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「日本人はなんて性格が悪いんだ」柔道銅・永山の抗議に米メディアが批難、母国スペイン紙は「日本から脅迫うけていた」…認知の歪みはなぜ起きた

みんかぶマガジン 8/2(金) 9:10 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/146e77ed3e65e8eee9756a8d3ab56c41d492eb9a

 

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パリ五輪での柔道競技での不可解な判定について、永山竜樹選手とフランシスコ・ガリゴス選手の一件が大きな論争となっている。

判定への批判が日本国内外から相次いでおり、両選手への意見の対立が起きている。

国際柔道連盟はビデオアシスタントレフリー(VAR)の導入など、審判技術の向上に取り組んでいるが、審判の不備が問題となっている。

今後は「審判AI」の導入など、技術面の改善が求められるだろう。

(要約)

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 パリ五輪が盛り上がっている。国内の経済効果は2500億円にも上るという。そんな中で、柔道男子60キロ級で銅メダルを獲得した永山竜樹が準々決勝で同じく銅メダルのフランシスコ・ガリゴスに不可解な一本負けが大きな論争になっている。ガリゴスのインスタには「あなたがやったことは柔道ではなく殺人未遂ですよ」「神聖なる柔道に対する冒涜」など厳しいコメントが寄せられている。作家で元プレジデント編集長の小倉健一氏が解説するーー。 

 

 7月27日、パリオリンピック柔道60kg級に出場し、準々決勝で敗れた永山竜樹選手が、自身のSNSに準々決勝で敗れたスペインのフランシスコ・ガルリゴス選手とのツーショットをインスタグラムで公開した。準々決勝では「待て」がかかってからのガルリゴス選手の絞め技により意識を失い、それが「一本負け」とされる不可解な判定で永山選手は敗退した。判定に納得がいかなかった永山選手は、試合後の握手を拒否し、抗議をしたが判定は覆らなかった。その後、永山選手は敗者復活戦で勝ち上がり、銅メダルを手にした。 

 

 試合直後から、ガルリゴス選手と主審のエリザベス・ゴンザレス氏に批判が殺到した。東スポWeb(7月31日、https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/311375)には、柔道審判の国内・国際ライセンスを持つ関係者のコメントとして、 

 

「『待て』は選手に聞こえるように大きな声で言わなければならない。会場がうるさくて聞こえなかった可能性もあるが、それでも離さなかったら、相手をタッチしてでも止めなければいけない」 

 

「日本では(こうした判定は)あまりない。日本の審判は委員長がきめ細やかに指導する。あのような絞め技は危険な状態なので、一番大切に教わる」 

 

 と指摘があった。審判の下したジャッジが覆らないルールとはいえ、「待て」の後で「一本」を取るという論理的にあり得ないジャッジをした審判、「待て」の後で相手選手を絞め続けたガルリゴス選手の両者への批判は当然のことだろう。 

 

ガルリゴス選手の母国スペイン(MARCA、7月27日、https://www.marca.com/juegos-olimpicos/judo/2024/07/27/66a5450aca4741706a8b4572.html)では、逆にガルリゴス選手を擁護する報道があった。「パリ大会で我が国初のメダルを獲得したスペイン人は、準々決勝で永山竜樹を破った後、日本から脅迫を受けていた。実際に日本人選手は試合終了後に握手をしなかった。そして、そこから論争が始まった」という内容だ。 

 

 

 また、ガルリゴス選手のコーチであるキノ・ルイス氏は、「ガルリゴス選手に対して日本から不快なメッセージが届いているのだが、なぜなのか理解できない。フラン(ガルリゴス選手)は自分の仕事をしただけだ。何を抗議しているのかわからない」とコメントしている。さらに「負け方を知らないといけないし、エレガントでないといけない。どうして挨拶しなかったのだろう?」と述べた。 

 

 スペインの柔道界は「呪い」とまで表現されるほど、不振が続いていた。シドニーオリンピックでイサベル・フェルナンデスが金メダルを獲得して以来24年間も表彰台に上がっておらず、今回、ガルリゴス選手が獲得した銅メダルは「希望のメダル」(MARCA紙)であった。今回のパリオリンピックではじめてのメダルもガルリゴス選手の銅メダルであり、母国の新聞として応援したくなる気持ちも理解できる。 

 

 その後、ガルリゴス選手が永山選手のもとへ「謝罪」に来たという事実を、スペイン紙は無視するのかと思っていたが、きちんと報じていた(7月30日、MARCA)。永山選手のインスタグラムに掲載された英文「友人のフランシスコ・ガルリゴスが私に会いに来て、謝罪を申し出てくれた。彼にとっても不運な結果だったと思う。パリで彼と試合ができたことに感謝している。誰が何と言おうと、私たちはみな柔道ファミリーなのだ」(筆者訳)を紹介し、その後に続く文章で、「日本人によると、審判がすでに技を止め、試合を止めたにもかかわらず(これは柔道では’MATE’として知られている)、ガルリゴスはさらに数秒間絞め技を続けたという」と、あくまで「日本人によると」という注釈付きで、何が起きていたかを示唆している。 

 

 記事の最後では、永山選手が挨拶をせず、日本からの脅迫があったことを指摘しつつ、ガルリゴス選手のコメントを紹介している。そのコメントは以下の通りだ。 

 

「ガルリゴス選手は論争に巻き込まれることを望まなかった。みんな自分の意見を持っているし、どの試合でも100%で臨まなければならない。『レフェリーが「待て」を出したのに、音がうるさくて気づかずに続けていた。昔からそうだったし、ルールはみんな同じだ』」 

 

 

 記事はこの判定が揺るぎなく正しいものであるかのような構成になっている。この不都合な真実(ガルリゴス選手が永山選手に謝罪をしに来た)を報じるだけ偉いとは思うが、やはり母国の報道だけあって認知に歪みを感じるのは、日本人の私だけではないだろう。 

 

 しかし、ガルリゴス選手を擁護したのはスペイン紙だけではなかった。永山選手の試合後の行動を「スポーツマンシップに反する」と報じたのは、米国メディア「エッセンシャリースポーツ」(7月27日)である。記事全体が永山選手への批判に満ちている。 

 

「試合後の永山の行動は、ファンの共感を得ることはほとんどなかった」 

 

「スペイン人柔道家との握手を拒否した後、日本のスターはユニフォームを直し続け、手振りでリプレイの見直しを求めた。しかし、判定は覆らず、永山はもう少しアリーナにとどまり、最後に退場した。その行動に聴衆たちはブーイングを浴びせた。最後のコールがまだ自分に有利でないことがわかると、彼はためらいがちに一礼してマットを降りた」 

 

「永山がガルリゴスと握手を拒否したことで、何人かのファンが激怒した。あるファンはこう言った、『日本人側の名誉が低い。皮肉なことに、スペイン人は日本で生まれた武道において、彼のライバルを1000倍も尊敬していた』。柔道における単純なお辞儀の行為は、尊敬の印として機能する」 

 

「多くのファンは、永山の行為は常軌を逸していると考えていた。柔道は、実践的な格闘技でありながら、相手への思いやりを併せ持つことで発展してきた。あるファンは、『日本人はスポーツにおける価値観と敬意を思い起こすべきだ』と指摘した」 

