( 195672 )  2024/07/28 16:51:24  
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20年前と比べて、浪人する人が減少している中、浪人生活を送った経験者にインタビューした記事があります。

物語の主人公である後藤貴広さんは、1浪で東京大学に進学しましたが中退し、5浪後に京都大学に入学した異色の経歴の持ち主です。

後藤さんは東大を辞めた後、アメフトに没頭し、その後京都大学を受験することを決意しました。

浪人して京都大学に合格した後藤さんは、浪人生活を振り返り、数学だけは自信を持てたことや、浪人を通じて人生をなめなくなったことを振り返っています。

(要約)

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(左)京都大学(写真: りえ / PIXTA)(右)東京大学(写真:梅谷秀司) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は1浪で東京大学理科1類に合格して進学したのちに、京都大学工学部を受けて、京大にも合格。現在は株式会社ウィルで教育事業に携わっている後藤貴広さんにお話を伺いました。 

 

【写真】アメフトに熱中していた頃と、現在の後藤さん 

 

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■東大に入ってから、京大受験を決意する 

 

 今回お話を伺った後藤貴広さんは、1浪で東大に入ったものの中退し、5浪の年齢で京大に入り直したという異色の経歴の持ち主です。 

 

 彼が東大を辞めた理由は、アメフトにありました。その後なぜ京大を受験したのでしょうか。後藤さんが京大受験に挑んだ理由、浪人生活の話について、深く聞いていきます。 

 

 後藤さんは1985年、大阪の平野区に生まれました。幼少期は外で遊ぶよりも、部屋の中でファミコンで遊ぶほうが好きな「インドア側の子ども」だったそうです。 

 

 両親ともに高卒の家庭で、幼少期に勉強に関してうるさく言われたことはなく、勉強を意識したこともありませんでしたが、「算数でわからないと思ったことはない」と振り返ります。 

 

 「小学校は家から歩いて5分の1学年120人くらいの環境だったのですが、勉強で人と競おうと考えたことは一度もありませんでした。小学校を卒業してからも、みんな同じ中学校にそのまま進んでいたので、中学受験は存在すら知らなかったですね」 

 

 数学だけは相変わらず好きで「ほとんど100点だった」後藤さん。ただ、国語や理科は、5段階評価中3くらいの成績でした。高い内申点が必要となる公立高校には行けませんでしたが、最終的に私立の名門、清風南海高等学校を専願で受験して合格し、進学しました。 

 

 高校に入ってから、中学時代と大きく変わったことの1つは、通学時間が増えたことでした。自宅があった平野区から高石駅の通学は、片道1時間15分かかるため、毎日6時ごろには起きて、23時ごろには寝る日々を過ごします。 

 

 

 「どんなに遅くても朝7時9分の電車に乗らないと学校に間に合いませんでした。でも、つらくはなくて、電車の中で数学のチャート式を立ち読みしたり、英単語を勉強して、移動時間を有効に使えたのがよかったですね」 

 

 「中学まで歩いているときにも、頭の中でずっと公式を作ったり、世の中にある公式を調べたりしていた」と語る後藤さんは、高校になってからも数学は上位1割をキープしました。 

 

■友達の影響で進路を考えるように 

 

 そして進路に関しても、高校に入ってからの出会いで、行きたい大学が定まってきたそうです。 

 

 「中学までは何も(将来のことを)考えていなかったのですが、明確に意識が変わったのは、高1のときに後ろの席にいた子が、いつも戦闘機がいかにかっこいいかを語っていたことでした。 

 

 彼は、自分の好きなことを学ぶために『俺、京大の航空行きたいねん』と言っていました。彼の影響で自分も、人間の手がとても届きそうにない世界である宇宙に興味を持ったので、大学に入って航空宇宙を学びたいと思いました。そこで、どうせやるなら上に行きたいと思って東大を志望したのです」 

 

 1年生のころは高校からの入学者だけのクラスで勉強をしていたので、順位を意識してませんでしたが、2年生の始めに中学受験で入った人たちとクラスが一緒になってからは、定期試験がいつも約250人中50番くらい、実力テストではいつも20~30番を確保していました。 

 

 「定期テストのために勉強するという習慣がなかったので、範囲が決まっているテストが苦手だったのです。勉強時間は意識してなくて、暇があったら数学、疲れたら英語をすると決めていました」と語る後藤さん。 

 

 この習慣を続けたおかげか、1年生のときには中学受験で入った組との学力差を感じていたようですが、2年生で中学受験組とクラスが一緒になってからは、学力差を感じなくなったそうです。 

 

 高校1年生のときに受けた模試の東大の判定はボロボロ。それでも高校2年生ではB、高校3年生の夏の東大オープンではA判定を取ることができました。東大を射程圏に捉えるところまできた後藤さん。しかし、ここで勉強をする手を止めてしまいます。 

