( 197926 ) 2024/08/03 15:54:23 2 00 「はい、ここ泣くところね」阿部詩衝撃敗北のスポーツ紙報道に強烈違和感のワケ…独りよがり、価値観押し付けに「誘導を感じる」みんかぶマガジン 8/3(土) 9:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/214d5074b684ef039e41622932b23e93296ef874 |
( 197929 ) 2024/08/03 15:54:23 0 00 Adobe Stock
パリ五輪が盛り上がっている。日本国内での経済効果は2500億円にものぼるという試算も出ている。そんな中で、予想外の敗北を喫した柔道女子52キロ級の阿部詩選手をめぐり、スポーツメディアとネット上の反応で真逆とも言える温度差がみられた。まさかの一本負けに号泣した阿部選手にSNS上では「対戦相手の前で泣き叫ぶのは失礼」「最低限の礼節は弁えるべき」「さすがにカッコ悪い」といった辛辣なコメントが相次ぐ。だが、主要スポーツ紙は「きょうだい連覇夢散」「温かい拍手と『ウタ』コール」などと感傷的な記事で迎えたのだ。なぜ、ここまで温度差が生じるのか。経済アナリストの佐藤健太氏が解説するーー。
またか、という思いがした。7月27日に女子48キロ級で角田夏実選手がパリ五輪日本選手団第1号となる金メダルを獲得し、最高のムードで試合に臨んだはずの阿部選手。28日の2回戦で途中まで有利な戦いを見せたが、ディヨラ・ケルディヨロワ選手(ウズベキスタン代表)に一本負けした。
2021年の東京五輪では兄の一二三選手と兄妹で金メダルを獲得し、パリ五輪の「本命」と見られてきたのは間違いない。スポーツ各紙には「詩、あゝ無情 ぼう然、慟哭」「詩まさか 5年ぶり敗戦」などの見出しが躍り、阿部選手の敗北を大々的に報じた。
本命視された選手の敗北は衝撃を与えたかもしれない。だが、これは本当に「番狂わせ」と言えるものなのか。相手は世界ランキング1位の選手であり、名もない選手が“一発屋”的に勝利をつかんだわけではない。たしかに日本にとっては絶対的な女子のエースと見られていたかもしれないが、勝負は実力だけでなく時の運も、審判との“相性”もある。それを「まさか」「無情」と評しているのには違和感を覚える。
思い出すのは、2000年のシドニー五輪で柔道男子100キロ超級の篠原信一選手が決勝で敗れた時のことだ。相手のダビド・ドイエ選手(フランス)にかけた「内股すかし」が見逃され、誤審によって敗北した。コーチたちはアピールしたものの、篠原選手は敗れて銀メダルとなった。
表彰式で悔し涙を浮かべた篠原選手の言葉は、何とも言えないほどズシンと響くものだった。「弱いから負けた。それだけです。不満はありません」。決して言い訳をせず、控室で涙を流す篠原選手に感動した人は少なくないだろう。この試合がきっかけとなり、ビデオ判定が導入されることになった。
今回、敗北した阿部選手は畳に突っ伏して大号泣し、自力で歩けないほどの状態となった。元宮崎県知事の東国原英夫氏はYouTubeチャンネルで「勝っても負けても礼節を重んじて取り乱さないというか、毅然とした冷静な態度というのが柔道なんじゃないかなと思うんですね。心技体が問われる。本当に苦しかったんでしょう、悔しかったんでしょう。周囲に配慮を欠いたのではないかと思います。ちょっとリアクションが稚拙だったのかな」と指摘。SNS上でも「カッコ悪い」「見苦しい」といった批判的なコメントが相次いだ。
もちろん、勝負に敗れて泣くことが悪いわけではない。試合の進行を妨げたという観点はあるにせよ、無名選手だろうが絶対的なエースだろうが悔しいものは悔しいのは当然だ。ただ、Jリーグ初代チェアマンで日本トップリーグ連携機構の川淵三郎会長は2020年5月5日にYahoo!ニュースで配信されたインタビューで、「グッドルーザー」の意義を次のように説いている。
「スポーツマンシップの何たるかを理解すれば、自然と、そういう振る舞いにつながっていくと思いますけどね。負けたときの態度、そこにこそ、スポーツマンとしての品位が表れる」
「僕らはサッカーでは何度も表彰する側に立っているでしょう。そういうとき、準優勝のチームを表彰するの、本当に嫌なんだよね。不愉快そうな顔をして、ニコリともしない。握手も嫌々。勝って当たり前と思っているチームほど、そういう態度をとる。なんちゅう態度をとるんだって怒鳴りたくなったことが何度もありますよ」
「選手がベストを尽くすことができればメダルはいらないみたいなことを言ってしまうと、無責任な気もしてしまいますしね。あくまで、勝ちにいってこそ、グッドルーザーたりうるわけですから。難しいからこそ、一層、そうあってほしいわけですよ」
「メダルを取っても忘れられる人は忘れられる。でも、グッドルーザーは、永久に語り継がれますよ」
川淵氏のインタビュー記事では、敗れた選手も相手をたたえ、毅然として戦いの場から立ち去る「グッドルーザー」は私たちの心を捉えるとする。それは篠原選手の振る舞いであり、1992年のバルセロナ五輪男子マラソンで他選手に靴を踏まれて転倒し、メダルを期待されながら8位に終わった谷口浩美選手の「こけちゃいました」に代表されるという。
今回、阿部選手を破ったケルディヨロワ選手はその後も勝ち進み、金メダルを獲得した。表彰式後の記者会見に応じた彼女は、阿部選手に勝った時に喜びを爆発させなかったことをこのように振り返っている。
「彼女はレジェンドで、完璧なチャンピオン。試合がすべて終わるまで表情を変えたくなかったし、彼女をとても尊敬している。だから喜びたくなかった」。前回王者を撃破することを目標に突き進んできた世界ランキング1位のライバルから、ここまで敬意をはらわれる阿部選手は日本だけでなく、柔道界のレジェンド的存在だ。だからこそ、という思いがあるからSNS上には期待とともに、失望が広がったのだろう。
阿部選手は自らのインスタグラムで「日本代表として、日本という素晴らしい国を背負い戦えたことを誇りに思います。情けない姿を見せてしまい、申し訳ございませんでした」と謝罪した。柔道男子66キロ級で五輪2連覇を達成した兄の一二三選手は「情けなくなんかない。ここまでの道のりで苦しい事も沢山あったのにそれを見せずにただ前だけをみて人生をかけて頑張ってきた詩は最高にかっこよかったし1番輝いてたよ」「心の底から詩の事を誇りに思います。2人で必ずまた頂点に立とう! また家族で前を向いて頑張って行こう!」とエールを送る。
