( 192525 ) 2024/07/19 17:22:43 2 00 「なにそれ?」と知らない世代も増えてきた 50年前に誕生し、とっくに製造終了も使われ続けた「フロッピーディスク」の栄枯盛衰東洋経済オンライン 7/19(金) 8:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/58deb9690aecdb0eb7bba5b2473acccfbe7a688c |
( 192528 ) 2024/07/19 17:22:43 0 00 最も普及した3.5インチのフロッピーディスクはソニーが開発した(写真: H.Kuwagaki/PIXTA)
1970年代に誕生し、パソコンのシステム(OS)起動ディスク、ソフトウェアの流通用メディア、データの受け渡しなど約50年、多様な目的で使われ続けた記録メディア、フリッピーディスク(FD)。この間、あらゆる記録メディアが登場しては消えていったが、なぜフロッピーディスクだけ長く使われ続けたのか。その謎に迫る。 河野大臣はフロッピーディスクを「アナログな手段」と述べ、そんなものを使っているからいつまで経っても業務の効率化が進まないとの持論を展開し、政府の業務を他の手段に置き換えてきた(参考リンク:脱フロッピー、月内にも デジタル相)。だが、考え方によっては、移り変わりの早いコンピューター分野で50年以上も使われ続けている、優れた記録メディアだと言うこともできるだろう。
【写真】見たことある?8インチ、5.25インチ、3.5インチ、3種類のフロッピーディスク
■現在も使われているフロッピーディスク
1987年に製造されたボーイング747-200型機は約20機がいまだ現役であり、主に貨物機として世界の空を飛んでいる。しかし、その大半では、ソフトウェアの更新がフロッピーディスクで行われているのだ(約20機にはアメリカ大統領専用機エアフォース・ワン2機が含まれるが、こちらはシステムが入れ替わっている可能性もある)。
工業の分野では、例えばコンピューター数値制御(CNC)式の加工機をはじめとする、多くの設備でフロッピーディスクが使われている。これらの機械は非常に高価で耐用年数が長く作られているため、企業は数十年間それらを使い続けることが多い。
アメリカ・サンフランシスコの市営鉄道ミュニ・メトロ、その列車制御システムの一部に、また、ドイツ海軍はブランデンブルク級フリゲート艦F123の航行制御システムに、いまもフロッピーディスクを使用している。それらはいずれも2030年まで使い続けられる可能性があるという。
日本国内では、自治体や事業主が金融機関との間で行う口座振替手続きにおいて、情報の受け渡しにフロッピーディスクが使われているケースがまだ相当数あると考えられている。これについては、自治体や事業主側の事情によるものと、金融機関側の事情によるもの、両方のケースが存在するようだ。
■誕生:IBMがフロッピーディスクを発明
フロッピーディスクと、それを読み書きする装置であるディスクドライブはIBMによって1971年に発売された。
IBMは、エンジニアのアラン・シュガートを責任者に据え、パンチカードや磁気テープよりも手軽にソフトウェアや更新用データを読み込ませられる記録システムを開発する「Progect Minnow(プロジェクト・ミノウ)」を立ち上げ、プロジェクトメンバーの1人が「メモリーディスク」と称するまったく新しい磁気ディスク装置を提案した。
メモリーディスクは8インチの柔らかい円盤に磁性体を塗布したもので、80kB(キロバイト)の記録容量があった。いまでは微々たる容量だが、これは当時使われていたパンチカードで言えば3000枚に相当する容量だ。ただ、ディスクにはホコリが付着しやすく、汚れやすいものだったため、チームはホコリを除去するための不織布を裏打ちした薄い樹脂製のスリーブにディスクを収めることにした。こうして開発されたのが最初の8インチフロッピーディスク(8インチFD)「IBM 23FD」になった。
8インチFDは、パンチカードなどに比べてデータの入出力が素早く簡単にできるメリットが評価され、多数のシステムで採用されるようになった。さらに1972年にはソフトウェアフォーマット方式を導入して、容量が400kB(フォーマット後は250kB)へと大きく向上した「IBM 33FD」が登場し、以後も1977年に登場した合計記憶容量1.6MB(メガバイト、フォーマット後は1.2MB)の「IBM 53FD」まで、段階的に改良が重ねられていった。
