( 193650 ) 2024/07/22 17:12:51 2 00 「ショックとストレスで何度も辞めたいと」 西武柳沢で1984年から続く人気ラーメン店「一八亭」を営むイタリア人男性。店を受け継ぐまでの経緯と、「外国人がラーメンなんか作れるわけがない」を乗り越えた先に見た景色とは?東洋経済オンライン 7/22(月) 11:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/a77a4d3b088023c6db6a762c28348adb1c937773 |
( 193653 ) 2024/07/22 17:12:51 0 00 西武新宿線・西武柳沢駅にある老舗ラーメン店「一八亭」を営むジャンニさん。イタリア出身の彼が、1984年から続く店を経営している理由とは?(筆者撮影)
■西武柳沢にある、イタリア人店主のラーメン店
西武新宿線・西武柳沢駅の南口から徒歩7分。都道4号線沿いの東伏見稲荷神社の近くに一軒の老舗ラーメン店がある。「一八亭」(いっぱちてい)だ。
【画像14枚】イタリアンインスパイアの独自メニューが斬新&絶品!愛妻・知枝さんのお写真も
ここはイタリア人の店主・ジャンニさんが切り盛りするお店として話題だ。昔ながらの中華そばから、ジャンニさんの繰り出すイタリアンな創作ラーメンまで人気で、朝方まで多くのお客さんでにぎわう。
「今でも忘れませんが、初めて食べたのは辛味噌ラーメン。それ以来、味噌ラーメンが大好きになりました。毎日が楽しく、大変と思う事もありません」
今でこそそう語るジャンニさんだが、店を継いで数年間は、客が来ない苦しい時期を過ごした。
彼はいかにして、異国の地・日本でラーメン店を営み、自分らしい生き方を手に入れたのか。奥深い、ライフストーリーを伺った。
【画像11枚】西武柳沢の人気ラーメン店「一八亭」。イタリア人店主だからできた、ラーメン×イタリアンな超絶品メニューがこちら
店主のジャンマリオーリ・ジャンニさんはイタリア・ローマ生まれの57歳。2004年1月、タイに遊びに行っている時に、後に妻となる知枝さんに出会う。知枝さんはタイ語の勉強のためタイに行っていて、ジャンニさんは知枝さんに一目惚れをした。ジャンニさんと知枝さんはすぐ仲良くなった。
3月にジャンニさんはイタリアに戻った。当時ジャンニさんは植木屋をやっていたが、友人とタイで仕事を始めることになり、仕事をやめてタイに移ることにした。
そこでもう一度知枝さんに会うことになる。ここから2人の交際が始まった。その後、知枝さんはタイ語の勉強を終え、7月に日本に戻ることになる。
そして9月、ジャンニさんは知枝さんに電話をし、「私も日本に行く」と伝える。ジャンニさんは六本木のイタリア料理店でウェイターの仕事を見つけ、日本に移住することにした。知枝さんと出会ってから、約8カ月でのことだった。
■彼女の実家は老舗ラーメン店だった
そんな知枝さんの実家は西東京市でラーメン店を営んでいた。それが、1984年にオープンした「一八亭」だ。
ジャンニさんは「一八亭」の2階に転がり込んだ。ラーメン店を手伝うという選択肢も浮かんだが、知枝さんから「ラーメン屋を手伝うのは無理よ」と断られた。ジャンニさんは「なぜ?」と疑問に思ったが、しばらくイタリアンのお店で働き続けた。
しかし、年末年始にはお店が猫の手も借りたいほど忙しく、ジャンニさんはついにお店を手伝うことに。はじめは皿洗いからスタートしたが、そのうち休みの日に仕込みの手伝いをすることになる。ジャンニさんはイタリアンの仕事から帰ってはカウンターで「一八亭」のラーメンを食べ、その作り方を目で見て覚えていた。
ふたりは2005年8月に結婚。11月には、出会った地であるタイの教会で結婚式を挙げた。
そして時は2007年1月、働いていた中国人のスタッフが故郷に帰ることになり、人がいなくなってしまった。
そこで、ジャンニさんはそのスタッフに付きっきりで1カ月かけて必死でラーメン作りを覚えた。そして、その後、4月からはジャンニさんがお店を切り盛りすることになった。
ところが、そこからは苦労の連続だった。
「お客さんたちは急にヨーロッパ人がお店に立ち出したのでビックリしたようです。お店に入って私の顔を見て出ていく人が毎日3~4人はいました。ショックとストレスで何度も辞めたいと思いました」(ジャンニさん)
ジャンニさんは語学学校に通うこともなかったので、日本語のコミュニケーションも厳しく、ラーメン作りよりも接客に非常に苦労した。店に立ち出してから3~4年は大変な時期が続いた。