阿部選手がなぜ敗北したのか、何が足りなかったのかは本人や専門家が分析を重ねれば良い。それよりも気になるのは、日本のスポーツメディアが多角的な記事を掲載せず、ほぼ同じような感傷的な記事で取り上げたことだ。まるで「お涙頂戴」と言っているように感じる。
その理由をあるスポーツ紙デスクは「ずっと対象者を追いかけて取材してきたから気持ちが記事に入ることはある。速報性ではテレビやネットに勝てるわけがなく、デスクとしては感傷的な記事を書くように指示せざるを得ない」と語る。とりわけ、スポーツは会場にいかなくても、テレビや動画で「リアル」を追うことができる。スポーツ紙はネット記事を配信しているものの、生中継に勝るモノはない。
だからこそ、スポーツ紙は「速報性」で勝負するのではなく、その選手の背景や思いに着目した「ストーリー性」を重視するのだという。こうした姿勢は米大リーグで活躍する大谷翔平選手の報じ方でも共通するところだ。日本で流れる記事の「原材料」はほとんど同じであり、そこから飛び出した独自素材かと思ったら日本テレビやフジテレビによる大谷選手の新居報道のようになってしまう。
その結果、スポーツ紙を見比べてみてもトーンが変わらない記事が目立つのだ。金メダルを獲得すれば手放しで称賛し、敗北すれば「はい、ここで泣くところね」といった報じ方は何かスポーツメディアによる誘導のように感じてならない。これだけネット上とは異なる観点からの報道を続けていれば、ますます読者を失うことになるのではないか。独りよがりの価値観を植え付けるのはネット時代には不可能だ。
別の主要スポーツ紙幹部は「テレビやSNSで『結果』を知っている人に読んでもらう記事はどうあるべきなのか。ビジネスモデルとして模索し続けているが結論は出せていない。スポーツ報道のあり方は今後さらに難しくなるだろう」と説明する。気がつけば、新聞の部数は下落の一途をたどり、テレビも見ない若者が増えている。
そうした中でマスメディア報道とネット上の反応の温度差はスポーツに限らず、政治に関しても見られるようになった。価値観を押しつけようとするメディア側の姿勢と、それを拒否する人たちの戦いは今後も続くだろう。二極化する温度差は縮まるどころか、さらに拡大していくのは間違いない。
佐藤健太
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( 197928 ) 2024/08/03 15:54:23 1 00 (まとめ): 記事に対する反応や意見は多岐にわたり、阿部詩選手の敗戦後の行動について賛否両論があることが分かります。 | ( 197930 ) 2024/08/03 15:54:23 0 00 ・後から彼女も武道家として恥ずかしい態度だったと悔いているコメント出したので悔いているのでしょう。勝った選手は所作をみると武道家としても1枚上だったので勝つべくして勝ったのでしょう。結果も完敗ですから。
・どんなに素晴らしい選手も負けることはある。勝ち続けていると忘れてしまうものはあるし、それを思い出し原点に戻る経験は必要だと思う。 そうやってまた一層強くなって戻ってきてほしいと思う。 個人的には、吉田沙保里さんの時にも思ったが、吉田さんも阿部詩選手もこれまでの功績はとても素晴らしいもので誰も超えられないと思う。 オリンピックなんて誰でも行けるものではないし、その人の努力や功績は消えない。決して真似できるものではない。 一生懸命頑張った結果の敗戦を受け入れるのは難しいかもしれないが戦い方は立派だった。 だからこそ負けても堂々としていれば良いと思う。 柔道の谷亮子さんが日本人選手に負けた時「いい選手が出てきたなと思いました」と言っていた。 負けは悔しいしプライドもあるだろうけど、長年トップに君臨した選手の偉大さを感じた。
・ケルディヨロワ選手の阿部選手への配慮のための慎ましい態度は、2010年の女子サッカーW杯で日本が優勝したとき、日本チームが集まって喜びを爆発させる中、輪に加わらず落胆するアメリカの選手に声を掛けていた宮間選手を思い出した。 勝者、敗者ともに、相手への敬意、配慮と自分の感情の制御ができる人は美しいと思う。
・確かにこういった試合の場合、自分ひとりで出ているわけではなく、試合相手他、他者多数の参加があって成立しているものなので、やたら強い自己アピール行為をすること自体、控えるべきかなとは思う。今回の場合、試合進行にまで影響したそうだし、それはそれで問題があるかなと。ある指摘のように、その場に留まらせずに、すぐに控室に連れていくとか、試合全体の流れに影響がないような対応ができたはずではないのかな。
・敗北して悔しい気持ちはわかりますが、阿部詩選手の慟哭は相手に配慮が足りなかったし、失礼かなと思いましたね。 あれではなんで私が負けたんだ?とも聞こえます。相手を讃える精神が欠けていました。
ケロディヨロワ選手は阿部詩選手をリスペクトしていたからか表情が申し訳なさそうな顔に見えました。 日本の柔道精神を最後まで魅せてくれたのは、ケロディヨロワ選手でしたな。
・柔道の中継で日本人選手が世界ランク1位の選手と対戦することが何度かあったけど日本の選手の世界ランクに一切触れないことにとても違和感を感じました。相手が1位なら過去の実績に関わらず現状では誰もが挑戦者になるはずです。 阿部選手が負けた時も実況は「信じられないことが起きた」と言っていましたが何を根拠にそんなことが言えるのか全く理解できませんでした。 自分は正しい事実を知った上で観戦したいのでネガティブな情報もちゃんと伝えるべきだと思っています。
・世の中のあらゆる物事は、メディアによって戦略的に作られていると思います。人気商品も、話題の店も、急に目にする機会が増えた芸能人も。その作られた物事にまんまと乗せられ、知らず知らずのうちに企業の売上に貢献してしまっていると思います。 お涙頂戴の記事に違和感を感じるか否かは、読者に任せればいい。こうやってネットで取り上げて「違和感」を誇張し、世間を誘導するのも違和感ありありです。 わたしたちは情報に流されず、自分で選び判断する力をもっと磨かなければならないと思います。
