( 195282 ) 2024/07/27 16:05:53 0 00 宮田選手のパリ五輪辞退を受け、会見を開く日本体操協会(出典:東京スポーツ/アフロ)
体操女子のパリ五輪日本代表で主将に選ばれていたエースの宮田笙子選手が、代表行動規範に違反した疑いでチームを離脱することが2024年7月18日にわかった。日本体操協会の説明によれば、喫煙だけでなく、飲酒行為まで発覚したという。その結果、宮田選手はパリ五輪出場を辞退することになった。彼女はメダルを獲得できる実力の持ち主だったようだ。スポーツにおいて規律を守るための「罰則」は付き物だが、今回のチーム離脱という処罰に対しては、賛否が分かれているようだ。
【詳細な図や写真】スポーツにおける子供への「罰」は正しいのだろうか(Photo/Shutterstock.com)
体操女子日本代表について、選手としてロンドン五輪に出場した田中理恵さんは以前、以下のように語っていた。
「日本の美しい体操は必ず高い評価を得られるでしょう。宮田を軸にミスなく演技すれば、団体のメダルは夢ではないと思います」
(デイリー新潮 2024年5月29日)
どういう経緯をたどったのかはわからない部分があるが、結果として有望なメダル候補を辞退させることになった日本体操協会のとった行動に対して、賛否両論が巻き起こっている。
団体規律の観点から、五輪に出場できない処分が妥当だとするのが、橋下徹氏だ。橋下氏はXに以下のように投稿している。
「たとえば合宿所に他人を連れ込まない、異性の部屋に行かないなど、法律違反にもならないことがいくつもあります。もちろんやり過ぎはあかんけど、4月にはハンドボールの代表選手が合宿所に他人を連れ込んで活動停止処分になった。俺はこの処分は妥当という考え。団体規律=団体活動の場における規律をどこまで求めるかというところでの考えの違いやね」
「今回の件は宮田さんが成人になったとしても代表は辞退となるでしょう。未成年の喫煙・飲酒が問題なのではなく、団体活動の場であるトレーニングセンター内での飲酒が問題なのです。ここは未成年・成年関係のない団体規律違反です」(7月21日) 罰とは、権威ある人物・組織が不適切な行動に対して刺激(注意する、怒る、腕立て伏せをさせる、叩く)を与えたり、スポーツへの参加を中止させたりすることで、その行動が繰り返される可能性を減らそうとするものだ。
橋下氏は規律を守るために、懲罰を与えることに躊躇がないようだが、著名なスポーツ論文ではその指摘が誤っていることが示唆されている。
「若者を罰することの負の結果は十分に立証されており、大人と子どもの関係の障害、道徳的価値を内面化する能力の低下、自尊心の低下、反社会的行動、紛争解決のための戦略としての身体的攻撃の正常化などが含まれる」
「研究者は、望ましくない行動(たとえば、不良な態度、遅刻、不十分なパフォーマンス)の結果として、過度の運動(たとえば、力尽きるまで腕立て伏せや短距離走)、怒鳴る、ベンチに置く(すなわち、出場機会の除去)など、スポーツで使用される一般的な罰の形態を調査している。全体として、これらの懲罰方法は、疲労、怪我、自己に対する否定的な認識、スポーツ関係の悪化、学習障害、プレーを続ける意欲の欠如など、青少年アスリートにとってマイナスの結果と関連している」
(2023年『行動マネジメントに関するスポーツ関係者の理解の調査』トロント大学)
この論文は全体を通して、指導者たちは何も考えていないけど、成長を促す指導とただの懲罰をごっちゃにすると、罰を与えられた側は、やる気をなくして悪い方向にしかいかないよ、といいたいのだ。そして、そんな何も考えてない懲罰をすることではなく、次のようなアプローチを取れと結論づけている。
「(罰の使用によるマイナスの影響が記録されたことを受けて)代わりに、行動管理に対するより人間的なアプローチを提唱している。たとえば、競技者にルールおよび/または期待を定めて説明すること、容認できない行動とそれに伴う結果を伝えること、練習中に注意喚起を行うこと、肯定的な言葉によるコミュニケーションと報酬を与えること、競技者に選択肢を与えることを提案している」
