( 194266 )  2024/07/24 16:19:47  
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東京都知事選で2位に躍進した石丸氏のスタイルは、従来型のコミュニケーションに対する否定的な姿勢を示しているとされていますが、このスタイルは現代ネット社会における対話の消滅を象徴しているとも指摘されています。

石丸氏の政治スタイルや発言は議論を巻き起こし、伝統的なコミュニケーションの不全がビジネスに与える影響についても検討されています。

石丸氏の登場を通じて日本社会の仕組みやルールが変化しているという印象が広まっており、従来型のコミュニケーションの機能不全が経済活動にも多大な影響を及ぼしていると考えられています。

(要約)

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従来型コミュニケーションを否定するかのような石丸氏のスタイルは、実は石丸氏特有のものではなく、現代ネット社会における対話の消滅を象徴しているとも言える(写真:日刊現代/アフロ) 

 

 東京都知事選で2位に躍進した石丸伸二氏の言動が良くも悪くも注目を集めている。従来型コミュニケーションを否定するかのようなスタイルは、実は石丸氏に特有というわけではなく、現代ネット社会における対話の消滅を象徴しているとも言える。従来型コミュニケーションの機能不全が経済やビジネスに与える影響について考察した。 

 

【詳細な図や写真】石丸氏は従来型のコミュニケーションを望んでおらず、相手とのやり取りは基本的に一方向というスタイルになっている(写真:東京スポーツ/アフロ) 

 

 2024年7月7日に投開票が行われた東京都知事選において、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏が165万以上の票を獲得して2位となった。一気に全国の注目を集めた石丸氏だったが、選挙後に出演したテレビ番組における発言が次々と波紋を呼び、全国的に石丸論が盛り上がっている状況だ。 

 

 安芸高田市時代の石丸氏は、基本的に議会との対立構造をSNSでアピールして支持層を広げていくというスタイルであり、いわゆる対話型の政治家ではなかった。だが、こうした石丸氏の政治スタイルや本人のキャラクターなどがよく伝わっていなかったせいか、投開票当日に放送された女性タレントとのやり取りは、多くの人に衝撃を与えた。 

 

 女性タレントからの質問に対し「前提が正しくない」と一蹴して逆質問を行うなど、会話がまったく噛み合わなかった。後日、別の番組に出演した石丸氏は、自身の対応に一部から批判が出ていることについて、「女、子どもに容赦をするっていうのは優しさじゃないと思っているから」「もうちょっと優しく言ってあげれば良かったのかな、ポンポンってやってあげる感じが良かった、でもそれ失礼ですよね」と、むしろ挑発的な反論を行った。 

 

 さらに主張はエスカレートし、別の番組では少子化対策について「今の社会規範では無理」と前置きしつつも、「たとえば、一夫多妻制を導入するとか、遺伝子的に子どもを生み出すとかです」と放言。ネットを中心に大荒れの状況となっている。一方で、石丸氏の支持者は溜飲を下げているという状況であり、両者の溝はあまりにも深い。 

 

 

 発言そのものの是非はともかく、石丸氏という新しい政治家の登場によって、日本社会における基本的な仕組みやルール、規範が根本的に変わりつつあるとの印象を持った人は少なくないだろう。 

 

 石丸氏は従来型のコミュニケーションを望んでおらず、相手とのやり取りは基本的に一方向というスタイルになっている。だが、よくよく考えてみると、コミュニケーションの不成立や一方向しかないやり取りというのは、ネット空間ではもはや日常的な光景となっており、こうしたある種の機能不全は、ビジネスにも多大な影響を及ぼしている。すでに会社組織内外において従来型コミュニケーションが成立せず、業務運営に支障をきたしているケースはかなりの数にのぼっているはずだ。 

 

 

 従来型社会がうまく機能しなくなっているのが事実だとすると、石丸氏はこうした社会の構造変化を政治的に活用し、既得権益層に対して反感を持つ層をうまく取り込んだ政治家、ということになるだろう。そうなってくると、今後、第二、第三の石丸氏が出てくることは容易に想像ができるし、ビジネスの世界でも、これまでの時代であれば抑制されていた発言や言い回しについて、躊躇なく行う人が増えてくる可能性が否定できない。 

 

 では、従来型社会運営の機能不全がさらに進むと仮定した場合、社会や経済システムにはどのような影響が及ぶだろうか。石丸氏のような政治家が出てきたところで、社会や経済の仕組みが一気に変わるとは思えないが、一連の変化が経済活動にもたらす影響は決して無視できないと筆者は考えている。 

 

 その理由は、基本的に資本主義社会というのは「相互信頼」という脆い概念に依拠した制度だからである。 

 

 経済活動において、相手を信用できないことによって生じるコストは莫大なものになる。相手が自分をだますのではないか、不誠実な態度を取るのではないか、と疑心暗鬼になっている状態ではスムーズにビジネスはできない。信用できない相手と取引するリスクを軽減するには、多額の調査費用をかけて相手を調べたり、すべての案件で契約書を作成する、説明と確認に多くの時間を割く、といった作業が必要となり、時間とコストを浪費してしまう。 

 

 相互信頼が確立できない状態の場合、よく知っている相手だけに取引を絞り、狭い範囲で顔を合わせて経済活動するしか方法がなくなってしまう。 

 

 系列企業としか取引しないというのは、実はこうしたコストを回避するための方策なのだが、このやり方は実は効率が悪い。取引相手を絞り過ぎると、今度は市場参加者が限定されてしまうので十分な市場原理が働かず、価格が高止まりするなど、かえって多大なコストを支払う羽目になってしまうのだ。 

 

 社会の近代化やグローバル化が進むにつれて、こうした無駄なコストの存在が明示的に示されるようになり、結果として商習慣の統一化などが進められてきた。デジタル化というのは、まさに取引と業務の標準化そのものであり、最終的には、社会全体のコストを引き下げて所得を増やす効果をもたらす。 

 

 

 だが、今、発生している現象は、本来、ルールの統一化や合理化に大きな役割を果たすはずだったネットの台頭によって、逆に相互信頼が崩れ、コミュニケーションの阻害が起こりつつあるという皮肉な話である。 

 

 これまでの時代、企業はネットで炎上問題などが発生しないよう、相応の手間やコストをかけて、言い回しや表現などをチェックしてきた。それはネットという空間が、従来のマスメディアと同様、広く一般大衆に訴求できる潜在力を持っていると認識(期待)していたからに他ならない。 

 

 マスを対象としたメディアの対応は面倒ではあるものの、その効果は極めて大きく、企業にとって相応のコストをかける価値があった。だがそのネットを中心に相互断絶が顕著となり、それが従来型メディアにも波及するということになると、企業にとってのこれらの空間の魅力は半減してしまう。 

 

 だが、メディア空間に魅力がないからといって、個別のマーケティング・チャネルをいちいち開拓していては、無駄なコストの積み上げとなり、投資対効果が低下する。 

 

 これまでの時代、不特定多数の人の前に出る場合、一定のルールを守ることが暗黙の了解だったが、それが崩れつつある今、経済活動はより個別化していくことになるだろう。これはとりもなおさず、取引コストの増大を意味しており、一商品あたりの単価を高く設定できないと十分な利益は確保できない。これは経済成長にとって潜在的なマイナス要素となるだろう。 

 

執筆:経済評論家 加谷 珪一 

 

 

 
 

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