民主的に最終処分場を決めた」という報道や論評が日本では多い。それは「核のごみ」を特定地域に押しつける計画が、「民主主義と矛盾せずに決定できる場合がある」かのような印象操作に等しい。 

 

 今必要なのは、「北欧をモデルにした、より民主的な決定」を求めることではない。そんなモデルはそもそも存在しないのだ。 

 

 数万年の安全を保証できない以上、核のごみ最終処分場の適地はなく、その選定は「不可避的に非民主的になる」。私たちはこの現実を直視する必要がある。そして核のごみを増やし続ける現行の政策や最終処分場計画自体を根本的に見直すことが必要だ。 

 

尾松 亮 :作家・リサーチャー 

 

 

( 192187 )  2024/07/18 17:28:29  
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(まとめ) 

日本では原子力廃棄物の最終処分に関する議論や方針が様々な角度から提起されている。

一部では科学的な調査や根拠の提示が不十分という指摘や、民主主義的プロセスに基づく意思決定の在り方に疑問を投げかける声もある。

さらに、地域への影響や安全性の問題、そして将来世代への責任についても懸念が表明されている。

安全性や科学的調査を重視しながら、国民や専門家の意見を尊重することが大切であるとの声や、適切な情報提供や説明が重要だという意見もある。

どの立場からも、安全で持続可能な廃棄物処分の方法を見つけるためにより多くの議論や協議が必要とされている。

( 192189 )  2024/07/18 17:28:29  
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・民主主義というのは、話し合いと、話し合いで決まらなければ議決をもってやると言うこと。 

全員が合意しなければ駄目というのは民主主義でも何でも無い。 

それを突き詰めれば、強力に反対すれば何れ多数派が折れなければならなくなるという、民主主義の否定に繋がる。 

太陽光パネルだって何れは、どう処分するかを決めなければならなくなる。 

地熱発電だって、北海道でやって大量のヒ素が流出したりもした。 

結局全てが上手くいくことは無いから、何処かで何らかの負担が生じてしまう。 

 

 

・人類があと数万年生きるかどうかも分からない中、そんな遠くの話まで心配する理由が分かりません。 

数万年と言い出したら、放射能どころか、太陽が爆発して、地球が無くなる可能性だって出てくると思います。 

大氷河期が訪れ、食料がなくなり、滅びて行くかもしれません。 

1000年も経たずに核戦争で自滅しているかもしれません。 

 

今を生きる我々が、頑張って未来を想像し、最適と考えられる方法を民主的に決定することが有効なのは、せいぜい200年くらいではないかと思います。 

30年毎に子供を産んだとして、200年後は6代後の時代。直系親族の限界くらいです。 

 

それより先の話は、国会で、専門家に下駄を預ける事を決定すること、信頼できる専門家集団を、国会の同意を得て決定することが、民主的プロセスとしては限界ではないかと思います。 

 

 

・民主的に決める事には賛成です。しかし原子力発電所には使用済み核燃料があふれています、青森県六ケ所村核燃料再処理工場は完成していません。その他の核のゴミもあります。福島第一原発の廃炉作業で出るごみ、福島第二原発の廃炉作業、その他これから廃炉になる原子力発電所の放射性ゴミ、とりあえず施設内に保管するしかない状態です。どうするのか考えてください。原子力発電所は作ってしまったのです。もう過去には戻れません。トイレの無いマンション原子力発電所の事を考えましょう。 

 

 

・最終処分は太陽投棄しかないんじゃないかな。 

ロケットで放射性廃棄物を宇宙に上げるのは、事故の危険性が大きいので、軌道エレベーターが実用化され設置されて安定的に運用されるまでの保管施設(余裕を見て100年ぐらい?)が必要なのでは? 

 

 

・人口減少と過疎化が進むのだから、長期計画を立てて一つの県くらいの地域を国有化して、どの都道府県にも属さない国の直轄地域として国がそうしたリスクのある施設を完全管理することはできないのだろうか? 

国と関係企業の職員以外は立ち入り禁止にしてリスクを最小限に抑えることにすれば何とかやっていけるのではないだろうか? 

 

 

・民主制どうこう言っても結局は処分しないわけにはいかないのだから 

安全性が担保できるならそこで処分するしかないですよね。 

 

問題は日本には適した土地が無いと言われてるのにも関わらず 

強引に適してる事にされてしまうケースなのだが 

国が主導してこういう事をするのだから質が悪いと言わざるを得ません。 

 

既に今現在ある分だけでも国内で処分できるかどうか不明で 

なのに電力が不足すると言う理由で原発を再稼働して 

更に核のゴミを貯めこんでいく事が果たして賢い事なのか??? 

目先の電力に関しては解決するかもしれませんが 

より長い時間軸で見た場合に将来の禍根になるのではないですかね? 

