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柔道・永山竜樹と阿部詩 SNSの誹謗中傷に「選手は人生をかけて必死で戦っている」「全てをかけて頑張っている」

デイリースポーツ 8/4(日) 18:47 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c90b3883a2a66d41aaf9c2cc2da4439bf4de776f

 

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日本代表が柔道混合団体でフランスに敗れて2大会連続の銀メダルを獲得し、メダリスト記者会見に出席した。

永山竜樹選手は試合後のSNSでの中傷についてコメントし、選手の努力を尊重するように呼びかけた。

また、阿部詩選手は団体戦までの調整について説明し、SNSの投稿にはあまり気にせずに選手側の心情を述べた。

(要約)

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 表彰台で銀メダルを手にする阿部一二三(左)と阿部詩(撮影・中田匡峻) 

 

 「パリ五輪・柔道混合団体」 

 

 2021年東京五輪に続いて決勝でフランスに敗れ、2大会連続で銀メダルとなった日本代表が4日、メダリスト記者会見に出席した。 

 

【写真】会見後の豪華集合写真に個性にじむ 五輪連覇王者がすみっこに 堂々センターには 

 

 記者会見では、選手を傷つけるようなSNSの投稿について、男子60キロ級の永山竜樹(SBC湘南美容クリニック)、女子52キロ級の阿部詩(パーク24)が質問を受けた。 

 

 永山は個人の準々決勝でガルリゴス(スペイン)と対戦し、絞め技を掛けられた状態で「待て」がかかったにもかかわらず、その後6秒も絞められ続けて失神し、一本負け。不可解判定が物議を醸した。 

 

 永山は「SNSの誹謗(ひぼう)中傷などは本当に、選手は人生をかけて必死で戦っているので、それを分かっていただいた上で、投稿とかをしていただきたいなと思います」とネットユーザーに要望した。 

 

 個人では2回戦敗退で連覇を逃し、大声で泣き叫ぶ姿が国内外に衝撃を与えた阿部詩は、個人戦から団体戦までの間の調整の仕方を「一番大切な言葉というのは身近な人の言葉だと思うので、普段からサポートしていただいいてる人たちの言葉を大切にして、団体戦までは調整練習だったり、日々の生活をしていました。(SNSの投稿は)見たくなくてもやっぱり目に入って来るものではあったので、あまり気にせず」と説明した。 

 

 SNSの投稿については永山と同意見だとし、「本当に、一人一人が人生をかけて、全てをかけて頑張っていることなので、温かい言葉が人としては絶対にうれしいかなとは思いました」と選手側の心情を述べていた。 

 

 

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(まとめ) 

日本のオリンピック選手に対する批判や意見はさまざまで、一部の選手に対する誹謗中傷は避けるべきだが、批判や指摘は適切な場面でのみ受け入れるべきであるとの意見が多く見られる。

また、競技終了後の行動やマナーに対する意見も分かれ、礼儀や対戦相手へのリスペクトの重要性が強調されている。

スポーツマンシップや常識を持つことの重要性が指摘されつつも、人間らしい感情や努力を大切にする声もある。

一方で、SNSの影響やメディア報道による見方の違いなど、現代社会の中での課題や捉え方の違いについても言及が見られる。

すべての意見の中には、選手や競技に対するリスペクトや理解、冷静な判断が求められているという共通点が見られた。

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・まあ武士道、武道の精神は涙を見せない、勝っても負けても平常心が美徳だとされる。実際にその姿を見せられたら私も感銘を受けます。 

だがね、悔しくて悔しくて溢れる涙や、体が硬直するほどの感情を出し、その場にうずくまる姿にも感銘を受け、色んな思いに駆られます。 

どちらも美しい。これはダメだあれはダメという事も無いだろう。 

常に平常心を保ち、潔い姿を見せてくれる事も並々ならぬ努力と、精神を鍛えた賜物だろう。 

溢れんばかりの涙も、その過程で並々ならぬ努力とすべてを捧げてきた人生があるから。 

一言付け加えるなら、何十年も武道を極めてきた仙人みたいな人ではありません。 

まだ若い人たち、努力をしてきたからこそ色んな意味で涙が溢れる。理想を押し付けるべきではない。 

 

 

・阿部さんが負けた事を批判されてないと思います。死ぬ気で頑張ってるのはどの競技の選手も同じです。負けた後の行動がいかがなものかと、次の選手の出番を止めてたわけですし。 

選手は出番の時間に合わせてメンタルも最大限上げて会場に向かってきてるのに何やら泣き叫んでる選手のお陰で余計な出番待ちさせられた選手の気持ちを今一度考えてみて欲しい。 

 

 

・詩さんのおかげで武道における視点を考えさせてもらい感謝してます。あの若さで精神が至高の域に達していたらそれはそれでヤバい。どこまでの修羅経験したのかと思う。こういう経験を踏んで様々な視点を受け内なる自分の心と向き合って精神は成長していくと思う。 

そして何より令和の三四郎さんの試合とその後のインタビューはグッときた。落ち着いた所作の中に何度も涙見せまといする姿がこっちも泣けてきた。団体戦での立ち振舞も見事としか言いようがなかった。 

こんな積み重ねをぶつけ合う真剣な勝負を見れる事は感謝しかない。 

 

 

・SNSは見ないことをおすすめします。色んな統計見てもSNSの意見と世論調査の結果ではかなり差異がある事は前からわかっています。SNSを全国民が使っている訳ではなく、尚且つその中で積極的にコメントを出す人の思想には偏りがあるのは自明。、SNSの意見は一割くらいの重きを置いたくらいで良いと思います。そんなもんです。気にせず頑張ってください。 

 

 

・色んな意見があるわけで、頑張ったから泣いてもいいじゃんという人、泣くのはわかるけどあの場で泣き続けるのは良くなかったよと言う人、泣くのもどうかと言う人等々、どれも一理あってどれが一番正しいわけではないと思う。 

 

一つそこはちゃんとしたほうがと思うのは、批判と誹謗中傷は違うはず。 

そこがごっちゃになって、批判も誹謗中傷みたいな話になっていつまでもこの話が続いてる気がする。 

 

 

・オリンピックの競技のJYUDOUと日本で行われて居る柔道の基は同じで有っても今は本質的に大きく異なって居る。講道館などで開催される大会の場合は見る側として柔道として見て、動作に不満が有ればある程度の批判する事は受け入れる事が出来るが、オリンピックでのJYUDOUについて日本選手に対する誹謗中傷は選手に向けて居るのは大きな間違い。今回注目されて居る指導に依る反則は日本の柔道には無い判定制度。日本の柔道は技を競う競技で有り、オリンピックJYUDOUは攻める力を競う競技になって居る。この先もっと進めば日本人のメダルの獲得数も激減する。日本発祥の柔道が世界中に広がる事は喜ばしい事だが勝負を求める競技で有り道を究めるのでは無くなって居る。 