「『外国人がラーメンなんか作れるわけがない』と思われていたんだと思います。そもそも外国人が好きではない人も多かったと思いますし、味がわかっていないと判断されていたんだと思います。都心にはまだ外国人のラーメン店はあったかもしれませんが、ここは田舎なのでなおさらだったんです」(ジャンニさん)
その後、リーマンショックや東日本大震災などの影響で売り上げが落ち込んでいった。知枝さんからは、
「無理しなくていいよ。お店をやめよう」
と声をかけられた。店の2階に転がり込んだ時に、知枝さんから「ラーメン屋を手伝うのは無理よ」と言われた、その真意に気付いた。
■新メニューが起死回生の一手に
だが、ジャンニさんが諦めることはなかった。
「ここで諦めてはダメだ。まだまだ頑張ろう」
そう自分に声をかけながら、2010年ごろからは新しいメニューにチャレンジしようと、イタリア風の油そばをラインナップした。もともと営業が終わった後にジャンニさんがまかないとして作っていたメニューだったが、
「これ美味しいからメニューにしてみよう。ダメだったらやめればいいから」
という知枝さんの意見からメニュー化された。結果、知枝さんの予想は見事に的中し、油そばは若いお客さんには一番人気になった。
それまでは創業当時からのラーメンを出していたが、ここからジャンニさんのオリジナルのメニュー開発がスタートする。その後、自家製麺をスタートし、パスタ用のセモリナ粉をブレンドして作った極太麺が誕生した。
2012年からは「ジェノヴェーゼ」の提供がスタート。塩ラーメンにバジルペーストを合わせた斬新な一杯で、ここに自慢の極太麺を合わせた。バジルがたっぷり入った緑色のスープだが、ベースの塩スープがしっかりラーメンらしい味わいで、ラーメンとしてきちんと仕上がっているのが特徴だ。
この他、サイドメニューとしてモッツァレラ餃子などもラインナップし、ジャンニさんオリジナルメニューが次々ヒットする。このころから、テレビの取材も入るようになり、客足も一気に伸びていった。
■現在のラーメン業界の一端を象徴する物語
「一八亭」は昼の11時から朝方4時まで営業している。昼営業はジャンニさん、夜営業は知枝さんで切り盛りしているため、平日はほとんど一緒に過ごすことができない。唯一日曜日は22時半までの営業なので、日曜の夜と定休日の月曜日だけ2人で過ごすことができる。
今や、ジャンニさんに会いに来る常連客がたくさんいる。老若男女さまざまなお客さんがいるが、みんなジャンニさんとおしゃべりしに来たり、週末はお酒を飲みに来てくれたりする。
「私がお店に立ち始めた頃は、外国人がラーメン屋で働いていること自体がまだまれでした。その後、日本料理を外国人が手がけることが増えてきて、今や世界は日本ブーム。ラーメンも世界のものになりました。
日本人のシェフがイタリアンを手掛けるのと同じく、外国人がラーメン屋をやることも珍しくなくなりました。当時はここまでラーメンがすごくなるとは思わなかったです」(ジャンニさん)
■外国人だからこそわかる、ラーメンの世界的人気
外国からの日本ツアーが増えて、一気にラーメンが人気になった印象だという。
ジャンニさんが来日した当時は、外国人にとっては「ラーメンって何?」という状態だった。日本と言えばマンガやアニメのイメージで、ジャンニさんもラーメンという食べ物自体知らなかった。
ジャンニさんが「一八亭」に立ち始めた頃、地元の友達にその話をしてもまったく伝わらなかったが、今ではイタリアにも当たり前にラーメンがある。時代が変わったのだ。
「私は日本に来てこの店で初めてラーメンを食べました。今でも忘れませんが、初めて食べたのは辛味噌ラーメン。それ以来、味噌ラーメンが大好きになりました。
毎日が楽しく、大変と思う事もありません。美味しいものを出せばお客さんはまた来てくれます。妻とは『2人で続けられるまで続けよう』と話しています」(ジャンニさん)
知枝さんと出会ったことで、ジャンニさんの人生は変わり、そして一軒の老舗ラーメン店が歴史を絶やさずに、地域で愛され続けることとなった。
外国人がラーメン屋の厨房に立つのが、当たり前の時代になりつつある現在。ジャンニさんの半生は、現在のラーメン業界の一端を象徴する物語でもあるのだ。
井手隊長 :ラーメンライター/ミュージシャン
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( 193652 ) 2024/07/22 17:12:51 1 00 ジャンニさんはTVでのインタビューでもタフで明るくジョークを飛ばす人柄が伝わり、奥様も楽しく元気そうな方として描かれています。