・スポーツ紙の論調が感傷的なのは今に始まったことでなく昔からですよね。 それに関しては住み分けだから、あまり何とも思わないかな。この記事で分析されているように、ストーリー性を追うものだから。軸になる主人公がいれば相手は敵でしかない。 例えばジュニアで活躍しているアスリートを取り上げる「ミライモンスター」というTV番組があるが、それも対戦相手は敵でしかない。多分どちらもよく知っている人からはモヤモヤすると思う。 この件も日本のスポーツ紙だから日本代表を応援するのは当然で、相手のことを褒め称えるのではなく負けた、という視点になるのは致し方ない部分がある。
・色々なモノの価値観は時代と共の変わっていくのは致し方ないと思うけれど
時代や地域性もあるのかもしれないけれど、自分が子供時代は「お稽古ごと」が当たり前だった。 大抵の子が2・3つ教室へ通っていて。ピアノや絵画教室 そして次が礼儀自立心を育む、柔道や剣道が人気だった。 私もエレクトーンと剣道に通ってました。そして剣道の試合・立ち合いでは勝っても負けても立ち合い後相手に対してキチンと礼をしないとそれだけで原点とされていた。 それぐらい試合前後の立ち振る舞いは重要とされた。 勝利しても礼儀を失すれば「負け」とされていた。勿論流派にもよるんだろうけれどね。 武道を基にするスポーツを少しでも齧った人間がみると、やっぱりあの振る舞いは「失格」だと感じてしまう。
・あの場でコーチとか周りの人が抱えて連れて行っていれば、こんなに騒ぎにはならなかったのでは? 後に試合が控えてる選手に影響があったんだし。 そう思ってる人が大半だった。 そう思ってる人は泣くのが悪いとか言ってるわけじゃないんだよ… 悪意ある見出しで釣るのはどうなんでしょうね? ご本人の苦労や血の滲む努力は他人には計り知れない事だと思うので、日本に帰ってまずはゆっくり休んでリフレッシュして、次へ向かって頑張って欲しいです。
・五輪の柔道がスポーツなのか武道なのかで全く変わってくると感じます。
スポーツであれば勝敗に感情を爆発させることはまあ許されるでしょう。野球でもサッカーでも得点したら皆で喜んでますし、それにクレームを入れる人はほとんどいませんよね。
しかし武道であるならば、畳の上で感情をあらわにすることは最小限にしてほしいと、武道に対する先入観や願望がある人もいるのは事実でしょう。実際、剣道なんかは一本取ってもガッツポーズすれば一本が取り消されます。
意見が分かれるところではありましょうが、私の見た感じパリ五輪については柔道はスポーツの面が大きいかなと。ある程度の感情は出して構わないし、そんな雰囲気に感じました。
それでも大会の進行を妨げるような行為はNGですけどね。
・多くの人は違和感を感じているはずさ。 私が思うのは、進行の妨げになったこと。 早々にひきあげ、そこで号泣するならと思うけどね。 まだまだ若いから、これから成長すればと思う。 その他で気になるのは、兄弟、兄弟っていうけど、勝負は個々。 妹が負けたから、妹が勝ったから、その逆もしかり、そういったところを持ち込むのもどうかなぁ。 期待が大きいだけに、いろいろな人がいるからね。 ただ、叩くことではないし、仲良いねって感じでいいと思う。
・高校野球で目立つけど、日本のマスメディアは試合展開よりも、感動ドラマをネタにしたがると思います。「亡き恩師への恩返し」とか「スタンドで応援するベンチには入れなかった友への思い」とか。 阿部選手の場合も、ほとんど条件反社的に号泣に反応している印象が。もっともそういうお涙ちょうだいのドラマが売れる(視聴率がとれる)という現実があるのでしょうが。
・スポーツと武道の違いをはっきりさせる機会になってしまったようですね。
スポーツは楽しむことですが、武道は心身を練磨し自己を研鑽するものと教えを受けました。 そう考えると彼女の行動は不適切だったということになってしまいます。
柔道界もこれを機に武道としての柔道を子供たちの代から、より指導する必要性が出てくるかもしれませんね。
・私はこの一件で時代の変化を痛烈に感じました。日本代表に自分が選ばれる上で、その前で敗れた沢山の選手の思いと日の丸を背負って頑張ります、と今までの柔道家の方々から幾度となく聞いた重い言葉がありました。でも今回はそれが家族であったり、自分であったり、ベクトルが柔道界全体というより個というものに微妙に変わってきていると思いました。今回の件もそれが顕著に出たものだと思います。日本代表としてとか、柔道界全体としてとか、それよりも遥かに個が上回り感情が溢れ出たのだと思います。良いか悪いか、それは別として時代や世相の変化なのではないでしょうか?
・読みがいのある記事でした。 選手にグッドルーザーである必要はないかもしれないが川淵さんのおっしゃる事はとても理解できます。 勝者としての振る舞いはもとより、敗者になった時の振る舞いは良くも悪くも残る。 ならば、グッドルーザーとして、潔く相手の勝利に敬意を払う振る舞いをする事で、周りへの感謝につながるんじゃないかと思います。 東京OPから沢山の努力をしてきたのは詩選手だけではなくオリンピック選手みんな同じ。 泣くのがダメなんじゃない、泣いてもいい、だって血の滲むような努力して来たんだから悔しいよね!美談にする必要もないし、泣くのはいい。これは相当引きずるし控え室からもう出て来れないんじゃないかとさえ心配したほど。 だけどそのあと目を潤ませてはいたが会場でおにぎり食べている姿を見た時、ほっとした反面武士道なんて私には全然わからないけど、ちょっと『え?』ってなりました。
・武道だからとか武士道がどうとか、そういう目線込みになるからややこしくなるのだと思います。 どんな競技であろうがどの国の選手だろうが、あの態度はアスリートとして好ましいものではなかったという感想以外抱くことはできません。 この手の記事は毎回書き方がマイルドだから「泣くくらいいいじゃん」程度にしか印象持たれてないっぽいけど、実際試合見てた側からしたらどれだけ会場内が異様な雰囲気だったか、全く事実を伝えてないなって思います。
・「グッドルーザーは永久に語り継がれる」
