( 197111 ) 2024/08/01 15:32:01 2 00 「平将門の首塚」が大手町の超一等地から撤去できない「ゾクリ」とするワケダイヤモンド・オンライン 8/1(木) 12:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f26941691d349d3251e17090be1997982e7c720a |
( 197114 ) 2024/08/01 15:32:01 0 00 Photo by Satoshi Tomokiyo
千代田区・大手町のオフィス街に祀られている「将門塚」をご存じだろうか。その昔、討ち取られた平将門の首が平安京から飛んできて、この地に落下したのが始まりという、都内の有名なオカルトスポットである。こんな酷暑の時期だからこそ、改めて将門塚にまつわるエピソードと真実を振り返り、ゾクリと涼んでいただきたい。(フリーライター 友清 哲)
都心の真ん中に佇む「平将門の首塚」
● 空を飛んで故郷へ帰った 将門の“首”
千代田区・大手町のオフィス街のど真ん中に祀られている「将門塚」。これは平安時代中期の豪族、平将門の首を祀ったもので、別名「首塚」とも呼ばれている。
将門といえば、時の朝廷・朱雀天皇に対抗して「新皇」を名乗ったことから、朝敵として名を馳せた人物である。しかし即位から間もなく、藤原秀郷らに討ち取られてしまったことはよく知られている史実だ。
問題はその後である。伝承によれば、平安京で討ち取られた将門の首は、強烈な無念の思いから空を飛んで江戸に戻り、現在の千代田区内に落ちたという。その日、周辺は昼間でありながら闇に包まれ、大地は鳴動したとされ、恐れ慄いた村人たちは将門の怨念を鎮めるために、首を落下地点に埋葬して塚を建てた。これが将門塚の起源である。
現在、高層ビルが林立する一等地でありながら、ぽっかりと穴があくように佇む将門塚。周囲の地価を考えれば、その風景はいかにも不自然に思える。
調べてみると案の定、将門塚には撤去できない“事情”が存在していた。
● 将門の怨霊が引き起こした “祟り”とは?
塚を建てたことで将門の御霊は、一度は怒りを鎮めたかに思われたが、そうではなかった。周辺地域では何年もの間、水害や水難の類いが頻発し、人々はそれを将門の祟りと捉えて恐れ、震え上がった。
そこで時の僧侶が板石塔婆を建てて、あらためて供養したのが徳治2(1307)年のこと。この際、近隣の神田明神に将門の霊を祀ったことで、ようやく怨念は鎮まったという。
ところが大正時代、1923年の関東大震災で塚が倒壊したのを機に、再び将門の怨霊は猛威をふるい始める。具体的には、この地で不自然な事故や災害が相次いだのだ。
例えば、将門塚の跡地に旧大蔵省が庁舎を建てようとしたところ、工事関係者や省の職員に不幸が相次いだのは有名な話である。そればかりか、できあがった庁舎を雷が直撃したり、時の大臣が急死したりと、不審な事故が立て続く。
さらに戦後に入ってからも、焼け野原となっていたこの地にGHQが駐車場を造成しようと工事を始めたところ、重機が横転する死亡事故が発生。こうした災いは枚挙にいとまがなく、気がつけば将門は、崇徳上皇と菅原道真と共に「日本三大怨霊」に数えられることとなる。
こうした一連の奇妙な事故について、単なる都市伝説と疑う向きも多いだろう。実際、筆者も怪談の類いと高をくくっていた。
しかし、いざ現地を訪ねてみれば、将門塚が祀られた一帯は、日本の経済成長に伴って目覚ましい開発が進められてきたエリアであることがひと目でわかる。これほど地下が高騰した現代において、いまなお将門塚がそのスペースを維持し、静かに鎮座している光景をどう説明するべきか――?