 

「別のファンも同意した。『日本人はなんて性格が悪いんだ。悪い敗者、ライバルと審判を侮蔑する…スポーツマンシップに反するとして失格にすべきだ』」 

 

「彼のオリンピックの旅で話題になるのは、たとえ判定に争いがあったとしても、対戦相手に対する彼の態度だろう」 

 

 永山選手の怒りは誤審に対するものだけでなく、「待て」の後に絞め技を続けたガルリゴス選手に向けられていたのだ。競技場の観衆がそのことに気づいていないため、その観衆の怒りをそのまま永山選手にぶつけるのはおかしな話である。 

 

 しかし、「柔道」という競技を崇高な精神の象徴と考えていたアメリカ人記者(シモーネ・ピント氏。同紙のプロフィールによれば、水泳と陸上競技を担当し、テイラー・スウィフトが好きらしい)の怒りには、興味深いものがある。日本人が持つとされる高貴な精神の発露としての「柔道」が、世界中に広まっている瞬間であろう。世界からの敬意を受けることは、名誉なことである。 

 

 永山選手だけでなく、不可解な判定が続いているパリ五輪の柔道競技において、日本が国際競技を脱退し、国内に引き篭もるという論調には、再考の余地があるかもしれない。しかし、このミスジャッジをどうにか防ぐ手立てはないだろうか。 

 

 

 調べてみると、国際柔道連盟はビデオアシスタントレフリー(VAR)を導入している。他にも審判技術のトレーニングを継続している。しかし、「ビデオ判定導入後も、ビデオをチェックする立場の人間の能力に疑問がある。どれだけシステムを充実させても、運用する人間次第では意味がなくなる。そして大会後に誤りを認めて謝罪しても、ほとんどの場合は結果は覆らない」(松原孝臣著、文春オンライン、7月29日)というのが実態である。 

 

 つまり、ビデオをチェックするレフリーの技術不足が問題であるが、柔道という競技の審判レベルをどこまで上げられるかは不安が残る。日本人が日本人と海外選手との試合をジャッジすることがアンフェアである以上、国際的な審判員のレベルを上げるには限界がある。外国の審判レベルが日本と比べてそんなに高くないのは、仕方がないことだ。 

 

 ここは「審判AI」の誕生を待つほかない。そしてそれは、そう遠くない将来に導入が実現できるのではないかと期待している。 

 

小倉健一 

 

 

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(まとめ) 

柔道の一件に関して、審判の不手際や判定に対する疑問を指摘する声が多く見られた。

永山選手を擁護する一方で、スポーツマンシップや礼儀の重要性も強調された意見が目立った。

また、審判の技術向上やビデオ判定の導入など、審判制度の改善が求められる声も多く挙がっている。

一方で、異なる国や文化の間に生じる価値観の違いや、コミュニケーション不足が問題の一端を担っている可能性も指摘されている。

結果を左右するスポーツの舞台において、公平かつ正確な判定が求められることが共通認識となっている。

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・「待て」の後も絞め続けて、一本になった。 

これが一番意味不明な部分だと思う。 

 

「待て」が聞こえなかったというのは、あれだけの歓声の中なら可能性はある。 

でもその結果、絞め続けて一本っておかしくないだろうか。 

例え聞こえなかったとしても、審判を無視した反則行為であることは間違いない。 

 

例えばボクシングの試合で、ゴングが鳴った後も殴り続けてダウンを奪ったらどうなるだろうか。 

聞こえなかったとしても、殴った選手が勝つという結果は有り得ない。 

 

最初から最後まで審判の行動、そして判定が問題だと思う。 

 

 

・相手選手が、待てを聞き逃してしまったのが事実かどうかは分からないし、正直それは今どうでもいい。 

待てを故意に無視したなら、相手選手にはいずれ報いがくるはずだから。 

 

問題は、審判が自分で出した「待て」以降の締めを有効としたこと。 

それは審判の存在意義を自ら否定する行為です。 

どのスポーツでも審判の制止(待てや笛)は有効であり、以降にどんな事が起ころうとも無効になるはず。 

それは厳守されなければならない。 

無効の締めで落ちても一本にはならないはず。 

審判はバッシングされて当然です。 

 

 

・AI審判、次回のOlympiqueまでには間に合うでしょう。国際試合で実用化していけば良いんです。審判が能力不足ってあり得ないでしょう。 

 

180度プラス真上の吊りcameraをAIに繋ぐ。画像解析で機械学習させれば良い。常にUpDateしてVersionも幾つなのかハッキリさせる。練習時からAI審判を使って選手もコーチも慣れて置く、相互に理解が出来ていれば、勝っても負けても気持ちよく試合が出来る。 

日本側から「AI審判の提唱」を今回のOlympiqueの反省として行っても良いんじゃないですか??21世紀の柔道をLeadする良い機会じゃないですか。 

 

 

・経済効果は2500円...。以外と儲かりませんな。柔道経験者としては昔と比べて判定が変わってきたと確かに思います。世界中に広がった柔道がある意味弊害になっているのでしょう。海を渡れば見方も受け止め方も変わってしまうのはどのスポーツでもあります。かと言って海外に合わせる事なく日本は日本の柔道をそのまますべき。審判の育成も合わせてすべき。 

 

 

・日本人が日本人選手をひいき目に見るのは当然のことだし、スペイン人にとってもそれは同じでしょう。どちらの選手にも思い入れがない人からすれば、試合後も畳を降りず抗議したことに悪い印象を持つのも無理もないこと。 

前々回かのオリンピックでフェンシングの試合後にステージから降りず抗議を続けた韓国の選手に対しては、日本では批判的なコメントが大多数だったと記憶しています。(誤審ではなくシステムの問題でしたが。) 

立場が違えば見え方が異なり、時に争いにもなる。ヒトの悲しい性ですね。 

 

 

・ヨーロッパ人もアメリカ人も意志主張が激しいのは知っているけど、事実を認めず意志を曲げないところも激しいですね。騒音で待てが聞こえなくて締め続けたから失神したことは事実ですよ。そしてスペインの選手が謝罪に来たことも事実。1番不可解な審判を何とかして欲しい。 

 

 

・平和を招来するオリンピックのはずが、コロコロ変わる審判規定のため、かえって相手国を敵に回してしまう国民世論喚起の場になってしまっていますね。これも、すべてIOCの商業的営利主義に重点を置く運営結果でしょう。つまり、テレビ放映権獲得のため、決まった時間内で競技を終えるシステム。ボクシングや柔道などの個人競技は何時勝負が決まるか分からない競技のため、一本や技あり以外、以前は僅差が有りましたが、それが無くなり、今回などは引き手を払っただけで指導、指導3回で負けになるやり方など、まさに競技以外、審判の思惑が入り込む判定ルール変更などスポーツの勝負にあり得ない、素人には理解出来ない判定内容になってしまい、ほとんど楽しめなくなってしまっています。 

 

 

