( 198121 )  2024/08/04 01:38:03  
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「審判は注意しないの?」「畳の上やぞ」 柔道団体戦、中継に映った行動を日本人ファン驚き

THE ANSWER 8/3(土) 19:56 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/b91eced8c31e40ab5ca4e952af9340a70e47a2d8

 

( 198122 )  2024/08/04 01:38:03  
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ブラジル代表の柔道選手が、ドイツとの混合団体戦で畳に唾を吐く様子を見せ、日本の観点からは驚きの声が上がった。

畳を神聖なものと考える日本人にとっては理解し難い行動だとの指摘があった。

(要約)

( 198124 )  2024/08/04 01:38:03  
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混合団体でドイツと対戦したブラジル代表選手たち【写真:ロイター】 

 

 パリ五輪は3日、混合団体が行われ、準々決勝でドイツと対戦したブラジル選手の行動に日本人から驚きの声が上がっている。 

 

【画像】「審判は注意しないの?」 驚きの行動が指摘された実際の選手 

 

 ブラジルの先鋒として畳に上がった男子選手のダニエル・カルグニン。試合の開始直前、右手の皮か何かが気になったのか、その部分を噛むようにして、口から畳にはき出した。試合に集中している状況、文化的な違いもあるとはいえ、中継にもはっきりと映っていた場面に驚きの声が続々と上がった。 

 

 日本の感覚からすると、競技を行う畳の上は神聖なものとして考えるのが一般的。ネット上には「信じられん」「審判は注意しないの?」「これは柔道じゃないのか……?」「畳に唾のようなもの吐くなんて笑 サッカーじゃないんだよ? ブラジル選手」「畳の上やぞ」「衛生観念どうなってんだよ」という反応があった。 

 

 今大会は審判の判定や選手の振る舞いを巡り、たびたび注目が集まっている柔道とあって、反響が広がっているとみられる。 

 

 なお試合はカルグニンが一本負け。ドイツがブラジルに4-3で勝利した。 

 

THE ANSWER編集部 

 

 

( 198123 )  2024/08/04 01:38:03  
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(まとめ) 

国際的な大会になると、畳やマットの使用に慣れている海外の選手は、日本の伝統的な礼儀作法や感覚とは異なる行動をしてしまうことが多いようです。

また、柔道が世界的に広まる中で、オリンピックなどの国際舞台では真の柔道精神や礼儀作法が薄れ、競技としての側面が強調されているとの指摘がありました。

一方で、日本での伝統や文化を尊重する声や、日本固有のマナーや精神を大切にし続ける必要性についての意見も見られました。

畳や道場に対する敬意や清潔感、礼節を欠いた行為への不快感など、日本人の文化や価値観を大切にしたいという声もありました。

柔道や武道の本来の精神を重視し、国際化に伴う変化や課題について考えさせられる意見が多く見られた。

( 198125 )  2024/08/04 01:38:03  
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・国際大会で使われるのはウレタン等のマットですからね。おそらく海外の選手が普段練習で使うのも同じようなものなのではないでしょうか。そうであれば当然雑巾がけなんてしないでしょうし、道場なんてトレーニングジムと変わらない感覚なのかもしれませんね。 

それでも唾を吐くというのは日本人には受け入れ難い行為だと思います。 

 

 

・日本の武道の精神は、スポーツにするとなくなってしまうのかな。柔道がレスリングみたいに見えた。 

剣道もオリンピックにしたら、ルール改正とか入って今の剣道から離れたものになりそう。 

一本取ったあとにガッツポーズしたら「相手への非礼行為」で一本取り消しのルールとかすぐなくなりそう。技の判定も難しいよね。 

武道って体の強さだけじゃなく、大事なのは心の強さ。戦った相手への感謝や尊敬の心は忘れてはいけないと思う。 

 

 

・真似から始まったものも、本物になれば中身も変わるものです。国際的な「柔道」になったつもりでいるようですが、極めたのは「技」だけのようです。礼に始まり礼で終わる。という意味も理解できていないのではないでしょうか。 

「心」を極めるのは簡単なことではありません、これは柔道の選手だけに限らず、判定をする審判にも言えると思います。審判に「心」が備わっていれば注意をされたのではないでしょうか?備わっていないから気にならないのだと思われます。VARなどで確認が可能なのに使用せずに誤審を誘発しているのも時代遅れを感じますけど。 

 

 

・日本の道場にはたいてい神棚があります。 

公設の道場だと政教分離の観点から神棚はないかな? 

武道は「礼に始まり、礼に終わる」といいますが、稽古の前後で「神前(正面)」「先生」「お互い」に対して礼をします。 

(競技や流派により多少の違いがあるかもしれません) 

 

「神前(正面)」への礼は、元々は神道に由来するのもでしょうが、宗教色は薄れて道場という場に対して感謝や鍛錬への決意のようなものと考えています(うまく表現できませんが)。 

JUDOになって形式的な礼になったとしても、誰かが敬意をはらい大切に思う場所に対して唾を吐くとは、、、 

場所を敬うという思想を理解できなくても、そういう思いを持つ人がいることは理解してほしいものです。 

 

 

・礼節だのなんだのは日本人の特有であって海外ではなんの意味も持たないんだろうね。頭を下げる行為もきっと日本特有のカタチであって外人からしたらどうでもいいんだよな。日本語には敬語があって英語には無いのもやっぱり文化が全く違う。スタジアムとかでのゴミ拾いも日本では当たり前かもしれないけど世界は驚く。この件も世界は普通だけど日本人は驚く。何が正解かわかんないけど、日本発祥の武道なのだから日本のしきたりに合わせて欲しいなとは思う 

 

 