ちなみに、日本ではドクター中松こと中松義郎氏がフロッピーディスクを発明したと思っている人が多い。IBMは、ニューヨーク・タイムズの記事のなかで、フロッピーディスクはあくまで自社が発明したものだとし、中松氏といくつかの特許使用契約を結んだことはあるが、それはFDに関するものではないとしている(当時のIBMは新製品を市場投入する際、のちのち権利を主張され紛争になりそうな技術特許を調べ上げ、あらかじめ権利問題をクリアにしていたと言われおり、その一環として中松氏が所有する特許に関する使用契約も結んでいたと考えられる)。
したがって、IBMはアメリカだけでなく日本でも審査を経て、発案者としてフロッピーディスクおよびフロッピーディスクドライブ(FDD)の特許を取得している。この使用契約が逆に、中松氏が自身を発明者だと主張する根拠になったのかもしれない。
■アップルが採用して身近に
企業で使われるようになった8インチFDは、当時マイクロコンピューター(マイコン)と呼ばれていた、個人向けコンピューターやワープロ用の記録メディアとするには、サイズ的に向いていなかった。
そこで、8インチFDの開発を主導したシュガートは、IBMを離れて自ら設立した会社Shugart Associates(シュガート・アソシエイツ)で、ディスクサイズを縮小した5.25インチFDを開発した。
1976年に発表された5.25インチFDと同FDDは、アップルコンピューターの共同創設者であるスティーブ・ジョブズの目に留まった。ジョブズは、1977年に発売されたパーソナルコンピューター「Apple II」に5.25インチFDを採用すべく、シュガートを何度も訪ね、安価に製造可能なドライブを作るよう頼み込んだ。そして、最終的にShugart Associatesから制御基板をはじめとする25個のコンポーネントで構成されたプロトタイプFDD、SA-390の提供を受けることとなった。
一方、もうひとりのアップル共同創設者、スティーブ・ウォズニアックは、当時のアップルCEO、マイク・マークラからディスクドライブシステムの設計をするよう依頼されて開発したディスクコントーラーをSA-390と組み合わせて、1978年に「Disk II」と名付けたフロッピーディスクシステムを開発・発売した。
Apple IIと5.25インチFDDの組み合わせは、データ転送速度の遅いカセットテープを記録メディアとして使っていたユーザーの注目を集め、さらに表計算ソフト「VisiCalc(ビジカルク=エクセルの原型)」がビジネスマンを中心とする人々のニーズを捉えたことで、アップルの売り上げを大きく貢献した。こうして5.25インチFDは、ビジネス分野や家庭向け情報機器の記録メディアとして浸透していった。
■普及した3.5インチFDはソニー製
FDの進化がさらに進んだ1976年、ソニーは当時新社長に就任した岩間和夫氏が「コンピューターのわからない会社は、90年代に生き残れない」との考えから、自社製コンピューターの開発を開始。1970年代末にはオフィスオートメーション(OA)分野、そしてマイクロコンピューター(MC)分野に向けたコンピューター関連機器を開発した。
そんな中、岩間氏は社内にシステム開発部を新設し「OA分野でのコンピューター機器」を開発するという目標を掲げた。そして、英文ワープロ製品のためのコンポーネントとして、それまで主流だった8インチおよび5.25インチFDを置き換える、さらにコンパクトな磁気ディスクの開発を開始した。
ソニーのエンジニアたちは、新しい磁気ディスクの仕様は3インチぐらいの大きさがいいと考え、さらに既存のフロッピーディスクでは一部磁気シート面が露出しているのを、シャッター機構で隠せるようにするため、ディスクを収めるスリーブを薄く硬いプラスチックケースに置き換えて設計した。
また、ディスクは小径化しても、記録容量は1MB以上とすることを目標に記録トラックを高密度化させた。その結果、記録および読み取りの正確性を確保するのが難しくなったが、ディスクの中心部にコインのような金属製のハブを取り付け、そこに回転用モーターの軸を固定する仕組みを採用して、ディスクの回転を安定させた。
こうした開発の結果、ソニーは1980年に3.5インチFDを発表し、これを搭載する英文ワープロシステム「シリーズ35」をアメリカ市場に投入した。
ところが、業界や市場では3.5インチFDのほうが注目を浴びることとなった。
ソニーはその後、アメリカでワープロ製品を継続して売るためには3.5インチFDのさらなる普及がカギになると考え、他社製品への採用を模索しはじめた。1982年には自社製パーソナルコンピューター「SMC-70」にもこの3.5インチFDを搭載して発売した。