・審判のジャッジメントの正確性の問題もあるが、勝負が指導の数の多寡で決まるようなことが多い試合展開にも問題があると思うよ。お互いに攻めるインセンティブとなるような勝敗の基準が必要だと思う。レスリングのようなポイント制とか。元々の柔道からは更に離れてしまうかもしれないが。一介の素人の意見だけど、もはや武道としての柔道と、競技としてのJUDOは、別々のものとしてそれぞれ進化していくしかないのではないかと思います。 

 

 

・この件があってちょっと調べたけど、スペイン人は絶対に謝らない、謝るくらいなら屁理屈こねるらしい。それは歴史が作り上げたものだから仕方がない。ただ、待ての後のいっぽんという論理矛盾については、スポーツ裁判所などに提訴して、はっきりと先般の過ちを認めさせるべき。その上で、ビデオ判定の導入や審判の選抜、研修に役立てるべき。 

 

 

・永山さんが、握手を拒否したり試合場に残って抗議したのは、勿論自分の為ですがこれを簡単に許してしまっては今後の他の試合やオリンピックにも影響が及びます。 

彼の抗議があるからこそ、今後の柔道の試合での審判の注意点が増えるはずです。 

 

 

 

・待てが聞こえてなかったなら選手にタッチするなど気づかせることも必要だろう。それを怠り棒立ちで、更に待ての後に落ちたのに一本という理解不能な判定。審判が二重に悪い。悪いというか意味不明。歓声で待てが聞こえなかったとしたら選手は悪くない。耐えながら「待て」を待ってる技を受けてる側と、必死に技を仕掛けてる側では聞こえ方も違うだろう。しかしそれは試合終了直後の話。そこで自国の選手を擁護するのは分かる。試合が終わり時が経ち、冷静にVTRを検証できてもまだ断固としておかしさを認めない上に日本と永山批判か。踏んだり蹴ったりやな。 

 

 

・当時、中継を見ていたが、『待て』の判定の時からしばらく技を解かなかったスペイン選手。聞こえなかったというのも、事実かもしれないが普段の試合では聞き取れると言うことであり、にわかには信じ難い。で、問題になるのは、審判が無理にでも引きはがさなかった事。またそれで起きた審判の誤審。まずはそこが問題であるが、それにしても、日本からSNSで脅迫するとは・・・。事実なら恥ずかしい行為です。ただ、それで日本人の性格をどうこうというスペイン人もどうかと思いますね。一番の問題は、今後、このような誤審が繰り返される事を防ぐこと。複数の審判の配備や各方向からのビデオ判定やAIの導入なども含めて、考える必要があると思う。 

 

 

・日本人だろうがスペイン人だろうが何人だろうが「卑怯者」が嫌われることに違いは無いはず。 別競技ですが、過去には握手どころか競うこと自体を始めから皆に拒絶されたドーピング疑惑の選手もいました。 

 

今回一番悪いのは違反を見逃した上に違反者に勝利判定を与えた審判ですが、勝ちたいからと言って違反することがそもそも間違いなので選手自身に対する批判も免れないでしょう。 

 

 

・完全に不幸な出来事だとは思います。でも、日本人審判以外ののレベルが低いというのが問題であるなら、条件は他の選手にとっても同じです。日本人選手は日本人審判がつかない分は、ちょっと不利といえば不利ですが。 

同じような出来事は他国の選手にも起こっているはずですが、日本人が関わっていなければ報道されないし、されたとしても大きな関心を引くことはあまりありません。だから日本人だけが損をしていると感じる、それこそ認知のゆがみは生じると思います。 

大会後、日本人だけでなく今大会全体を通して、日本人選手は不利だったのか検証してもらいたいです。 

 

 

・日本柔道の精神を世界に理解して 

もらうのは文化の違いもあって 

難しいのかもしれないですが、 

そのなかなか伝えられないところが 

日本柔道の美徳とするところと思います。 

 

外国の審判や選手がどこまでそれを 

理解してるかは分からないですが、 

オリンピックでこんな事がまかり通っては 

いけないと思います。 

 

ただのスポーツではない日本柔道が 

勝つ為に変わらないといけなくなって 

しまう怖さを感じるでき事です。 

 

 

・普通試合では審判は選手の肩を叩くなりして伝えるのがルール、国内ではそうする。締め技はルール通りで、相手が畳を叩くか、審判が肩を叩くか。それまでは選手は技を続けるのは当たり前、現に締め技が有る限り、之を素人は殺人と言うのか?柔道で鍛えていれば首も太く成る、死ぬ事は過去にも聞いた事は無い。いずれにしても安全性を第一にルールの徹底をするべきだ。 

 

 

・選手本人やコーチ、協会が正々堂々と抗議することは非常に意義があり、そうするべきだと感じます。ただオーディエンスが「怒りの感情を発散させるため」に対戦相手を侮辱したり脅迫したりするのは、犯罪行為にもなります。自分が不利な状況で自分が正しいということを主張するときは、きちんと材料を揃えて真正面から向き合うべきところだけにものを言うのが筋。たとえどんなに卑怯な行為をされて勝負がついても、その判定は審判が下す限り審判に向き合うべきであり、対戦相手をなじるのは下品で無様だと思います。 

 

 

・聞こえなかったという主張を選手がするのはある程度想定内なのですが、その場で判断して「待て」の合図を行った審判団は一体どう考えているのでしょうか。 

自分の判断で待てを発したのなら、その合図をしたのに場が収まらない状況をなぜ放置したのでしょうか? 

もし、相手が続けたとしても合図のあとの技は無効にするべきだろうが、なぜ合図自体が無効かのようになってるのは意味が分からない。確かに審判の判断が最終的な決着点でなければならないが、それならそれにふさわしく禍根を残さない判断を下せる者が必要だ。 

 

 

・日本は柔「道」と道を重視する。西洋は審判の最終審査を重視(それが神の声という深層意識がある)する。その差ではないかと思う。 

自分が思うに柔「道」とは道であって、ジャッジも道を重視し、審判という神の声ではない事を良く研修すべきと思う。その際に確実に向こうの方々から異論が出るだろう。それが民族性だからだ。そこをどう説得するのかが今後の課題かと思う。 

 

国際大会のある日本生まれのスポーツではそこを抜けていると、今後どんどん日本人の思いと国際大会ジャッジが乖離すると思う。 

 

 

・もう国外からどう思われようといい子ちゃんでいるのは辞める時ではないかと思う。バチバチやるのも上等じゃないですか。避難を浴びようと本当に自国に誇りがあるのなら歪んだ事実を飲み込むような事までする必要はないでしょう。他国に対して良い顔してきた結果ナメられるだけというのは明白な事実、であれば毅然と対応し闘うこともやむを得ない。 

 

 

 

・オリンピック柔道を精神論を基本に置く「武道」とするのか、力と技を競う「スポーツ」とするのか、またはやるかやられるかの「格闘技」と捉えるのかで違って来ると思う。 

そこが曖昧なままのルールがあるから見方によって物議が起きるんだと思う。 

例えば、やるかやられるかの「格闘技」でないとするなら、絞技や関節技など相手の身体にダメージを与えた方がポイントとなるルールは変えるべきだ。 

絞められて失神したから負けとか、関節取られて痛くて折れそうだから降参して負けとか、そんなのは原始的で野蛮なスポーツだという考え方も出来る。 

 