● GHQを真剣に悩ませた ブルドーザーの横転事故
筆者は以前、将門塚保存会の運営者である神田神社の関係者に、将門塚について直撃したことがある。神職の立場からすれば、祟りだ何だとメディアに騒ぎ立てられるのはさぞ不本意だろうと思いきや、返ってきたのはあまりにも意外な言葉だった。
「かつてこの場所に大蔵省の庁舎が置かれた際、大臣が病死したり、庁舎が落雷を受けて燃えてしまったりしたことは、当時の新聞にも載っている事実です。また、GHQが工事を進めようとした際にブルドーザーの横転事故が起きたというのも、やはり事実であると聞いています」
なんと、祟りとされる一連のトラブルは、どれも事実だったのである。とりわけ後者については何度も事故が続き、困り果てたGHQ関係者から当時の神田神社の氏子総代に「どうすればいいか」と深刻な相談があったという。結果的にGHQがこの地の工事から手を引いたのは、“目に見えない何か”に屈したように受け取れる。
朝敵として語られがちな将門は、歴史の物語においてどうしてもヒール(悪役)として扱われることが多い。そのイメージが今日、怨霊の伝説に拍車をかけているのは否めないだろう。しかし、先の神田神社関係者はこうも言う。
「平将門は非常に勇壮で大きな力を持った人物で、関東ではむしろ英雄視されています。噂というのはどうしても面白おかしく拡散されるものですから、こうして怨霊のように扱われてしまうのも致し方がないでしょう。でも、そもそも祟りというのは悪いことをした人に起こるもの。そうでない人にとっては、何も恐れる必要はないはずですよ」
たしかに歴史を詳しくひも解いてみれば、政権を握る藤原氏が京都で権力をふるっていた頃、人々は悪政に悩まされ、衣食に困窮していたとも伝えられる。見方を変えれば、将門には大きな期待が寄せられていたのかもしれない。
また、討たれた後もこうして祀られ、これだけ長きにわたって存在感を発揮し続けている事実から、「それだけ強い力を持った神様であるとも言えます」(先の神田神社関係者)という解釈も成り立つだろう。
● 1000年の時を越えても 失われない将門のパワー
将門塚を含む現地周辺のブロックは、ここ数年の間にも再開発工事が行われているが、開発計画のエリアから見事に将門塚だけがはずされている。
そればかりか、塚の三方を囲む高層ビル内では、嘘か真か、将門公にお尻を向けないよう、塚がある方向に向けて机を並べているとも聞く。1000年以上の時を経てもこれほどの影響力を発揮しているのは、たしかに将門の強力なパワーの賜物というほかないだろう。
何より将門は、首1つになっても「帰りたい」と強く念じ、ついには空を飛んでいったほど、故郷を大切に思っていた人物だ。祟り神と見るか、それともこの土地を大切に守るために帰ってきた存在と見るかは、受け手の心持ち次第なのかもしれない。
そう視点を切り替えてみると、常に手入れの行き届いた将門塚は、コンクリートジャングルの中の一服の清涼地と思える長閑なスポットで、心安らぐ雰囲気すらある。
将門の「帰りたい」という強い想いになぞらえて、塚には蛙の置物がいくつか奉納されている。最近では、行方の知れない家族の安否を懸念する人や、不本意な転勤を命じられた会社員がお参りに来ることも多いという。
将門塚は単なるオカルトスポットではない。むしろ、関東随一のパワースポットとして鎮座する、偉大なる旧跡なのだ。
友清 哲
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( 197113 ) 2024/08/01 15:32:01 1 00 平将門の首塚の周辺には、様々な説や噂が存在しています。 | ( 197115 ) 2024/08/01 15:32:01 0 00 ・たったこれだけの土地なんだから、そっと置いておけばいいと思う。 神社だって簡単には撤去しないです。 むしろ、何も触らず、きちんと手入れをしておけば、何も起こらないんだから。 まあ、最近よくニュースでも見かけるが、外国の人間が土地を買うことだけは避けないと。 あと、鳥居に落書きするやつとか。 ある意味そういった奴らと、それを助長している国を祟って、日本を守ってほしいわ。
・平将門の生涯を描いたNHKの大河ドラマ 『風と雲と虹と』
加藤剛さんが平将門を演じた
