( 192190 )  2024/07/18 17:31:57  
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「この大学/会社に入れば幸せになれる」と若者が思い込んでしまう理由

東洋経済オンライン 7/18(木) 13:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/5060cb1b3cc63fa10b7d85c467aa1787ac4ea1e8

 

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Z世代を通して見えてくる社会の構造について、舟津昌平氏と鳥羽和久氏が論じています。

舟津氏は、若者の行動や受け取り方には、学校や大学の在り方、就活やビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響していると指摘しています。

鳥羽氏も、社会が設定した欲望に囚われることや、ビジネスがお金を払った瞬間しか面倒をみないことについて議論しています。

さらに、大学への期待が幻滅につながることや、学問を信じる力が自信の支えになる可能性についても言及しています。

(要約)

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Z世代を通して見えてくる社会の構造とは(写真:8x10/PIXTA) 

 

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。 

企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――例えば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。 

 

Z世代を通して社会構造を読み解く舟津昌平氏 

 

本記事では、前回、前々回に続いて、著者の舟津昌平氏と教育者である鳥羽和久氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。 

 

■社会が設定した欲望を自分の欲望と思い込む 

 

 鳥羽:舟津さんの本の中に、「楽しい仕事に就くのではなくて、楽しさを見つけるように生きることで、我々は簡単に消費されない楽しさを享受することができる。教育とはそのためにあるものだ。楽しさを発見する過程を支えるためのものだ」という言葉がありましたが、本当にそのとおりだと思いました。 

 

 若い世代に限ったことではありませんが、受験でも就職でも、どのような選択をするかに気を取られすぎて、自分が選択した先をいかに肯定できるか、という肝心なところが意外と考えられていないし、誰も教えてくれないですよね。だから、舟津さんのここの視点にはとても共感しました。 

 

 舟津:ありがとうございます。 

 

 鳥羽:選択に踊らされることの問題点は、資本の欲望というか、社会が設定した欲望に絡め取られてしまうこと。それって実は自分の欲望ではないんですよね。子どもたちと話していると、進路先の選択でも実は行きたい理由をちゃんと掘り下げられている子ってとても少なくて、その証拠に経営学部に行きたいって言った子に、「じゃあ、経営学部と経済学部、何が違うの?」って言ったら、ほぼ100%が答えられないんですよ。ほとんど雰囲気か偏差値で選んでいる気がする。 

 

 舟津:私は両方の学部で働いたことがありますけど、間違いないですね(笑)。 

 

 鳥羽:雰囲気か偏差値って、まさに世間が作った欲望に踊らされている証拠だと思うんですよ。きっと就活も同じような仕組みがあるのでしょう。「楽しさを発見する過程を支える」っていう部分が高校でも大学でも顧みられていない。こういう自己疎外によって社会になじんでいく仕組みが昔から受験をはじめとする教育制度には組み込まれていて、それが若い人たちを不幸にする原因になっているんじゃないかと思います。 

 

 

 舟津:「欲望」という言葉でうまく表現していただき、ありがとうございます。基本的に人は欲望のとおりに動くもので、欲望は最も強靭な原動力だと思っています。だけど、いい大学や会社に入るというのは、およそ社会に設定された欲望なんですよね。「あなたたちはこの大学/会社に入らないと幸せになれないですよ」っていう。特に受験の場合は、親御さんの欲望も大きいと思います。 

 

 加えて、受験産業の方々は合否にしかインセンティブを設定しないので、入学までしか面倒みない。それは当たり前です。かくして社会が設定した欲望は、入学時点で充足される。ところが受験生当人にとっては、入った後のほうが絶対に大事なはずなんです。 

 

 鳥羽:そのとおりです。学生たちもそれに気づかず、周りの期待に応えているだけなんです。 

 

■お金を払った瞬間しかビジネスは面倒をみない 

 

 舟津:楽しさを見つけるっていうのは、自分の欲望を満たすように生きることであって、実はそれなりに経験や訓練を積まないと見えてこないもののはず。「これいいな」と思えるものを発見するのは簡単ではないんです。 

 