 

・審判員はほんとに、お願いだからしっかり仕事してほしい。 

 

それでも人間だから全てを完璧に見たり判断できない事だって起きてしまう。複雑な動きのある柔道で、多くの歓声が上がっている現場で、全て一切の見落としなくジャッジできない事だってある。 

 

ならば今の時代、いろんな角度からの映像を、時計をしっかり確認してほしい。 

 

人のやることには限界があるんです。 

だけど選手達は、全てをこの舞台に掛けてきた方たちなんです。 

 

『誤審』『疑惑の判定』という言葉が生まれない大会を望みます。 

 

 

・柔道経験者(絞め技がある他の格闘技でもいい)に聞けば、例え審判の待ての声が聞こえなくても相手選手が力を抜けば分かると言うだろう。 

永山選手は待ての声を聞いて力を緩めた。その後スペイン選手はさらに絞めた。この事実だけを見ても非難されるには十分だと思う。 

審判の稚拙さは言うまでもない。 

 

 

・日本人としては抗議したいと思うし、今後このような誤審や誤審と思われるような判定は減らしていかなければいけない。しっかりと柔道協会内で話し合うことは必要だと思う。 

ただ、基本的に試合後の結果が覆ることはない。 

それを踏まえて、スポーツで結果を残すには運も必要だということ。もし別の審判だったら、もしトーナメントの反対側からスタートしたら。実力も運も全てを兼ね備えた選手が頂点に立つと考えている。井上尚弥や大谷翔平が良き例。実力も足りなかったかもしれないが、運も持ち合わせていなかった僕が今になってそう思う。 

 

 

・選手は歓声の中で待ての合図を聞こえないかも知れない。それは理解するので選手への批判は間違ってる。 

 

今回非難されるべき審判です。 

待ての合図後の判定により一本を判定した。 

 

これは試合が中断中に起きた出来事での判定であるのでありえない。 

 

極論ですが 

これが許されるのであれば待てがかかった後に相手に襲いかかり投げ飛ばせば一本が取れる事になる。 

 

更に待てがかかってた後に聞こえないふりして相手が気を緩めた瞬間に投げ飛ばす。 

 

色々出来てしまい審判への信用問題から言っても有り得ない行為です。 

 

 

・この問題に関しては相手選手をいつまでも責めても仕方がないが、しかし問題の試合の審判は国際試合から永久追放されるべきだと思う。審判としてのスキルに重大な問題が有る。 

唯一相手選手が責めを負うケースは当該選手と審判に何らかの癒着が有った場合だが、そうそう事前に仕込めるものでもないし後から証拠を抑えるのは困難であろう。ならば審判のみを追放するしか現状では選択肢は無い。 

 

 

・「待て」に対して、締められて苦しかった永山選手は「助かった」と防御を緩めた、一方ガリゴス選手は聞き逃したのではなく「攻めている最中に待てはないだろう(審判の訂正待ち)」と締め続けたんじゃないだろうか? 

私も「待て」を出す場面ではなかったと見た。 

これをルールに反するという考察と、締められてる最中なのに先に緩める方がおかしいという考察に分かれたのだと思う。 

あちらにとってみれば「自分の身はあくまでも自分自身で守る」に対し「審判のコールは絶対であり、遵守するべき」の考え方の人種的相違なのだろうと思う。 

 

当然、この審判の能力について批判はあるだろうが、今回の件は今後の検討事項としてボクシングのゴング並みの(決定的な)「待て」にするかどうか だと思う。 

 

 

・日本人が出場する国際試合を日本人審判が担当できないのはやむを得ないとしても、競技レベルが高くない国の審判が多いのは気のせいでしょうか?確かエリザベスさんはメキシコだと思うし、ルーマニアの審判もいた。 

日本、フランスはもちろんのこと中央アジアなどのいわゆる強豪、競技人口の多い国の審判が担当しないと今回のような誤審騒動が頻発するのではないかと思います。ビデオ判定ですら意味をなしていない稀有なスポーツと感じたし興味ない人が観たら面白くないのだろうと感じました。 

 

 

・たとえ対戦相手や審判に不満はあっても審判はルール通り判定したのだから仕方ないと思う。 

あのあと、敗者復活戦で銅メダルになって、誹謗中傷メールを止めるよう永山もSNSに投稿し、お互い握手を交わしたのだからこれ以上こじらせるのは良くない。 

永山に限らず他の国の選手も審判から反則ばかり取られて敗退した選手もいて、握手しなかった事例がある。しかし、何故日本人が大きくクローズアップされるかというと、柔道だからである。日本の柔道選手は海外ではリスペクトされているからこそ、握手しなかったことに落胆したのです。 

それより課題として判定制度を高め、選手にも徹底して周知した方が良い。 

 

 

・ここまで競技人口が増えてしまった柔道は日本人や柔道を学び始めた初期の頃の外国人にあった柔の道とか精神的な面は今の外国人選手、審判の大半は理解できてないのだと思う。 

 

競技=スポーツとして確立された為に競技人口も増え技術が飛躍したけど弊害として柔道が本来もっていた内面は発祥地日本の教えからドンドン剥離して勝ち負けの優劣を競うスポーツ化し今大会で外国人選手や審判によって如実に現れたと言える。 

 

 

 

・永山選手のアピール下手が原因だと思う。 

待てがかかった時に相手選手に伝えるべきだったし、主審に対しても黙ってないで身振り素振りで伝えるべきだった。 

自分から何もしないで黙って立ってるだけなら抗議とは言わないんじゃないか。 

これを教訓にして次からはもっとアピール上手になってもらいたいです。 

 

 

・ガリゴスは何を謝りにきたのでしょうか? 

「待て」が聞こえなかった事についてではないかと推測できるのですが。聞こえていれば、お互いに力を緩め、試合を仕切り直し、違う結果があったかもしれないですよね。それでもガリゴス選手の勝ちだったかもしれません。 

渦中の時、永山選手はガリゴスには「待て」が聞こえているのに、締め上げてきて混乱したと思うし、審判も「待て」と言ったのに6秒間も無防備な状態を締め上げられているのを眺めてるだけって、本人の状態を想像すると恐怖だよね。こんなことは許されるのか?と、怒りが混じるのは仕方ないと思う。 

抗議は選手側の組織から細やかに精査して相手に伝えなければ、感情的になってしまうと思う。直接、誹謗中傷を止めるように伝えた永山選手の気持ちを汲み、次の活躍を応援したい。選手同士のスポーツマンシップを貫こうとする姿勢に胸を打たれるし、私達へのメッセージでもあると思う。2500円。 

 

 

・誤審や不可解な判定があり、VARなどの判定が導入されたはずなのに、今だに疑問ののける判定が多くある。特に審判の主権が多く反映されてしまう競技ではなおさらだ。 

審判も人間だから間違えはあるだろうが、その間違えを正す為の組織が必要だろう。 

競技によってはすでにある競技も存在するらしい!今回の永山選手の判定は多くの疑問が残る判定になってしまった。メダルを取るか取らないかはその人の人生が変わってしまう、国によっては命にも関わることがある。最低でも、疑問の残る判定は、審判組織としての釈明が経緯の説明が必要であろう。 

 

 

・そのシドニーオリンピックの時から思ってたけど、本当に国際大会の審判が酷すぎる。 

シドニー大会でも「世紀の誤審」と呼ばれる試合があったはず。あれから24年。 

なんも変わってないじゃんていう印象。 

 

選手が「待て」が聞こえないなんてしょっちゅうでしょ。オリンピックの舞台。ここまで死ぬ気で練習してきた集大成をみせる場面。周りの音が聞こえなくなる程の集中力が必要になるはず。 

どうしてこの時審判は止めに入らなかったんだろう? 