・昔、料理の鉄人という番組があった。外人料理人と日本人料理人、対決して 

勝ったのは外人料理人。で、あろうことか外人料理人は、まな板の上に靴のまま飛び上がってガッツポーズ。で、日本人料理人、唖然・・。対決後のインタビューで、彼には料理人としての魂を感じない、料理人がまな板の上に土足で立つなどあってはならない、と苦い顔でコメントしてたのが忘れられない。 

 

 

・畳の上で技をかけたりしながら、 ポイントを取る 格闘技 っていう認識でやってる海外選手も多いだろうな。 畳の上で 柔道をやる上での作法 みたいなものが 柔道をやる前に指導者からきちんと教えられてなかったら、 競技をする上での畳の上 がいかに 神聖なものか っていう風な考え方 自体ないと思う。 

 

 

・畳の上にしろマットでも、どっちにしろ その上に唾を吐いてはダメだと思う。吐いた選手だけが使うんじゃないし、他の選手も使う物なんだし、他のスポーツも、唾を吐いてるの見るけど、かっこいいとか、思えないわ。お互いが、気持ちよく使用できるように、マナーとか守って欲しい 

 

 

・これも柔道が国際化した結果かもですね。 

一本が基本だったものがいつの間にか、ポイント制に変わったり、道着がカラーになったりとその精神からはかけ離れていっています。 

 

個人的には世界的なものになるのはうれしいのですが、このような変化は悲しいです。 

本当はこの精神に関しても広げてほしいのですが、勝利が重要な意味をもつような大会が増えれば増えるほど、商業主義が入り精神的なものは置き去りになるのでしょうね。 

 

なので剣道は、世界に広まってほしいという願いもありますが、このようにはなってほしくないという気持ちもあります。 

 

 

・審判に品格が求められる競技。パリではまるで選手をコントロール出来ていない為やりたい放題。選手をコントロールするにはそれなりの経験や力量が求められる。選手の好き放題わがまま気ままを許して舐められてるんです。柔道にしても競技は全て取り乱す人間の心を見えない力でコントロールされている事を知ってほしいです。 

 

 

 

・やはりJUDOは柔道とは違うものになり果ててしまった。 

 

オリンピックからJUDOを外したほうがいい。 

 

そして、日本の「柔道」の世界大会を新設したほうがいい。 

サッカーのワールドカップの様な、本当の最高峰の大会として。 

 

 

・観ている限り、海外勢の中には柔道を未だに「和製レスリング」と思って試合をしているように思える場面があります。構えからしてレスリングと思いきや、引き倒して寝技に行く。勝てば観客を煽るなどのパフォーマンスを行う。やはり文化が違うと、礼儀・作法等の認識も難しくなるのでしょうか。そんな中、阿部一二三選手は、勝っても静かに振る舞い、敗けた相手の名誉をも護っているように思われます。言葉が選べず申し訳ありませんが、オリンピック種目ともなれば、武道といえど商業競技化する事で、その競技本来の意義を共有・維持する事は難しくなるかもしれません。弓道がアーチェリー化したり、銃規制のない国でメジャーになる事を想像するだけで危惧する事はあります。柔道日本代表は、そんな中でも、阿部選手のように、柔道本来の在りし方を示していく必要性も担っているように思います。 

 

 

・日本は競技場を神聖な場と捉える。 

海外では、野球やサッカー等のグラウンド。 

単なる地面としか捉えない。 

だからなのか、平気で唾を吐く。 

日本はスポーツを身体に加え心(精神)の 

鍛練と捉えるので、その鍛練の場を神聖化 

するようなこともあるのだろうな。 

柔道や剣道などの武道。 

相手への敬意もあるが、場への敬意も示す 

ために礼がある、そんなことを教わったな。 

 

 

・準決勝が終わった時、両国のメンバー全員が並んで出て来て礼をして戻る時、ドイツはみんなバラバラに戻るのに対し日本は相手に背を向けないようになのか、畳は神聖な場所だからか?後ろ歩きで戻っていました。 

(柔道のルールがわからないので違っていたらごめんなさい) 

やはり礼儀を正しているのは見ていて気持ちがいいですね。 

 

 

・私は学生時代に柔道初段、見た目で言う黒帯をいただいた。 

そのためには筆記、形、試合で成績を残さなければならないが、外国人選手の黒帯の方々も同様の試験を受けているのだろうか。 

筆記試験では柔道の父と呼ばれる嘉納治五郎さんのことや、嘉納氏が残した言葉「自他共栄」「精力善用」などについても学習して挑んだ。 

柔道精神とは何か、柔道から学ぶことは技だけなのか、プロとして柔道極めるなら、尚更、もう少し考えた節度ある行動をとっていただきたいと感じた。 

礼に始まり、礼に終わると言ったマナーにかける態度も気になった。 

多くの人が柔道に興味持ってくれることは嬉しいが、世界の舞台で活躍し、多くの人が観戦する場面で活躍される立場なら、お手本となるような行動をしていただきたい。 

 

 

・ネットの声なんか拾ってないで、記事作る側が記事作れよと思う。メディアは、ネットの声拾いまくってるから、ネットが調子乗ってるんだよ。記事は自分たちで作って欲しい。一般人の声を拾いたいなら楽してネットの声拾わずしっかりインタビューするなど取材して欲しい。誹謗中傷が増えてる原因の一つにメディア側にもかなり問題あると思うよ。楽した卑しい商売はやめてかっこいい仕事してくれ。 

 

 

・グローバル化ってこういう事かなと思った。 

世界に普及し、よく言えば新しい技ができたり競技として磨かれたり、そもそも競技人数も増え世界的なスポーツに昇華した。 

一方で、日本的な柔道は失われつつあり、根本的な「道」の部分が理解されず柔道がスポーツに成り下がったともいえる。 

 

