( 198529 ) 2024/08/05 15:05:02 0 00 「性別騒動」で誹謗中傷に晒されているボクシング女子66キロ級のイマネ・ヘリフ選手(アルジェリア)(写真:ロイター/アフロ)
パリオリンピックのボクシング女子で、性別をめぐる適性資格についての憶測が飛び交い騒動になっている。昨年の世界選手権で不適格とされた66キロ級のイマネ・ヘリフ選手(アルジェリア)が、今回のオリンピックでは出場が認められた。 ところが、対戦相手が試合開始早々に強烈なパンチを浴びて「自分の命を守らなければならなかった」と棄権したことからSNS上などで「性別」をめぐって波紋が広がった。 性の多様性は、スポーツ界でも広く論じられるようになってきたが、オリンピックに出場中の選手に性別の疑義が生じるのは異例の事態だ。必要なことは憶測に左右されない冷静な視点。そのためにも、エビデンスに基づいた情報が待たれる。 「鼻に強い痛みを感じた」
【写真】へリフ選手とともに昨年の世界選手権を「失格」となった台湾の林郁婷選手
複数の報道によると、ヘリフ選手が2回戦で対戦したイタリアのアンジェラ・カリニ選手は敗退後にこう語ったという。開始早々に強烈なパンチを浴びると、自らコーナーへ戻ってわずか46秒で涙の棄権。「自分のために『ストップ』と言った。自分の命を守らなければならなかった」とコメントした。
NHKなどによれば、イタリアのジョルジャ・メローニ首相が「男性の遺伝的特徴を持つ選手は、女子競技に参加すべきではないと思う。誰かを差別したいからではなく、女性選手が平等に競技できる権利を守るためだ」とコメントした。
一方、アルジェリアのオリンピック委員会も「外国メディアによる悪意ある非倫理的な攻撃を、可能な限りの強い言葉で非難する。虚偽に基づくこれらの中傷は、全く不当なものだ」と非難する声明を出した。こうした事態にSNS上でも憶測の投稿などが相次いでいる。
スポーツにおいて「強さ」や「速さ」などを競う条件下では、一定のルールや階級などにおいて、公平性と公正さを担保されていることが前提だ。同時に、全ての人に対して、スポーツの門戸は開かれているべきである。
今回のヘリフ選手のケースを複数のメディアの情報から整理していく。まず、報じられている記事の内容は、明確な事実と不明瞭な憶測に分けることができる。
■ 食い違うIOCとIBAの主張
明確な事実の1点目は、国際オリンピック委員会(IOC)がパリ五輪に関して、へリフ選手は「完全に出場資格がある」と明言し、出場を認めたことだ。パリ五輪だけではなく、ヘリフ選手は3年前の東京五輪にも60キロ級に出場して5位となっている。また、パスポートには女性と表記されており、IOCは公的文書の記載を出場資格の根拠に挙げる。
一方、2点目の明確な事実として、ヘリフ選手が昨年の世界選手権では性別適格検査で不合格と判定され、失格となっていたことである。
大会によってヘリフ選手の適格検査の合否に「ダブルスタンダード」が生じたことが、「女子としての出場資格がない選手がオリンピックの舞台で相手を棄権負けに追いやった」との印象を強くしている端緒といえる。
では、なぜ「ダブルスタンダード」が生じたのか。原因は、大会の運営主体の違いに他ならない。
世界選手権は、国際ボクシング協会(IBA)が主催する一方、東京五輪とパリ五輪は、IOCの管轄下での開催だ。
IOCは昨年、IBAが財政難や八百長疑惑など組織運営の問題などから世界統括団体としての地位をIBAから剥奪している。
産経新聞によると、IBAは試合直後の声明で、「競技者の安全と健康を第一に考え、男女間のボクシング試合を決して支持しない」と表明。これに対し、IOCは「(昨年の世界選手権は)正当な手続きなくして失格となった。IBAによる恣意的な決定の犠牲者だ」と批判する。
IBAはさらに、敗れたカリニ選手に優勝者と同額の賞金5万ドル(約735万円)を贈ると発表。日刊スポーツの記事によれば、IBA会長は「女子ボクシングを葬るような行為は理解できない。安全のため、資格ある選手のみがリングで闘うべきだ」と主張したという。
■ IBAがヘリフ選手を「失格」にした根拠は?
IBAからすれば、国際統括団体の地位を剥奪したIOCの決定に異を唱えるのは当然の対応であり、政治的な意図も見え隠れする。イタリアの首相も自国選手をかばう発言をするのは不思議ではない。こうした報道はしかし、SNS上でヘリフ選手を誹謗中傷する原因の一端を担ったといえる。
では、IBAが、昨年の世界選手権でヘリフ選手を失格とした理由は何か。NHKや時事通信などによると、男性ホルモンの一種であるテストステロン値を測る検査が原因だったという。一方、IOCは今回、女性ボクサーでテストステロン値が高めの選手が多いことを根拠に五輪前にこの検査を行っていなかったという。
ただし、IBAは声明で、ヘリフ選手はテストステロン値の検査は受けていないが、別の検査で参加資格を満たさず、他の女性選手より競争上の優位性があることが明らかになった、としている。具体的な検査内容については秘密としている。
ヘリフ選手が対戦相手のカリニ選手に強烈なパンチを見舞うと、カリニ選手が試合中に棄権した。IBAは参加を認めたIOCを批判し、IOCは世界選手権の失格こそ恣意的な決定だと非難しIBAの検査内容を疑問視している。
こうしたIBAとIOCの食い違う主張が、ヘリフ選手への誹謗中傷を過熱させた要因の一つだろう。
IBAがどのような検査をしたのか不明瞭だが、BBCはIBAのロバーツ会長がインタビューで、XY染色体が確認されたと述べたと報じている。ヘリフ選手はホルモンや生殖器、性染色体などにかかわる性分化疾患とも報じられている。IOCが指摘する「恣意的な決定」を排除したとして、性分化疾患によってテストステロンの血中濃度が高いケースに該当するとの意見があるが、このことへの断定的な報道は見られない。
憶測が飛び交うなか、SNS上では性自認が身体的性と一致しないトランスジェンダーと今回のケースを混同した投稿に批判も寄せられている。
■ 「組織の論理」で当事者たちを傷つけてはならない
今回のオリンピックでは、ヘリフ選手だけではなく、昨年の世界選手権でIBAから「参加資格を満たしていない」として銅メダルを剥奪された台湾の林郁婷選手も出場している。両選手はともに準々決勝に勝って4強入り。両選手は3位決定戦がないため、メダル獲得が決まった。
IOCのバッハ会長は4日、「彼女たちは女性として生まれ、女性として育ち、女性のパスポートを持っている女子のボクシング選手だ。彼女たちが、女性であることは明確で、疑う余地がない」との声明文を出した。
IOC、IBAには、それぞれの組織や決定を正当化したい狙いがみてとれるが、不可欠なことはエビデンス(裏付けや根拠)である。互いの主張を入れ込んだ声明の応酬は、憶測による誹謗中傷の声を高め、当事者である選手たちを傷つけるだけである。
現在進行形で行われているオリンピックにおいて、当該選手はもちろん、これから対戦する相手も性別に疑義がある選手との対戦は本来の精神状態では戦いにくい。性の多様性をめぐる問題は単純な構造にはなっておらず、慎重な議論が欠かせない。
だからこそ、今後のスポーツ大会で多様性を受け入れつつ、公平な試合を実現していくためにも、当事者たちの同意やプライバシーへの配慮を前提に、エビデンスを基に丁寧な検証を求めたい。
田中 充
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