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「まさか自分が…」と気づかず 介護と育児の“ダブルケア”、今後3人に1人が経験する予測も

Hint-Pot 7/28(日) 11:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/b5927b04ec007548a2821d2db57bb5502804b61d

 

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女性の社会進出が進んでいる中で、育児と親の介護を同時に担う「ダブルケアラー」が増加している。

フルタイムで働きながら介護と育児を行う人もおり、介護に対する支援や環境への課題が浮かび上がっている。

介護者の増加が社会に与える影響も懸念されており、ダブルケアラーは自己犠牲をやめることや、自己の健康や時間を大切にすることが重要だと指摘されている。

(要約)

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自分が介護者であることに気づかないケースが多い(写真はイメージ)【写真:Getty Images】 

 

 女性の社会進出が進み、晩婚化・晩産化に伴って、育児と親の介護を同時に担う、いわゆる「ダブルケアラー」が新たな問題になっています。数年後には介護に直面するダブルケアラー予備軍も多く、子育てが終わるまでに3人に1人がダブルケアを経験するという予測も。そこで、フルタイムで働きながら実母を介護し、2人の子どもを育てる40代女性に話を聞いたところ、休業制度や福祉サービスは充実しつつある一方で、ダブルケアラー当事者の健やかな生活や活躍を阻む“見えない壁”の存在が浮かび上がってきました。ダブルケアの実態と、ダブルケアラーの増加が社会に与える影響とはどのようなものなのでしょうか。 

 

【写真】仕事と介護の両立困難による労働生産性損失額は驚きの金額に 

 

 ◇ ◇ ◇ 

 

「まさか自分が介護者になっているとは、まったく気づいていませんでした」 

 

 そう話すのは、重度の自己免疫疾患を患う実母を都内の自宅で介護しながら、私立中学校に通う2人の子どもを育てている40代後半のAさんです。ダブルケアと並行して、大手金融機関で働いています。 

 

 ふたりとも産休のみで復職したAさん。夫は長年単身赴任だったため、出産を機に関西で暮らしていた母が育児を手伝いに来てくれるようになり、やがて同居することになりました。母は10年近くの間、家族の公私バランスを支えてくれる大切な柱でした。 

 

 ところが、その均衡が崩れたのは、下の子が小学1年生だった7年前。母が原因不明の足の痛みを訴え始め、あっという間にまともに歩けなくなってしまったのです。ようやく診断がついたのは、痛みを感じ始めてからおよそ1年後のことでした。 

 

 当時、子どもたちはふたりとも小学生。まだまだ手がかかる時期ですが、仕事で遠くに暮らす夫の手を借りることはできません。Aさんはひとりで家事育児をこなし、自宅での母の介助や有休を使って通院に付き添うなど、知らず知らずのうちにダブルケアラーになっていたのです。 

 

 Aさんが介護していることを自認したのは、母の体に異変が起きてから4年が経った頃。母が寝たきり状態になって初めて、「とっくに介護が始まっていたことに気がついた」と話します。にっちもさっちもいかなくなったAさんは、地域包括センターへ相談しにいくことに。実は、それまでにも車椅子を借りにいくなど利用していましたが、相談には至っていませんでした。 

 

「相談後、要介護認定を受けることになりました。母はすでに普通のトイレへひとりで行くのすら困難な状態でしたが、最初に要介護認定を受けたときの判定は要支援1。家族はこんなに大変なのに……」 

 

 要支援1とは、日常の基本的な動作は自力で行えるものの、部分的な介助が必要な状態をいいます。しかし、Aさんのお母さんは、体調の良い日は体を動かせるものの、寝たきりの日も少なくありませんでした。 

 

「仕事との両立に悩んだことも少なくありません。たとえば、通院送迎サービスを利用し始めた頃、マンションの下まで母を迎えに来るように言われていました。在宅勤務とはいえ、オンラインでの会議などですぐに離席できない場合が多くあります。そのことを説明し、玄関までの移動介助をお願いしたのですが、なかなか聞き入れてもらえず苦労しました」 

 

 介護が始まると、縦割り行政による“見えない壁”がたくさんあると感じたというAさん。また、介護に関することだけでなく、学校や病院など生活のなかでも「それぞれに壁を感じました」と話します。 

 

 とくに学校については、保護者会やPTAの参加など、介護で忙しくても「親ならやって当たり前」という風潮が今でも強く残っています。Aさんは、子どもたちがコミュニケーションを取りにくくなってしまわないよう、介護をしながら根回しにも心を砕いたそうです。 

 

 

 この7年、母の体調が右肩下がりのなか、子どもが不登校になったり、中学受験を希望したりと、状況は常に変化してきました。それでも仕事の成果を変えたくなかったAさんは、早い段階から職場に対し直談判。午前5時に始業し午後2時頃に終業、午後の時間は母の通院介助などに当てる、自分のペースで働くスタイルを確立していったそうです。 

 

「人間が弱っていくプロセスは同じです。私の状況は特別ではないのだと会社にわかってもらうために周囲ともコミュニケーションを取りました。介護の話を日常会話に織り交ぜていくことで、介護の悩みを話しやすい職場の雰囲気ができています」 

 

 現在、母は要介護4に認定され、リハビリに通うようになりました。望むリハビリができるようになり、母は生きる希望を持てるように。そして、Aさんにもようやく少しだけ、自分の時間を持てる余裕が出てきたそうです。 

 

 Aさんが同じくダブルケアをする人や予備軍の人に強く伝えたいのは、「自己犠牲はやめるべき」ということ。もともと、物事を切り離して考えるのが得意なタイプのAさんであっても、家族のために自分が我慢せざるを得ないことも多く、何度も悩み堂々めぐりしてきたそうです。しかし、介護や育児のフェーズは刻々と変わっていきます。家族を支え続け、頑張りたいときに踏ん張るためにも、「自分を一番大切にすることを忘れない」ことが重要だといいます。 

 

NPO法人こだまの集い代表理事・室津瞳さん【写真:Hint-Pot編集部】 

 

 これまで100人以上のダブルケアラーと対話をしてきた、NPO法人こだまの集いの代表理事・室津瞳さんによると、Aさんのように、自身が介護者状態になっていることに気づいていない人はとても多いといいます。 

 

「一般的に、身体的な介護を『介護』だと思っている人が多いですが、たとえば親の声が小さくなった、何度も同じことを言うようになったなどの、ちょっとした異変を気にかける状態からお看取りまでを、私たちは『介護』といっています。けれど、人には正常性バイアスがあって、まだまだ自分の状況は大丈夫、ダブルケアではないと思っている人がけっこう多いんです」 

 

 なかには、介護施設に入所する家族がいても、ダブルケアではないと思っている人も。しかし、自分が介護者であることに早く気づくほど、早めに対策を取ることができ、親が元気でいられる期間が長くなる可能性が高まります。 

 

 

 また、ダブルケアラーのなかにはAさんのように仕事をし、実際にはトリプル以上のケアになっていることも少なくありません。高齢化率が上昇し、現役世代の割合が減少していくなかで、こうした人たちのための制度を整えていくことは急務だと室津さんは警鐘を鳴らします。 

 

「ダブルケアは育児、介護、仕事と常にマルチタスクで、かなりの調整力とスキルが必要になってきます。男女問わず、体力が削られると体だけでなく、うつなど心の病気になる場合も。ダブルケアの健康被害は、これから最大の課題になってくる労働力人口の減少に拍車をかけます」 

 

 こうした、仕事と介護の両立が困難なことに起因する労働生産性低下などによる経済損失は、2030年に約9.1兆円と試算されており、この金額は年々増す見込みです。過去最高を記録した2023年のインバウンドによる経済効果は約5兆円。そう考えると、かなりの損失であることが実感できます。 

 

「この損失は、介護離職によるものだけではありません。86.2%はパフォーマンス低下によるものです。退職していない人が多いのに、これだけ大きな損失があるということに、企業などは早急に向き合っていかなければいけません」 

