( 195114 ) 2024/07/27 01:31:03 2 00 「多発する炎上」が社会を滅亡させる宿命的な筋道、人類の脳の発達が生み出した「正義中毒」の末路東洋経済オンライン 7/26(金) 18:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/0bd98fead2218489ae61dbdc455270931208bf0b |
( 195117 ) 2024/07/27 01:31:03 0 00 現代社会は、SNSの普及によって「正義中毒」にかかりやすくなっているという(写真:mits/PIXTA)
社会生活を送る中で、他人に対して怒りや不満を感じてしまうことは、誰にでもあるもの。しかし、「間違ったことが許せない」「私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない」というような思考パターンが止められなくなってしまうのは、「許せない」が暴走してしまっている「正義中毒」の状態です。 なぜ私たちは、他人に強い怒りや憎しみを感じてしまうのか。その理由を、脳科学者・中野信子氏の著書『新版 人は、なぜ他人を許せないのか?』より、人類の脳と正義中毒の関係を紐解きながら解説します。
■自分と異なるものをバカにし合う不毛な社会
SNSで飛び交っている、正義中毒者がなぜか頻繁に使用する単語は「バカ」です。
自分が絶対的に正しいという過剰な思い込みから、異なる考えを持つ他人をバカと決めつけ、攻撃(バッシング)を加えます。
災害時などに見られる過剰な不謹慎叩きや、芸能人の不倫叩きも、こうした見方から再考すれば、「あいつはバカだ」「あんなバカなことをするやつは許せない」「叩かれて当然だ」という、正義中毒者の暴走と見ることができるのです。ネットの登場とSNSの普及によって、私たちはより正義中毒にかかりやすくなりました。
また、中毒症状が全世界に公開される場が出現してしまったことで、誰がバカなのか、誰が自分よりも劣っているのかを常に気にし続けなければならない状況が派生的に誕生しました。
自分がバカだと思われることを恐れ、自分がターゲットにならないために、パッシブ(受動的)に他人を叩く行為に加担する(あるいはスルーして助けない)という現象が見られるようになったのです。
これは、自分がいじめのターゲットにならないように、いじめに加担する構造とよく似ています。
1984年、ニュージーランド・オタゴ大学のジェームズ・フリンが提唱したところでは、人類は20世紀以降、IQ(知能指数)を年々向上させていると言われます。1932年と1978年のIQを比較すると13.8ポイント高くなっており、1年に0.3ポイントずつ上昇していくというのです。これは「フリン効果」と呼ばれています(The mean IQ of Americans:Massive gains 1932 to 1978. (Flynn, J.R.(1984).)Psychological Bulletin,95(1), 29-51.)。
栄養状態の改善や、情報、知識を得るためのツールの充実によって人は着実に知能が上がっているはずなのに、互いをけなし合い、不毛に消耗し合う正義中毒がどんどん重篤になっているというのは、なんとも皮肉な話です。
元々は人間も動物と同じ、ただ生まれて、食べて育ち、起きて寝て、子を産み育てて死んでいくだけの存在だったのに、なまじ脳を発達させてしまったために苦しむようになってしまった。互いにバカと罵り合いながら、解決しようのない、そもそも解決する気もない争いを続けているのが人間という種の特徴なのだとしたら、最も悲しい生き物だと言えるかもしれません。
■炎上ビジネスに踊らされる「正義中毒者」たち
一方、他人の粗探しに奔走する正義中毒の人たちを一歩引いたところから冷ややかに俯瞰している人もいます。そのなかには、大勢の正義中毒者をコントロールすることで、うまくビジネスにしてしまう例もあります。いわゆる「炎上ビジネス」と呼ばれるものです。
正義中毒者は常に、自らを絶対的な正義と確信できる不正義を、飢えた動物のように求めています。ですから、これをエンターテインメントビジネスとして考えれば、わざとわかりやすい失態を演じて、彼らに餌を供給し、その代価として報酬を集める仕組みが成立するわけです。
わかりやすい不正義の発生で世論が沸騰しているタイミングで、意図的に不正義とされている側をかばったり、正義のポジションで非難している人を厳しく批判する、というのも有効なタクティクス(戦術)です。