 

 

・詩さんに関しては確かにリアルタイムで観ていて私は正直に少し引いてしまいました。 

柔道や剣道、弓道などの「道」を修める人は、礼儀礼節や己をどんな時も律する心を養うというのが大前提にあるはずで、サッカーやバスケやバレーといった「スポーツ」と「武道」はそこが大きく違うと私は教わりました。 

悔しいのはわかるしそこに全てを賭けてやってきた事の素晴らしさや尊さは負けて泣いても何も損なわれたりしませんが、その場であそこまでの大号泣と叫び声は私には醜態であったと思えるものでした。 

会場の人がウタコールをしてくれて優しかったけど、本来会場の歓声は勝者に贈られるべきものです。あんなふうにされたら勝者の花道を潰しているだけです。 

今まで多数の方を詩さん自身がくだしてきて、今度は自分がその番だったということ。 

批判されたら全て受け入れられないではなく、己を振り返ってもっともな指摘や批判は糧にして欲しいです。 

 

 

・「人生をかけて必死で戦っている」は分かります。 

勝ち負けは時の運もありますし。 

阿部さんが叩かれているのは試合の勝敗ではなく「負けた後の行動」です。 

悔しい気持ちだったのでしょうが、どの試合も必ず敗者がいます。 

阿部さんのように大声で泣き叫び、うずくまって4、5分動かなかった選手が他にいたでしょうか? 

とはいえ、あの状況、判断を誤ったのは監督だと思います。泣き崩れている阿部さんにあの場で寄り添うのではなく、一旦、バックルームに促すべきだったと思います。 

 

 

・負けて泣くことはいいのですが、すぐに泣きが入り礼儀や相手への敬意も感じられず、子供の悲鳴のように会場に響き渡る長時間の鳴き声劇場で次の進行を妨げたことに批判があるのですよ。それは紳士に受け入れるべきで、「泣くなということか」「選手は死ぬ気で努力してきたんだぞ」と言うのは違うと思います。 

男性選手やアマチュアの試合なら賛否の割合も全然違ったでしょう。 

 

 

・思うのは自由だと思います。 

私の母もあんなに泣いて、恥ずかしくないのか、負けず嫌いなのか、と言い放ちました。 

それを本人に向けるか向けないかの問題なのだと思います。 

私は阿部選手は好きでも嫌いでもなく、日本代表として頑張っているオリンピック選手としてみているので、すごいなぁ、頑張ってるんだなぁ、悔しいだろうな、と思いもらい泣きしたので、母の言葉には絶句しましたが、母のように思う人もいるんだなと思いました。 

これを本人が目にするかもしれない、不特定多数の人が目にするかもしれないところに書くことが問題なのだと思う。 

そうだそうだ!と誰かに便乗されるとまるで自分の意見が正しいと思い、賛同されるためにどんどん誹謗中傷を繰り返し、いつしかやめられなくなると思います。 

そういう人って、自分の意見を語れる人が周りにいない寂しい人なんだなと思います 

 

 

 

・計り知れないのほどの、想像も付かないような努力をされてきたからこそ、あそこで泣き崩れるのも仕方がないです。 

ただ、それだけの努力をされてきたからこそ、努力をしてきた他の選手の邪魔はしてはいけません。その可能性のある行動は慎むべきです。 

大音量の、ステージを降りてなお会場を巻き込んでしまうような行動は良くないと思います。 

 

 

・永山選手も阿部選手も必死で戦っている、本当にその通りだと思うし 

誹謗中傷などもってのほか。じゃなんで、ここまでこんな騒ぎになっ 

たのかな?って。 

 

TVでもニュースでも色んな方のコメントや、こういう時代だし素人 

や無責任なSNSもある。いろんな角度や切り口もあるけど武士道とか 

平常心って言葉を振りかざしてそれと比較するのは好きではない。 

 

しいてあげれば、あの会場で次の選手も控えていた。オリンピックと 

言う大きな舞台だし母国の声援や応援を背負っての緊張や興奮のボル 

テージは皆同じ。だけど、大泣きしてそれを止めてしまったこと、 

その事だけは大いに反省すべきって思ってます。 

 

 

・批判と誹謗中傷を混同するべきではない。 

阿部詩さんの言動は一見阿部さん側から見れば肯定されるものではあるが、他出場者側や運営者から見れば明らかに運営を妨げる行為であり批判を受けるものである事は明白であり、その一点から阿部詩さんが学ぶべき事は大きいと思います。 

 

 

・人生すべてをかけて戦ってるのは分かる 

ただ負けた後の行動 

もし自分が勝った立場で終わった後の挨拶も 

なかなか礼もしなかったらどう思う 

あの号泣も次の試合まで遅らせるのはどうなのか  

自分がマスコミから注目されている立場だからできるのでは 

これが無名の選手なら大ブーイングがおきているのでは 

それに阿部詩は完全な一本負けでしょ  

素直に潔くしていた方が好感持てたのでは 

 

 

・詩さんが全てをかけてきた五輪序盤で負け泣くのは理解できます。 

一方、特筆すべきは相手の世界ランク1位のケルディヨロワ選手です。実は彼女も表彰式では涙が止まりませんでした。 

試合後の時点では阿部詩選手へのリスペクトの気持ちから派手に喜んだりはせず、心配するような表情で見つめていました 

その凛とした佇まいに日本の柔道家以上の柔道家精神が感じられました 

国として初めての柔道競技の金メダル獲得ということで、表彰式の前にウズベキスタンの大統領から電話がかかってきたそうです。その後のインタビューでは彼女自身も非常に誇らしげでした 

彼女は6歳から祖母の勧めで柔道を始めたそうで、表彰式で泣いてしまったのは10年前に祖母が亡くなりこの試合を見て誇りに思ってくれていたらなあという気持ちからだったそうです 

ウズベキスタン史に名を刻むこの素晴らしい柔道家と対戦出来たことは詩選手にとって名誉になることでしょう 

 

 

・ネット社会になって良かった点と悪かった点があると思います。 

 

選手の一挙一動の細かいことまで報道されたりして、かつそれが、大々的に世間で話題になるのは悪い面と思います。 

 

現場と世間の距離感が近すぎるというか。 

 

何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し、でネット報道というのは、現場と世間の距離を近づけ過ぎてしまった感あるような。 

 

現場と世間というか我々の生活には実際には距離(物理的な距離と精神的な距離)があるので、かつての方が良い距離感が保てて良かったと私は感じます。 

 

今度はロス五輪のようですが、報道については40年前くらいのロス五輪くらいの距離感が、ちょうど良かったのではないか、などと私は思います。 

 

 