 

 介護制度や子育て支援は充実してきているものの、大企業であってもうまく運用されていない側面があります。室津さんは、働きたい人が仕事を続け、誰もが介護を理由にキャリアを中断しない社会の実現を願います。 

 

「大介護時代はどうしても避けられないタイムラインだから、みんなが幸せに生きられる仕組みに変えていく――個人で悲観する必要はありません」 

 

 これまで、介護や育児は家族で行うべきものとされてきました。しかし、労働人口が減るこれからは個人レベルで頑張るのではなく、国を挙げてこの実態に対応していかなければなりません。そして、私たち自身も超高齢社会に向けて、意識を改革していく必要があるでしょう。 

 

※この記事は、「Hint-Pot」とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

◇室津瞳(むろつ・ひとみ) 

NPO法人こだまの集い代表理事。看護師、介護福祉士。ダブルケアと仕事を両立する難しさを実感した自身の経験から、社会支援の整備やダブルケア当事者の課題解決のため、2019(令和元)年5月にNPO法人こだまの集い設立。対話型のワークショップには、現在200人ほどが参加。ダブルケアカフェやセミナー、講演会、研究活動、執筆活動など多岐にわたるアプローチでダブルケアの問題に取り組んでいる。 

 

Hint-Pot編集部・白石あゆみ 

 

 

( 195713 )  2024/07/28 17:36:47  
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このテキストでは、多くの方が仕事や子育てなどの並行する課題に加えて、親の介護も余儀なくされている状況について述べられています。

 

 

主なポイントとしては以下の通りです: 

- 高齢出産や晩婚化が進む中、ダブルケア(子育てと介護の両立)やトリプルケア(子育て、介護、仕事の両立)が増加しており、これらは精神的・肉体的に非常に大きな負担となっている。

 

- 親の介護や育児の負担は、個人だけでなく家族全体に影響を及ぼしており、特に女性が介護や育児を担うことが多いことが示唆されている。

 

- 育児や介護を両立させるためには、周囲の支援や適切な施設の利用が必要である一方で、介護保険や行政の支援制度の改善が求められている。

 

- 介護の大変さやリスクを考慮し、早めの準備や相談を行い、自分自身や家族の将来を見据えた対策が必要であるとの声が多く見られた。

 

 

(まとめ)

( 195715 )  2024/07/28 17:36:47  
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・仕事をしながら両親の介護とか二人でも大変です。自宅での介護なら最低でも3人の人が必要だと思います。自分が50代で両親の介護とか入退院の繰り返しでしたが、睡眠不足で車を運転してて、ガードレールに突っ込みそうになったことがありました。これ以上は無理だと思い、包括の人に相談して、施設に入れてもらいました。 

お陰でかなり楽にはなりましたが、他の人には、自分で抱えようとせず、周りの人に助けてもらえと言いたいです。 

 

 

・両親の介護を一年半やりました。子どもにも、その間あまり構ってやれず迷惑をかけました。父が他界した時は寂しさもありましたが、介護から離れられる気持ちもあり複雑でしたね。一番迷惑かけたのは、一緒に生活してくれた嫁でした。でも一年半で限界だった気がします。やはりいくら私の両親でも、嫁にとっては他人なわけで、病気だから頑張ってくれましたが、他界した時は2人で少しホッとしたのも事実です。施設に預ければ解決できた問題ですが、意外と施設の入居を拒む人が多いから残された家族が大変な思いをしています。 

 

 

・若いうちに出産すればリスクが減る、というコメントが散見されますが、20代で出産しても十分に育てられる給料を得ている若者が、非正規労働導入以来かなり減ったと思います。その上、安定した雇用が継続するかも分からない現代、見通しがついたときには30代というのが介護、育児のダブルケアにあると思います。 

また、同居したらいずれは介護、とのコメントもかなり見られますが、片道3時間程度ですと独り暮らしの親が介護になった時、いろいろな書類に子供が署名を求められます。私はそうでした。しかも私の場合子供が発達障害児なので、永遠の育児です。 

少子化が進むのは当然だな、と思います。 

 

 

・これ子供と親だけじゃなく自分もな。別に早くから子供持たなくても良いし、医療も充実して女性もクリスマスケーキに例えられて(古い?)いたような時代ではなくキャリア形成してからの出産や子育てでもいいと思ってた。だが最近自分も年をとって周りを見渡した時、先日高齢出産した友人の妻がガンになって闘病の末に亡くなった。葬式に行ったら中1になったばかりの男の子は背が友人と同じくらいで大きくなったなと思ったが最後棺にすがりついて泣いていた。その姿を見てまだ中1じゃないか。これからお弁当持って学校に行き、部活頑張って親に反抗して、まだそんな子供じゃないかって。出産が10年前ならこの子は成人してただろう。様々な事情もあると思うが親として責任を全うするなら遅く生むことでこのようなリスクも高くなるんだなと。自分も深く考えずに遅めに子供持ったのだが自身が無事で成人まで育てられたことに感謝しようと思った。 

 

 

・介護士です。入所施設の一極集中での効率化と介護士の処遇改善(例えば準公務員みたいな制度を作り退職金や年金を保障する。)が必要と思います。 

あとは、尊厳死とか安楽死(家族、かかりつけ医、行政とかの合意)とか必要ではないでしょうか? 

それと自然の理に反してまで生きるというか、無理矢理に生かしているような医療行為や処置は見直す時期ではないでしょうか? 

 

 

・親との同居は将来的に親の介護に直面します。 

自分が働いていて子育てもしている場合、親に助けられることは多いですが、子供に手がかかる時期は子供は成長するので後から考えると短いです。 

介護は終わりが見えずもっと長いのが実感です。子育てより大変です。 

親との同居は将来的に介護を引き受ける覚悟が必要です。 

 

 

・早くに結婚し子供も社会人として頑張ってます 

若い時は大変でしたが両親の支援もありました 

そろそろ定年が見えてきました 

親の介護を考え夫婦で話し合いしてます 

双方の両親とも今は元気ですが必ず老いはやってきます 

それに備えて色々検討準備してます 

 

 

・自分の周りには、介護と育児はありませんでしたが、介護と子育て(中学から大学)のダブルケアは結構ありました。 

 

そういう方たちは概ね50歳台でしたが、半数くらいの人は会社を辞めていました。会社もいろいろな制度を用意して支援していたのですが。、、 

 

見聞きはしませんでしたがヤングケアラーの問題もあったかもしれません。私の場合は、介護が子供の就職後で、施設もなんとかなったので、事なきをえました。 

 

介護が発生した場合の、個々の負担は非常に大きい、本来だったら介護保険制度を大幅に拡充すべきですが、そのための保険料値上げには忌避感が強い。経験者でないと納得が難しいのかもしれません。 

 

 

・上の子が1才のとき、母が若年性アルツハイマーになりその後すぐに要介護5の状態。 

親と同居し父と一緒に母のお世話を15年しました。途中父も癌を患い母より先に亡くなりました。 

私にとって育児と介護が重なり、精神的につらい時期でした。 

なんとか毎日を過ごせたのは、意外にも2人目の子どもの育児と主人の支えでした。 

私は仕事を諦めましたが、そのことが今も残念です。 

これからは、育児と介護を仕事と両立しながらできるような社会的なサポートがあることを願います。 

 

 

・28歳で祖父母、母親の3人介護の状態となりました。祖父母は33歳でほぼ同時期に、父親は3年前に半年の闘病で、母親は昨年なくなりました。約16年やってたことになります。 