現在放映している『光る君へ』は京都にいる中央貴族から見た視点で描いている
それに対して『風と雲と虹と』は中央へ税を納める地方からの視点で描いている
時代は50年ほどのズレがあるが両方視聴すれば平安時代というものが理解しやすくなると思う
古い作品で再放送はしていないが、レンタルは可能だと思うので興味のある方は是非一度ご視聴を
・月に数回は参拝に行きます。 サラリーマンや一般の人も参拝に来ますが、大企業の重役のような人が運転手付きの高級車で参拝に来る事が多いです。 多くの人が歩道から首塚の階段を上がる前に一礼し、階段を上がり供養塔の前でまた一礼、拝んだ後にも一礼、最後に階段を下りて歩道に出たら振り向いて一礼をしています。
・比叡山には将門岩があります。平将門が討ち取られて京都で首を晒された時、将門の首が飛んでいき比叡山の岩の上に落ちて関東の方角に飛んでいったと言う伝説がありますね。京都にも平清盛公のお屋敷があった場所に今若一神社が建ってるんだけど、神社の道路側に平清盛公が植えたとされる木があってそこには座敷わらしがいると言われてる場所ですが、そこも道路の拡張工事の時に木を切ろうとしたら不慮の事故が起きたり原因不明の病にかかったりしたからその木を残して道路整備をしたと言う話がありますね。今もちゃんとお祀りしてたくさんの人が座敷わらしに会いに参拝してますよ。
・当然の事ですが、首塚に本当に将門の首が埋められている訳ではありません。 では、実際には何の力も無い場所なのかというと、そうではなく、何百年にも渡って平将門を神様として祀ってきただけの事はあって、大手町周辺を護る強力な加護の力が働いていると言われています。 数年前の将門塚の改装工事により、この加護の力が一時的に弱まり、将門塚周辺のオフィスビルでは、不可解な心霊現象が発生していたという話も聞きます。
・将門の首塚に限らず日本には 山梨の神社の朴の木とか 六甲山の岩とか 府中競馬場の大ケヤキとか 触れたり移動させようとしたりすると良くない事が起きると言う曰くの有る物が多々有る
科学でオカルトのあれやこれやが明かされていく中、まだまだ不思議な物は有るんだよね
・岐阜県大垣市に御首神社という神社があります。将門公の首が京都から関東に飛んでいるときに土地の神様が放った矢に当たりこの地に落ち、祀られたという由来ですが首は関東まで飛んでいかなかった?折を見て参拝しますが勝負の神様ということでご利益が凄いです。息子が中学受験時に昇殿参拝し見事名古屋の志望校に合格、高校3年時にも参拝し旧帝大に現役合格できました。大手町の首塚にも上京した折に参拝しますが改装されて樹木が無くなり非常に明るい開けた感じになりましたね。改装前も別におどろおどろしい雰囲気はなく、荘厳な感じがして良かったですが。
・首塚は何回か訪れた事がありますが、いつ行っても綺麗なお花が供えられていて、周辺の方が大事にされているのが窺えました。大都会東京の皇居に近い超都心に、このような歴史ある一角が保存されているというのが大変興味深いと思います。周囲の近代的な高層ビルとのコントラストやギャップに、武蔵~江戸~東京の長い歴史を感じられます。
・今は見る影もありませんが、ここは古墳だったそうです。関東大震災で焼け野原になった写真で前方後円墳の姿が浮かび上がっています。平将門の乱から戦国時代まで関東武士団は独自の勢力を維持して来たし、それ以前の古墳をそのシンボルにしてきたのなら、それは古代まで遡るのかもしれません。
・京都の四条西洞院に実際に首が晒されてた場所あるんだけど、昔はそこも忌み地。今も保存されてる。そこから首が飛んでくるはずはないけど、首塚は大事にされてるよね。
後から近所に江戸城できて、徳川家、天皇家が引っ越し、世界の三井物産本社まででき、 江戸期に酒井雅楽頭の屋敷に収容されても、伊達騒動みたいな刃傷沙汰起きたりして今に至ってる。信じるも信じないも自由だけど、ブルドーザー事件も本当らしいし、なかなかのど根性ぶりだよね(笑)。
兜町も平将門の兜を埋めた場所だからやっぱり「引き」は強いよね(笑)。関東では英雄扱いなんだな。
・以前は円噴のような小山がありその横に塚がだったそうです。保存会もあり代々管理をされていますよね。関東武蔵の国の守護神として。 近年の改装工事は雰囲気を軽くしましたが、近くの外務省の方など外国へ行く時にカエルの作り物を供えて無事な帰国を将門塚で願う場所です。高僧により南無阿弥陀仏で封じてあります。