何をもって成長・成功とするかで良かったのか悪かったのかは変わるので一概にどうとは言えないが、きっと移民や外国人労働者を入れると日本文化も変化していくんだろうなと思う。 

 

何か測りやすい数字的なもの(経済指標や何かのランキングなど)を求めるなら国際化、数字では測れない定性的なもの(日本的な価値観や文化)を求めるならクローズのままなのかもしれない。 

 

 

・国際的なスポーツになった以上、日本のしきたりでは?共に育てる形になると思います 

 

元々サッカーはイギリス発祥。今は世界でルールを決めます 

 

イギリスが元の形と要求する権利は無いと思います 

 

日本のスポーツにしておきたいなら、オリンピックに種目として残さず、日本国内だけの協会にする方がと思います 

 

多分 剣道は日本国内だけのルールで、海外に言うことを聞かせることが可能かと思います 

 

これが国際化だと思います 

 

老舗にしたいなら、店舗拡大はしない方がと同じような気がします 

 

 

・昔ですが、プロレスのリングにエキサイトした客が登ってしまったら、若手に吹っ飛ばされてました。 その後でアルコールか洗剤みたいなので綺麗にふいてました。 流血とか切ったりした傷に雑菌や破傷風菌とかが入らないためとか聞きました。 古舘伊知郎さんがリングに上がった時も、靴を脱いでいました。 

畳を神聖化して綺麗にするのは、確かにそういう一面もあるのかもしれません。 

コロナの時には、あれほど神経質に衛生観念が異常なまでに浸透したのを思い出しました。 

残念ながら、神棚や道場は土足厳禁とか自分らで掃除するなどの感覚が外国には浸透しないのかもしれませんね。 

まあ、こういうコメント出すと、プロレスラーやリングアナとか靴はいて 

リングに上がってるとか言う輩が湧くんですが、事前に綺麗にしたり、新品の靴をちゃんと用意するようですw 

追記:大昔の日本プロレスでリングを掃除機で綺麗にしてたのは本当ですか? 

 

 

・私も有段者だが、五輪でのと言うかJUDOは、日本の柔道とは別の競技だと言う事だろう。 

剣道も世界大会での諸外国の振る舞いは、剣道の道では無いと思う。 

 

柔道も同じで、道ではなくただの競技でしかない。 

勝てば反則でも、審判が無能でも、勝利の為には些末だという事が諸外国の考え方。 

 

だから礼も無ければ、公正・公平も無い。 

グレーゾーンでも反則行為を行うし、審判に見えなければ何をしても問題が無いと思っている。 

勝てば官軍なのだろう。 

 

その考え方はロシアやイスラエルにも通じる。 

勝つ為には何でも良いという事だろう。 

 

 

 

・柔道、弓道、剣道のように「道」がつくものは武士道由来で精神が伴うものであり、柔術、弓術、剣術のように「術」がつくものは単に技を競い合うものと聞いたことがあります。 

 

私は柔道のことは素人ですが、 

オリンピックで海外の柔道を見ていると、柔道とはいえず柔術だと感じることが度々あります。 

 

 

・柔道も空手も剣道も殺陣も、武道ではなくただのスポーツだと外国人は思っているのがよくわかります。 

自分も武道やっていますが、戦い方や試合後の態度とか正直外国人の方に対してウワァ…と引くことがあります 

師範なんかも苦笑いしていたりするし、それはただの喧嘩だよ、負けても礼をしてから下がりなさい、なんてよく言ってる 

武道の精神に感じ入り、ちゃんとしている外国人の方も勿論少なからずいますけどね… 

 

 

・日本人の知っている柔道とオリンピックでやっているJUDOは、似て非なる競技だと言うことを私はこのパリ大会で確信しました。日本柔道にとって最高位の大会はオリンピックと位置付けられているようですが、これでは武道としての柔道は、どんどん歪められて世界に広まってしまいます。 

真の柔道を知ってもらうためには、オリンピックよりも上位の世界大会を開催し、今のポイント制ではなく時間内に「一本」を取れなければ両者負け、礼を失した行為があれば勝敗関係無く失格など、講道館柔道の原点に戻った世界大会を開催して欲しいですね。 

 

 

・先ほどこれを見ていてひっくり返りました。 

オリンピックに出場するくらいだから子供の頃から柔道をしているはず。 

なのにあの態度。驚きました。 

それとは逆にドイツ選手たちの素晴らしいこと。 

お辞儀、組手、全てに柔道愛を感じました。 

日本生まれの競技だからついついクチうるさくなってしまいますがどの国で発生しようとも競技に対して敬意をはらってもらいたいと思うのは世界共通ではないでしょうか。 

 

 

・もう柔道とJUDOは別物だと考えた方が良いような気がする。 

礼に始まり礼に終わるという感覚も外国人にはないだろうし。 

青い柔道着が採用された時に日本から強く抗議があった記憶があるが、もう国際化して変わっていく柔道になすすべもないのだろう。 

日本の国内だけでも『柔道』を継承していってほしいが、難しいのだろうか。 

 

 

・ゴルフなども含め発祥の文化やマナーを尊重しグロバールで楽しんでいるスポーツもある。 

 

毅然とした主張で柔道のマナーについて国際柔道連盟に日本は意見を行ってほしいと個人的に思う。 

 

アジア文化は尊重されないのか。 

そんな見方もできるような気がする。 

 

オリンピックや国際試合をやめて良い気がする。 

 

畳を降りる時に礼が無いだけでも違和感大きいのにここまで酷いマナーが繰り返されるのであれば。 

 

 

・オリンピックの柔道、はもうすでに、日本の伝統の柔道とな別物になった、ということですね。だから、日本としては、これから、オリンピックへの参加は考え直す時かもしれないです。それでは選手が可愛そうだ、というなら、日本の中で、柔道を分けて考えるのもかりかもしれない。礼に始まり礼に終る、日本の武道としての柔道がなくなるなら、それはもう柔道じゃない、という考えもあるので。 