 そういう意味でテーマパークっていうのは、聞けば聞くほど欲望の解放がうまいと感じます。授業の題材にしたとき、USJやディズニーランドの魅力を語って止まらない学生の多さに驚きました。学生たちは教科書の数千円は躊躇しますが、USJの年パスにはすっとお金を出す。 

 

 鳥羽:そうなんですか。USJってそんなに面白いんだ。行ってみたくなりました(笑)。 

 

 舟津:ただ、それは高いお金を出した一瞬しか得られないものです。だから、人生をテーマパークのように楽しむことはできない。やっぱりテーマパークほどビジネス依存ではないものを探せるようになってほしいなとは思います。ビジネスは、お金を払った瞬間しか面倒をみないのが当たり前なんだから。 

 

 鳥羽:そうですよね。もう高校生くらいになれば、そうした経営的なネタバレは知っていたほうがいいような気がします。私も塾に来ている高校生には、「基本的に教育産業っていうのは不安を売る産業だから」というのを平気で言っています。「だって、大学受験が心配だから来てるわけだけど、実はそういう将来への不安ってある程度作られたものなんだよ」と。 

 

 

 でも、それを聞いて子どもたちのやる気がなくなるかっていうと、全然そうじゃない。むしろ自分なりの納得の仕方を見つけようとする。だから、高校生くらいの年齢にもなれば、そのからくりは伝えていいと思う。ビジネスのノリを真実と受け取って不幸になる子もいると思うので。 

 

■入っただけで無条件に幸せになれるわけではない 

 

 舟津:間違いないです。大学受験で人生が決まると信じ込んで、頑張りきって、「よし、自分は幸せのルートに乗っている」と思って入学してみると、無条件で幸せになれるような場所はどこにもない。拍子抜けするでしょうね。 

 

 鳥羽:実際それで大企業を辞めた卒業生もいますし、東大・京大を辞めた子もいます。たぶん、受かったら幸せが待っているような気持ちがどこかにあったんでしょうね。 

 

 舟津:東大だと、「自分が東大生だと思うだけで幸せであり続けられる」って人はいるみたいですけど(笑)。あえて言うと、だいたいキャンパスライフなんて期待したどおりにはなりません(笑)。サークルや遊びなど、想像通りの平凡な楽しみは享受できる。でも、それは別にどの大学でも同じようなものですし、入学した時点で圧倒的な手応えを得られるわけがないと思いますね。 

 

 鳥羽:それなのに、それを期待して入る子がいるんですよね。頑張った見返りがちゃんとあるはずだって信じている。でも、それは受験産業や学校に責任があるとも思いますけどね。 

 

 舟津:そうなんですよね。受験産業や学校は、どうしてもその内情の発露をタブー視します。でも、経営学はそのタブーをばらす学問でもあります。企業側はビジネスとして、こういう構造であなたたちの欲望を掻き立てているんだよと。 

 

 鳥羽:子どもには、大人の考えていることが最初からうすうすバレていますからね。うすうすバレてるけど建前だけはあるということが、大人と子どもの関係を守っている側面もあるわけですが。ただ、こういう経営の話は、ある程度の年齢以上になればそれを伝えたとしても幻滅することはないし、むしろ自分のポジションを確認するために必要なことだったと感じる子もいるでしょう。 

 

 

■学問を信じる力が自分を信じる支えになりうる 

 

 鳥羽:今の教育のお話に関連するものとして、舟津さんの本を読んでもう一ついい言葉だなと思ったのが、「内定がなかったとてどうにかなるのだ、という余裕を持つために、知性へのゆるぎない信頼を持つために、教育がある」というものです。この点について詳しくお話をお聞かせ願えますか。 

 

 舟津:この一文では、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という著名なフレーズをイメージしました。このフレーズを解説した本に「あらゆるものを疑った末に、自分の思弁だけは疑いようがなかったという、知性への絶対的信頼を表現している」という解釈があり、とても心に響いたんです。哲学的に深く考えていくと、あらゆるものが疑わしくなる。しかし、考えている自分自身の存在だけは確信できうる。それが知性へのゆるぎない信頼なんだと。 

 

 もう一つの意味は、実は自己投影でもあります。私はいわゆるポスドクといういろいろ不安定な身分のなか、自分は社会で胸を張って生きてはいけないんだろうな、という疎外感をもちながら過ごした時期がありました。私は正直、社会にあまり馴染めなかった人間なんです。今も、馴染めている自信はさしてありません(笑)。 