・将門の話が占領軍総司令官マッカーサーまで 報告が入ったさいに彼は一笑したが 偶然、ハルゼー元帥との懇親時に、 ハルゼーから撤去はマジで止めたほうがよいとアドバイスがあり、それを聞いたマッカーサーの妻も同意見であった。 結局、二人の元帥クラスまで畏怖を与えた 将門は、 やはり今も日本を見守ってくれているんだな。
・以前は木があり静かに魂を祀る場所としてふさわしい雰囲気があった。なぜかわからないが、今はガランと吹きさらし、囲む高層ビルから見下ろすかたちになっている。この、見下ろす吹きさらし、がとても気になる。今からでも、低木でも木で囲み上からの見下ろしができないようされたほうがいいように思う。 この工事に関わった方々は何事もないのだろうか。
・首塚は元は古墳だそうで、かつては塚とおぼしきものもあった。将門伝説と結びついた理由は不明だが、千葉の市川にも八幡の藪不知というのがあって将門の墓所という言い伝えがあり、駅から目と鼻の先で、大した広さでもないのに、昼も尚暗く誰も近寄らない。入った人は出て来れないという。比叡山には藤原純友と天下を東西で分けようと談合したと伝わる岩がある。荒俣宏氏の「帝都物語」のモチ-フにもなっていた。
・元々は小さな村にあった古墳。将門の首が落ちてきたという場所で村人は首を洗って埋葬したものの、飢饉や疫病などの不幸が続いたという。飛んできた将門の首を村人は首を洗って埋葬したものの、飢饉や疫病などの不幸が続いたという。1307年、諸国を巡礼していた僧侶・他阿上人(真教上人)が村人の窮状を聞き、古代からあった古墳を将門の墓に見立てて供養したとされる。 つまり最初から将門の首塚であった訳ではなく、首を埋葬してる場所もここではない。
・アトラスさんが真・女神転生を製作する際にも 必ずお参りにいくという話をきいたことがある。 同作には出演しまくっていらっしゃるし、 出演料くらい払ってもバチはあたらないと思われる。 いろいろな逸話もあるし、東京を守ってくれているならばそのままでもよろしいのではないだろうか。
・日本にはこの首塚のような、嘘かまことか分からないけど、昔からの伝承で壊したり、移動すると祟られるよと言われる場所は幾つもありますよね。 羽田空港の大鳥居だってそうだし、嘘とか噂だからと一括りにしてしまうのもどうかな?と思う場所は多い。 そう言う場所は無理にどうこうせずに、今のままを維持した方がいい。 先人の知恵と言うか、それこそ触らぬ神に祟りなしですよ。
・昔西宮市に住んでいた頃に仕事でよく通る県道の真ん中に大きな岩と樹があって道路が二股に分かれていた 夙川から裏六甲を抜けて三田に行く途中確か北山公園辺りにあり先輩からは心霊的な怖い話しを聞かされて深夜に通る時は気持ち悪いので見ないように走った 今もそのままに有るのだろうか?
・羽田空港に有った神社と鳥居も壊そうとすると工事関係者が負傷なりしたとの話しが有りましたが、平成の羽田空港拡張工事で、その神社を移転させましたが、別に祟りは無かった。将門とかは、根は民衆の反権力のシンボルとして崇拝されてましたし、それが祟り伝説になったかもしれない。そして、その伝説が壊そうとした工事関係者にも心理面で間接的に影響を与え、それが事故に繋がったかも?とはいえ、昔からのタブーを侵す必要もないが。
・今住んでいる街に御首神社という神社があります。 伝承によると、京都で首を刎ねられた将門公の首が故郷に向かい飛んで行った際に矢で撃ち落とされた場所であるそうで、そこが祀られているそうです。都市伝説で刃物持ってこの神社の境内に入ると祟られるという話聞いたことがあります。
・建て替える前の三井物産では、本当に首塚に背を向けた席を避けていました。 ビルの2階に社員用の歯科があり、ガラス窓から首塚が見えるブースでの治療の時は、心の中で足を向けてすみません、と謝っていました。
・迷信と思いながらもやはり障りを怖れるのは日本人共通なのかなあ。八幡の藪知らずも公道に出た竹の伐採は日本の迷信の影響を受けない外国人の業者がバッサリやってくれた話を聞いたことがある。
・私は昔お堀の所にあるホテルにおつとめしていました 私も大手町が大好きです あんなにすごいオヒィス街なのにほっとするんです 将門様もきっと気持ちは同じなのかもしれません 今度大手町にいったら手を合わせたいと思います