正義中毒者たちは燃料を与えられてますます勢いよく燃え上がり、同時にそれが新たな話題となります。ここで炎上ビジネスを仕掛けた側に注目が集まるわけです。最近の芸能界、芸能事務所を巡るさまざまな議論でも見られたように、SNSの出現でいわゆる外野が参画しやすい仕組みが作られたわけです。
一方で、そうした行為を炎上ビジネスと批判することそのものが間違っているのではないか、言論封じではないか、などといった新たなテーマも浮上してきます。
大事件になればなるほど、炎上のチャンスも増えていくことになるわけです。ここでは、話題としていかに素早く、気持ちよく、力強く沸騰するかがポイントなので、フラットな情報、ニュートラルな見方を保つための努力はあまり必要ありません。
正義中毒者が喜んで消費してくれるような不正義なネタを、スピード感を伴って供給できれば、話題の拡散による知名度や認知度の向上、ひいてはビジネスのスケールアップにまでつながるという仕掛けです。
■多様性を狭めた集団は滅亡に向かう
正義中毒にかかった人たちは、一見するとそれぞれ独自の理論、独自の正義を持っているように見えます。しかし実際は、自分がターゲットにされることを恐れる気持ちから、多数派に流れている人が多いと言えるでしょう。
例えばAを「不謹慎だ!」と叩く論調が主流になってしまうと、異なる意見を持っていたとしても、言い出しにくくなります。これは、同調圧力の問題とも絡んでくる事象です。
社会全体でこういう方向に踏み出すことは、長期的に見ると非常に危険です。多様性を狭めた集団は、短期的には生産性を向上させ、出生率も上昇して成功を収めるのですが、進化の歴史の上では滅亡に向かいます。言い換えれば、種としての健全な繁栄のためには、多少コストと感じたとしても、ある程度の多様性を担保しておかなければならないということです。
これは「そうあるべき」という社会運動家的な文脈で語りたいわけではありません。あくまで可能性の問題としてですが、現在の環境や条件が急速に変化して、それまで「正しい」とされていたことの中央値が大きくずれてしまった場合、今まで適応していた人が生きづらくなる代わりに、それまで外れ値とされてきた「変わり者」や「圏外にいる人」が、むしろ適応できるようになることが起こり得るからです。
だからこそ、種を継続させていくためには、ある程度の多様性を確保しておいた方が、健全で安心だと言えるのです。
これは、企業に例えると非常にわかりやすい話です。強引かつ話術の巧みな営業担当者が好成績を上げている企業は、そうした人材ばかりを集めるようになるでしょう。しかし、ある日、急に規制が強化され、従来の営業方法が禁止されてしまったら、ほとんどの営業担当者が使い物にならなくなります。
そのとき、たとえ少数でも温厚かつロジカルで、顧客本位な営業担当者をたまたま雇っていれば、なんとか営業活動を継続できますが、全員同じタイプの強引な営業担当者しかいないという場合では、非常に厳しい状況を迎えるでしょう。
■正義中毒は人間の「宿命」
自分と異なるものをなかなか理解できず、互いを「許せない」と感じてしまう正義中毒は、実は人間である以上、どうしようもないことです。
ただ、たとえ他人の言動に強い拒否感を抱いてしまったとしても、人間の脳の仕組みを知っていれば、無意味な争いに参加して消耗することもなく、仕返しに誰かを傷つけることもなく、楽な気持ちで見守れるようになるのではないかと思います。
比較例としてウサギを考えてみましょう。ウサギの大脳は、正義中毒を起こすには小さ過ぎ、人間のように正邪を基準とした行動は取りません。なぜ生まれたのか、などという問題で悩むこともないし、死ぬということもおそらく意識はしていないでしょう。ひたすら草を食み、子どもを作って、育てて一生を終える。このループを、文字通り無心に行っているわけです。
人間は大脳を発達させてしまったばかりに、ウサギと同じ行動をする脳の周りに、大脳新皮質と呼ばれる、思考を司る部分が増設されていきました。大脳新皮質が人間の繁栄と生存をもたらしたことは間違いありません。人間は、生き延びて種として繁栄していくことと引き換えに、生きている意味をわざわざ考えなければいけない、というやっかいな宿命も背負ってしまったわけです。
知性があるからこそ愚かさがあり、愚かさのない知性は存在し得ないという裏表の関係があると言ってもよいでしょう。インターネットとSNSの登場は、人間の知性と愚かさとの新しい捉え方を呈示したのではないでしょうか。
中野 信子 :脳科学者
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( 195116 ) 2024/07/27 01:31:03 1 00 (まとめ)