・試合が終わって、思いもよらぬ結果に呆然とし、相手に対して礼は後回しで取り乱し、やっとの思いで畳を降りると大声で泣き叫ぶ。多くを犠牲にして人生賭けて戦っていることも想像できるけれど、見ていて正直な感想は、勝って飛び跳ねたいはずの対戦相手がジッとして待っている姿を同時に見て、複雑で残念でした。あの姿を批判する気はさらさらないけど、いろんな人がいろんな受け止め方をするのは、それでいいのではないでしょうか。ただ、批判と誹謗中傷は別物なので気をつけないと、と思います。 

 

 

・僕たちも人生かけて仕事してます。全てをかけて頑張ってます。 

でも色々言われることあります。 

他人からの意見は客観的に見ての意見なので、それはそれで大事な意見だと思います。 

色々な判断材料にさせてもらってます。 

他人の意見は嬉しい事ばかりではありません。 

でもそれを受け入れるのもそうですし、それを聞いて自分の立ち位置や行動を考え直すきっかけをするって事も大切だと思いますよ。 

 

 

・オリンピック選手は、人生をかけて戦っているから誹謗中傷してはいけない、ということではないと思う。普通の一般人も、生きていくために、仕事や家族との関係など、悩みながら精一杯日々をすごしている。誹謗中傷は誰にたいしてもしてはいけない。だが、一般人が明らかにまちがったことをすれば、叱責や批判される。オリンピック選手も、国を代表してでるんだから、マナーなどある程度厳しく見られ、時には批判されても仕方ないのでは。 

 

 

・本当にがんばってきて、本当に辛かったのはわかるけど、オリンピックを何年も何十年もやってきて、あそこまで大声で長時間絶叫してる人を見たのは初めてでしたよ 

みんな同じように人生かけてがんばって、そして負ける状況を経験してきただろうに 

何故詩さんだけがあんなにも… 

 

メンタルがちょっと不安定な方なのかなと思いましたし、くだらない誹謗中傷となんて戦わなくて良いから、優しいカウンセリング等を受けて物事の考え方を落ち着いた方向に変えていってはどうかと思いました 

 

 

 

・命をかけて頑張っているのは、生きている人間みんなだと思います。ただオリンピックや世界選手権などに出られる人はテレビなどに映って目立ちますが、テレビに出ない人も頑張っているはずです。目立つ人はそれなりの態度が必要です。人間性も時には大切になります。大谷翔平選手が素晴らしいと言われるのは、人間性も立派で世界中の人を魅了しているのだと思います。勝負に勝つことは大切ですが人間はそれだけではありません。オリンピックではなおさらです。世界中が見ていますから。 

 

 

・戦った後に相手にリスペクトがあるような行動じゃないかな。それは頑張ったかというより、強ければ良いでもなく、必死に戦っているからでもなく、スポーツを行うプロアマ関係なく求められるもので、それが見える選手は賞賛や共感を呼ぶと思う。兄弟で金とか応援する側にしてみればどうでもよく、そこにこだわって戦っているのか、負けて兄弟で金が取れなくて悔しくて泣いているのかとも映ってしまうと、相手に対してよりも自分の事しか見えてないのかと思ってしまう。 

 

 

・勝敗で書き込んでいる人は少ないと思います。作法がなっていなかったので恥ずかしく思いました。勝者に喝采がいくものを邪魔した形が精神道に反したと思います。私は池江璃花子さんの敗者のインタビューを聴きながら涙が出てきました。思わぬ病気にかかり病魔とも闘いオリンピックに挑戦している彼女は素晴らしいです。彼女こそ二重の苦しみの中で、努力しても報われなかった悔しさの涙、自然と流れる涙は尊厳に満ちていました。 

 

 

・誹謗中傷とアドバイスは違うと思いますよ。どの国の選手も人生をかけ、そして国の期待を一身に背をいオリンピックに挑んでいると思います。その選手達の進行を妨げるのは良くないとアドバイスをしているのです。人生をかけて戦っているのは日本だけではありません。あの時勝利した選手の態度こそ見習うべきです。 

 

 

・柔道における彼女の強さ、実績、敗者の辛さと気持ちは十分理解します。 

同時に武道における礼儀、慎ましさも必要で、それを逸脱しているとも思いません。 

 

ただ言いたいのは相手がいての競技、大会があっての競技です。 

あの競技後の4~5分間は「競技の進行と遅延」を招き、 

他の選手のモチベーションを妨げる場合も十分あります。 

 

大会を考えた場合、彼女と同時に寄り添っていたコーチもやはり大会参加者 

としてもう少し考慮が必要だったのではないかという部分だけ、 

人格を批判するわけではなく、立ち振る舞いがいかがなものかと感じただけです。 

 

 

・阿部詩さん、関係者の甘やかした言葉のみを聞きたいようですが、なぜ凄く注文やアドバイス(誹謗中傷と一括りでは言えないと思います)が多かったのかには言及が無かったのは非常に残念であります。 

思い出したくないかも知れませんが、今一度あの時の貴女の振舞いをご覧になることをお勧めします。 

その上で、応援の声だけを聞きたいのであれば、関係者が選りすぐって、詩さんに見せてもらうようにしましょうね。 

 

 

・阿部選手は勝つことが当たり前、金メダルを取ることが当たり前になりすぎていたから今回このような事になったのだと思います。今まで阿部選手に負けた選手達の多くはきちんと一礼をしてきちんと敬意を持っていたと思います。何かの被害にでもあったかのような泣きかたをした人はいません。自分に負けてオリンピックに出られなかった人達の悔しい気持ちも1度もくんだことがないんだろうなと思いました。阿部選手の応援はもうしない事にしました。 

 

 

・誹謗中傷ではなくて、オリンピックってとても 

特別な場所やと思います。国の代表になるのすら至難なのに、そこでベスト3だけ表彰されるってね。負けたら悔しいし、涙も平等です。どこの国を背負ってたとしても。 

努力は、人それぞれやし。人間に与えられた時間も平等です。 

みんな、負けたら泣くでは。前に進まないのが 

国際大会なのかな?って思います。 

めちゃめちゃ冷たい言い方に聞こえるだろうけど。自分が負けたら、相手が自分を上回ってたとリスペクトしてほしいし。 

勝った相手の前で号泣するのも、国を代表して 

出場してる選手としては、どうなのかな?って思います。 

高校野球の地方大会の1回戦でも。 

人の涙は平等やし、上まで登りつめた人には。 

涙以上の強さを期待します。 

自分はめちゃめちゃ冷たい人間だけど 

 

 

・カメラや多くの人を前にした、人目をはばからない大泣きシーンはどうかと思うという意見が誹謗中傷になると言っているのでしょうか。 

 