・茨城県坂東市に将門神社というのがある。 将門の館跡に建っていると言われているが、以前の周辺洪水災害時も被害なし。 もともと低い土地に建っていなかったためとも思われるが、実力者であったことが偲ばれました。
・私の母校でもある某私大、敷地が狭いので新校舎を建てる際には古い建物を壊してからでないとムリ。一棟だけ旧陸軍に接収されていたというボロ長屋があったが、これが謎の元凶だった。取り壊しが決まると必ず亡くなる学生が出る。過去数回繰り返したらしく、ほとぼりが冷めた頃に計画しては事故が起きて白紙に戻る。私の在学中も事故で学生が亡くなり、あっさり工事が中止になった。卒業後しばらくして新校舎が建ったらしいが、その時に何か起きたのかは聞きそびれた。その後幽霊話などもないから、今となっては怪異の原因も分からない。もしかしたらその正体は、使途不明金とか資金不足とかの「知られたくない話」だったのかもしれない。ちなみに幽霊は隣の公園や近所の病院には出るらしい。
・昔勤めていた会社は毎年仕事納めの日に重役たちがそろって参拝していたが、その会社もビルも今はなくなり、首塚だけが残っている。 でも今の首塚はきれいに整地されすぎて、以前感じたようなビル群の中での違和感はなくなっている。
・羽田空港駐車場にあった 穴守稲荷の鳥居は GHQが撤去しようとして ブルドーザーが横転して 死亡事故が起きた それ以前も撤去しようとすると 何らかの事故等の話もあった
そして撤去されたが クレーンで 引き上げた瞬間 それまで無風だったのに 急な突風がふいた
移転先でも 強い霊気が 何年も続いた
・強烈に未練や恨みを持って死んだ人は数え切れない程いると思うが有名人だけが強大な力を持つのはよくわからないな。 名無しの怨霊がいてもおかしくないし、怨霊であふれかえっていてもおかしくない。 超常の何かは信じたいけれど、人の思い込みで出来ているというのが正しい所じゃないだろうか?
・将門公が関わるドラマや映画を作成する時も、参拝に行かないと収録で事故が多発したそうです。 そして、参拝するとピタッと事故が起こらなくなるんだとか。
不思議なものですね。
・新皇になろうとした将門公の目の前に天皇家が存在する不思議。江戸時代まではただの湿地帯で何も無かった場所。信長公秀吉公家康公が出て、明治維新に至り天皇家がこの地に定住した。没後1000年後にこの場所にあった大蔵省が落雷で全焼してるのも凄すぎる。
・悪い事をした人が祟られると言う説明には違和感が。普通は無念の死を遂げた人が物怪(古くは鬼)となって周りに祟りを撒き散らかすので鎮魂のために祀られると言われている気がする。日本の神様は強大な力を持っていて扱いを誤ると甚大な災厄をもたらすが、きちんと祀ると御利益があると言うもの。悪事関係ないと思う。
と言うか、せっかく神田明神の神職に話で新聞に出ていたと聞いたなら新聞の元記事くらい探すフリくらいしようよ。神職が自身で確認したのならまだしも、こらではまた聞きのまた聞きクラスのアテにならない噂話の域を出ない。
とても暑い夏なんでお手軽に背筋が寒くなる話と思って書いた記事なんだろうけどさ。
・こういう話題はオカルトの分野だけど実際の所どうなんだろうな 例えば恐山って青森にあるけど石を持って帰るとよくないことが起きるとか いろいろ言わてるし全国にもそのようなところがあるんだろうね。
・私は霊感はさほど鋭くは無く、むしろ鈍感な方であると自認していたのですが、初めて興味本位で首塚に行った際、とてつもなく気味が悪く成り一帯が何かに包まれており、不気味さを感じ取りました。それ以降怖くてその地を訪れた事はありません。なにがしかの霊気が漂っているのを感じた次第です。中途半端に興味本位で訪れる所では無いと反省しました。
・長澤まさみさん主演の「都市伝説の女」でも取り上げられていましたね。 第1話ですから、それだけテーマ性が強いと認識されていたのだと思います。
・>将門といえば、時の朝廷・朱雀天皇に対抗して「新皇」を名乗ったことから、朝敵として名を馳せた人物である。
しばらく前の歴史もののヤフー記事で,「なぜ過去の武士は天皇に取って代わろうとしなかったのか」という内容があった。征夷大将軍という,倉庫の隅から引っ張り出してきた無意味な官職に甘んじたわけだ。私はこの記事を読んだとき,「平将門がいるぞ」と密かに反論した。しかし,彼の軍勢は農民の寄せ集めであり,農繁期になりいなくなったと読んだことがある。