つまり、宮田選手をとにかく規律を乱した罰だと出場機会を奪うのではなく、懇切丁寧にアプローチしていく方法論を取るべきだったのである。このままでは、宮田選手はタバコや飲酒の場所を間違えただけで、一生の傷を負うことになる。体操協会は宮田選手にきちんと寄り添ったのだろうか。
橋下氏のほかにも、規律を強調し、ルールに従わせることがさもスポーツにおける青少年育成にとって良いことなのだと考える識者、指導者もいるようだが、実際に、罰則を与えることがアスリートにとってどれほどのメリットになるのだろうか。
プロ野球、そしてプロアイスホッケーでも選手経験を持つアンソニー・バタリヤ氏がトロント大学で発表した論文(2015年『ホッケーにおける懲罰に対する青少年選手の解釈』)にはこんな記述がある。
「スポーツにおける罰については、この領域で罰が一般的に使用されていることを示唆する逸話的な報告があるにもかかわらず、実証的な研究が不足している。スポーツにおける罰について調査した数少ない研究者は、罰は頻繁に使用され、常態化している可能性があることを示している」
「野球の現場で使われる罰は、ベンチ(控え選手を意味する)に入れられたり、怒鳴られたりすることが多く、それほどではないが、フィジカル・コンディショニング(腕立て伏せなど)に従事するよう指示されることもあった。さらに、その他の罰としては、用具の掃除やグラウンド周辺の残飯処理などがあった。しかし、個人的な経験を通じて、ベンチに入れられることが最も嫌な罰の形だと気づいた。全体的に、罰則は私のパフォーマンスを向上させるのに有益な効果はほとんどなかった。それどころか、私は不安で心配になり、プレーや試合中のシナリオを常に考えすぎて、フィールドにいるときにミスが増えることがよくあった」
「ホッケーでは身体能力がものをいうスポーツであり、その結果、ベンチに入れられたり、怒鳴られたりするだけでなく、フィジカル・コンディショニングが罰として頻繁に使われる。興味深いことに、ホッケーでは、ベンチに入れられることは私にとって最も恐ろしい罰の形でもあり、最もネガティブな影響を与える傾向があった。とはいえ、あらゆる罰が私のホッケーのパフォーマンスに与える影響は、ほとんどポジティブなものではなかった。たとえば、将来的なしっぺ返しを避けるために、これらの方法は私が挑戦しようとする新しい技術やプレーの数を制限し、私の成長を高めるどころか、氷上で躊躇するようになった」
バタリヤ氏は、活躍の場を閉ざされ、ベンチで反省するよう仕向けられることが最もしんどい思いをしたと自身の選手生活を以下のように振り返っている。
「私は、チームメイトがスポーツに打ち込むのをただ見ているだけでなく、アスリートとしての自分の価値について考えることを余儀なくされた。羞恥心、罪悪感、無価値感、不安といったネガティブな感情である。その一方で、罰としての身体調整は必ずしも楽しいものではなかったが、チームが一緒に罰に取り組むことや持久力の向上など、有益な結果を合理的に考えたため、この戦術を気にしなかったのかもしれない」 この論文において、同氏は「青少年レベルでの『罰』の経験が、自己意識の低下、他者との関係の悪化、スポーツへの関わりから離れようとする思考を刺激する結果につながったと報告されていることは 、罰が否定的な経験になりうることを示している」と指摘する。
「懲罰的なベンチ待機」にも似た「五輪の出場ができない事態」は、バタリヤ氏が経験したような最も苦しい思いをさせることになりかねないということである。
今回の顛末を見るにつけ、あまりに短絡的な結論を出すことが誰の得にもならないというのはいうまでもないだろう。しかし、罰則のあり方は組織論的にも重要であるということも忘れてはならない。
執筆:ITOMOS研究所所長 小倉 健一
|
![]() |