今は、46歳。家庭も持てていない(いや、持たなかったと言ってもいいかも)ので、ようやく身軽になりましたが、何故生きているのかはよく分からなくなってますね 

父母のみならず、祖父母の土地や家屋の関係など大変な思いをしている同年代は多いのでは?と思います。もう少し、シンプルな法整備をお願いしたいです。土地返納なんて、多少は整備があったけど、まだまだ面倒ですよ。更地にしたら、さっさと無料で返せるようにすべき。手数料も高すぎる。農地だの宅地だのくだらない。この国は本当にバブル以上の自民の議員はほんとうに世間知らずで罪深い2世議員がおおすぎたと思います。 

 

 

 

・私も現在ダブルケア中です。しかも家事や育児に積極的な夫が単身赴任と言うトリプルパンチです。 

進行性神経難病の母親は介護度4で現在高齢者住宅に入居していますが、それでも専門医への通院、日々の買い物や世話など細々としたことで通わなければなりません。父は他界しており、一人っ子なので仕方ないのですが。 

昨年は長男の高校受験と次男の思春期、仕事の忙しさが重なり、本当に心身ともに辛かった。不眠になり、今では睡眠薬なしでは寝られないような状況です。 

受験が終わったのと、次男も家の状況を理解してくれるようになり少し落ち着きました。 

職場の方が理解があり、母の悩みを積極的に打ち明けることで協力してもらいやすい体制が構築できていることをありがたく思っています。 

母は病気と共にわがままになってしまったので、それに答えるのが辛い。なるべく聞き流せる事は聞き流すようにしています。 

 

 

・わたしは祖母の自宅介護をした。 

(うちの場合は父が入院していて、母が仕事をしながら病院と家を 

往復していたので第三子が乳児で仕事を休んでいたので引き受けた) 

結局産む年齢が高くなって育児と親の介護が重なってしまうのも問題かな。 

 

母の時は脳梗塞後の片麻痺で徘徊がなかったので若干ましだった。 

今は介護保険もあるしヘルパーさんに来てもらえるようになってるので 

良くははなってるけどなかなか特養や老健に入れなくなってますね。 

 

歳を取ると血の巡りが悪くなる。それを補うために血圧が上がる。 

認知症になっても長生きしたいと血圧降下剤を飲む人がいるし 

体だけはメンテナンスして丈夫なのでパーになってもなかなか死なない。 

ヨーロッパのように公的保険では65歳以上は 

対症療法ぐらいにしといた方がいいんじゃない? 

ちなみに高齢者扶養率一位の日本は現在50.97%で二位のイタリアは37.19%。 

 

 

・母親が祖母の介護をしてるのを毎日見てます。出勤前に毎日祖母の家に行って、帰りにも家に寄って介護をしてから帰宅、土日はお風呂に入れてあげてます。私も学校がない日は手伝いに行きますが、やはり50代の母にはかなりの重労働で、祖母より先に倒れるのではと不安で仕方ないです。 

体は不自由ですが認知症はないので無理やり施設に入れるのは可哀想だと母は言っていましたが、毎朝行くたびにちゃんと生きているか、夜何かがあって亡くなっていないかハラハラで行くそうです。 

母の中でもかなり葛藤があると思いますが、娘の私からすると母にも長生きして欲しいので、祖母に施設に入ってもらうというのも一つの選択として考えて欲しいと思います。 

 

 

・私は産後サポートの仕事に就いていますが、ご利用されるそのほとんどが40代で、実母さまは、ご高齢。まだ介護を必要とまではいかなくても、まもなくダブルケアになるであろう現場に立ち会う機会が多いです。産後間もないママは、ホルモンバランスも崩し、体も大変にキツイです。少しでも心身ともにサポートができればと料理、洗濯、掃除、上のお子さんの送迎、お子さんのお世話、沐浴など、奮闘中です。都内では多くの自治体が私達のようなサポートを受ける方に助成金を出していますが、頑張りすぎるママがまだまだたくさんいて、共倒れになりかねない現実、本当に深刻な問題だと思います。 

 

 

・子供の育児は義務だけど、親の介護は義務じゃない。酷い話だけど、子供を犠牲にしてまで介護したら駄目だと思う。自分の老後の事くらい自分で準備しておいて、介護必要になったらどうするかとか考えておくべき。 

私の両親は介護必要になったらどうするかをエンドノートに記載してしてくれてる。必要なのは施設に入る時にちょっと手伝う程度で、葬式だって望まんし、墓仕舞いしても良いと言ってくれてる。そういう親だから凄く感謝してるし、多少時間を取られても何かしてあげたいって思えます。 

 

 

・子供の頃、祖父が一緒に暮らしていました 母の父です 祖父は歩けなかった 畳を這っていた様に覚えています 軽い認知症もあった つまりは介護を兼ねて引き取ったのだと思います 

祖父が他界した時、私は7歳で4つ年下の妹がいます 乳飲み子ではないけれど、核家族世帯だったので、ちょっと大変だったかもしれない 

祖父が亡くなったのは昭和45年だと思うので、今とは色んな事が違ったでしょう 

自宅で葬式出したの覚えています 

 

 

・介護やケアの問題は深刻だ。それでいて高校生のヤングケアラーに続いて、育児や親の介護という「ダブルケアラー」の問題も浮上していたとは知らなかった。今や出産を経ても仕事を続けるのは当たり前で、ケアにしても勤務先の理解がなければできない。家族の形がどうであれ、これからはケアのあり方も生活の大きな問題になる。高齢化や人口減少が進むと、家族のケアに対する社会の理解も重要になってくる。 

 

 

・私は高齢出産でしたが、親の介護と子育てと子供の反抗期、自分の更年期障害が重なりとても辛かったです。。4つ重なって思ったのは 

いくら医療が進化してるとは言え子供は体が元気な若いうちがいいので早めがいいし、産める環境になる事も大事かもしれないと思いました。 

高齢出産は親も高齢だったり病気をしていたりすることも多いと思います、子育てもなかなか頼めない場合も多くあります。 

親は認知症で徘徊もひどかったので仕方なく施設に入ってもらいましたが、もっと私が出来ることはなかったのかな、と申し訳なく思うこともあります。 

将来子供たちには介護で苦労をかけまいと何度も思いました。 

 

 

・親が40代で出産、自分も40代で出産したら祖父母は80代。手伝ってなんて言えない年齢だし、子育てと介護が一気に来る場合も。共働きならトリプルでこなさなきゃいけない…。 

子供が欲しいタイミングは人それぞれだし、医療も進んで不妊治療や高齢出産になるのはわかるけど、国は若くして出産できる方向に舵を切れないものかね。 

 

 

・うちは父方の祖母を認知症から同居介護することになり、当時不安定だった兄弟が鬱病を発症してしまった。それで母親が自分の親か子供かどっちが大切なんだ、祖母は施設に入れてくれと懇願しやっと家族が解放された。兄弟も認知症の祖母がいないことで幾分か落ち着いていった。でも母親は、認知症の義母を毎週見舞い、鬱病で不登校の子供を見守り、本当に大変だったと思う。 

これ書いてて本当に感謝しなきゃなと思った。 

 

 

 

・この記事の内容もまさにその通りなのですが、老老介護も数多く遭遇しますよね。 

私は医療職ですが少し前に、70代の患者さんが自分の親の90代を介護していると話に聞きなんとも言えない気持ちになりました。 

自分も不自由しているから通院しているのにそこにのしかかる介護。 

 

どのタイミングできても生活基盤がガラッと変わってしまうので、なんとかいい解決方法があればいいんですけどね。 

 

 

・私もまさに今ダブルケアです。 

片親の母が76歳で要介護2です。 

子供は4歳でまだまだ手がかかり、かつ遠方介護です。 

 

母が介護が必要になってから1年経ちました。 

要介護2になった事で施設に預ける事ができるのでこれから施設に入る手続きを行います。 

在宅介護が1年で終わるのは思ってたよりずっと早かったので、母には辛いかもしれませんが、これがみんなの人生を歩むには正解なのかなと思います。 

 

介護には限界があり、「家族だから自分が看なくてはいけない」などの気持ちは持たずに早めに周りに相談、手を借りる事が重要だと思います。 

 