時として競技や試合よりも大切なものがある。 世紀の誤審で負けた篠原選手も愚痴は一切言わず失意の涙が心の饒舌さを 語っていた。多くの方が金よりも尊い銀がある事を知った。 特に柔道の様な精神性や礼節を重んじるスポーツではそうだろう。 「悲運の女王」とか「無冠の帝王」とか兎角金メダルに絶対的価値を置きがち だけど真価はやはり負けた時の姿勢。美しい敗者は必ず存在する。 観ている方々は勝者の笑みよりも敗者の涙に寄り添うものだ。
2010年バンクーバー五輪での浅田選手、カメラの前で「ごめんなさい」と 一言謝り流した静かな涙…今でも記憶に残る。
・時代の移り変わりとともに意識も変わってきているとは思いますが、やはり日本の国技としては「礼に始まり礼で終わる」であってほしいと思います。
金メダルを取るために血の滲むような努力を続けてきた事や信念、国を背負うプレッシャーは私のような者には計り知れないものですが、やはりその根本は大事にしてほしかった。
・阿部詩選手、負けて悔しいのはわかりますが、勝った相手の選手をたたえるのがスポーツ精神ではないのか。 勝った相手の選手にたいして、凄く失礼ではないのかと思う、 あの場で、勝った相手の選手はどのような受け方をすればいいのか、よろここんでいいのか、とても辛い思いをしたと思います。
・2006年サッカーW杯ドイツ大会、ブラジルに3点差以上で勝たなければならない試合を4-1で負けて、中田英寿選手はピッチに大の字になって動かなかった
10分以上も
ブラジルの選手に促されても 日本の選手やスタッフが引き上げても ブラジルの控え選手が練習を始めても 競技場の管理者が整備作業の準備を始めようとしても
見苦しかった
3点差以上が必要な試合に4-1で負けてそんなに絶望なら、前半、玉田選手で1点先制したくらいでわちゃわちゃ喜んでいるヒマなどなかったろう
あれと似たようなものなのだろか
・金メダル取った時も畳の上で喜んだことを批判されました 柔道の精神に反すると 今回も同じ、周りの大人が導いてあげないと分からない事知らない事はできない
泣くことも悔しがることも良いけれど自分の態度ひとつで記事にもなるし憶測も生まれるし オリンピックはスポーツの祭典だけれどもお金が動く 良くも悪くもお金を生むことになる
色々と学んだら真のスポーツマンとなれるのではないかな
・東京オリンピックで兄妹で共に金メダルを取った時のマスコミの騒ぎようにすでに違和感があった。 柔道選手といえば、謙虚で闘志を内に秘めた感じはもう昔の話なんだなぁという思いがあった。 兄妹でTVCMに出たり、すでに芸能人のようではあったが、詩選手のはしゃぎようが目立っていたような、、 オリンピックのメダリストがスポーツキャスターになったり、解説者になったりは当たり前で今や国会議員になって汚職で辞職する元オリンピック選手までいる。 オリンピック選手が今までのように尊敬の対象になっていないところに今回のような子供じみた行動を見たら、批判も集まると思います。
・どんな感情も受け入れてあげることが真摯な応援者だと思っています。いろんな思いを抱いて堪えて厳しい練習を経て、大舞台での夢がひとつの結果を描いた時、自分と向き合った表現型であり個性だと思います。どんな選手のどんな姿にも頑張ったと拍手したい!
・この記事自体も誘導に見える ケルディヨロワ選手の喜びたくても畳の上では喜ばなかった、相手選手(詩選手)に敬意があったからだと聞いてとても素晴らしいことだと思った ケルディヨロワ選手はおそらく負けても人目が付くところで悔しがらないし、逆に詩選手は勝った瞬間大喜びもするだろうと思う 対戦相手に敬意があるならケルディヨロワ選手のような行動が自然と出来るのだろう、私はこういう行動ができる人間になりたい
・詩選手自身がいろんな思いを抱えているだろうから、もう周りは見守っていれば良いように思います。頑張った、悔しかった、何も忘れて号泣した…いつかそれを乗り越えてひと回りもふた周りも強く大きくなった詩選手をこれから期待します。 相手の選手!本当に心から拍手を送りたい。
・頭真っ白になって起きた事を理解した途端もう脳がバグって後先見えなくなったんだろうけど、勝った選手の全く喜びもせず冷静な立ち居振る舞いにただただ頭が下がる思いだったな。 日本人の阿部詩選手より日本人らしい選手だった。 金メダルおめでとうございます! とても相応しいです。
・賛否両論あるだろうけど、 兄が妹の分までと金メダルを獲ったことで救われたと思うし、 どちらかというとアンチよりだった自分が見ても兄の振る舞いはカッコよかった。いい兄妹だと思いました。
仲良いことも素晴らしいし刺激しあえると思いつつも、お兄ちゃん離れして、今回の悔しさをバネに一皮むけたらさらに強くなる可能性もあるかもとも感じました。
・グッドルーザーで言えば、今回100キロ超級でリネールと闘った韓国の選手も素晴らしかった。 軽く握手してお互いポンポンしてからの、もう一回しっかり目を合わせて笑顔で握手を求める姿が清々しくて素敵だった。 勝負って決着後も大事ですね。
・柔道が武道からスポーツに移行してきたという意見を聞いたことがあります。ルールもそうですが精神面で、という事でしょう。 でも今回の阿部詩選手、叩かれるものなのか?と。 号泣の後ろには、詩選手のこれまでの努力や、人生を賭けてきたこと、周囲の人々への想い、そんな事もあったかもしれませんね。そこで終いえた事実が言葉にならず一瞬に溢れたのかなとも思えました。 対戦相手に失礼、という感じ方もあり、一流選手ならばこそ、そこまで配慮できる人格や冷静さが求められるという意見もあります。 しかし、時には耐え、我々には窺い知れぬ努力の日々があったのなら、全精神を集中した後に、思わず溢れた思いさえ我慢しておけ、ということに非情な圧力を感じました。 今後の詩さんが、今回の一瞬を振り返り、さらに人間としての厚みを増していかれれば良いことだと思うところです。
・グッドルーザー 今回体操団体の中国選手達では。 精一杯やったのに届かず。 だけど勝った日本を讃えてくれました。 中国って国を勘違いしてたかな?と反省しました。
勝負事は「勝てば天国負ければ地獄」なのでなかなか気持ちを鎮められないかと思いますが体操やスケートボードみたいに勝っても負けても相手のいい技を讃える心があると見てる方も気持ちいい。