日本の歴史は「東西の拮抗」と解読されることがあるが,この時代は東優勢になったらしい。気候温暖化と広大な土地を利用した騎馬軍団を背景にして。気候上の東有利な条件は,江戸時代の小氷期で逆転する。
平将門の怨念への恐れは本記事のとおりだが,不思議と古典落語にはそれを扱った演目が思い当たらない。一般大衆にひろく認識されていなかったようにも,私には思える。
・ウチは江戸っ子だが、代々、成田山はお詣りすべからずとなっている。 オイラ海外出張の多い仕事しているんだが、羽田の国際線が拡張され成田にあまりいかなくなって、祖母が、オマイさんの渡航が安全になった気がしてなんか安心した、と言っていた。
・羽田沖の飛行機事故も、当時の空港関係者が羽田にあった将門の塚を無動作に動かしたからと言われてる。それから、丁寧に扱って移動したとかしないとか。しかし、羽田で事故が起こるたびに、将門の祟りかなとも思う。
・関東では工事安全祈願に、成田山新勝寺にお参り安全祈願の御札を頂くのか多いが、坂東市(旧岩井町)だけは新勝寺の祈願で将門か平定された恨みから、成田山への安全祈願はしません。
・かつて首塚へ行こうとしてナビを入れ向かったが、どうしても近くまで来ているのに迂回させられ、グルグル周辺を回されて辿り着けず、かなり遠くに車を止めて歩いて見に行ったことがある。 あの辺は何か違う空気が漂っていて神妙になる。
・怨霊とか祟り神と言われてますがそうじゃないですよ。 将門命は腐敗しきった中央から関東の民衆を救ってくれた方です。 未だに皆んなを護ってくれてるだけです。 あの場には『場の記憶』というものがあり、その記憶と波長があった人が自らの罪悪感が引き寄せて事故に遭ってるだけですから、将門命が何かをしてる訳じゃないですよ。 護って貰ってる土地でもあるにも関わらず、自分達の勝手な私利私欲で邪魔だから撤去してしまおうなんて、それぞれの人が良心の呵責が引き起こしてるというだけの事です。 人間は『ありがとうございます』や『感謝の気持ち』を失ってはいけないという事ですね。 それらを気付かせてくれる大切な場所なので怖くとも何ともありませんよ。 逆に感謝の気持ちを持って手を合わせれば、力強く護ってくれ続けます。
・将門曰く、我が祟りを畏れぬ不届き者め、祟られる勇気があるならやってみせよ、というやつよ。
まぁそれはともかく、そもそも神社や寺の類は昔からその場にあるのでそこの土地には優先権があるでしょ。自治会や神社庁はじめとする関わりがあるはずなので簡単には退かせれないはず。
・こことさらし首があった場所を直線で結んだ線上に鳥越神社があって、将門公の首が飛び越えていった事から鳥越じゃなくて飛び越え神社だったなんて話を聞いたことあります
・泣く子も黙るGHQも将門の見えざる力には屈したんだな。 「何とかしろ!」と言っても誰にもどうにもできないし、あまりに無理強いすると責任者である自分(GHQ将校)がかつての蔵相のように謎の急死を遂げたりしそうで怖いからな。 怨念や死者の霊とかは洋の東西を問わず皆が畏怖するものだから。
・そう、善良な人に危害は加えないはずです。 GHQは言わずもがな、時の大蔵省も戦争遂行の為に躍起になったり。平和を乱す様な人には祟りがあるんじゃないですかね。 まぁ私自身は善良な市民とは思ってないのでお近づきにはならないようにします。
・将門の本拠地は下総国。対して丸の内は当時から武蔵の端なので、はるばる都から舞い戻った首は故郷を目の前にして落下したという事になる。悔しさ倍増でしょうか。
・今となっては貴重な観光地 インバウンドのこと考えたら、このまま残して外国人向けに高額な拝観手数料とか、体験出来る施設とか作ると良いかもね
・YouTubeの心霊番組の ゾゾゾの第1回が確か こちらの首塚でしたが、 さすがにあれは怒り買ってもおかしくない そんな映像でした。
画面も赤くなってましたし。
いつからかゾゾゾ、 見なくなりましたが 最近は まめチャンネル(バイク旅の方) 見て癒されてます。
・再開発すると聞いて注目していたけど、三井さんも将門公には手を出せなかった。工事中もちゃんと参拝できるようになっていて、結構気を使っていた様子でした。