 

 

・一人一人の意見を全て聞いて、全員一人残らず説得出きるまで続けるのが当たり前としてきたマスコミの口にする『日本の民主主義』って代表性のシステムじゃないからね。 

理念として絶対多数の幸福実現のために代表者を選定し、代議士が議会を通じて条例や事業の推進をやって行くのが現代の民主主義議会制。 

民主主義なら一人の取りこぼしも有ってはならないのが当然だ!というなら、実際にそうしてみてから訪れる結果に日本国民や有識者が責任を取れば良いだけとなるが、良い結果にはならないだろう。 

 

 

・非民主性て。 

民主主義に沿うなら多数の意見がまず優先で少数の意見は必ずしも実現されるわけではない。 

それを思えば「北欧モデル」は民主的だよ。 

 

ひるがえって日本ではどうしても地震等の天災があるから 

別の手段を考えねばならぬ。 

処理するだけならロケットに詰め込んで太陽にでも打ち込めばいい。 

もしくは地球のマントルに沈めるとかね。 

安全に処理できるならコストがかかっても構わないと思うがね。 

 

 

・原発で出た使用済み燃料はすぐに出せるわけではなくて、最初プールで、あと原発内での敷地で30年程度放射能が落ち着くまで「保管」される。こういう誤解論説が出ているということからすると、原子力機構、NUMOなどは説明を理解してもらっていない証拠。研究もいいんだが、もっと税金を支払っている人らへの説明がぜんぜん足りていない。 

 

 

・放射性廃棄物の問題を解決できれば文明のレベルが一段階上がると思いますが、そうでなければ化石燃料の枯渇や気候変動による食糧難等で戦争が激化し、荒廃した世界になってしまうかもしれません。 

でも今のところは、前者をイメージできる気が全くしないんですよね。 

 

 

 

・まあ根本的な話、民主主義なんてもの自体が欺瞞でしかないと思うので。選挙が終われば国民は国家の奴隷という体制を敷いている中で、民主主義なんて空虚な言葉でしかありません。 

大体国民は本当に政治的決定に参加できることを望んでるのですか?今日明日の飯が食えることの方が大切、というのが大体の感覚では? 

 

 

・>そして核のごみを増やし続ける現行の政策や最終処分場計画自体を根本的に見直すことが必要だ。 

 

で、どうすべきなのか筆者のコメントがない。 

 

電気を爆食いするAIがこれからの主流になると言われ、いずれ電気は足りなくと言われる。 

識者が「再生可能エネルギーだけで電気を賄うには、蓄電池をセットにしないといけません。そうなると蓄電池が莫大に必要になり、電気代は10倍以上になるでしょう」と言ってました。 

なお、蓄電池に必要なリチウムの精錬は、ほとんど中国が牛耳ってます。 

 

筆者の頭はお花畑ですね。 

 

 

・日本の場合、この際民主的かどうかなんてどうでも良い。 

 

科学的に考えて日本が1万年以上も安定しているはず無いからだ。 

3000万年程度の間にユーラシア大陸から分離して日本海が出来、絶海の孤島になり、タッタ77万年前には千葉県が海の底だったのが隆起して房総半島を形成するぐらい激変しているのが日本の地理だ。琵琶湖すら200万年の間に三重のほうから今の位置まで移動したと考えられている。 

そもそも瀬戸内海もちょっと前まで海ではなかった。 

 

文献調査している所も1万年も経たずに海の底になったり山の上になったり、火山が新たに誕生するやもしれない。 

 

日本で安定地層など探すだけ無駄だ。さっさと原発ごとすっぱりあきらめろ。 

 

 

・スウェーデンは仕事でよく出かけましたが、そもそも地盤が違うのですよ。 

花崗岩で地震が少ないから。地下鉄は核シェルターとして使えると自慢していましたよ。 

岩をくりぬいてあるんだよ。 

 

日本はそもそもが地殻変動で中国大陸が割れて分離した地震大国。 

北欧と比較すること自体、はなから無意味。 

 

 

・北海道の寿都町って核のゴミ文献調査の是非が焦点となった町長選してなかったっけ?それで賛成派が勝ってたはず。なら、むしろ民主的に進んでると思うけど?この記事がトンチンカンなのは反対する人がいればことを前に進めてはいけないという視点に立っていること。民主主義とは多数決であり、全会一致ではありません。もう少しお勉強してから記事を書きましょう。それとも反対派からお金でももらってるのかな?なんでも政府の政策に批判する共産党みたいな団体と繋がりがあるのかな? 

