( 195892 ) 2024/07/29 02:34:18 1 00 永山竜樹が男子60kg級柔道の準々決勝での不可解な判定により敗れた事件が起こった。 |
( 195894 ) 2024/07/29 02:34:18 0 00 男子60kg級・準々決勝、不可解判定で敗れた永山竜樹。抗議を続けたが、最後は一礼して畳を下りた photograph by JMPA
「そもそもの話として、永山は落ちたよね? どうだ? 落ちたのか落ちてないのかどっちなんだ?」
【現場写真】「ナガヤマは落ちただろ?」「これはヒドい」“待て”なのに首を締めるガリゴス&ぼう然の表情…握手拒否する永山など誤審疑惑を写真で見る(15枚超)
「それはトータルで見れば落ちていた。ぐらっときていたと思う」
「だろ?」
論点はそこではないはずだった。それなのに勝ち誇ったようにほくそ笑む審判団を見て、日本代表監督の鈴木桂治は向こうが議論をするつもりはほとんどないのだと悟った。
パリ五輪の競技が本格的に始まった7月27日、柔道の競技会場となるシャンドマルス・アリーナでは、準々決勝までの午前のセッションが終わり、スタンドからお客さんが帰り始めていた。その中で日本代表の金野潤強化委員長、古根川実コーチ、そして鈴木監督が説明を求めて審判席に集まっていた。男子60kg級の永山竜樹が受けた誤審とも思える不可解な判定の中身を質すためだった。
スペインのフランシスコ・ガリゴスと対戦した永山の準々決勝。相手は昨年の世界選手権覇者とはいえ、過去6戦全勝の永山に分があるように思われた。
開始直後から得意の内股を仕掛ける永山は、それを潰され、そこからひっくり返されそうになるのを耐える。まったく同じような展開をリピートした後、2分過ぎに三度同じ流れが起こった。少し不用意に繰り返しすぎたのかもしれない。今度は相手に袖車絞めをかけられた。
ガリゴスの腕と自分の首の間に指をねじ込んで必死に堪え、両足を絡ませて相手の体を懸命に引きずり下ろそうとする。絞められ始めて20秒ほど経っただろうか。主審が「待て」を宣告した。
ところが、ガリゴスがすぐに力を緩めない。6秒ほどしてようやく離れた時、永山は失神していた。すぐに目を覚まして自力で起き上がったものの、主審はそのときすでにガリゴスの一本勝ちを宣告していた。
「待てがかかってただろ!」と客席から日本人の声が飛ぶ。永山も収まらない。ガリゴスの握手を拒否し、相手が引き揚げてからも畳の上に残った。もちろん次の試合も始まらない。ブーイングが大きくなる。それは判定に対する疑問の声というよりは、それを受け入れない永山に対するものに聞こえた。その証拠に、3分ほど経ち、観念した永山が一礼して畳を下りるときには拍手が起きた。
「待て」がかかれば試合は止まる。なぜ主審は絞め続けるガリゴスを見逃したのか。
もし「待て」の前に永山がすでに落ちていたと判断したのなら、なぜ「一本」と言わなかったのか。2000年シドニー五輪で起きた篠原信一vsドゥイエ戦での誤審騒動を思わせるような理解に苦しむ判定が再び起きた。
納得しきれない永山は、畳を下りて古根川コーチに「完全に待てって聞こえてたんで(力を緩めた)」と訴え、金野強化委員長も状況確認にすぐ近寄ってきた。しかし、その場でそれ以上できることはない。永山は敗者復活戦に回ることになった。
鈴木監督によれば、現行のレギュレーションではリプレーの要求など含めて判定を覆すような方策はなく、永山が畳の上に居残って抗議したこともむしろ問題視され、金野強化委員長に対して厳重注意が出されたという。セッション終了後の審判団との協議についても「判定が覆る可能性は小さいと思っていた」とわかった上での行動であり、その様子をスタンドから見ていた前代表監督の井上康生も無念そうにこう言った。
「(準々決勝まですべて終わった)この時点で判定が覆ることはないでしょう。そんなことになったら(この後の試合スケジュールなど)すべてを組み替えないといけない。だから審判団が認めることは絶対にない。認めたとしても後日だと思います」
協議の中で冒頭のようなやり取りがあり、日本側の意見と審判団の説明自体はまったく噛み合わなかった。
鈴木監督は憤る気持ちを必死に抑えながら語った。
「僕らが言っているのは落ちた落ちてないじゃなくて、待てと言われた後に6秒間絞め続けることが柔道精神にのっとってますか? ということなんです。最近の国際柔道連盟は安全性や柔道精神に基づくルールをすごく厳しく作っている。それなのに審判の待てを関係なしに絞め続けることがフェアプレーなのか。むしろ相手にペナルティが行くべきなのに、こんな判定を許していいんですかと」
審判団はそこには触れず「あのタイミングで『待て』をかけたことは間違いだった。試合を継続するべきだった。だが、絞めで落ちたからルール通りの裁定だ」という辻褄の合わない説明を繰り返したという。
「最終的には主審が落ちたのを確認したとか、どんどん向こうの都合のいいように話が変わってきて収拾がつかない。永山選手は待てと言う声が聞こえていたと言っている。我々はそれを信じるだけです」
前回の東京五輪同級金メダリストで、今回も永山と代表を争った高藤直寿も会場で見守っていた。
永山は20秒間はガリゴスの絞めを耐えられていた。相手が力を抜いていない以上、「待て」の声が聞こえた後も粘り続ければ結果は違ったのではないか。そう尋ねると高藤はこう答えた。
「そのままの体勢なら落ちなかったはず。そこで力を抜いたのが……」
高藤は最後までは決して言わなかった。スポーツ的な観点で言えば選手の責任とするのは酷な話だ。しかし、それが畳の上で『戦っている』柔道家の実際的な思いでもあるのだろう。
永山自身も同じだった。
割り切れない思いを抱えたまま、わずか2時間ほどのインターバルで臨んだ敗者復活戦、そして3位決定戦に勝ち、銅メダルを獲得した。ミックスゾーンではときに目に涙を浮かべながら、「自分の隙だった」と繰り返した。
「踏ん張っていたところで待ての声が聞こえて、そこで自分が気を抜いてしまった。そのちょっとの隙が負けに繋がった。ちょっと力を抜いたところにしっかり絞めが入ってしまった。そこからはちょっと記憶がないんですけど、待てがかかってから結構長くて、気づいたらああいう形になっていました」
28歳にして初めてチャンスを掴んだ大舞台。初戦から延長にもつれこむ苦しい試合で、そこを切り抜けたと思ったら不可解判定での敗戦とオリンピックの難しさを痛感した。
「準備の段階からいろいろなことがあって、いろいろな思いもあって、オリンピックで金メダルを獲るって本当に険しい道だなと感じていました。試合が始まったら思い切ってやろうとしたけどなかなか難しかったです。他の選手も動きが硬く見えたし、その中でも金メダルを獲るのが金メダリストなんだなと」
あくまで自分に責任を求めた。最後まで主審への恨み節は口にしなかった。
(「オリンピックPRESS」雨宮圭吾 = 文)
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