 

・まさに子育てと介護一緒に来ました。 

もう、本当に休める暇も無く。 

精神的にもやられました。自分の父親を自宅で送りましたが、その介護の姿や送る時がどんなかを子供に教えられたのは良かったです。 

でも、同じように母を介護できるかとなると、凄く不安で無理なのでは?と思っています。 

私には兄弟が居ないので全て自分に降りかかってきます。何をどうしたらよいのかわからないまま当時も今も居ます。 

 

 

・脳卒中の後遺症で半身麻痺と高次機能障害があり昔から自己中頑固なのに更に拍車がかかった父親と、いつも言い訳ばかりで運動しなさすぎて足腰に痛みがきたり、なにかと熱を出す母親がいます。 

 

私は転勤族で実家の近くにいませんが、私の姉が介護することになりそうです。 

けど、今は仕事をたくさんして稼ぎたいところ。姉の子供ももうすぐ高校生になっていきます。お金かかりますよね。 

 

それなのに、うちの親は、何かあったら姉には仕事を休んでもらって姉の家に一緒に住むだとか、姉や私に介護させるだとか言ってきます。 

 

尊敬できる親なら介護するけど、今まで親に関しては嫌な思いばかりしてきたので、施設に入って欲しいのが私と姉の本音です。 

 

このまま本当に介護が必要になれば、姉に負担がかかりすぎるから、どうしたらいいか悩んでいます。 

 

 

・私は父36歳、母31歳の時に生まれた一人っ子でした。 

私が28歳の時に母の鬱が悪化して引きこもりになり、そのまま寝たきりになり在宅介護がスタート。35歳の時に母が亡くなりましたが今度は父が介護が必要になり46歳まで続き終わりました。 

幸い、独身でしたので誰も巻き込まずに済みましたが、家族が居たらと思うと寒気がします。 

 

あと、今は訪問介護の事業所が人手不足や赤字で閉鎖するところが増えていて、いざ介護が必要となってもヘルパーさんになかなか来て貰えなくなってます。 

 

また今後は介護保険サービス自己負担割合は原則2割にするという議論もありますので、民間のサ高住などは月25~30万は払えないと厳しくなる可能性があったり、安い特養ですら月18~25万は覚悟しておいたほうがいいです。 

 

 

・育児や介護だけでも大変なのに、それを両方やるなんて無理にも程があります。 

経済的な問題もあるかもしれませんが、可能なら地域包括支援センターなどに連絡を取り相談をして欲しいですね。 

 

親を施設に預ける事に抵抗や罪悪感を抱く方も少なからず居ますが、それは全く悪い事ではありません。 

自分の今の人生と未来(子供)に金銭や労力などのリソースをより多く割いて欲しいと思います。 

 

 

・団塊世代は兄弟が多かった分、親と同居しなかった子供たちは介護の現状を知らない。だからいざ我が身に降りかかって予想外の事態に慌てる人も少なくないし、まして団塊ジュニアは尚更想像もしていない。 

親が何歳で自分を産んだか、祖父母が何歳で要介護になったか、自分自身が同じ問題に直面するまで考えたこともない人は意外に多い。しかも今は高齢化が進み、祖父母の時代にはなかった新たな問題も増えている。 

育児に加えて親の介護も想定するなら、やはり女性の出産は20代半ばからの10年間が最も望ましいのだろう。勿論、男性も妻と共に育児も介護も担うべきだし、社会そのものが育児や介護と仕事を両立可能なように変わっていかなければならない。誰にとっても他人事ではないのだから。 

 

 

・親がいればいつかは介護に直面する。 

確かに大変だが、昔に比べたら行政の支援はあるし、介護施設も多数あり入居出来なくても通いで行ける施設もある。小規模多機能施設なら送り迎えが必要でも、朝6時から預けて夕方6時に迎えにいくなど、柔軟に対応が可能。 

介護は大変とは思うが必ず老は来る。自分だって老体になれば人の世話になるしかない。子供は必ず成長する。介護から遠ざけないで、協力してもらえる事はしてもらう。勉強より自分が何が出来るか考える能力は案外社会に出て役に立つ。親は死を持って孫に大きな学びを与えてくれる。結果的にそうだったなとある時気づく。 

 

 

・うちは祖母が20代で出産、母が20代で出産、私も20代で出産しているので、祖母90代、母60代後半、私40代前半、子供は高校生と大学生です。今は両親が祖母(祖父は亡くなってます)を老老介護状態、40代前半の私たち夫婦はまだまだ転勤ありで手伝えない…若く産んでもどこかしらで大変と思うことは出てくるのだなと思っています。さらに自分が歳とったときのことを考えると、私が80で子供も60代、いつまでも親がいるのは申し訳ないな…と今から考えてしまうことがあります。ベストなタイミングってないような…? 

 

 

・現職の看護師です。誰一人として他人事じゃないですね。むしろ3人に1人というのは少ないような気がする。実際には2人に1人ぐらい居そうな…。 

 

その時だけのことではなく、先のことまで見据えていくことが大切だなと思います。不測の事態にどれだけ備えられるか。対処の方法が分かっているのとそうでないのとでは大きな差が出る。 

 

 

 

・子供の幼稚園でもプレで来てた親子がママの親の介護を理由に辞めざるをえなくなりました。 

 

女性の晩婚化で妊娠出産がどんどん高齢化している弊害は妊孕力の低下だけではありません。女性自身が歳をとるのと同じ様に両親もどんどん高齢化してきて、身の回りのことが出来なくなってくるんです。それを知ってて子供を産み育てるのは先延ばしで何かあったら親を頼ろうとする娘の方が間違ってると思います。 

 

ヤングケアラーは親が病気持ちなら、その子供は産まれながらにそうなる宿命が定められてしまっていて気の毒だと思いますが、ダブルケアラーは自分の人生の選択肢でそうなってしまった訳で回避しようと思えば、人生設計次第でいくらでも回避できた事態だと思います。 

 

こんな女性が今後は増えていくのにそれでも日本は男女雇用機会均等法で女性も男性と同じ様に働かせ、税金を捲き上げて、益々子供を産み育てにくくしようとしてるから信じられません。 

 

 

・私は今50代ですが、10年前に経験しました。 

 

親が34歳の時に私が産まれ、私も2人目を34歳で産んだ為、両親とも80歳近くで要介護になった時は下の子はまだ小3でした。 

しかも離婚してシングルマザーでした。 

 

病院から退院する様に言われても行き場がない。小学生2人いるし、歩けなくなった親を引き取ったら仕事は続けられ無い。 

 

子供達を元夫に託すしか無いのかと絶望しました。 

何とか特養に入る事が出来て救われました。 

 

高齢出産が増えると、育児と介護が重なるリスクがある事を実感しました。 

 

 

・私は高齢出産だったのと、母親が健康年齢過ぎてすぐ脳梗塞になったので、ダブルケア経験しました。息子がまだ保育園だったので大変でした。母親は亡くなりましたが、父親は90歳過ぎていますが元気にいてくれ有り難いです。 

弟の子どもが思春期になり、おじいちゃんおばあちゃんって懐かなくなった時に息子が産まれ、また可愛い孫が見れて両親は喜んでいましたよ。親孝行できてよかったな〜と、思いましたよ。 

 

 

・主婦です。未就学児2人、闘病中の夫の看護と医療ケア、近くに住む夫の高齢両親の見守りのトリプルで泣きそうでした。夫亡き後は義両親に「あんたに面倒見てもらう」と言われメンタル崩壊してます。「あなたが倒れたらおしまい」と言われますが誰も助けてはくれません。子ども達の為に何とか踏ん張っています。 

 

 

・うちはトリプルケアです。 両親が要介護と難病で、子供は低学年不登校でハンデのある子。親の面倒は週末に通いでみてる。 

手が回りません。  

医療と介護は連携されてますが、教育と障害福祉は分断されてて窓口が別だし、もうぜんぶの機関の担当さんが集まって一気にサービス提供計画たてて、一気に開始してほしいな、といつも思う。 