・泣きたいのはわかるのだけど、やはり前会大会金メダリストであれだけの選手が敗戦後会場内に響きわたるように泣き崩れるのは、正直みっともないと思う。レスリングの吉田さんの時など表彰台でも泣いているのを見て、本当にみっともないと思ったほどでした。阿部選手に勝ったケルディヨロワ選手は今回金メダルを取りランキング1位を実力で証明しました。それほどの選手に負けたのだから、年齢的にも本当なら試合後は勝者を称えるような振る舞いをしてほしかったです。またケルディヨロワ選手は阿部選手に勝利したのだから飛び上がる程嬉しかったはずなのに冷静に礼を尽くしていたと思う。柔道は心技体と礼節を表現できる素晴らしいスポーツであり格闘技だと思っています。試合会場では我慢して泣くのは控室に戻ってからいくらでも泣けばよいと思いました。
・まあ勝って喜んでいいなら、負けて悲しんでもいいでしょう。 大相撲みたいに、土俵でガッツポーズできない礼儀のものもありますが。 たしかに報道が取り上げすぎとは思います。 本来、競技でよい試合だったとか、最高峰の技がみれるとかそういうのをメインにしてほしいかなと思います。勝ち負け自体も本来重要でないと思います
・お涙頂戴の姿勢には確かに違和感がありますが、佐藤さん(執筆者)の論調も私には違和感があります。 グッドルーザーを求めすぎるのは武道とスポーツとで違うと思うし、詩選手が泣いたことは別にいいと思う。 私は、苦言を呈した方ですが、「進行を妨げることになった」ことを良くないと思っています。 周りの人も、控え室に下がろう、と誘導すべきだったと。 ただそれだけです。 負けたことが「まさか」だったかどうかは無関係で、とにかく彼女の悔しい気持ちはわかります。感情を出すことも悪いとは思わない。武道としての柔道ではないので、そこまで立派な立ち居振る舞いというか、グッドルーザーを求めるつもりはありません。 ただ単に、進行を妨げることになったのはお行儀がよろしくないね、というだけです。
・技を磨き人間として高みに昇るために修行するとなると勝負や大会なんて眼中になくなるはず、いまオリンピックをはじめ行われているのは武道ではなくスポーツだと思う、その上で、相手や競技にたいする礼儀というものはあるから、素直な感情をすべて押し殺せというのではなく、その発露はいかにあるべきかは考えるべきではないか。
・本命のまさかの敗北で大号泣。ただ、この瞬間の感情のコントロールは努力してきた本人にしか分からないし、テレビで観戦している人には分からない事。 大事なのは今後の姿勢。正直、この件で礼儀礼節を欠けるように見えてしまった事で、スポーツは強さが全てでも無い事に気付けたら良いと思う。
・スポーツに限らず試合である以上、勝敗に時の運が絡むのは当たり前であり、どんなに強くても百戦百勝の選手などいない。 だからこそ、負けた時にその選手の本質が出るというものであろう。
過去に醜態を晒してしまったことを嘆いたり叩いたりしても今更仕方がないので、せめて若い人たちは今回の騒動を他山の石として、「敗者の美学」ということについても学んでもらいたい。
・まあ、自分一人でやっていると思ったのかな?確かに報道も商業主義に走って見苦しいです。勝っても相手のことを考えて思いやるケルディヨロワ選手の大人感覚と立派さが際立つ。
・史上最強の女子アマレス選手と言われた、ある選手が、オリンピックで負けた時、インタビューで「とんでもない事をしでかしてしまった」と号泣した。引退後は指導者として選手を育成するものと思っていたが、その数年後タレント業に転身、CMにも出演してる。あの涙はなんだったのかと思う。阿部選手にはそうならない事を祈る。
・勝利の喜び方も、敗北の噛み締め方も、人それぞれで良いと思うんですけどね。
そもそも礼の後、畳を下りた後のコトですし、判定が不満で喚き散らしていた訳でもないですし。
見苦しいのはまあそうかも知れませんが、逆にそれだけ、恥も外聞もないくらいに号泣するほど、全力で取り組んで積み重ねてきたものが垣間見えるので、責めるような気にもならないんですけどね。
正直、個人的には、あんなになるほどの夢を抱えたり、努力を重ねてきたりもしてないので、素直に感心しちゃいましたね。
お兄さんに決勝で敗れたリマ選手が、静かに涙する様も美しいとは思いましたが、「敗者の所作はかくあるべし」なんてモノはないと思うんですけどね。
武士道のカケラもないような奴らが、なにも抱えても積み重ねてもないような奴らが、ここぞとばかりに武士道がどうのと、したり顔で抜かす方が、負けて号泣するよりも、遥かに見苦しいと思うんですけどね。
・頑張ってきて負けたなら、相手の実力が上だったか、または自分に隙があったか。隙って自信を通り越して過信してると生まれるけど、真から過信せずに頑張ってきたなら、、、、一時的に精神崩壊に近い状態になったのではと思うので、実力で負けた自覚からの号泣咆哮だとしたら仕方ないかなぁ。。。隙があって負けたならあんなに泣かない気がする。 でも、24歳、大人のハズだけど、、、あの泣き方には吃驚した。まあ、社会性と柔道の実力は関係ないからなあ。言わずもがなですね。
・阿部選手は激しく動揺はしていたものの畳を降りるまでは何とか耐えていたと思う。 泣き叫ぶ彼女を引きずってでも裏に帰らせなかったコーチの方がなんだかなという感じでした。写真なんか撮らせてないで指導者として、大人として冷静に判断して欲しかったですね
・皆様好き勝っていくらでも言えますよね。 それからあの詩ちゃんの立場で戦ってみて下さいよ。 必ずあの気持ちが分かると思います。どんな競技に関わらず勝ちに行ってるアスリート達はこのオリンピックに向けてけがに苦しみ時には並大抵では無い練習トレーニングは一般の人、経験した事無い人には分からないと思います。負けず嫌いな人間ほど負けて悔しい気持ちは人目を憚らず素直に行動に出たのと思います。私アスリートを持つ親やアスリートは表舞台では泣く事なくても人目が付かない所で詩ちゃんみたいに皆んな泣いています。
・篠原さんと阿部詩を同列に比べるのは違うだろう。男女の違いだけでなく、時代も大きく違うので。 阿部詩に関しては、今回の負けたときの態度を騒ぐのではなく、前回の五輪で勝った時の態度(ガッツポーズ)に対して何も言わなかったのが、「柔道」という武道的には良かったかどうか??
長年の苦労が実って金メダル→喜んでいいと思うけど、「武道」を前面に出した議論をするのなら、「勝ってガッツポーズ」は厳格に責められないといけないのではないだろうか?