どんどん話しがズレていってますよ。誹謗中傷という4文字の言葉で持って選手が中傷されている、だからけしからんという世論醸成を図っているのかもしれないが、中身を正確に見ていただきたい。 

 

 

・選手を傷つけるような投稿はしないように心がけている方が大半だと思いますが、やはり一部の方が過激な言葉で選手を傷つけるような事を言ってくる方々がいるのでしょう。もし、容認出来ない内容だったら法的手段に訴えることを検討することも考えてもよいと思います。また、ネットの監視強化や誹謗中傷の内容に対しては投稿者の情報開示を行い警告や罰則を課して抑止するように法を整備する必要があると思います。 

 

 

 

・本当に、一人一人が人生をかけて、全てをかけて頑張っている 

 

そう言うことを言うから反発を買う。人生かけて頑張っているのはアスリートだけじゃない。ほんとうに全てをかけているのだろうか。誰かオリンピックを楽しんできますと言ってなかったか。いや、楽しんできたらいいんだよ。国のためとか、人々に夢や希望など心にもないことを言う必要はない。そんな余計なことを考えないでパフォーマンスに集中すればいい。 

人生をかけて必死で戦っている人間は、「ジャンクSPORTS」には出ないよ。もっと、今時の若者らしく、正直に行こうよ。 

ワールドカップでもあるまいし、たかがオリンピックスポーツに、人生や国家の威信などかける必要はない。オリンピックは参加することに意義がある。イスラエルが参加しているのも不思議だが、それでも試合が終われば、どの国であろうと、誰であろうとノーサイド。相手を讃える最低限のマナーは必要である。 

 

 

・素晴らしいと思います。人生をかけて何かに打ち込めるって幸せだと思います。まあでも、なんでしょう。本当に必死でした?ベストを尽くしたと胸を張って言えますか?バラエティ番組とかたくさん出てましたよね。それで泣いて必死に努力したと言われてもすごく安っぽく聞こえます。誹謗中傷を行なった人はもちろん非難されるべきですが、なぜ多くの人が誹謗中傷を行うのかは考えてみた方がいいかもしれませんね。 

 

 

・誹謗中傷は良くないとは思いますし負けて悔しい気持ちもわかりますが、これは勝負ですから必ずどちらかが勝ってどちらかが負けるのが勝負だと思いますし、あの悔しがりは見てても100%勝てる自信があった、自分が負けるはずがない。みたいな自信過剰な気持ちもあったのではないかなと自分は感じてしまいました。人生をかけて必死で戦っている。わからないでもありませんが、他のオリンピック選手も同じ気持ちで戦っていると思います。自分の力が及ばなかったんだ…また次回に向けて頑張ります。くらいが見ていて素直に美しく見える気がします。 

 

 

・人生をかけて一緒懸命に努力し頑張っていることは、誰もが認識していることだ。ただ、強化費であれ、スポンサーからの支援であれ、決して一人でなしとげたものでなく、国民も何らかの形で関わっている。個人を叩くだけの誹謗中傷はどうかと思うが、批判や指摘の声にもしっかり目を向けるべきだ。誘導するマスコミが悪いが、大会前に、あまりにもいい事を話しすぎることも批判が増える要因になっていると思う、 

 

 

・人生をかけて戦い、残念ながら涙を飲んだ選手は他にも多数いた。でも他の選手たちは阿部選手ほどの騒ぎにはならなかった。その差が何か、そこを考えないといけない。少なくとも阿部選手に関しては尋常じゃない喚きようで、さながら「大きな赤ちゃんの駄々っ子」のようにも感じた人もいたのではなかろうか。会場からの声援コールは励ましや賞賛というよりあたかも「よくやった。だからもうそんなに泣かないで」と赤ん坊をなだめるような雰囲気に感じられたのが正直なところである。「決して泣くな」ということではなく、泣くなら控え室で涙が枯れるまで泣いたらいいというだけである。 

 

 

・誹謗中傷とは人格攻撃する行為。 物事を冷静な判定・評価する批判意見と根拠のない悪口や人格攻撃(人格否定)である誹謗中傷は違う。だから、多くの人は詩さんや他の競技者にリスペクトの気持ちを抱きつつ、残念に思うことを意見することもある。ただそれが単なる人格否定なのか批判意見なのかの違いであって、前者の場合は法的措置など毅然とした態度で臨んだらいいと思う。 

 

 

・そうですね、表面的な部分だけを取り上げて批判するのは間違っていると思いますし我々には計り知れないプレッシャーや責任を背負って国の代表として戦っている事に対する敬意を忘れてはいけないと思います。 

ただ余計なお世話ながらその意見の前置きとして、先日発表された反省の気持ちなどを含んでいればより多くの人に理解してもらえると思いますし、今後4年かけての内面的な成長というのも陰ながら願ってます。 

 

 

・スポーツですから相手あって成立するもの。 

1人ではできない。 

常に相手に対する敬意を持っていなければならない。 

そういうことを多くの方が言ってるのだと思います。 

フランスの方々の「ウータ」コールに対しても、何か礼とか手を振るとかで感謝を示してほしかった。 

相手の選手の態度は立派でした。 

 

 

・自分はスポーツもオリンピックも好きで応援してるけど、世の中にはそうじゃない人が大勢いる。その人たちに対して「選手は人生をかけて必死で戦っている」「全てをかけて頑張っている」と言っても何も響かないだろう。その人たちからすると好きなことやってお金もらえてちやほやされていいねと映ってるのかもしれない。そしてそういう人も大勢がSNSをやっている。なので説得しても無駄だし、酷い内容のものは法的に訴えるとして、そこまででもない批判に対しては選手自身がSNSの使い方を変えるしかないだろう。 

 

 

・まだ記憶に新しいと思いますが、明らかなミスジャッジで金メダルを落とした重量級柔道家がいました。 

その柔道家は敗北の原因はとの質問に「自分が弱いから負けました。」との回答。 

また、優勝した海外選手は「世界最高の強い選手であり、尊敬している」との回答。 

今の、永山選手や詩選手の批判はするべきでは無いと思いますが、人として、柔道家としてのプライドを持ってもらいたかったと思います。 

 

 

 

・人生をかけて必死で戦っている人は五輪選手に限らずたくさんいます。それこそ多くの人が全てをかけて日夜頑張っているでしょう。色々言われるのは国の代表であるからです。十人いれば一人や二人は自分の価値観に合わなかったり、または何をやっても批判します。誹謗中傷はもちろんいけないことです。五輪に行けたことは本人の努力ではありますが、今この時、アマスポーツ界の中で一番恵まれていることを忘れず堂々と代表として振る舞ってください。 

 

 

