( 192192 )  2024/07/18 17:31:57  
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・大学を目指す多くの人は、新しい知識を得るだけでなく、理解力や読解力を高め、学習の習慣を身につけることで、自身の仕事の幅を広げたいと考えているようです。

(まとめ) 

 

・過去には大学や学部選びは雰囲気や周囲の影響で行われており、親と子供で幸せの定義が異なることもあります。

経済的成功だけが幸福ではなく、個別的な必要性を無視して作り上げた経済的安定は精神的負債を抱える危険性もあるようです。

(まとめ) 

 

・単純な偏差値や大学のグレードだけではなく、個々の選択や努力も大切であり、そこから独自の道を歩むことが重要だという意見もあります。

(まとめ) 

 

・親が子供に幸せを求めることと子供自身が感じる幸せが異なることや、大学や会社に入れば幸せになれるという単純な関係性ではなく、個々の選択や経験が人生に影響を与えることが指摘されています。

(まとめ)

( 192194 )  2024/07/18 17:31:57  
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・頑張れが追い詰めるというのは、確かに浪人時代にあったかな。 

でも言う方は他に言いようがないんですよね。 

いい大学を出ればディズニーのファーストパスまではいかなくても 

ある種のパスは手に入れることは出来ます。 

だから多くの人が良い大学を目指すのでしょう。 

学問の素晴らしい所は、新しい知識を得られるだけでなく、 

理解力、読解力をプラスすることが出来、学習をする癖がつき、 

それが新しい知識を得る努力に繋がり、知識と知識を結び付けて 

個人の仕事の幅を広げるのに役に立つところだと思います。 

 

 

・大学や学部を選ぶとき、何十年前に高校生だったときも、雰囲気で選んでた。進学校だったから大学進学ありきで、得意な科目が入試にあるからとか、進学指導もまぁかなり適当だったね。それで大学にはいったら超幸せライフになれると思い込んでたかな。すぐにそれって全部ウソだったなとわかるんだけど、大人の洗脳って怖いなと思った。 

 

 

・なんか発想が「社会主義」じみた記事に感じる。「社会主義的思想でもそこそこうまくいった大人」の人生観みたいな。 

実際のところ、世の中は「相対評価」「競争」で、記事でいうところの「欲」も年代やライフステージで変化してく。欲を満たすためにはある程度勝ち続けなければならないし、負け続けてもその中にも欲が出てくる。欲のレベル差みたいなもの。 

実際には「社会が要求する」ものに適してかないと自分の欲も満たせない。 

 

 

・幸せとはリア充の状態で、その多くは人間関係が良好で自分が必要とされていて自分も相手を必要としている構図だと思う。そしてそこに大学や会社のグレードは関係ない。友人や恋人、妻、子供、職場の人間 等々から愛されるのに学歴は必要なく、必要なのは自身の人間性や自己管理能力。ただそれを経済的にも高いレベルで実現しようと思えば学歴が必要なのだが、学歴は幸せの絶対条件ではない 

 

 

・偏差値の高い大学から、一流企業に入る若者はその思い込みがあり上へ登っていく。それなかったら、続かないよ。何のために頑張るのか?目的がないから。 

 

ただ大半は、偏差値の高い大学にも入ってないし、一流企業でもない。 

 

思い込みがなく冷めてるから、早期退職とか、定年とか考えてない合わなければやめる。若者がとかZ世代がとか一括りにするけど二極化してると思うし、 

 

一般庶民感覚から言うと、この大学、この会社に入れば幸せになれるとか考えていないと思う。それより社会不安により幸せとは何か?すらイメージ出来ない人多い気がする。 

 

 

・頑張って欲しくて握手したのがそう解釈されるならもう何もしない方がいいんだろうな 

皆自己責任好きだしどうぞ勝手にやってくださいって感じで 

訴えられかねないなら他人に何かするなんてコンパ論で言えば最悪中の最悪 

自己認識が全てと考えればデカルトに照らしても矛盾はしてない 

 

 

・「経済的成功が人の幸福と人生のすべて」 

という強固な固定観念は面倒くさい。 

どんな時間や生活が自分的に必要なのか? 

個別的必要性を犠牲にして作り上げる経済的 

安定は、かえって深刻な精神的負債を抱える 

危険性もあるので本当に怖い。 

 

 

・経営学部でも、経済学部でも、国際コミュニケーション学部でもいい、偏差値が高い所へ入れ、が親として良心的な助言だと思う。大学は教育機関ではなく偏差値授与機関、高等教育は就職してから、が日本の常識だから。 

 

 

・この大学/会社に入れば幸せになれるって言うのはイコールじゃ無いけど、他の人達と比べた場合どうかって事だと思うよ。だいたいは同じ会社の中だけで比べてるから分からないが、派遣で来た子が期限切れで別の所に移るって聞いてたから新しい職場で働いてるのかと思ってたら仕事が無く就活してるって偶然聞いた事がある。会社にいると仕事と収入があるのが当たり前だけどそうじゃ無い人もいる。ある一定以上の生活してる人は生活に困ってる人がいることさえ知らない。 

 

 

・>この大学/会社に入れば幸せになれる 

 

親のいう幸せと子供が感じる幸せの違いだろう。 

 

親は経済的に豊かになることが幸せの入口と考え、子供は精神的な幸せを求めている。単純に言えばこういう事なんじゃないのかと思う。 

 

小学校で算数に落ち零れる。 

親は、GMARCHに入ればまあまあの企業に就職できるから頑張れと励ます。 

子供は、英国と社会1科目に絞り(例えば世界史)、GMARCHに入学できた。これで幸せになれると思う。 

 

大学では、付属高出身者との間に壁があり、一般組とは何か違う 

就職したら、「光る君へ」が話題になっても、日本史を捨てているので話についていけない。営業部では、各人の予算の説明を受け、課の予算を個人割する際に、1は人数割り、2は実績割、3は○○比率で按分、4は××比率で按分で各人自分の予算を計算して申告と言われても、分数が分からないから計算できない。 

 

これ幸せ?こんな感じかな。 

 

 

 

・あるめんそうだから。収入は多い。でも、自由、時間、お金どれも個人の選択だから。なんでもあり。いい学校出たほうが、スタートは楽かも。そこからは、実力 

Fランでも、関係ないから。頑張ると良いよ。 

 

 

・総合型入試の定着。一般型入試も方法が多様化。 

つまり、比較ができない。すでに、偏差値という大学比較の物差しは、実質的に機能していないと思う。 

 

 

・幸せというよりも安定した収入が見込めるからという理由が多いと思います。 

好きな仕事をするというやりがい重視の方もいらっしゃるようですが。 

 

 

・>「この大学/会社に入れば幸せになれる」 

大先生方がどんな御高説を垂れようが、日本社会はその通りなんだから仕方ない 

東大一橋早慶卒でも、職歴ナシの『司法試験崩れ』は、もはや就職が無い 良くて、低賃金の法律事務所事務員 一方、知り合いに、公法の知識を生かし、立◯の地方議員になった者もいるが 会社法の知識を生かし、総会屋になった者も 笑 明中卒の『司法書士崩れ』も同様 

 

 

・>この大学/会社に入れば幸せになれる 

 本人はそう思ってない 

 思っているのは親 

 

 

 

 
 

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