 

 

■なんだかんだで東大に受かるやろと思っていた 

 

 「高3の模試は判定もよく、順位が全体の中で400番内に入っていたんです。私が志望する理科1類は毎年1000人合格するので、この結果を受けて『いけるやろ!』と思って調子に乗ってしまい、秋以降に本気で勉強しなくなってしまいました。思えば、東大に入る子の中には夏まで運動部に入っている子もいるわけで、そういう子たちがみんな秋・冬に成績を伸ばしてくることをわかっていませんでした」 

 

 結局センター試験では地理で53点という大失敗をしたことで、得点率は85%に。2次試験も物理で簡単な問題を落としてしまい、不合格に終わってしまいました。 

 

 「受けた瞬間、『これはギリギリやな』という感じだったので、合否を見て落ちているのを確認した瞬間は、激しく落ち込みました。心のどこかで、なんだかんだで高校も受かったし、どうせ受かるやろ、なんとかなるやろと思っていたんです。でも結果は、夏に受けた模試から600人以上に抜かされてしまいました。そういう意味でも、人生をなめていたんです」 

 

 こうして後藤さんは浪人を決断します。 

 

 後藤さんに浪人した理由を聞いたところ、「ここまできて、諦められなかった」と答えてくれました。 

 

 「(当時の東大は)合格最低点までの点差がわからなかったのですが、A~Eまでの5段階でどのくらいの僅差で落ちたのかは教えてくれました。私はA(落ちた人の中では最上位層)だったのでショックでした。東大以外に行きたいところがなかったですし、敗因もわかっていたので河合塾に入ってもう1年やろうと思いました」 

 

 彼は落ちた理由を「基礎をちゃんとやらず、ごまかしてやっていたこと」と「A判定が出て調子に乗ったこと」と分析します。 

 

 こうして後藤さんは、朝早い時間に予備校に行き、力を入れて勉強をする日々を送ります。特に、前年に気を抜いて基礎を怠った地理と化学の授業は絶対に出ないといけないと思い、熱心に受講しました。模試の結果もずっとA~Bで安定していたものの、慢心せずに1年間勉強をし続けました。 

 

 「メンタルがつらい時期もありましたが、そういうときは数学をやって心を整えていました。朝早い時間帯に数学をやることで、勉強のリズムを作ることができましたね。一度、模試で理科1類志望者の中の順位が9位になったこともあったのですが、油断したらダメだと思っていました。(不合格になった)3月の苦しみを思い出すことで、1年勉強し続けることができました」 

 

 

 こうしてこの年のセンター試験は、得点率92%を記録。油断せずに取り組んだ地理でも97点を取った後藤さんは、東京大学理科1類に加えて、中期で大阪府立大学(現・大阪公立大学)の工学部航空宇宙工学科、後期で東北大学の工学部機械知能・航空工学科に出願しました。 

 

 万全の体制で挑んだこともあり、この年は理科1類を受けた瞬間、合格を確信した後藤さん。去年落ちていたため合格発表までの日は不安だったようですが、無事受かっていたのを確認し、「俺でも行けるんやな」と安堵の気持ちで浪人生活を終えました。 

 

■アメフトにのめり込む日々の一方で… 

 

 無事、1浪で東京大学理科1類に進学することができた後藤さん。彼は浪人してよかったことを「人生をなめずに済んだこと」、頑張れた理由を「数学だけは東大レベルに達していると思えて、自信を持てたこと」とそれぞれ答えてくれました。 

 

 「現役で受かっていたら、確実に人生をなめていたと思います。浪人をしたことで、人生をなめなくなりました」 

 

 東京大学に入ってからの後藤さんは、今まで水泳はやっていたものの、高校までいつも体育の成績が非常に悪かったことから、陸上の運動は自分には全然できないんだとコンプレックスを感じていました。そんな折に様々なタイプの人が活躍できるアメフトに出会い、そのまま深くのめりこんでいきました。 

 

 「東大のキャンパスでアメフト部が勧誘をしているテントにつかまって、『お前なら絶対いけるよ!』って乗せられたんです。このまま東大で勉強だけするというのもおもんないなぁという思いもあったので、試しに入ってみたんです。 

 

 すると、あまりの面白さに全然勉強しなくなってアメフトばかりする生活になってしまい、いちばん簡単な1年生の最初の定期試験で、進振り(進学振り分け)で進みたかった工学部航空宇宙工学科に到底進めないような点数を取ってしまいました。1年生の最初のテストでこんな点数取ったら、今後どんな点数取っても(挽回は)無理やし、アメフトに集中するかという気分になりました」 

 

 

 
 

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