 

 その経験を通じて、どうやったら生きていけるのか再考したとき、安定した職を得ることは当然必要です。それは社会が設定した欲望とも一致します。「まともな人間は大学を4年で出て就職して、いい会社に入って、成長ややりがいを感じて」っていう。 

 

 ただ、大学が確実に就職予備校になりつつある現代で、映画監督の是枝裕和さんが「お気に入りの城」って表現されたような、個々人が、この城を守れていたら自分は大丈夫なんだと思えるようなことを、学問や教育は伝えることができるはずなんです。 

 

 舟津:仮にフーコーが大好きで、フーコーへの信頼があって、自分の中にフーコーが内面化されているなら、いかようになっても「フーコーがおればええねん」という気持ちで生きていけるんじゃないかなと。学問を信じる力が、その学問を修めた自分を信じる力になると思うんですよね。それは根拠のない自信かもしれませんが。 

 

 

( 192192 )  2024/07/18 17:31:57  
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・大学を目指す多くの人は、新しい知識を得るだけでなく、理解力や読解力を高め、学習の習慣を身につけることで、自身の仕事の幅を広げたいと考えているようです。

(まとめ) 

 

・過去には大学や学部選びは雰囲気や周囲の影響で行われており、親と子供で幸せの定義が異なることもあります。

経済的成功だけが幸福ではなく、個別的な必要性を無視して作り上げた経済的安定は精神的負債を抱える危険性もあるようです。

(まとめ) 

 

・単純な偏差値や大学のグレードだけではなく、個々の選択や努力も大切であり、そこから独自の道を歩むことが重要だという意見もあります。

(まとめ) 

 

・親が子供に幸せを求めることと子供自身が感じる幸せが異なることや、大学や会社に入れば幸せになれるという単純な関係性ではなく、個々の選択や経験が人生に影響を与えることが指摘されています。

(まとめ)

( 192194 )  2024/07/18 17:31:57  
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・頑張れが追い詰めるというのは、確かに浪人時代にあったかな。 

でも言う方は他に言いようがないんですよね。 

いい大学を出ればディズニーのファーストパスまではいかなくても 

ある種のパスは手に入れることは出来ます。 

だから多くの人が良い大学を目指すのでしょう。 

学問の素晴らしい所は、新しい知識を得られるだけでなく、 

理解力、読解力をプラスすることが出来、学習をする癖がつき、 

それが新しい知識を得る努力に繋がり、知識と知識を結び付けて 

個人の仕事の幅を広げるのに役に立つところだと思います。 

 

 

・大学や学部を選ぶとき、何十年前に高校生だったときも、雰囲気で選んでた。進学校だったから大学進学ありきで、得意な科目が入試にあるからとか、進学指導もまぁかなり適当だったね。それで大学にはいったら超幸せライフになれると思い込んでたかな。すぐにそれって全部ウソだったなとわかるんだけど、大人の洗脳って怖いなと思った。 

 

 

・なんか発想が「社会主義」じみた記事に感じる。「社会主義的思想でもそこそこうまくいった大人」の人生観みたいな。 

実際のところ、世の中は「相対評価」「競争」で、記事でいうところの「欲」も年代やライフステージで変化してく。欲を満たすためにはある程度勝ち続けなければならないし、負け続けてもその中にも欲が出てくる。欲のレベル差みたいなもの。 

実際には「社会が要求する」ものに適してかないと自分の欲も満たせない。 

 

 

・幸せとはリア充の状態で、その多くは人間関係が良好で自分が必要とされていて自分も相手を必要としている構図だと思う。そしてそこに大学や会社のグレードは関係ない。友人や恋人、妻、子供、職場の人間 等々から愛されるのに学歴は必要なく、必要なのは自身の人間性や自己管理能力。ただそれを経済的にも高いレベルで実現しようと思えば学歴が必要なのだが、学歴は幸せの絶対条件ではない 

 

 

・偏差値の高い大学から、一流企業に入る若者はその思い込みがあり上へ登っていく。それなかったら、続かないよ。何のために頑張るのか?目的がないから。 

 