・何で見たか忘れたけど(かなり前)、平将門は悪霊ではなく、日本を守ってきた守護の霊(守護神かも?)だと霊能者が言っていたな。あと、ここはパワースポットだとも言ってたな。
・平将門公の首塚もさることながら、昔から大事にされてきた場所は、何らかの力のある場所だから大事にされてきている そうした場所は大事に守っていかなきゃいかんのだよ 無闇矢鱈に手を付けたらイカン
・爆笑問題の太田が蹴ったとかネタか何かで聞いた事ある。 特段祟りはなかったようだけど、その後ステージですってんころりんして強打したのがそれかな。
・将門公と明治帝と東照大権現の仲というのはオカルト界隈でも意見が分かれてんのよなぁ むちゃくちゃ不仲という意見からなんやかんやで和解してるって意見までいろいろあるけど
・>伝承によれば、平安京で討ち取られた将門の首は、強烈な無念の思いから空を飛んで江戸に戻り、現在の千代田区内に落ちたという。
こういうのって誰が最初に言い出したのか色々と興味深い
・もちろん怨霊だの幽霊だのは人間がここ数百年、数千年で考え出したにすぎない非実在のものなので事故だのは偶然に決まっている。 けれど、もうここまできたら地球が消滅するまでこの土地に置いておいていいでしょう。
・首が飛んできたってのはオカルトだろうけど、部下が体の一部を取り戻して地元に祭ったというのは普通にありそう 祟りだ出るから封印したっていえば朝廷もわざわざ掘り返さないだろう
・当時、災難が続いていた事から、関係者は「平将門」を平の「まさかと?」或いは「またかと?」と思ったかどうかは、これを証明する古文書他その類いは切残っていない!(某時代劇テレビ番組より引用)
・羽田空港の大きな鳥居にも似たような話がありずっと動かせずにいましたが、1999年に祈祷を行ったうえで移設しました。 その際には事故らしい事故は起きませんでした。
・「帝都物語」読んで見に行きました。先入観もあり霊感のまったく無い自分でもかなりゾクッとする一角ではありました。 残すべきと思います。
・いつもの地下鉄出口が使えず、他の出で道を歩いたら何故か首塚に出でしまい、やばい…と走って会社へ。
身体が重かった一日中。
帰宅してから、いつも駆け寄る犬が見るだけで来ない。 猫も見るだけで来ない。
祖母が、「あぁ、妙なもん、くっつけて来た」と肩を庭先で叩いたら、なんだか落ちついた。
・将門塚の跡地に旧大蔵省が庁舎を建てようとしたところ、工事関係者や省の職員に不幸が相次いだのは有名な話である。
有名な話で済ますなや。 記事を読んでる人は知らない人が多数いる。 具体例をいくつかあげろよ。
・もし将門の怨霊が関係しているなら、お祓いをして坂東の国王神社に移送出来ればとも考えます。 何か起こるかもしれないから触るなと言う話になるでしょう。 このような場所は、日本中に結構あるでしょうから、基本的には何もしない事でしょう。
・地元住民です 都市伝説の数々は進駐軍に将門塚を保存してもらう為に私の祖父を始め現在の保存会が流したデマです NHKでも検証されて事実無根だと判明していますよ
神田神社の氏子でもない人、ただの通勤客がお詣りしても御守護はないでしょうけど
・今は、関東を守護される神様でしょ? 宗教が違っても歴史のある町には寺院とか旧跡がチラホラあるものです。 祠一つを邪魔に感じる現代日本こそ、寛容性が薄いのではありませんか?
・メガテニストにとっては馴染みの人だね。職場から割と近いからたまにお参り行ってるけど、こんなトコにも外国人観光客来るんだよあな。後はそこら辺のサラリーマンのオッサンが昼休みがてら良く来てる。
・すべてがこじつけだろ。 怨みつらみで怨霊になるなら、戦争で亡くなった人なんかどうなんるんだよ。 日本全国どころか世界中の人達の首塚があってもおかしくないだろ。 動物だって人間に惨殺されて食われてるんだから、みんな怨霊になってもおかしくないしね。 考えすぎだしこじつけしすぎ。
・ここほど目に見えない力を信じざるを得ない場所は中々無いでしょう。 毎年箱根駅伝スタート見てからお参りしてます。 明日無事に戻って決ますようにと。
・首塚からもけっこう近いと思うが 外資系Pタワーは火災があったホテルニュージャパンの跡地に建って そこで働く人は残業しててなにか見たり でるという噂があるが本当か?