 

選手たちも日々努力して技術向上してるんだから、審判の方々も日々努力していただいて技術向上に努めてほしい。 

てかいっそ 審判の人たちがその技術を競い合う競技つくろうよ。 

 

 

・永山選手は待てが聞こえて力を抜いた。そこを締め続ければ決まってしまうのは当然だろう。決まると1-2秒あれば相手は落ちる。 

聞こえなかったというのは酷い言い訳だ。女性審判云々で声が通らないというのはナンセンス、大小様々な大会を経験しているわけで、決められず時間が掛かれば待てが来るのは予想できるからだ。 

卑怯過ぎる。 

反則負けに出来なかった審判団も問題だ。 

 

 

・選手はお互いに必死です 

柔道は五輪の場においては精神論を排除し純然たるスポーツとして運営されることが好ましいでしょう 

ここで批判されるべきはジャッジ側の不手際だと私は思っています 

永山側の抗議を笑って受け付けなかったものの粘り強く抗議を続けた結果「待て」が不適切なジャッジであったと認めたという経緯を読んであってはならない対処だと思いました 

チームの抗議に真摯に向き合うシステムがあれば選手が畳から降りないような事態が多く防げるはずです 

柔道の待てと注意は主審の主観が多く加味されたジャッジだと感じます 

ここに不服が生じたときにきちんと対処する仕組みづくりが急務に思えました 

 

 

・まぁ誤審の問題と選手や審判への批判は別物ですよね。 

特に赤の他人が選手や審判に直接非難の声を届けるというのは違うと思いますよね。 

ただのストレス発散に他人を巻き込むのは迷惑行為ですからね。 

 

そこを履き違えている方が多いのかなと。 

それは思いますよね。 

 

 

・柔道を「武道」と考えた時、 

他の記事によると「試合が止まったと判断した永山は力を抜いた後も締め上げられ、最後、あおむけになったところを「落ちた(失神)」と判断された。」 

ということだが、この力を抜いたということであれば、永山は「武道家」ではなく「競技家」でしかなかったということだ。相手ではなく、審判を見ているわけだ。審判の問題はわかるが、日本のトップ選手は、武道家としても一流であってもらいたいものだ。 

 

 

・野球で言えばファールの宣告後にホームインを認めてサヨナラ、 

サッカーで言えばファウルの笛を吹いた後のゴールを認めてVゴール。 

これと同じようなことが起きたんだけど、アメリカスペインで起きたらそれこそ日本以上の大騒動になるだろうね。 

 

 

・永山選手の判定に関して、恐らく日本人は「正義は我にあり」という考えのもとで発信していたと思います。でも、スペインだけでなく諸外国から見たら、判定がおかしいという日本のロジックは受け入れてもらえず、礼を欠いた行動と受け取られただけの事です。それはそれぞれが感じた事ですから仕方ないことですし、平行線だと思います。主張をするのは悪いことではありませんし、私も永山選手の試合の判定「は」おかしいと思っています。でも、アメリカの記事は日本人の尊厳に関わるような内容にまで踏み込んでいて疑問を感じました。同時に日本からも卑劣な誹謗中傷が発信されたのも事実であり、そのせいで正義を主張できなくなったと思います。悪意を送れば悪意が帰ってくる。これは子供の喧嘩のロジックです。正義を担保できる「意見」だけを発信しなければならないと思います。 

 

 

 

・米メディアが非難と言うが、これだけ連日の不当な審判の判定が続けばさすがにこれはおかしいと気づくはず。日本からの脅迫というが、本当に脅迫があったなら公表していたはずだ。何度も言うが、あれは再開したあとに試合を有利に運ぶために永山に少しでもダメージを与えておこうとするスペインの選手の卑劣なプレーだった。審判の声が周りの騒音で聞こえなかったという主張も何度リプレーを見ても騒音らしい騒音はなかった。本当に恥ずべき行為であることは一目瞭然だ。 

 

 

・永山選手の試合後の態度は確かに問題があったが、心情的には理解できる。 

1番の問題はその場で終わらせなくて、スペイン人選手の批判をして場外乱闘を始めたファンや日本人。 

 

サッカーのワールドカップで三笘の1ミリが日本で話題になったが、当然相手のスペインでも非常に話題になった。ワールドカップの結果が振るわなかった事もあり終わってからも、あれはオフサイドとしばらくはスペインでずっと言われていた。 

あれは人が判定したのではなく、テクノロジーでの判定だから納得するしかないとは思うが、スペインではしばらくずっと物議が起こっていた。この事で日本や三笘がスペインから誹謗中傷を受けたとは聞いていない。 

 

今回は選手の悪意があったかもわからないという所はあるが、あったかもであり試合中は集中して声や指示が聞こえないはよくある話で選手は完全に白かもしれない。 

選手にまで攻撃を始める日本人は本当にみっともない。 

 

 

・まあ、柔道をオリンピックに持って行ったのだから、 

柔道のルールじゃなく、オリンピックのルールでやるしかないよね。 

日本を弱くしよう、弱くしよう、というルール変更を 

散々やられたのだから、今更って話。 

剣道は国際大会は仕方ないが、オリンピックとかに出さないで欲しい。 

あくまで日本の剣道連盟主導でやっていこう。 

 

 

・ハッキリ言って、「武道」である柔道は、オリンピック競技にはふさわしくはない競技だろう。 

本来の柔道は、競技ではありません。 

なので、勝ち負けにこだわっている事は、まさしく、本来の柔道の精神とは程遠い所にあると言えます。 

この事を知らない連中が、勝手な「思い込み」で、これまた、勝手な事を主張しているに過ぎないと思います。 

現代の柔道は、スポーツとなってしまいました。 

スポーツとしての柔道を推進するのであれば、本来の柔道の精神とか誤魔化すのではなく、スポーツの柔道として、確立するべきだと思います。 

そして、武道としての柔道の意味を理解していない海外のマスコミの批評は、もとより、その資格もないと思います。 

あくまで、勝ち負けにこだわっているそう言う人達には、武道の何を理解しているのかが、その記事の内容からは感じ取れない。 

 

 

・審判の資質に問題が有る。騒音にかき消されて自分の指示が選手に聞こえなかった、と云うならそんな小さな声しか出せないのは明らかに資質が無い。また体で制止する事もしない。自分が出した「マテ」の後に締め落とされたからと言って、それを「一本」とするのは「マテ」と矛盾するし、恐らく一本の判定をした後に、自らの矛盾に気が付いたかもしれないのに、それすら誤審を認めなかった。人間性にも欠陥がある。 

更に言えば、この様な人材に審判の資格を与えた組織にも責任がある。 

『米国メディア「エッセンシャリー」は記事全体が永山選手への批判に満ちている』=アメリカ人に言われたくない。スポーツ以外でも世界で最も偏見と差別に満ちた人種なのだから。スペインの発言も問題あり=『レフェリーが「待て」を出したのに気づかずに続けていた。昔からそうだったし、ルールはみんな同じだ』=スペインは日常的に「マテ」を無視しているという事。 

 

 

・判定には疑義を感じますよ。でもね、オリンピックは平和を象徴するスポーツの祭典なわけです。なので選手には己の誇りを掛けて臨む場であってほしい。そもそもな話、柔道というものは格闘技そのものであった柔術に、精神を鍛える要素を加えて確立された武道です。下された判定、しかも覆りようもないものに対して、色々と外野がとやかく言うことではないのでは? 