 

 

・日本武道館なんて剣道家は大道場で靴下を履くことすらご法度とされているのにね。 

海外の方々は日本のように武道を神事と結びつける事はないので、道場が神聖な場所という意識は無いかも知れません。 

もしかしたら陸上競技のトラックや野球場と然程感覚は変わらないかも知れません。礼節とかいう前にそもそもの感覚が違うのだと思います。 

日本人はどのスポーツにも多少の武士道が混ざるので競技する場所=神聖な場所、このフィールドでプレーできるのはたくさんの人やもののおかげ、感謝して大切にしなさいという精神を幼少期から散々叩き込まれていますから、外国人選手の行いを特別非礼とみなすのでしょう。 

もうそういう風にしか育てられていないのでどうしょうもないてすね。本音は腹立つけど。 

 

 

・すべてはルールにのっとって行われているでしょう。何か問題が有るのならば今回適用されているルールを改訂する必要が有ると思いますが、多分日本はそのような発言力が無いのだろうと思います。自国チームが有利となる様なルール改訂はどの種目でも行われていると思いますが今回指摘内容をルールに盛り込めば日本が有利になるという事なのでしょうか? 

 

 

・外国人選手にとっては、競技を行う足元は畳でもマットでも芝生でもその違いについて深く考えたりはしないでしょう。 

 

外国人選手の全てが、日本に長く住み、畳の文化を理解し、精神性に惹かれて柔道は始めた人ばかりではないはずです。 

 

それでも、あえて苦言を呈するのなら、それは指導者に対して。 

教えられなければ分からない事というのはあります。 

 

私自身は、芝生であっても人が寝転んでストレッチしているのに、平気でタンを吐きまくる人は敬遠させていただきたい。 

 

 

 

・日本の柔道と彼らがやってるJUDOは全く別の競技ですね。礼節とかはもはや軽視されててとにかく試合で勝てば何でもありみたいな感じに見受けられます。何としても一本を取る、前に前にという姿勢、柔道本来の精神みたいなものから精神の部分は取り除かれ格闘技としてでしか柔道がみられてない気がします。外国人審判の判定も酷い時が多々ありますし、柔道が国際的に有名になったのは嬉しいですが違うものとして扱われるのであれば手放しでは喜べない気がします。 

 

 

・礼節を欠く行為に反則を与えるのも、柔道をオリンピックに持ち込んだ日本の責任であるような気がする。剣道は一本取ってガッツポーズでもしようものなら、即1本取消、反則1をもらうほど。外国人であろうと誰であろうと、審判がしっかり礼節を理解しなければ、どんどんかけ離れたスポーツになってしまうかも。 

 

 

・外人は畳など知らない。単なるマットであり屋外での唾はきと変わらない。何とも思わないね。勝てば良いのですから。五輪の「JUDO」は日本柔道と違うのですね。スポーツになればルールも変わり勝負だけにこだわります。嘉納治五郎・講道館も五輪種目になれば柔道が変わっていくと解っていたと思います。仮に相撲が五輪種目になれば大幅に変わるでしょうね。例えば階級設定(体重別)・号令・決め技・服装・まわし等変わりますね。しかし「大相撲」だけは伝統を守り継続を願いたいです。 

 

 

・世界にだって日本の柔道精神に感銘を受けた柔道家はいるはず。 

日本人ではなく、そういう外国人柔道家が武道の精神をしっかりと主張して言って欲しい 

 

多分スポーツではなくて文化として子供の時からの指導が大事 

 

 

・外の広いグラウンド等ならまだしも。 

体育館とかでもタンやツバ吐いたら衛生的にもムリだなと思う。 

ましてや畳の上となると不快に思う人は多いですよね、日本人なら特に。 

自分の足裏や柔道着に絡みついても気にしないであろう感覚がすごい。 

最近は道端でもタンツバ吐く人や立ちション、喫煙する人が少なくなったのは良い傾向です。 

 

 

・柔道を外国に広めた先人は、まさかこんなことになるとは思ってなかっただろう。柔道を世界の柔道にするために、礼節とか、畏れ敬う気持ちとか、大切なものを捨ててしまったようだ。 

それとは別にしても、畳でもマットでも、吐き捨てては駄目でしょう。それは、選手やその国の民度の問題であるとも思う。普段からおうちでもやってるんだなあ。 

 

 

・近年は柔道が日本の資する武道から 

格闘スポーツへとある意味悪変している 

そもそも柔道の精神論にも共感し 

世界に広まったはずで 

柔道家を目指した世界の選手も 

その神聖さを重んじて畳に 

上がってきたのではないのだろうか 

オランダの柔道家 

ヘンシング氏のように 

それが今はどうだ相手を倒しさえ 

すれば良いその考えが真の柔道を 

蝕んでいると言っても過言ではない 

五輪には多様で数の多い 

スポーツがありそれぞれが 

それぞれの価値観で行われるのは 

いいとは思うが 

その中に日本で生まれ 

「心・技・体」の五「心」が 

重んじられる競技として 

1つくらいあってもいいと思う 

今一度世界の柔道関係者は 

柔道のその真を見直して欲しい 

 

 

・世界各国での柔道人口が増えて来ているけど。 

武士道と言うより格闘技として捉えているような感じだよね。心技体の技だけ習得すればいい、みたいな。礼に始まり礼に終わる。心の部分の習得が出来ていないのかな?とパリオリンピックを観て思った。 

 

 

・中学生の頃に男子は体育の授業で柔道を選択科目にされていた。女子はもちろん選択科目ではない。 

 

ある時に柔道場で先生の話があった時に男子は全員一礼をして柔道場に入って行った。 

授業で柔道場は神聖な場所だから生徒だけではなく先生も一礼をして出入りするものだとその時に初めて知った。 

 

 

・競技人口と柔道のメジャースポーツ推進に躍起になるあまりそもそもの武道家としての礼節を教えて来なかったたけじゃないですか? 