ただ大半は、偏差値の高い大学にも入ってないし、一流企業でもない。 

 

思い込みがなく冷めてるから、早期退職とか、定年とか考えてない合わなければやめる。若者がとかZ世代がとか一括りにするけど二極化してると思うし、 

 

一般庶民感覚から言うと、この大学、この会社に入れば幸せになれるとか考えていないと思う。それより社会不安により幸せとは何か?すらイメージ出来ない人多い気がする。 

 

 

・頑張って欲しくて握手したのがそう解釈されるならもう何もしない方がいいんだろうな 

皆自己責任好きだしどうぞ勝手にやってくださいって感じで 

訴えられかねないなら他人に何かするなんてコンパ論で言えば最悪中の最悪 

自己認識が全てと考えればデカルトに照らしても矛盾はしてない 

 

 

・「経済的成功が人の幸福と人生のすべて」 

という強固な固定観念は面倒くさい。 

どんな時間や生活が自分的に必要なのか? 

個別的必要性を犠牲にして作り上げる経済的 

安定は、かえって深刻な精神的負債を抱える 

危険性もあるので本当に怖い。 

 

 

・経営学部でも、経済学部でも、国際コミュニケーション学部でもいい、偏差値が高い所へ入れ、が親として良心的な助言だと思う。大学は教育機関ではなく偏差値授与機関、高等教育は就職してから、が日本の常識だから。 

 

 

・この大学/会社に入れば幸せになれるって言うのはイコールじゃ無いけど、他の人達と比べた場合どうかって事だと思うよ。だいたいは同じ会社の中だけで比べてるから分からないが、派遣で来た子が期限切れで別の所に移るって聞いてたから新しい職場で働いてるのかと思ってたら仕事が無く就活してるって偶然聞いた事がある。会社にいると仕事と収入があるのが当たり前だけどそうじゃ無い人もいる。ある一定以上の生活してる人は生活に困ってる人がいることさえ知らない。 

 

 

・>この大学/会社に入れば幸せになれる 

 

親のいう幸せと子供が感じる幸せの違いだろう。 

 

親は経済的に豊かになることが幸せの入口と考え、子供は精神的な幸せを求めている。単純に言えばこういう事なんじゃないのかと思う。 

 

小学校で算数に落ち零れる。 

親は、GMARCHに入ればまあまあの企業に就職できるから頑張れと励ます。 

子供は、英国と社会1科目に絞り(例えば世界史)、GMARCHに入学できた。これで幸せになれると思う。 

 

大学では、付属高出身者との間に壁があり、一般組とは何か違う 

就職したら、「光る君へ」が話題になっても、日本史を捨てているので話についていけない。営業部では、各人の予算の説明を受け、課の予算を個人割する際に、1は人数割り、2は実績割、3は○○比率で按分、4は××比率で按分で各人自分の予算を計算して申告と言われても、分数が分からないから計算できない。 

 

これ幸せ?こんな感じかな。 

 

 

 

・あるめんそうだから。収入は多い。でも、自由、時間、お金どれも個人の選択だから。なんでもあり。いい学校出たほうが、スタートは楽かも。そこからは、実力 

Fランでも、関係ないから。頑張ると良いよ。 

 

 

・総合型入試の定着。一般型入試も方法が多様化。 

つまり、比較ができない。すでに、偏差値という大学比較の物差しは、実質的に機能していないと思う。 

 

 

・幸せというよりも安定した収入が見込めるからという理由が多いと思います。 

好きな仕事をするというやりがい重視の方もいらっしゃるようですが。 

 

 

・>「この大学/会社に入れば幸せになれる」 

大先生方がどんな御高説を垂れようが、日本社会はその通りなんだから仕方ない 

東大一橋早慶卒でも、職歴ナシの『司法試験崩れ』は、もはや就職が無い 良くて、低賃金の法律事務所事務員 一方、知り合いに、公法の知識を生かし、立◯の地方議員になった者もいるが 会社法の知識を生かし、総会屋になった者も 笑 明中卒の『司法書士崩れ』も同様 

 

 

・>この大学/会社に入れば幸せになれる 

 本人はそう思ってない 

 思っているのは親 

 

 

 

 
 

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