 

 

・一般論として、知能の低い動物が知能の高い動物を観察するとその思考体系が理解できず、ただ「性格が悪い」(意地悪を言っている)かのように見えてしまう現象。だからこそ知能の高い側は知能の低い側に対して殊更に謙虚に優しく振る舞わないといけない。両者が立場上対等ではない場合、つまりもし子供を本気で論破しようとする大人がいたら、それは確かに「性格が悪い」(大人げない)と言えるのだろう。 

 

 

・どうぞ好きに思ってください…全ては審判の責任です。この問題、簡単に終わらせては、いけない… 

結果に納得してないのは、選手や監督だけでは、ない…決して脅迫は、良くないのだが、何度も繰り返される不可解な判定に日本国民の腸は、煮えくり返るような思いですね…4年に一度だよ?批判されて当然だよ。今後AJJFがどう対応するのか、楽しみですね 

 

 

・本件に関しては、日本の抗議は正当と考えている。待ての後の一本は、どう考えても理解できない。サッカーであれば、ホイッスルの後のゴールを認めるのと同じである。 

他国の批判などに迎合する必要を認めない。 

但し、そうであっても、永山選手には礼を失する行動はして欲しくなかった。 

悔しいのだが。 

 

 

・毎回、オリンピックでは不可解な誤審があるけど、なぜか日本に不利な判定が多い。納得いかない負けでも潔く認める日本人の美徳を知ってか正直ナメられてる。今後はこういった事象には反論していかないと…待て!がかかっても無視して投げても一本の態勢だったら一本勝ちになる理屈だもん。ルールもなにもあったもんじゃない。しかもやられたほうは待て!の合図で気を緩めてるから事故に繋がる。まずは審判のレベルの底上げが急務。不当に非難される選手が可哀想すぎる。 

 

 

 

・歓声とか集中しすぎていたとかで 

審判の声が聞こえないこともあると思う 

本当のことを言ってるかどうか判断できないけどね 

なので問題はやはり審判の采配だよ 

審判が待てと言った以上それでも攻め続ければ 

それは反則行為になるはず 

なのにそれで落とされた者の負けになるなんて 

どう考えても不公平なジャッジだろう 

 

 

・AIのが正確でしょうね。ありとあらゆる判定にAIが導入されるようになる。記事とは関係ないが人が亡くなるような事故とかも未然に防げるようになる。 

 

 

・まあどれだけ言い訳しようが審判の誤審や不正はくつがえらない 

それがこの件だけでなく、大量にある 

誤審をした審判は誤審を認め、結果を覆さなければいけないし、人生をかけて償わないといけない 

それくらいの過ちを犯した 

勿論今後日本へ入国する事は出来ないのは当然だが、審判自身、自分がどうして誤審や不正に手を貸してしまったのか人生を振り返るべきである 

 

 

・もうJudoはいいです。 

柔道がこれだけ世界中に浸透したという事で満足しましょう。 

また本来の柔道に戻りましょう。 

オリンピックに出たい人にはレスリングをやってもらいましょう。 

と、こんな事を言えば反発が凄いかも知れませんが、本当に今大会の審判は酷すぎる。 

単なるミスジャッジでは無くて根本的なルールを知らなさ過ぎる。 

それと他国の人がミスジャッジや贔屓のジャッジに日本人からしたら異様なほど寛容なのは、人間の審判なんて所詮はそんなものと思っているような気がして嫌になります。 

普通の日本人なら例え地域の小さな大会でも審判を任されたらミスが無いように全力であたります。 

最後は何なんでしょう、人間性の違い何ですかね。 

柔道に限らずバスケしかり、もう見る気がしません。 

 

 

・今回オリンピック柔道審判の判定には多くの問題定義されてます。日本の伝統競技?である「相撲」のように、審判以外複数人による判定で「物言い」できるようにすべきではないでしょうか。 

 

 

・世の中から何故「戦争」がなくならないか?簡単です。お互いに「自分の国の正義」があるからです。 

 

しかし、時間が経ち「自分の国の正義」が間違いだったことに気づくこともあります。太平洋戦争中の鬼畜米英の意識を持つ人はもういないでしょう。 

 

他国の情報が容易に得られる現代では「自分の国だけが正しい」という考えを持つ人は減っているはずです。しかし、今回の他国の選手たちへの誹謗・中傷が収まらないのは何故でしょう。 

 

勝利至上主義に基づくマスメディアの行き過ぎた報道にも一因がありそうです。金メダルの数を国別にランクづけする番組もあります。平和や協調を促す目的の五輪が国家間の競争意識を煽っては本末転倒です。 

 

その点、スケボーやBMXは、国別対抗とよりもむしろ、個人としての友好的な自己表現の場という新しい価値観を見せてくれました。そこには誹謗・中傷が入り込む隙間がなさそうです。五輪の進むべき道かも。 

 

 

・兎に角1番の問題は審判の力量、待てが聞こえず締め続けているのであればそれを止めるのが審判じゃないの?目の前で締め続けてるのにボーっと見てて永山選手が堕ちたから一本ってなんなのソレ?じゃあ「待て」はどこ行ったの?挙げ句の果てに「待て」は間違いだったとか言って、一体審判は何を見ているのやら、柔道に限らず今大会は審判の不可解なジャッジが問題視されている、選手が大会に向けている熱量と同じくらいの熱量で審判もジャッジして欲しい、でないと選手の努力が報われない。 

 

 

・熱気こもる会場、しかも外国の会場、旧態依然のコールの仕方を変えるべきでは。 

日本国内で行われていた身振り手振りでのジャッジではなく、会場の雰囲気、国際化に合わせ、サッカーやバレーボールのようにホイッスルで合図をする、さらにはサッカーのようにカードで判定内容を表示するか、マイクを使用しての宣言(?)で聞こえなかったはないでしょうから。 

 

 

・柔道でも他のスポーツでも誤審が相次いでいる、中でも柔道は本当に細かくて難しいと思う、外国人審判はちゃんとわかっていないのではないだろうか、判定がしっかりできないなら少なくとも五輪柔道は参加しなくてもいいんじゃないだろうか、誤審なら勝者が敗者になる事もあり出場しても意味がない。 

 

 