(まとめ) | ( 193654 ) 2024/07/22 17:12:51 0 00 ・こちらのお店、TVで見ました。
ジャンニさんは、記事のような経緯と今を楽しく語られてましたが、タフで明るくジョーク飛ばすような人柄と見受ける方でも、最初は辛かったのですね…
奥様も楽しく元気そうな方なので、異国異業種から来たお婿さんを励ましながら、色々チャレンジしていかれたのも良かったのかと思います。
休憩を挟んでいても、ワンオペで仕事されていましたが、ジャンニさんは、イタリアのレストランではもっと広いホールを普通に一人で廻すような話をされていたので、店舗規模にも依るけど凄いなあと思いました。
パスタもラーメンも好きなので、食べにいきたいです。
・『ジャンニさんはイタリアンの仕事から帰ってはカウンターで「一八亭」のラーメンを食べ、その作り方を目で見て覚えていた。』
やっぱり国籍問わず目で見て盗むってのは大事なんだな。素晴らしい。
そういえば一八亭の100m隣に、某ユーチューバーが紹介したことで大行列になっている店があるね。 昔はそんなに並んで無かったのにな。
・ジャンニさんが継承される前の先代のときだと思うけど、毎月18日は¥180でラーメンが食べられたような。中学生の頃3人位で良く行ったけども嫌な顔もせずに美味しいラーメンを食べさせて頂いた思い出があります。
・ヤフー記事になってるなんてびっくりしました。20年来のファンです。家族はみんなイタリア系まぜそばやラーメンのファンですが、私はずっっとチャーシュー麺です。 イタリアンなラーメンばかりもてはやされていますが、元々の醤油ラーメンが私は大好きです。
・私、以前は西東京市に住んでいて、この店に何度か食べに行っていました。店内のディスプレイも凝っているし、美味しかったです。今は遠くに住んでいますが、久しぶりに行きますね。奥様と仲良さそうな旦那様が可愛い(^-^)(^-^)
・凄くいい記事 日本人が海外で商売やる時を想像した イタリアを前面に出して、麺にセモリナ粉を使うなり、トマトを使ってラーメンを作るなり、様々な可能性を広げる状況になってるのでは?
・つい7-8ねん前にこちらのお店を知りました。歴史を継承しつつ新たな挑戦をされているんですね。 店内にユーベ時代のデルピエロのユニフォームが飾ってあるので、てっきりデルピエロのファンだから一八亭にしたのだと勝手に思ってました。
・東伏見稲荷神社の近く年末年始は何万人も参拝に来ますねラーメンショプやさん珍とか激戦区だった84年から続けてるのは凄い老舗ですね
・まぁ国籍は関係無いよ。中華のラーメンを日本人が作れてる訳だし。 焼肉屋だって韓国料理を日本人がやれてる訳だし。ただ日本人は良くも悪くも複雑にして 独特の物にするのが得意なんだよね。
・西武柳沢は、いなかとは言えないですよ。 それに新青梅街道沿いは飲食店の激戦区。 これからも頑張ってください。
・外国人がラーメンなんか作れるわけがない
そんな高尚な食い物ではないな。 和食とか繊細な食い物なら日本人の味覚を磨いて来なかったら難しい面があると思うけど家系とか二郎系つくるのに繊細な味覚が必要とは思わない
・苦労を乗り越えて次第に皆んなに認められ、今はむしろ外国人であることが強みになってる。 客商売って面白いもんだよね。
・行きます!
しかし午前11時〜朝4時までの営業ってすごい。 仕込みの時間もあるだろうに。(営業中に仕込みもしてるのかな?)
・日本人がイタリアンの修行して店出すんだから、イタリア人がラーメン店やってもいいじゃないか。
・あそこに国道4号は走っていません 間違えた情報を出す前にしっかりと記事の確認を
・西武柳沢か そう言えば昔 ピリカというラーメン屋があって 安くて美味しいかったな
・西武柳沢って昔の保谷か。懐かしいな。 昔は辺鄙なところだったが今は開けたのかな。
・ラーメンだけじゃなく、 おつまみ&ワインも美味しいです 私のオススメは混ぜそば豚レモン!
・西武柳沢駅近くに 国道4号線は無いですね!
・サルシッチャ餃子とかガチで旨い! ローマのまぜそばも旨かったなー
・国道4号線 ではなく 都道4号線 では?
・応援します!! いつか伺います。 大阪より
・凄いね!
・飲食店は博打と一緒、開けてみないとわからない
・ちなみに「西武柳沢」は「せいぶやぎさわ」と読みます。
・もともと外国の食べ物やのに?
・他国人だってラーメンぐらい作れるでしょう
・外国人にラーメンなんてというほどラーメンを持ち上げる人間は少数じゃないかな?
単に日本語が通じ無そうで尻ごみしたように思える
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