あと、子供世帯と親の住む市町村が違う場合に、市同士が情報共有して連携してほしいなと思う。たくさんの窓口にいき、その都度同じことを繰り返し話す。変化があってもそれも各担当さんにいちいち報告してまわる。げっそり。 

団塊世代もどんどん介護がいる年代になってるし、いままで孫の世話してた高齢親が、今度は介護がいるようになるから、共働き世帯なんかは大変と思う。 

「家庭総合福祉支援」みたいな、横断的に解決してくれる窓口がほしい… 

 

 

・下の息子が幼稚園に入ったばかりの頃に自分の亡くなった父親が認知症になり、他県に離れて一人暮らしをしていた為、えらい大変な思いをしました。2DKの狭いマンションだったから呼び込んで同居は出来ないし、片道2時間オーバーなんで毎日通うのも無理だし、小4だった上の子もまだ全て自分では出来なかったし。幸いにも出会ったヘルパーさん達や担当して下さったケアマネジャーさんが大変シッカリとサポートして下さったおかげで、皆様にご迷惑をおかけしながら色々ありましたが、認知度の進んだ最後は施設に入れ、肺炎を起こしので病院に入院出来たりなど、亡くなるまで何とかなりました。 

自分は沢山の方に助けて頂けたから乗り切れましたが、親を介護するって言い方悪いですが、一家が総崩れする事態になってもおかしくない状態になります。自分にとって育児と介護の両立は精神的、物理的に無理でした。 

 

 

・私も仕事しながら要介護5の母を自宅介護、最期の3か月は特養でお世話になりました。この方は、一言で言ってすごい。大手金融機関なので、ある程度は整っているとはいえ、育児だけ、介護だけでも両立は難しいのにダブル、さらに仕事も。行動力と頭の良さと効率を考えて動くなどがあり、普通はなかなかこのレベルには至らず、だいたいは仕事を諦める。充分、ご自身は目一杯なはず。育児はあとしばらくすると手が離れるかもしれないが、毎日が大変であり、そこまで心身持つか、介護は終わりが見えません。 

一つ気になるのは、長期単身赴任の旦那は何してる?奥さんがいる場所への転勤願いや転職とか検討してるんでしょうか。経済的に奥さんの稼ぎは大きいはず、なのに、育児、奥さんだけ。非常事態なのに、旦那はこれまでと変わらず仕事してるって、違和感あります。 

 

 

・親が認知症になり、子供の私の顔も分からなくなり、ただ食べて寝るだけ、テレビすら見ないようになり、親の赤ちゃん化にとまどい、又老いていく姿を見るのが辛く、苦しい。大病しても寿命はあるらしく、いつまで続くかわからない介護 

父のみならず母も認知症の症状が出てきて、注意して見てないといけなくなりました。義理の親も心臓病を患い、主人が毎日様子を見に行っていて、このままだと両方見守らないといけなくなるかも? 

他の兄弟が少し見てくれると良いのですが、 

 

 

・はい、私のことですよ! 

40代後半ですが、仕事子育て、家事介護、すべて自分の肩にのしかかっています。義実家は2人とも要介護で、施設入居を拒否しているため、通いとヘルパーさんとデイサービスを駆使して、ケアマネに相談しながら毎日綱渡りです。団塊ジュニアは団塊世代の介護をしている人、結構います。就職もまともに出来なかった世代で、自分達だけでも食っていくのがやっとなのに、さらに介護がのしかかって。。自分の子供達をケアするのに、もっと手を掛けたいのが本音なんだけどなぁ。。 

 

 

・自分は44で2歳と6歳の息子を持つ父親だが、この子らがひとりだちする時、自分はこの世で共に祝えているのだろうか、と夜寝る時に何度も考える。 

 

二十歳で成人して手が離れるという時代ではない。こいつらが30ぐらいまでは健在でいたいが、もう自分は70越え…。 

 

たとえ、生きていられても、認知症や寝たきりになっていても不思議ではない。 

 

今できることは、食生活や運動、睡眠を整えるくらいしかできない。 

 

でも自分のもとに子供が来てくれた喜びはかけがえがない。 

 

日々、 

 

オレは早々に死ぬわけにはいかない 

 

と思っている。 

 

 

 

・職場で、育児が終わらないうちに介護はやってくる、という内容の研修を行いました。 

高齢出産の私は、遠方の母親の介護と育児に追われるのだな、自分だって乳がんを患っているのに…と震えた。 

 

同居している義母は、22歳で結婚出産。 

現在70代。 

近距に住む義理の姉も、25歳で結婚出産。 

子供2人は大学生と、社会人。 

義母や義姉を見ていると、結婚出産は若い方が良く、母親側の親と近くに住むに尽きる。 

 

 

・中高生時代に親が病気で、学校の勉強や家事をしながら介護していました。遊ぶ時間も青春もなかったし、はやく自立のために職を持ちたかったからみんなと違う学生生活だった。しかし、親の介護問題はとっくに片付いているため現在は子育てだけに専念できています。遅いか早いかで自分は介護する時期が人より早かっただけだなと今は思えます。 

 

 

・私は現在進行系で母親の介護をやってます。 

フルで仕事をしてるのでヘルパーさんなどに手伝ってもらいながらやってますが、やはり大変です。 

体がヘトヘトになって帰ってからお風呂に入れて食事の用意もし、そして自分のこともします。 

でも、確かに大変だし喧嘩もするけど親の希望である最後まで自宅で。という思いは叶えてあげたいんです。 

 

 

・少子化の原因もこれだと思う。 

非正規とか金銭的な問題はあるにしても、世の中の認識が、育児を介護と同様にケアとななれば、当然世の中は少子化に向かう。 

不妊治療の補助も良いが、生物学的に若く、親に手伝って貰える、若い時期の結婚出産が良いのだろうが、自分含めてそうは思わなかった。 

 

 

・所謂「情報弱者」とならないことで、ある程度負担を減らせる。この記事の場合は「地域包括センター」のケアマネジャーへの相談が遅いと感じた。対処は初動が大事なものだが、当然「予想されるべき介護」への認識が薄いままでは(これからの社会では特に)普通の生活は送れないだろう。 

そうした事情を抱えた社員が次第に多くなる中で、雇用組織、社会に於いても、継続して働いて貰える体制作りが本当に待った無しの状況と思う。 

 

 

・私は仕事をしながら両親の介護と超低体重出生児の育児と20年ほど生きてくれた柴犬のトリプルケアをしていました。 

両親はその前からアルコール依存で20年近く悩まされ苦しめられたが、それでも最後の親孝行と思い、新築を建てる際に同居を提案し引っ越してきてもらった。 

 

父は食道癌と咽頭癌の治療で苦しみ、母は乳癌と肝臓癌と癌治療からの介護は大変でした。 

 

このトリプルケアをする為に仕事も給与は下がったが転職し時間の余裕を作りました。  

 

ただ、終わりの見えない介護疲れの苦しみにいっそ死んでしまおうかと、包丁を握って寝ている親の前に何度も立ったが、子供のことを考えると出来なかった。 

 

介護をされたことのない方は、介護中の大変さだけかと思われるでしょうが、亡くなって介護が終わった後、言いようのない疲労感が襲ってきて精神や体力を何年も奪います。 

私は4年ほど疲れが取れず仕事も辞め、無気力状態になりました。 

 

 

・ライフプランを自分中心で考えて外的リスクを見越さないと、ダブルケア・トリプルケアが起きやすい。個々人の選択の自由がリスクも含めてあり、考えれば考えるほど結婚しないほうがローリスクってのが今の若者の未婚率上昇の根底。問題はリスク低減のためのコストが莫大で行政のリソースが追いつかないところ。根が深いね。 

 

 