・成田山新勝寺をお参りした人は神田明神をお参りしてはいけないといわれるね。 首塚には何度か行きましたが、すごいパワーですね。
・祟るのなら相手は朱雀天皇や藤原氏やその一派、或いは京都や平安京であって、地元に帰って駄々こねるってのは…
で、引きこもって邪魔すんなって周りに当たり散らすって感じ?
或いは、口車に乗せ御輿に担ぎ上げた人らに恨みを持ってたとか?
・あらゆるデベロッパーはこの遊んでる土地を手に入れたいだろうな 因みに実際に将門の首が埋められているのは埼玉県幸手市の浄誓寺
・何年か前NHKBSの番組で詳細にこの言い伝えを検証してたけど、結論としてはデマカセだった。 ただこの噂が定着してからは、あえて撤去しようという意見も出ていないのは本当だろう。
・何回か行っていますが 30年前は独特の雰囲気があっておぉ・・・って感じでしたが 数年前に行った時は晴れやかな雰囲気に変わっていました
なんかあったんですかね?
・今はどうだか分からないが、「三大祭の神田明神を敵に回すたぁ、ふてぇ野郎だ!」と啖呵をきる、そんな江戸っ子の姿を思う。
そも、将門公の首塚は何処にある? 鬼門は北東、ならば逆の南西には何がある。 良き政をせねばひと睨みにて、桑原桑原。
・平将門がヒールと思ったことは一度もないけどな
確かに朝廷に弓引く者として描かれるが、圧政から解放しようとした正義だと思ってる
そんな私は東日本出身
・こう言う話が続いているから 悪徳自称霊能者に 先祖の祟りがーー とか使われるんじゃないの? そもそもここに頭蓋骨あるなら 掘ってしらべりゃいいじゃん。 もはや土になってるかもだけど 痕跡くらいは分かるんじゃないの? 何でも関連付けて恐怖対象にするのも どうなの?って感じ。 古い人の念がそんなに続くわけないじゃん。
・私は2011年に北朝鮮拉致被害者団体からもらった北朝鮮への手紙を平将門の首塚の近くにあるポストから投函したら金正日が死去したことがありましたので
・色々言わないでお詣りに行ってみれば良い。平日でも祈ってる人がいる。将門は怨霊なんかじゃなくて、江戸の守護神ですよ。行けば分かる。
・霊感の強い友人は首塚と京都がタブーだったなあ 京都に関してはとばっちりで私が大怪我した事ある位だった
・あの辺り、気にしないで歩いていても空気が変わるのがわかる いつも思うのは見下ろす形で立っているビルに勤めている方々には何も無いのだろうか?
・昔、知らずに付近を歩いていて、ふいに現れたのが、ここ。 「これがあの、有名な首塚」とは思いました。 悪い感じは受けなかったけど、単に私が鈍い人間だからかもしれません。
・ビルの建設現場行ってたけどよく朝手を合わせるサラリーマンみた。 悪い事ばかりではなくご利益もあるみたいだよ
・一等地だからと言って、撤去なんてしなくても良い。 そこにある、そこにいるのは理由があるし歴史や想いが詰まっている。
・本当に首が飛んで帰ってきたワケじゃないんだろうけどこれだけ事故や不幸が続くと触らぬ神に祟りなしってことになるよね。
・八幡の薮知らずと同じて将門塚もいつまでも残して欲しいですね、怖いもの知らず世代には良い教訓です。
・周辺のオフィスは、不敬とならぬよう将門様の首塚に背を向けないようにレイアウトしていると聞いたことがあるが本当なのだろうか…
・占領アメリカ軍まで手を焼いたとは 平将門恐るべし。 変じて守り神として、首都直下地震を 防いでくださいませ。
・東京の守り神
京(都)大坂 ←←←歴史・支配・中央の成り立ち
東国の独立 東の国の悲願 東国の民たち 頼朝,北条,徳川が崇拝し、神に祀り 「もはや朝敵にあらず!!!」 真の皇 将門さま見てますか、ついにやりました(涙
・日本には、その祟る力を逆利用して神様として祀り、恩恵を受ける考えがある。その最たるものは、菅原道真の天満宮。平将門なら神田明神。
・山手線は首塚の結界で寺を結ぶと北斗七星になるんですよね。平日でも毎日、皆さんお参りに来てらっしゃいますよ。
・平将門は朝敵と言うことになっているが、江戸幕府を開いた征夷大将軍・徳川家康は、首塚と神田明神を丁重に扱った。
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