・精神年齢が子どもなんだよ。彼女はまだ。泣いてもいいが、あの場であの泣き方はない。ひたすらそれだけ。彼女だけが血反吐を吐くような練習に耐え、怪我という試練を乗り越えてきたわけじゃない。そんなオリンピアンが殆ど。勝者がいるなら敗者がいる。彼女が倒してきた相手らも同じ。 プレッシャーもあるだろうが、周りが持ち上げすぎたよね。 まだ若いしね、次、最初から終わりまでいい試合できると良いね。
・勝つ事を期待され、自身もそれを目標にし、様々なことを犠牲にしながら必死で練習に取り組んできた。だけども意外にも呆気なく敗れてしまった。 残念で悔しくて、応援をしてくれた沢山の方々への申し訳の無さ、それらが頭の中を駆け巡り、敗退が決まった瞬間に涙する。これはあり得ること。 だけども阿部詩さんの場合は、何分間も幼女のように会場内に響き渡るほど泣き叫び、最初はしょうがないよなと思っていたが、オイオイいい加減にしてくれよとの思いが強くなった。あの場に出てくるすべてのオリンピアンは、誰もが尋常ではない努力をし、代表の座を勝ち取って来た者達ばかりである。 それに掛ける思いの強さには、強弱があるかも知れない。だけども全員が目指していたものは絶対にメダルだ。そこらの理解をしていて欲しかったとは思う。
・オールドメディアはナチュラルに自分達のストーリーを押し付けてくるよね。 落選直後に石丸氏がメディアに対して食って掛かったのを思い出した。 オールドメディアを信じている人からしたら生意気な若者だと思ったでしょうけど、あの石丸氏の姿勢には一理あると思う。
・何だかんだ言って、対戦相手が冷静沈着で最後まで気を抜かなかったからこそ、余計に幼稚性が目立った感はありますよね。 勝ったから飛び跳ねるでもなく、残像まで残して凛としていた。
詩選手は、前回の東京五輪で勝って飛んで跳ねてってのを兄に窘められたのに、それが矯正出来ていないのはコーチの怠慢な気もします。師範なら、まず教えるのは礼じゃないのって。
泣き叫んでいる場面で、次の試合の選手が出るに出れずずっと待たされてる場面の写真もあるし、その後何もなかったかのようにおにぎり食べてる写真もあったり。これを言ったら差別だって言われそうだけどもう25だよね。もっと大人になれよって。多分東はそれを言いたかったのかなって、勝手に想像してたりします。
・我慢しながら泣く という感じではなく、絶望と悲しさと様々な感情を何処へもっていったらよいかわからないという慟哭、孤独な動物が遠吠えているような長いものだった、ただただ驚いてテレビを見てしまいました。若さ故 が救いだったように感じている。なおいっそうの精進をお祈り、応援しております。
・5年無敗なのに世界ランク1位じゃないというのは強烈な違和感を持つ。勝てる試合を選んでるのか?とすら。 アンチでもなんでもないし勝てばよかったね、負ければ残念だったねくらいの気持ちだが、武士道精神がどうのこうの関係なく、負けても試合が終わってその場で感情を爆発させるのではなく、観客が見えなくなってからそういうのはやってほしいかな。
・今回の件に関わらず記者と言う人達の スキルが落ちてる? 読んで欲しいの欲が初めにくるし 見出し命だから人々の反応を見て記事を書く 褒めてたらホメて叩かれていたら叩く 詩さんの対戦相手が勝ったのだから実力がハッキリした優勝でしたよね 詩さんの感情は悔しいなんて言う簡単な感情じゃないと思う 言わばパニック…武道の精神が崩壊したのでは? だったとしたら柔道界で今一度武道の精神を勉強し直させればいいのでは? 日本にはそこに誇りを持って下さればと思う
・あの号泣によって、彼女はメンタルが弱いとよく分かった。あらゆる意味でメンタルを鍛え号泣も抑えられる強さを持てば、次回は、必ず勝利すると思った。柔道は心技あってこそ。その意味で克服すべき弱さが一つ見えたのは彼女にとっては大きな収穫。
・阿部選手の号泣を観て感涙した人もいれば、冷めた目で見た人もいる。 色んな意見があって良いと思う そこに何が正解か論が入るから、阿部選手が傷つくようなコメントも出てくるのかなーと
私はLIVEで観てて感涙したけど、その後反対の意見を聞いてそういう意見もあるのかって単純に思いました
・国民の期待を背負い、さらに兄弟同日金メダルなど多大なプレッシャーを受け、必死の努力をして挑んだオリンピック。 負けた後に泣き崩れるのはそんなに悪い事なのか。
夢に向かって真剣に努力した選手が流す涙は勝った時も負けた時も美しいと思う。
もちろん近く開かれる甲子園。 グラウンド内で泣き崩れてしまう選手が出てくるかもしれないが、そんな球児の涙も同様に美しいのだろうと思う。
・こんなことで是非なんか問わなくていい。
阿部選手が負けて大号泣した。それだけ。それを見てどう感じるかは個人の自由。心の中で思っておけばいい。せいぜい居酒屋で話の種にする程度にとどめておけばいい。
相手の選手がどうおもったか、次に試合を控えてる選手がどう思ったか。出てきてる以上のことはないし、何も出てきてないなら何も思わなかったということ。
スマホ片手にテレビ見ながらSNSに投稿するネタ探してるなんて、一番敬意と礼節にかけると思います。
・優勝したり、金メダルを獲って嬉し涙を流すのは、これまでの厳しい稽古や練習の成果が報われたなどの感情からくるのだろうが、敗北して悔し涙(出ることもあるだろうが)を人前で大声出して見せるのは武道家と言えない。悔しさ無念さは理解出来るが感情をコントロール出来ずして柔の『道』を極めれるものなのか?まぁ、日本の柔道がショー化したJUDOUにならないようにしてもらいたい。
・グッドルーザーなんてことばを選択してることに違和感をした感じますね それがカッコよいことは誰でも知ってるわけですがそんなこともお構いないに号泣した姿に私は感動をも覚えました。 それは会場のウタコールにも表れてたと思いますよ
・SNS民も マスコミも コメンテーターも 元アスリートも 『ごちゃごちゃ言うな!』と思う
中継や観戦した人、それぞれが感動なりスポーツマンシップなりを感じ取ればいいだけ
ただ、彼女のあの心情を想像できないやつは、勝利や敗北、成功や挫折と、ちゃんと向き合ったことないやつだなと思う
彼女はパリ五輪で敗退し泣き崩れた だが彼女の選手生命はまだ終わってない 今回の敗退と慟哭はきっとこれからの彼女の柔の道の糧になるだろう
あのワンシーンだけを断じるのは失礼だ
・スポーツ紙は悲劇性を出した方が売れるからそんな書き方になるのでしょう。 批判めいた内容を中心にすると大炎上して猛バッシングを喰らうから怖くて書けない。 詩コールも美談っぽく書いているが、あまりにも強烈な泣きに可哀想だから励ましてやろうと言う程度だと思う。