・泣いたことが批判されているわけではないのに、問題のすり替えが起こってややこしくなってる。 

泣くというよりがなる感じで声を出してたから、純粋に不快と感じられたのかも。 

相手選手の困惑や、進行の妨げやウタコールが賞賛ではないことを知ったとき、人としてそれにネガティブ感情を持つのも責められない。そういう声を責める人の方が、攻撃的同じことをしてるのに気付いてない気がする。 

 

 

・我が子も武道を習っています。負けたら悔しくて泣きます。他の選手も負けて悔しくて泣いてる子は勿論います。ですが進行がありますし次の選手も待っています。確かにオリンピックだからここを目指して頑張ってきたでしょう。ですがどれ程の気持ちで次試合を選手達がどんな気持ちで待機しているか、やってる本人こそが分かってるはずです。モチベーションだって待機中に作っています。場所を考え周りのサポートして下さっているコーチはじめサポートの皆さんもその場から離れて連れて行って下さったら違かったのかもしれません。 

 

 

・これが相手と直接対戦しない記録系個人種目ならまあ分かるのです 

それでも後続の選手への配慮は必要ですが 

柔道は組み合う相手がいます 

自身がそうであるように相手も人生をかけています 

ですが私達部外者が何か言う必要はなかったようです 

ケルディヨロワ選手という模範がどんな野次馬よりも近くにいたのですから 

その姿を見て兄のような心のより強い選手になることでしょう 

 

 

・私はオリンピックに全く興味が有りません。 

母から今日この話を聞かされ知りました。 

母は泣くなら泣くで観客の同情を引くよう泣き方に冷めたと言ってました。 

日本は変にメダルを気にしすぎる。 

メダルを持たずとしても参加する事に意義があるんじゃないでしょうか? 

4位以下の選手にはスポットライトが当てられないから、オリンピックに興味が出ません。 

人生かけて全てをかけてって言うのは、オリンピック選手だけではないと思います。 

自分で選んだ道を皆それぞれ頑張っています。 

アスリートだけではなく、人々それぞれが人生を歩んでいる。 

オリンピック選手ってそんなに偉いの? 

誰かに頼まれてその道に進んだのかな? 

努力なら持病持ちつつも私でもしてるけどな。 

 

 

・柔道では、オリンピックで勝つことの難しさを実感した 

しかし、相手選手も研究し、必死で練習して臨んだ試合なので、勝てることもあれば負けることもあると思う 

感動を与えてくれた選手の方々には感謝したい 

なお、次回のオリンピックでは不可解な判定によって選手を悲しませるようなことのないように、その点は改善して欲しい 

 

 

・一般の人々もマスコミも、ネット世論に過度に影響を受けていると思います。意識的にその影響をシャットアウトすることが重要です。 

 

どんな人間でも、心の中には善悪の感情が共存しています。その感情がインターネットを通じて表面化する現状は、まるで全ての心の中が読めてしまうようなものです。このような状況では、自分を守るため、意識的に情報をシャットアウトすることが必要不可欠です。 

 

 

・オリンピック選手だけが特別で人生をかけて頑張っていると考えているなら大間違いだと思います。 

皆んなその日その日を懸命に頑張っています。 

阿部詩選手の試合後は私には、やはり見苦しく己の事しか考えていない印象を持ちました。 

東京五輪でも感じましたが、その我の強さが柔道の強さでもあるのかなとも。 

個人戦から気持ちを奮い立たせての団体戦、お疲れ様でした。 

 

 

・オリンピックの舞台に立つレベルの選手は皆んな、 

負ければあの時の阿部選手と同じくらい泣きたい気持ちになったでしょう。 

それでも周りの目とか他の選手への影響とか色んなことを考えてグッと我慢したり気持ちを抑えているのだと思います。 

そこを踏まえてオリンピックに出る選手に尊敬が集まります。 

阿部選手への声は他の選手への勝敗に対するそれとは少し違う気がします。 

 

 

・こういう内容の報道や記事を見聞きすると、各種SNSの考案者や発明者はどういった意図や目的で開発したのだろうと毎回考えてしまいます。 

 

本来の意図や目的とは大きくかけ離れた使い方をされていて、人と人との繋がりや距離感がとても近くなり過ぎている気さえします。 

 

特に芸能人やスポーツ選手などの有名人や著名人と、一般人との距離はかなり近づいているのは事実だと思います。 

 

SNSそのものの使い方と、人との距離感について法的な観点から見直すべきタイミングなのかなと思っています。 

 

 

 

・人間だから百人十色いろんな意見があるのは仕方ない。ただ簡単にSNSで顔が見えないからって何を言ってもいいって訳ではないと思う。便利な時代になった分、どこかで誰かが傷ついていたんでは文明が発展しても意味がないと思う。だったら意見を伝える側は、ほんの少しだけでいいから考えて伝える事が大切だとで思う。今回はオリンピック。僕らの代表で日の丸背負って戦ってくれてるんだから。阿部詩選手団体の勝ちカッコよかったです!!これからも応援してます。 

 

 

・SNSを見るな、とか気にするな、というコメントが多いですが、これだけ話題になれば見なくても耳に入るでしょうし、自分に強い避難の矢印が向いたら、やっぱり精神的にキツイっていうのは想像つきます。 

追い詰められてる人に、強くあれ、と求めるより、こういうことがある度に、ネットに言葉を書く側のリテラシーの問題を毎度 振り返ることが大切だと思います。 

詩さんの行動も良くなかったかもしれません。 

ただ、今後、もし同じような場面があった時に少しでも改善されれば、いいと思っています。 

誰かを傷つけたわけでもなく、少し場にそぐわない行動を咄嗟に取ってしまっただけです。 

日の丸を背負い、戦ってくれた方には苦言よりも、まず労いの言葉が多く届いて欲しいと願っています。 

 

 

・ご立派な言葉ですが、どの選手も五輪なら当然の事 

厳しい状況で1人で自分とも闘っていると感じるが、 

阿部選手は兄が側にいる事で甘えがあるからあの号泣では 

あれで世間は唖然として反応した、何でも世間のせいでは無い 

次を目指すなら今より大人の選手であるべき 

 

 

・飲食店経営者です。立場やシュチュエーションが違いますが、知らない人(顔がわからない人)の言葉やネットでのコメントはノーカウントで良いと思います。ただ、なるほどなと言う意見も多いので見たり聞いたりして、言葉の裏にある自分には無い考え方を理解して次につなげることが出来たらかっこいいなと思います。 

俺は詩さんが号泣した時に3年間の苦しい練習や我慢したことが、常人のそれとは違うのだろうなと思いました。泣けるだけ頑張った事がすでにカッコいいから胸張って負けて良いですよ 

 

 

・意見、批判と誹謗中傷は違うと思う 

感情を露わにした選手にもっと堂々として欲しいと意見するのはまだ応援したい期待の表れで発言する気持ちも理解できる 

だが、見苦しい、この3年何をしてたの?帰ってくるな等の誹謗中傷に関してはしっかりと組織が選手達を守ってあげてほしい 

 