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( 192527 ) 2024/07/19 17:22:43 1 00 フロッピーディスクや磁気ディスクに対する懐かしい思い出や技術の進化、そしてデータ保存媒体の変遷に関するコメントが多数ありました。
(まとめ) | ( 192529 ) 2024/07/19 17:22:43 0 00 ・フロッピーディスクほど、書き込み動作を実感する媒体はないと思う。その動作によってコンピューターに興味を持てた。その点で、当時もハードディスクはあったがつまらないと思っていた。
現代のハードディスクはほとんどカリカリ音すら立てないし、ましてやSSDなんてなんてなんの動きも感じられないので、面白みなんて持てなかっただろうなぁ。目的だけ高度に達成されているわけだからだ。
・工業高校だと5インチフロッピーディスク使う機械が残ってたりするな 銀英伝見てたらフロッピーディスクが出てきて、「はるか遠い銀河でもフロッピー使ってるんだなあ」と感慨深かった アニメは100話以上あるし、制作期間も長かったから初期に比べて後期の方が情報端末などの機械がやや進歩してたりするから面白い
・1960年代末に,中学校で試験的に導入された「自習マシン」にも独特の磁気円盤が使われていた。アナログ・レコードのソノシートに近い外観と使用感だったと覚えるが,ピックアップは磁気ヘッド。担当教師は教室に現れず,職員室で赤い顔(=二日酔い?)をしていた。いまなら懲罰ものだろうが,そういう記憶も合わさっている。
大学時代の初期の実習は8インチだったが,まだ規格が数種類あった。私は間違って購入してしまい,2千円をどぶに捨てて泣いた。アナログのLPレコードと同価格だ。
やがて規格統一され,MS-DOS版「一太郎」で論文を書くようになった。漢字変換のたびに8インチドライヴが「ガコン,ブイン」と動いた(笑)。辞書ファイル ATOK.DIC を,パソコンのメモリ上に展開できなかったから。それでも文明の利器に驚いた。
あとは本記事のとおり。いまでもWindows11上で一太郎とATOKは現役だ。
・それ以前はカセットテープ使っていたんだよ。 カセットテープをセットして巻き戻して、インデックス数値をゼロにセットして、必要なプログラムの入った部分まで早送りして、読み込む。データーは同じくカセットテープの空き部分に記録してインデックス数字をメモに取る。フロッピー8インチか5.5インチだと巻き戻し早送りインデックス数値の管理が必要ないって画期的だったんだよ。ソフトもNECなら普通のN88basicではなくN88diskbasicを使った。なつかしいなあ。
・かつて学研がナカビゾンという、裏に磁気体のついたカードを読み取って音声を出す、学習用のプレーヤーを売っていた。他のメーカーからも同じ構造のプレーヤーは出ていて、ナカビゾンはほぼ名義貸しに近いものだったようだが、かつて中松さんが発表した内容は、フロッピーよりもこっちの方が近いということなのだろう。
・FDは、いまだにドライブ(外付け)が手に入りやすいのもすごいところ。 以前は、パソコン標準搭載でしたし。
さて、 MOという、微妙な容量の短命なディスクもありまして。 データ入稿とかにはよく利用されてましたね。
消えた・消えそうなメディアをこの記事みたいに特集しても面白いとおもう。
・Macがまだ漢字Talk7.5とかそういう時代にパワーマックでゲームすんのに インストールディスクがフロッピー4枚組とかそういう時代だったのが懐かしい。基本的には黒一色だったんだけど、カラフルな成型色で10枚入りのセット販売とかもあったなあ
・HDDがまだ無い頃、初期のマイコンは立ち上げる度に5.25インチフロッピーからOSを読み込んで稼働していた。 だからドライブも、OS用、言語用、記録用と3連装。 読み書きするとそれぞれのドライブが、ガッチャコ・ガッチャコと賑やかに動いていたのを思い出す。
・新交通ゆりかもめは2020年頃まで、PC-9800シリーズを使用していたので、日本国内に限ってはPC98シリーズ(互換機やエミュレータ含む)とフロッピーで制御している事業所は残っている筈です。 1980年代後半には既に、IBM-PC/AT互換機が主流になった海外ですら、フロッピーが残っているとは思いませんでした。
・実家の物置に、TRS-80っていうコンピュータが眠ってます。本体、ディスプレイ、拡張ユニット、フロッピー装置2台で構成されているコンピュータで、8ビットのCPUなれど5インチフロッピーには84KBの容量があります。当時としては最先端のものだったと思います。今まだ動くかはわかりませんが。