外国人選手の振る舞いに文句を言ったら「外国人だから」って言い訳が立つんだろうけど、発祥が日本の武道ならそもそも競技を普及させるにあたり日本的武道家としての振る舞いも含め試合だけてはなく立ち振る舞いまで協議の一部として指導して取り締まるようにするのが筋かと。「そこらの格闘技と一緒にするな!」ってね、日本はそこまで含めてきっちり普及させてこそクールジャパンでしょ。 

 

 

 

・もはや柔道とJUDOは違うものであると考えないといけないのではないでしょうか。 

 

JUDOに柔道の精神を求めるのは難しく、柔道での戦い方とJUDOでの戦い方も異なってきているように思います。 

 

それは今大会で話題になっている海外の審判のジャッジなどにも言えるように思います。 

 

 

・柔道がオリンピック種目になって 

日本の古きよき 伝統を重んじた柔道は使用する柔道着をはじめ、技術の面、精神面、審判に関しても日本基準が通用しなくなった。世界で通用するのは柔道ではなくJUDOであることに日本人はオリンピックのたびに気づかされ戸惑い、落胆してしまう。柔道一直線が懐かしい。 

 

 

・オリンピックの格闘技JUDOと日本の柔道とは別の競技のようです。畳ではなくマット、柔よく剛を制すなんて通用しない四角いリングなのでしょう。礼に始まり礼に終わるはずですよね。審判の所作からして威厳もない。意味不明のSIDOで終わりってなに。やはりオリンピックですから一本勝負の柔道を見たいです。 

 

 

・今の世界大会の柔道で1位をとっても本当の実力はないような気がする。反則負けを狙ったり礼儀がなかったり審判の質が低かったり本当にレベルが低い。ジャケットレスリングたわ。真の柔道家だけの大会を作って欲しい。 

 

 

・国際化に国際化する為に作法や礼儀をきちんと厳格化しなかった日本の柔道界が悪いのでは 

フェンシング等で礼を失する行為は許されるのか? 

冬のカーリングは試合前に発祥国のバグパイプの演奏が行われるが発祥国への敬意を表すのが許されるなら柔道も審判が揃って腰から曲げる綺麗な礼を行うなどを厳格に様式美として標準化しても良かったのでは? 

関係者は大先輩などの業績を批判する事が出来ず結果的に庇いあって批判しにくいのか? 

はっきりと促して違い出して行かないとこのままズルズル行くと半世紀後には様式が違うだけのレスリングと何が違うのかとか海外から言われても知らんぞ 

 

 

・西洋の人は畳をただの床と思っていて、日本人が床の上で寝ているという感覚をもっていると思います。日本人は靴を脱いで、廊下はスリッパを履いて座敷で初めて履き物を脱ぐ、だからちょっとお菓子を落としても畳の上だと拾って食べたりしませんか?スリッパ履きのリビングでもやりかねなかったりして。。。多分外国の人は、畳の上でもモップ掛けすると思いますよ。感覚違いますからね。唾を吐いたりみたいな振る舞いは日本人の感覚ではあり得ないですよね。ただこの頃は玄関ホールの地面の上で靴脱いで、その足で廊下に上がる人が目につきます。なんのために日本の床は玄関より高いのか考えてくださいと言いたくなる。それこそ唾を吐いたりしてる地面を靴底は接して帰ってきてます。玄関ホールは道につながってて、犬の散歩で汚れたりしてる所と繋がってるわけだから非衛生的だと思わないのかなと感じてます。日本人の感覚も麻痺してきてる気がします。 

 

 

・形が変わることもあるだろうがスポーツや武道は規律と精神が一緒になったものなのではないか。フェンシングや馬術は騎士道から始まっているものと推察するがマナーもルールとあわせて伝わって来ているかと思う。国際的になったから規律もゆるくなって当然、許容すべきと感じるのは日本人の島国根性の裏返しであり思い込み。日本の心を伝えていくことに遠慮と躊躇しなくてよいと思う。なぜなら日本の文化の成熟度は誇るべきレベルなのだから。唾など吐くなそんなものは反則!ぐらいの声明を柔道協会が出してもよい。 

 

 

・もう柔道はスポーツとしての活動はやめた方が良いのでは? 

本来の目的から大きく逸脱してしまっている 

しかもスポーツとしての柔道から入っているので 

柔よく剛を制すなど柔の道を理解することなく体格のみで勝つための柔道という名のスポーツをしているだけ 

本来の柔道とは別物なのだと日本がどうにかしてアピールするべき時では? 

 

 

・国際スボーツになった時点で、色々な文化が混在していくのは仕方ない。仕方ないが、唾を吐くのは違うと思う。 

 

中学英語でも、「do judo」になっていて、他のスポーツのplayとは違いますね。こういう事は、キチンと組織に訴えて明文化すべきだと思います。 

 

 

・いやいや、日本以外の国は、そういう感覚ですよ。だから、日本人がロッカールームをきれいにして帰ったり、応援団が掃除してから帰ったりするとあちらの方たちは驚くんです。我々日本人にとっては当たり前ですが。 

アメリカではビックリすることばかりでした。空港の待合室で、子どもが椅子にアイスクリーム落としてベトベトにしても、拭きもしないで立ち去った両親、野球の試合では子どもらが守備に行ってカラになったベンチでは、監督が散らかったバットやボールを蹴飛ばして片付けていた。それが普通。道を歩けばあちこち痰だらけ。なんならその汚い靴で家に入り、ベッドやテーブルに靴のまま足をのせる。 