 

 

・もう少し安全にロケットが飛ばせるようになったら太陽に打ち込むと良い。30年もすればロケット燃料じゃない方法で宇宙空間へ行けるんじゃね?それまでの間はじっと保管してるしかない。 

 

 

・原発を稼働させるならまずは廃棄物の問題を解決してからだと思う私ですが 

>地元市民団体の代表者は「民主主義の否定だ」と批判している 

ここでいう「市民団体」というのは、この地域での少数派の団体なのだと思います 

 

 

・高レベル放射性廃棄物(いわゆる核のごみ)の最終処分場も原発も再処理工場も横田基地に隣接して建設すれば良い。 

安全、安心だから首都圏にあっても問題ないし 

米軍基地の横なら対テロ対策も容易であろう。 

 

 

・マスコミを含めて文献調査を受け入れる入れないの段階で大騒ぎしている様子をみてらとなんか滑稽というか。 

 

反対派の懸念としては調査を受け入れれば次の段階へと進み最終的には国にがんじがらめに縛られて従わざるを得ない状況に追い詰められると思っているみたいだけれど、 

まぁ国への不信感はそれなりに理解するけれど、その様子を見てると反対派の議論に立たせない議論をしないことで妨害するという戦略が透けて見えてしまう。 

まぁ国会でも左右双方が似たようなことやってるし。 

 

 

・筆者は日本ではどうしろと考えているのか?原発を動かせば必ず放射性廃棄物は発生する。埋めるなどの何らかの対策が必要なことは自明だ。全ての人が納得するという対策は今後も無理だろう。過半数の人が賛成するなどの多数決を取るしかない。国民が何らかの恩恵に属しておいて反対だけ唱えるのは如何なものか? 

 

 

 

・日本に適地があるかどうかを調べるための調査は 

やっても問題はないでしょう。その調査に反対する 

理由に合理性はあるのでしょうか。 

 

 

・学術会議と環境団体が反対してるってことは、やったほうがいいってことだな。 

そして、結果が思い通りにならないと非民主的と言い張るのは、つい最近の都知事選でもあったことを覚えているよ。 

で、実は苦しいチャイナ経済のために、ウイグル人奴隷を使って製造したチャイナ製ソーラーパネルを売るために記事なのか。 

東洋経済って、そう疑いたくなる記事が多いからな。 

 

 

・日本は議会制民主主義国である。 

選挙で選出した議員が決めた事は、民主的プロセスで決定した事となる。 

ただそれだけだ。 

筆者の言う”民主的”、それは筆者個人の考え、と言うだけだ。 

 

 

・民主主義というのは、少数意見は尊重するけど、最終的には多数決で決めること。 

少数の声が大きければそれに従うのが民主主義ではない。 

 

 

・最終処分出来たら各原発に保管してある使用済み核燃料を処分するのか。? 

帳簿上は資産になってるのに大丈夫なのか。? 

また電気代に上乗せするのか。? 

 

 

・いつもこの問題で思うのだが、原子力発電を導入した時点でこの問題は必ず訪れるわけで、なぜ国民は反対しているんだ? 

受け入れたんでしょ?当時の国民、さらにその恩恵を受けてきた国民。 

責任取って受け入れろよ。 

 

 

・数万年単位で強固な岩盤に支えられる 

核廃棄物の先進国フィンランドでさえ 

も民主的な合意形成に懸念がある。 

地震王国の日本は論外と言う事だ。 

 

 

・3,000年前の縄文時代の水銀朱の製造工場と似たような、核のゴミが3,000年後に見つかるんだろうな。 

 

 

・日本は地震大国で火山国で、近年では水の災害も多い。地層や断層が安定しないのに危険物を地下に埋めるとか、無理。 

 

 

・心配はするな!沖縄の基地問題と同じく、国が強制的に埋める場所は決めるだろから!住民の意思は関係無くなる。 

 

 

 

・私が生を受けてから巨大地震(被害のでたもの)いくつあっただろう? 

10?20?この国で埋めるとなると、恐怖。運任せしかないね。 

 

 

・住民が納得するとかしないとか民主的とかじゃなくて 

科学的に安全な所へお願いします 

 

 

・民主主義とは多数決ではないのか 

 

いっそのこと、尖閣湾諸島にでも作れば、中国が近づいて来ないから、一石二鳥かも 

 

 

・民主的かどうかより科学的に妥当か安全が最も重要。 

究極無人の地なら民主主義も糞も無い。 

 

 

・自然と人間の生命を蔑ろにして 原発マフィアはこれからも肥太る... 

そこに民主主義がつけ入る隙は無い。 

 

 

・あれこれ批判しているがそのための科学的調査って事でしょ。 

 

 

・北欧を有り難がるのは止めた方がいい。 

 

 

・こんな議論の前に原発止めれば? 

 

 

・人は文句しか言わない。 

 

 

・>学識経験者から、度重なる懸念表明がなされてきた。にもかかわらず、きちんとした科学的議論もないまま、各地で処分場選定に向けた調査が進行している。 

 

はっきり言って頭がおかしい。 

科学的議論をするための文献調査、その後の地質調査。 

それをしないでどのように科学的議論をするの? 

そんなことも理解しない学識経験者って何なの? 

非民主性が問題って、賛成派の意見は無視ですか? 

某箇所では反対より賛成が多いけど、周りが反対と言って進まないところもありますよね。 

それが民主性なの? 

少数の反対、マスゴミを使った反対派の工作、これで進まないのはそれこそ非民主性では? 

 

 

 

 
 

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