 

・結果が全ての世界です。 

代表に選ばれなかった選手も居ます。 

綺麗事で頑張ったね。とはならないかな。 

負けて泣くのは、 

悔しさからなのはわかります。 

でも、選考に落ちて出場出来なかった、 

選手も居ます。 

情けない負け方をして号泣が良いとは思えないのは、 

仕方がないと思います。 

日本の代表選手として出場する以上は、 

結果を出さない限り、批判や小言を言われても、 

受け入れるしかないです。 

それを誹謗中傷と受け取るかは、 

受け取り側だとは思いますが、 

負けた以上は、自分の落ち度として受け止めて欲しいですね。 

 

 

・今回の五輪が始まってから今まで、個人的にはこの阿部選手の号泣シーンが一番インパクトが強いように感じている。感動、とは違う。それが何とも残念に思う。 

有森裕子さんの「自分で自分を褒めたいと思います」とか、岩崎恭子さんの「今までの人生で一番幸せです」、北島康介さんの「チョー気持ちいい」などなど、やはり金メダルとった後の名言でいつまでも話題になるのとは全然違う…そういう五輪は終わってからも良いオリンピックだった、と思える。 

 

 

・見てる側からすると 過度な叫び声や、鳴き声は 次の選手も集中して待っているため それは選手として考えるべきだと思います。 

 

Jr世界選手権フィギュアスケート本田真凜が優勝したとき ロシアのSP1位の選手が練習で足を捻り 会場中に泣き叫ぶ声と悲鳴が響き渡り それが選手が運ばれるまでずーっと泣き叫ぶ声がやまず 他の選手達は異様な空気になった。痛いのもわかるが あまりにキャーキャーと甲高い声で泣くため 少々大げさにしているようにさえ思えた。 

 

 

・自分が勝った時、もし対戦相手が大声で泣き叫び会場に居座って観客から声援のコールを受けてる姿をどんな気持ちで見るんでしょうか? 

そういう話かと 

ただ 

あの姿が世界に配信されてしまって、阿部選手を知らなかった人はあのイメージで固定されてしまったかもしれません 

そう考えると、それも辛いなとも思います 

 

 

・一般人でも前に出て何かすれば批判する人は出てきます。昔も今も他人とはそんなもんだと思っていますが、それを大きな声で言えるようになっちゃったんだよね。対面のコミュニケーションに当たり前の礼儀作法があるのと同じく、SNSでもそのような常識が構築されていくと良いですよね。 

 

 

 

・一般人でも前に出て何かすれば批判する人は出てきます。昔も今も他人とはそんなもんだと思っていますが、それを大きな声で言えるようになっちゃったんだよね。対面のコミュニケーションに当たり前の礼儀作法があるのと同じく、SNSでもそのような常識が構築されていくと良いですよね。 

 

 

・皆さんが言いたいのは、泣くことがいけないとか取り乱すことがいけないということではなく、次戦の選手が入場して来る通路でそれをやったことが問題だということではないでしょうか。阿部選手と同様に、その選手達も集中力を研ぎ澄ませて、一世一代の勝負に挑もうとしています。そこにあの行動があったので、それは選手としていかがかということだと思います。有名な選手は、善行も褒め讃えられますが、その逆もあるのではないでしょうか。阿部選手の入場時に、前の試合の選手が同様の行動をしたら、また違った捉え方になるでしょう。全ての選手において、今後は慎むべき行動だと思います。 

 

 

・これは選手個人の問題ではなくチームとか協会とか選手をサポートする側が対処する問題です。 

メンタルケアとかマネジメントの問題でオリンピック中にSNS見たせいでメンタルがおかしくなるような状態にしてはいけません 

大会期間中にどういった行動を取るべきかをミーティングと文書でしっかり伝え情報収集の仕方情報発信のしかたなど管理するのは当たり前だと思います。 

「選手は人生をかけて必死で戦っている」「全てをかけて頑張っている」といったところで相手を攻撃したいだけの人に言っても意味がありません。 

そういう人たちの言葉にまともに向き合う必要も無いのです 

選手のSNSの扱いが管理されてないと対戦相手や対戦相手のファンからの精神的な攻撃を受けてパフォーマンスを落とした状態で試合に臨むことにもなります。 

こういうのを見るとオリンピックは悪い意味でアマチュアの大会なのだなと感じてしまいます。 

 

 

・負けて悔しければ泣いても良いような柔道を自分の子供には習わせたくないと思いますよ。空手か剣道にします。戦うことの心構えと誇りと自尊心を身につけさせたいからです。もちろん泣いても良いとは言います。ただし、一人になってから自分の部屋で誰にも聞こえないように泣けと。そうしないと必要な闘志も泣かない強さも育ちませんから。泣けば良い派の人たちのいう通りなら学校でも職場でも直ぐ号泣する人が出てくるでしょうね。 

 

 

・誹謗中傷はよくないが阿部選手に関しては場所や礼儀についての意見のほうが圧倒的に多いかなと…。 

泣くなとはほとんどの人が言っておらず、あの場所で大泣きするのはいかがなものか?という意見が多いよね。 

勝った選手もいるし、次の試合もありますから。 

あの場を去って裏で泣くぶんには全然良いと思うしこの4年の苦労であったりプレッシャーを考えると涙するのは当然だと素人ながらにも思いますから。 

 

 

・最近の物事を見る観点として、目に見える形でないと視点か働かないという傾向がある 

スポーツ選手、競技内容全てにおいて、この傾向が影響しとにかくわかりやすさが求められている 

 

ただ、すでに社会のあらゆる面で人に対する意志疎通や信頼関係において、心理精神的なモノは決して目に見えるものではないため、人同士のストレスと弊害は起こりやすく、そういった弊害の精神的な捌け口として、選手が攻撃対象にされやすいのだろう 

 

最近は選手から情報のツールで自分自身を、目に見えたわりやすい情報発信をしているが、社会上のストレス弊害が解消されないとこのような問題は解消されないように思う 

 

 

・スポーツが好きだからこそ熱が入り過ぎてしまう。オリンピックは出場選手だけのものではない。特に200以上の世界各国からの選手が参加する世界最高峰の舞台にG7の国の国民の大半は関心がある。一国民も4年に1度のスポーツの祭典を全力で応援している事は知って欲しい。特に柔道は発祥国で勝利至上主義の面もあるから日本に勝って欲しいとの思いがより強く期待しているから「日本人らしく」等その他厳しめな意見が集まるのだろうなとは思う。前評判が高い選手も負けたら批判の対象にはなりやすくなってしまうと思う。 

 

 