衛生観念が違う。文化の違いって恐ろしい。 

日本の学校は自分たちで掃除させるからだ、あれは素晴らしいと思うって、たくさんの先生たちに羨ましがられました。 

 

 

 

・日本人は「柔道」と「JUDO」は違うことを認識する必要がある。 

「礼に始まり礼に終わる」のが柔道、 

ルール内なら手段を選ばず、見苦しくても勝てばいいのがJUDO。 

 

今大会でそれを強く認識できました。 

その点では非常に有意義だった。 

 

 

・昔から日本から色んな国に柔道を教えに行ってるが、精神面の指導、教育が行き届いていなかったんじゃないのかな 

今は日本に海外選手がたくさん稽古に来るが、技術だけじゃなくそう言うマナーや精神も改めて指導すべきだ 

 

 

・「礼に始まり礼に終わる。」柔道も、もはや単なる格闘技…UFCか? 

今大会の外国人選手の”礼“は、全くの形だけ。 

相手に対する礼を尽くし、敬意を払うものではない。 

やらなきゃいけないから、ペコッと頭下げるだけ。 

それが試合中も試合後も、全てに現れている。 

やはり外国人には柔の心は理解できないし、そんなもの無くても勝てば良い…と思ってるでしょうね。 

 

 

・畳であろうと、マットであろうと、板張りの床であろうと、芝生であろうと、土のグランドであろうと、自分たちが鍛えてきた力を、技を競い合う場は神聖である。 

 サッカーや野球で平気で唾を吐く選手を見ると、プレーが素晴らしくとも興醒めする、プロ野球で、負け試合であっても退場する時、多くの選手がグランドに会釈してから退場している姿が放映される事がある、贔屓のチームでなく共、彼らに尊敬の念をいだく。 

 

 

・今大会を見ていて思ったのは日本人の「礼儀作法」や「神聖」といった心は外国人には理解しがたいモノかも知れない。道場に上がったり下がったりする際の「礼」にしても頭を前に下げているだけって感じで、その場所に対する「礼儀」とは感じにくいですね。 

野球やサッカーやその他のスポーツでもグラウンドに対して礼儀を尽くしている人もいますよね。 

大会側や審判が何も言わないのは文化の違いなのだろうか? 

 

 

・プロレスとかボクシングとか他の格闘技でも珍しいことではありませんから、無理に「日本の柔道」の当たり前を押し付けるのは間違っているとは思いますが、いい気分がしないのは確かです。 

個人的にはサッカーでも野球でさえもそういう場面を観ると嫌な気分になるので、余計にそう思ってしまいます。 

 

 

・まぁ、世界は畳ではなくそれこそ体操の床みたいなものと同じだったりウレタンマットだったりでしょう。道場でも、畳ではないところも多いのでは?向こうの人にしてみたら,戦うマット、戦うリングみたいに思ってるでしょうから.講道館の外国人選手とは違うでしょう。 

 

 

・オリンピック競技の「JUDO」は日本の伝統的な武道である「柔道」とは全く似て非なるものだと理解しなければいけません。 

柔道がオリンピック競技になって以来、礼節を重んじる武道の精神などには関係なく海外選手に都合の良いようにルールその他を変えられてきてしまい、今や、審判の目を盗んで反則技を使ってでも勝ちさえすれば良い、積極的に攻めているように見せて相手に指導を3つ付けさせれば勝ちと言うスポーツというよりもゲームのような競技に成り下がってしまいました。海外選手に「礼節」云々言ったところで通じませんよ。 青い道着やカラフルな畳が登場した時点でもう「柔道」ではなくなってしまったんですよ。 

 

 

・異常と思える判定も含め、オリンピックの柔道は本来の柔道とは違うものになってしまったみたいですね。日本の基準で日本で開催するものだけを真の柔道と認めるのが良い気がします。 

 

 

・柔道の畳(そもそも本当のたたみではないですけどね)の上を神聖と言うのは、それはあくまでも日本の文化ですよ。 

海外の選手の多くは、スポーツとしてやっているわけですからね。 

そういう行動までいちいち気にすると言うのもどうかと思いますけどね。 

私は、かなり前になりますが、MLBの選手が試合中グランドで普通に唾履いているのを見て驚いたことがありますが、今ではそんなもんだろうなぁと思って見ています。 

私はどこであろうと唾を吐いた事はありません。でも、他人がどうしてようが気にはしていません。 

外国の選手の場合、いろんな格闘技をやっているその1つが柔道だと言う人も多いですからね。そういう人は本来の柔道にはない技を繰り出したりすることがあるわけですね。 

神聖なと書いている人がいたので、気になったのでコメントしました 

 

 

 

・日本人の当たり前の感覚なんて日本人じゃなきゃ分からない。 

何かを吐き出す行為は外国選手にとっては日常的な当たり前の行動なんだと思う。 

 

そう言う行為が不潔で礼儀がなっていないって理解させるのは大変だろうな。 

海外に行く度に日本に生まれて良かったっておもいます。 

 

 

・空手をずっとやっていたけどこんな行為するのは武道家とは絶対言えない 

道場に入る時に礼、出る時にも礼 

試合は礼をして上がり正面、審判、そして相手に礼、終れば相手に礼して場を出る時にも礼 

それを唾を吐くなんて有り得ん、指導者が悪いのか、審判や同僚も注意すべきだった 

 

 

・事の良し悪しは別にして、柔道は日本発祥ではあるが世界に普及した結果、日本古来の礼節と慣習を重んじる伝統武術から単なる格闘技に変化。畳は神聖な場所? 海外の選手にとっては単なる競技を行うマットにしか過ぎないのでは。さらに礼節をとっても、我々の見方は日本文化の視点から見た礼節。文化が異なれば礼節の中身も変わってくる。共通点はあくまでも競技のルール。即ち、ルールブックに反しない限りとやかく言われる筋合いはないのが彼らの言い分ではないのかな。 