・ダブルケア続行中の人が身近にいます。育児と違って介護に対する就業先のフォローはほばなく、なかなか精神的にも大変なようです。加えて本人も疾患を発症してしまい、なんとか子供たちが自立するまでは、と歯をくいしばって毎日を過ごしていらっしゃいます。晩婚化が進んでいくとこうした状況に陥る方が増えると予想されます。明日はわが身。なんとか制度的にもこうした人を救済する制度ができることを望みます。 

 

 

・今思えば、ヤングケアラーでした。現在は離婚後、実家にお世話になっていますが、高齢の認知症の父、子供2人の4人で過ごしています。ダブルケア…自分で情報を得る、周りに助けを求める、知ってもらうだけでも大事なのだと感じます。 

情報社会、自分だけでなんとかせず周りも見渡してほしいと願います。 

 

 

・割と同年代の中でも早くに介護が始まったので、周りに話しても理解してもらえなくて苦労した 

ようやく周りも介護が始まり、そういう事だったのねと理解してもらえるようになりました 

幸い短期間で終わりましたが、子育てと違っていつ終わるか分からない介護は、介護者の精神面のサポートも必要だと思います 

 

 

 

・介護の重要性について啓発コラムとして拝読しました 

 

ただ 

要介護4の状態と本人が希望を持つリハビリを教えてほしいです 

あと要支援1から要介護4までの過程 

 

要介護4とは 

日常生活の動作に著しい低下が見られて、ほぼすべての場合に介護が必要な状態 

具体的には、自力で立ち上がったり、歩いたりできない状態 

食事、排せつ、入浴、着替えなどの身の回りの多くのことに介助が必要 

 

 

・子育てと一緒もあるし、子育て終わった途端に介護が来て自分の老後を楽しむことも出来ず、もある。 

とにかく親には自分で介護を賄えるだけの資金を貯めておいてもらうこと。お金さえあればなんとかなることはたくさんあります。 

自分も子供に迷惑をかけないように介護用の資金は別に貯めておかなくてはならないと思うし。 

 

 

・再婚同志の親の元に産まれた一人娘だったので、自分自身は晩婚でなかったが、子育て遠距離介護してました。たまたま、両親とも足腰を悪くした後に認知になったので、徘徊の心配無かった。沢山悩みながら、都会のマンションには連れて来ず仕事辞めず、始まったばかりの介護保険を使って遠距離介護してました。 

自分の年齢、親の年齢見れば予測出来る事。 

 

介護費用の事、学費を40代でやりくりしたので、子供達には、奨学金一括返済させました。自分達は今からの子育て世代にお世話になる事なるべく少なくなるような 

準備しとかないとと考えています。 

周り見てると、予測してないのかなぁと思う人いて、ちょっと心配 

 

 

・これが現実の物になるとは思ってなかった8年前、現在1人で親の介護をしている。兄姉は居るのだが、離れて暮らしてても全く手伝ってくれない。つまり親の介護に関心が無い。それどころか介護の話をすると逃げる。グダグダ言われたく無いとね、自分は生まれながら心臓が悪くて、人よりも疲れやすい体。介護だけではなく屋敷周りの管理から畑作業まで全ての事をやっている。介護は誰しもが通る道で簡単な事ではない。家族の協力があってこそ介護が成り立つ。介護を1人では絶対に無理。介護度が低くても介護は介護。是非皆さんも介護をなさってる家族が居たら積極的に手伝いましょう。親はいつまでも親です。 

 

 

・時代の流れとともに人生の各イベントが先送りになった結果でもある。 

 

40代の出産も珍しくなくなった昨今。 

ライフイベントの時期について、選択肢が幅広くなったのは大変喜ばしいことだが、あくまで選択肢があるだけ。 

 

突き詰めて言えば、選択したこと自体は自己責任でなんとかするしかない。 

政治やら社会やらには期待できないのは自明だし。 

 

今の10代、20代はライフプランを真剣に考える必要がある。後悔のないように。 

 

 

・33歳で出産後、実家の父が原因不明でだんだん目が見えなくなってきて娘が2歳頃には完全に失明 

母はまだ仕事をしていて、少し前に父方の祖母も引き取って一緒に住んでいる状態でした。 

私は車で20分くらいの市内に住んでいて、子育てしていたので仕事も辞めていました。 

父の身体も弱ってきてたので、なんとか寝たきりにならないように、娘を三輪車に乗せ、押すところに父を掴まらせ一緒に押しながら、実家のワンコ(ダックスなので軽い)を持ち毎日散歩したなぁ… 

当時は、午前中子供を支援センターで遊ばせて、お昼ごはんやお昼寝後(お昼寝中夕飯作る)実家に行って父と散歩でした。そのくらいになってくると、祖母も歳で一人には出来なくてデイサービスやショートステイを利用してもらっていたので面会に行ったり、洗濯物届けたり 

 

その後父は寝たきり胃瘻生活になり、母は仕事を辞めましたが、母も大変そうで…介護は体力です。。。 

 

 

・夫と年が離れてた上に高齢出産だったから、80代要介護5のしゅうとを見ながら妊娠出産。地獄でしたよ。夫は逃げるように残業で帰って来なかった。しゅうとは徘徊しては倒れる多発性脳梗塞。まだ予防注射もしてない新生児を毛布にくるんで探してまわりました。オムツも大人用と子供用を買わなきゃいけない。どちらも置いていけない。車からおろす順番も謎解きのよう。ショートステイは限度までいっぱい出産で使いきってたし、施設の順番はまわってこない。救急隊員や医者には責められる。しゅうとは同情をかおうと嘘をつく。とにかく寝てないからフラフラで眠ることしか考えなくなり、刑務所に入れば規則正しく眠れるっていつも考えてた。殺したい衝動を抑えるのがやっと。子供がかわいいからギリギリ耐えた。殺しちゃう人がいるけど、わかる。きっと耐えて耐えてつい耐える力を一瞬ゆるめてしまったんだわ。 

ギリギリで行政が助けてくれた。 

 

 

・親が老い介護は少子高齢化のために誰でも経験する事に成りました。知識が余り無く困り果てますね。取り敢えず市役所の相談窓口に相談に行く事です。皆んな経験して疲れ果てますからね。私も父親が先に呆け亡くなり葬式がすんで直ぐに母が呆けましたからね。私も疲れから心筋梗塞発作で手術して家に帰って、また母の介護で疲れ果て自殺まで考え地域包括支援センターと病院に相談して母を特養ホームに入れホットしましたからね。だが心筋梗塞発作の後遺症の心臓狭心症で仕事復帰が出来ず苦労しましたが多分皆さんそうですからね。社会制度の問題ですからね。親の介護で共倒れですからね。ちなみに私は独身の男で20歳で家を出た妹一人居ますからね。妹は金も出さすても加瀬さずでしたからね。しかし両親の介護は人生最大のピンチでしたからね。 

 

 

・私はひとりっ子。父は既に亡くなっており、さらに身体の弱い母との2人暮らしで、ダブルケアなんて私には無理だ!と30歳で出産を諦めました。 

30代後半から実際に母の介護が始まり、40代に亡くなって、私の判断は間違ってなかったと思っています。 

今の時代キャリアや年齢を重ねて出産、育児をされる方が多いけれど、親はいつまでも元気だとは限らない。そこを踏まえた上で子供を授かるかを考えた方がいいと思います。 

介護も育児も仕事のようにはいかないから。 

 

 

・結婚出産の早かった親世代と50前後の世代でダブルケアになるのだから、晩婚化高齢出産の進んだ今後はもっと若い年齢で親の介護が始まり、自分の子供を諦める人が増えるのでは 

 

そんで書いてある親御さんの状態で最初の介護認定が要支援1って厳しすぎる 

うちの母も初めて介護認定受けたときは似たような状態だったけど介護2がついて、状態が回復して自分で出来ることが増えたのに翌年の再審査でも介護2のまま 

自治体で差があるにしても記事の例は酷すぎるし、送迎は玄関先までとなってるのでマンション入り口までってのも酷い 

 