これらのコメントからは、日本の社会における不健康な傾向や論調が反映されています。 | ( 195118 ) 2024/07/27 01:31:03 0 00 ・諍いや争いを見たり、安全地帯から参加するのが娯楽になっている社会が健康的な社会でない事は誰もが気付いているのに便利さを理由に誰も止めようとはしない。不健康な社会を許容し続ければ破綻は免れませんよね。分断による差別や内戦のような形で社会は壊れていくのでしょう。生きづらさの原因が分かっていながら止められないのは不幸な事です。この先、今よりもっと生きづらい社会になることは、おそらく皆気付いています。ですから子供が増えることなど絶対にありません。
・世の中、正解なんか無い。 最適解があるだけ。 条件が有って、最適解がある。 条件が多くなると最適解を求めるのは難しくなる。 しかし、教育ではある条件での最適解を正解と教える。 だから、下手に頭が良いと、正解があると勘違いする。 ちょっと考えれば、正解なんか無いのは直ぐ分かるのに。 ちょっと条件を増やすと、矛盾だらけになるから。 例えば、自由と平等。矛盾だらけ。 バランスが求められる。 しかし、難しい。 教育が対応できていない。教えるのも、評価するのも難しいから。 人間、進歩しても 簡単な部分最適解を正解と教えるのが精いっぱい。 結果、自分が知っていること、理解できることが正解で、知らないこと、理解できないことはおかしいと考える人を作り出す。 しかし、部分最適解は、全体最適からは間違いとなることが多いのに。
・この問題を探ると、家父長制の問題に行きつきます。 家父長制は、男性が女性を支配し子を産ませ道具や跡継ぎとして利用することを特徴とする仕組みです。 子供にとって親は絶対的な存在であり、幼い時に抵抗することはできないから、親子関係が社会で生きる基本ルールとして刷り込まれます。よく、親は子に、家の外には悪い人が居るから親の指示に従いなさいと言い聞かせますよね。よくある「怖いおじさんがいるよ」の論理です。 これが雛形となり、集団の内側のルールに従う者はいい者、善人、集団のルールに従わず、違う事を言う者は悪い者、悪人というマインドセットが頭の中に作られてしまう。この枠組みが雛形となり、親の支配(躾)が、学校の先生や会社の上司の命令への従順さにスライドしているのです。それで親=家族=組織の目線で自分の世界を見る。日本人は、この傾向が特にひどくて、村社会を作り易い。たぶん親から自立できてないのかもです。
・正解なんてのは、何が正しくあるべきか、でしかないと思う。(というか、そうであって欲しい) 何が正しいのかを簡単にわかった気になって、個人的な価値観を押し付けるべきじゃない。 そもそも「わかる」ってそんなに簡単なことじゃない。 個人的な価値観を押し付けるのはむしろまだマシで、一番タチが悪いのは「大多数の他の誰かが正しいと決めたこと」を正しいと盲信している人達。そこに正義はないが、空虚で無自覚な狂信がこびりついて剥がれない。
・人間の大脳が発達したのは、他の動物のような能力がなかったからなんだよな おまけに育つスピードも遅いから、親は子供が成長するまで保護をしないといけない。それで脳を発達させる方向に進んだ。結果としてさまざまな文明や文化を生み、衣食住に事欠くこともなくなったけど、だからといって生存本能が収まるわけがないから、”脳に悪影響を与える不快な存在”を排除するために、いじめやハラスメンを起こすようになった。”正義中毒”や”炎上”もそのうちだろうな。 ここらでもういっぺん、人間も所詮、他の有機物を食らうケダモノでしかないという事実に立ち返ることが重要なのかも
・建設的な対話をする習慣がないからこんなところで困るのではなかろうか…
人同士は同じ世界観、価値観、個性を持っていても、それぞれの置かれた状況やタイミング等によって平気ですれ違うものなのだから、すれ違う事、ぶつかる事は自然な事であるという認識をある程度強く持ち、故に常に建設的な姿勢と忍耐強く対話を続ける能力そのものやその為の場を作る能力を養っていない事が強いて言えばバカの証明と言えるケースが圧倒的に多いだろう。
自分たちが日頃忖度やご都合主義、快楽主義に偏りすぎているからこんな事態が生じ、変える事が出来ないと悟るのか吉かと。
例えば、私のこの物言いを受け、これまた自分勝手な受け取り方(マジョリティも”自分”に含む)を元に裁く人が居るだろうが、そこがそもそもの誤り。 何故こうした物言いなのか、物言いとは別問題として主張は何を意味しているのか、こうして”次に繋げる能力”が無さすぎな人が字数