 

 

・柔道の高体連の大会などで審判をしていますが、今回のオリンピックでは負けた選手が礼をせずに握手だけをしたり、今回の件は更に耳目を疑うばかりです。主審は毅然とした態度で礼法の指導をするべきであると思います。また今回の件は、スルーするような案件では全くありません。 

 

 

・JUDOは、柔道と乖離し大分、乱れていますね。海外の指導者の問題だろうね。柔道は根底に精神があり、技があり、体がある。所謂、心技体だと思うが、JUDOの場合は勝つためのテクニックだけを指導しているんじゃないかな。簡単に言い換えれば、テストの基礎学力はそこそこに、テストを解くためのテクニックだけを教えているような感じがする。 

 

 

・柔道とか剣道の国際試合の動画とかみてると、同じ道具を使って規定を満たすスポーツをしている、JUDO、KENDOであって、何故それが反則なのか、なぜ相手に敬意を払うのか、という本質が抜けている気がするように見える。 

アジア人がゴスペルを歌ったりすると小手先の技術とか色々言われるらしいけど、似ていると思う。 

 

 

・日本にとって柔道は国技で厳格なものだけど海外からしたら畳でやるレスリングたんでしょうね 

柔道を観戦しようとしたら不快なことしかないですがこれも世界に普及した影響であり、日本がどれだけ世界で発言力がないかの表れなのでしょうね 

競技の世界基準を作るのはヨーロッパであり、ヨーロッパに影響力のない国の国技はナンチャッテ競技に変わるってよくわかりました 

 

 

・ブラジルの柔道競技人口は200万人とかいてるらしいです。日本から海外に普及後は礼儀礼節の教えの言い伝えはあったでしょうが、近年はオリンピックや世界大会が盛んになり勝利主義が優先され、ガッツポーズも注意されない状態です。日本の武道は 礼に始まり礼に終わると言われています。今一度 選手は元より審判にも礼儀礼節の教えを再確認させる時だと思います。 

 

 

・国際柔道の運営は、柔道の心の部分、真の柔道とは何なのかはもう関係ないらしい。 

ただの金儲けツールとしか観ていない証拠。 

 

日本として国際大会やオリンピックに関わり続ける事は大切ですが、もっと大切な事を日本発祥の競技を通じて失っている事を強く感じます。誤審も含めて真実や競技の成り立ちを無視して良いのかと考えさせられる。 

 

 

・バリオリンピックの柔道の審判は、日本の剣道の審判のように練士や範士のように上級の有段者が努めていませんので、知識不足や技の優劣を判断できません、日本の武道も分かりませんのて、日本の講道館に来て柔道を学び直してください。 

 

 

 

・そもそも開会式を見れば、神聖な競技会なのかそうではないのか一目瞭然。 

力の強いものが良いという文化を定着させるためのプロパガンダ。 

 

かろうじて、日本人は唾を吐くという行為を次元の低い野蛮な行為として認識しているようですが、それとて外国人が増えていく中で消えかかっている精神性。 

 

それを表現したのが柔道のはず。 

 

まともな審査ができるかどうかを競う審判競技会をオリンピックに取り入れるべきですね。 

 

 

・学生時代に北京で合宿してびっくりしたんだけど、体育館の中、コートの外までは普通に土足だし、つばとか痰とかコートに普通に吐くんだよね。 

畳は神聖ってのは日本特有の文化だと思うから、韓国の旭日旗ムーブみたいにゴリ押しするか、寛容に受け止めるか、どっちかだと思う。 

 

 

・昔の映像で、駅のホーム等に痰壷が置いてあったのを見たことがあります。 

問題となる国の方が畳に上がられた際は、痰壷を置かれてはいかがでしょうか。 

もしかしたら、そのような時代や社会で生きておられるのかもしれません。それに、柔道を知らずにJUDOをされている方も多そうです。 

 

 

・礼節を重んじる武道であって、本来はスポーツじゃないのにそこの認識が海外では徹底されてないんだろうな 

テニスラケットを折ったりしたら警告などがあるように、礼節を守らなかったら警告にしなよ 

 

まぁ、今大会の審判じゃ無理か 

まともなジャッジすら出来ないのに礼節のことなんて知らないんじゃない? 

 

 

・日本はブラジルを紹介する際はこの映像を使いましょう。 

この行為を恥ずかしいと思えるなら何らかのリアクションがあるはず。 

単にこの個人の問題ならブラジルが対応するでしょう。 

それを見たブラジル人が何も感じないとすればブラジルはその程度の国としてそれに相応しい対応をすれば良い。 

差別ではありません。失礼な行為が普通の国と受け入れられない国とでは考え方が違うのです。 

 

 

・柔道に寝技がある限り、畳の上にツバは最大限の罰則で良くないか? 

日本とか武道とか関係なく、他人を大事にするとか、モラルを維持するといったレベル。これがOKだとスポーツ選手のモラルが地に落ちるし、反則がはびこる。柔道の試合が見るに堪えないものになる。 

 

柔道には誰にでもわかるルールがまだ構築できていない。 

 

 

・彼らは武道家ではなくJUDO選手。畳の上は神聖な場所だの、例に始まり礼に終わるなどの武道の精神は持ち合わせていませんよ。 

 

格闘技やサッカーと一緒。ルールの範囲内なら何やってもOK。何なら審判に気づかれなければ反則してもOK。勝つことが全てだと思っている人が多い。 

 

JUDOの申し子と言えるリネールの言動を見ていれば、彼らは武道家ではなく格闘技選手だと言うことがよくわかります。 

 

まぁ武道家でなくとも相手をリスペクトする振る舞いや、他人への配慮は身につけて欲しいものですが、そこは個人の差があります。 

 