 

 

・ダブルケア真っ只中です。晩婚高齢出産です。親は疾患がないんで術後もリハビリも順調でやって正解でホッとしてます。術前は自己血準備したりと大きい手術だし術後も具合悪くならないかと心配でしたが。子供もだんだんしっかりしてきてどうにかなりそうかなという感じです。50代だけど今が1番大変かも 

 

 

・自分も親の介護と育児が同時期でしたが、成長していく子供と衰えていく両親を同時にみるのは複雑でした。 

正直、両親にも優先順位は孫であるとはっきり伝えてキャパ以上の事はケアマネやヘルパーに任せています。 

子供の事、自分自身の事を考えると高齢者ファーストは社会の為にもならないと思います。 

 

 

・利用できる介護サービスを自分の住んでいる自治体に先ずは相談でしょう。 

仮に人の手が必要になり、ヘルパーさんを利用する事になっても、今度は人手不足で希望する利用時間帯に人が居ませんって事はある。場合によってよくあると言っていいかもしれない。やっとみつかり、ヘルパーさんの派遣が決まりました。しかし今度はヘルパーさんの経験値、質?性格?が影響します。居るんです一部に質の悪いヘルパーさん。ちゃんとしてくれてるヘルパーさんが気の毒です。質より量だと困ります。つけ爪、香水や煙草臭、柔軟剤バンバンのとんでもないヘルパーさん居ますから。最初が肝心です。そして抱え込まずに頼りましょう。 

 

 

・介護保険は払うだけで無駄と思っていましたが 

親が思いもかけず使うことになりました。 

昔は嫁や娘に負担がかかっていましたが 

各種サービスを上手く利用して乗り切ることが 

出来るのは大きいと思います。 

介護スタッフには相応の報酬があるべきと思っています。 

 

 

・晩婚晩産が増えてるし、まあ将来はこうなるよねと前から想像してました。数十年後には、若くして育児と介護同時にやらなければならい人が増大するだろうと。 

口には出せませんけど、不妊治療やらなんやらで40代になっても子供作るのはいいのですが、産まれてくる子の人生を思ったら、やはり出産の適齢期ってあるよね、と。 

 

 

・育児だけじゃなくて、私も24歳の時、癌の末期寝たきりの母を自宅介護しながら仕事に行ってました。介護も家事も全く手伝わない兄も居て3人分の食料や用品の買い出しなどの家事、トイレもオムツか差し込み便器、毎日清拭、家族だからワガママを言う。などなかなか体力気力使いました。でも私は46歳になって関節リウマチを発症。もし今母が生きていたなら介護どころか自分の治療も出来て無かっただろうなと思います。 

 

 

・25歳で嫁に行った時には、すでに義父が半寝たきりで、年子で生まれた2人の子供のおむつと義父のおむつ、3人分取り替えてた時期がありました。もう、40年も前の事で、介護保険、介護施設、もちろんデイサービスなどもなく、介護は家のものがするのが当たり前の事でしたので、なんとなく済まして来ましたが、若かったから出来た事だと思ってます。 

 

 

・できることをやる。 

頼れるところは利用する。 

義父は在宅介護でパーキンソン病で胃ろう 

寝たきりの状態でした。高齢者介護も育児も頑張り過ぎて当人がダメになってしまったらどうしようもありません。 

ケアマネジャーを通じて在宅介護のサポートしてもらい、負担を軽減。何でも自分でやらなきゃと思っていたら、疲れます。頼れるところには頼りましょう。 

子育てに関しても頑張り過ぎず、家族の協力があれば息抜きの時間をもらい自分の時間を作りストレスを溜めないようにした方がいいです。 

 

 

・まさに、私も現在介護の必要な家族が2名います。幸いに福祉施設に入所させていただき普段は私自身のケアは不要です。ただ、体調不良で入院となると家族として対応することも多いです。上手に施設や病院を活用しが抱え込まない事が大切と考えます。 

 

 

・30歳後半で初産って人も多いし、今後そういう人増えるのでは。 

うちの場合は下の子が18歳で子育てはひと段落かもしれないが、親の介護と自身の更年期がやって来た。 

介護でしんどい思いをすればするほど、更年期の症状がひどくなる。 

体調不良が続き、病院で色々検査をしても特に病気は見つからず、結局更年期、ストレスなのかって感じ。 

頭痛や息苦しさ、胸の痛み、関節痛、気分の落ち込み、ストレスや更年期障害に当てはまる。 

よくわからない体の不調はとても苦しい。 

自分か健康でないと子育ても親の介護もできない。 

自分のケアもしないといけない年齢なら、トリプルケアになる。 

 

 

 

・私は今82才ですが、高校生時代に叔父の介護 父は戦死 母は働き 家事は一手に担う私でした。介護保険などなく、父の戦死恩給と薄給でしのぎました。 

 

そして、夏冬に学費をアルバイトで稼ぎました。 結婚23才出産は29才までに三人とプランを立てて実行。 

 実母は父の恩給と、さっさと出来はじめた介護保険のおかげで有料老人ホーム入所有り難かったです。 

 なので、私は子どもたちに負担をかけないように弱ってきたら施設にと考えています。  

 幸いプラン通りに行けますように願っている老婆です 

 

 

・家事も仕事も育児も介護も全部一人の人間が回すなんて絶対無理だから。本人だって人間だもの、一時的ならまだしもそんな生活長く続けてたら身体壊すよ。 

可能な限りプロやよその人に入ってもらうのがいいんだろうけど、介護も保育も学校関係も基本的に人手不足だから難しいのが現実なんだろうな。 

 

 

・今、正に介護中です。 

此処に挙げられていませんが、たとえ親を老人ホームに入所させていたとしても、負担は減りません。 

施設との契約している医療機関が、内科と歯科のみなので、他の診療科は自分で外部の医療機関に連れてゆかなければならない。勿論、ヘルパーさんに付き添いをお願いできないするものの、報告が不十分だったり、認知症の本人に領収書や医師のレポートを手渡していたりで、使い物にはならない。 

ホームとの連絡手段が電話と郵便に限られていて、こちらの都合にお構いなしに、急ぎの用事でもない電話がかかってくる。 

あまりのことに、メールの利用を要求したが、2回要求しても聞き入れられないので、本社へ直談判してようやく認められるありさま。 

地域包括支援センターはじめ、役所関係は全て平日の昼間しか、応じて貰えない。 

もぅ、ヘトヘトです。 

 

 

・介護施設入所=介護していない、と考える人が多く、子供よりも親の用事で休みを頂いたりする事に理解が得られにくいです。 

コロナ禍以降は本人との直接面会は減ったとしても、施設やケアマネージャーさんとの打ち合わせ、書類申請など平日にしか出来ない事は結構あります。そして親自身の年金だけでは足りずお金の工面が必要な時もあります。 

 

晩婚化で出産が遅いと、子どもの思春期と自分の更年期、親の介護が重なるよ、と成人した頃に叔母と笑いながら話していた内容、今は全く笑えません。 

 

 

・現在妻がガン末期で要介護5、同時に5歳娘の育児中。転勤で関東在住出身は九州で近くに身内が居ず、実家の母も要介護1で老々介護状態。苦しくて区役所に相談しても使える制度は既に使えてますと… 

働けず介護休職。収入なくても社会保険料は毎月徴収されます。医療費も介護料は。在宅介護になると電気代も跳ね上がる。 

休職補助(3ヶ月のみ)や高額医療制度ありますが二、三ヶ月後給付なので、数十〜百万単位の蓄えないと難しい。 

若年の医療介護も老人介護の内容でフォローするので内容が不十分に感じることが多いです。 

 

 