・「カオスが人類を滅ぼす」という意味ならその通りだと思います。なぜならカオスはコントロールできないから。でも炎上現象なんて個々を見ればカオスでもマクロで見れば秩序ですよ。マクロの域で生じるカオスが最も深刻。
まぁ、闇ですね。自らをコントロールしてくれてればいいんですが。
・正義中毒の反対語はなにかわからないが、過去に煙草を未成年で吸ってた人は煙草ぐらいと言うし、不倫してた人は不倫を擁護したりする。
全て自分の過去を含めて正当化したいから、そういう話が出たら正義中毒だと騒ぎ、何故か特に非のない人たちを責める。これもおかしいと思うけど。
・うひひ、見事に引っ掛かってます、ヤフコメの商売に。 ページビューや広告表示に日々貢献w
まあフラットなモノの見方は大事なんですが、人間には自己肯定感を満たしたいという欲がある、なんだったら周囲に流されエコーチェンバーに沈みたいという欲求があるのも仕方がない、のかも。
ただデッドラインを超えて誰かを叩いて脳汁たらして過ごす、なんていうのは生産性が無いっていうか今の報われない社会でなけなしの自己肯定感を得るための作業としても惨め過ぎるし、エコーチェンバーに閉じ籠って歪んだ価値観を育んでも得るところは少ない、ときて…まあボーダーラインをどこに据えるかの匙加減は個々の自尊心をより高い水準に保つためにも必要か。
たまには距離を置くのも心の平穏のためには必要なんでしょうね。
・『暴走してしまっている「正義中毒」の“状態”』
ヒト個人については 精神医学的脳機能、心理学、遺伝学等々と 環境の交互作用からも説明される現在だが
その“状態”にある者たちによる『正義』が倒錯したものである共有、了解がされない社会の段階の“状態”。
英語でジャスティスだがそれは日本語では『正義』でなく「公正さ」、フェアネスみたいな意味であるように人間の認識は言語の構造にも支配下に置かれる。
『人間である以上、どうしようもない』特性とはいえ
SNS発達以前から、正義を大声で語る傾向が強い左翼が低調化した後、リベラルを擬装し今に至るが、国政でも都知事選でも自滅を繰り返す“状態”にある。学問はリベラルなものだが、その“状態”のソトに立ち続けようとするリベラルが主流にならない長年の“状態”は『どうしようもない』『宿命的道筋』とは言っていられないことには著者も賛同するのではないだろうか。
・誰も正義・不正義(不正行為)に関心がなく、ウサギみたいに食べて寝て次世代を残すことにしか興味が無くなったら、それこそ人類オシマイ。 「末路」です。 例え時に間違ったものを正義と断定するミスをしてしまうとしても、何が正しいのか考え続けることは大事だし、それを共有することも大事ですよ。
・アメリカには懲罰的賠償、EUはEU指令による認証主義で、不適格者を市場から排除している。日本はネット炎上などというゲリラで対処しているが、逃げ道もあるため対処法としては弱い。
・正義とかフィクションの世界とリアルを混同しすぎ。今まで生きてきて、リアルで正義の味方に会ったことあります? コイツは全てにおいて正しい!とか感じたことありますか? 僕は無いですよ。なのに何でネットの世界では絶対正義がウヨウヨ居るのさ。んな訳ないじゃん。 現実は皆、自分勝手だったり、何処かズルいとこがあったり、フザけたとこがあったり、でも話せば判ったり、だから面白い。
・>知性があるからこそ愚かさがあり、愚かさのない知性は存在し得ないという裏表の関係があると言ってもよいでしょう
これは違うと思う。知性がないから独善的な正義感に陥るのではないかなあ。客観的に物事をみようとする能力の欠如だし。客観なんて存在しないからこそ、想像するための知性が大切。
・人類が発明したひとつの武器だよね。 生物である以上、淘汰に勝ち残ろうとする武器を開発するし。 他民族・他文明・他国・他宗教への攻撃あっての繁栄、 あるいは発展という歴史でもあった訳だし。
・自分の正義は他人には悪、逆もまた真なり 正義なんてその時々の力ある者の都合 だが正義を行っているという満足感は人間を残虐にさせるのも事実 「正義なんかじゃない、僕は真実が欲しい」 というセリフが有りましたなぁ
・「正義中毒」というより「独善」というべきですね。善には絶対善と呼べるものもありますが、大抵、相対的で、この場合、ある種のモラハラと呼べるものでしょう。
・醤油ぺろぺろ事件とか本当に許せないなと思いましたね。それも正義中毒になっちゃうんですかね?明らかに発信している側が悪いと思うんだけどな。むしろ不快に思わない人がいるんでしょうか?