畳に唾を吐き捨てるのはソイツの素養がその程度だと言うことです。 

 

 

・文化の違い、育ち方の違い、教育の違い、躾の違い、マナーの違いだが、少なくとも日本の武道においては許されないことで、相手にも非礼極まりない。それこそ教育的指導を与えるべき場面。 

 

 

・柔道を世界的競技にしたいという思いから譲ってはいけないところまで妥協した結果生まれたのがJUDO 

今のJUDOには柔道の武道の精神なんか残っていない 

 

道着が乱れても、ちゃんと帯も締め直したら不利になるから軽く差し込むだけ 

組み合わない、組んでも腰が引けてるから技が掛からない 

そこからかけ逃げで攻めてるように見せて相手に指導を入れる競技に 

よく分からない判定での決着 

 

よく心技体というが、一番は心 

強さや勝つことよりも精神面を求めるもの 

そこが欠落しているのが今のJUDO 

 

 

・もともと海外でやっているのは、柔道じゃあないので言い換えれば「ジュウドウ・レスリング」では?誰かが言っていたが、新たに厳格な従来のルールで行う柔道協会をつくり開催すれば良いと思うが、いかがか。 

 

 

 

・国際化の証明とか言う人達もいるけど何十年前の話だよ、って思います。昭和初期の柔道感覚を現代のJUDOに伝統だとか神聖な、などという言葉で押し付けるのは古すぎる。逆に恥というかおぞましささえ感じます。こういう昭和勢がいるから日本の柔道は時代錯誤になるのかな?と思います。 

衛生面? 

関係ないね。サッカーやラグビーなどグランドで唾や血反吐履いたりしても文句は言われない。なぜ柔道だけが特別? 

 

「礼に始まり」? 

クソ喰らえだ。「礼」ごときでポイントになるのか? 

しなければペナルティになるのか? 

時間短縮になるのか? 

ならないね。だったらやる必要は一切ない。 

 

最低限のマナーさえ守れればじゅうぶんスポーツマンシップだと思います。 

 

ルールにない自分達の昭和初期勢の価値観を他国の選手達に押し付けるのは良くないというか恥ずかしいのでやめてほしいものだ。 

 

 

・もはや、いろんなことがハラスメントと言われる多様性とか包摂性の令和の時代だから、「〜するべき」とか「〜はしてはダメ」という従来の固定観念は古いのではないかな。日本の柔道も時代に合わせて変化させていくべきだな。 

 

 

・今、世界中が見ているのは「柔道」ではなく「JUDO」。 

フランスを中心にした国際柔道連盟(IJF)が広めているビジネススポーツ。 

 

だから、ルールもおかしな点があり、選手のモラルは低く、審判の質も低い。 

 

もっとも、この横暴を許しているのは、国際柔道連盟内での派閥争いに長年敗れ続けている日本の不甲斐なさなので、文句を言うのなら、日本の全日本柔道連盟に申した方がいい。 

 

 

・柔道は最低限の礼節違反だけで失格でよいと思います。 

武道の、柔道の精神ができていないならそれは別の格闘技でやっていればいい。柔道は精神を含め違うレベルでやらないといけない。それを裁ける審判の育成が求められる。 

 

 

・立ち振舞もそうだけどルールにでも組み込まないと無くならないと思う。例えば日本の寿司が海外で人気でリスペクトされていても、そこで食されているのは寿司とはほど遠かったりする。最初は日本の指導者が柔道の精神を教えたとしても、世代を経るとそれも薄れてゆくもの。畳にツバを吐いても本人は柔道をリスペクトしてるかも知れない。 

 畳に上がってから降りるまでを試合と見立てるようにでもしなければイタチごっこは続くと思う。 

 

 

・ギャン泣きもブラジルもそうだが、もはや選手たちに武道の精神なんて持たせられないんだって。 

 

だって勝つことしか考えてないし勝つ事だけが偉いんだから。 

 

武道の精神性を復活させたいなら行き過ぎた勝利至上主義を改める事が第一歩です。 

 

 

・このオリンピックでよく分かったことは、日本国民の多くが想像する柔道とスポーツ柔道には大きな乖離があるということ。それは、日本人選手の全てが武道としての柔道をやっているわけでもなく、外国人全てがスポーツ柔道をやっているわけでもなさそう。例えば、阿部は次の進行も考えることなく負けてその場で座り込み大泣き、一方対戦相手は表情ひとつ変えずに礼を待つ。畳は神聖だが、スポーツ柔道では単なる試合の場所でしかない。そこで何をやっても非難される必要はないと言うことだ。 

 

 

・柔道はスポーツである前に日本固有の「武道」です。オリンピック種目となり国際化するにつれスポーツ化したのでしょうが、根っこの部分は日本人選手が世界の舞台で体現する必要があります。空手も柔道の二の舞にならぬよう。 

 

 

・学生の頃コート(グラウンド)は神聖な場所として指導され、入場するときも挨拶をしてました。唾を吐くなどはもってのほかでした。当然、飲み込んでいます。外国選手は文化の違いもあると思うので仕方ないと思いますが、プロ野球、Jリーグなどで日本選手が唾を吐くのは全く容認できません。 

 

 

・裸足で歩くところ。 

神聖なる床。 

唾をはきかける。 

特に日本では、畳は家の中の床材だけに家の中で唾を吐くと考えられるから特に許しがたい。 

ブラジルでは家の中で唾を吐く習慣があるのかは分からないが、どう考えても間違いだな。 

何だかオリンピックは、無法地帯になってきたな。 

しまいには競泳のプールにはトイレがなくなるのか?あり得ない事だが、畳の唾はそれぐらいに匹敵する問題になりかねない。 

 

 

 

 
 

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