・倫理と現実の相入れない問題、皆が子供を育てなければ確実に国が滅ぶし自分の介護は誰もしてくれない、子育てと親の介護と仕事をするのはほぼ無理、介護の仕事が中心の国なと貧しく成るだけでいずれ滅びる、機械で介護が出来る時代に成るまでは昭和の様に若くして子供を産み専業主婦でも生活が出来る様な社会に戻すしか無いが無理だろう、自由資本主義の大きな欠点。 

 

 

・記事にある通り「自己犠牲はやめるべき」、これに尽きると思います。家族が手を貸せば貸すほど要介護認定は遅くなり双方疲弊します。 

 

私の祖父は最期まで自宅にいたい派だったのですが、介護する方が限界になり祖父には一人暮らしになってもらい、約2ヶ月で施設入所まで進みました。家族が支えているうちは行政は積極的な支援はしない、そういう制度なんです。 

 

 

・正社員共働き夫婦です。 

結婚して10年目に子供を授かりました。 

不妊治療、流産2回で、無事に子供を授かったのは40才。 

その間に夫は単身赴任。 

実家そばに住まいがあったので、何かあれば頼れる体制でした。 

夫が単身赴任から戻り、少し楽になったと思ったら母が癌に。子供は保育園の年少。 

当時は育児休暇、介護休暇がないため、自分の有休を使い病院に先生の話しを聞きに行ったり、入院時のパジャマや汚れ物を洗濯もし、在宅ワークがない時期なので会社にも通い何が何だか分からないほど多忙でした。 

頼りにしていた母が亡くなり、糖尿病の父親の夕飯は一緒に食べる事に。 

毎朝実家に用意した夕飯を運び、夕飯を食べ、後片付けは父と夫に任せ、次の日の夕飯の買い出しと用意という日々を過ごしました。まだ40代だったけど、本当に大変でした。 

今は会社も育児、介護休暇、在宅ワークがあるので利用出来る制度は使って乗り越えて欲しいです。 

 

 

・私は早くに結婚出産し夫婦50歳で子供達も独立親は残り1人で今のところ元気でまぁ良かったとは思ってますが 

その親も元気で何よりですが84歳なのでこの先20年とか生きられてしまうと私達も70になりますから老老介護 

先が心配ですね 

後、この先何が起こるか分からないのが人の人生だから 

不安はありますね 

 

 

・少子化だから仕方ない。こちらは介護20年になるが施設はしっかりしてて栄養のバランス良く90超え。私は健診にてガンが見つかり先にいきそうです。子供には子供の生活がありますから出来ることはやっていただき手を出さぬ事です。親の仕事を取ってはいけない。やればできます。片方欠けるまでは夫婦で頑張って欲しい。忙しく手伝い過ぎて健診行けなかった。それも私の寿命だから離れた子供と遊びたい。 

 

 

 

・30歳前から20年程相次いで親の介護をしました。大学卒業後大企業に入り都内で何不自由ない楽しい生活が一変、一人っ子で田舎に帰らざるを得ず、仕事も友達も全て失い、田舎の誰にも頼れませんでした。子供はもちろん結婚なんてする暇ありませんでした。育児は希望がありますが、介護は日に日に体力的、精神的に疲弊します。ようやく終わりましたが、何も残らず、全くの独り、人生何の楽しみもなくなりました。 

 

 

・子育てだけでも鬱になる私は、介護まで入ってきたらキャパ越えだ…そのくせ何でも完璧を求めてしまい、もちろん完璧にいかず…また病む… 

を繰り返してしまう。心療内科には数年通ってますけど…風邪薬みたいに目に見える症状がパッと改善するわけじゃないから、色々としんどい。 

来世では若い楽しみも味わって結婚も良いなって思っていたけど、自分が40目前でもう疲れてしまってるから、私みたいなのは 

若い時に出産しといて良かった…と思う。 

周りは小学生の子供とかいて、絶対無理だって。毎週末、この暑い中試合の付き添いしてたし毎日弁当作り、家事、 

今あの日々をやれるかといったら体力気力がもたない。あと数年で子供達が社会人になるから、あと少し!って気持ちでなんとか。 

まぁ、でかくなると手はかからなくてお金がかかるし、専業主婦だとすぐ病みだすので 

頑張って働くのみ。自分が介護が必要になったら施設に入りたいから貯めないと 

 

 

・どちらか一つでも大変。こういったことで一人で悩み、事件になる気持ちも理解出来なくはない。やはりケアマネージャーのように専門の支えが出来る役割の人は大切だと思う。 

 

 

・うちの地元は役所や病院の方から介護に関わるアレコレや申請など言ってくださり早い段階からケアマネージャーさんに介護コーディネートしていただいたりなど助かりました。都会など自分から動かないとサービスを始められない地域もあると思う。自力で介護は絶対無理なので市の補助金など利用や申請しまくって、ホームも空いたら逃さず入れたほうがいい。病気が原因の要介護なら病院に半月ずつ入院できるシステムもある。 

 

 

・女性の社会進出は大歓迎。 

時代は刻々と変化します。 

でも、所詮人間は生き物。 

生き物である限り、出産適齢期というものはあると実感します。 

 

50代の女性の子どもがまだ小学生で手がかかるのに、親の介護が始まり、自身も体調が優れない日が続き、仕事も休みがち、ダンナさんも仕事を調整して手伝っているという話を廻りでチラホラ聞きます。 

  

なんだか社会が壊れていく縮図を見ているようです。 

 

 

・うちも親が要介護2、下の子が未就学のダブルケア。幸い仕事は在宅で融通がきくからなんとか離職せずに済んでるけど、かなりいっぱいいっぱいになる。 

 

ショートステイやデイケアも利用してるけど、ショートステイ一つ入るのも持ち物準備や薬準備などで結構大変だし、うちは薬が複雑だからそれだけで1時間以上はかかる。病院付き添いも頻繁。 

 

親は元気な頃常々「すぐに施設に入るからね」と言ってたのに現実は違うなと思う。やはり、いざとなると自宅で過ごしたいんだろう。 

この記事の方は身体だけど、うちは認知症なので親が親じゃなくなっていく精神的な負担もすごい。向こうも辛い。何度母と二人で泣いたことか。 

 

我が子にはこんな思いをさせたくないと心底思う。 

 

 

・私が中2の年の瀬に離れに住んでいた父方の祖父(当時83歳)が倒れ、以降介護生活が始まりました。 

また、兄達は19歳と高1で2人とも学生。母(当時51歳)は朝のパートをしながら介護をしていました。(ホームヘルパーやデイサービスも併用していた) 

2年半の自宅介護の後、祖父は老人ホームに入り約5年間そこで過ごし、91歳で天に召されました。 

その頃には学生は大学4年の私だけになりましたが、介護生活初期の母は余裕がなく、いつもピリピリしていました。 

 

 

・高齢出産すれば、自身が高齢で育児する事になり、体力的はきつくなる。そして、実両親も高齢になり、育児+介護、なんて言う人も。 

知人は高齢出産して生まれた子が障害児で、育児だけでも大変なのに、数年後、両親の介護が始まり、大変そうです。 

 

 

・自分は50代前半の男で、両親2人とも昨年までに亡くなりました。30で結婚して、31で長女、30代後半で2人目の子育てというケース。かみさんは常にフルタイムや正社員で仕事している状況で、家事育児の育児の作業負担を感じなくなったのは2人目が小学校高学年ごろからで40代後半か。その後、コロナ渦で母親が倒れ、要介護で歩くのままならなかった実家の父親のフォローが始まったのが50の頃。あと数年ずれて被っていたらとても生活回らなかったと思う。ブラック企業なんぞ、社会からどんどん排除して潰していかないと日本社会が回らないよ。 

 

 

・早く産んで親のサポートを受けて子育てするに限る。育児が終わった頃に介護なら、子どもも多少はサポートしてくれる。ヤングケアラーとかじゃなく、家の洗濯物とりこんでくれるなど、それだけでもやってくれる人がいると全然ちがう。 

 

 

 

 
 

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