・1997年ジョホールバル、岡野のゴールでワールドカップ初出場が決まったとき、日本チームの歓喜の輪から離れ、中田はピッチに倒れ込むイランの選手に声を掛けて回っていた。宮間と同じ精神性を感じますね。
・スポーツ紙は 控室で泣かれたら写真とれないでしょ 会場で泣いてくれることで素材オッケー 兄が勝とうが負けようがアングルが決まった 勝てば勝ったように、負ければ負けたように あとは日本人に向けてお涙ちょうだいの記事にすれば ほら感動しろよ、感動しろよ 会場で泣いてくれたことに感謝しかない
・>テレビやSNSで『結果』を知っている人に読んでもらう記事はどうあるべきなのか。ビジネスモデルとして模索し続けている
悪いが、それ自体が記事が変になる原因という気もする。特にスポーツはそれ自体がドラマなのであって、別に外からの演出なんて必要ない...とまでは言わないが、記者の思い入れとかは極力控えめな方がいいだろうな。選手の表情とかを教えてもらえるのはいいが、心情みたいなとこまで踏み込むのはよけいな話という気がする。本気でそれをやるんなら、ノンフィクション小説並みの時間と労力が必要じゃろ。いくつかのパターンを作って、それにあてはめるだけなら、すぐできるだろうけどな。
・柔道界は勝ちを余りにも重要視し過ぎてる様に思う。
心技体、礼節等を重んじるなら、普段から勝っても相手選手への敬意を忘れず喜びなさい、負けてもあからさまに不快感を示さず立ち振舞いなさいと教えるべき。
阿部選手の我を忘れた号泣は、それを教えていなかったか、足りなかったと思われてなら無い。
・日航ジャンボ墜落事故時、架空の地元新聞の内情を描いた小説「クライマーズ・ハイ」。ドラマ・映画化されたが、ドラマの編集会議のシーンで、編集局次長がこんなセリフをいう。 「いいか、”泣かせ”でいけ。徹底的に泣かせろ」
>価値観押し付けに「誘導を感じる」 とあるが、メディア独自の価値観を呈したら、私たちは素直に受け入れられるか? 先のドラマの中で、両親が交通事故で亡くした女子大生が、報道されなかった両親の事故と日航事故を対比させ、投書欄に「命には大きい、大切な命と、報道されない小さな命がある。」という内容を投稿する。新聞の在り方に疑問を持っていた主人公の紙面構成全権デスクは、社内の反対意見を押し切って掲載するが、遺族ではない読者からクレームの嵐が舞い込む。 地方新聞社出身の横山秀夫が、自身の体験をもとに書き上げた作品だけに、説得力があった。
・武道とは礼節です。 更に武士道となると 義、仁、敢為、忠義、などの徳目も求められる。(新渡戸稲造『武士道』より) よって、負けたからといって泣きじゃくったり、勝ってガッツポーズなぞしません。 その点、角田や永瀬の立ち居振る舞いは立派でした。
・どう感じるかは、個人の自由です。後から考えが変わることもあります。さも、専門家がこうだといったところで、それも一人の考え方に過ぎません。 僕個人としては、柔道選手に限らず、負けて泣くな、勝ってから泣けといいたい。
・今回のオリンピック、体操選手の喫煙・飲酒問題から始まって、誤診だ、不可解判定だと、競技やアスリートそっちのけでそんな話ばかり。純粋なスポーツとしてここまで楽しめない大会も珍しいように思う。
・相手は世界ランキング1位で金メダルを獲った選手 一方の阿部選手は格下でシード権も無くその結果、2回戦で優勝候補と戦う事になりました 前評判通りの結果なのになぜか勝てる相手に序盤で負けてしまってショックみたいになってたのが不思議です メディア含め世界一の相手の選手へのリスペクトが本当に無い
・批判の声ご出るのはわかるけど、24歳で色々背負って気負ってがんばってきて、たぶん本人の想定外の負け方して泣き崩れた姿をみて貰い泣きしちゃったよ。少し休憩してまた次に向かって頑張って欲しい。
・今回のことを受けての発言かはわからないですけど、川渕さんがおっしゃっていることが全てではないですかね。相手選手へのリスペクト。これに尽きる。そういう意味では相手選手は、心技体が揃った素晴らしい選手でしたね。
・不本意で、自分の描いたプランをあり得ない時点で無にされたことで、完全に内面が崩壊した感じでありますね。 しかし一方で、あの取り乱し方は、オモチャを買ってもらえなくて泣き喚く駄々っ子のような態度にも見える。 自分しか見えない。 泣いても何も覆らないことは分かっていながら、全てを吐き出すかのように全身で号泣してしまう・・・ きっと彼女も、あの態度に今はとても後悔していると思う。 気持ちは大いに分かるが、美しく涙ではなかった・・・
・兄妹で金メダル金メダルとプレッシャー掛けられてきたからこそ、努力の数だけ涙が出ると思うし、感情もあるのかなと だから感動するし何で号泣するんだよと観てる側がギャップを感じる その負けの悔しさから号泣への批判になり誹謗中傷になっていくのかなと 負けは負けでも終了の礼は大事
・例えば、ある人がスピード違反をしたとして、それが全国へ顔と名前と共に公表されて、 ルールを大切にする日本人として守らないのはいかがなものか、と公に叩かれる、 という社会が健全かどうか。
最善を尽くす、という意味では、あの場で泣きわめくのは、間違いだとしても、 その罪と罰のバランスが、全く取れていないことが、問題なのです。
・スポーツメディアだけじゃないです。 例えば震災。数日は「不明な家族を祈る」みたいな悲しい記事を出し、一週間も経つと「復興に向けて」とか記事を出します。んで、一ヶ月も経つとスルー。最初泣かせて、復興してよかったねとなったらその震災はオワコン。彼らの中ではパターンが確立してるわけです。復興なんて全然してなくてでもです。 メディアの誘導に対して「おかしいだろ」と言えるようになったのはよいことだと思います。
・もうそっとしておいてあげたらいい。試合後のあの姿を武道家らしくないと評する人が一定数いるのは理解できるし、それに対して批判すること自体は別に悪だとは思わない。オリンピックという大舞台に立った以上、少なからず批判されることもあると思う。ただその批判も長々と言い続ければ過度は批判であり、誹謗中傷と変わらない。 東国原氏の批判も最初は一意見として共感できる部分もあったが、何回も言い過ぎです。 オリンピック選手皆に言えることでしょうが、常人には理解できないほどの努力をされてあの大舞台に立っているはずです。過度に批判している人は一度でもそんな努力をしたことがあるのか? 相手へのリスペクトや思いやりがないならそれは意見でも真っ当な批判でもない。ただの誹謗中傷だ。