・誰がガルリゴス選手に罵詈雑言を浴びせているのかは知らないけど、やめた方がいい。本当に「待て」が聴こえず、必死になってただけなのは十分あり得る。これまでもこれからと同じようなことをしていれば武道の精神をまるで身につけていない卑怯者かもしれないけど、そうではないと思う。彼に暴言を浴びせるのは筋違いかもしれない状況であれこれ言うべきではないし、SNS上の言葉は声を出して口にしてるのと同じ。本人を目の前にして同じことを言えるかどうかをよく考えた方がいい。 

 

問題はあくまでも審判のジャッジ。厳正に抗議するべきなのはその部分。 

 

 

 

・基本的に欧州のマインドでは結果が全てです。ですのでミスジャッジだろうが罷り通ってしまえば官軍なのです。酷い話ですが。 

 

なので終わった後ではなく、最中に論理的にジャッジの不審点を論理的に抗議するのがベストでした。 

 

「ストップ」コールで選手が止めない場合と、その後に失神した場合、一本になってしまえばストップの存在意義がない事をもっと訴える必要があると思います。そうでないからスポーツと柔道の違いなどと、あやふやな精神論みたいに片付けられてしまう。 

 

そして判定が微妙だったバスケットでは日本チームを米紙が擁護しているのに、柔道の「ストップ」で止めに入らなかった明らかな審判のミスでは日本が批判されているのが不思議だと思う。 

 

とは言え、オリンピックの審判がここまで杜撰だと見る気はしない。何故なら観ていて気分が悪くなるから。 

 

 

・昔みたいに有効や効果を復活させて技での決着をつけてほしい 

でないと指導での反則負けが多すぎる 

ただそうなると更に審判のレベルが求められることにはなるかな 

技あり、有効、効果の判別が難しい 

せめて一本、技あり以外のもう一つあってもいい 

きれいに背負投げしても相手が体を反転させたら無効となるのも、なんだかすっきりしない 

投げられたのに 

 

 

・私は選手個人を責めるつもりはない。問題は審判の判断であり、あれは個人判断ではないはず。つまり運営していた審判団の判断が結果的に誤審であり命に係わる危険な状況を作った上にルール上OKと判定したこと。大問題ですよ。 

 

 

・柔道は日本発祥の武道です。 

言い換えれば、日本人がルールを考えそれをブラッシュアップしたのが今です。待てがかかれば、手を放すというルールは昔から変わっていないルールを守らない事に異議を唱えると性格が悪くなるのかな? 

欧米はルール無視をする事が正しいのであればスポーツは何の価値もない。 

 

 

・まず審判が「まて」をしてそれでも選手が続行していたのなら、身体を張って止めに行くべきだった。結局この試合のあともこの審判はよくわからない判定をしていたし、五輪後でもいいから再検証して勉強し直すべきだ。 

 

 

・そもそも「聞こえなかった」が通るのがおかしい。異様に小声であったとか、爆音が流されていて物理的に聞こえない音量であることが証明されない限りは、「意図的に無視した」と捉えるのが常道。 

もちろん一本を宣言した審判は異常だが、「聞こえなかった」が成立するなら絞技で「待て」を聞いて技を解くよりも強引に失神させる方が勝利に近くなることになる。 

そうなればもはやスポーツではなく殺人技術の比較になってしまうのではないのか? 

 

 

・この内容は結局AIに頼るということなのね。 

多くのファン、一部のファンとか、まぁ曖昧な意見を盛り込んでいるけど、そもそも、あのブーイングは判定に対するものだと思ってた。 

ほんの一部の意見を多くの意見にしたような感じになっている。 

誰がみても違和感が残る判定だと思うよ。 

判定に不服の場合、これまでも畳から降りない行動はあった。 

今回だけがおかしいのではない。 

そんなことをわからないで、そこに焦点をあてること自体がこちらの筆者への不信感になっている。 

あれは当たり前の行動。 

ただし、気になるのは女性審判の未熟さ。 

これまでの経験値が少ないのかわからないけど、、誤審?と感じるのは女性が多い。 

ここももっと裾野が広がれば解決できるのかな。 

AI、AIというけどAIは万能ではない。 

 

 

・審判のレベルが,という話ですが,国際的に制定される中で改変もあったでしょうけどそれでもルールや判定基準に日本発祥の競技であるがゆえの緻密さがあって,世界標準的には中々難しいのかも知れませんね. 

 

 

・昭和生まれで、古い人間と前置きした上で、アメリカ人メディアに『日本人性格悪い』と言われたくない。この際、あの取組みに対し、アメリカは当事者ではないので黙っていてもらいたい。百歩譲り、スペインメディアならまだ理解出来るが、審判面して欲しくない。米国は大国面して直ぐ口出しし、話をややこしくする傾向がある。私は日本人だから、選手同士が試合後、握手にまでわだかまり解消にまで努めているのだから、無用な発言は控えるべき。 

 

 

・永山選手の件については我々素人が「誤審」と言い切ってしまうのは絶対におかしいです。特に「明らかに」なんてつけるのは言語道断。 

せいぜい「誤審かもしれない」ぐらいに留めるべきです。 

落ちたとか締め続けているとか締め技が解けにくいなど、特にカメラで見えていないところは現場でないとわからないですし、審判の対応もジュリーに確認しているように見えます。 

 

 

 

・今回のオリンピックの柔道競技は反則勝敗が目立つ、八百長くさい判定が多いね・・・審判の胸三寸判定の一本・有効以外の指導は八百長の元だね、日本だけのルールなら現状で良いが、国際柔道界は八百長柔道の疑いを払拭する必要があるだろうね? 

 

 

・日本がこの件で激しく怒っているのは金メダルを逃したという点では無く日本において「道」と名の付く競技はスポーツである以前に在り方がとても重視されるからだと思う。 

武道は礼に始まり礼に終わるという言葉があるように他のスポーツ以上に相手や周囲に対する礼を求められるのが武道、なのでその精神が運営や審判、選手に軽視されているように感じることが怒りの根本原因だと思う。 

度々この手のコメントに柔道がJUDOになってしまったと嘆く声や試合中にはだけた道着を直さない海外選手に日本人が嫌な気持ちを感じるようにこの精神は中々諸外国には理解されないモノ。事実同大会でも同じ日本人に対しても試合後の姿に礼が感じられないと今なお批判をされている選手もいる。 

それが勝った方が正義のスペイン側の認知と勝ち方や負け方に礼を求める日本側の認知とがまるで噛み合わない理由だと思う。 

 

 

・誤審を認めてしまったら、これから先、どの国だって審判によって勝敗を決められてしまう。 

そんなスポーツに意味があるか? 

スペインやアメリカも、あなたたちがフォローしたこと、いつかしっぺ返しが来るだろうよ。 

 

審判AIを望む。 

審判なんて人間がやる必要ないでしょう。 

AIに任せた方が正確で、誰にも平等で、五輪に相応しい。 

 

 

・「日本人はなんて性格が悪いんだ。」 

この言葉は実際に的を射ているようで、心が痛みます。 

今回の誤審騒動についても、運営や審判を批判すべきなのに、努力して勝った相手選手へ直接攻撃するような人がいるのは本当に残念でならない。 

そして負けた永山選手が沈静化のためにメッセージを送らなければならないという、訳が分からない状況にした。 

これは日本のSNS民度が低すぎることが影響しているが、なかなか解決が難しい問題。 

 

 

・アメリカで、空手・柔道・剣道のスポーツ教室で指導している人は、日本の常識とは全く違う指導をしている人が沢山いる。 

基礎すら出来ていないのに、派手な技を教えたりして、その地域では人気を得ている。 

 

 

・オフサイドの笛が鳴ってから6秒間攻め続けゴールして、笛が聞こえなかったからとゴールが認められますか? 