・的確な意見や批判は時に大切でもあるが、誹謗中傷を意識しすぎるとそれすら見聞きしなくなってしまうだろうね。 

個人的には、号泣というより発狂に感じて引いてしまったのが正直なところ。 

ただ、本人も反省してるだろうし気持ち新たに頑張っていただきたい。 

 

 

・今回の詩さんへのコメントの大多数は負けたことへの批判ではなくその後の負けた現実を受け止められずまるで駄々っ子のような振る舞いに意見が出ているのでしょう。相手へのリスペクトを持って対応後に畳から降りた後に泣きじゃくるのであれば次は頑張れ4年後にリベンジしようとポジティブな意見で溢れかえったと思います。 

本人がプレッシャーを感じていたというよりも相手を見下していての油断からの敗戦にしか見えない立ち振舞だったのではないでしょうね。 

完全に勝てないであろう相手に負けても同じような駄々っ子モードにはならないでしょ、選手が皆一所懸命やってる事は皆わかっているんですよ、論点がづれているんですよね 

 

 

・今に始まったことじゃない。 

ケータイが普及され始め 

掲示板が作られた頃には 

ほぼ誹謗中傷のための掲示板でした。 

私もSNSの誹謗中傷に晒されたことがあります。見たら頭に血が上りカッとなってしまいます。その後涙が止まらなくなってその言葉が頭の中をグルグルして自分を否定し始めます。 

誰がこんな事してるのか気になって仕方なくなります。 

人生かけて挑んでいる選手達がこんな目に遭うのは注目されるからです。 

注目されると誹謗中傷が始まります。 

どんなに小さな注目でも誹謗中傷の的に当たれば必ず誹謗中傷してきます。 

嘘もばら撒くし根も歯もないことも言う。 

無茶苦茶です。高校生の時にリベンジポルノも経験済みです。 

もう病みに病んだ結果、気にしない事にしました。周りから何を言われても『マジ?それヤバいじゃん笑』しか返さなかった笑 

そしたらピタリと無くなりました笑 

つまらなかったんでしょうね。 

 

 

 

・賛否両論あるみたいですね。 

選手の行動を否定する人は君子なのか厳しいね。 

その人たちは本人自身に対しても厳しいのかな。 

でも自分はただ応援したい。人はともかくです。 

ぬくぬくとテレビを見ているだけで、言いたいこと言って、必死で頑張っている選手を傷つけることはしたくないと自分は思ってしまう。 

自分もただテレビを見ているだけなのに、ずいぶん選手の皆さんから勇気をもらっている。 

選手が悔しいときは、自分も悔しい気持ちになる。 

一緒に涙も出る。 

感謝こそすれ、否定なんてできない。 

テレビに向かって応援してしまう。 

永山さんも阿部さんも頑張れ。 

誰がなんと言っても、自分は力一杯たくさん応援します。 

日本のためにというわけではなく、一生懸命頑張っている人に応援したいだけです。 

 

 

・五輪中継を観て、自らを自国代表選手に投影して観るという動きも少なからずある。そのような視点で観ているものにとっては観ている者の思う通りに動かないことに怒る状況があり、これをSNSで吐露し、過激化する状況で発生していると感じる。 

もちろん、阿部含め競技に取り組む本人が試合に臨むことであり、外野がとやかくい言う資格はないことは言うまでもない。 

ここまでくると、応援することで選手側はプレッシャーに感じ、応援する側はストレスの原因になることから、あえて応援しなければいいのではないかと思えてくる。結果は文字情報で確認すればいい。そうすれば、選手は試合にいつも通り打ち込むことができる。 

そもそも、指導者など実際に競技を行う際にサポートしてくれている人が行う応援なら力にはなるが、見ず知らずのものから応援されてプラスになるだろうか。 

こうなると、「がんばるなニッポン、頑張るのは自分自身」と考えるしかない。 

 

 

・武道家とか柔道家以前に、 

他のどんなスポーツでも、負けたあとにあんなに泣け叫んで勝者や 

他の選手に迷惑をかけるようなことは見たことがない。 

 

昔、血気盛んな新大関朝青竜が横綱の貴乃花に挑んだ一番があった。 

闘志満々で横綱にぶつかって、最後は土俵際で投げられて敗れた。 

朝青竜は悔しさを押し殺して土俵を下り、支度部屋に戻る途中の付き人しかいない花道で、 

そこで初めて「チクショウ!」って声を出して悔しがった。 

 

朝青龍が阿部よりも若い、まだ22才の秋場所だった。 

 

勝負に負けた、勝ったとかはどうでも良い。 

 

日本人はもうリネールを非難することは出来なくなった。 

 

 

・かなり厳しい見方ですが、礼儀と尊敬を重んじ敗北を受け入れ次に向けて努力を続ける姿勢こそが真の柔道家としての道であり尊敬されるべき姿と思います。敗北で奇声を発し号泣するという行為は柔道の精神に対して非常に残念です。 

競技に対し悔しさや悲しみを感じるのは自然なことですがそれを抑えることができず感情を爆発させ競技者としての成熟度や精神力の欠如を世界中に見せてしまった・・この点について先ずは会見するべき 

 

 

・誹謗中傷は当然駄目。悪戯に相手を傷つける言葉は相手がスポーツ選手でなくとも不特定多数の見る場で発してはいけない。 

でも、意見や問題提起も同じように「私は傷つけられた。誹謗中傷された」では、それはそれで幼い感情だし、褒め言葉や慰めだけ受け入れていたら皆成長できないと思います。 

 

 

・勝っても負けても冷静沈着が美徳になってますけど。本人じゃないので何が正解なのかはわかりません。話変わりますが高校野球も昔はガッツポーズなんか皆無だったけど、最近は。 

勝者あれば敗者もあるのだから、難しいですね。 

韓国の卓球女子の3位決定戦は敗者が勝者を称えて微笑ましかったですね。韓国選手では一番好感が持てました。 

 

 

・彼女の言葉を借りると、次に控えていた選手も「人生をかけて全てをかけて頑張っている」んだと思います。それがなかなかその場を去らなかった(進行を妨げた)事が気になってペースが乱れたかも知れません。号泣しながらでもすぐにその場を離れていれば誹謗中傷など無かったと思います。 

 

 

・厳しいトレーニングをし、たくさん努力をし、代表に選ばれ、重圧を抱えながらオリンピックに臨んだことでしょう。 

ですが、進行を妨げてまで泣き伏せるのはどうでしょうか? 

ショッピングモールで泣いて動かない子どもと同じでは? 