・スポーツ紙って昔は皆が買って読んでたけど、今は昔ほど売れないし、競技を皆が直接観戦して、個人個人がネットで感想や意見を出せるようになったので、この記事にいうほどの影響があるんでしょうかね。
・礼儀や配慮が足りなかったとしても、何度もこのニュースを取り上げ、本人がコメントを見て更に辛い気持ちになる可能性もあるのに、頑張った人を責める様なコメントをする方が配慮が足りないなと思いました。
・記事にはおおむね同意できる。ただ「Good loser」云々で何が言いたいのかは良く分からない。スポーツマンシップは(このケースでよく引き合いに出される「武道精神」もそうだが)、卑怯な事、卑劣なことを絶対にしない事、勝った時に相手を侮辱しない事が重要で、負け方は色々あって良いのではと思う。 感情をどう表出させるかは個人の体質的な問題で、それこそ「個性」の問題だ。安倍詩選手が号泣したのは、試合に負けたことだけでなく、兄と同時に兄妹二連覇することの夢を自分が壊してしまった事への苦悩など、単にスポーツマンシップ云々では語りきれない様々な思いもあったはずだ。そこで号泣したのも個性であり、理解できるし、何の問題もない。それを、東国原英夫氏のようにゴタゴタぬかすのは最低だ。それから、お涙頂戴パターンを押し付けるスポーツ紙がウザいのは確か。
・泣いてる選手よりも、勝った選手の気遣いの表情が印象的だった。あそこまで泣くのは、よほどこみあげるものがあったのだろうと思った。むかし、メディアの前でビートたけし氏が子供のように号泣した映像を思い出した。東国原氏がそのときにどうコメントしたのかは知らないが。
・>なぜ敗北したのか、何が足りなかったのかは本人や専門家が分析を重ねれば良い
阿部選手に限らず、みんなが頂点を目指して、どんなに頑張っても、そこに辿り着けるのは一度も敗北しなかった選手・チームのみ。だからこそ、対戦した相手だけでなく、対戦することなく敗れていった相手のことも慮る必要があるし、勝者とはそういうものだと思う。
・相手がランキングも武道精神も上でした。 阿部詩は若かった。でも悪いとは思いません。 一生懸命やったけど負けて悔しさが収まらなかった。押さえられなかっただけ。 また一つ成長した阿部詩の活躍をを楽しみにします。
・スポーツ紙も週刊誌も似た感じ。
事実(発言者の本意やあるべき本筋論点)よりも、 話を故意に盛り上げる為に煽りの文句の見出しをつけ読者の気と先入観を植え付ける。
片や冷静を装った文章で、発言の前後を省いた言葉のみを載せてはネガティブに持っていける余韻を残したり。 はたまた読者がその話題で炎上的盛り上がりを見せていると、 違う方向からの見方や第三者のしたり顔的意見を載せてはまた違う話題性を作り上げ飯の種としてそのターゲットの話題を利用しつくす。 ターゲットの尊厳や大きな社会的誤解やなんなら立の剥奪すら気にもかけない。 大衆心理を使って利用し尽くす。
辟易する。
・人種や性別などは「多様性を認めよう」という流れになっているのに、批判的な記事やド正論を書くととたんに「思いやりがない」「讃えるべき」みたいな気持ち悪い意見が頻発する。
意見だって「多様性」があるのは当然。 それを努力してきた人間に対して思いやりがないとか、そんな表面上のなぐさめなんて、選手はそもそも期待してるのか。
詩ちゃんがすごい努力をしてきたことなんかみんな知ってる。金メダリストが努力してないなんてありえない。けど、柔道の精神とかそういうものを本当に日本人が重んじるならあの場は「即座に礼、すぐに退場する」が正解であり、柔道の精神を守れてないじゃないか、ってなるよ。
「○ね」とか「3年間なにしてたんですか」は問題外だが、あの号泣に関しては、やっぱり試合会場でやるもんじゃない。
詩ちゃんも後から相当反省したと思うよ。
・自分達が世論を作るとのメディアの傲慢な姿勢が、事実や真実の追究を歪め、やたらとお涙頂戴報道へと繋がるのだろう。敗北直後の選手へのインタビューも、選手を泣かせようと執拗に質問するアナウンサーらの姿勢も見ていて辟易してしまう。選手一人一人に物語は有る筈であり、わざわざメディアが型にはまった物語を創作する必要は無いだろう。
・多様性だとか言ってる一方で感情をあらわにすることは許されないんでしょうか? 勝った方がピョンピョン飛び跳ねて喜ぶのはいいんですか? 選手だって表そうと思ってやってるんじゃない。 思わず出てしまった、そのぐらい必死でやってきた、そういうことでしょう。 本人にしか分からないここまでの苦しみがあったはず。 自分の「美徳」を他人に押し付けないでほしい。 「国を背負って行ってるのにあの態度は〜」とか言ってる人を見かけたことがあります。 期待をかけるのは勝手だけど、批判するのは筋違い。 自分が直接サポートしてあげているわけでもないのに、選手の気持ちも考えず批判する方が恥ずかしいのでは?
・我が家では、あの泣きじゃくる姿を見て、彼女は末っ子で、甘えん坊さんなんだね~と言う話になりました。 次の機会には、もっともっと成長した阿部詩を見せてくれるんじゃないかと期待が膨らみます。 SNS上で他への許容値がどんどん低くなっているのがとても怖い気がします。
・五輪の柔道はJUDOで、スポーツだと思ってます。スポーツ紙の誘導を真に受けて、感動物語にするな!って言ってるの本気なのでしょうか?w それでフランス観客の懐の深さを見過ごすのは日本人記者の目は節穴でしょうね。 話はかわりますが、確かに柔道の世界ランクってどうやってつけてるんでしょうね。 無敗で世界6位ってなんだろう?とは思います。
・まあスポーツ誌に高尚なことを求めても仕方が無いでしょう。読者のレベルがそんなものだったのです。でも昔は、そんな記事を見て、飲み屋でボロクソにいったりするのがせいぜいだったのが、最近はそれをネットに書き込む。レベルが低くても、書き込みの1件は1件。しかもレベルの低い人ほどネットに書き込む。ネットはひどい状況だ。
・注目アスリートの競技や結果の様子を素のままでの報道で終わらせてあげたい!! メディアがまた商戦戦略に載せ 時には極端な筋書きに持っていく… 結果ファンの中にはアンチに成る者まで出る結果に… 大谷翔平行に対する行き過ぎたメディア対応を反省して欲しい。
・泣かないとメンタルが保てなかったのだと思う。 「金メダル」「兄妹」「2大会連続」をさんざん煽られて、国民に期待されて、あそこで号泣しなければ精神が崩壊してしまったのではないか。 私は国民の期待を無駄に背負わされながらも、精一杯戦った阿部選手を称えたい。そして、その後金メダルとったお兄ちゃんは本当にすごい。
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