・野党議員と週刊誌と情報番組が正義を振りかざして、噛みつくだけでOKの様な風潮を生み出しているからだと思いますよ。 それに引っ張られてクレーマーになる一般国民もいかがなものかと思いますけどね。
・「不倫を許さない」と息巻いてる連中はどういう層で構成されているのかは興味ある 独身者ばかりなら大笑いだけどな
・結論としては人類は既に滅亡へと向かってるって事ですかね。少子化なども1つの兆候かもしれない・・・
・正義とかより、大切な人を守る方が大事だろ
・SNSは万人に与えられたツール。まぁ、特に出来の悪い人も発言しますわな。
・だから、いつまで経っても争いが絶えない、それが人類、生きている物の定めでしょう。
・G13の名言 ”その正義とやらはお前たちだけの正義じゃないのか?” が好き
・木久扇さんも「バカって言う方がバカ」と言っている。
・大丈夫ですか? 戦争は「正義」と「正義」のぶつかり合いと 大昔から常識です 根っこは「宗教」或いは「政治」です 何を今さら感
・ネット民の言葉の暴力はちょっと異常だからな。完全な犯罪者と増税メガネに非難の声をぶつける程度ならまぁ妥当かもしれないけど、ネット民は何故か被害者をリンチする。医療ミスで妻が死にました←医者選びを間違えたお前に問題がある。特定して晒しあげてやる! 老人のプリウス暴走で子供が轢かれて死にました←なんで身を挺して子供を守らなかった?明らかにお前も悪いから特定して晒しあげてやる! これなんでこうなるんだろうな?「他人と違う意見の俺かっけぇ…」みたいな心理も働くんだろうか。
・「炎上」の実体はどこにもない。匿名の「便所の落書き」があるだけだ。 読まなければないのと同じである。 わざわざ「エゴサーチ」して傷つくのは本人の自由だが。 大仰に「社会の滅亡」とか「正義」とか言うのは、「便所の落書き」を柄杓でばらまく行為に過ぎない。
・だって、わざわざSNSに上げる必要無い事を上げる方が問題有るでしょ? 正義マン云々じゃ無く何でわざわざ公衆に向けて私生活を公開するのか? 全ての問題は必要もない知りたくもない情報を永遠と上げる行為。
言葉悪いが思考停止してる人間程にSNSをしている 現実視ないでスマホ内が自分の世界 だってサ、スマホの向こうには知らない人間がごまんと居るって事は頭がちゃんと動いてれば認識出来るはずだよ 更に口悪く言えば馬鹿程SNSが好きになる 更に言えば、現実での自分を客観視できない人間がSNS好きになる 更に言えば自分が無い人程SNSに依存する
・>「正義中毒者」がなぜか頻繁に使用する単語は「バカ」です。<
同感です。これに便乗する知識人が『前頭葉バカ社会』の 精神科医・和田秀樹氏と『バカの壁』の養老孟司氏。知識人の劣化がここまで来ている以上、SNSの炎上を批判しても効果は薄い。 中野さんから、この二人にしっかり説教をお願いします。中野さんの主張こそ、知識人の果たすべき社会的使命、全面的に支持します。それがこのジイサン連中(和田・養老両氏)は、いい年こいてまるでわかっていない。
・正義中毒になる人は、 平均より上だと思い込んでいる頭脳を持ち 平均より社会で活躍出来ず 圧倒的に異性にモテない 熱中する趣味がなく 預貯金や資産があまりない そして、ヤフコメで時々警告を受けがち。
・アル中にアル中と言ってはいけないと 昔よく言われました。 今の日本は暇なネット住人が無駄だ 発破作業に忙しく、足下が揺らいでいますが 本人はどこ吹く風。 サイババ警察に踏み込まれるまで 能天気だからバカができるのです。
・こういう記事にも正義中毒が反応して書き込む。 彼らは中毒と思ってないからね。 正しい事を主張するのは当たり前。 彼らには正、悪の関係でしか社会を認識できない。 正と悪の間にはグレーなエリアが無数にあると言う事が理解できない。 お子ちゃま能もしくはいわゆる中二病というやつだ。
・>正義中毒 2000コメ以上付くような記事の多くは、俎上に載せられた悪いヤツにヤフコメ民が石を投げつけて楽しむためのものです。
2000年前にキリストの言った「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」は現代にも通じます。
・最近に限ったことじゃないでしょ 娯楽の少ない昔は公開処刑が民衆の楽しみだったのよ 処刑からネットリンチに変わっただけでしょ 人類は今も昔もクソ
・自分の正義を盲目的に信じて他を叩きにいくスタイルな ハイエナかピラニアみたいな連中な 反吐が出る
・正義中毒? ああ、喫煙をこれでもかと攻撃する人たちのことね。
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