 

待てよりも前に落ちていたのなら、待てではなくその時点で一本です 

 

待ての後に締め続ける行為は下手すれば命に関わる行為です 

柔道の審判なら即止めに行くレベルのもの 

あのJUDOの審判は柔道の審判が出来る域に到底達していない 

 

ただ相手を倒せばいいのならそれは競技ではない 

それはただのストリートファイトです 

 

 

・当たり前のようになっている体重別というのも何なのかよく分からない。 

 

空手も体重分けしているが剣道はしていないね。 

相撲なんて体重別にしたらどうなるのかね? 

 

指導で勝敗が決まってしまうなんて、一番おかしいよね。 

無言のまま相手と向き合って、隙が出ないまま時が過ぎていく、なんて試合は消えた。 

積極的な姿勢を求めたら、合気道なんて永遠に種目には入らないね。 

というか合気道には勝敗自体が無いな。 

 

スポーツは武道ではないからどうでもいいか? 

 

 

・スポーツとはいえ国際大会では国力が物を言う世界だから嘆くなら日本の国力の無さを恨め。 

あくまでも判断するのは審判なんだから従えないなら競技から離れる他ない。 

勝つことに拘るのは仕方がないがスポーツの意義が何より大事な事を考え直す好い機会にするべきではないですかね!? 

 

 

・なんの為に審判がいるのか。今回の事に関してだけ言えば、待てと言ってるのに待たない選手を見て、何を思いながら見て、どう考えて1本にしたのか。それをきちんと説明すれば物議も何もなくなるのでは? 

 

 

・スペイン紙は何を言っているのだろう? 

それは勝ったから何を言ってもいいという理論で、明らかな誤審。これが逆の立場なら同じ事をするだろう。かつ海外紙なので、もっと苛烈な記事を出しているだろう。選手を非難するのではなく審判を非難するべき。 

 

 

 

・待てが聞こえてようが聞こえてなかろうが 

待て後の締めは無効と言う、簡単なロジックを何故外国人には理解出来ないのかが理解出来ない 

 

なんだって勝てば良い、有利に働くなら反則でも良いならそちらの勝ちの方が全く美しくない 

 

また逆ならどうだろう 

審判の待て後に気づかない日本人がスペイン人を締め続け気絶させてもスペイン人は怒らないのだろうか? 

 

スペイン側から謝罪に来たのが全て 

永山が責められる言われは全く無い 

 

 

・この試合の後から注意して見てきたことがある。 

待て!と言われた後の選手の様子。 

私がみたテレビで放送された試合で、待てが聞こえずに続行した選手はいない。 

地元フランス選手の試合で大声援でも選手は待てと言われたらストップしてる。 

 

 

・永山さんが不服に思ったということは、永山さんには待てが聞こえていたということでは? 

意識が飛び始めてる人にも聞こえてるんだから、必死だったとしても絞めてる方が聞こえないって考えにくい。 

 

百歩譲って握手をしなかったことは非難されても、待ての後まで絞められたことへの抗議は当然するだろうに。 

 

 

・本当の柔道の【心技体】分かってないアメリカやスペインから言われたくない。 

本当に柔道の技分かっているのか!? 

「待て」が聞こえなかった…いやいやテレビ見ていたが聞こえたよ!! 側に審判からの声聞こえないは無理がある。 

言い訳としか思えない。 

日本の心技体の意味はなかなか分からないだろうけど、しかしこのままの柔道界で良いのか!? キチンとした技の意味・掛け方・技の種類をオリンピックや世界選手権に出て来るのならしっかり認知して出場するべきだし、毎回審査員の余りにも無知な判定これを選手よりも早く何か手を打たないと本当の柔道がどんどん変わって来てしまう。 

ただどんな手を使っても勝てば良い!!みたいになってしまう。 

それだけは日本のお家芸なら即刻動くべし。 

他国の人間に振り回されるな。日本が指導者として力を持たなければ益々本来あるべき姿の柔道では無くなっていく。 

 

 

・「待て」のあと締め続けた、あるいはそれを許したのはルール上あり得ない行為。その後の行動がどうとか以前の問題。それを不服とする永山選手や日本チームが非難されるような「JUDO」という競技は、柔道ではない。日本が柔道を続けるなら、JUDOには参加しなくていい。 

 

 

・2人が和解しているので、もうあれこれ取り上げる必要は無いと思うけど、永山選手が怒った理由を歪曲して伝えないでほしい 

どうせ、この記事を書いた両国の記者は柔道のルールをたいして知らないのか、この試合をちゃんと見ていなかったんだろう 

他の試合で審判の誤審疑惑でスペイン人選手が負けていたけど、そこはどう捉えてるんだ? 

 

 

・抗議の意味が分からないとか、怖い怖い怖い。。。 

逆だったら抗議するだろう?? 

選手は「聞こえなかった」で逃げれる(永山は聞こえて緩めてるけどね)けど、審判は無理がある。 

常軌を逸した行動だと思う。 

この件が一番異常だと思います。 

 

 

・問題はそこでは無い。ほとんどの聴衆は細かく試合内容を見てもいない。 

日本人のように細かくチェックする事はないし、柔道に詳しくもない。 

だから柔道の審判がどうとかルールがどうとかは彼らにはわからない。 

審判がいったらそれが全てで未熟だとかおかしいとかはほとんどどの競技にもある。が、反抗は許されない。 

 

負けたからルールがおかしいと駄々をこねてる子供と同じ。スペインのほとんどの意見はそこに尽きる。 

 

今や日本の柔道人口は先細り、フランスが柔道大国になったように日本のものではなくなった。 

審判が未熟なのはその通りかもしれないが細かすぎる判定そのものに問題がある。 

尻もちは駄目で技ありにはならないと判断したのも物議を醸したがやはり専門家的には正しい。素人に葉わからないルールが多い。 

 

 

・自分は柔道のルールは全然知りませんし、その試合も観ていません。 

IOC等、この商業イベントを推し進めたい人たちは、このイベントを平和の祭典などと無理やり平和と関連づけるのですが、勝敗を競う以上、こういったことはつきものと思います。 

平和の祭典のはずが、不和の元になっているのは皮肉なことです。 

こうしている間にもイスラエルによってハマス幹部が殺害され、ガザ停戦にも影響が出るのは必至ですが、試合の放送によって、その件に関する報道に割かれる時間は短くなっています。 

 

 

・要は審判の力量不足が最大の原因だと思う 

主審だけで無くサブで旗持ってた人は居なくなったの? 

主審だけでは見えない場合もあるだろう 

主審と旗が上がれば一本や技ありで良いのでは? 

今回の審判には疑問が残る場面が多い 

 

 

 

 
 

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