・クラッシュ後に再インストール。 後期のMS-DOS、最初のWindowsのFDの枚数には泣かされた、CD-ROMになった時は結構嬉しかったが、この頃にはOS自体がしっかりしてきて再インストールの頻度は次第に減ってきていた。
・若い子がフロッピーディスクの存在を知らないんですよ。 PCで作業してて「フロッピーのマークを押して上書き保存」って教えたら「フロッピーって何ですか?」って聞かれた時はショックを受けてしまった。
・フロッピーディスクは、アナログだが、扱う物はデジタルデーター。 この世の全ての物はアナログで動作している。 この世で、デジタルで動作するものは全く無い。
最先端のスーパーコンピューターも動作はアナログだ。
・そういえば maxellの5インチ二箱手付かずに残ってる。あの頃って 3.5インチって、DOSV用とか、Macintosh用とか売ってたね。データ用カセットも残ってるし、当然手付かずの3.5インチも、MOもあるし CD ROM も フラッシュカードも有れば メモリースティク なんでもござれ。何をしたかったんだろうと思う。ハードデスクも色々ある、小は18MBから大は1TB迄1番多いのが40GB。今?何をする訳でも無いしPADが有れば事足りる。
・8インチ、5インチフロッピーディスクはシャッターがなかったため床に落とすとディスクに傷が付いて読取り不能になる事が多く、取り扱いに要注意だったのを思い出す。
・磁気媒体のディスクが割と早めにエラーを吐いて使えなくなってしまうことが多かった。(ワープロの記録媒体として使ってた) なのでバックアップを別に取っておかないと泣かされる。
・ソフトウェアの保存ボタンでアイコンとして生き残っていますが、代わりになるデザインとなると良いのが見当たりませんね。 今やアイコンをSDカードと思っている人もいるのでは?
・5.25インチのFDが好きだったな、挿入してでノブを回す動作がいい。3.5は筐体のデザインバランスを狂わせてしまった。後のCDやDVDでさえ5.25サイズなのに
・Windowsが誕生するかしないか頃のPCゲームでは、インストール用にフロッピーディスクが10枚ぐらい用意されていることが普通だった。 あれは面倒だったなあ。
・ソニーの100枚入りフロッピーを買って 半年もせずに大半が読み書き不能になった。 それより前にパソコンを買った時におまけで貰った 東芝の10枚入りは全部生き残ってるのに。
・親愛なるドクター。
その発想が人類を数多の幸福へと導く。
そして都知事選への飽くなき情熱。
改めてリスペクトをここに。
・今でもごく稀に使う人種を見るけど当時は最新鋭の記憶媒体だったからね。個人的にフロッピー以上に栄枯盛衰を語ってほしいのはMDだが。
・NECのワープロ、文豪を何台も買い替えて長いこと使ってた。親戚がフロッピーの関連会社にいて、3.5インチのを箱でくれた。ありがたかったなぁ〜
・コンピュータシステムを変えると多額の投資が必要となるために未だにPC9801が使われてるところがあるという
・AUTOEXEC.BATを編集して、如何に具合良く起動させるかを考えるのが楽しかった。
・事実上「欠番」扱いになってるAドライブとBドライブのことを、年に一度くらいは思い出してあげましょう
・一番初めにすごいと思ったのは、リコーマイティーチャーの磁気ディスクだ。知っているか? 確か録音もできた。
・>>河野大臣はフロッピーディスクを「アナログな手段」
いやいや、FDはデジタルだろ。それを言うなら「アナクロ」だろ。 デジタル大臣がそんな認識じゃデジタル化も進まないね。
・いつか「こんな事もあろうかと」と言いたいがために、FDドライブを保管しています。
その場になったらドライブが動かなかったりして(笑)
・カセットテープやフロッピーディスクよりMDやMOが先に入手困難になるとは思わなかった
・実家に帰省したら、NECのPC-98や88のゲーム5㌅フロッピーや生フロッピーが大量に残っていました。(´・ω・`)
・5インチはドライブに入れる時にちょっと斜めに入れちゃってへし折れて 「あ!」 ってなってた幼少期
オヤジにどれだけ怒られたか…
・ドクター中松は石油を汲む手動式のぺこべこポンプを発明したんだよな
・”保存”機能のアイコンとして当分は生き残る
・フリッピーディスクってw ちゃんと、フロッピーディスクと書きましょうw
・ディスクシステムのフロッピーは3.5インチじゃなかったのか
・ジジジ... 書き込み・読み込みの時のあの音がもう一度聴きたくなってきた
・>多様な目的で使われ続けた記録メディア、フリッピーディスク(FD)。
なにそれ?
・ZIPドライブも忘れないであげて下さい
・FDはデジタルなんだけど…
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