確かに、こちらの涙を誘うほどの感動でした。 

ベンチに戻ってから好きなだけ泣いたらいいですよ。 

 

 

・世の中には光と闇があるので、光る場所(今回はオリンピック)に出れば、陰(批判)は必ず発生します。光る場所が明るければ明るいほど、陰は大きく拡がります(真理)。したがって、光る場所に出る人は、意識的に陰をシャットアウトする必要があります。それをしなければ、並大抵の人でなければ精神がもたないため、光る場所から立ち去ることを余儀なくされます。光る場所から去り、光と闇の中立辺りにいれば(一般人になれば)、大きな批判を受けることはありませんが、また大きな賞賛を浴びることもありません。 

 

 

・詩は武道家としてはまだ精神的に未熟で、日本を背負って立つにはまだ早すぎたということでしょう。よくも悪くも、日本の歴史を体現している柔を含めた武道をやる限り、二千年の歴史を考えなくてはなりません。まだ若い。これから修養を積んでくれればいいと思います。 

 

 

 

・SNS発展などにより安易に書き込める世の中になってしまった。 

だからこそ心無いコメントとかも普通にあるしそれが明らかに犯罪性を帯びてるものでも、匿名性もありそこに他の人も乗っかったりなどで正に群集心理となってしまっている。 

アスリートたちは国家の為に戦ってるわけでもないし勝負には勝ちか負けしかなく結局、負ければ心無いコメントの標的になる事もある。 

安易に書き込めるからこそ書き込む内容には責任を持つべきだと思う。 

 

 

・詩選手勝っても負けて大好きな選手、お兄さんと切磋琢磨してもっと強くなって日本での歴史を変えて欲しいです。私はステージ4の乳がん30代主婦で余命も出てます。でも、生きてるか分かりませんが詩選手の次のオリンピックを、楽しみに癌と戦って必ず勝って詩選手の試合を観ることを目標として応援してます。私も負けません。子供が居るから!詩選手も応援してくれるみんながいます。頑張ってください! 

 

 

・問題行為は「誹謗中傷」ではなく「非難」だと思います。 

 

誹謗中傷とは根拠のない悪口等で相手の名誉を貶める行為ですが、否定的な意見を述べる方のコメントを見ると、その多くは根拠を示されている場合が多いです。 

 

ただ、例えば本件で選手が問題視しているのは、努力している選手に対して心無い発信をすることだと思われ、そこに根拠の有無はあまり関係ない、所謂一方的に「非難」する行為を問題視しているように思われます。 

 

しかし、問題提起として「誹謗中傷をやめてほしい」となるので、問題行為をされている方の多くは、自身の発言が問題だと気づいていないのではないでしょうか。 

 

仮に否定的な発言をする際に「相手はこれを受けてどう感じるのか」を想定しながら言葉や表現の仕方を考えることができれば、これらの問題はかなり緩和されると考えます。 

 

 

・頑張れアスリート。一生をかけるものなど中々見つからないのが人生。その中でどんな表現をしようがその人のものです。確かに古武道は命のやり取りですが立派なものかどうかはわかりません。いま命をかけて頑張っている人は人それぞれでいいと思います。他人がとやかく言う事も広告含めいいですがアスリート本人がそれでいいと思っているならそれを尊重するのがいいかなと思います。 

 

 

・誰だって言うのは簡単ですよ。何となく言った言葉が実は相手を傷つけたりなんてことも、よくある話だと思います。ネット上でその人のこと知っているかの様に色々書かれてるけど、実際に知ってる情報ってその人の性別と、その人が何をしてるってことくらいで、それ以外はネットに書かれた信憑性もない情報だけですよね。その人のことが気に食わなかったとしても、何も言わずに黙っていればいいだけだと思います。投稿したいのであれば、応援したいと言う前向きな気持ちを、投稿すれば良いと思います。誹謗中傷する側にとっても、される側にとっても良いことは一つもないですからね。こう書いてる私のコメントも批判になるわけですけどね。いつもそう思ってコメントを見ています。 

 

 

・勝つ確率の高い競技は選手にとっては勝って当たり前の風潮があり、この上なくやり辛く、割に合わないと思います。 

テレビ画面の向こう側の外野から野次を飛ばしているだけの、何も言う資格もない人達の誹謗中傷です。 

善行をしても一部の人からは批判や中傷がつきものです。応援者の言葉に耳を傾け、寄り添いながら日々ポジティブな気持ちで精進すれば、結果はついてくるのではないでしょうか。 

 

 

・そう、皆んな、人生掛けて頑張ってる! 

それでも、叶わない(敵わない)事がある。 

その方が多いだろう。 

 

それを分かっていても、自ら頑張る。 

誰かの思いを背負って頑張る。 

生活のために頑張る。 

 

色んな選手がいるだろうと想像する。 

 

そして阿部詩選手は、そんな色々な立場で、真剣に、人生を掛けて頑張ってきた選手たちと対戦してきたはず。 

 

そんな、対戦者たちへのリスペクトが、あの時あったか!? 

あの絶叫に、数十分後には飯を食べていたと言う彼女の行動に、それを疑った自分。 

 

阿部詩選手に敗れた選手を、五輪など注目される試合で観たが、皆んな、静かに畳を降り会場を後にした。 

裏では泣き崩れていたかもしれないが…。 

自分は、そんな選手に寄り添いたい。 

ただ、それだけのこと。 

 

 

・明らかに人の心を傷つけたり追い込むような発言、事実と異なった情報、見た目や偏見だけでの意見など。 

人によって捉え方は様々ですが心無い言葉や行動は非常に辛いもの。 

有名人も人間。スポーツ選手も人間。打たれ強いわけじゃない。 

顔も名前も知らない人に散々アレコレ言われたらメンタルなんてあったもんじゃない。 

真似できない努力の中で日本を代表している選手に誹謗中傷する暇があるなら、自分らも努力してオリンピックに出てみたらいい。 

 

 

・誹謗中傷は言語道断で許されることではないです。 

でもそれはアスリートだろうと、芸能人だろうと、一般人だろうと関係ないはず。 

アスリートが人生を賭けて必死に戦っている、頑張っている事は否定しないけど、それは自分が選んだ道でもあるのでは? 

頑張っているから誹謗中傷はするべきではないと自ら言うべきでは無いと思います。 

誹謗中傷はどんな理由があろうとなかろうとしてはいけない事です。 

 

 

・『一番大切な言葉というのは身近な人の言葉』 

身近な人が甘やかして来たから、今回の『まるで欲しい物買って貰えなかった小さい子供のように奇声をあげて次の試合があるのに蹲って動かない』の振る舞いが出たんだと思う。 

泣くのは良い。でも普通の大人であの奇声を繰り返す泣き方する人は滅多にいない。 

両親やお兄ちゃんから可愛がられて来たんだろう。あの男性がやったようにヨシヨシされて来たんだろう。 

でも大人として、社会人として、身内の気遣いや優しい言葉だけじゃなく、周りの迷惑や、大人としてどうか、そういう耳が痛い言葉にも耳を傾けた方が良い。 

 

 

 

 
 

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